ブラゴイ・ゲオルギエフ
ブラゴイ・ジョレフ・ゲオルギエフ(ブルガリア語: Благой Жорев Георгиев, ラテン文字転写: Blagoy Zhorev Georgiev, 1981年12月21日 - )は、ブルガリア・ソフィア出身の元サッカー選手。元ブルガリア代表。現役時代のポジションはMF。
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2013年のゲオルギエフ | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ブラゴイ・ジョレフ・ゲオルギエフ Blagoy Zhorev Georgiev | |||||
ラテン文字 | Blagoy GEORGIEV | |||||
ブルガリア語 | Благой Жорев Георгиев | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブルガリア | |||||
生年月日 | 1981年12月21日(42歳) | |||||
出身地 | ブルガリアソフィア | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (CMF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
スラヴィア・ソフィア | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2008 | スラヴィア・ソフィア | 172 | (46) | |||
2006 | → アラベス (loan) | 10 | (0) | |||
2006-2007 | → レッドスター (loan) | 20 | (2) | |||
2007-2008 | → デュースブルク (loan) | 31 | (2) | |||
2009-2012 | テレク | 105 | (7) | |||
2013-2014 | アムカル | 36 | (3) | |||
2014-2016 | ルビン | 37 | (1) | |||
2016-2017 | オレンブルク | 30 | (7) | |||
代表歴 | ||||||
ブルガリア U-21 | ||||||
2004-2011 | ブルガリア | 50 | (5) | |||
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経歴
編集クラブ
編集スラヴィア・ソフィア
編集1981年にブルガリアの首都ソフィアで生まれ、地元のPFCスラヴィア・ソフィアの下部組織を経て[1] 同クラブのトップチームでプロとしてのキャリアを開始した。ミロスラフ・ミラノフ(Miroslav Mironov)監督の下で1999年10月17日のFCピリン・ブラゴエヴグラト戦(3-1勝利)で初出場、11月27日のPFCベロエ・スタラ・ザゴラ戦(アウェイ1-1)で試合終了間際に初得点を記録した。その後は、2000年3月11日のPFCヴェルブジュド・キュステンディル戦(1-2敗北)、4月22日のPFCボテフ・プロヴディフ戦(3-2勝利)で得点を挙げ、デビューシーズンは3得点を記録した。
2003年9月27日のFCチェルノモレツ・ブルガス戦(アウェイ5-2勝利)で自身のキャリア初となるハットトリックを含め4得点を挙げる。同2003-04シーズン最終節のPFCナフテックス・ブルガス相手に2得点を挙げ、シーズン合計17得点となったことでストイコ・サカリエフに並び得点ランキング2位タイとなった。
オフチャ・クペル・スタジアムでの6季でリーグ戦172試合46得点を記録した。
ローン生活
編集- アラベス
2006年1月13日にシーズン終了までの期限付き移籍でデポルティーボ・アラベスと契約[2] し、それから1週間後にカンプ・ノウでのFCバルセロナ戦(アウェイ0-2敗北)でリーグ初出場を飾った。出場10試合中先発2試合とアラベスでの生活はベンチで大半を過ごし、クラブを2部降格の危機から救うことが出来ず、シーズン終了に伴い退団した。
- レッドスター
2006年6月14日にシーズン終了までの期限付き移籍でセルビア1部のレッドスター・ベオグラードと契約した[3]。
- デュースブルク
2007年5月28日に2007-08シーズン終了までの期限付き移籍でドイツ1部のMSVデュースブルクと契約[4]。2008年3月14日のシャルケ04戦(1-2敗北)で初得点、5月4日のバイエル・レバークーゼン戦(3-2勝利)で試合終了間際に決勝点となる自身2得点目を挙げた。デュースブルクではリーグ戦31試合に出場した。
テレク・グロズヌイ
編集2009年1月6日に移籍金150万ユーロでロシア1部のFCテレク・グロズヌイに4年契約を締結[5]。2009年3月15日にPFCスパルタク・ナリチクとの開幕戦(1-0勝利)、7月19日にホームのアフマド・アレーナでのFCゼニト・サンクトペテルブルク戦(3-2勝利)で初得点を記録した。
昨季まで主将と務めていたティムル・ジャブライロフが現役引退をしたため、2010年シーズン開幕前にアナトリー・バイダチニ監督から主将に任命された[6]。2010年5月10日のCSKAモスクワ戦(1-4敗北)で先制点にしてシーズン初得点を挙げ、それから3日後のサトゥルン・ラメンスコーエ戦(2-0勝利)で2アシストを提供した[7]。
2011年シーズンは、2011年5月20日に第10節のFCアンジ・マハチカラ戦(1-0勝利)で初得点、8月13日のFCディナモ・モスクワ戦(2-6敗北)で2得点目[8]、11月5日のFCクラスノダール戦(2-0勝利)でムサウェンゴシ・ムグニの得点をアシストした[9]。自身30歳の誕生日から数日後の12月28日にディナモ・モスクワが獲得に関心を寄せていると報じられた[10]。
2012年11月4日にペナルティーキックを決めたアンジ・マハチカラ戦(1-3敗北)でロシア1部通算出場数100試合を達成した。
アムカル・ペルミ
編集2012年12月19日にFCアムカル・ペルミと3年半契約で合意して移籍した[11]。
ルビン・カザン
編集2014年8月15日、FCルビン・カザンに移籍することが発表された[12]。
オレンブルク
編集2016年8月31日、ロシア・プレミアリーグへの昇格を果たしたFKオレンブルクに加入した[13]。2017年12月29日にオレンブルクを退団し、その翌日に現役引退を発表した[14]。
代表
編集U-21代表を経てA代表で50試合5得点を記録。2011年10月10日、ウェールズ戦前の合宿中に突如としてチームを去り[15][16]、そのまま代表引退をした。
タイトル
編集- クラブ
- レッドスター
- セルビア・スーペルリーガ : 2006-07
- セルビア・カップ : 2006-07
脚注
編集- ^ "Детско-юношеска школа"
- ^ "Благо Георгиев вече е играч на Алавес"
- ^ "Georgiev accepts 'Red Star' task"
- ^ “Благо отиде под наем в Бундеслигата”. 2013年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月28日閲覧。
- ^ "OFFICIAL, Georgiev to Terek6" footballpress.net, 2011年9月11日閲覧
- ^ "Благо Георгиев стана капитан на Терек"
- ^ "Асистенции на Благо при 2:0 за “Терек”"
- ^ "Blagoy Georgiev scored in defeat for the Terek loss Dynamo Moscow"
- ^ "Терек се справи с Краснодар, Благо с асистенция, Макриев на скамейката"
- ^ "СНИМКИ: Благо отпразнува 30, Локо Москва го пожела"
- ^ "Благой Георгиев перешел в «Амкар»" sovsport.ru
- ^ «Рубин» заявил Благо Георгиева FCルビン・カザン公式ウェブサイト 2014年8月15日付
- ^ “"Оренбург" заявил бывшего полузащитника "Рубина" Георгиева”. championat.com (2016年8月31日). 2016年9月4日閲覧。
- ^ “Благо Георгиев: Спирам с футбола, имам нови планове” (ブルガリア語). sportal.bg (30 December 2017). 2018年6月14日閲覧。
- ^ "Благой Георгиев напусна националния отбор"
- ^ "И Благой Георгиев напусна потъващия национален отбор"
外部リンク
編集- ブラゴイ・ゲオルギエフ - National-Football-Teams.com
- ブラゴイ・ゲオルギエフ - Soccerwayによる個人成績
- transfermarkt
- footballzz