ハロルド・アルデン
ハロルド・リー・アルデン[1][2] (Harold Lee Alden、1890年1月10日-1964年2月3日[3]) は、アメリカ合衆国の天文学者。恒星の年周視差、固有運動や変光星の長期変動を観測したことで知られる。月の裏にあるクレーターのアルデンは、彼の名前に因む。
生涯と経歴
編集アルデンは、1890年1月10日にイリノイ州シカゴで生まれた[3][4]。1912年にイリノイ州のホイートン大学で学士、1913年にシカゴ大学で修士号を得た後、1912年から1914年まで、ヤーキス天文台で写真測光プログラムの助手を務めた[3][4]。
1914年にバージニア大学の大学院生、後に専任講師、1917年にはPh.Dとなり、1924年には同大学の准教授となった[3][4]。翌1925年から20年にわたって南アフリカ共和国のヨハネスブルクにあったイェール大学天文台の南天文台の台長となり[3][4]、69cm長焦点屈折望遠鏡を用いて恒星の年周視差の測定に従事した[1]。1945年にバージニア大学に戻り、サミュエル・ミッチェルの後任として天文学教授とリアンダー・マコーミック天文台の所長に就任すると、1960年に退職するまでその職にあった[3][4]。1951年には、アメリカ科学振興協会の副会長、およびセクションD(天文学)の議長に就任した[4]。1952年から1955年まで、国際天文学連合第24委員会(年周視差)の委員長を務めた[3][4]。
1960年6月30日にバージニア大学を引退し、フェロー、講師、助教、准教授、教授として26年間の活躍を称えて名誉教授となった。妻のミルドレットと3人の子供、11人の孫を残して、1964年2月3日にシャーロッツビルで死去した[3][4]。
出典
編集- ^ a b 中山茂『天文学人名辞典』恒星社〈現代天文学講座〉、1983年3月25日、16頁。 NCID BN00165458。
- ^ “ハロルド・リー アルデン”. コトバンク. 20世紀人名辞典. 日外アソシエーツ. 2019年12月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h van de Kanmp, Peter (March 1964). “Harold Lee Alden”. Quarterly Journal of the Royal Astronomical Society 5: 291. Bibcode: 1964QJRAS...5..291V.
- ^ a b c d e f g h “Harold L. Alden - Director, 1945-1960”. Virginia.edu. 11 December 2013閲覧。