ルイ・デヴルー(Louis d'Évreux, 1276年5月3日 - 1319年5月19日[1])は、フランスフィリップ3世と2度目の妃マリー・ド・ブラバンの息子[2]エヴルー伯に封じられたためこの名で呼ばれ、カペー家の支流エヴルー家の祖となった。異母兄にフィリップ4世ヴァロワ伯シャルルヴァロワ家の祖)、同母妹にイングランドエドワード1世の2度目の妃マーガレット(マルグリット)などがいる。

ルイ・デヴルー
Louis d'Évreux
エヴルー伯
ルイ・デヴルーの墓の彫像
在位 1298年 - 1319年

出生 (1276-05-03) 1276年5月3日
死去 (1319-05-19) 1319年5月19日(43歳没)
フランス王国パリ
埋葬 フランス王国パリ、サン=ジャック通り、ジャコバン修道院
配偶者 マルグリット・ダルトワ
子女 マリー
シャルル
フィリップ
マルグリット
ジャンヌ
家名 エヴルー家
父親 フランス王フィリップ3世    
母親 マリー・ド・ブラバン
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ルイは物静かで思慮深い性格で、異母兄ヴァロワ伯シャルルの陰謀に反対していた。しかし、甥のフランス王フィリップ5世と親密な関係にあった。

カペー家支流のフィリップ・ダルトワの娘でロベール3世・ダルトワの姉であるマルグリット(1285年 - 1311年)と結婚し[3]、2男3女をもうけた。

脚注

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  1. ^ ルイ・デヴルー - Find a Grave(英語)  
  2. ^ Henneman 1971, p. xvii.
  3. ^ Taylor 2006, p. 165.
  4. ^ a b c de Venette 1953, p. 313.
  5. ^ a b Henneman 1995, p. 328.

参考文献

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  • Henneman, John Bell (1971). Royal Taxation in Fourteenth-Century France: The Development of War Financing, 1322-1359. Princeton University Press 
  • Henneman, John Bell (1995). "Evreux". In Kibler, William F. (ed.). Medieval France:An Encyclopedia. Routledge.
  • Taylor, Craig, ed (2006). Debating the Hundred Years War. 29: Pour Ce Que Plusieurs (La Loy Salicque) And a Declaration of the Trew and Dewe Title of Henry VIII. Cambridge University Press 
  • de Venette, Jean (1953). Newhall, Richard A.. ed. The Chronicle of Jean de Venette. Columbia University Press 
先代
-
エヴルー伯
1298年 - 1319年
次代
フィリップ