ラ・フェルテ修道院
ラ・フェルテ修道院 (フランス語: Abbaye de la Ferté; ラテン語: Firmitas) はフランスのブルゴーニュ、ソーヌ=エ=ロワール県にかつてあったシトー会の修道院。1113年にシトー修道院初の子院として創設され、1791年に廃止された。廃止までに17の子院を設立した[1]。
歴史
編集ラ・フェルテ修道院はシトー修道院の3代院長ステファン・ハーディングの時代、1113年に、シトー修道院最初の子院として創設された。すなわち特別な位置づけがなされるシトー会の最初の4子院のひとつであった[2]。
設立するとすぐにブルゴーニュ公をはじめとした地元の有力者の寄進を受け発展した。
1165-66年には近隣の抗争に巻き込まれ、その後13世紀に改築された。14世紀の山賊の襲撃を端として、1415年までには要塞化が進められた。しかしながら1562年と1567年には略奪にあい、1570年にはガスパール・ド・コリニーのプロテスタント勢力により一部を残して焼失した。当時の院長は再建の資金を得るために修道院領の一部を売却し、17世紀初頭までに大寝室をはじめとした施設と、教会堂の手入れを完了した。1682年には防壁と堀を撤去して修道院の回廊と院長の邸宅を建設し、この工事は1760年頃まで継続された。
最後の院長の時代にも改装は計画されていたが、1791年のフランス革命により修道院は解散させられた。その時には14人の修道士と数人の労働者、そして修道院の管轄下で別の場所にあった木綿の紡織工場で働く女性たちが所属していた。修道院は国有化の後に売却され、大部分が破壊された。
現存している建築物は「シャトー・ド・ラ・フェルテ (:fr:Château de la Ferté) 」の名で知られる18世紀の修道院長の邸宅で、これは2階建てでマンサード屋根を戴き、往時の大食堂も今に残す。1993年には「歴史的記念建造物」に指定された[3]。
脚注
編集- ^ ブラウンフェルス,ヴォルフガング 著、渡辺鴻 訳『図説西欧の修道院建築』八坂書房、2009年、119頁。ISBN 978-4-89694-940-7。
- ^ 前掲 (ブラウンフェルス 2009, pp. 117–119)。 4子院はシトー修道院長の罷免権を持った。他の3つはポンティニー修道院、クレルヴォー修道院およびモリモン修道院。
- ^ “Monuments historiques - Château de la Ferté-sur-Grosne, ancienne abbaye cistercienne”. Ministère de la Culture et de la communication(フランス文化・通信省). 2014年1月18日閲覧。
翻訳元出典・外部リンク
編集- Auberger, Jean-Baptiste, 2000: La Ferté, in: André Vauchez (ed.), Encyclopedia of the Middle Ages. James Clarke & Co: Cambridge
- Peugniez, Bernard, nd: Routier cistercien (2nd edn), pp. 61-62. Editions Gaud: Moisenay ISBN 2-84080-044-6