マニエリスムの芸術家(マニエリスムのげいじゅつか)では、マニエリスム、および北方マニエリスム英語版の作風を持つ芸術家とその作品を紹介する。

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1351年-1400年

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人名 功績 画派 肖像 有名作品 生誕 死亡 説明
ヤン・ファン・エイク 画家 初期フランドル派、北方マニエリスム     1390年頃 1441年7月9日

1451年-1500年

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人名 功績 画派 肖像 有名作品 生誕 死亡 説明
ミケランジェロ・ブオナローティ 彫刻家、建築家、画家 フィレンツェ派、ルネサンス、マニエリスム     1475年3月6日 1564年2月18日 ルネサンスにおける三大巨匠の一人。彼のマニエリスムの傾向は1532年以降に見られ、ヴァザーリに「優美な手法」と呼ばれる蛇状、あるいは炎昇と呼ばれる独特の捻じれという特徴を生み出した[1]
マルカントニオ・ライモンディ 版画家 ルネサンス、マニエリスム   1475年頃 1534年頃
ヤン・ホッサールト(マビューズ) 画家 フランドル派、マニエリスム     1478年頃 1532年10月1日
ガロファロ 画家 マニエリスム   1481年頃 1559年9月6日
ラファエロ・サンティ 画家、建築家 フィレンツェ派、ルネサンス、マニエリスム     1483年4月6日 1520年4月6日 ラファエロは他の三大巨匠と比べ37歳と早逝だが[2]、作風の変遷は激しいものであった[2][3]。この《キリストの変容》は時のフランスナルボンヌ大司教であったジュリオ・デ・メディチ枢機卿ナルボンヌ大聖堂英語版に送るために注文し、またミケランジェロ・ブオナローティデッサンの提供を受けたセバスティアーノ・デル・ピオンボの《ラザロの蘇生》と競作させたことで知られる[4]。本作はラファエロの遺作かつ後期の大作として知られ[2][4]、またラファエロの晩年の作品の中でも珍しく、ほとんど一人で仕上げたとされる[2]。画面の上半分はキリストの変容を、下半分に使徒たちと悪魔に漬かれた少年が癒される場面が描かれている[2][4]。たくさんの人物が折り重なる様にポーズを取る様は晩年のラファエロの壁画の特徴と重なるものである[5]。本作はバロックの先駆けとなるマニエリスム絵画として区分されるが[3]、古典主義やアカデミズムによってラファエロ自身のイメージが理想化され[3]、またロマン主義の時代に見られる新古典主義に対する反動や難解なネオ・プラトニズムに関わる主題と図像に対する理解者の現象により、20世紀に入るまで図像の解読はほとんど行われなかった[6]。(英語版)
ドメニコ・ベッカフーミ 画家 シエナ派、マニエリスム     1486年 1551年5月18日
ジョヴァンニ・ダ・ウーディネ 画家     1487年10月27日 1564年
バッチョ・バンディネッリ 彫刻家 フィレンツェ派     1488年10月7日 1560年2月7日
ジャンフランチェスコ・ペンニ 画家     1488年 / 1496年 1528年
ヤコポ・ダ・ポントルモ 画家     1494年5月24日 1557年1月2日
バッキアッカ 画家   1494年 1577年
ロッソ・フィオレンティーノ 画家     1495年 1540年
ハンス・ホルバイン 画家 北方マニエリスム     1497年 / 1498年 1543年10月7日-1543年11月29日
マールテン・ファン・ヘームスケルク 画家・版画家 北方マニエリスム     1498年6月1日 1574年10月1日
ウィリアム・スクロツ英語版 画家 北方マニエリスム   不明 1553年
ジュリオ・ロマーノ 建築家、画家 マントヴァ派、マニエリスム     1499年頃 1546年11月1日
パリス・ボルドーネ 画家   1500年7月5日 1571年1月19日 ティツィアーノの弟子。
ベンヴェヌート・チェッリーニ 画家、金細工師、彫刻家、音楽家     1500年11月3日 1571年2月13日
ジャン・クーザン(父)英語版 画家 フォンテーヌブロー派、マニエリスム     1500年 1593年以前
ヤン・マンデイン 画家 北方マニエリスム   1500年頃 1560年頃 バルトロメウス・スプランヘルの師

1501年-1550年

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人名 功績 画派 肖像 有名作品 生誕 死亡 説明
ジローラモ・ダ・カルピ 画家     1501年 1556年
パルミジャニーノ 画家     1503年1月11日 1540年8月24日
アーニョロ・ブロンズィーノ 画家   1503年11月17日 1572年11月23日
フランチェスコ・プリマティッチオ 画家 フォンテーヌブロー派、マニエリスム     1504年4月30日 1570年
ヴェンツェル・ヤムニッツァー英語版 金細工師・版画家 北方マニエリスム     1507年/1508年 1585年
ピーテル・アールツェン 画家 北方マニエリスム   1508年 1575年6月3日
ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ 画家     1509年頃 1566年4月4日
フランチェスコ・サルヴィアーティ 画家     1509年 / 1510年 1563年11月11日
ニコロ・デッラバーテ 画家 フォンテーヌブロー派、マニエリスム   1509年 / 1512年 1571年
ヤコピーノ・デル・コンテ英語版 画家   1510年 1598年
ヤコポ・バッサーノ 画家     1510年頃 1592年2月14日
アンドレア・スキャヴォーネ 画家     1510年頃 1563年
ピッロ・リゴーリオ 建築家、作庭家     1510年頃 1583年10月30日
フランソワ・クルーエ 画家 フォンテーヌブロー派、マニエリスム     1510年頃 1572年12月22日 ジャン・クルーエ英語版の子。
ヤン・マサイス 画家 北方マニエリスム   1510年頃 1575年10月8日 クエンティン・マサイスの子。
ルイス・デ・モラレス 画家 スペイン黄金時代美術   1510年頃 1586年5月9日
バルトロメオ・アンマナーティ 建築家、彫刻家 マニエリスム   1511年6月18日 1592年4月13日 妻は詩人の ラウラ・バッティフェリ英語版
ジョルジョ・ヴァザーリ 批評家、建築家、画家 マニエリスム     1511年7月30日 1574年6月27日 画家・彫刻家・建築家列伝の作者としても知られる。
ティントレット 画家 ヴェネツィア派、マニエリスム     1518年9月29日 1594年5月31日 ヴェネツィア派とマニエリスムの双方の特徴を持つ作品が特徴。
フランス・フロリス 画家 北方マニエリスム     1519年か1520年 1570年10月1日 弟子にはマールテン・デ・フォスらがいる。
ジョルジョ・ギージ 版画家 マニエリスム   1520年 1582年 ジュリオ・ロマーノに師事し、後年はアントウェルペンで活躍。
アントワーヌ・カロン英語版 画家 フォンテーヌブロー派、マニエリスム     1521年 1599年 フランスのヴァロワ朝末期の国王たちに仕えた。
ラヴィニア・フォンターナ 画家     1525年8月24日 1614年8月11日
ストラダヌス(ジョヴァンニ・ストラダーノ) 画家     1523年 1605年11月2日
ピーテル・ブリューゲル 画家 北方マニエリスム     1526年-1530年 1569年9月9日
ルカ・カンビアーゾ フレスコ画家、画家   1527年 1585年
ジュゼッペ・アルチンボルド 画家 マニエリスム     1527年頃 1593年7月11日
ペッレグリーノ・ティバルディ 建築家、彫刻家、壁画画家     1527年頃 1596年頃 スペインではフェデリコ・ツッカリの弟子として活動した。
タッデオ・ツッカリ 画家     1529年9月1日 1566年9月2日
ジャンボローニャ 彫刻家     1529年頃 1608年8月13日
アロンソ・サンチェス・コエリョ 画家 スペイン黄金時代美術     1531年/1532年 1588年8月8日
ソフォニスバ・アングイッソラ 画家     1532年 1625年11月16日
マールテン・デ・フォス 画家、ドローイング作家、版画家     1532年 1603年12月4日
ヨアヒム・ブーケラール 画家     1533年頃 1570年/1574年頃 ピーテル・アールツェンの甥
アレッサンドロ・アローリ 画家     1535年5月31日 1607年9月22日
ミラベッロ・カヴァロッリ英語版 画家   1535年 1572年
フェデリコ・バロッチ 画家     1535年頃 1612年9月30日 ベッローリの『現代画家・彫刻家・建築家伝』の中で、バロッチは衰退に瀕したこの画風を救う可能性がある画家として言及されている[7]
ジローラモ・マッキエッティ英語版 画家   1535年頃 1592年
サンティ・ディ・ティート 画家、建築家   1536年10月6日 1603年7月24日
マーソ・ダ・サン・フリアーノ英語版 画家   1536年 1571年
エル・グレコ 画家、イコン画家 ヴェネツィア派、マニエリスム     1541年頃 1614年4月7日 トレドにおける後半生において、独特の光と色彩、長身痩躯の動的な人体などを特徴とするギリシア人の画家[8]。この特徴は彼の代表作である《オルガス伯爵の埋葬》でも見られ、ミケランジェロの蛇状の人体を一層発展させる[9]など、マニエリスムの代表的な画家として後世に多大な影響を及ぼした。
ヤコポ・ツッキ 画家   1541年頃 1589年 / 1590年 『珊瑚採り』にはアメリカ大陸発見の寓意が含まれている。
ヨーリス・フーフナーヘル 画家     1542年 1601年7月24日
フェデリコ・ツッカリ 画家     1542年 / 1543年頃 1609年7月20日
アンブロワーズ・デュボワ英語版 画家 フォンテーヌブロー派   1542年 / 1543年頃 1614年 / 1615年頃
ヤコポ・コッピ英語版 画家     1546年 1591年
バルトロメウス・スプランヘル 画家、ドローイング作家     1546年3月21日 1611年8月
ヤコポ・リゴッツィ英語版 画家     1547年 1627年
ニコラス・ヒリアード 画家、金銀細工師、ミニアチュール作家     1547年頃 1619年1月7日
カレル・ヴァン・マンデル 画家、著述家     1548年5月 1606年9月2日 ヴァザーリの著作を翻訳し、それにネーデルラントの画家を網羅的に紹介する部分を加えた『画家列伝』を執筆する。

1551年-1600年

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人名 功績 画派 肖像 有名作品 生誕 死亡 説明
ハンス・フォン・アーヘン 画家、ドローイング作家     1552年頃 1615年3月4日
アントニオ・テンペスタ 画家、版画家     1555年 1630年8月5日 ストラダヌスの弟子
オットー・ヴァン・ヴェーン英語版 画家     1556年頃 1629年5月6日 ルーベンスの師
アドリアン・デ・フリース英語版 彫刻家     1556年頃 1626年
トゥッサン・デュブルイユ英語版 画家 フォンテーヌブロー派   1558年 1602年11月22日
ヘンドリック・ホルツィウス 版画家、素描家、画家、ドローイング作家、出版者     1558年頃 1617年1月1日
コルネリス・ファン・ハールレム 画家、ドローイング作家     1562年頃 1638年11月11日
フランシスコ・パチェーコ 批評家、画家 マニエリスム     1564年 1644年 スペインの画家でディエゴ・ベラスケスの師であり義父。『絵画芸術論』の執筆者。作品は21世紀における評価は芳しくないものの、冷たいマニエリスム風の作品を書くことで知られる[10]
ヨース・デ・モンペル 画家 北方マニエリスム     1564年 1635年
ハンス・ロッテンハンマー 画家 北方マニエリスム     1564年 1625年
ヨゼフ・ハインツ 画家 北方マニエリスム     1564年6月11日 1609年10月15日
アブラハム・ブルーマールト 画家、細密画家、ドローイング作家、版画家     1564年12月25日 1651年1月27日
ヨアヒム・ウテワール 画家、銅版画家     1566年頃 1638年8月1日
マルタン・フレミネ英語版 画家 フォンテーヌブロー派     1567年9月24日 1619年6月18日
ヤン・ブリューゲル (父) 画家 北方マニエリスム     1568年 1625年1月24日
ジュゼッペ・チェーザリ 画家 ローマ派     1568年2月 1640年7月3日
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ 画家 バロック     1571年9月28日 1610年7月18日 バロック絵画の代表的な画家。
ジャック・ベランジェ 銅版画家、画家、ドローイング作家   1575年頃 1616年
ルーラント・サーフェリー 画家     1576 / 1578年 1639年2月25日 鳥獣画を得意とし、ドードーを描いたことで知られる。
クリストファーノ・アローリ 画家     1577年10月17日 1621年4月2日 アレッサンドロ・アローリの息子。
ホルヘ・マヌエル・テオトコプリ 建築家、画家     1578年 1631年3月28日 エル・グレコの息子。
アダム・エルスハイマー 画家 マニエリスムからバロック     1578年3月18日 1610年12月11日
モンス・デジデリオ 画家   ディディエ・バラ(Didier Barra, 1590年 - 1656年)およびフランソワ・ド・ノメ(François de Nomé, 1593年 - 1620年以降)の通称
バルトロメウス・ストロベル 画家   1591年 1647年 ポーランドの画家。
ジャック・カロ 銅版画家     1592年 1635年3月24日

1601年-1650年

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人名 功績 画派 肖像 有名作品 生誕 死亡 説明
ジョヴァンニ・ピエトロ・ベッローリ 批評家、画家、古物収集家 バロック     1613年1月15日 1696年2月19日 現代画家・彫刻家・建築家伝』の著者。マニエリスムに対して批判的な見方をしている。

脚注

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参考文献

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  • 池上英洋『もっと知りたいラファエッロ: 生涯と作品』(初)東京美術〈アート・ビギナーズ・コレクション〉、2009年12月20日。ISBN 978-4-8087-0879-5NCID BB0040183X 
  • 石鍋真澄; 堀江敏幸『誰も知らないラファエッロ』新潮社〈とんぼの本〉、2013年3月30日。ISBN 978-4-10-602242-5NCID BB12107840 
  • Greco; 大高保二郎; 安發和彰; 新人物往来社『エル・グレコの世界』(初)新人物往来社、2012年9月25日、134-142頁。ISBN 978-4-404-04252-1NCID BB10303054 
  • 岡村真紀子「マニエリスムの諸相--イタリアとイギリス,美術と文学」『京都府立大学学術報告 人文』第44号、京都府立大学学術報告委員会、1992年、p25-34、ISSN 00757381NAID 1100000573962020年8月4日閲覧 
  • 甲斐教行「<論文>フェデリコ・バロッチの制作過程:セニガリアの<キリスト埋葬>を中心に」『五浦論叢 : 茨城大学五浦美術文化研究所紀要』第4号、茨城大学五浦美術文化研究所、1998年、55-71頁、NAID 1100005484762020年8月4日閲覧 
  • 末吉雄二『世界美術大事典』 3 (しーてえ)、小学館、1989年6月。ISBN 4096993131NCID BN0281720X 

関連項目

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