フランソワ・ジョゼフ・ボジオ
この記事はフランス語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2021年9月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
フランソワ=ジョゼフ・ボジオ (François-Joseph Bosio、1768年3月19日 - 1845年7月29日) は、モナコの彫刻家[1]。「アリスタイオス」などを彫った。
フランソワ=ジョゼフ・ボジオ François-Joseph Bosio | |
---|---|
生誕 |
1768年3月19日 モナコ |
死没 |
1845年7月29日 フランス、パリ |
来歴
編集モナコで生まれた。モナコ公から奨学金を得て、パリで著名な彫刻家オーギュスタン・パジュー(Augustin Pajou)に学んだ。フランス革命が起こると、フランス軍に将校として加わり、イタリアに赴任した。1802年に軍を離れ、彫刻の修行に戻り、ヴェネツィアなどで、イタリアの彫刻家のアントニオ・カノーヴァからも指導を受けた。1807年にフランスに戻り、ナポレオンの治世で、ヴァンドーム広場のレリーフを制作し、ジョゼフィーヌ皇后の胸像を制作した。
フランス復古王政の1814年にはルイ18世の胸像を制作し、1816年には美術アカデミーの会員に選ばれ、1817年からはアカデミーの教授に任じられた。ボジオが指導した学生には、アントワーヌ=ルイ・バリーやアントワーヌ・ローラン・ダンタン、ジャン=ピエール・ダンタン、ルイ・デプレ、フランソワ=ジョゼフ・デュレ、アンリ・ルメールらがいる。1821年に王室の筆頭彫刻家に任じられ、1825年にはレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した。 代表作にはパリ、ヴィクトワール広場のルイ14世の騎馬像などがある。
主な作品
編集パリ
編集- 贖罪礼拝堂 : ルイ16世 (1816-1835) の神格化
- カルーゼル凱旋門のクアドリガ(カルーゼル広場)
- ルーヴル美術館
- アケローオスと戦うヘーラクレースが蛇に変わる Hercule combattant Acheloüs transformé en serpent (1824), ブロンズのグループ[2]
アメリカ
編集- ダラス美術館、ダラス :
- カタリーナ、ヴュルテンベルク王女 Catherine, princesse de Wurtemberg, 1810-1815頃、胸像
- 皇后マリア・ルイーザ L'Impératrice Marie-Louise, 1810-1815、胸像
- メトロポリタン美術館、ニューヨーク : マリー・アメリー王妃 La Reine Marie-Amélie des Français, 1841、胸像
ロシア
編集- エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク : クピードーの射手、大理石像
ギャラリー
編集脚注
編集- ^ “モナコ-ヴィル、ロシェの「彫刻の道」散策コース”. www.visitmonaco.com. 2021年9月6日閲覧。
- ^ “Hercule combattant Acheloüs métamorphosé en serpent” (英語). Musée du Louvre. 2021年9月6日閲覧。
外部リンク
編集この記事の外部リンクはウィキペディアの方針やガイドラインに違反しているおそれがあります。 |
- François Joseph Bosio, Artcyclopedia
- François Joseph Bosio, Insecula
- Ministère de la Culture: François Joseph Bosio
- Life-size Bronze Bust of King Louis XVIII, Attributed to François Joseph Bosio (Monaco, 1768-1845)
- François Joseph Bosio in American public collections, on the French Sculpture Census website