一条忠良

江戸時代中期から後期の公卿。従一位・左大臣、関白。一条家20代。藤氏長者。母は家女房(側室)。子に盛君(-1872.5.29、英彦山座主熈通の妻、観晃院)

一条 忠良(いちじょう ただよし)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿関白一条輝良の子。官位従一位左大臣、関白。一条家20代当主。大勝寺と号す。余技で自ら茶陶の制作などを行い、その作品が複数現存している。

 
一条忠良
時代 江戸時代中期 - 江戸時代後期
生誕 安永3年3月22日1774年5月2日
死没 天保8年6月3日1837年7月5日
別名 号:大勝寺
官位 従一位関白左大臣
主君 光格天皇仁孝天皇
氏族 一条家
父母 父:一条輝良、母:家女房
兄弟 忠良西園寺実韶、和子、輝子
正室:細川冨子細川斉茲の娘)
実通忠香久我建通秀子、知君、通子、盛君、良子、崇子など
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明治天皇皇后昭憲皇太后祖父にあたる。

経歴

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天明3年(1783年従三位となり、寛政11年(1799年)には従一位となった。内大臣右大臣、左大臣を歴任。文化11年(1814年)には関白となる。文政6年(1823年)関白を辞めたが、同11年(1828年准三后となっている。

系譜

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脚注

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