リンブルフ州 (オランダ)
- リンブルフ州
- Provincie Limburg
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リンブルフ州の旗 リンブルフ州の紋章 -
国 オランダ王国 州都 マーストリヒト 最大の都市 マーストリヒト 州知事 エミレ・ルマー(社会党) 言語 オランダ語、リンブルフ語 面積
- 総面積
- 水域オランダ12州中 第11位
2,209.22 km²
45.59 km² (2.1%)人口(2019年)
- 総計
- 人口密度オランダ12州中 第7位
1,118,223人
521人/km²ISO 3166-2:NL NL-LI 公式サイト リンブルフ州政府
リンブルフ州(リンブルフしゅう、Limburg [ˈlɪmbʏrx] ( 音声ファイル))は、オランダ南東部の州。州都はマーストリヒト。北はヘルダーラント州、北西は北ブラバント州。南西はベルギーのリンブルフ州、南はベルギーのリエージュ州、東はドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州と境界を接する。
州名
編集州名の由来は、リンブルフを参照。
歴史
編集現在リンブルフ州となっている地域は、中世期には神聖ローマ帝国を構成する複数の領邦国家(リンブルク伯領、ブラバント公国、ゲルデルン公国、ユーリヒ公国、リエージュ司教領、ケルン大司教領)によって分割統治されていた。その後、カール5世によって、ネーデルラント17州がハプスブルク家の支配下に統合される。リンブルフはナポレオンの時代にフランス帝国に併合されるが、1815年、ウィーン会議によりネーデルラント連合王国領となる。1830年にネーデルラント南部諸州がベルギーとして独立すると、リンブルフは州都マーストリヒト以外の全域がベルギーの実効支配下に置かれた。1839年、ロンドン条約が締結され、リンブルフの東側半分をオランダ領、西側半分をベルギー領として分割されることになった。オランダ側のリンブルフは、1866年まで「リンブルク公国」の名でドイツ連邦に加盟した。「公国」の名は、その後も1906年まで州の公式名称であった。
第一次世界大戦ではオランダの中立政策が成功し、被害を免れたが、第二次世界大戦では州の全域が戦場となり、両軍の兵士のみならず多くの民間人が犠牲となった。
1991年12月7日、欧州共同体(EC)首脳会議がマーストリヒトで開催され、欧州連合(EU)創設、通貨統合を目的とするマーストリヒト条約を採択、翌1992年2月7日に調印した。
地理
編集北部ではマース川が中央を縦断し、南部ではマース川がベルギーとの国境となり、その東側が領域となる。オランダ12州の中で最も標高の高い土地である。
基礎自治体
編集- ベーク (Beek)
- ベークダエレン (Beekdaelen)
- ベーセル (Beesel)
- ベルヘン (Bergen)
- ブルンスム (Brunssum)
- エヒト・スステレン (Echt-Susteren)
- アイスデン=マルフラーテン (Eijsden-Margraten)
- ヒュネップ (Gennep)
- ヒュルペン・ヴィッテム (Gulpen-Wittem)
- ヘールレン (Heerlen)
- ホルスト・アーン・デ・マース (Horst aan de Maas)
- ケルクラーデ (Kerkrade)
- ラントヒュラーフ (Landgraaf)
- ルーダル (Leudal)
- マースガウ (Maasgouw)
- マーストリヒト (Maastricht)
- ミールセン (Meerssen)
- モーク・エン・ミドラール (Mook en Middelaar)
- ネーデルヴィールト (Nederweert)
- ペール・エン・マース (Peel en Maas)
- ルールダーレン (Roerdalen)
- ルールモント (Roermond)
- シンペルフェルト (Simpelveld)
- シッタールト・ヒェレーン (Sittard-Geleen)
- ステイン (Stein)
- ファールス (Vaals)
- ファルケンブルフ・アーン・デ・ヒェウル (Valkenburg aan de Geul)
- フェンロー (Venlo)
- フェンライ (Venray)
- ヴールンダール (Voerendaal)
- ヴェールト (Weert)
スポーツ
編集サッカー
編集リンブルフ州に本拠地を置くプロサッカークラブ。1部リーグ(エールディヴィジ)と2部リーグ(エールステ・ディヴィジ)の双方を含む。