ポルトガル王国

1139年から1910年まで続いたポルトガルの王政時代
ポルトガル王国
Regnum Portugalliae (ラテン語)
Reino de Portugal (ポルトガル語)
レオン王国
ポルトゥカーレ伯領
1139年 - 1910年 ポルトガル第一共和政
ブラジル帝国
ポルトガルの国旗 ポルトガルの国章
国旗(1830年 - 1910年)国章(1640年 - 1910年)
国歌: Hymno Patriótico(1809年 - 1834年)

Hino da Carta(ポルトガル語)(1834年 - 1910年)
イーノ・ダ・カルタ
ポルトガルの位置
ポルトガル王国の地図(1800年)
公用語 ポルトガル語
ラテン語
宗教 カトリック
イスラム教
首都 コインブラ
(1139年 - 1255年)

リスボン
(1255年 - 1808年)

リオ・デ・ジャネイロ
(1808年 - 1821年)

リスボン
(1821年 - 1910年)
国王
1139年 - 1383年 ボルゴーニャ王朝
1139年7月25日 - 1185年12月6日アフォンソ1世
1385年 - 1580年アヴィス家
1385年4月6日 - 1433年8月14日ジョアン1世
1495年10月25日 - 1521年12月13日マヌエル1世
1581年 - 1621年ハプスブルク家
1581年3月25日 - 1598年9月13日フィリペ1世
1640年 - 1910年ブラガンサ家
1640年12月11日 - 1656年11月6日ジョアン4世
1908年2月1日 - 1910年10月4日マヌエル2世
首相
1834年9月24日 - 1835年5月4日ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン
1910年6月26日 - 1910年10月5日アントニオ・テイシェイラ・デ・ソウザ英語版
面積
1300年90,000km²
人口
1300年800,000人
変遷
オーリッケの戦い 1139年7月25日
独立の回復1640年12月1日
革命で共和制へ1910年10月5日
通貨ポルトガル・ディニェイロ
(1139年 - 1433年)

ポルトガル・レアル
(1433年 - 1910年)

ポルトガル王国(ポルトガルおうこく、ラテン語: Regnum Portugalliae, ポルトガル語: Reino de Portugal)は、イベリア半島西部、現在のポルトガルにあたる地域(当初はその一部)に1139年から1910年まで存在した王国である。[1]1415年から1580年まではポルトガル・アルガルヴェ王国英語版、1815年から1821年まではポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国としても知られている。[2]また、海外植民地を含めたポルトガル帝国を指すこともある。[1]

ポルトガルの歴史
ポルトガルの国章
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先史時代英語版

ポルトガル ポータル

概要

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1129年ポルトゥカーレ伯アフォンソ1世がポルトゥカーレ公を名乗りカスティーリャ王国より独立、1139年より王を称した。国土回復運動(レコンキスタ)によって勢力を拡大した。1242年サンシュ2世アルガルヴェ地方を征服してアルガルヴェ王国を建国し、それ以降のポルトガル王はアルガルヴェ王を兼ねるようになった。1383年、フェルナンド1世が嗣子なく没すると、フェルナンド1世の娘でカスティーリャ王国の王妃であったベアトリスが王位を請求し、フェルナンド1世の庶弟であるジョアンと争った。ジョアンはカスティーリャ王国軍を退け、ジョアン1世として即位した(アヴィス朝)。

大航海時代においてスペイン王国とともに活躍し、アフリカアジア南米に広大な植民地を領有した(ポルトガル海上帝国)。エンリケ王子が死去する1460年までに、ポルトガルは遠洋航海に耐える船を改良してヨーロッパ最先端の海洋開発国に成長した。ジョアン2世(在位:1455年~95年)の治世下の1488年には、バルトロメウ・ディアス喜望峰迂回に成功し、胡椒の地インドへの道が開けた[3]。1580年、エンリケ1世が嗣子なく死去すると、スペイン王フェリペ2世がリスボンを占拠し、ポルトガル王に即位した。ポルトガルはスペインに併合こそされなかったものの、1581年から1640年の期間、スペイン王がポルトガル王を兼ねる同君連合の状態にあった(イベリア連合)。しかしスペインに対するポルトガル貴族の反発は根強く、1640年のポルトガル王政復古戦争によって同君連合は解消され、アヴィス朝の分家であるブラガンサ家ジョアン4世が新たな王となった。

1808年にはナポレオン戦争から逃れ、最大の植民地ブラジルに宮廷を移した(ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国)。1821年に宮廷は本国に復帰したが、ブラジル帝国独立を許すこととなった。1828年には王位継承をめぐってポルトガル内戦が勃発し、1834年まで続いた。以降も内政の混乱が続いて共和主義者が台頭し、1910年の共和政革命によって王国は消滅した。

歴代王朝

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名前 期間
1 ボルゴーニャ朝 1139年1143年) - 1385年1383年
2 アヴィス朝 1385年 - 1580年1583年
3 アブスブルゴ(ハプスブルク)朝 1581年 - 1640年
4 ブラガンサ朝 1641年 - 1910年

参考文献

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  • 金七紀男「図説ブラジルの歴史」、2014年10月24日、河出書房新社[3]

脚注

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  1. ^ a b Disney, A. R. (2009-04-13). A History of Portugal and the Portuguese Empire. Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-40908-7. http://dx.doi.org/10.1017/cbo9780511813337 
  2. ^ Chaves, Cláudia Maria das Graças (2006-06). “O outro lado do Império: as disputas mercantis e os conflitos de jurisdição no Império Luso-Brasileiro”. Topoi (Rio de Janeiro) 7 (12): 147–177. doi:10.1590/2237-101X012004005. ISSN 2237-101X. http://www.scielo.br/scielo.php?script=sci_arttext&pid=S2237-101X2006000100147&lng=pt&tlng=pt. 
  3. ^ a b 図説ブラジルの歴史. 河出書房新社. (2014年10月30日) 

関連項目

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