フランス領コーチシナ
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- コーチシナ植民地
- Colonie de Cochinchine(フランス語)
Xứ thuộc địa Nam Kỳ(ベトナム語) -
← 1862年 - 1949年 → (国旗) (国章) - 国歌: La Marseillaise
ラ・マルセイエーズ
Chinh phụ ngâm khúc
征婦吟曲(1946年 ‐ 1949年)
1920年のコーチシナ-
言語 フランス語
ベトナム語
クメール語
中国語宗教 仏教
儒教
道教
カトリック教会
アニミズム
カオダイ教
ホアハオ教
イスラム教首都 サイゴン - 総督
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1858年 - 1859年 シャルル・リゴー・ド・ジェヌイ 1947年 - 1949年 ピエール・ボワイエ・ド・ラトゥール・ドゥ・ムーラン - 首相
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1946年6月1日 - 11月10日 グエン・ヴァン・ティン 1947年 - 1948年 グエン・ヴァン・スアン - 人口
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1920年 3,800,000[1]人 - 変遷
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サイゴン占領 1859年2月17日 大南より譲渡 1862年6月5日 仏印の一部に 1887年10月17日 日本による占領 1941年7月28日 ベトナム独立宣言 1945年9月2日 コーチシナ共和国成立 1946年6月1日 中央政府と統合 1949年6月4日
通貨 文
(1862年 - 1945年)
コーチシナ・ピアストル
(1878年 - 1885年)
フランス領インドシナ・ピアストル
(1885年 - 1949年)現在 ベトナム
フランス領コーチシナ(フランスりょうコーチシナ、フランス語: Cochinchine française)は、ベトナム南部を占めていた、フランス領インドシナの植民地である。
解説
編集1941年から1945年にわたる日本による占領が終わり、ベトナム共産党が主導する民族統一戦線、ベトミンがサイゴンから追放された後、フランスはこの地域をコーチシナ共和国として独立させたが、これはベトナム人民の反感を買うことになり、後の第一次インドシナ戦争の引き金となった。
1949年にベトミンがハノイにて行った、ベトナム民主共和国の独立宣言の中で述べた領有権について否定する為、フランスはコーチシナをフランス連合内のベトナム国として安南保護国、及びトンキン保護国と統合させた。
脚注
編集- ^ Kiernan, Ben (2019). Việt Nam: a history from earliest time to the present. Oxford University Press. p. 330. ISBN 978-0-190-05379-6