マリア・デ・ポルトゥガル (カスティーリャ王妃)

マリア・デ・ポルトゥガルMaría de Portugal, 1313年2月9日 - 1357年1月18日)は、カスティーリャアルフォンソ11世の王妃。父はポルトガルアフォンソ4世、母はその最初の妃ベアトリス

マリア・デ・ポルトゥガル
María de Portugal
カスティーリャ王妃
在位 1328年 - 1350年

出生 (1313-02-09) 1313年2月9日
死去 (1357-01-18) 1357年1月18日(43歳没)
ポルトガル王国エヴォラ
埋葬 カスティーリャ王国セビリア、サン・クレメンテ修道院
結婚 1328年9月 アルファイアテス
配偶者 カスティーリャ王アルフォンソ11世
子女 フェルナンド
ペドロ1世
家名 ボルゴーニャ家
父親 ポルトガル王アフォンソ4世
母親 ベアトリス・デ・カスティーリャ・イ・モリナ
宗教 ローマ・カトリック
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生涯

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アルフォンソ11世の父フェルナンド4世はマリアの母ベアトリスの兄、母コンスタンサはマリアの父アフォンソ4世の姉であり、アルフォンソ11世とマリアは父方でも母方でも従兄妹に当たる。

アルフォンソ11世は幼少時に同族のコンスタンサ・マヌエルと結婚していたが、1327年にこの結婚を無効として、翌1328年にマリアを新たに王妃に迎えた。なお、コンスタンサ・マヌエルは後にマリアの弟ポルトガルペドロ1世と結婚している。

マリアはアルフォンソ11世との間に2男をもうけた。

  • フェルナンド(1332年) - 夭逝
  • ペドロ1世(1334年 - 1369年) - カスティーリャ王

アルフォンソ11世は愛妾レオノール・デ・グスマンを寵愛して、王妃であるマリアと嫡子であるペドロを王宮から遠ざけた。アルフォンソ11世が崩御すると、即位したペドロ1世は、レオノールや異母弟妹を排除した。王太后マリアは、ペドロ1世とブランシュ・ド・ブルボンの結婚を成立させる等、影響力を持ったが、やがてブランシュともども冷遇される。1357年に死去した。

系譜

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マリア 父:
アフォンソ4世 (ポルトガル王)
祖父:
ディニス1世 (ポルトガル王)
曽祖父:
アフォンソ3世 (ポルトガル王)
曽祖母:
ベアトリス[1]
祖母:
イサベル
曽祖父:
ペドロ3世 (アラゴン王)[2]
曽祖母:
シシリア王女コンスタンサ
母:
ベアトリス
祖父:
サンチョ4世 (カスティーリャ王)
曽祖父:
アルフォンソ10世 (カスティーリャ王)[3]
曽祖母:
アラゴン王女ビオランテ[4]
祖母:
マリア
曽祖父:
モリナ公アルフォンソ[5]
曽祖母:
マヨール