ミュンヘン再保険

ドイツの再保険会社

ミュンヘン再保険(ミュンヘンさいほけん、ミューニックリー: Münchener Rückversicherungs-Gesellschaft Aktiengesellschaft: Munich Reinsurance Company、Munich Re)は、ドイツバイエルン州ミュンヘンに本拠を置く、再保険を中心とした保険サービス企業。損害再保険・生命再保険を中心とする。傘下のエルゴは元受保険やアセットマネジメントも取り扱う。フランクフルト証券取引所FWBMUV2)に上場している。

ミュンヘン再保険
Münchener Rückversicherungs-Gesellschaft Aktiengesellschaft
ミュンヘンの本社
種類 公開会社
市場情報 FWBMUV2
本社所在地 ドイツの旗 ドイツ
80802
バイエルン州ミュンヘン市 Königinstraße 107
設立 1880年4月19日 (144年前) (1880-04-19)
事業内容 再保険、元受保険
代表者 ヨアキム・ウェニング(CEO
外部リンク 公式ウェブサイト(英語)
テンプレートを表示

歴史

編集

1880年エアフルト生まれの銀行家であったカール・フォン・ティームドイツ語版によって設立された[1]

1890年、カールをふくむ監査役会のメンバーはドイツ保険最大手のアリアンツを創業した。同年ミュンヘン再保険はロンドン支店を開設、1892年にはアメリカ合衆国に進出した[2]

1906年サンフランシスコ地震の際、ミュンヘン再保険はすべての保険金請求に支払いを行った唯一の企業となった[1]第一次世界大戦の影響および戦後のハイパーインフレにより、ミュンヘン再保険は開戦前との比較で資産を2/3へ減じた[2]。カールは1921年までミュンヘン再保険の会長を務めたが、戦間期の困難の中、ヴィルヘルム・キスカルトがその跡を継いだ。一方、1924年までヴィルヘルム・フィンクがミュンヘン再保険監査役会議長を務めた[注 1]

第二次世界大戦においては、アリアンツ幹部のクルト・シュミット英語版ナチス政権の経済大臣となっており、連合国の市場を喪失した。エベルハルト・ライニングハウスが占領軍を受け入れながらミュンヘン再保険を再構築した[2][注 2]1950年にライニングハウスが没すると、アーロイス・アルツハイマーがミュンヘン再保険のリーダーとなった。また、1954年からは後述のホルスト・ヤンノットが見習い弁護士として入社したが、最終的にカールに次いでCEOを長く務めた[2]。1970年代半ばには再保険事業の収益性低下が顕著となり、ミュンヘン再保険も1977年に初めて損失を計上した(1500万マルク)が、ドイツ国外での収益の伸びが補い、1989年時点で収益の約半分が国外事業となった[2]

1996年American Re を買収した[3]ドイツ再統一後、欧州の資本市場の統合およびマルク高に伴い、アリアンツをはじめドイツ企業の機関化が進行した。それまでミュンヘン再保険とアリアンツは株式を持ち合う関係であり、ミュンヘン再保険はアリアンツから再保険を独占的に受注していたが、1990年代以後は価格競争の元に置かれることとなった。

エルゴ(ERGO Group)が2001年からグループ企業となった。エルゴの前身はヴィクトリア・コンツェルンである。元会長にエドガー・ヤンノットがいた。ミュンヘン再保険は1997年にエルゴの主要株主となっていた。エドガーは1999年までエルゴ会長を務めて、これをグループとする準備をなした。エドガーの兄ホルスト・ヤンノットは1969年から1993年までマックス・プランク研究所の評議員であった[4][注 3]。また、ホルストは国立労働銀行の重役でもあった[5][注 4]

近年の動向

編集

2002年のミュンヘン再保険の年次報告書の中で、世界の大都市の災害リスク指数を公表し、東京横浜を世界の大都市中、特に災害リスクの高い都市と発表したため、日本の官公庁で話題を呼んだ[6][7]

2012年太陽光発電事業者を対象とする性能保険の発売を開始した[8]

傘下のエルゴはアリアンツに次ぐ第2位の正味保険料を計上しているが、2016年にミュンヘン再保険は大規模な合理化を発表した[9]。アセットマネジメントは、同じくグループ企業のMUNICH ERGO AssetManagement GmbH(MEAG)で取り扱っている。

日本における展開

編集

日本では1912年に初めて損害保険の再保険契約を締結し、1967年に東京駐在員事務所を開設、2010年に生命再保険の保険業免許を取得し、東京に日本支店を開設した[10]2017年7月、損害再保険でも保険業免許を持つ総合支店となった[11]。日本支店は東京(山王パークタワー)にある。

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ フィンクはメルク・フィンク商会(現バークレイズ)の創設者である。
  2. ^ ライニングハウスは1936年オーストリアの保険業界を襲ったフェニックス・スキャンダルの中心人物であった。
  3. ^ マックス・プランク研究所はAT&Tに次ぐ技術力をもつ。ホルストは1981年から名誉評議員。アリアンツの副会長も務めた。
  4. ^ ロスチャイルドの代理人アルフレッド・ハルトマン博士は国立労働銀行のスイス支店長であった。

出典

編集
  1. ^ a b Munich Re rights echoes San Francisco quake of 1906” (英語). デイリー・テレグラフ (2003年10月18日). 2016年9月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e Munich Re (Münchener Rückversicherungs-Gesellschaft Aktiengesellschaft in München) History” (英語). Funding Universe. 2020年10月12日閲覧。(Source: International Directory of Company Histories, Vol. 46. St. James Press, 2002.)
  3. ^ Munich Reinsurance to Buy American Re for $3.3 Billion” (英語). ウォール・ストリート・ジャーナル (1996年8月14日). 2020年10月12日閲覧。
  4. ^ Jana Tempelhoff und Dirk Ullmann, "Mitgliederverzeichnis der Max-Planck-Gesellshaft zur Förderung der Wissenschaften", 2015, p. 141.
  5. ^ CONGRESSIONAL RECORD - HOUSE, April 28, 1992, p. 9478.
  6. ^ ミュンヘン再保険会社による大都市の災害危険度指数” (PDF). 経済財政諮問会議 (2004年10月26日). 2016年9月3日閲覧。
  7. ^ 国土交通省 東京圏の中枢機能のバックアップに関する検討会” (PDF). 国土交通省 (2011年12月27日). 2016年9月3日閲覧。
  8. ^ ミュンヘン再保険、メガソーラー事業者に性能保証保険、メーカー倒産時も対応”. 環境ビジネスオンライン (2012年1月20日). 2016年9月3日閲覧。
  9. ^ ミュンヘン再保険:ドイツ元受保険部門再編で1200億円強を投入へ”. ブルームバーグ (2016年6月2日). 2016年9月3日閲覧。
  10. ^ 独ミュンヘン再保険、日本での事業拡大目指す-東京に支店開設”. ウォール・ストリート・ジャーナル (2010年9月2日). 2020年10月12日閲覧。
  11. ^ ミュンヘン再保険日本支店 損害再保険業務を開始、市場へのコミット強化目指す”. 保険ニュース (2017年7月3日). 2020年10月12日閲覧。

外部リンク

編集