ノート:稲作/過去ログ2
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「日本への伝来」節の改訂
現在、1942年の論文を根拠に稲作開始年代が「弥生時代で有ることが実証された」と書かれていますが、これは近年における縄文時代前期にあたる6000年前の地層からのプラント・オパールが発見されたことにより覆りつつある状況です。また、「日本産陸稲のルーツは朝鮮半島の可能性が高いとする研究があるが」は数ある伝来説のひとつにすぎないものであり、前述のプラントオパールの発見により、これも同様に覆りつつある状況です。「豊臣秀吉の朝鮮出兵などにより陸稲導入が促進されたとする見方もあり」は再導入の促進であり、伝来節で述べることではありません。以上から、最新の学説動向に則した下記記述に書き換えたいとおもいます。
「日本における稲作開始年代探求の研究は、森本六爾などによって着想され研究の結果、1930年代に弥生時代で有ることが実証された。日本産陸稲のルーツは朝鮮半島の可能性が高いとする研究があるが、豊臣秀吉の朝鮮出兵などにより陸稲導入が促進されたとする見方もあり、最初の伝来ルートは不明である。」
↓↓↓
「日本における稲作開始年代探求の研究は、森本六爾などによって着想され研究の結果、1930年代に弥生時代であるとされたが、近年ではさらに古い時代のプラント・オパールも発見されており、縄文時代中後期ともされる。旧来、日本産陸稲のルーツは朝鮮半島の可能性が高いとされていたが、近年、日本で一番メジャーな品種の遺伝子型が朝鮮半島には存在していないことが判明したことや朝鮮半島よりも古い時代の陸稲のプラント・オパールが日本で発見されるなどから、中国から海上を経ての伝来ルートなどが注目を集めている(後述)。」
ご意見をお願いします。--IP58xv(会話) 2015年2月18日 (水) 11:43 (UTC)一部訂正--IP58xv(会話) 2015年2月18日 (水) 12:16 (UTC)
- 『豊臣秀吉の朝鮮出兵などにより陸稲導入が促進された事により、遺伝情報がより複雑になったことで現在の栽培品種の遺伝情報を基にした伝来ルートの解明は難易度が高くなっている』といった事情があるので並記すべきと考えます。また、一般書籍ではなく学術論文に基づき、中立的な視点で且つ客観的な記述での改訂であれば賛成いたします。--Apple2000(会話) 2015年2月18日 (水) 12:19 (UTC)
- 「豊臣秀吉の朝鮮出兵などにより陸稲導入が促進された事により、遺伝情報がより複雑になった」というのはどちらが典拠になるのかお教え下さい。--IP58xv(会話) 2015年2月18日 (水) 12:54 (UTC)
伝来ルートについて、どれか一つの説に定まっていたり、他を圧して有力となっている学説状況があるなら、そう記すべきです。が、そこまで至っていない現状で、予測屋的に特定の説に「注目」する必要は、百科事典にはないと思います。定まっていないことを初めに断った上で、各説の内容を充実させるのが最良です。
一つ気になるのは、IP58xvさんの加筆提案の中にある、朝鮮半島より日本のほうが古い、という箇所です。ノート:稲作/過去ログ1が深く関わる議論ですのでご一読ください。過去の議論のうち、前半は政治系ブログを根拠に記載しようとした試み、後半は無関係の論文を継ぎ合わせて根拠にしようとした試みです。私は後半の議論に関与して、いくらかの論文と書籍を読みました。イネのプラントオパール分析は日本が先行しており、中国や朝鮮半島の蓄積はまだ多くはないようです。6000年前のプラント・オパールについて疑問視する研究者もいます。もし、分析にたずさわっている研究者が「朝鮮半島より日本のほうが古い」と結論づけているのでしたら、それを出典に付けてそういう説もあると記してください。ネット上の非専門的情報源で研究動向を判断しているのであれば、何も書かないほうがよいと思います。
「豊臣秀吉の朝鮮出兵などにより陸稲導入が促進された事により、遺伝情報がより複雑になった」の典拠は、出典として付けられている論文「アジアの陸稲 その分布と特性と系譜」の47ページでしょう。この論文の要旨は、日本の在来陸稲の品種の多くは韓国の在来陸稲に似ており、他にもあちこちから何度も陸稲品種が渡って来ているようだ、ということです。そして、品種群ごとに異なる推定伝来期に、歴史時代の例を多くあげています。ただこの場合、「遺伝情報」という言葉は使わないほうがいいと思います。記述位置も動かしたほうがいいかもしれません。
記述位置について別の問題ですが、「日本への伝来」と「日本国内での歴史」の分担をはっきりしたほうがよい、と私は思います。重複は避け、「伝来」節は伝来ルートに関わること、「歴史」節には開始時期に関わること、と分けましょう。例えば、「近年ではさらに古い時代のプラント・オパールも発見されており、縄文時代中後期ともされる。」は「日本国内での歴史」節と重複しますので、削ってよいと考えます。そして、「日本における稲作開始年代探求の研究は、森本六爾などによって着想され研究の結果、1930年代に弥生時代で有ることが実証された。」という学説史的説明は、「日本国内での歴史」節の最初の段落に取り込んではどうでしょうか。--Kinori(会話) 2015年2月20日 (金) 12:02 (UTC)
- なるほど、議論の長い歴史があったというわけですね。しかし、これだけの議論を典拠を含み読み込むのは大変ですしサポートをお願いします。ざっとみたところ、日本から朝鮮に稲作がわたったというような論点が異なる議論でもあるようです。わたしがここで問題視しているのは、昨今の科学的手法(炭素14年代測定、稲の遺伝子解析)による研究成果により、かつて確固としたものだった稲作の朝鮮からの伝来という説が揺らぎつつある状況だということです。確かに6000年前のプラントオパールについては反論の声もあるようですが、一部では勿論支持している声もあるわけです。また、水稲遺伝子解析により、日本で最も主要な品種であるRM1-bが朝鮮にはないということも動かし難い事実です。
- さて、ここで「日本への伝来」節になにが書かれるべきか、持論を展開したいと思います。伝来を扱った節ですので、年代、ルートに関する記述は必須でしょう。同時に伝来以後の話は不要です。年代に関しては6000年前の大量のプラントオパールが発見されたことにより、既存の弥生時代に伝来したという説の大きな反証となっています。ただ、覆すには至っていない。ルートに関しても前述の遺伝子解析により朝鮮経由ではない米が日本で主要になっているという事実が朝鮮ルート説に対する大きな反証となっています。ただ、こちらも覆すには至っていない。このような状況だと思います。つまり、年代、ルートに関し、確かなことはわかっていない状況だということです。であれば、そうしたことを書くべきです。現在の「日本への伝来」節に書かれている情報はそうした科学的な手法による最新の研究がなされる以前の状態(1942年)の記述です。また朝鮮出兵時代の話については書かれるべきではないことはあきらかでしょう。朝鮮出兵時代に陸稲の再導入がなされたかもしれませんが、それは日本への「伝来」ではありません。
- 上記を踏まえ、Kinoriさんの論点も踏まえ、日本への伝来説に書かれるべきであろうことを具体的に提示したいと思います。
- 「日本における稲作開始年代探求の研究は、森本六爾などによって着想され研究の結果、1930年代に弥生時代であるとされたが、近年ではさらに古い時代ともされるプラント・オパールの発掘報告もある。また、旧来、日本産陸稲のルーツは朝鮮半島経由の可能性が高いとされていたが、近年、日本で最も代表的な稲の品種の遺伝子型が朝鮮半島には存在していないことが判明している状況にあり、他の伝来ルートの可能性も論議されている。」
- これぐらいが適当だと思うのですがいかがでしょうか?--IP58xv(会話) 2015年2月21日 (土) 05:44 (UTC)ちょっと訂正--IP58xv(会話) 2015年2月21日 (土) 06:47 (UTC)
- 根拠の薄い記述を除去しました。--Apple2000(会話) 2015年2月23日 (月) 07:06 (UTC)
- 了解です。ひとまず「日本への伝来」節はApple2000さんの現時点の編集でいいと思います。
- あまり言いたくないのですが、Apple2000さんには会話ページにも書いたように[12]、2つ、質問という形で、その編集について問題提起させていただきました。Apple2000さんの今回の編集をみて、わたしが何をいわんとしていたかご理解いただけたものと思っていますが、念のため、Wikipedia:独自研究は載せないをお読みいただけますようお願いいたします。また、「[信頼性要検証]」を2箇所貼り付けられていますが、これはどうなのでしょうか?反論を示す典拠があるのであれば、それを書くべきであり、そうではなく、あなたが信頼できないから貼ったというのであれば、外すべきだと考えます(現状の出典でWikipediaの典拠とすべき条件はクリアできていると思います)。あ、それと伝来時期が縄文「末期」では後に紹介されている典拠の記述と整合性がとれないのでそこはいじらせてもらいます。--IP58xv(会話) 2015年2月23日 (月) 13:17 (UTC)
- 時期だけ弄るつもりでしたが、さらに2点気になったので修正しました。1.伝来地は九州と明言しない→最古のプラントオパールは彦崎貝塚(岡山)、2.陸稲だけでなく水稲も旧来は朝鮮経由が主流だったはずなので陸稲限定になっている記述を解除。--IP58xv(会話) 2015年2月23日 (月) 13:32 (UTC)
- 根拠の薄い記述を除去しました。--Apple2000(会話) 2015年2月23日 (月) 07:06 (UTC)
意見がつかなくなりましたので今回の議論はこれでひとまず終了とさせていただきます。再度議論の際は新規に節を立ち上げてください。関係諸氏に感謝。--IP58xv(会話) 2015年3月1日 (日) 08:11 (UTC)
稲作伝来ルートのYoshinobukoさんの編集について
・リバートしたら異論が出ましたので、どこが問題か書きます。まず、Yoshinobukoさんの編集は、水稲の伝来ルートが朝鮮半島南部経由だと確定したと書かれていますが、学説は新たな事実によってくつがえされる可能性を常に含んでいるので表現としてまったく学問的じゃないです。引用した書物のどこで確定なんて事が書かれているのでしょうか。
・次に、佐藤洋一郎の説を間違って引用してます。佐藤洋一郎は、中国から日本へ稲作が直接伝来した裏付けとなる「RM1-b 遺伝子の分布と伝播」を主張した人で、朝鮮半島を経由してない事を主張してるのです。したがって、嘘の引用ですので、このソースは残せません。Morinohosomichi(会話)
・・[13] 池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62からの出典であり、ページ数まで書いていますので、原典を確認すればいいではありませんか?原典は確定という言葉ではありませんが、WIKIに書くさいに要約するのは当たり前なので、もっと妥当な表現があればそれでよいと思います。一応範囲を囲って、原典の表現にしておきましょう。
・[14]
佐藤洋一郎によると風張遺跡(八戸)から発見された2800年前の米粒は「熱帯ジャポニカ(陸稲)」であり、「温帯ジャポニカ(水稲)は、弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」と言う<re>逆転の日本史編集部『日本のルーツがわかる本』p84、p88、佐藤洋一郎「米 日本列島に最初に稲作を持ち込んだのは縄文人だった」</re>。
この文章について 佐藤洋一郎の説を「間違って引用」「嘘の引用」と述べておられますが、これも出典を読めば、そのほぼその通り書いています。しかも佐藤洋一郎はp84とp88の2か所に同様の意味内容を書いており、p88では熱帯ジャポニカについて触れた後、
ついで水田耕作や灌漑の技術を有した弥生人が、主に朝鮮半島経由で「温帯ジャポニカ」をたずさえて来ます。
と書いています。 それにしても原典を確認もしないで他人を嘘つき呼ばわりするのは止めていただけますか。--よしのぶ(会話) 2015年8月23日 (日) 03:01 (UTC)
Morinohosomichi(会話)さんが編集した記事には出典が存在していません。 [15]出典が無い記事をリパートするのは止めてください。--よしのぶ(会話) 2015年8月23日 (日) 03:21 (UTC)
- こんにちは。横から失礼させていただきますが、確認できる情報源(稲のたどってきた道 佐藤洋一郎)[16]によれば、「弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」はよしのぶさんの勘違いかと。あまり熱くならないで、まったりと良い記事を作りましょう。--青鬼よし(会話) 2015年9月22日 (火) 18:15 (UTC)
佐藤 そうなんですよ。確かに見掛けは水田ですが、やっていたことは焼畑などの雑駁農耕だったんです。これは曲金北遺跡だけでなく、全国の弥生遺跡に共通する特徴です。
そうしたことから私は、ひょっとすると縄文晩期から作られたごく初期の水田は、縄文人が朝鮮半島を訪れ、そこで目にした水田を見よう見真似で作ったものではないかと思っているんです。縄文人というのは、もともと流浪の民ですから、フットワークはかなり軽くて、朝鮮半島まで行くのなんて朝飯前だったんじゃないかと(笑)。だからこの曲金北遺跡のように、水稲も陸稲もごちゃ混ぜの農耕を行なっていた可能性があると思うわけです。
──なるほど、縄文人も外国の流行を取り入れたというわけですね(笑)。確かに、朝鮮半島から渡来した人達が水稲を伝えたのではなくて、縄文人が朝鮮半島から持ち帰ったという推測もあり得ます。それにしてもDNA分析というのは、本当にいろいろなことが分りますね。
- また、Morinohosomichiさんの「朝鮮半島を経由してない事を主張してるのです」云々は、以下の箇所になるかと思います。
佐藤 これだけじゃないんですよ。実は、大阪の池上曽根遺跡や奈良の唐古・鍵遺跡から出土した2200年以上前の弥生米のDNA分析を行なったところ、朝鮮半島には存在しない中国固有の水稲の品種が混ざっていることが分ったんです。
──水稲でも、朝鮮半島経由ではない品種があったということですか?
佐藤 はい、これは稲が朝鮮半島を経由せずに直接日本に伝来したルートがあることを裏付ける証拠になります。
- 青鬼よしさんは、何を「勘違い」と言われているのでしょうか?文章を指摘していただけますか?
逆転の日本史編集部『日本のルーツがわかる本』p84、p88、佐藤洋一郎「米 日本列島に最初に稲作を持ち込んだのは縄文人だった」にはそんなことは書いていないというご意見でしょうか?
- p88では熱帯ジャポニカについて触れた後、
ついで水田耕作や灌漑の技術を有した弥生人が、主に朝鮮半島経由で「温帯ジャポニカ」をたずさえて来ます。
とちゃんと書かれていますよ。すでに上で述べたように2か所で書かれております。せめて出典をちゃんと確認すべきです。
--よしのぶ(会話) 2015年9月23日 (水) 10:54 (UTC)
- こんにちは。私が提示した佐藤洋一郎さんの記事について書かれている内容をご確認ください。『中国から日本へ稲作が直接伝来した裏付けとなる「RM1-b 遺伝子の分布と伝播」』に基づいて「稲が朝鮮半島を経由せずに直接日本に伝来したルートがあることを裏付ける証拠」について説明がされております。もし、よしのぶさんが提示されている佐藤洋一郎さんの著書が正反対のことを書いている。または、「RM1-b 遺伝子の分布と伝播」について佐藤洋一郎さんが論説を撤回したなどの事実があるようでしたら、ご教示をお願いします。
- なお、私は「誰々を擁護する」というのではなくWP:BITEの指針に基づいて発言をしております。それでは楽しい会話をお待ちしております。--青鬼よし(会話) 2015年9月23日 (水) 17:26 (UTC)
- まず、佐藤洋一郎さんの論説ですが、「陸稲(熱帯ジャポニカ)は縄文時代中期にすでに中国から直接伝わってきているが、水稲(温帯ジャポニカ)は、弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」というものです。このURL[19]の質疑応答も、そういう意味で答えており、一貫して論説を述べていると思いますが。
この質疑応答でも、クリの栽培などを述べた後に
──なるほど。それだけの農耕ができるのであれば、稲作があって当然という気がしますね。
佐藤 ええ、私も、確かに水田というのは、通説通り、縄文時代晩期に持ち込まれたものだと思っています。
しかし、私がジャポニカの起源だと考える長江流域は、案外日本から近いですからね。別のルートで日本に伝来していてもおかしくないんです。
- と最初の述べてますよね。水田に関して、従来の説の肯定している。「縄文時代晩期」というのは、縄文をどこからどこまでにするか?という学界の論争に関わりますが、「従来縄文時代晩期後半とされてきた時期を、弥生時代早期と呼ぶようになりつつある」というwikipedia「弥生時代」の記述でいいと思いますよ。そこはファジーな部分であり、なので佐藤さんも「弥生時代頃」という表現にしていますね。
- 「佐藤洋一郎さんが論説を撤回したなどの事実があるようでしたら、ご教示をお願いします。」だそうですが、佐藤洋一郎さんが論説を撤回する必要がどこにあるのですか?「論説矛盾がある」という主張ですか?
- 青鬼よしさんはまず、引用した『日本のルーツがわかる本』の佐藤洋一郎さんの文章である「米 日本列島に最初に稲作を持ち込んだのは縄文人だった」を読んでから、あれこれ述べていただけますか?出典を確かめもしないで「論説を撤回し」などと決めつけてもしょうがないと思いますが。
- WP:BITEは当然ですが、新規参入者だから、「嘘」呼ばわり[20]してよいわけでは有りませんし、また記述を消して、出典の無い記述をリパートして[21]よいわけでもありません。その記述が「嘘である」という場合、最低限日本国内で出版されている引用文献ぐらいは調べてから述べるべきです。
- それから何が「よしのぶさんの勘違い」なのか?まだ説明いただいてませんが、説明してください。以上、よろしくお願いします。
--よしのぶ(会話) 2015年9月24日 (木) 01:41 (UTC)
こんにちは。よしのぶさん。いくぶん興奮されているようですね。一度、落ち着いていただけませんでしょうか。それから読み易いようにインデントを利用していただければと思います。
まず、佐藤洋一郎さんの件については、私の手元に「逆転の日本史編集部『日本のルーツがわかる本』」がございません。また、この議論のために購入するつもりもございませんので、発言内容を撤回し、謝罪させていただきます。申し訳ございませんでした。
私は「稲作の日本への伝播については複数のルートが存在し、まだ特定はされていない」という立場です。そのため、よしのぶさんが記載した「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」[22](池橋宏さんの意見を出典としていますが)に違和感を感じました。
たとえば、日中共同研究の報告書は、よしのぶさんが記載した内容とは正反対の結論となっております。
考古文化学上の関係に基づけば、西日本の弥生人の祖先が中国大陸から日本に移動した経路には三つの可能性がある。一つ目は、中国の江南地域から直接東シナ海を横断して日本に到達する経路である。二つ目は、中国の山東半島から海を渡って朝鮮半島に至り、朝鮮海峡を経て西日本地域に至る経路である。三つ目は、中国の沿海地区から渤海湾に沿って遼東半島に至り、朝鮮半島を経て、海を渡って日本列島に上陸する経路である。最も便利な地理的位置から考えれば、朝鮮半島を経て日本に到達したという見方が多くの人の支持を得ているが、ただその時期の朝鮮半島から出土する比較的多くの人類学的資料による支持はこれまで得られていない。 (8ページ)
縄文時代初期の玦状耳飾りと漆器も中国から来た可能性があり、それらは長江流域に起源を持っているかもしれない。これらの根拠は、縄文時代末期の米の出現とともに、縄文文化の変化が中国東南の沿海地区の影響と密接な関係があることを示す。弥生時代に、貯蔵もしくは居住のために建てられた杭打ちの高台構造建築は、長江以南の地域でも一般的なものであり、それらは稲作とともに中国東南の沿海地区から海を越えて日本に到達したのであろう (9ページ)
「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により…」と書かれていますが、これは具体的には何を指すのでしょうか? --青鬼よし(会話) 2015年9月24日 (木) 06:24 (UTC)
- とくに興奮しておりませんが、どうしてそう思うわけですか?
「いくぶん興奮されているようですね。一度、落ち着いていただけませんでしょうか」
個人ブログではありません。他人の精神状態について書く場ではありませんのでこうしたセリフはご遠慮ください。個人攻撃または挑発としてとられかねませんよ。
- 「発言内容を撤回し、謝罪した」[24]そうですので、消されている私の編集を差し戻させていただきます。
- それにしても酷い編集をしていますが、[25]
池橋宏[誰?]は、「長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5・6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達した」「日本への水稲伝来ルートに関しては、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている
と文章を変えていますが、「長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5・6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達した」は私が池橋宏さんの著作の主張を要約した文章です。原文にこのまま書いてあるわけでは有りません。なぜ「」で囲っているわけですか?
- 「日本への水稲伝来ルートに関しては、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」も私の編集で「」で囲んである部分は原文のままですが、それ以外は私が要約したものです。「」で囲んでしまえば読んだ人は原文にそのまま書いてあると錯覚するではありませんか?自分で出典を読まないで他人の編集をいじくり、変にするのは止めてください。
- 文章を変えるならここで出典となっている<池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62>に目も通し、出典を読んでから文章を変えるようにしてください。
私は「稲作の日本への伝播については複数のルートが存在し、まだ特定はされていない」という立場です。
と書いていますけど、「他人の編集を無条件に消さない」「出典を読んでから編集する」・・・などの当たり前のことをやっていただければどんな考えを持たれていても結構です。自分の主張のために出典のある編集を無条件に消さないようにしてください[27]Wikipedia:投稿ブロックの方針#内容の無差別な除去。 --よしのぶ(会話) 2015年9月24日 (木) 16:08 (UTC)
こんにちは。よしのぶさん。色々とお気を害されたようでしたら、申し訳ございません。 また、「それにしても酷い編集をしていますが」という言葉は個人攻撃または挑発としてとられかねませんよ。WP:CIVも熟読しておいてください。
さて、よしのぶさんが「酷い編集」を直していただいた結果、以下の内容で説明の重複が発生しておりますので、ご対応をお願いします。
- 1 灌漑稲作の日本への伝播は、戦国時代末期の紀元前4世紀の越の滅亡によって、潅漑稲作技術を持った江南の民族が逃避しもたらされたとされる。
- 2 長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達した。
また、無粋なことはしたくありませんでしたが、よしのぶさんが記載された池橋宏さんの個人的な特異な主張について、読者へのミスリードを防ぐため、学術的な補足の追記をさせていただきました。 (よしのぶさんが自主的に撤回してただくように遠まわしに促してみましたが、察していただけなくて残念です。)
また、繰り返しになりますが、会話の流れが読みづらいのでインデントを使用していただければ有難いです。以上、宜しくお願いします。 --青鬼よし(会話) 2015年9月24日 (木) 23:17 (UTC)
- まず日中歴史共同研究 の該当部分のURLをつけておきます[28]。後で読む人が理解できるように。
- 上の件はちょうどお聞きしたいと思ってたんですよ。
「日中歴史共同研究などによれば、潅漑稲作の日本への伝播は、戦国時代末期の紀元前4世紀の越の滅亡によって、潅漑稲作技術を持った江南の民族が逃避しもたらされたとされる[15][16][17]」
と書いておられますが[29]、 出典[17]はこうなっています。
日中歴史共同研究 [1] P9 "中国南方人(「越人」あるいは「百越人」と言われる)が、紀元前 3 世紀前後の政治的動乱のため、一部は海を越えて日本に移動し、「倭人」、即ち弥生人となり、さらに別の一部は雲南に移動し、少数民族となって増加し、今に至ったのである。"
- つまり、「潅漑稲作の日本への伝播」について述べてさえおらず、「日本の弥生時代の移民の起源となる地について推測」(共同研究p8)を述べている。これはいわば「日本の弥生人の起源=中国南方人説」です。
- これを出典にして、
「日中歴史共同研究などによれば、潅漑稲作の日本への伝播は、戦国時代末期の紀元前4世紀の越の滅亡によって、潅漑稲作技術を持った江南の民族が逃避しもたらされたとされる[15][16][17]」
- と要約するのはいかがなものか?
- 「また西日本の弥生人の祖先が中国大陸から日本に移動した経路には三つの可能性がある。」(p8)「中国の江南人が直接海を渡って日本に到達した可能性はある」([30]p9)と可能性について書かれているものが
「日中歴史共同研究などによれば・・・江南の民族が逃避しもたらされたとされる
と断定形になる理由がまるで分かりませんね。わざわざ、「と考える研究者もいる」を「とされる」に変えてますが[31]。
- そして最初の部分は「日中歴史共同研究などによれば」ではなく「蒋立峰 など中国側の主張によると」にすべきだと思われます。
- 「それからなぜ「」で囲っているわけですか?」という質問にまったく答えていただいておりませんが、お答え願えますか?
- もうひとつ「池橋宏さんの個人的な特異な主張」だと誰が決定したのですか?これもお答え願いしますね。--よしのぶ(会話) 2015年9月25日 (金) 11:01 (UTC)
よしのぶさん。インデントの使用ありがとうございます。
さて、最初に出典を提示したよしのぶさんの記載内容について、回答がいただけておりません。[32]
「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」とありますが、日中歴史共同研究の報告とは真逆のことを書かれておりますので、まずは、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩の具体例を数件あげていただけませんでしょうか。
その後、本当によしのぶさんが書かれているように「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がない」のかを詰めて話をさせていただきたく。 (私の知る限り、現在も議論・研究が続いているかと思います。日中歴史共同研究を紹介したのは国家プロジェクトで行われたという信頼性の高い情報源となりますので紹介させていただきました。)
なお、日中歴史共同研究はこの疑義に対する一例になります。まずは、上記の回答を頂いてから、記事にどのように適用するかを改めて考えさせていただければと思います。--青鬼よし(会話) 2015年9月25日 (金) 12:27 (UTC)
- 「まずは、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩の具体例を数件あげていただけませんでしょうか。」ということですが、そんな事をなぜwikipediaのノートページに書く必要があるわけですか?講義をさせるつもりでしょうか?そんなことに時間とエネルギーを使う気はありませんし、自分で本を読んで調べるべきです。
- 「よしのぶさんが書かれているように「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がない」・・・と書いてますが、その部分は池橋 宏の『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62をそのまま引用ですので、原典を確認すればいいではありませんか?何度も述べてますが。wikipediaは個人のブログではありませんので、自分が気に入らない意見でも専門家の文章を排除するわけにはいきません。
- 「詰めて話をさせていただきたく。」と書いてますが、青鬼よしさんは、自分が信奉する説以外は削除したいのかも知れませんが(事実すでに消してますよね[33])、基本的にできるだけ専門家の出典から上手く要約しながら書くことが要求されており、自分の思想なり考えなりを表明するためにwikipediaを利用するのは止めてください。
- 何一つ聞いたことに答えていただいておりません。繰り返します。
「日中歴史共同研究などによれば・・・江南の民族が逃避しもたらされたとされる
と断定形になる理由がまるで分かりませんね。わざわざ、「と考える研究者もいる」を「とされる」に変えてますが[34]。
- そして最初の部分は「日中歴史共同研究などによれば」ではなく「蒋立峰 など中国側の主張によると」にすべきだと思われます。
- 「それからなぜ「」で囲っているわけですか?」という質問にまったく答えていただいておりませんが、お答え願えますか?
- もうひとつ「池橋宏さんの個人的な特異な主張」だと誰が決定したのですか?--よしのぶ(会話) 2015年9月25日 (金) 15:49 (UTC)
こんにちは。よしのぶさん。
ウィキペディアの編集方針に「利用者は自身の編集について他の利用者に対し、説明責任を果たすことが望まれています。」はご存知でしょうか?
>「まずは、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩の具体例を数件あげていただけませんでしょうか。」ということですが、そんな事をなぜwikipediaのノートページに書く必要があるわけですか?講義をさせるつもりでしょうか?そんなことに時間とエネルギーを使う気はありませんし、自分で本を読んで調べるべきです。
よしのぶさんは「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と記載されました。 この内容について、日中共同研究などの考古学調査は正反対の結論を出しております。そのため、説明をお願いいたしました。つまり、自分で本を読んで調べた結果、記述内容が異なったため、よしのぶさんに説明を求めています。 説明できないというのは、よしのぶさんの思い込みによる誇張した表現だからでしょうか? もう一度だけ、確認させていただきますが、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩の具体例を挙げることはできますか?
また、以下の点については、ご理解ができていないようですので説明させていただきます。
>その部分は池橋 宏の『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62をそのまま引用ですので、原典を確認すればいいではありませんか?何度も述べてますが。wikipediaは個人のブログではありませんので、自分が気に入らない意見でも専門家の文章を排除するわけにはいきません。
何度も話していますが、池橋宏さんの著書からの引用は検証可能性を満たしているため、削除は行っておりません。 ただし、現在の誇張した表現と独自研究である可能性が高いため、信頼できる情報源である日中共同研究の報告書を用いて、よしのぶさんが記載された内容について、疑義を指摘させていただきました。 よしのぶさんは、自分が信奉する説以外は削除したいのかも知れませんが(事実すでに消してますよね[35])。自分が気に入らない意見でも専門家の文章を排除するわけにはいきません。 信頼できる情報源であるかぎり出典は一つである必要はなく、複数挙げられていることがむしろ好ましいです。(信奉する説という発想もよしのぶさんだけのものかと。私は考古学の調査資料を粛々を紹介しているだけですので)
>「日中歴史共同研究などによれば・・・江南の民族が逃避しもたらされたとされる」と断定形になる理由がまるで分かりませんね。わざわざ、「と考える研究者もいる」を「とされる」に変えてますが[36]。
まず、「れる」は可能の助動詞なので断定形ではありません。(私がよしのぶさんに国語について教えてあげることは、記事の本文とは関係ないので省かせてください。)
また、『灌漑稲作の日本への伝播は、戦国時代末期の紀元前4世紀の越の滅亡によって、潅漑稲作技術を持った江南の民族が逃避しもたらされたとされる』というのは、考古学的(菜畑遺跡などの発掘調査)にも、遺伝子学的(弥生米のDNA(SSR多型)分析)にも、現在の学会では主流の説になるかと思います。(そのため「日中共同研究など」と記載しております。)そのため、「…と考える研究者もいる」という表現は適切でないかと思いますが、いかがでしょうか。
色々な意味で、よしのぶさんが「まるで分かりませんね。」となる理由について、だいたい察することができました。丁寧に説明していきますので、ご不明な点がありましたら、引き続き質問をしてください。
>そして最初の部分は「日中歴史共同研究などによれば」ではなく「蒋立峰 など中国側の主張によると」にすべきだと思われます。
日中歴史共同研究と書くべきではない理由について、よしのぶさんの個人的な嗜好ではなく、論理的な理由に基づいた説明をしていただけませんでしょうか。
>「それからなぜ「」で囲っているわけですか?」という質問にまったく答えていただいておりませんが、お答え願えますか?
こちらについては意味が良くわかりません。括弧の始点・終点に間違いがあったということでしたら、編集ミスになるかと思いますので、ご容赦ください。
>もうひとつ「池橋宏さんの個人的な特異な主張」だと誰が決定したのですか?
申し訳ありませんが、よしのぶさんです。
「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」という記載で「稲作渡来民」という造語を書かれておりますが、これは学術的な用語ではありませんし、陸稲を持った縄文人なのか水稲を持った弥生人なのかも曖昧です。 文脈から推測するに「弥生人」を指すのかと思いますが、日中共同研究でも「弥生時代に、貯蔵もしくは居住のために建てられた杭打ちの高台構造建築は、長江以南の地域でも一般的なものであり、それらは稲作とともに中国東南の沿海地区から海を越えて日本に到達したのであろう」と記されているように、 とても「朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」とは言えないのが事実です。(ご希望されるようでしたら、他の考古学的な資料も提示いたします。)
一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。常識的な判断として多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。(私が日中共同研究を情報源として提示したのも、そのためです。)池橋宏さんの著書は上記を満たしておりませんし、著者については別な本ではありますが、学会誌において酷評を受けております。そのため「池橋宏さんの個人的な特異な主張」と記載させていただきました。
この記述の執筆者であるよしのぶさんは、私の学術的な裏付けに基づく指摘と質問に対して、「そんなことに時間とエネルギーを使う気はない」という残念な回答をしてしまい、池橋宏さんの主張が「学会で広く受け入れられていること」について説明責任を果たしませんでした。 そのため、よしのぶさんによって「池橋宏さんの個人的な特異な主張」だと決定づけられました。
最後になりますが、これがよしのぶさんは、私の回答を待たないで私の書いた記述を削除されております。 「他人の編集を無条件に消さない」「出典を読んでから編集する」などの当たり前のことをやっていただければどんな考えを持たれていても結構ですが、自分の主張のために出典のある編集を無条件に消さないようにしてください。Wikipedia:投稿ブロックの方針#内容の無差別な除去 (今回は私が元の状態に戻しておきます。情報源の追記も行っておきます。)
--青鬼よし(会話) 2015年9月26日 (土) 07:22 (UTC)
>「日中歴史共同研究などによれば・・・江南の民族が逃避しもたらされたとされる」と断定形になる理由がまるで分かりませんね。わざわざ、「と考える研究者もいる」を「とされる」に変えてますが。
まず、「れる」は可能の助動詞なので断定形ではありません。
- これを元々「と考える研究者もいる」程度の表現だったものを「・・もたらされたとされる」にしている理由を答えてください。
- 「現在の学会では主流の説になるかと思います」だそうですが、そんな学会がどこにあるわけですか?
- 日中歴史共同研究に参加した学者の中で誰が主張したかを曖昧性回避のために規制すべきです。
>もうひとつ「池橋宏さんの個人的な特異な主張」だと誰が決定したのですか?
申し訳ありませんが、よしのぶさんです。
- 私はそんなことは述べていませんが、証拠を示してください。
- 妙な事を書かないでただけますか。そんな主張しているのは、青鬼よしさんだけです。
(私が日中共同研究を情報源として提示したのも、そのためです。)
- と言いますが、この日中共同研究では、「稲作がどこから来たか?」が議題ではなく「日本人と中国人の関係」や「弥生人の出自」などが、テーマになっている。一方で私の編集は全て稲作研究の専門家による著作、論文によるもの(あるいはそれを土台にするもの)であり、「稲作」というテーマを書いています。これについてはすでに述べています。--よしのぶ(会話) 2015年9月27日 (日) 17:05 (UTC)
「日中歴史共同研究に参加した学者の中で誰が主張したかを曖昧性回避のために規制すべきです。」と書かれていますが、日中歴史共同研究は池橋宏さんの著書と違い、日本側も含めた参加者による複数回の査読を経た報告書になります。
そのことを理解したうえで「蒋立峰など中国側の主張によると」と書き換えたいとおっしゃっているのでしょうか。 また、「と考える研究者もいる」と記載したい理由につきましても、ご説明ください。
(それから、このようなことは言いたくありませんが、よしのぶさんは『日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史』を引用し「これらの技術と道具も朝鮮半島から伝わったものであると考えられる」と書かれていますが、誰が主張したかは書かれておりません。)
また、誰が書いたよりも書かれている内容を重視されてはいかがでしょうか?「その時期の朝鮮半島から出土する比較的多くの人類学的資料による支持はこれまで得られていない。」に反駁する内容を提示すればよいことかと。
日中共同研究のテーマは「古代の日中関係の発展が依拠した東アジアの国際秩序や、日中間の文化交流と相互認識、及び古代の日中の政治社会構造の比較研究である。」(4ページ)であり、「稲作の起源」「日本人と中国人の関係」「弥生人の出自」が含まれております。
日中共同研究は日本政府と中国政府による合同プロジェクトであり、内容については専門家の間で複数回の査読が行われております。
よしのぶさんが引用した池橋宏さんは育種学の専門家であり、考古学は門外漢となります。著書についても査読されておりません。「稲作」をテーマにした書籍であれば何でも良いという姿勢はいかがなものかと。--青鬼よし(会話) 2015年9月27日 (日) 20:35 (UTC)
池橋宏さんの著書を情報源とすることについて
池橋宏の著書が情報源として提供されておりますが、この人はどのような人物になるのでしょうか。大阪府立大学の山口裕文名誉教授は、池橋宏さんの著書の著書について「最先端の「イネ学」からの視点を強調する本書(カバー)では、残念なことに、イネに関する植物学的背景や栽培化については、イネ進化学者の見解の断片を引用しただけで、納得のゆく著者オリジナルの説明はほとんど述べられていない。現在の稲作技術理論を反映した、作物学者には解りやすい遺伝生理学的あるいは栽培学的な便宜的な機能論的解釈はあるが、進化生物学的あるいは生態学的論証の鋭さにはまったく欠けている。」「本書には、個と集団の原理を識別しないだけでなく、古典的な原理に基づく都合の良い子供だましの説明が至る所にみられる。カバーにうたうイネ学最先端にはほど遠さを感じてしまう。」「本書の引用はそれをさらに改悪している。中尾佐助も笠原安夫も故人である。死人に口なしで、反論者の居ないのを良いことにでたらめに書き綴っているとしか言いようがない。このように述べだしたらいとまがないほど引用上の不適切が本書にはある。」などの酷評をしております[38]。この人物は、どのような研究実績を上げている方になるのでしょうか?--青鬼よし(会話) 2015年9月22日 (火) 18:15 (UTC)
- これは『稲作の起源:イネ学から考古学への挑戦』への評価であるという事(私の引用している『稲作渡来民』ではありませんし、『稲作渡来民』に書かれている内容の批判さえしていない。)
- 池橋宏さんは、千葉大学→京都大学→日大の教授を歴任した国際稲作研究の専門家ですね。「国連食糧農業機構のコンサルタント」という経歴も。著作は、[39]。
- 山口 裕文さんは雑草研究専門ですね[40]。まあ感想文を書くのは自由という事で。--よしのぶ(会話) 2015年9月23日 (水) 11:37 (UTC)
- こんにちは。池橋宏さんについてはよしのぶさんが書かれた内容は、本人プロフィールをそのまま引用されているので[41]、私も承知しております。
- 「21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と記載がありましたが、池橋宏さんは遺伝子・考古学の専門家ではなく、稲作の栽培の専門家でしたので、このような断言をしていることに違和感を感じておりました。(記事には池橋宏さんはこのように述べているという事実だけが書き込まれた形になっているので問題ないですが)
- 大学などで論文を書いたことがあればわかると思いますが、あの書評は感想文ではなく査読の形式で書かれています。掲載先も個人のブログなどではなく学会向けです。こうした書評を「まあ感想文を書くのは自由という事で。」と感じてしまうのは、非常に残念ですね。それから、山口裕文さんの専攻してる「資源保全学(野生植物の種生態などの生態学的研究)」を「雑草研究専門」としか理解できなことも残念でした。
- このセクションについては、池橋宏さんの著書を情報源として継続して使用することについては「池橋宏さんはこのように述べているという事実だけが書き込まれた形式」になっているので、(個人的には違和感がありますが)現状維持のままということでクローズさせていただきます。ありがとうございました。--青鬼よし(会話) 2015年9月23日 (水) 17:52 (UTC)
- 「書かれた内容は承知しております」であるなら、何のために「この人物は、どのような研究実績を上げている方になるのでしょうか?」と疑問符をつけているのか、まるで意味不明ですね。--よしのぶ(会話) 2015年9月23日 (水) 23:39 (UTC)
- 経歴と研究実績、受賞歴は別物になります。この違いにつきましても、ご理解をいただけなくて残念です。考古学者でない方が「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により…」と書かれているときにピンと来るのは、私が子供のころにデニケンの超古代史などを笑って読んでいた世代だからでしょうね。これ以上は雑談になるので、ご容赦ください。--青鬼よし(会話) 2015年9月24日 (木) 06:26 (UTC)
「日本への伝来」節の編集について
青鬼よしさんによって、[42]
が、日中歴史共同研究は「最も便利な地理的位置から考えれば、朝鮮半島を経て日本に到達したという見方が多くの人の支持を得ているが、ただその時期の朝鮮半島から出土する比較的多くの人類学的資料による支持はこれまで得られていない。」と報告している
と付け加えられておりますが、これは「西日本の弥生人の祖先が中国大陸から日本に移動した経路」([43]p8の4段目)の話であって、稲作の話ではありません。 「(日本人は)最も便利な地理的位置から考えれば、朝鮮半島を経て日本に到達したという見方が多くの人の支持を得ているが、ただその時期の朝鮮半島から出土する比較的多くの人類学的資料による支持はこれまで得られていない。」という文章です。主語を変えて、トリミングしないでください。 この記述は稲作ではなく日本人の起源に書きこむべきです。 --よしのぶ(会話) 2015年9月25日 (金) 11:31 (UTC)
よしのぶさん。大変申し訳ございませんが、まずは、ご自身が何を書いたのかを理解していただけませんでしょうか。
よしのぶさんが書かれた内容が「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」という日本人の起源であり、よしのぶさんが書かれた記事について編集することに対して、「他人の編集をいじくり、変にするのは止めてください。」ということでしたので、よしのぶさんの記事を触らずに、正当な考古学者による見解を紹介するため、日中歴史共同研究の内容を追記させていただきました。私も止むを得ずに記載したことを理解していただければと思います。また、上記でも書かせていただいておりますが、「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により」の実例を挙げていただけませんでしょうか。私が「朝鮮半島から出土する比較的多くの人類学的資料による支持はこれまで得られていない。」と記載したのも、具体的な説明もないまま、「ほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と断言されているためです。
また、よしのぶさんが主語を変えて、トリミングされているので、以下に全文を記載させていただきます。 (こういう野暮なことを何度もしなくていけないのは心苦しいのですが…)
考古文化学上の関係に基づけば、西日本の弥生人の祖先が中国大陸から日本に移動した経路には三つの可能性がある。一つ目は、中国の江南地域から直接東シナ海を横断して日本に到達する経路である。二つ目は、中国の山東半島から海を渡って朝鮮半島に至り、朝鮮海峡を経て西日本地域に至る経路である。三つ目は、中国の沿海地区から渤海湾に沿って遼東半島に至り、朝鮮半島を経て、海を渡って日本列島に上陸する経路である。最も便利な地理的位置から考えれば、朝鮮半島を経て日本に到達したという見方が多くの人の支持を得ているが、ただその時期の朝鮮半島から出土する比較的多くの人類学的資料による支持はこれまで得られていない。この数年、日中双方の体質人類学者は中国古代人の骨について多方面から共同研究を行い、文化人類学者は稲作の伝播について深く分析し、それによって日本の弥生時代の移民の起源となる地について推測した。
それから、今後も議論をされるのでしたら、確認させていただきたいのですが「日本への稲作渡来民」は弥生人ということで宜しいのですよね? --青鬼よし(会話) 2015年9月25日 (金) 13:19 (UTC)
- 私が何をどの編集でトリミングしているのか?は知りませんが、青鬼よしさんの編集されたこの文章が⇒[44]「西日本の弥生人の祖先が中国大陸から日本に移動した経路」の話であり、「稲作の話ではない」ことはすでに指摘しております。これに対して、何を「やむをえずした」のかも知りませんし、何の抗弁にもなっておりません。
- 「文化人類学者は稲作の伝播について深く分析し、それによって日本の弥生時代の移民の起源となる地について推測した」という日中歴史共同研究出典の文章は「稲作」についての言及ですから、これを出典として本文に書きこむのは、特に反対はしません。日本の文化人類学者は「海上の道」を唱えた折口信夫などもいるので、それは記事を豊かにすると思われます。ただし半世紀も前の話ですが。
- 「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」という文章は「稲作渡来民」について述べており、「日本人の起源」ではございません。池橋宏の『稲作渡来民』は、まさに「稲作」についての専門家の意見であると言えるでしょう。
- これに対して、日中歴史共同研究のこの論考[45]は最初から、”日本人の起源、日本人の先祖と中国人の先祖について”の言及であり、なのでp4には「日中の人種的起源に関する分析 」と節立てしており、稲作をテーマにしたものではありません。特に青鬼よしさんの編集されたこの文章は[46]、まるで「稲作」に無関係です。
- よって編集は削除いたしますが、自分の意見を書込むために「稲作」に関係ない文章を稲作について書いてあるようにトリミングして書込むのはやめてください。
- 「「日本への稲作渡来民」は弥生人ということでいいか」という話ですが、こんな事を私が決めつけることはございません。ただ稲作は縄文中期にすでに始まっているという説は、誰も否定していない説だと思いますが。水稲は縄文晩期か、弥生初期説が有力だと思いますが、説としてはいろいろあるので、論文をきちんと調べて書込む分には何の問題もないものと思われます。 --よしのぶ(会話) 2015年9月25日 (金) 15:13 (UTC)
こんにちは。よしのぶさん。
同じ指摘を何度もさせていただくのは恐縮でございますが、よしのぶさんが「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と書かれたことに対して、「西日本の弥生人の祖先」についての考古学からの見解を記載させていただております。(日本人の起源とは関係ありません。) まず、よしのぶさんが記載された「日本への稲作渡来民」につきまして、言葉を濁さずに、弥生人なのか、縄文人なのかを明示していただけませんでしょうか。 この件について、「こんな事を私が決めつけることはございません。」と返答をいただきましたが、ウィキペディアの編集方針に「利用者は自身の編集について他の利用者に対し、説明責任を果たすことが望まれています。」はご存知でしょうか? もし、「出典の内容を理解していないまま記事を書いてしまいました。」ということでしたら、その旨をご返答ください。 (ウィキペディアの掲載基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」ですので、よしのぶさんが出典に書かれている内容を理解できていないことを問題視するつもりはございません。)
>池橋宏の『稲作渡来民』は、まさに「稲作」についての専門家の意見であると言えるでしょう。
つまり、『稲作渡来民』は「稲作」についての専門家による考古学についての独自研究というわけですね。 よしのぶさんが書かれた「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」は、現在の考古学の観点とは正反対であり、その一例として、日中共同研究を紹介させていただきました。 その上でよしのぶさんが書かれた「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により」について、具体的な例を提示してただくように求めました。
しかしながら、またしても残念なことに、よしのぶさんは、「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により」についての説明ができませんでした。 そのため、稲作渡来民と対になる西日本の弥生人の祖先についての説明を、強引に日本人の起源に結び付けて、よって編集は削除いたしますとして、私の回答を待たないで記述を削除されました。(とてもとても残念な行為でしたので、非常に悲しく感じます。) よしのぶさん。ウィキペディアは個人のブログではありませんので、自分が気に入らない意見でも専門家の文章を排除するわけにはいきません。そのため、元の状態に戻させていただきます。 緊急に削除しなければいけない内容ではないと思いますので、まずは、「日本への稲作渡来民」についての説明を終えてから、(自分の書かれた内容も含めて)削除するべきかのご検討をお願いします。
--青鬼よし(会話) 2015年9月26日 (土) 07:25 (UTC)
- すでに説明はいたしておりますが、当該編集は、池橋宏の『稲作渡来民』に依拠しております。青鬼よしさんが自分で読んで検証すればよいことです。
- 「稲作渡来民』は「稲作」についての専門家による考古学についての独自研究というわけですね」というのは何ですか?もしそうだとしてそれが何か問題なのですか?--よしのぶ(会話) 2015年9月26日 (土) 13:51 (UTC)
日中の「江南人骨日中共同調査団」も「ミトコンドリアDNA分析」によって稲作渡来民が中国の長江から来たことが明らかにしている
青鬼よしさんが編集に加えられたこれ[47]ですが、出典はこれですよね。
1999年3月23日 共同通信 中日共同調査団が発表、「弥生人」の起源は江南地方か 山口調査団長に聞く"稲作民は中国大陸のどこからきたのか?その源郷はどこか?これが私たちの調査団の最大の関心事であった。そのためには「イネのふるさと」である江南地方の古人骨の調査に的を絞ってきた。今回稲作の渡来民の源郷を江南で発見し、その宿題を果たし得たことは学問的にも大きな意義があると思う。
これは稲作渡来民について書いているわけです。 青鬼よしさんが書き加えた記述の前の記述は、「稲作」の中のさらに「水稲」について書いたものです。原文はこうなっています。
池橋 宏は、日本への水稲伝来ルートに関しては、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている
水稲伝来ルートについて書いているわけです。ここで池橋氏が書いている稲作渡来民とは、水稲をたずさえた渡来民という意味であることは、明らかだと思いますが。 そこに水稲以外も含んだ「稲作渡来民」を反論として書きこんでどうするのでしょう? これについては、すでに説明しておりますが、もう一度説明いたします。 稲作は縄文中期にすでに始まっているという佐藤洋一郎氏の説は、誰も否定していない説だと思いますが。水稲は縄文晩期か、弥生初期説が有力だと思います。すでにここで述べていおります[48]。 ゆえに、青鬼よしさんの編集は書く場所を間違えています。水稲と稲作の関係が分からないですかね? 分かり易く区分けし、記事は有益な部分はふさわしい場所に移動しておきます。 他にも勘違いする人がいそうですので。--よしのぶ(会話) 2015年9月26日 (土) 16:55 (UTC)
- 今回の編集で提示された「稲作渡来民」という単語は学術用語ではないため、執筆者の方にどのような定義になるのかを質問いたしましたが、「自分で読んで検証すればよいことです。」「「「日本への稲作渡来民」は弥生人ということでいいか」という話ですが、こんな事を私が決めつけることはございません。」という回答しかいただけなかったため、こちらで「稲作渡来民」についての推測をしながら編集を行い「稲作渡来民」は農具・農耕文化など水稲以外も含んだ渡来民であると忖度しておりました。
- しかしながら、「稲作渡来民」の定義の一部は「農具・農耕文化など水稲以外も含んだ渡来民ではない」ということでしたので、おそらく「イネの種子を大陸から持ち込んだ渡来人」を指すものだと思いますが、佐藤洋一郎は、温帯ジャポニカ(水稲)は池上曽根遺跡や唐古・鍵遺跡から出土した弥生米のDNA分析の結果、朝鮮半島を経由せずに直接日本に伝来したルートがあると説明しているため[49]、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」が立証できなくなってしまいます。--青鬼よし(会話) 2015年9月27日 (日) 21:05 (UTC)
--青鬼よし(会話) 2015年9月27日 (日) 21:05 (UTC)
- 「今回の編集で提示された「稲作渡来民」という単語は学術用語ではないため、執筆者の方にどのような定義になるのかを質問いたしましたが、」と述べていますが、そのような質問は存在していませんね。青鬼よしさんが求めたのは「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩の具体例を数件」[50]であって、上記のような質問をどこにしたのか?示してください。
- また私の利用者ページでは「記載した情報が多数派に属するのであれば、これを支持・追認している学術書・参考文献を示すことは容易であるため提示を求めました」に話を変えていますが、[51]いつこのような質問をしたのか・示してください。--よしのぶ(会話) 2015年9月28日 (月) 04:06 (UTC)
「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により」の記述について
こんにちは。よしのぶさん。
よしのぶさんが記載された内容[[52]]について確認をさせていただきたいのですが
21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている
「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により」の部分は、よしのぶさんが書き加えたものでしょうか。それとも、池橋さんの本に記された内容から引用したものでしょうか。
この回答によって、こちらも合意形成のシナリオを見直すことになりますので、ご回答をよろしくお願いします。--青鬼よし(会話) 2015年9月26日 (土) 07:57 (UTC)
- まず言わせてもらえば、ノートページは個人と個人のやりとりをする場ではないので名指しの挨拶は不要です。まったく同じではありませんが、「考古学上の膨大な成果」や「朝鮮半島の考古学的進歩」を表す言葉は池橋さんの本にあります。記述内容を確かめるのはご自分でどうぞ。出典を確認し、検証しない人と何の合意が可能なのか?まるで不明ですね。同じ出典を読んで、その要約をどうするかを話し合うなら別ですが。--よしのぶ(会話) 2015年9月26日 (土) 13:34 (UTC)
こんにちは。よしのぶさん。
私は、よしのぶさんを、ウィキペディアに共同で携わっている尊敬し、敬愛する同僚と感じているため、「こんにちは」などの挨拶を大切にしております。これを不快に感じられるようでしたら申し訳ございません。
本題に入る前に、よしのぶさんには繰り返しになりますが、ウィキペディアのルールについてご案内させていただきます。
- 利用者は自身の編集について他の利用者に対し、説明責任を果たすことが望まれています。そのためよしのぶさんの「(私の)記述内容を確かめるのはご自分でどうぞ。」という態度は改めていただければと思います。
- 出典は一つである必要はなく、複数挙げられていることがむしろ好ましいです。そのため「同じ出典を読んで、その要約をどうするかを話し合う」ではなく、「多くの権威ある専門家たちが推敲・査読などに関わった出典を(できれば複数)読んで、その要約をどうするかを話し合う」が望ましいです。
また、中立的な観点の方針を補強するため、特定の観点(この場合は池橋さんの主張)に反駁する観点(考古学会の報告)を記載することも望ましい行為となります。
さて、本題に入ります。「考古学上の膨大な成果」や「朝鮮半島の考古学的進歩」がよしのぶさんが書き加えたものでないことが確認できましたので、以下の指摘をさせていただきます。
青鬼よしによる提案
青鬼よしから、以下の内容で記載を修正させていただくこと、提案をさせていただきます。
【修正前】 日本における稲作開始年代探求の研究は、森本六爾などによって着想され[12]研究の結果、1930年代に弥生時代で有るとされた[13]。しかし、現在では、さらに古い時代ともされるプラント・オパールが発見されたことなどから縄文時代晩期、あるいはそれ以前に伝来し日本国内各地に広まった[14]とされている。また、旧来、伝来のルーツは朝鮮半島経由の可能性が高いとされていたが、近年、日本で最も代表的な稲の品種の遺伝子型が朝鮮半島には存在していないことが判明している状況にあり、他の伝来ルートの可能性も論議されている。また、潅漑稲作の日本への伝播は、戦国時代末期の紀元前4世紀の越の滅亡によって、潅漑稲作技術を持った江南の民族が逃避しもたらされたと考える研究者もいる[15][16]。長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達した[17]。池橋 宏は、日本への水稲伝来ルートに関しては、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている[18]。
- 日本への水稲伝来ルートは複数の説が存在しますが、単一の意見(池橋宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る』)を事実として記載している。
- 「議論が余地のないほど」というウィキペディアで避けるべき表現を使用している。
- 「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」という事実と反した内容が記載されている。
【修正後】 日本における稲作開始年代探求の研究は、森本六爾などによって着想され[12]研究の結果、1930年代に弥生時代で有るとされた[13]。しかし、現在では、さらに古い時代ともされるプラント・オパールが発見されたことなどから縄文時代晩期、あるいはそれ以前に伝来し日本国内各地に広まった[14]とされている。また、旧来、伝来のルーツは朝鮮半島経由の可能性が高いとされていたが、近年、放射性炭素年代測定や遺伝子分析によって、長江下流域から九州方面へ直接渡来した説も有力視されている。
池橋宏さんの意見を省き、概要らしくシンプルにまとめた内容にしましたが、いかがでしょうか。--青鬼よし(会話) 2015年9月27日 (日) 12:41 (UTC)
コメント意見を省く理由がありませんね。「概要らしく」と言いますが、「稲作#概要」の項目ではなく「稲作#歴史」の項目です。シンプル化と言いながら青鬼よしさんが信じたい事を書いているだけであり、それは省く正当な理由にはなりません。--よしのぶ(会話) 2015年9月27日 (日) 15:37 (UTC)
- まず「見出しに決して他の利用者名を掲げない」ようにお願いしますWP:TALKNEW。
- 「議論が余地のないほど」というウィキペディアで避けるべき表現を使用している。
- という事ですが、池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』にそのまま書かれている事であり、稲作研究の専門家の一つの意見として尊重すべきです。これについては、他の研究者の意見もたくさんありますので、暫時掲載するつもりです。
- 「ウィキペディアで避けるべき表現」と述べてますが、どのような根拠(方針)でこんなことが言えるのか?示してください。
- 「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」という事実と反した内容が記載されている。」
- と言いますが、青鬼よしさんは勘違いしているようです。「稲作渡来民は、朝鮮半島から来た」と書いたとしても、さらにその民族がどこから、来たかという問題は別問題です。それこそ「江南から来た」という説や「カレン人同祖論」、「バイカル湖畔騎馬民族説」「スキタイ民族説」「日韓同祖論」などもあります。どこから来たものであろうと朝鮮半島を経由したということです。ところが、青鬼よしさんは一生懸命、これを打ち消すために「弥生人=江南人説」を押しているわけですが、これはすでに述べたように、「稲作研究」ではなく、「弥生人の故郷はどこか?」と言う問題にすり替えてしまっている。弥生人が、「江南から来た」「カレン人同祖論」「バイカル湖畔騎馬民族説」「スキタイ民族説」「日韓同祖論」のどれであろうと関係ありません。「日本人は江南から来た」説は昔からある説ですがここで編集しているのは、「稲作の伝達」です。また日本の稲作が元をたどれば中国長江流域の湖南省あたりに起源である事は、ほぼ常識です。そこでこのwikipedia稲作にもそう書いてあるはずです。
- さらに、稲作がいくつかのルートを辿ったことは明らかですが、水田稲作については、朝鮮半島経由説が有力です。これについては現在の学会の主要な学説であり、春成秀爾、広瀬和雄、宮本一夫、禰宜田佳男、などが論文や座談会の対話の中で朝鮮半島経由を述べています。もちろん佐藤洋一郎のほかの論文「DNA分析からみた弥生時代の稲作」にも、それに同意見を書いています。こうした事を理解していただきたいと思っています。すでにいくつかの論文は取り寄せましたので追加で書く予定です。--よしのぶ(会話) 2015年9月27日 (日) 16:30 (UTC)
- 「見出しに決して他の利用者名を掲げない」の件につきまして失礼いたしました。訂正をさせていただきましたので、ご確認ください。
- さて、「ウィキペディアで避けるべき表現」につきましてですがWikipedia:大言壮語をしないをご確認ください。「議論の余地のないほど……」は避けるべき表現として明記されております。
- 実際、私が稲作の記事に関わることになったのは「議論の余地のないほど」という言葉に反応してのものです。
- 「議論の余地のないほど」という単語は2つの問題点がございます。ウィキペディアで避けるべき表現であること。「議論の余地のないほど」と書かれているが事実ではないこと。(実際に多くの議論がされていることは、複数の権威ある団体・科学者の報告書をよしのぶさんに何度も紹介しております。ご回答はしていただけませんが。)
- 実際、私が稲作の記事に関わることになったのは「議論の余地のないほど」という言葉に反応してのものです。
- また、私が稲作の記事に深く関わるようになったのは、「稲作渡来民」は「稲」だけではなく「農耕具」「文化」を含んだ人類学・考古学の話となりますが、池橋宏さんは植物育種学の専門家です。
- 池橋宏さんは「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により」と書かれていますが、彼は考古学者でも文化人類学者でもなく、植物育種学の専門家です。
- 古代史の謎に考古学の門外漢が挑んだ本について、私は池橋さんに限らず懐疑的に取り扱うのですが、山口裕文大阪府立大学教授が学術誌に寄稿した池橋さんの著書に対する評価(酷評と言ってよい批判でした)を見る限り、よしのぶさんが「池橋さんの意見を尊重すべきです。」と推奨する理由が(建前上は)分かりません。
- また、私が稲作の記事に深く関わるようになったのは、「稲作渡来民」は「稲」だけではなく「農耕具」「文化」を含んだ人類学・考古学の話となりますが、池橋宏さんは植物育種学の専門家です。
- 『青鬼よしさんは一生懸命、これを打ち消すために「弥生人=江南人説」を押しているわけですが』と書かれていますが、私は『「議論の余地がない」と言われても、国立歴史民俗博物館は、放射性炭素年代測定の結果、日本の稲作の始まりを、朝鮮半島の稲作の始まりと同時期、または早い時期である紀元前9世紀ごろと発表してますよ。』とか『日中共同研究は「最も便利な地理的位置から考えれば、朝鮮半島を経て日本に到達したという見方が多くの人の支持を得ているが、ただその時期の朝鮮半島から出土する比較的多くの人類学的資料による支持はこれまで得られていない。」と報告してますよ。』とか、「議論の余地がない」の矛盾を指摘しているだけです。(もちろん、放射性炭素年代測定の結果や日中共同研究の結果が絶対だと主張しているわけではありません。あくまで『「議論の余地がない」というけど、実際に議論されていますよね。』という話です。)
- 『青鬼よしさんは一生懸命、これを打ち消すために「弥生人=江南人説」を押しているわけですが』と書かれていますが、私は『「議論の余地がない」と言われても、国立歴史民俗博物館は、放射性炭素年代測定の結果、日本の稲作の始まりを、朝鮮半島の稲作の始まりと同時期、または早い時期である紀元前9世紀ごろと発表してますよ。』とか『日中共同研究は「最も便利な地理的位置から考えれば、朝鮮半島を経て日本に到達したという見方が多くの人の支持を得ているが、ただその時期の朝鮮半島から出土する比較的多くの人類学的資料による支持はこれまで得られていない。」と報告してますよ。』とか、「議論の余地がない」の矛盾を指摘しているだけです。(もちろん、放射性炭素年代測定の結果や日中共同研究の結果が絶対だと主張しているわけではありません。あくまで『「議論の余地がない」というけど、実際に議論されていますよね。』という話です。)
- 「現在の学会の主要な学説」という修飾語もWikipedia:大言壮語をしないになるかと思いますので、避けた方が宜しいかと。
- 日本政府と中国政府による日中共同研究でも「最も便利な地理的位置から考えれば、朝鮮半島を経て日本に到達したという見方が多くの人の支持を得ているが、ただその時期の朝鮮半島から出土する比較的多くの人類学的資料による支持はこれまで得られていない。」と報告されており、「現在の学会の主要な学説」とは言い難いかと。(そもそも、「現在の学会」とは何を指しているのでしょうか?)
- 結論となりますが「稲作渡来民」の話は弥生人の記事に移動し、私の案を採用していただくということで合意していただくことは可能でしょうか? (このまま「議論の余地がない」にツッコミを入れる形式でも個人的には良いのですが、冗長な内容になると思いますので) 以上、宜しくお願いします。 --青鬼よし(会話) 2015年9月27日 (日) 21:14 (UTC)
反対 繰り返しますが、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」は、<池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62>に書いてあることです。もしこれを私が書いたなら、「事実としての情報なしに、記事を単に引き立たせるための表現」かも知れませんし、それはWikipedia:大言壮語をしないと言えるかも知れませんが。Wikipedia:大言壮語をしないは「記事の話題を正当化をするような修飾語を付加する」ことを禁止していますが、私がどこで「修飾語を付加した」のか示してください。また池橋 宏さんの言い方は「ほとんど議論の余地がない」であって「議論の余地がまったくない」と述べているわけでもありません。従って議論は相変わらずなされているという事でしょう。河野通明さんに関しては、稲作研究をされている方ですか?そのような研究論文もしくは著作があったら示してください。青鬼よしさんが編集されている内容はそのほとんどが、「民族の出自」に関するものであり、稲作に関するものではありませんので、ふさわしい場所に移動してください。また佐藤洋一郎さんの説は【佐藤洋一郎「米 日本列島に最初に稲作を持ち込んだのは縄文人だった」】【佐藤洋一郎 「DNA分析から見た弥生時代の稲作」】などに書かれており、稲作は縄文時代中ごろにはすでに日本に来ていた。しかしそれは陸稲であり、「水稲に関しては弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」(【佐藤洋一郎「米 日本列島に最初に稲作を持ち込んだのは縄文人だった」】で本人が書いている)です。 「佐藤洋一郎は、温帯ジャポニカ(水稲)は池上曽根遺跡や唐古・鍵遺跡から出土した弥生米のDNA分析の結果、朝鮮半島を経由せずに直接日本に伝来したルートがあると説明している。」と書いてますが、出典とされるインタビューからこんな文章にするのは虚偽記載というしかありません。 --よしのぶ(会話) 2015年9月28日 (月) 05:09 (UTC)
- >私がどこで「修飾語を付加した」のか示してください。
- 2015年8月23日になります。[54]
- 「ほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」については、他の人に意見を確認してみますね。--青鬼よし(会話) 2015年9月28日 (月) 23:28 (UTC)
「池橋 宏は・・・・・「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている」[55]と書いており、このような書き方によって中立性を確保しています。Wikipedia:中立的な観点では、
例えば「大量虐殺は悪行である」と述べてはいけません、しかし「ジョーンは大量虐殺は人間の悪の縮図であると記している」と述べることはできます。
としています。このような書き方によって「中立的な観点」を確保できるのです。--よしのぶ(会話) 2015年9月29日 (火) 06:14 (UTC)
「日本への伝来」節の編集について(2)
青鬼よしさんが書いたこの編集ですが[ https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A8%B2%E4%BD%9C&type=revision&diff=56973439&oldid=56966562]
日中の「江南人骨日中共同調査団」も「ミトコンドリアDNA分析」によって稲作渡来民(弥生人)が中国の長江から来たことが解析されたことを報告している
という文章ですが、出典は
1999年3月23日 共同通信 中日共同調査団が発表、「弥生人」の起源は江南地方か 山口調査団長に聞く"稲作民は中国大陸のどこからきたのか?その源郷はどこか?これが私たちの調査団の最大の関心事であった。そのためには「イネのふるさと」である江南地方の古人骨の調査に的を絞ってきた。今回稲作の渡来民の源郷を江南で発見し、その宿題を果たし得たことは学問的にも大きな意義があると思う。"
これには検証可能な出典が記載されていません。「1999年3月23日 共同通信」と書いてあるという事は配信契約している新聞社・通信社から公表されたもののはずなので、公表した媒体を書いてください。
一方でネットの中にはこれと同様な事が書いてあるサイトがあります。「吉野ヶ里」の「弥生人はどこから来たか?そのルーツを中国江南に探る」[56]の「(c)稲作民の渡来」にまったく同じ文章があります。しかしこの文章は、 共同通信を出典としておらず自己記事として書いています。これを阿修羅掲示板に書きうつした人もいるらしい[57]。
これを編集された青鬼よしさんは、まず公表されているメディアを書いてください。確認しますので。しばらく待ちますが、1週間で削除します。
--よしのぶ(会話) 2015年9月27日 (日) 17:55 (UTC)
- 「江南人骨日中共同調査団」につきましては、日中共同研究で以下の記載がございます。
新石器時代における中国の江南人と日本の縄文人の形態的違いは非常に大きいが、江蘇(江南から淮北までの広範な地域を含む)の春秋時代から前漢時代までの人と、日本の渡来系弥生人との間には、強い類似性があり、このことから、弥生人との類似性を持った古人骨集団の分布地域は、わずかに朝鮮 半島があるだけでなく、さらに山東半島から江南に至るまでの広大な地域もその中に含まれると考えることができる。これにより、弥生時代とその直前における大陸移民の故郷の探求は、今後はただ朝鮮半島と華北にだけ注意することはできず、また淮河や長江下流も視野に入れ、とりわけ淮河流域、即ち江蘇北部を重視すべきである。もし江南を起点とする稲作文化とその継承者の拡散という視点から離れたならば日本人の形成を論ずることはできないが、今後はさらに華南ないし東南アジア地域にまで視野を広げなければならない。
- 私が「出典は複数あることが望ましい」と説明した手前、日中共同研究とは別の出典はないかと探した結果、ネット上で該当の記事を見つけて、不用意に引用してしまいました。
- ご指摘の通り、信頼できる情報源として不備がございますので、河合敦さんの著書の内容と差し替えさせていただきます。(検証可能な出典に差し替えただけですので、本文に対する記載については変更の必要がございません。)
- 「江南人骨日中共同調査団」の報告につきましては、否定できる学術的な根拠を提示していただければ、即時削除で問題ございません。以上、宜しくお願いします。--青鬼よし(会話) 2015年9月27日 (日) 21:14 (UTC)
なるほど、それは困りました。上記に指摘した出典部分はネットで見つけたサイトからのコピーであるということであり、2行と少し丸写ししていますので、WP:DCVの疑いが濃い案件です。版指定削除すべきかも知れませんので、みなさんのご意見をお聞きしたいと思います。--よしのぶ(会話) 2015年9月28日 (月) 05:33 (UTC)
- はい。よろしくお願いします。--青鬼よし(会話) 2015年9月28日 (月) 23:08 (UTC)
「ほとんど議論の余地がない」などの記載について
2015年8月23日の編集[58]で追記された以下の内容につきまして、Wikipedia:大言壮語をしないなどの観点から、異議および改善案を提示しております。ぜひ、皆様のご意見を賜りたく。
長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達した ※1。池橋 宏は、日本への水稲伝来ルートに関しては、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている ※1
※1は出典『池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62、講談社選書』の挿入部分
発議者(青鬼よし)の意見
「ほとんど議論の余地がない」について
「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」の記載について、発議者は以下の観点から反対をしている。
- 「ほとんど議論の余地がない」が事実ではないこと
- 「ほとんど議論の余地がないほど」がWikipedia:大言壮語をしないに該当するため
1については、一例として、2006年12月から2009年12月まで行われた日中歴史共同研究の報告[59](下記)を紹介している。
考古文化学上の関係に基づけば、西日本の弥生人の祖先が中国大陸から日本に移動した経路には三つの可能性がある。一つ目は、中国の江南地域から直接東シナ海を横断して日本に到達する経路である。二つ目は、中国の山東半島から海を渡って朝鮮半島に至り、朝鮮海峡を経て西日本地域に至る経路である。三つ目は、中国の沿海地区から渤海湾に沿って遼東半島に至り、朝鮮半島を経て、海を渡って日本列島に上陸する経路である。最も便利な地理的位置から考えれば、朝鮮半島を経て日本に到達したという見方が多くの人の支持を得ているが、ただその時期の朝鮮半島から出土する比較的多くの人類学的資料による支持はこれまで得られていない。 (8ページ)
日本の弥生時代人が発達した稲作文明を持っていたことから、人々はたやすく、弥生人の祖先を、稲作文明の発祥地の一つである中国南方と結び付ける。中国江西省万年県仙人洞遺跡と湖南省道県玉蟾宮遺跡では、既に 12000 年前と 10000 年前のもみが発見されている。特に浙江省余姚県の河姆渡新石器时代遺跡(7000-5000 年前)では、既に大規模面積の稲作跡があり、河姆渡人は高床式の家屋に住み、船を操り、陶器を製作・使用し、陶器を作る時には、釜型陶器の腹底部に縄模様をジクザクに押印することが盛んに行われた。海洋の潮流と季節風から考えれば、中国の江南人が直接海を渡って日本に到達した可能性はある。言い換えれば、中国南方人(「越人」あるいは「百越人」と言われる)が、紀元前 3 世紀前後の政治的動乱のため、一部は海を越えて日本に移動し、「倭人」、即ち弥生人となり、さらに別の一部は雲南に移動し、少数民族となって増加し、今に至ったのである。(9ページ)
弥生時代とその直前における大陸移民の故郷の探求は、今後はただ朝鮮半島と華北にだけ注意することはできず、また淮河や長江下流も視野に入れ、とりわけ淮河流域、即ち江蘇北部を重視すべきである。(9ページ)
日中歴史共同研究は日本政府と中国政府によるプロジェクトであり、参加した研究者による複数の査読が行われている信頼できる情報源である。その中で朝鮮半島ルートに疑問を呈している事実を見れば、「ほとんど議論の余地がない」は成立しない。
2については、発議者と執筆者の見解の相違が埋まらない状態が続いている。執筆者の回答[60]を以下に掲載するので、ウィキペディアの編集方針と合致しているかについても、併せて意見を賜りたい。
繰り返しますが、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」は、<池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62>に書いてあることです。もしこれを私が書いたなら、「事実としての情報なしに、記事を単に引き立たせるための表現」かも知れませんし、それはWikipedia:大言壮語をしないと言えるかも知れませんが。Wikipedia:大言壮語をしないは「記事の話題を正当化をするような修飾語を付加する」ことを禁止していますが、私がどこで「修飾語を付加した」のか示してください。また池橋 宏さんの言い方は「ほとんど議論の余地がない」であって「議論の余地がまったくない」と述べているわけでもありません。従って議論は相変わらずなされているという事でしょう。
稲作渡来民について
さらに、『稲作渡来民』は普遍的な学術用語ではなく、池橋による造語(『池橋宏の『稲作渡来民』は、まさに「稲作」についての専門家の意見であると言えるでしょう。』執筆者の回答より[61])であり、定義が曖昧で、読者に誤解を与える表現となっている。
発議者は執筆者に対して「「日本への稲作渡来民」は弥生人ということでいいか」と質問をしたが、回答は「こんな事を私が決めつけることはございません。」[62]というものであり、執筆者は読者に誤解を与えない表現を心がけることを放棄していると言わざるを得ない。(出典は提示されているが、事実上の独自研究である。)
その他の記載について
また、「長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達した」の記載についても、「長江流域に起源がある水稲稲作が日本に伝播された」の部分は正しい。しかし、「朝鮮半島から日本へと達した」の部分は日本への伝播ルートは諸説あり、考古学・文化人類学・育種学の観点から、学説は定まっていないという事実に反している。
「水田稲作は朝鮮半島から日本に伝播された」という従来の学説は、2003年に国立歴史民俗博物館が炭素同位対比を使った年代測定法を用いて、水田稲作を始めた年代が紀元前10世紀(朝鮮半島の水田稲作を始めた時期よりも早い年代)までさかのぼる可能性を報告したことにより、急速に見直しが進められている。(詳細はリンクを参照のこと) 2014年には、東京大学考古学研究室が「縄文時代の漁撈民の交流の基礎の上に弥生時代早期の水稲稲作農耕の導入が行われたとする従来の単線的な発展史観は、成立しないということを併せて指摘した。」と報告するなど、「水田稲作は朝鮮半島から日本に伝播された」は断定できる状況ではない。
◆参照リンク
- 弥生時代の開始年代について (国立歴史民俗博物館)[63]
- 弥生の始まり、なぜ誤った? 東大研究室が検証 (朝日新聞 2008年02月09日) [64]
- 玄界灘島嶼域を中心にみた縄文時代日韓土器文化交流の性格 : 弥生時代早期との比較 (東京大学考古学研究室) [65]
上記に挙げたように、「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩」は執筆者が記載した「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」とは正反対の内容となっている。
そのため、執筆者が根拠とする「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩」について確認をしたが、回答は「そんな事をなぜwikipediaのノートページに書く必要があるわけですか?講義をさせるつもりでしょうか?そんなことに時間とエネルギーを使う気はありませんし、自分で本を読んで調べるべきです。」[66]「考古学上の膨大な成果」や「朝鮮半島の考古学的進歩」を表す言葉は池橋さんの本にあります。記述内容を確かめるのはご自分でどうぞ。」[67]
という内容であった。
池橋は育種学の専門家であり、考古学は門外漢である。それ故の質問であったが、執筆者の回答は編集責任を放棄したと同義であり、「考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩」は立証できない修飾語であり、これを付加する必要性はないと考える。
結論・変更案の提示
結論として、発議者は、執筆者の記載を下記の内容に変更することを提案する。
【案1】 日本における稲作開始年代探求の研究は、森本六爾などによって着想され[12]研究の結果、1930年代に弥生時代で有るとされた[13]。しかし、現在では、さらに古い時代ともされるプラント・オパールが発見されたことなどから縄文時代晩期、あるいはそれ以前に伝来し日本国内各地に広まった[14]とされている。
【案2】 日本における稲作開始年代探求の研究は、森本六爾などによって着想され[12]研究の結果、1930年代に弥生時代で有るとされた[13]。しかし、現在では、さらに古い時代ともされるプラント・オパールが発見されたことなどから縄文時代晩期、あるいはそれ以前に伝来し日本国内各地に広まった[14]とされている。また、旧来、伝来のルーツは朝鮮半島経由の可能性が高いとされていたが、近年、放射性炭素年代測定などの考古学的進歩によって、疑問視されている。
案1は三次資料である日本大百科全書のイネの記事が「日本の稲作の歴史は、縄文時代晩期に中国大陸の南部から、稲作技術をもった人々が渡来したことにより始まったと考えられる。」と経由ルートの議論を省いていることに着目して提示を行った。個人的には「案1」を薦める。 案2は経由ルートについて、新旧の学説を紹介したものであるが、読者の観点から見た場合、不要な情報と感じており、次善の案とする。
以上 --青鬼よし(会話) 2015年9月29日 (火) 03:06 (UTC)
「執筆者の意見」に対して(10月3日追記)
- 育種学研究者であるの池橋宏が出版した本で提唱している「稲作渡来民」を引用した学術論文は存在しない。[68] 執筆者が提示した出典も、従来からの朝鮮半島ルート説についての説明であり、池橋宏の「稲作渡来民」との関連性はなく、まるで意味をなしていない。
- 発議者は「朝鮮半島ルート説」を否定していない。東京大学考古学研究室や日中共同研究などが、日本への稲作伝播について朝鮮半島ルートに否定的である事実から「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がない」が正しくないこと(実際には様々な議論を呼んでいる)を指摘し、「ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません」と執筆者に理解を求めている。
- 執筆者は、池橋宏が出版した本「稲作の起源:イネ学から考古学への挑戦」を、大阪府立大学の山口裕文名誉教授(専攻:育種学専攻)が学会誌に寄稿した内容[69]が以下のように批判的であったことを指摘されると、池橋宏を「国際稲作研究の専門家」山口教授を「雑草研究専門」と呼び、山口教授の書評を「まあ感想文を書くのは自由という事で」と閉明塞聡している。執筆者は、専門家の査読の結果が、自身が信じるものとは違ったとしても、このような表現をすべきではない。
大阪府立大学の山口裕文名誉教授による書評 (一部抜粋)
- 事実に反する記述など、根拠と説明内容に多くの疑問があり、期待はずれであった。文献古代史や考古学の記述はさしおいて農業植物学的側面について、その概要を考証してみたい。
- 本書が言うように株分け移植栽培が古代越族(泰族)によって始まり、アジア各地に拡散したとしても、非脱粒あるいは難脱粒の性質が進化しなければ、稲作は効率の悪い農耕に過ぎない。多年生の特徴を持てば持つだけ、植物は繁殖効率(reproductiveeffort, 作物学でいう収穫係数)を低くし、種子への投資が悪くなるのは植物の本性である。サウアー(1981)のいうようにイネの移植栽培に多年生栄養繁殖植物への知識がともなっていたとしても、食べる対象でない植物器官を殖やすこと(株分け繁殖)が収量に結びつくという認識をもつには、原初的段階では難しい話である。稲作農耕の発展過程については、非脱粒性のような栽培化に関わる直接的な特徴の進化が解明されない以上、解答を出せる問題ではない。
- 直播水田での雑草の繁茂と自然または自然に近い沼沢地の植物の生態を同一視して、栽培化現象が進むと想定される初期の水稲栽培での直播を難しいと機能論的に主張するあたり(本書 42 ページ)は、時空間および生態学的な視点に欠けた論考である。イネという植物について栽培化の前の出来事と栽培化された後の出来事かが識別されずに書かれた論述は説得力に欠けている。
- 著者が袋小路とする優性遺伝子から劣性遺伝子へと変わる変異の方向性の説明も近代遺伝学の常識からみると時代遅れで、塩基置換に基づく突然変異であれば、可逆的に変化できる。本書には、個と集団の原理を識別しないだけでなく、古典的な原理に基づく都合の良い子供だましの説明が至る所にみられる。カバーにうたうイネ学最先端にはほど遠さを感じてしまう。
- イネの栽培化の時期をどう説明するかは別として、古代越族を稲作の担い手と想定し、株分けによる園芸的植栽という農法が稲作の原点であるとする仮説からは、稲作の歴史にいくつかの新たな視点も見えてくる。しかし、引用される事実や観察のエビデンスは非常に曖昧である上、事実に基づかない記述や原書とは違った引用文が散見される。本書では中尾佐助のどの著書かを特定せずに文章を引用しているため、事実確認を極めて難しくしている。
- この書籍の罪の責任は出版社にもある。原稿の引用を検証せず、でたらめな文献記述と引用符の使い方の不統一など(序章には前川文夫の文献は使われていない[264 ページ]、僅か2行の羅列のなかに同じサトイモが重複記述されている[91 ページ]、「タロイモ水田」と「タロ水田」と「サトイモ水田」の不統一、「『雑草の歴史』(一九八九)という本のなかで」[185 ページ]は「『雑草の科学』という本の「雑草の歴史」(一九八九)という論文のなかで」でなければならない)など、様々な過ちを看過し、誹謗中傷にあたる文章の公表 publication を容認し、未編集の書籍を出版してしまった編集子は、学術出版に関わるものとして失格である。
(この批評に対して、池橋からの反駁はない。)
以上。 --青鬼よし(会話) 2015年10月3日 (土) 09:38 (UTC)
執筆者の意見
確認
まず確認のために書いておきますが、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」という記述は、研究者である池橋宏が、自分で書かれている文章です。その事は理解しておいていただきたい。池橋宏にはここで挙げた『稲作渡来民 』の他にも『稲作の起源』『イネに刻まれた人の歴史』など複数の稲作の歴史をテーマにした著作があります。またこの方面における他の専門家たちと論争したりしています(たとえば佐藤洋一郎氏)。
研究者が書く「朝鮮半島から来た説」
次に多数の研究者が、「稲作が朝鮮半島から来た」という主張を肯定している事を書いておきます。例えば、
- 藤尾慎一郎は[70]、『新 弥生時代』p259に「水田稲作を伝えた人々が朝鮮半島南部の青銅器文化に属していたことは変わらない。」と書いています。
- 宮本 一夫は『中国・朝鮮半島の稲作文化と弥生時代の始まり』[71]で「気候変動を伴う農耕渡来民の南下は、新耕作地を求めた移住であり、・・・・・半島から北九州に渡って来た」と書いています。(『弥生時代はどう変わるか』p90)
- 中園 聡は『稲作伝来 (先史日本を復元する 4)』p33で「日本列島に稲作が伝わったルートは多様ではあるが、その故地を考える上で朝鮮半島はつねに重視される」と書いており、「弥生時代に・・・朝鮮半島と壱岐対馬のルート」としています。
- すでに本文で述べてますが、佐藤洋一郎は「温帯ジャポニカ(水稲)は、弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」と書いています。(『日本のルーツがわかる本』p84、p88、佐藤洋一郎「米 日本列島に最初に稲作を持ち込んだのは縄文人だった」)
- 池橋宏氏によれば、この説を肯定して書いているのは、他にも、佐原真や岡崎敬(九州大学教授、『稲作の考古学』)などが論文に書いています。(『稲作の起源』p207)
このようにしてかなりの学者たちが、それぞれ考古学的な見解を述べています。こうした事は前提として書いておきます。
1「正しいか否かを判断すべきか?」
ところが青鬼よしさんは、池橋宏氏が『稲作渡来民』に書いた事は、「事実ではない」「大言壮語である」と述べています。しかし、まず第一にこのような判断を我々ウイキペディアンがすべきことかどうかが問題です。wikipediaにおいて、学者の説について、「これは正しい」「これは正しくない」と判断して取捨選択するとすれば、それは単にそのウィキペディアンの志向性、思想の表現になります。それだと自分が推す考えや思想以外は、削除して行くという行動になってしまうでしょう。
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかが述べているように、ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません。もし池橋宏の記述が間違いならば、別の稲作研究者の著作からの批判を記述するか、「水稲稲作は(朝鮮半島以外の)●●から、伝えられた」という著述を探して来て、書きこめばよいものと思われます。その場合、両論併記すればよいでしょう。そのようにしないで、記述を消すという方法をとってしまうのは問題です。
2「これは研究者への侮辱ではないか?」
また「事実ではない」「大言壮語である」というセリフは、研究者への侮辱であろうと思われます。自身が信じるものとは違ったとしても、このような表現をすべきではありません。
3「「事実ではない」「大言壮語である」の根拠の不確かさ」
- 青鬼よしさんは、「事実ではないこと」と判断するための根拠として日中歴史共同研究の報告[72](下記)を挙げています。しかしこの報告した文章は、以下の点で「wikipedia稲作」を編集するさいにあまり参考にならないと思います。
- ①「弥生人の祖先」を主語としており、「弥生人の祖先の先祖は誰か?」を言及したものであるということ。「弥生人の祖先は江南人」であるという説はもちろん有名な一つの説であり、ぜひ「日本人」に書いていただきたいものです。しかしこれは「稲作がどこから来たか」を研究したものではないのです。
- ②「弥生時代人が発達した稲作文明を持っていたことから、人々はたやすく、弥生人の祖先を、稲作文明の発祥地の一つである中国南方と結び付ける。」
以下の文章はこの説の説明している文章です。「弥生人の先祖を中国南方と結び付ける」研究者もいるのは確かな話です。この文章を根拠に編集する場合は「弥生人の祖先を、稲作文明の発祥地の一つである中国南方と結び付ける研究者もいる。」という文章になり、やはりwikipedia日本人に書きこむべき内容であろうと思われます。 青鬼よしさんは、この「弥生人の祖先の先祖は誰か?」を言及した文章によって、「稲作渡来の歴史について書いたもの」について、「大言壮語である」と決めつけるための根拠に使っていますが、まるで意味をなしていません。稲作の研究書から根拠を見つけるべきです。
考古文化学上の関係に基づけば、西日本の弥生人の祖先が中国大陸から日本に移動した経路には三つの可能性がある。一つ目は、中国の江南地域から直接東シナ海を横断して日本に到達する経路である。二つ目は、中国の山東半島から海を渡って朝鮮半島に至り、朝鮮海峡を経て西日本地域に至る経路である。三つ目は、中国の沿海地区から渤海湾に沿って遼東半島に至り、朝鮮半島を経て、海を渡って日本列島に上陸する経路である。最も便利な地理的位置から考えれば、朝鮮半島を経て日本に到達したという見方が多くの人の支持を得ているが、ただその時期の朝鮮半島から出土する比較的多くの人類学的資料による支持はこれまで得られていない。 (8ページ)
(稲作についての記述なし)
日本の弥生時代人が発達した稲作文明を持っていたことから、人々はたやすく、弥生人の祖先を、稲作文明の発祥地の一つである中国南方と結び付ける。中国江西省万年県仙人洞遺跡と湖南省道県玉蟾宮遺跡では、既に 12000 年前と 10000 年前のもみが発見されている。特に浙江省余姚県の河姆渡新石器时代遺跡(7000-5000 年前)では、既に大規模面積の稲作跡があり、河姆渡人は高床式の家屋に住み、船を操り、陶器を製作・使用し、陶器を作る時には、釜型陶器の腹底部に縄模様をジクザクに押印することが盛んに行われた。海洋の潮流と季節風から考えれば、中国の江南人が直接海を渡って日本に到達した可能性はある。言い換えれば、中国南方人(「越人」あるいは「百越人」と言われる)が、紀元前 3 世紀前後の政治的動乱のため、一部は海を越えて日本に移動し、「倭人」、即ち弥生人となり、さらに別の一部は雲南に移動し、少数民族となって増加し、今に至ったのである。(9ページ)
(「稲作文明の発祥地の一つである中国南方と結び付ける」と述べており、その論説の説明をしている。この説は文化人類学者から半世紀以上前に出ている)
弥生時代とその直前における大陸移民の故郷の探求は、今後はただ朝鮮半島と華北にだけ注意することはできず、また淮河や長江下流も視野に入れ、とりわけ淮河流域、即ち江蘇北部を重視すべきである。(9ページ)
(「弥生時代とその直前における大陸移民の故郷の探求は」が主語になっており、どこにも「稲作」についての言及が無い)
日本人の先祖探しは面白いテーマですが、上の記述はこの「稲作」の記事には不向きです。これについてすでに問題を指摘しており、また「日本人」に書きこんでくださいと依頼していますがまったく改善していただいておりません。
そしてこのような薄い根拠に基づいて、研究者の著作の記述を「「事実ではない」「大言壮語である」」と侮辱すべきではないでしょう。
4稲作渡来民について
稲作渡来民についてさらに、『稲作渡来民』は普遍的な学術用語ではなく、池橋による造語(『池橋宏の『稲作渡来民』は、まさに「稲作」についての専門家の意見であると言えるでしょう。』執筆者の回答より[50])であり、定義が曖昧で、読者に誤解を与える表現となっている。
発議者は執筆者に対して「「日本への稲作渡来民」は弥生人ということでいいか」と質問をしたが、回答は「こんな事を私が決めつけることはございません。」[51]というものであり、執筆者は読者に誤解を与えない表現を心がけることを放棄していると言わざるを得ない。(出典は提示されているが、事実上の独自研究である。)
と青鬼よしさんは書いています。
稲作渡来民という言葉
- 「稲作渡来民」が造語という意見ですが、研究者が造語を造ったからと言って何が問題なのでしょう?「縄文土器」という言葉もまた最初に誰かが造った言葉であり、研究者が概念を提唱するのは当たり前のことです。
- 「稲作渡来民」は造語というよりも、そのままの読んで通じる言葉です。
- 藤尾慎一郎の著作『新 弥生時代』(p260)には、「水田稲作民」という言葉があります。また宮本 一夫は論文『中国・朝鮮半島の稲作文化と弥生時代の始まり』で「農耕渡来民」という言葉を使っています(『弥生時代はどう変わるか』p90)。こうした造語とまで言えないような言葉の結合は研究者の世界では普通になされていることですので問題視する方が問題です。
独自の考えを発表する場ではありません
「「日本への稲作渡来民」は弥生人ということでいいか」と質問をした」という事ですが、私独自の見解をこのwikipediaに書けという事については、お断りいたします。wikipediaは独自の考えを発表する場ではありません、また公開討論の場ではないからですWP:NOTFORUM。
青鬼よしさんが問題にしているこの記述ですが
長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達した ※1。池橋 宏は、日本への水稲伝来ルートに関しては、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている ※1
※1は出典『池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62、講談社選書』の挿入部分
この文章はまずMorinohosomichiさんによって佐藤洋一郎出典の文章と共に乱暴に削除されました。出典のある文章を消し、出典のない文章を記述しています[73]。ある種の思想に基ずく目的外利用だと思われますが、その後、青鬼よしさんによって、またも強引に削除されました[74]。そしてノートには「違和感を感じた」という個人的な感想がありました[75]。 また、この池橋 宏の著作による編集と同時に、佐藤洋一郎の著作を出典とした文章もやはり、消されています。これに抗議すると今度は池橋 宏の著作による編集の後に、文章をくっつけ始めました。よっぽど否定したい説なのだと思います。「関係学会に普及している見解に矛盾する主張を事実として記載することは問題」とまで書いておられるのですが、これに関して、「どの学会の話ですか?」と聞いてもまるでお答えがありません利用者‐会話:Yoshinobuko。
結論・提案について
【案1】【案2】は共に、記事を充実させるという目的に反しています。青鬼よしさんは、自分の考えと異なる著述を削除するという方法ではなく、研究者の別の著作から、「水稲稲作は、朝鮮半島を経由しないで、日本にもたらされた」と記述したものを探して追加記述するのが、もっとも適切な対処です。ちゃんと稲作についての研究書からの著述を要約してあれば、何の問題もありません。--よしのぶ(会話) 2015年9月29日 (火) 13:06 (UTC)
【追記】2015/10/4「青鬼よしさんの(10月3日追記)について」
[76]について
1、【山口裕文名誉教授による書評】
- 大阪府立大学の山口裕文名誉教授による書評[77]を長々と21行にわたってコピーしていますが、この書評は、『稲作の起源:イネ学から考古学への挑戦』への書評であり、私が引用した『稲作渡来民』への書評ではありません。また内容も、現在の「稲作はどこから来たか?(稲作の歴史)」にも、さらには「水稲は朝鮮半島から来た」という説にもまるで無関係です。それはすでに指摘しております。(ノート:稲作#池橋宏さんの著書を情報源とすることについて)
2、「ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません」について
- 「「ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません」と執筆者に理解を求めている」と書いておりますが、「独自の考えを発表する場ではありません」は我々ウイキペディアンが記事を編集する際に適用されるのであって、研究者が書いている内容に適用されるわけではありません。青鬼よしさんは研究者の著作に対して「大言壮語をしない」や「独自の考えを発表する場ではありません」を適用しようとしています。研究者が自分の研究成果(多くは独創的である)を書くのは当たり前であって、その場合、我々は「事実として記さない」を考慮し、論争ある主題では「●●は、・・・と唱えている」などの書き方をすればよいだけです。
一方で青鬼よしさんの主張は、基本的に稲作研究の専門家によるものでさえなく、「日本人の起源」に関するものを独自にアレンジしています。例えば[78]。出典となる「日中歴史共同研究のPDF」が述べている「・・・朝鮮半島を経て日本に到達した」は、主語が「稲作は」ではなく「弥生人は」です。つまり主語が違う文章をまるで稲作について書いてあるかのようにアレンジして使っています。これは独自研究というしかありません。
3、育種学研究者である池橋宏について
- 池橋宏は、日本育種学会幹事をしており、稲についての論文を多数書いており[79]、国際稲研究所→千葉大学→京都大学→日大の教授を歴任した国際稲作研究の専門家です。「国連食糧農業機構のコンサルタント」という経歴も有ります。著作は、[80]。
2003年の「日本熱帯農業学会 公開シンポジューム」の際には、「イネはどこからきたのか?」と題する発表をしています[81]。学会での発表であることを考慮すべきです。
- 育種学と言えば佐藤洋一郎も、日本育種学会に属しており、専門は「植物遺伝学」です[82]。
- 山口 裕文教授の研究分野[83]には「雑草学」と書いてあります。研究論文にはその他に「生物資源科学」「環境農学」などのカテゴリもありますが、「国際稲研究の専門家」であるとか「稲研究の専門家」であるとは言えません。そもそも「稲」に関する研究論文が一つも見当たらないのであり、さらに当然の話ですが山口さんには「稲の渡来の歴史について書いた本」などまるで存在しません。青鬼よしさんは、この稲作の編集に関して「稲作研究」「稲作の歴史」にまるで無関係な人の書いた書評を、単に池橋宏批判ために21行もコピーしておられますが、[84]無駄なリソースを使わないでください。ここでの話し合いは「稲作」に関するものであり、その中の「稲作の歴史」、さらにその中の「水田稲作の渡来」に関する部分です。
--よしのぶ(会話) 2015年10月4日 (日) 04:26 (UTC)
第三者のコメント
伝来・伝播ルートに関して関連する学会内での見解統一が行えていない現状を考慮するならば、断定的な表現を避けた両論併記が現実的と考えられます。経由地を主張する国々が中立的観点で科学的観点に基づいた調査研究を行えば客観的新事実が得られるとも考えられますが、多くの困難を乗り越えなければ実現しそうにありません。ルートに関しては、Wikipedia は公開されている事実をWikipedia:中立的な観点で記述するのが最大原則なので、度々恣意的な編集がなされ差戻しや除去を行う編集が行われていますので、その時の編集と同様に中立的な観点からの記述に変更するのが妥当と考えます。案1への変更に賛成します。--Apple2000(会話) 2015年9月29日 (火) 05:49 (UTC)
- 返信 (Apple2000さん宛) Wikipedia:中立的な観点について誤解があるのではないでしょうか?Wikipedia:中立的な観点とは「論争的主張を事実として記さない」ということであり、論争を中立的に描写するために、「Aさんは・・・・と主張している(述べている)」などの不偏的な言い回しを用いて要約して記載することが望まれています。Wikipedia:中立的な観点が推奨する言い回しは、「「神は存在する」と意見を書く代わりに、「アメリカ人のほとんどが神が存在すると信じている」という事実を書け」です。該当記事は、「池橋宏は、・・・と述べている」としており、このような書き方によって論争ある主題を扱っています。それにしても、もしこの文章に問題があったとしても、他の全ての編集を消してしまうような結論にすべきではありません。--よしのぶ(会話) 2015年9月30日 (水) 10:34 (UTC)
- 反対 指摘されている記事は、Wikipedia:中立的な観点からは問題がないと思います。[85]この説明で十分だったと思います。付け加えるならば、「ほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」というのは池橋宏氏の著作からの引用であり、執筆者の独自的な意見ではないでしょう。引用の形式も問題なく取られている。ウィキペディアンの独自意見に対してWikipedia:大言壮語をしないを指摘するのはわかりますが、専門家の研究に対して「事実ではない」「大言壮語をしないに該当する」というのは行き過ぎだと思います。名誉毀損にも発展しかねません。さらに言えば、池橋氏の記述に対して執筆者は、[86]「ほとんど議論の余地がない」というのは「議論の余地がまったくない」と述べているわけではなく、議論は相変わらずなされていると解釈していることがわかります。これに対しては、[87]改善提案者も不本意ながら一度納得しているように見えますね。ただ、[88][89]この編集などは、指摘されているように自分の考えを書くために出典をネットで探しているようにも見えてしまいます。こうした編集は一応出典をつけながら、稲作について書かれておらず、それならば該当記事で書くことにしてここで議論を終わらせるべきだと思います。長いノートでの論争は自分の主張を言い続ける目的外利用が疑われると思います。--虹色の風(会話) 2015年10月3日 (土) 05:34 (UTC)
- コメントそもそも「ほとんど議論の余地がない」の一文は必要でしょうか?稲作専門家としての池橋宏の見解はその前の文で書かれてありこの文は見解の根拠でもなければ、伝来の説明でもないですよね。「ほとんど議論の余地がない」は議論が相変わらずなされていると解釈されるなら、ますますこの一文を書く意味がないと思いますが。議論があることは伝来ルートの各説があることで明白なので。Wikipedia:中立的な観点から言えば、伝来についての専門家の見解が必要であり、池橋宏の見解は「紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達した」と書かれてあり、以下の文はやはり必要ないということになるのでは
- 西日本人の弥生人の祖先以下云々は水稲の伝来の説明ではないから要らないですよね--ろっそ77(会話) 2015年10月4日 (日) 12:31 (UTC)
遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説を冒頭に移動した件につきまして
遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説の内容が冒頭に移動されていましたので、元に戻しました。異動されたい場合は、理由を説明の上で行ってください。--青鬼よし(会話) 2015年11月21日 (土) 18:27 (UTC)
- 青鬼よしさんは自分でコメント依頼を出しておいて、議論していた部分に対して結論もつけずにどんどん編集しています。
- 提案がなされた9月の終わり以来、私は一ヶ月間編集を控えていましたが、青鬼よしさんは10月中に4度編集を行っています。全て議論している部分に関連しています。
- ①10月5日[90]
- ②10月10日に2回[91]
- ③10月29日[92]
- このようにして、議論を持ちかけながら結論も踏まえず編集するとしたら、一体何のためにコメント依頼したのか?まず教えていただけますか?
- 私の編集は11月に入って以来対抗上のものであり、議論中の部分においてはおおむね元に戻しています。(ただリパートするのはできるだけ避けており、細かく編集を加えていますが。)
- 佐藤洋一郎はどこに「山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート」(揚子江下流域から山東半島(斉の田)を経て、朝鮮半島南部を経由して九州北部に伝来)を唱えていているわけですか?
- 青鬼よしさんの編集では、佐藤洋一郎が「黒潮ルート、南方伝来ルート説」と「山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート」の両方を唱えていることになります。[93]しかし彼が述べているのは、水稲の遺伝子の中には直接、長江から来たものもあるのではないか?であって、山東半島を経由したなどとどこにも書いていないでしょう。山東半島経由説に出典をつけてください。--よしのぶ(会話) 2015年11月22日 (日) 14:49 (UTC)
繰り返しになりますが。
日本への水稲伝来ルートに関しては様々な学説があり(稲作#伝来ルートを参照)、遺伝子解析の観点からは、佐藤洋一郎が中国・朝鮮・日本の温帯ジャポニカをSSR(Simple Sequence Repeat)マーカーを用いた遺伝子分布を調査し、日本の温帯ジャポニカの遺伝子情報は、朝鮮半島の遺伝子情報の痕跡はなく、中国大陸の痕跡を残していることを発表しており(詳しくは稲作#概要を参照)[1][2]、また、近畿地方の弥生時代遺跡である大阪府の池上曽根遺跡、奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡から出土した(生時代前期(2200〜2300年前)の水稲炭化米が2001年6月までのDNA分析で、長江下流付近など中国の温帯ジャポニカ種と同一種であることも判明している[3]。伝来時期に関しては、放射性炭素年代測定の結果から、紀元前9世紀ごろとされている[4][5][6]が、朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている[7]。
という冒頭の説明を
日本への水稲伝来ルートに関しては様々な学説があり、伝来時期に関しては放射性炭素年代測定などの調査により、紀元前9世紀ごろに水稲稲作が開始されたと推測されている[18][19][20]。 池橋宏によれば、長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達した[21]。池橋宏は、日本への水稲伝来ルートに関しては、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている[22]。また、佐藤洋一郎によると風張遺跡(八戸)から発見された2800年前の米粒は「熱帯ジャポニカ(陸稲)」であり、「温帯ジャポニカ(水稲)は、弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」と言う[23]。ただし、佐藤洋一郎は稲作が大きな人類集団の渡来を伴ったことには否定的であり[24]、ルートに関しては池上曽根遺跡や唐古・鍵遺跡から出土した弥生米のDNA分析して朝鮮半島には存在しない中国固有の品種が混ざっている事から、朝鮮半島を経由しないルートがあった根拠の一つとしている[25]。 君島和彦、鄭在貞らが共同して造った『日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史』によると、朝鮮半島では前7Cの麻田理遺跡などで水田遺跡が存在しており、縄文時代後半期に稲作とともに北九州に伝わった石包丁などの石器群・農耕具は、朝鮮半島南部で見つかる石器群・農耕具と類似しており、「これらの技術と道具も朝鮮半島から伝わったものであると考えられる」と書いている[26]。
と「朝鮮半島南下ルート説」説に書き換えた理由を説明してください。
>佐藤洋一郎が「黒潮ルート、南方伝来ルート説」と「山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート」の両方を唱えていることになります。
佐藤洋一郎についての記載は「佐藤洋一郎が中国・朝鮮・日本の温帯ジャポニカをSSR(Simple Sequence Repeat)マーカーを用いた遺伝子分布を調査し、日本の温帯ジャポニカの遺伝子情報は、朝鮮半島の遺伝子情報の痕跡はなく、中国大陸の痕跡を残していることを発表した」であり、この記載が「黒潮ルート、南方伝来ルート説」と「山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート」の両方を唱えていることになるいう理由について、論理的にご説明ください。また、この記述の出典となる佐藤洋一郎「稲の日本史」(2002年)、および、知恵蔵2015 稲作伝来ルート (天野幸弘 朝日新聞記者 / 今井邦彦 朝日新聞記者 / 2007年)などを削除した理由もご説明ください。
よしのぶさんが、記事の後述にあるSSR(Simple Sequence Repeat)マーカーを用いた遺伝子解析に全く触れないことについても説明いただければ幸いにございます。
脚注
--青鬼よし(会話) 2015年11月22日 (日) 18:23 (UTC)
- まず「池橋宏出典の記述は大言壮語に違反する」と主張してコメント依頼まで出して他の人の意見を聞いたのですから、それについて結論を出すべきでしょう。青鬼よしさんは、コメント依頼を出しておきながら、すでに一週間後の10月5日にはその議論の対象となる記述を編集しています[94]。青鬼よしさんが「水田稲作は朝鮮半島から(経由して)来た」という説を、削除したがっているのは、今回の編集からもよくわかりますが[95]、上記の議論のコメント依頼を自分で出しておいて無視されるのは、いかがなものか。まずそこを片づけてからにすべきです。
- 以下この編集内容⇒[96]について述べます。
- 青鬼よしさんは、「遺伝子解析の観点からは、佐藤洋一郎が中国・朝鮮・日本の温帯ジャポニカを・・・・日本の温帯ジャポニカの遺伝子情報には、朝鮮半島の痕跡はなく」と書いていますが、出典にしている [97]で佐藤は、「弥生米のDNA分析を行なったところ、朝鮮半島には存在しない中国固有の水稲の品種が混ざっている」と述べており、「朝鮮半島の痕跡はなく」などとは述べていません。「痕跡がない」などと要約できる文章を示してください。書いてもいないことを付け加えるこの編集は虚偽出典を使った独自研究です。また佐藤は「私がジャポニカの起源だと考える長江流域は、案外日本から近いですからね。別のルートで日本に伝来していてもおかしくないんです」と述べており、この表現は説としてまだ成立しておらず、断定的に述べる段階ではない事を示しています。さらにこれ自体が研究論文ではなく、不動産会社アトホームの代表の質問にインタビューに答えたものであり、不動産業界紙 athomeTIMEに掲載されたものの抜粋です[98]。学術論文でなくても、せめて考古学専門誌か、稲作に関係ある専門雑誌を情報源とすべきです。「中国大陸の痕跡を残していることを発表しており」という表現も適切ではありません。
- 「・・・中国大陸の痕跡を残していることを発表しており(詳しくは稲作#概要を参照)」と書いてますが、(稲作#概要)は、この説を詳しく書いているわけでもない。何のためにこれをつけているのでしょうか?
- 『都留信也「稲の道 中国雲南・江南ルート」』[99]を出典としていますが、これは「 「アジア栽培稲が アッサム・雲南地域に起源したという仮説」」について述べており、佐藤洋一郎説に関しては「佐藤洋一郎 によると稲のきた道 が考察されており、中国江南(長 江)流域の中国稲が日本列島へ渡来したルートとしては、江南から直接 渡来したルート以外にも、朝鮮半島経由のルートと南方経由をとりあげている。」(p8)としています。つまり、青鬼よしの編集に反して、佐藤は3ルートの中のどれであるかを確定していないことになります。
- 「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている」と書いています。出典は「日韓歴史共同研究報告書 古代韓日関係の成立 ―弥生文化の主体問題についての検討― 趙法鍾 P48」。公開されています[100]が、p48には、AMS測定に対する韓国学界の懐疑が述べられているだけであり、「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判」などとどこに書かれているのでしょうか?これも虚偽出典です。趙法鍾は「前提条件として弥生文化の起源として韓半島の農耕および青銅器文化」と書いており、こうした考えが広く共通認識とされていることが分かります。
- 出典に「日本大百科全書 「稲」 星川 清親」と書いていますが全25巻の中の何巻で何ページか、確認しますのできちんと書いてください。
- 以上、出典に問題が多くあり、それはすべて「水稲は、朝鮮半島を経ないで伝来した」としたい青鬼よしさんの願望の反映だろうと思われます。何度も消したり、また虚偽出典を繰り返しており(【参照】ノート:稲作#「日本への伝来」節の編集について(2))、目的外利用を指摘せざるをえません。以上の理由から記事を差し戻します。--よしのぶ(会話) 2015年11月23日 (月) 17:18 (UTC)
- こんにちは。「青鬼よし」の部分は「Yoshinobuko」に置きかえて、自分自身に問いかけるのが宜しいかと思います。Yoshinobukoさんが青鬼よしが提示した佐藤洋一郎の「稲作の日本史」を削除してから、宝島社の「逆転の日本史」を根拠に「研究論文ではなく云々」と言われても「はて?」としか答えようがありませんので。現実の「青鬼よし」は「山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート説」に追記をしているように、事実だけを淡々と描いているだけですので。「水稲は朝鮮半島を経て伝来した」という願望の反映がある人だから、こういう考えになってしまうのだろうなぁ…。と感じました。--青鬼よし(会話) 2015年12月23日 (水) 06:01 (UTC)
Wikipedia:大言壮語をしないの内容について
現在Wikipedia:大言壮語をしないでは、ノートでの私の提案が肯定され、 「ウィキペディアの記事では、大言壮語な表現を避けてください[1]。記事の執筆者が、自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないようにしてください」という文言になっています。「自分の言葉で要約して書く際に過剰な形容詞を使わないように」であって「引用した研究者の文章」に含まれている言葉はWikipedia:大言壮語をしないには該当しません。したがって青鬼よしさんの「よしのぶの編集は大言壮語である」という主張は、該当しないことが明白となったことを報告しておきます。--よしのぶ(会話) 2015年11月22日 (日) 15:13 (UTC)
- 「大言壮語」については確かにおっしゃる通りでしょうが、「中立的な観点」から言うと、有力な反対説があるように見える中で「ほとんど議論の余地がないほど明らか」と書いてしまうのは如何なものかと思います。
- もちろん、「ほとんど議論の余地がないほど明らか」説が記事で是非とも言及しなければならないほど有力な説だというのなら良いのですが、今のところは「ほとんど議論の余地がないほど明らか」説を裏付ける出典は一つだけのようですし、ひょっとしたら記事で言及するまでもない泡沫説なのかなという気もしています。(念のために言いますが、朝鮮半島経由説がたとえ通説であったとしても、「議論の余地がない」説が泡沫説ということは充分にありえます)
- 英語版の「検証可能性」の方針のページには"Exceptional claims require exceptional sources."(例外的な主張には例外的な情報源が必要)のような考え方が出ています。私としては、「議論の余地がないほど明らか」のような極端な主張には、それなりに権威のある出典がそれなりの数存在していてほしいと思います。--Dwy(会話) 2015年11月25日 (水) 03:21 (UTC)
- その話はすでにWikipedia‐ノート:大言壮語をしないでの話し合いで出ています。WP:NPOVに沿って「ある本に「ほとんど議論の余地はない」とあったとしても、他の本で違うことが書かれていたら、Aはほとんど議論の余地はないとするが、Bはああだとしている、みたいな書き方になります」で正解だと思います。
- そこで私としては、学術論文や専門雑誌から、別の論を見つけて欲しいと思い、依頼しているのですが、まったく出していただけないのが残念です。
- Dwyさんが「有力な反対説がある」として編集に加わるのでしたら、ぜひそういう著作や論文を見つけ提示していただきたい。
- 私の調査では民俗学者には、「長江下流域から直接渡来説」を唱えている人も20年くらい前まではいました。石毛直道や国分直一、それから諏訪春雄は「稲が運んだ人々」(1996年)という論文を書いています。この中で石毛や国分は必ずしもルートを確定しておらず、「長江下流域から直接来た可能性」をそれなりに論じているのは、諏訪春雄くらいです。これはいづれ、議論が終わったと確認したら、書き込む予定ですが。
- ただ、これらの説の欠点は、「組織的水田稲作の伝来を説明しておらず」「漂着」説だと池橋は書いています。つまり、ただの漂着のような形で、稲のプラントが運ばれたというわけです。
- そこで考古学者に目を向けるとここ20年で有力なのは、九州大学の岡崎敬論文『稲作の考古学』、少し古いが春成る秀麗に佐原真、寺沢薫、寺沢薫、藤尾慎一郎の『縄文論争』など全てが、「朝鮮半島から来た説」です。考古学では、「朝鮮半島を経由しない」という論文を最近は見つからないので、池橋が述べているように「ほとんど議論の余地がないほど明らか」なのでしょう。--よしのぶ(会話) 2015年11月25日 (水) 10:07 (UTC)
- WP:NPOVについてはよく誤解がありますが、対立する説を何でもかんでも併記すれば中立的というわけではありません。「○○だ」がメジャーな有力説で、「XXだ」がマイナーな少数説であるときに、「Aは○○だと主張し、BはXXだと主張している」と同列に並べるのは中立的ではありません。また、「△△だ」が誰もが認める通説であるなら、「Cは△△だと言っている」と書くこと自体が(Cに過度の注目を集めている点で)中立的とは言えません。対立するそれぞれの説が世間で(=信頼できる情報源において)どのように受容されているか、第三次資料等を参考にしながら適切な重み付けを行って、バランスよく記述する(=バランスが悪ければ記述しない)必要があります。
- もう一度言いますが、たとえ「朝鮮半島経由説」が通説であったとしても、「ほとんど議論の余地がない」ことにはなりません。既に記事の中で中国大陸から直接伝播した可能性を示唆する説が出ていることですし、「ほとんど議論の余地がない」のような極端な説を記載するのなら、朝鮮半島を経由しないルートの可能性を明示的・積極的に否定する出典がそれなりの数存在していてほしいと思います。--Dwy(会話) 2015年11月30日 (月) 14:43 (UTC)
- すでに「*Dwyさんが「有力な反対説がある」として編集に加わるのでしたら、ぜひそういう著作や論文を見つけ提示していただきたい」と聞いております。その「有力な反対説」をまず示していただけますか?話はそれからという事で。
- 「たとえ「朝鮮半島経由説」が通説であったとしても、「ほとんど議論の余地がない」ことにはなりません」だそうですが、
- 「朝鮮半島経由説」が通説であったとしたら、池橋氏が「ほとんど議論の余地がない」と書いても別はおかしくありませんけど。
- これに対して、「いや、議論の余地はたくさんあるんだ」と反論した専門家の論文等があるなら、ちゃんと示してください。
--よしのぶ(会話) 2015年12月4日 (金) 07:46 (UTC)
- 既に記事の中に「弥生米のDNA分析して朝鮮半島には存在しない中国固有の品種が混ざっている事から、朝鮮半島を経由しないルートがあった根拠の一つとしている」という説が出ていますね。また、日中共同歴史研究が、弥生人が発達した稲作文明を持っていたとした上で、そのルーツについて「中国の江南人が直接海を渡って日本に到達した可能性はある」としていることも、既にこれまでの議論の中で指摘されています。どれが通説かは別にして、様々な説が存在することは教科書や事典の類をちょっと調べただけでもすぐに分かることです。
- それから、ある説が通説だということと、議論の余地が無いということは、全く違うことです。こんなところを混同していたのでは、まともな話にはなりません。--Dwy(会話) 2015年12月5日 (土) 17:45 (UTC)
- 「ある説が通説だということと、議論の余地が無いということは、全く違うことです。こんなところを混同していたのでは、まともな話にはなりません。」とケンカごしにならないようにしてください。
- 混同しているのは、明らかにDwyさんの方ですね。「ある説が通説だということと、議論の余地が無いということは、全く違うことです」というのは池橋 宏教授に説教しているのでしょうか?
- 「ほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」というこの文章は研究者が自分の著作に書いている文章です。これに対して別の研究者が反論しているならば、その論文や著作から、「いや、まだまだ議論の余地がある」とか「水稲が中国から海流にのって直接来たという説が有力になっている。」とかいう文章を見つけてくればよいものと思われます。「異説があるよ」というだけでは、それは最初から分かっている話であり、意味がありません。
- 池橋 宏教授が書いているのは「ほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」であって、これは「まったく議論の余地がない」と言っているわけではありません。実際に著作の中で様々な説について、書いています。また、すでにこれまで述べたように、「文化人類学者は稲作の伝播について深く分析し、それによって日本の弥生時代の移民の起源となる地について推測した」という日中歴史共同研究出典の文章は「稲作」についての言及ですから、これを出典として本文に書きこむのは、特に反対はしません。「推測した」のは事実ですから。しかし「推測した」は「有力な説」に変化可能ではありません。共同研究が述べた日本の文化人類学者とは、「海上の道」を唱えた折口信夫などでしょう。それを書きこむことは記事を豊かにするものと思われます。またその流れを受けて諏訪春雄らの論文も20年くらい前には書かれていることを示しましたので、編集に参加するなら調べて書込めばよいものと思われます。--よしのぶ(会話) 2015年12月6日 (日) 10:26 (UTC)
- 「異論がある」なら「ほとんど議論の余地がない」ではないことは明らかですよね。それから、いつまでも「〜とかいう文章を見つけてくればよい」と言い続けておられますが、私としては、既に記事の中や議論の過程で充分な情報源の提示がなされていると思っています。
- どうやっても話が全く噛み合わないようだから、これ以上議論してもまともな話にはなりそうにないと言っているだけで、別にケンカごしというわけではありません。WP:DRに従うなら、相手と話し合って結論がでないなら、第三者を入れて話し合うことになります。もともと私としては、よしのぶさんと青鬼よしさんの論争に第三者として参加したつもりでしたが、青鬼よしさんと私のほか、ろっそ77さんも「ほとんど議論の余地がない」は不要という意見だと思います。更に、上で「案1」に賛成されていたApple2000さんも「ほとんど議論の余地がない」はなくても良いというご意見だと思います。。「ほとんど議論の余地がない」が必要だと言っているのは、よしのぶさんだけのような気がするのですが、違いますか?--Dwy(会話) 2015年12月7日 (月) 16:36 (UTC)
- 合意は多数決ではありませんので人数を言われても無意味だと思いますが。
- 青鬼よしさんは「大言壮語をしない」を問題視していますが、これについてはすでに問題ないことが明白です。ろっそ77さんは「特筆性の観点」からですが、特筆性の観点から不要だという理由をまだ説明していただいておりません。
- Dwyさんのいう「「異論がある」なら「ほとんど議論の余地がない」ではないことは明らかですよね。」にはなりません。池橋 宏教授自身の著作を読めば分かる話ですが、様々な説について述べながら、最近の研究では「ほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べているのであって、こうした出典のある記述を特に正当な理由(たとえば虚偽出典)が無い限り削除する理由はありません。
- 「既に記事の中や議論の過程で充分な情報源の提示がなされていると思っています」--まったく示されておりません。
--よしのぶ(会話) 2015年12月12日 (土) 13:35 (UTC)
- 合意は単純な多数決ではありませんが、人数が無意味なわけではありません。主張の趣旨を説明した結果として賛同者が現れたということは、その主張の妥当性が確認されたということですし、長期にわたって主張を続けているのに賛同者が現れないということは、その主張が妥当性に欠けることの証しです。議論を尽くした後の賛同者の数は、主張の妥当性を図るバロメーターになります。ウィキペディアのコミュニティが多数決の弊害を認識しながらも、Wikipedia:論争の解決のステップ4で「投票」による解決を定めているのは、その意味です。--Dwy(会話) 2015年12月12日 (土) 14:24 (UTC)
- 青鬼よしさんは「大言壮語をしない」を問題視していますが(すでに問題ない事は論証されています)、ろっそ77さんは「特筆性の観点」からです(まだ何の説明もありませんが)
- Dwyさんは「中立性の観点」に問題があるから削除しろということですが、もし指摘される文章が偏っていたとしてもWikipedia:中立的な観点/FAQに書かれているようにそれは削除の理由にはなりません。またこの記事はWikipedia:中立的な観点#中立的な観点とはに沿って、意見を事実として書かないように「●●は・・と述べている」という形式を使っており、中立的な観点の上からは問題を発見できません。偏っているとさえ言えません。
- すでにDwyさんには、「「有力な反対説がある」として編集に加わるのでしたら、ぜひそういう著作や論文を見つけ提示していただきたい」と依頼しておりますが、一向に出していただいておりません。「ほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」というこの文章は研究者が自分の著作に書いている文章です。これに対して別の研究者が反論しているならば、その論文や著作から、「いや、まだまだ議論の余地がある」とか「水稲が中国から海流にのって直接来たという説が有力になっている。」とかいう文章を見つけてくればよいものと思われます。「異説があるよ」というだけでは、それは最初から分かっている話であり、意味がありません。「文化人類学者は稲作の伝播について深く分析し、それによって日本の弥生時代の移民の起源となる地について推測した」という日中歴史共同研究出典の文章を何らかの形で書くのは特に問題はありませんが、「文化人類学者は稲作の伝播について深く分析し」たというだけであり、分析の内容が書かれているわけではありませんから、注意が必要です。--よしのぶ(会話) 2015年12月21日 (月) 15:30 (UTC)
特筆性の観点から「ほとんど議論の余地がない」のくだりは必要なんでしょうか?この一文は言ってみれば、俺の説は正しいんだと自著で書いてるということですよね。本人の項目ならまだしも稲作の項目に書く必要があるんでしょうか?ましてやこういった起源等に関する学説は、新しい発見や測定方法などがあればすぐに定説が変わる分野ですよね。さまざまな説があって当然で今後も答えが出ないことに関して、『俺の説が正しいと書いている』と載せる意味がどこにあるのでしょうか--ろっそ77(会話) 2015年12月2日 (水) 10:46 (UTC)
- 「特筆性の観点から「ほとんど議論の余地がない」のくだりは必要なんでしょうか?」という事ですが、特筆性の観点から不要だというのなら、それがなぜか?をきちんと述べるべきです。「俺の説は正しいんだと自著で書いてるということですよね」・・・どこにそんな事を書いているわけですか?「『俺の説が正しいと書いている』と載せる」とは何のことでしょうか?「さまざまな説がある」というのなら、様々な説をどんどんもってきてください。いづれにせよ、それは「特筆性」にまるで関係がありません。--よしのぶ(会話) 2015年12月4日 (金) 07:30 (UTC)
- ここで言う「特筆性」は、[Wikipedia:独立記事作成の目安]を指すWikipedia用語ではなく、「特に記述する必要があるかどうか」の意味の一般的な言葉ですね。そこのところが少しだけ紛らわしいだけで、ろっそ77さんは、なぜ記述が不要かをきちんと述べておられます。少なくとも私には、論旨が充分理解できます。--Dwy(会話) 2015年12月7日 (月) 16:36 (UTC)
- 「特筆性の観点から「ほとんど議論の余地がない」のくだりは必要なんでしょうか?」という事ですが、特筆性の観点から不要だというのなら、それがなぜか?をきちんと述べるべきです。「俺の説は正しいんだと自著で書いてるということですよね」・・・どこにそんな事を書いているわけですか?「『俺の説が正しいと書いている』と載せる」とは何のことでしょうか?「さまざまな説がある」というのなら、様々な説をどんどんもってきてください。いづれにせよ、それは「特筆性」にまるで関係がありません。--よしのぶ(会話) 2015年12月4日 (金) 07:30 (UTC)
wikipediaの方針やガイダンスの示す「特筆性」でないなら、なおさら削除する理由になりません。--よしのぶ(会話) 2015年12月12日 (土) 13:35 (UTC)
「水稲の伝来」節の位置について
なぜ今の位置(「日本への伝来」の章の導入部の直後、「概要」節の前) にあるのでしょう?時系列順の記述という意味では、「水田稲作の開始」の節にまとめて記載する方が分かりやすいと思うのですが?--Dwy(会話) 2015年12月3日 (木) 03:33 (UTC)
- この位置になったのは、この編集からです。[101]この概要節は不要なので、内容中で出典のあるものは、ほとんどの記述が重複している「日本への伝来」(のすぐ下)にまとめるべきですね。
- 「温帯ジャポニカの遺伝子のSSR領域にはRM1-aからhの8種類のDNA多型が存在する。中国にはRM1-aからhの8種類があり、RM1-bが多く、RM1-aがそれに続く。朝鮮半島にはRM1-bを除いた7種類が存在し、RM1-aがもっとも多い。朝鮮半島ではRM1-bを持つ品種は存在しない。日本にはRM1-a、RM1-b、RM1-cの3種類が存在し、RM1-bが最も多い。RM1-aは東北も含めた全域で、RM1-bは西日本を中心に発見されている。」は検証可能性を満たさないので削除します。残したい方は出典を付けてください。一週間待ちます。--よしのぶ(会話) 2015年12月4日 (金) 08:17 (UTC)
- ここで問題提起しているのは「水稲の伝来」の節。よしのぶさんが加筆して[102]、節を新設された部分です[103]。陸稲が先に存在していたという説がある中で、水稲だけをこの位置で言及するのは意味不明ですし、関連する記述があちこちにバラバラに点在していると分かりにくいので、「水田稲作の開始」の節にまとめるべきだと思います。
- よしのぶさんが挙げておられるApple2000さんが加筆された部分は、とりあえず(今のところは)問題視していません。
- 「温帯ジャポニカの遺伝子」に関する記述については、ネット上で探しただけでもここに言及されていますね。孫引きで良ければここにもあります。出典が無いわけではありません。
- もっとも「温帯ジャポニカの遺伝子」云々は、内容的に「日本への伝来」の「概説」とは言いにくい。現在「水稲の伝来」節に記載されている弥生米のDNA分析の話とまとめて、「水田稲作の開始」の節に移すのが良いと思います。--Dwy(会話) 2015年12月5日 (土) 16:08 (UTC)
- 概要節が無くなれば、ひとつながりになるのでそう提案したのです。概要にはほかのところで述べられている内容の繰り返しも多いので、ほとんど不要だと思います。
- 「出典が無いわけではありません」というのであれば、本文に出典をつけてください。--よしのぶ(会話) 2015年12月6日 (日) 10:37 (UTC)
- 「概要」節について、よしのぶさんは「不要」とおっしゃっていますし、私も今の場所にあるのは場違いだと思います。一旦除去した上で必要な情報があれば適切な箇所に加筆するという手順を提案します。--Dwy(会話) 2016年1月16日 (土) 07:59 (UTC)
- こんにちは。下記の提案(「日本への伝来」の構成につきまして)では、現在の「概要」については「 黒潮ルート、南方伝来ルート説」に含ませていただいておりますので、「日本への伝来」の構成が固まりましたら、反映いたします。--青鬼よし(会話) 2016年1月16日 (土) 12:11 (UTC)
- 構成が全部合意できるのはいつになるかわからないし、取り敢えずこの部分は異論が出る可能性が少ないと思うので、先行して反映しました。--Dwy(会話) 2016年1月16日 (土) 12:38 (UTC)
- かしこまりました。Dwyさんの更新に併せて「黒潮ルート、南方伝来ルート説」も先行して更新させていただきましたので、よろしくお願いします。--青鬼よし(会話) 2016年1月16日 (土) 13:16 (UTC)
- 構成が全部合意できるのはいつになるかわからないし、取り敢えずこの部分は異論が出る可能性が少ないと思うので、先行して反映しました。--Dwy(会話) 2016年1月16日 (土) 12:38 (UTC)
- 「水稲の伝来」節については、「水田稲作の開始」と内容的にかぶるので、「水田稲作の開始」の位置にまとめようという提案をしています。つまり、時系列に従って、まず縄文稲作について記載し、その後に水稲伝来→水田稲作の開始の話を書いていくということです。これでいけないというご指摘は、今の所ないようにみえますが、いかがでしょうか?--Dwy(会話) 2016年1月16日 (土) 07:59 (UTC)
- 異論が出てこないようなので、記述内容の整理を実行します。--Dwy(会話) 2016年1月31日 (日) 17:28 (UTC)
佐藤洋一郎「稲の日本史」の出典などが削除されている件について
佐藤洋一郎「稲の日本史」などの出典が、よしのぶさんによって削除が続けられています。[104][105]
佐藤洋一郎「稲の日本史」のP104~p106は「温帯ジャポニカの遺伝子のSSR領域にはRM1-aからhの8種類のDNA多型が存在する。中国にはRM1-aからhの8種類があり、RM1-bが多く、RM1-aがそれに続く。朝鮮半島にはRM1-bを除いた7種類が存在し、RM1-aがもっとも多い。朝鮮半島ではRM1-bを持つ品種は存在しない。日本にはRM1-a、RM1-b、RM1-cの3種類が存在し、RM1-bが最も多い。RM1-aは東北も含めた全域で、RM1-bは西日本を中心に発見されている。」について説明しており[106]、MR1b遺伝子が中国と日本では高い割合で分布し、朝鮮半島の在来品種の中に見つからないという点から、この遺伝子を持つ水稲が、中国大陸から直接日本へ到達したことを証明する根拠の1つとされます。
この出典を削除したよしのぶさんは、水稲の日本への伝播について「現在では朝鮮半島経由説が主流です」[107]という立場であり、この出典を削除した後に以下の宣言をされております。[108]
「温帯ジャポニカの遺伝子のSSR領域にはRM1-aからhの8種類のDNA多型が存在する。中国にはRM1-aからhの8種類があり、RM1-bが多く、RM1-aがそれに続く。朝鮮半島にはRM1-bを除いた7種類が存在し、RM1-aがもっとも多い。朝鮮半島ではRM1-bを持つ品種は存在しない。日本にはRM1-a、RM1-b、RM1-cの3種類が存在し、RM1-bが最も多い。RM1-aは東北も含めた全域で、RM1-bは西日本を中心に発見されている。」は検証可能性を満たさないので削除します。残したい方は出典を付けてください。一週間待ちます。
また、よしのぶさんは「日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史」の17ページ「麻田里遺跡(韓国:忠清南道論山)紀元前 6 〜 5 世紀の遺跡で、墓域,住居跡,水田跡、さらに溜め池などの灌漑施設がそろった初期水田遺構が確認された。」の出典を削除し、麻田理遺跡について以下の記載をしております。
{{quotation|君島和彦、鄭在貞らが共同して造った『日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史』によると、朝鮮半島では前7Cの麻田理遺跡などで水田遺跡が存在しており…}}
よしのぶさんは「自分が信奉する説以外は削除したい」[109]とのことですが、実際に行うことは二度と行わないでください。冒頭部分は元の状態に戻し、よしのぶさんの記載は朝鮮半島南東部ルート説に移動しておきます。
--青鬼よし(会話) 2015年12月23日 (水) 05:35 (UTC)
追記
よしのぶさんによって、山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート説から、宮崎大学農学部附属農業博物館の宇田津徹朗館長の「経由地域の気候的な位置づけから、畑作系轄の農業技術を背景にもっている点、さらに、山東半島地域での稲作が山東龍山文化期まで遡る点など、技術系譜や時代の前後関係において一定の整合性が認められており、現段階では、最も可能性高いルートとしている」も出典ごと削除されておりました。--青鬼よし(会話) 2015年12月23日 (水) 06:24 (UTC)
- まったく理解不能なのですが、「残したい方は出典を付けてください。一週間待ちます。」と述べて出典を要求するのが何か問題でしょうか?[110]出典の無い記事には出典をつけてください。よろしくお願いします。
- 私が「日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史」の17ページ「麻田里遺跡(韓国:忠清南道論山)紀元前 6 〜 5 世紀の遺跡で、墓域,住居跡,水田跡、さらに溜め池などの灌漑施設がそろった初期水田遺構が確認された。」の出典を削除したということですが、それはどの編集の話ですか?
- 青鬼よしさんの編集の問題点についてはすでにここで指摘しています。(ノート:稲作#遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説を冒頭に移動した件につきまして)[111]もう2カ月も前の話です。記事を差し戻すことを述べており、その後、具体的な反論は何もなかったのでご理解していただいたものと思いましたが、もう一度指摘させていただきます。
- 青鬼よしさんは、「遺伝子解析の観点からは、佐藤洋一郎が中国・朝鮮・日本の温帯ジャポニカを・・・・日本の温帯ジャポニカの遺伝子情報には、朝鮮半島の痕跡はなく」と書いていますが、出典にしている [112]で佐藤は、「弥生米のDNA分析を行なったところ、朝鮮半島には存在しない中国固有の水稲の品種が混ざっている」と述べており、「朝鮮半島の痕跡はなく」などとは述べていません。「痕跡がない」などと要約できる文章を示してください。書いてもいないことを付け加えるこの編集は虚偽出典を使った独自研究です。また佐藤は「私がジャポニカの起源だと考える長江流域は、案外日本から近いですからね。別のルートで日本に伝来していてもおかしくないんです」と述べており、この表現は説としてまだ成立しておらず、断定的に述べる段階ではない事を示しています。さらにこれ自体が研究論文ではなく、不動産会社アトホームの代表の質問にインタビューに答えたものであり、不動産業界紙 athomeTIMEに掲載されたものの抜粋です[113]。学術論文でなくても、せめて考古学専門誌か、稲作に関係ある専門雑誌を情報源とすべきです。「中国大陸の痕跡を残していることを発表しており」という表現も適切ではありません。
- 「・・・中国大陸の痕跡を残していることを発表しており(詳しくは稲作#概要を参照)」と書いてますが、(稲作#概要)は、この説を詳しく書いているわけでもない。何のためにこれをつけているのでしょうか?
- 『都留信也「稲の道 中国雲南・江南ルート」』[114]を出典としていますが、これは「 「アジア栽培稲が アッサム・雲南地域に起源したという仮説」」について述べており、佐藤洋一郎説に関しては「佐藤洋一郎 によると稲のきた道 が考察されており、中国江南(長 江)流域の中国稲が日本列島へ渡来したルートとしては、江南から直接 渡来したルート以外にも、朝鮮半島経由のルートと南方経由をとりあげている。」(p8)としています。つまり、青鬼よしの編集に反して、佐藤は3ルートの中のどれであるかを確定していないことになります。
- 「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている」と書いています。出典は「日韓歴史共同研究報告書 古代韓日関係の成立 ―弥生文化の主体問題についての検討― 趙法鍾 P48」。公開されています[115]が、p48には、AMS測定に対する韓国学界の懐疑が述べられているだけであり、「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判」などとどこに書かれているのでしょうか?これも虚偽出典です。趙法鍾は「前提条件として弥生文化の起源として韓半島の農耕および青銅器文化」と書いており、こうした考えが広く共通認識とされていることが分かります。
- 出典に「日本大百科全書 「稲」 星川 清親」と書いていますが全25巻の中の何巻で何ページか、確認しますのできちんと書いてください。
- 以上、出典に問題が多くあり、それはすべて「水稲は、朝鮮半島を経ないで伝来した」としたい青鬼よしさんの願望の反映だろうと思われます。何度も消したり、また虚偽出典を繰り返しており(【参照】ノート:稲作#「日本への伝来」節の編集について(2))、目的外利用を指摘せざるをえません。以上の理由から記事を差し戻しています。--よしのぶ(会話) 2016年1月8日 (金) 08:31 (UTC)
「水稲の伝来」節の構成について
「水稲の伝来」節の記述につきまして、9月から会話を行っておりますが未だに合意を得られない状況です。上記に記載したように自身の主張に沿わない内容を出典ごと記載の削除を行う行為が続くため、当事者どうしでの解決は困難と判断し、皆様のご意見を賜りたく。--以上の署名のないコメントは、青鬼よし(会話・投稿記録)さんが 2015年12月23日 (水) 05:35 (UTC) に投稿したものです(Yapparina(会話)による付記)。
論点
「水稲の伝来」節は以下の内容で構成されております。
- 日本への伝来
- 概要
- 伝来ルート
- 1 黒潮ルート、南方伝来ルート説
- 2 遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説
- 3 遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説
- 4 山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート説
問題の箇所は、記事の冒頭「 日本への伝来」になります。下記の2案につきまして、第三者から見た意見をお願いします。
案1
日本への水稲伝来ルートに関しては様々な学説があり(稲作#伝来ルートを参照)、遺伝子解析の観点からは、佐藤洋一郎が中国・朝鮮・日本の温帯ジャポニカをSSR(Simple Sequence Repeat)マーカーを用いた遺伝子分布を調査し、日本の温帯ジャポニカの遺伝子情報には、朝鮮半島の痕跡はなく、中国大陸の痕跡を残していることを発表しており(詳しくは稲作#概要を参照)[18][19]、また、近畿地方の弥生時代遺跡である大阪府の池上曽根遺跡、奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡から出土した(生時代前期(2200-2300年前)の水稲炭化米が2001年6月までのDNA分析で、長江下流付近など中国の温帯ジャポニカ種と同一種であることも判明している[20]。伝来時期に関しては、放射性炭素年代測定の結果から、紀元前9世紀ごろとされている[21][22][23]が、朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている[24]。人類学的な知見からは、日本の稲作の歴史は、縄文時代晩期に中国大陸の南部から、稲作技術をもった人々が渡来したことにより始まったと考えられている[25]が、大きな人類集団の渡来を伴ったことには否定的な見解もある[26]。[18]佐藤洋一郎「稲の日本史」角川選書 (2002年)104-105p
[19]稲のたどってきた道 2001年9月 (佐藤洋一郎に対するインタビュー記事) [116]
[20]知恵蔵2015 稲作伝来ルート (天野幸弘 朝日新聞記者 / 今井邦彦 朝日新聞記者 / 2007年)
[21]弥生時代の開始年代について (国立歴史民俗博物館)[117]
[22]稲作伝来、500年早まる 国立歴史民俗博物館が発表 (朝日新聞東京本社発行 5月20日付朝刊)
[23]都留 信也 「稲の道 中国雲南・江南ルート」公開日 2009/08/07 [118]p8 (これは出典先が正しく指定されていません)
[25]日韓歴史共同研究報告書 古代韓日関係の成立 ―弥生文化の主体問題についての検討― 趙法鍾 P48
[26]日本大百科全書 「稲」 星川 清親
[27]イネにおける栽培と栽培化 佐藤洋一郎 18ページ[119]
案2
日本への水稲伝来ルートに関しては様々な学説があり、伝来時期に関しては放射性炭素年代測定などの調査により、紀元前9世紀ごろに水稲稲作が開始されたと推測されている[18][19][20]。禰宜田佳男によれば、縄文時代後期後半は朝鮮半島由来の土器や石器が出土するにしてもこの時点では稲作は狩猟や採集の生活を補足するものであった[21]。池橋宏によれば、長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達した[22]。池橋宏は、日本への水稲伝来ルートに関しては、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている[23]。ただし広瀬和雄は、「中国大陸から戦乱に巻き込まれた人達が渡来した」というような説は水田稲作が紀元前8世紀には渡来したのであれば「もう成立しない」としている[24]。また山崎純男は、朝鮮半島から最初に渡来したのは支石墓を伴った全羅南道の人々で、遅れて支石墓を持たない慶尚道の人が来たと述べている[24]。佐藤洋一郎によると風張遺跡(八戸)から発見された2800年前の米粒は「熱帯ジャポニカ(陸稲)」であり、「温帯ジャポニカ(水稲)は、弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」と言う[25]。ただし、佐藤洋一郎は稲作が大きな人類集団の渡来を伴ったことには否定的であり[26]、ルートに関しては池上曽根遺跡や唐古・鍵遺跡から出土した弥生米のDNA分析して朝鮮半島には存在しない中国固有の品種が混ざっている事から、朝鮮半島を経由しないルートがあった根拠の一つとしている[27]。君島和彦、鄭在貞らが共同して造った『日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史』によると、朝鮮半島では前7Cの麻田理遺跡などで水田遺跡が存在しており、縄文時代後半期に稲作とともに北九州に伝わった石包丁などの石器群・農耕具は、朝鮮半島南部で見つかる石器群・農耕具と類似しており、「これらの技術と道具も朝鮮半島から伝わったものであると考えられる」と書いている[28]。[18][19][20]は依頼者が提示した出典[21][22][23]のまま
[21]広瀬和雄『弥生時代はどう変わるか 歴博フォーラム 炭素14年代と新しい古代像を求めて』p118、禰宜田佳男「水田稲作の受容と展開」 [22]池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62、講談社選書
[23]池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62、講談社選書
[24]広瀬和雄『弥生時代はどう変わるか 歴博フォーラム 炭素14年代と新しい古代像を求めて』p169 [25]逆転の日本史編集部『日本のルーツがわかる本』第2章 「植物遺伝学」・「動物考古学」・「微古生物学」からのアプローチ(米―日本列島に最初に「稲作」を持ち込んだのは縄文人だった! p84、p88
[26]依頼者が提示した出典[27]のまま
[27]稲のたどってきた道 2001年9月 (佐藤洋一郎に対するインタビュー記事) [120]
[28]歴史教育研究会【編】『日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史』p23-p24
案1に対するコメント
案2に対するコメント
- 案2の記述は、水稲に限定されない農耕器具や水稲と関係のない支石墓の説明が含まれているなど、総じて冗長であり、記事の冒頭に記載するには向いていない。(記載するならば、朝鮮半島南部ルート説の節に記載すべき内容である。)--青鬼よし(会話) 2015年12月31日 (木) 09:10 (UTC)
- 記載内容についても『佐藤洋一郎によれば「温帯ジャポニカ(水稲)は、弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」言う、ただし、佐藤洋一郎は稲作が大きな人類集団の渡来を伴ったことには否定的であり…』など整合性の取れていない記載が多く、説明の体を成していない。--青鬼よし(会話) 2015年12月31日 (木) 09:10 (UTC)
第三者のコメント
現在の「日本への伝来」から「日本国内での歴史」にかけての記述は、以下のような問題を抱えていると思います。
- 全体的な章立ての構成や各節の役割分担が意識されていない
- 内容的に重複する記述があちこちに散在している
- 記事に記載すべき情報と記述しなくてもよい情報の重み付けが、ちゃんとできていない
- 出典中の記述が文脈抜きで断片的に紹介されており、それぞれの学者の説の全体像を掴むのが、却って難しくなっている
ということで、私としては、「日本への伝来」および「日本国内での歴史」の章立てを、以下のように再構成することを提案します。
- 2.2 日本への伝来
- 2.2.1 伝来ルート
- 2.2.2 縄文稲作の可能性
- 2.2.3 水田稲作の開始
- (「江戸時代から現代」の節の記述は、「日本に於ける栽培技術と品種改良」の節に移してまとめる。)
また、各学説については、三次資料等の情報に基づいて適切な重み付けをすべきですし、あまり細かな内容をくどくど書くよりは、概要を分かりやすく簡潔に述べる方が良いとも思います。--Dwy(会話) 2015年12月23日 (水) 08:54 (UTC)
コメント個別にコメントの依頼があったので来ました。ただ、私はこの件に関して突っ込んだ知識や見解はもっておらず、具体的な内容の是非というよりは外観上のこと、Wikipedia:合意形成やWikipedia:論争の解決の観点からのコメントとさせてください。(中身に突っ込めないのは私にその能力がないからです)
- 現時点では、「伝来」の詳細について確定的な情報を提供できるようなレベルでの「定説」は専門家のあいだでも形成されておらず、ここで書かれることは「歴史的事実」というよりは「研究史」というようなものである。詳述しようとすればするほど、見解(学説)の相違点が出てきてしまい、書くのが難しくなります。この記事は「稲作」という大記事なので、「諸説ある」ぐらいにとどめておいて、構成としては、「○○説」みたいな格好でいくつかの説を(バランスよく)並列していくしかないかなあと思います。具体的な詳細は、「稲作の伝来に関する研究」みたいな記事を別につくるか、場合によっては「説」ごとに記事を分けたほうが「バランスの良さ」は確保できるかなあというように思います。「植物」の記事で「リンゴと青リンゴの違い」を書かないのと同じ。--柒月例祭(会話) 2015年12月23日 (水) 10:32 (UTC)
ちょっと個別の話になってしまって申し訳ないのですが、池橋さんの『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』の62頁を読めば、池橋さんが三つの説のうち「朝鮮半島南部経由」説がほぼ確実で、それを前提として論を進めているというのはわかりますが、池橋さん御本人の説(主張)は、173頁を読めばわかります。①生業の要素や工芸品の一部が朝鮮半島を経由して「ほとんど直接に」長江流域から日本へ導入された可能性、②朝鮮半島には長らく定着せず、さらに西日本へ来たという可能性 というのが池橋さんの説 (主張)ですので、この記事の本文で「池橋宏によれば、」という書き方をするのならば、62頁のものを書いてはいけないとは言いませんが、173頁のものは書かなくてはいけないのではないかと思います。Takabeg(会話) 2015年12月23日 (水) 10:42 (UTC)
コメントの要望がありましたのでコメントします。ただし、私はこの記事の主題に対して知識はありませんし、今から各種文献にあたり事実関係を調べてこの記事の編集に主体的にコミットメントする気もありませんので、具体的な文案は提示せず、外野から思ったことを言うだけに留めることをご了承ください。
青鬼よしさんの論点とは異なりますが、ひとまず思ったのは、稲作という本来は世界的な様々な地域に関わる大きな話題にも関わらず、現在の記事は日本の話題に偏りすぎかと思います。「日本の稲作」などの名称で日本の稲作に関する話題を分割されることをお勧めします。分割してもそれなりの量の記述がこの記事には残りますので問題はないと思います。
記事の問題点については、Dwyさんが上記で4点あげたこととほぼ同じことを思いました。この点においては、上記の2つの依頼者?の文と被依頼者?の文、どちらも優れているとも思わず、大きな差はないと感じます。現在の「日本への伝来」以下の構成は整理できておらずとても内容が理解しにくい状況です。例えば、突如「概要」という節が現るなど。
WP:NPOVの観点から論争になっている点ですが、案として、現在の「日本への伝来」以下に散らばっている伝来ルートに関する全ての意見・主張は各説のセクションに収め、今の概要的な「水稲の伝来」節は廃止されてはいかがでしょうか。概要的な節が存在し、そこの中の記述を争っていることが編集合戦が起きている原因の一つのように思いました。うまく重みづけしながら一つのまとまった文章を構成するのが理想ですが、それが無理そうなら(合意形成できなさそうなら)、以下のような構成にして、各説のセクションの中で、各説に関する主張を書きたいだけ書かれてはいかがでしょうか。そうすれば、とりあえず編集合戦は避けられ、それぞれが書きたい説を書くことに集中できます。
- 2.2 日本への伝来
- ~~~日本への伝来ルートに関しては、以下のように様々な学説がある。
- 2.2.1 伝来ルート各説
- 2.2.1.1 対馬暖流ルート説
- 2.2.1.2 黒潮ルート、南方伝来ルート説
- 2.2.1.3 遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説
- 2.2.1.4 山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート説
- 2.2.1.5 その他の説
説の分け方は現在の記事を流用してるだけです。もっと適切な分類があるならそちらを採用ください。--Yapparina(会話) 2015年12月23日 (水) 12:23 (UTC)ちょっと修正。--Yapparina(会話) 2015年12月23日 (水) 12:31 (UTC)
- 「上記に記載したように自身の主張に沿わない内容を出典ごと記載の削除を行う行為が続くため・・・」という虚偽が書かれています[121]。
- 青鬼よしさんの編集の問題点はすでに11月24日には指摘しています。[122]
- 整理すれば、ほとんどが虚偽記載です。
- これに対して青鬼よしさんは、まったく反論も説明もしないまま、リパートを繰り返し、私の編集した部分を全削除しています[123]。
- 青鬼よしさんはリパートする前にまず、虚偽記載をした部分や出典不明瞭な部分について説明をし、また私の編集して来た部分がいかなる問題があって削除したのかを述べるべきです。--よしのぶ(会話) 2016年1月8日 (金) 09:01 (UTC)
現在の稲作#水稲の伝来の問題点について
稲作#水稲の伝来の青鬼よしさんの編集についてですが、まず第一に、私の編集してきた部分が何の指摘もなく削除され、代わって虚偽出典の疑いが濃い記載が多くなされています。[124]
日本への水稲伝来ルートに関しては様々な学説があり、伝来時期に関しては放射性炭素年代測定などの調査により、紀元前9世紀ごろに水稲稲作が開始されたと推測されている 。 日本への水稲伝来ルートに関しては様々な学説があり(稲作#伝来ルートを参照)、遺伝子解析の観点からは、佐藤洋一郎が中国・朝鮮・日本の温帯ジャポニカをSSR(Simple Sequence Repeat)マーカーを用いた遺伝子分布を調査し、日本の温帯ジャポニカの遺伝子情報には、朝鮮半島の痕跡はなく、中国大陸の痕跡を残していることを発表しており(詳しくは稲作#概要を参照)[18][19]、また、近畿地方の弥生時代遺跡である大阪府の池上曽根遺跡、奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡から出土した(生時代前期(2200〜2300年前)の水稲炭化米が2001年6月までのDNA分析で、長江下流付近など中国の温帯ジャポニカ種と同一種であることも判明している[20]。伝来時期に関しては、放射性炭素年代測定の結果から、紀元前9世紀ごろとされている[21][22][23]が、朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている[24]。人類学的な知見からは、日本の稲作の歴史は、縄文時代晩期に中国大陸の南部から、稲作技術をもった人々が渡来したことにより始まったと考えられている[25]が、大きな人類集団の渡来を伴ったことには否定的な見解もある[26]。
これの出典を一つ一つ検証・照合した結果がこれです。
- 青鬼よしさんは、「遺伝子解析の観点からは、佐藤洋一郎が中国・朝鮮・日本の温帯ジャポニカを・・・・日本の温帯ジャポニカの遺伝子情報には、朝鮮半島の痕跡はなく」と書いていますが、出典にしている [125]で佐藤は、「弥生米のDNA分析を行なったところ、朝鮮半島には存在しない中国固有の水稲の品種が混ざっている」と述べており、「朝鮮半島の痕跡はなく」などとは述べていません。「痕跡がない」などと要約できる文章を示してください。書いてもいないことを付け加えるこの編集は虚偽出典を使った独自研究です。また佐藤は「私がジャポニカの起源だと考える長江流域は、案外日本から近いですからね。別のルートで日本に伝来していてもおかしくないんです」と述べており、この表現は説としてまだ成立しておらず、断定的に述べる段階ではない事を示しています。さらにこれ自体が研究論文ではなく、不動産会社アトホームの代表の質問にインタビューに答えたものであり、不動産業界紙 athomeTIMEに掲載されたものの抜粋です[126]。学術論文でなくても、せめて考古学専門誌か、稲作に関係ある専門雑誌を情報源とすべきです。「中国大陸の痕跡を残していることを発表しており」という表現も適切ではありません。
- 「・・・中国大陸の痕跡を残していることを発表しており(詳しくは稲作#概要を参照)」と書いてますが、(稲作#概要)は、この説を詳しく書いているわけでもない。何のためにこれをつけているのでしょうか?
- 『都留信也「稲の道 中国雲南・江南ルート」』[127]を出典としていますが、これは「 「アジア栽培稲が アッサム・雲南地域に起源したという仮説」」について述べており、佐藤洋一郎説に関しては「佐藤洋一郎 によると稲のきた道 が考察されており、中国江南(長 江)流域の中国稲が日本列島へ渡来したルートとしては、江南から直接 渡来したルート以外にも、朝鮮半島経由のルートと南方経由をとりあげている。」(p8)としています。つまり、青鬼よしの編集に反して、佐藤は3ルートの中のどれであるかを確定していないことになります。またすでに指摘したように佐藤洋一郎は『日本のルーツがわかる本』p84、p88で「温帯ジャポニカ(水稲)は、弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」と書いていますが、なぜそれを完全に無視するのでしょうか?
- 「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている」と書いています。出典は「日韓歴史共同研究報告書 古代韓日関係の成立 ―弥生文化の主体問題についての検討― 趙法鍾 P48」。公開されています[128]が、p48には、AMS測定に対する韓国学界の懐疑が述べられているだけであり、「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判」などとどこに書かれているのでしょうか?これも虚偽出典です。趙法鍾は「前提条件として弥生文化の起源として韓半島の農耕および青銅器文化」と書いており、こうした考えが広く共通認識とされていることが分かります。
- 出典に「日本大百科全書 「稲」 星川 清親」と書いていますが全25巻の中の何巻で何ページか、確認しますのできちんと書いてください。
- 以上、出典に問題が多くあり、それはすべて「水稲は、朝鮮半島を経ないで伝来した」としたい青鬼よしさんの願望の反映だろうと思われます。何度も消したり、また虚偽出典を繰り返しており(【参照】ノート:稲作#「日本への伝来」節の編集について(2))目的外利用を指摘せざるをえません。
- またこれらの指摘はすでに11月24日にはおこなっており、これに対して、具体的な説明や反論も無いまま、リパートするのは止めていただきたいと思います--よしのぶ(会話) 2016年1月8日 (金) 09:43 (UTC)
- コメント 第三者からの確認もあった方がよさそうなので、上記の4の点だけコメントしておきます。青鬼よしさんが書かれた「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている」[129]の根拠に「日韓歴史共同研究報告書 古代韓日関係の成立 ―弥生文化の主体問題についての検討― 趙法鍾 P48」を出典としておりますが、よしのぶさんがおっしゃるように、論文のp.48には上記の青鬼よしさんの記述の出典とできるような説明は見当たりませんでした。青鬼よしさんにおかれましては、適切な理由があるようでしたらご説明いただければ幸いです。 --Yapparina(会話) 2016年1月12日 (火) 11:08 (UTC)
- こんにちは。ご質問ありがとうございます。
- 48ページは要旨として、最初に「例えば、稲作文化の場合、韓半島の松菊里文化の影響が確実に確認されており」という韓国歴史学会の前提を述べ、次に、AMS測定の判定結果により弥生時代の稲作が松菊里文化より以前に行われていたとするならば「弥生時代の起源である韓半島の農耕および青銅器文化の年代も上昇させなければならない。」と韓国の歴史学会から見た問題点を指摘し、「そのため、韓国学会はAMS測定の判定結果に懐疑的である。」という結論付けております。また、57ページで歴博チームの調査方法を『年代を合わせるための強弁である可能性が高い』と記載があったため、批判という表現にしました。
- 以上、簡潔ではございますが、返信とさせていただきます。ご不明な点などがございましたら、引き続き質問を賜りたく。--青鬼よし(会話) 2016年1月13日 (水) 15:40 (UTC)
- 返答がおそくなりましてすみません。とりあえず出典中の関連する箇所を以下に引用します。
- コメント 第三者からの確認もあった方がよさそうなので、上記の4の点だけコメントしておきます。青鬼よしさんが書かれた「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている」[129]の根拠に「日韓歴史共同研究報告書 古代韓日関係の成立 ―弥生文化の主体問題についての検討― 趙法鍾 P48」を出典としておりますが、よしのぶさんがおっしゃるように、論文のp.48には上記の青鬼よしさんの記述の出典とできるような説明は見当たりませんでした。青鬼よしさんにおかれましては、適切な理由があるようでしたらご説明いただければ幸いです。 --Yapparina(会話) 2016年1月12日 (火) 11:08 (UTC)
2、日本の先史考古学学会が最近行ったAMS(イオンビーム加速器質量分析法)測定による新しい年代観を根拠に弥生時代の開始時期を紀元前930年までさかのぼらなければならないという紀元前10世紀説の主張は、その前提条件として弥生文化の起源である韓半島の農耕および青銅器文化の年代も同時に上昇させなければならない。しかし、韓国学会の全般的な研究内容はこのような年代上昇に懐疑的な側面が強い。 — 趙法鍾、古代韓日関係の成立―弥生文化の主体問題についての検討 p.48 より抜粋
- これを出典とした文が以下のとおりで、[24]が上記の出典です
伝来時期に関しては、放射性炭素年代測定の結果から、紀元前9世紀ごろとされている[21][22][23]が、朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている[24]。 — Special:Diff/57618527
- 青鬼よしさんの説明を受けて、もう一度考えなおしたところ、p.48で述べられている「弥生時代の開始時期が紀元前930年に遡る説」=>「水稲の伝来が紀元前930年に遡る説」と置き換えれば、上記の表現でも要約として成立することが理解できました。しかし、そのように置き換えていいのか私には分かりません。同じp.48の第一段落には「日本の弥生文化成立の重要要素である水稲耕作、青銅器、鉄器などの金属文化の伝来様相について…」とあるので、水稲の始まりが弥生時代の開始の重要な一要素であることは理解できますが、イコールで結びつけて言い換えて問題ないのかは分かりません。また、この言い換えが問題ないとしても、「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から」という理由の要約だと、学術的根拠ではなくナショナリズム的反感から"批判"していると感じさせますので、少々長めになっても出典先の具体的な根拠を書く方がいいと思います。さらに、p.58における「年代を合わせるための強弁である可能性が高い」と述べている人物は、(実際はどうか別にして出典から純粋に読み取れるのは)あくまでも論文の著者である趙法鍾氏なので、「韓国の歴史学会から批判を受けている」の根拠にはしない方が良いと思います。
- 長々と書きましたが、現在でも青鬼よしさんがこの文を反映させたいと主張されているのかどうか、フォローできておらず、実は分かっていません。現在の提案内容ではなくなっているのなら、これ以上議論してもしょうがないので、上の私のコメントは捨て置かれて結構です。--Yapparina(会話) 2016年3月15日 (火) 14:01 (UTC)抜粋文の一部誤記訂正。--Yapparina(会話) 2016年3月25日 (金) 23:08 (UTC)
- せっかく出典を確認していただいたので、もしできましたら、もう一つだけコメント下さい。当該記述に関して「虚偽出典」というレッテルを貼って非難することについて、妥当だと思われますか?青鬼よしさんは既に当該記述の復帰を断念されているようですが、「虚偽出典」という非難は、他の論点の議論にも影響を与えていると思いますので。--Dwy(会話) 2016年3月15日 (火) 21:01 (UTC)
- 虚偽出典という強い言葉を使うほどではないと思います。現時点での私の見解は「言い換えに早計と思われる部分があり、また誤解を招く表現で要約してしまったもの」というところです。また、虚偽出典である/ないに関わらず、当該記述の復帰を主張されていないならこの件は終わりで良いかと思います。この記事に対する現在の議題のみに集中すべきでしょう(WP:DR#ステップ2: 論争の相手と話し合う レベル6 要点集中)。--Yapparina(会話) 2016年3月16日 (水) 11:06 (UTC)
- せっかく出典を確認していただいたので、もしできましたら、もう一つだけコメント下さい。当該記述に関して「虚偽出典」というレッテルを貼って非難することについて、妥当だと思われますか?青鬼よしさんは既に当該記述の復帰を断念されているようですが、「虚偽出典」という非難は、他の論点の議論にも影響を与えていると思いますので。--Dwy(会話) 2016年3月15日 (火) 21:01 (UTC)
Yapparinaさん。「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から」という要約の根拠となるような文章はまったく無いですよね。上記出典のどこをどう要約すると「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から」になるのか、さっぱりわからないので何度も聞いていますが、出していただけませんでした。まったく関係ない部分を説明していますが、その部分は最初から問題にしていません。問題は「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から」という文章です。このように要約可能な文章が存在しない・・・というのが事実です。削除した後、私の方は蒸し返しておりませんが、今頃になってコメントする意味が何かあるのでしょうか?--よしのぶ(会話) 2016年3月24日 (木) 08:05 (UTC)
- よしのぶさんは編集の要約欄で「要約の根拠があるか?ないか?だけ問題だと思います」とおっしゃっていますが、そうではありません。今ここで問題にしているのは、意見が異なる編集者との間で礼儀正しく議論ができているかの問題(議論の中で「虚偽出典」などという強い言葉を使っていることが果たして適切だといえるのか)であり、さらに問題になってくるのは自分の意見と異なる他の編集者の意見に対して敬意を持って耳を傾けているかどうか(「虚偽出典」というほどではないというYapparinaさんや私の意見をよしのぶさんがどのように受け止めるのか)です。-Dwy(会話) 2016年3月24日 (木) 20:25 (UTC)
「今ここで問題にしているのは、意見が異なる編集者との間で礼儀正しく議論ができているかの問題(議論の中で「虚偽出典」などという強い言葉を使っていることが果たして適切だといえるのか)」とDwyさんは述べていますが、これまでの議論には「異なる意見を認めない」と言っている人間などどこにもいません。ゆえにそのような議論は存在しない。表現が強いかどうかは主観によるものです。議論の内容をすり替えないようにしてください。問題は青鬼よしさんの編集にちゃんと出典があるか否かだけです。wikipediaは個人の意見を書くところではなく、できるだけ信頼できる出典から、その内容を要約して書くことが求められている。しかし、青鬼よしさんの編集である「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている」という文章に要約できるような文章は出典には存在しません。これを指摘してからすでに5カ月以上が経つのに、根拠となる文章はまったく出て来ない事からもそれは明らかです。そこが問題だということです。そしてこの文章を青鬼よしさん自身もすでに再生する意思はないものと思われます。ここで章立てしたのは、何度もリパートしていたからです。--よしのぶ(会話) 2016年3月25日 (金) 06:36 (UTC)
- 「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から」は、出典中の「紀元前10世紀説の主張は、その前提条件として弥生文化の起源である韓半島の農耕および青銅器文化の年代も同時に上昇させなければならない。しかし、韓国学会の全般的な研究内容はこのような年代上昇に懐疑的な側面が強い。」を典拠にしたと考えています。
- 弥生時代の開始時期が紀元前930年に遡る説(≒日本の水稲の開始が紀元前930年に遡る説)を受け入れると、現在受け入れられている朝鮮半島の水稲稲作の開始の年代が、日本の水稲の開始より後ということになる。
- 日本の稲作は朝鮮半島から伝来であるから、上記を受け入れるには、朝鮮半島の水稲稲作の始まりの年代をもっと前の年代に訂正しなくてはならない。(p.54辺りにも詳しく書いていますが、この論文は日本の稲作は朝鮮半島から伝来したものという前提に立っています)
- しかし、朝鮮半島の水稲稲作の始まりを現在受け入れられている年代よりも前とするようなことに対して、"韓国学会の全般的な研究内容"は否定的である。
- よって、弥生時代の開始時期が紀元前930年に遡る説(=水稲の伝来が紀元前930年に遡る説)はあり得ない。
- 論文中では上記のような理屈となっており、これを要約して「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている」としたということだと理解しています。よって、青鬼よしさんの記述の根拠が出典中に全く存在しないわけではないので「虚偽出典」というほどではないと書きました。ただしいくつか問題があるというのは上記でコメントしたとおりです。
- 今頃になってコメントした理由について。3月13日に青鬼よしさんよりこの件についてコメントしてほしいと連絡がきました(特別:差分/58942405)。この連絡から、この件がまだ論点となっているように思えたので、こちらに私なりのさらに詳しい論証を返答いたしました。--Yapparina(会話) 2016年3月25日 (金) 23:08 (UTC)
2、日本の先史考古学学会が最近行ったAMS(イオンビーム加速器質量分析法)測定による新しい年代観を根拠に弥生時代の開始時期を紀元前930年までさかのぼらなければならないという紀元前10世紀説の主張は、その前提条件として弥生文化の起源である韓半島の農耕および青銅器文化の年代も同時に上昇させなければならない。しかし、韓国学会の全般的な研究内容はこのような年代上昇に懐疑的な側面が強い。 — 趙法鍾、古代韓日関係の成立―弥生文化の主体問題についての検討 p.48 より抜粋
- コメントこれまでの議論を追ってみたのですが、この記述をどのように要約しても、「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている」にはならないと思います。もしこれを要約するなら、理由を述べずに「韓国の歴史学会から批判を受けている」とするか「イオンビーム加速器質量分析法による新しい年代では、韓半島の農耕や青銅器文化の年代も上昇するとして、韓国の歴史学会から懐疑を受けているという話を趙法鍾は書いている」というような文章になると思います。いずれにしても、「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、」はこの論文には存在しない青鬼よしさんの独自研究意見だと思います。「虚偽出典」と言えると思います。--虹色の風(会話) 2016年3月29日 (火) 14:10 (UTC)
- WP:NORのレベルで言えば、青鬼よしさんの記述は独自研究だということに私も同意です。Yapparinaさんも私も(そして現在は青鬼よしさんも)「日本より後になるという理由から」の記述を記事に加えたいという話をしているわけではありません。その点はご理解下さい。
- 「この記述をどのように要約しても…にはならない」というのは、WP:VやWP:NORに従って適切に要約していれば…という前提でおっしゃっていると思います。当該記述を記事に加えるかどうかを議論している場面であれば、私もそういう言い方をするでしょう。
- しかし、ここでは別のレベルの問題=意見が異なる編集者との間で礼儀正しく議論ができているかの話をしています。Wikipedia:善意にとるに従って、うっかり間違えて…と要約してしまった可能性を忘れないようにすべきです。
- Wikipedia:安易に荒らしと呼ばないに「他の利用者の編集を安易に虚偽呼ばわりすることもいけません」という記述があります。「虚偽」という言葉は、悪意でわざと嘘をついているのが明らかな場合などに限定して使うべきであり、善意に取れる場面で安易に使うべき言葉ではありません。--Dwy(会話) 2016年3月29日 (火) 22:14 (UTC)
- ではまず「青鬼よしさんの記述は独自研究であった」ということでよいと思います。皆さん(ご本人も)一致しているわけですし。まずはそこが問題になって編集が進まなかったようですが、Wikipedia:安易に荒らしと呼ばないには、「問題の編集について相手と議論する方がよいのです。・・・相手の編集や主張の内容や中身について意見するようにしましょう。」ともありますね。主張や目的が真っ向からぶつかっているようですので、以降そのように進んでいけばよいと思います。議論は大いにすべきであると考えます。--虹色の風(会話) 2016年4月12日 (火) 03:14 (UTC)
Wikipedia:コメント依頼/Yoshinobukoからこっちに来ました。読むのに時間がかかってしまいましたが、虚偽出典とは出典に書かれてない独自研究を書き込むことであり、青鬼よしさんの編集は「虚偽出典」「独自研究」と呼べるものだと思います。「安易に虚偽呼ばわり」するのは問題ですが、出典をきちんと読んで考証しており、決して「安易」ではないと思います。--桜咲千秋(会話) 2016年4月26日 (火) 01:11 (UTC)
- 「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている」の中の「批判」という言葉だけを説明したのでは解答にはなっていませんね。論文のp.48をどのように読んで要約しても、「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている」などという文章にはなりません。「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から」というのは、どの記述を根拠に生まれた表現ですか?論文にはそのような意味を持った文章はまったく存在していません。--よしのぶ(会話) 2016年1月13日 (水) 19:06 (UTC)
- コメント以前、『「ほとんど議論の余地がない」などの記載について』の際にもコメント依頼からコメントさせていただいたものです。率直に申し上げて、以前にも増して第3者からは非常にノートの内容が読みにくくなっている印象を受けます。青鬼よしさんにおいては、前回の議論でも指摘されていましたが、自分の意見を書くために出典をネットで探しているようにも見えてしまうので、私も確認してみましたが、1.に関して「日本の温帯ジャポニカの遺伝子情報には、朝鮮半島の痕跡はなく」の出典にできるような記述はやはり存在していませんでした。どうしてこのような記述に編集可能なのか説明する必要があるのではないでしょうか?そうでなければ、目的外利用の疑いは避けられないように思います。--虹色の風(会話) 2016年1月13日 (水) 14:40 (UTC)
【著作権違反】ケースBに抵触(WP:DP#B) 星川 清親は、『日本大百科全書 稲ー栽培の歴史』の中で、「日本の稲作の歴史は、縄文時代晩期に中国大陸の南部から、稲作技術をもった人々が渡来したことにより始まったと考えられる」と書いています[130]。 一方青鬼よしさんの編集は、[131]
人類学的な知見からは、日本の稲作の歴史は、縄文時代晩期に中国大陸の南部から、稲作技術をもった人々が渡来したことにより始まったと考えられている[25]
と書いています。完全にまる写ししており、範囲を囲っておらず、これはケースB(WP:DP#B)に該当しています。即時削除すべき案件である事を追記しておきます。--よしのぶ(会話) 2016年1月8日 (金) 10:15 (UTC)
- すぐ上で当該部分の章立てについての議論が進行中です。そちらの議論の中では「水稲の伝来」節は不要という意見もでているわけですが、よしのぶさんとしては、そういう議論には興味がないということでしょうか?--Dwy(会話) 2016年1月10日 (日) 02:34 (UTC)
「水稲の伝来」節は不要という意見は誰が出しているわけですか?--よしのぶ(会話) 2016年1月12日 (火) 02:22 (UTC)
- Yapparinaさんが「現在の『日本への伝来』以下に散らばっている伝来ルートに関する全ての意見・主張は各説のセクションに収め、今の概要的な『水稲の伝来』節は廃止されてはいかがでしょうか」と提案されています。[132]
- 因みに、私個人的にはこちらで述べたように、まず「伝来ルート」についてごく簡単に紹介した後、時系列に従って「縄文稲作の可能性」、「水稲の開始」の順に述べ、「水稲の伝来」節の記述は「水稲稲作の開始」の所にまとめてはどうかと思っていましたが(かなり言葉足らずで分かりにくかったかもしれません)、Yapparinaさんのご意見もあり、青鬼よしさんのご提案でも(不適切な記述は更に手直しする前提のもとで)まあ良いかと妥協していました。--Dwy(会話) 2016年1月14日 (木) 12:23 (UTC)
問題ある方法で集められた議論は最初から無効です。あなたを含め、まったく稲作に対して知識が無い、あるいは稲作を編集したこともない人達を個人的にコメントを誘致して内容を決定しようとしています。ただ(おそらく編集傾向が近い)親しい人達のみを対象にコメントを依頼しており、Wikipedia:カンバスに触れるおそれさえある。Wikipedia:カンバス#適切な告知では、「●関連するウィキプロジェクトやウィキプロジェクトのノートページにお知らせを投稿する。●過去に問題となっている記事やプロジェクトを相当量編集した、●または相当に議論に加わった利用者全員に知らせる。」としており、問題となっている記事を編集した人を誘致することを認めており、まるで編集したことも無いような人達を個人的に誘致することを認めているわけではありません。--よしのぶ(会話) 2016年1月12日 (火) 01:54 (UTC)
【追記】それにしても、虚偽出典の指摘については、まったく触れる事ないのはどういうことでしょう?--よしのぶ(会話) 2016年1月12日 (火) 01:56 (UTC)
- 恣意的に依頼対象を絞ってコメントを求めていたのなら確かに問題がありますが、ウィキペディアは規則主義ではありませんから、議論が最初から無効になるというわけではありません。
- 私の知識が不十分というのならあえて否定もしませんが、よしのぶさんが稲作について我々より知識があると言うのなら、「議論の余地がない」を裏付ける複数の出典を出すとか、「21世紀になって考古学上の膨大な成果が積み重ね」について中身が分かるような説明をするとか、知識のある人が当然知っているはずの情報を出していただきたいと思います。「ほぼ議論の余地がない」と言うほどの圧倒的な支持を得ている説について、たった一冊の本だけが頼りということなら、我々の知識のレベルと大して変わらないと思わざるを得ません。
- 「虚偽出典」云々については、出典の解釈に一部不適切なところがあるにしろ、「虚偽」呼ばわりするほどのものではないでしょう。私としては、まず章立てを見直して大きな話の流れを整理するのが先で、個々の記述の修正はその後で良いと思っています。--Dwy(会話) 2016年1月14日 (木) 12:23 (UTC)
- まったく出典から導き出せないような記述をしていれば、それは出典を偽った独自研究というしかありません。問題個所は複数にわたっており、すでにYapparinaさんや虹色の風さんが確認してくれています。Dwyさんが「「虚偽」呼ばわりするほどのものではない」と言い張るなら、その主張を証明してください。
- 「ほぼ議論の余地がない」ではなく「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」という表現ですが、同じような意味を持つのは趙法鐘の、「日本の稲作は韓半島から伝来したという見解は韓日両国に共通した見解である」という表現です。どちらの表現もここ数十年の間に広範に認められて来たようすを示しています。「水田稲作が朝鮮半島から来たこと」を論証している研究者は多数に上り、現在発見した考古学者は藤尾慎一郎、宮本 一夫、中園 聡、佐藤洋一郎、佐原真、岡崎敬などが書いている。これに対して反論を稲作に記述したいのなら、何度も言うようにそのような事が書いてある論文を探し出し、wikipedia稲作に記述してください。--よしのぶ(会話) 2016年1月16日 (土) 00:56 (UTC)
- 趙法鐘さんは「従来、日本の歴史学会や概説書は(推敲稲作など)の伝来や地域について「大陸」と表記する傾向があった」という現在の状態に対して「韓半島中心の青銅器文化が日本列島に伝わったことをより具体的に言及することが考えられる」「日本の稲作は韓半島から伝来したという見解は韓日両国に共通した見解である」と決意を述べているだけですよ。--青鬼よし(会話) 2016年1月16日 (土) 02:22 (UTC)
「日本の稲作は韓半島から伝来したという見解は韓日両国に共通した見解である」がなぜ「決意を述べている」になるのでしょうか?決意であれば、「私は~しようと思う」などの文章になるはずです。この文章のどこから「決意」だと解釈できるのか?示してください。--よしのぶ(会話) 2016年1月17日 (日) 06:56 (UTC)
具体例
現在の記述の問題点について以下に具体的に記載します。ご確認ください。
禰宜田佳男によれば、水田稲作の受容の過程で、縄文時代後期後半は朝鮮半島由来の土器や石器が出土するにしてもこの時点では稲作は狩猟や採集の生活を補足するものであり、気候が寒冷化した弥生時代早期に至ってはじめて灌漑施設による水田稲作が始まったという[21]。
- 『狩猟や採集の生活を補足する朝鮮半島由来の土器や石器』が水稲の説明に必要な理由が書かれておりませんので、ご説明ください。
- 『気候が寒冷化した』ことが『灌漑施設による水田耕作が始まった』となる理由についての説明がありませんので、ご説明ください。(「『気候が寒冷化した』と『灌漑施設による水田耕作が始まった』は無関係です。」ということでもかまいません。)
- 結論から申し上げれば、この一文がなくても稲作の説明には全く支障をきたすことはありません。稲作の説明に必要な理由を説明してください。
伝来ルートについて池橋宏は、長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達したとしており[23]、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている[24]。
- こちらの記載の問題点についてはTakabegさんが以下の内容で指摘済[133]
池橋さんの『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』の62頁を読めば、池橋さんが三つの説のうち「朝鮮半島南部経由」説がほぼ確実で、それを前提として論を進めているというのはわかりますが、池橋さん御本人の説(主張)は、173頁を読めばわかります。①生業の要素や工芸品の一部が朝鮮半島を経由して「ほとんど直接に」長江流域から日本へ導入された可能性、②朝鮮半島には長らく定着せず、さらに西日本へ来たという可能性 というのが池橋さんの説 (主張)ですので、この記事の本文で「池橋宏によれば、」という書き方をするのならば、62頁のものを書いてはいけないとは言いませんが、173頁のものは書かなくてはいけないのではないかと思います。
山崎純男は、朝鮮半島から最初に渡来したのは支石墓を伴った全羅南道の人々で、遅れて支石墓を持たない慶尚道の人が来たと述べている
- こちらも稲作と関係ない一文です。『この記述は稲作ではなく日本人の起源に書きこむべきです。 --よしのぶ(会話) 2015年9月25日 (金) 11:31 (UTC)』
- 結論から申し上げれば、この一文がなくても稲作の説明には全く支障をきたすことはありません。稲作の説明に必要な理由を説明してください。
佐藤洋一郎によると風張遺跡(八戸)から発見された2800年前の米粒は「熱帯ジャポニカ(陸稲)」であり、「温帯ジャポニカ(水稲)は、弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」と言う
- 佐藤の代表的な研究は「温帯ジャポニカの遺伝子のSSR領域は水田稲作が朝鮮半島ではなく中国から直で渡来したことを可能性を強く裏付ける内容で、「弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」とよしのぶさんが書いた内容とは正反対です。
- この矛盾は、よしのぶさんが宝島社文庫の「逆転の日本史編集部『日本のルーツがわかる本』」に書かれていた内容を「佐藤洋一郎によると」と書いているためですが、よしのぶさんは『学術論文でなくても、せめて考古学専門誌か、稲作に関係ある専門雑誌を情報源とすべきです。』
- また、佐藤は集団による稲作伝来について「日本列島でも水田稲作の渡来に当たって,大きな人類集団の渡来を伴ったかどうかが長く議論された。埴原はその「日本人二重構造説」のなかで,水田稲作は大きな集団の渡来に伴っておきたものとの仮説をたてている。この論争の決着はついているとは言いがたいが,私は個人的には大きな集団の移動はなかったのではないかと考えたい。この時期渡来したイネの集団が,従来考えられていたよりはずっと小さいと考えられるから」と否定的な見解です。[134]
- よしのぶさんが佐藤の学説(「温帯ジャポニカ遺伝子のSSR領域調査」)を稲作の記事から削除しようと試みたのは記憶に新しいですが[135][136]、佐藤の代表的な論説を消して「佐藤は朝鮮半島経由を支持している」とするのは無理がありすぎます。別なアプローチを試みてはいかがでしょうか。
ただし、佐藤洋一郎は埴原和郎が『日本人2重構造説』で唱えた稲作が大きな人類集団の渡来を伴ったという説には否定的であり、稲の小さな集団が渡来したと考えている
- 出典を読めばわかりますが、佐藤は「日本列島でも水田稲作の渡来に当たって,大きな人類集団の渡来を伴ったかどうかが長く議論された。」に対して「この論争の決着はついているとは言いがたいが,私は個人的には大きな集団の移動はなかったのではないかと考えたい。この時期渡来したイネの集団が,従来考えられていたよりはずっと小さいと考えられるから」と述べています。[137]。埴原和郎の『日本人2重構造説』を特定して否定しているわけではありません。
趙法鐘は、弥生早期の稲作は松菊里文化に由来し「水稲農耕、灌漑農耕技術、農耕道具、米の粒形、作物組成および文化要素全般において」韓半島南部から伝来したとしており、「日本の稲作は韓半島から伝来したという見解は韓日両国に共通した見解である」と書いている。
- 日本の稲作が紀元前9世紀であることは冒頭に書かれておりますから、松菊里文化が紀元前5世紀ごろ(朝鮮の歴史〔新版〕三省堂 朝鮮史研究会 - 20 ページ)であることを記載いただければ、韓国の歴史学会の見解として紹介するのは宜しいかと思います。
- また、趙法鐘さんは「日本の稲作は韓半島から伝来したという見解は韓日両国に共通した見解である」(P55)の出典として、”深澤芳樹 「弥生時代概説」『日本考古学』小学館”を挙げておりますが、小学館には該当する出版物がありませんし[138][139]、 深澤芳樹さんの著書にも該当するものがありません[140]。(そもそも、深澤氏は奈良・平安時代の発掘を中心とされた考古学者です。[141])。こちらは検証性を満たしておりませんので、記載したい場合は出典の変更をお願いします。--青鬼よし(会話) 2016年1月16日 (土) 01:47 (UTC)
- ちなみに、趙法鐘さんは「従来、日本の歴史学会や概説書は(水耕稲作など)の伝来や地域について「大陸」と表記する傾向があった」(P48)という現在の状態に対して「韓半島中心の青銅器文化が日本列島に伝わったことをより具体的に言及することが考えられる」「日本の稲作は韓半島から伝来したという見解は韓日両国に共通した見解である」と述べております。
--青鬼よし(会話) 2016年1月16日 (土) 02:22 (UTC)
(上記内容についての意見や反論は、読み易さの観点から以下に書くようにしてください。)
青鬼よしさんは、ウィキペディアの編集方針の「利用者は自身の編集について他の利用者に対し、説明責任を果たすことが望まれています。」についてカン違いしているようです。Wikipedia:中立的な観点が述べているように、我々がすべきなのは「論争ではなく論争を記述することであり、論争に加わることではありません。」 例えば、「光」という記事があったとして、それに誰かが「アインシュタインは相対性理論において、光より早い物体は無いと述べている」と出典をつけて書いたとしたら、それについて「いや、タキオンがあるじゃないか、光の速度より早いだろ。なぜ光より早い物体が無いというのか説明しろ」と誰かが聞いても、それに関して一々説明する必要はありませんし、記述を削除する理由にもなりません。ウィキペディアは論争する場ではないからです。ただ出典がどの程度権威があるか?あるいは出典に本当にそう書いているのか?この書き方は著作権を侵害してないか?・・・など方針が出されている複数事項が重要なのであって、そうしたことについて話し合うのがノートページです。我々がしているのは、論争ではなく論争を記述する事です。専門家がもし間違っていても、それは別の専門家の指摘や別の論説を書くしかありません。以下の青鬼よしさんの質問は全てはそのような説明する必要も無い範疇に入っています。
- 『狩猟や採集の生活を補足する朝鮮半島由来の土器や石器』が水稲の説明に必要な理由が書かれておりませんので、ご説明ください。
- 『気候が寒冷化した』ことが『灌漑施設による水田耕作が始まった』となる理由についての説明がありませんので、ご説明ください。(「『気候が寒冷化した』と『灌漑施設による水田耕作が始まった』は無関係です。」ということでもかまいません。)
『気候が寒冷化した』ことが『灌漑施設による水田耕作が始まった』となる理由をなぜ書く必要があるわけですか?それは論文に書かれていることであり、自分で読んでください。 この点についてもすでにノート:稲作#「日本への伝来」節の編集についてで、指摘しています。「日本への稲作渡来民が弥生人なのか、縄文人なのかを明示しろ」などという言い分について、「こんな事を私が決めつけることはございません。」と答えたはずです。繰り返しますが、我々がしなければならないのは、専門家の論争を書くことであって、我々自身が論争することではありません。「ノートページは記事の主題に関する公開討論の場ではありません。」と上に書いてあるように。 ほとんどが答える必要の無いようなものですが、看過できないものをいくつかあげておきます。
*佐藤の代表的な研究は「温帯ジャポニカの遺伝子のSSR領域は水田稲作が朝鮮半島ではなく中国から直で渡来したことを可能性を強く裏付ける内容で、「弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」とよしのぶさんが書いた内容とは正反対です。
- この矛盾は、よしのぶさんが宝島社文庫の「逆転の日本史編集部『日本のルーツがわかる本』」に書かれていた内容を「佐藤洋一郎によると」と書いているためですが、よしのぶさんは『学術論文でなくても、せめて考古学専門誌か、稲作に関係ある専門雑誌を情報源とすべきです。』
まず、「佐藤洋一郎によると」と書いているのが問題みたいなことを述べていますが、佐藤洋一郎が自分で書いた論文を出典とすることに何の問題があるのでしょうか?本人の書いた論文が出典にできないという主張に何か根拠があるのでしょうか? すでにこの問題は決着がついているはずです。私が出典としている『日本のルーツがわかる本』を確認してから述べるべきですと述べると、これに対して青鬼よしさんは謝罪し撤退したはずです。[142]ところがまた同じことをブリ返すのは止めていただけますか? それから、こういう長文の質問のようなものをする場合には、質問に数字を付けていただきたいと思います。答えるためには一つづつコピーしなければならず、答えるのがやっかいだからです。そうでなければ、ひとつづつ書いていただきたい。以上、よろしくお願いします。--よしのぶ(会話) 2016年1月17日 (日) 05:09 (UTC)
- 「逆転の日本史編集部『日本のルーツがわかる本』」は文庫本であって論文ではないのですが…。著者も佐藤洋一郎ではなく「逆転の日本史編集部」なのですが…。せめて、佐藤洋一郎の学術論文とまで言わなくても、自著である著作物を一読いただければ幸いです。
- せっかく、よしのぶさんがWikipedia:中立的な観点を読んでいただけたのに『ただ出典がどの程度権威があるか?あるいは出典に本当にそう書いているのか?この書き方は著作権を侵害してないか?・・・など方針が出されている複数事項が重要なのであって、そうしたことについて話し合うのがノートページです。』の部分まで読まれていないことがとても残念です。--青鬼よし(会話) 2016年1月17日 (日) 07:50 (UTC)
- 佐藤洋一郎氏の書いた論文『米 日本列島に最初に稲作を持ち込んだのは縄文人だった』が逆転の日本史編集部『日本のルーツがわかる本』p84、p88、に所収されている事を随分昔に稲作に記載していますし、青鬼よしさんも知っているはずですよね[143]。本人が書いた論文からの引用が問題あると言いたいわけですか?それにしても、昔に謝罪したことをもう忘れているとは、いつまでも納得しないでブリ返すのは止めてください。
- 「せっかく」以降はもはや何を言ってるのか、さっぱりわかりませんね。分かるように書いてください。--よしのぶ(会話) 2016年1月17日 (日) 09:02 (UTC)
「日本への伝来」の構成につきまして
日本の稲作伝来につきまして、記載内容の整理ができていないと問題点をご指摘いただきました。以下に再構成したドラフト版を提示いたしますので、ご意見・改善案を聞かせていただければ幸いです。--以上の署名のないコメントは、青鬼よし(会話・投稿記録)さんが 2016-01-11T08:53:14 (UTC) に投稿したものです(Yapparina(会話)による付記)。
- 現在の版よりはるかに分かりやすくなっていると思います。完璧でない部分もあるかもしれませんが、それはこれから更に手直ししていけばよいことなので、取り敢えず青鬼よしさんの案を記事に反映させてはいかがでしょう。--Dwy(会話) 2016年1月11日 (月) 22:45 (UTC)
- ●このノート上の目次に反映されてしまいますのでセクションをnowiki化、脚注がノート最下部に表示されてしまいますのでTemplate:Reflist-talk追加、提案部分を明瞭にするため囲みを付けました。また、前にも署名忘れがありましたのでお気を付けください。--Yapparina(会話) 2016年1月12日 (火) 10:14 (UTC)
- nowiki化ありがとうございました。署名忘れなどにつきましても、注意するようにいたします。--青鬼よし(会話) 2016年1月13日 (水) 15:45 (UTC)
==日本国内での歴史==
===稲作の開始時期===
日本の稲作は、1947年の登呂遺跡発掘調査で大規模な稲作・水田跡が発見されたことなどから、弥生時代に始まるというのが近代以降20世紀末まで歴史学の定説となっていたが、1980年代の菜畑遺跡、板付遺跡の発掘で水田跡や農具などが発見されたことにより、縄文時代末期(紀元前5世紀ごろ)には稲の水田栽培が行われていたと考えられている。しかしながら、2003年に国立歴史民俗博物館が土器に付着した炭化物を放射性炭素(C14)年代測定法で分析した結果、日本への水田稲作の開始時期は紀元前10世紀まで遡ると発表するなど、現在も論議が続いている。[1][2][3]。日本への水稲伝来ルートに関しては考古学・民俗学・育種学などの立場から諸説があり、定説は定まっていない(稲作#伝来ルートを参照)。 また、稲の水田耕作とは別に、1971年に佐々木高明が、日本が狩猟文化から農耕文化に切り替わる過渡期に陸稲を含む雑穀の焼畑栽培が行われていたという『縄文農耕焼畑論』を提唱し[4]、縄文時代の遺跡から出土した稲のプラント・オパールの解析によって、この説も強化されている。[5]。
===稲作の伝来ルート===
イネ(水稲および陸稲)の日本本土への伝来に関して、「出発点を重要視した説」、「経路を重要視している説」それぞれが複数有り、様々な論争を呼んでいる[6]。極東アジアへの伝播経路は十分に解明はされておらず以下の説が主なものとして存在する。なお、各ルート名は正式な呼び名ではなく、本稿における便宜的な呼び名である。
- 揚子江下流域から直接九州北部に伝来(対馬暖流ルート)。
作物は、イネ、アワ[7] - 江南から南西諸島を経て九州南部に伝来(黒潮ルート、南方伝来ルート)。
作物は、イネのみ[7] - 揚子江下流域から遼東半島を経由して朝鮮半島を南下して九州北部に伝来(朝鮮半島南下ルート)。
- 揚子江下流域から山東半島(斉の田)を経て、朝鮮半島南部を経由して九州北部に伝来[8](山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート)。
作物は、イネ、オオムギ、アワ、アズキ、モロコシ[7]
===== 対馬暖流ルート説 =====
2005年、岡山県彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から大量のイネのプラント・オパールが見つかりイネの栽培が確認された[9]ことから注目され、佐藤洋一郎による中国・朝鮮・日本の温帯ジャポニカをSSR(Simple Sequence Repeat)マーカーを用いた遺伝子分布を調査で、日本で半数近くを占めるジャポニカ種の特定の遺伝型が朝鮮半島や満洲の品種には存在しないなど複数の論拠から、中国南部以南から日本に直接伝来したとする学説。
===== 黒潮ルート、南方伝来ルート説 =====
中国南部揚子江河口域(江南)からの宮古島を経由する黒潮ルートは柳田國男の提唱した海上の道で名高かったが、北部琉球での稲作を示す考古学的資料が出ていないため関心が薄かった。しかし、岡山県で6000年前の陸稲(熱帯ジャポニカ種)のプラント・オパールが次々に発見された等により、水稲伝来も考えられるとして再び注目されつつある[10]
1990年ごろ、農学者の佐藤洋一郎は、縄文前期に熱帯ジャポニカが南西諸島から伝播し、水陸未分化の粗放稲作が行われた。縄文晩期に温帯ジャポニカが揚子江下流域(RM1-b)と朝鮮半島南部(RM1-a)から伝播し、熱帯ジャポニカと混合した水田稲作が始まったのではないかと、複数のルートから伝わったと提唱し[11][12]、2008年、農業生物資源研究所がイネの粒幅を決める遺伝子のひとつ「qSW5」を解析し、ジャポニカ米は東南アジアから中国を経由し、日本に伝播されたとする論文をネイチャー ジェネティクスに発表している[13][14] 。
===== 山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート説 =====
中国北部の龍山文化は、山東半島の楊家圏遺跡で水田跡が発見されており、朝鮮半島南部の先松菊里段と北九州の遺跡の土器に付着していた炭化物を炭素14年代の測定で測定した結果、同時期であること[15]から、山東半島から朝鮮南部経路で日本に伝播したとする説。宇田津徹朗は、経由地域の気候的な位置づけから、畑作系轄の農業技術を背景にもっている点、さらに、山東半島地域での稲作が山東龍山文化期まで遡る点など、技術系譜や時代の前後関係において一定の整合性が認められており、現段階では、最も可能性高いルートとしている[16]。
===== 朝鮮半島南下ルート説 =====
(よしのぶさんの執筆箇所。Takabegさんの指摘[144]を反映するようにしてください。)
===古代の稲作===
古墳時代に入ると、農耕具は石や青銅器から鉄製に切り替わり、稲の生産性を大きく向上させた。青森県の砂沢遺跡から水田遺構が発見されたことにより、この時期には本州全土に稲作が伝播したとされる。土木技術も発達し、茨田堤などの灌漑用のため池が築造された。大和朝廷は日本を「豊葦原の瑞穂の国」と称し、国家運営の基礎に稲作を置き、稲による租税を行わせた。奈良時代には班田収授法が発令され、水田は国家に統制されるようになり、満濃池などの大規模な治水工事が進められていった。
===中世の稲作===
鎌倉時代になると西日本を中心に牛馬耕が行われるようになり、その糞尿を利用した厩肥も普及していった。また、東日本を中心に水田に夏に水田で水稲を栽培し,冬は水を落とした畑地化にして麦を栽培する,水田の米麦二毛作が行われるようになった。室町時代には、厳しい気候条件に強く、排水不良の土地でも良く育つ占城稲が中国から渡来し、降水量の少ない地域などで生産されるようになったが、味が悪いためかあまり普及しなかった。戦国時代になると、地方大名たちは検地を行い、農業生産高の把握に勤めた。天下を掌握した豊臣秀吉が全国に対して行った太閤検地によって、土地の生産性を石という単位で表す石高制が確立した。
===近世の稲作===
江戸時代になると宮崎安貞が農業全書を執筆し、農業知識の普及が進んだ。農具の発達も進み、備中鍬や穀物の選別を行う千石通し、脱穀の千歯扱などの農具が普及した。江戸時代は人口が増加したため、為政者たちは米の増産に迫られ、新田の開墾や見沼代用水や深良用水などの農業用用水路も盛んに設けられ、傾斜地にも棚田が作られるようになった。江戸時代は寒冷な時期が多く、飢饉も多発しており、二宮尊徳などの農政学者が活躍した。
===近代の稲作===
日本では、寒冷な東北地方でも古くから栽培が行われていたが、東北地方の太平洋側はやませに悩まされ、冷害による甚大な被害を受けた。江戸時代からは北海道渡島半島で稲が栽培され始まったが、その規模は微々たるものであった。明治時代以後は北海道の石狩平野でも栽培されるようになり、寒冷地で稲作を可能とするために多くの技術開発が行われた。 戦後、国内生産が軌道に乗ってからは、政府が米を主食として保護政策を行ってきた。不作を除いて輸入を禁止し、流通販売を規制した。自主流通米は量を制限し、政府買い上げについては、買い上げ価格より安く赤字で売り渡す逆ザヤにより農家の収入を維持しつつ、価格上昇を抑制する施策をとってきた。 農閑期に行われていた出稼ぎは、稲作に機械化が進み人手が余り要らなくなったため、「母ちゃん、爺ちゃん、婆ちゃん」のいわゆる「三ちゃん農業」が多くなり、通年出稼ぎに行く一家の主が増え、専業農家より兼業農家の方が多くなった。
脚注
- ^ 春成秀爾、「弥生時代の開始年代」 国立歴史民俗博物館
- ^ 稲作伝来、500年早まる 国立歴史民俗博物館が発表 朝日新聞東京本社発行 2003年5月20日付朝刊
- ^ 文部科学省・科学研究費補助金 学術創成研究 「弥生時代の開始年代 ―AMS -炭素14年代測定による高精度年代体系の構築―」 [5]
- ^ 『稲作以前』 日本放送出版協会 197
- ^ 佐藤洋一郎 「稲の日本史」
- ^ 佐藤洋一郎:日本のイネの伝播経路 日本醸造協会誌 Vol.87 (1992) No.10 P732-738, doi:10.6013/jbrewsocjapan1988.87.732
- ^ a b c 甲元眞之:稲作の伝来 青驪 2巻, 2005-7-15 p.37-40 hdl:2298/22905
- ^ 山東半島は黄砂が長年降り積もり、肥沃な土地で黄河の下流で、約3000年前には稲作(陸稲)が始まったとされる。また緯度は揚子江より高いが温帯性の気候である。
- ^ 高橋護、田嶋正憲、小林博昭『考古学ジャーナル2005年3月増大号』岡山県灘崎町彦崎貝塚の発掘調査 28-31頁。
- ^ 大塚初重 『考古学から見た日本人』(青春新書INTELLIGENCE)ISBN 4413041623
- ^ 佐藤洋一郎 『稲の日本史』2002, pp=74-86 108-109.
- ^ 佐藤,洋一郎『DNAが語る稲作文明 : 起源と展開』日本放送出版協会〈NHKブックス, 773〉、1996年。ISBN 4140017732。
- ^ 農業生物資源研究所 コメの大きさを決める遺伝子を発見!日本のお米の起源に新説! [6]
- ^ Nature Genetics "Deletion in a gene associated with grain size increased yields during rice domestication" [7]
- ^ 弥生時代の開始年代 ―AMS -炭素14年代測定による高精度年代体系の構築―[8]
- ^ 東アジアにおける水田稲作技術の成立と発達に関する研究 ーその現状と課題(日本と中国のフィールド調査から) 名古屋大学加速器質量分析計業績報告書. v.24, 2013, p.113-122, Template:Kdl
コメント
コメント青鬼よしさんが編集したいことを書いているだけのこの文章には明確に反対いたします。--よしのぶ(会話) 2016年1月13日 (水) 19:12 (UTC)
- ここで提案されているのは節の「構成」ですから、個々の小節の「記述内容」については更に議論が続くものと認識しています。ここで提案されている章立ての構成について、よしのぶさんは反対ということでしょうか?もしそうでなければ、一旦青鬼よしさんの提案を反映させた後、よしのぶさんに必要と思われる加筆修正を行っていただき、そこから更に議論を続けていくという手順もあると思うのですが、それではいけませんか?--Dwy(会話) 2016年1月13日 (水) 22:01 (UTC)
- 「青鬼よしさんが編集したいことを書いているだけ」というよしのぶさんの個人的な感情に基づいた意見は、記事を改善する役には立ちません。具体的な指摘や代替案なども提示していただければ幸いにございます。上記につきましては、多くの意見を聞いたうえで差し替えを行う予定ですので、緊急では行うつもりはございません。--青鬼よし(会話) 2016年1月23日 (土) 19:57 (UTC)
現在の記事が全て理想的なわけではありませんが、この提案には反対いたします。
- 【問題点1】まず、伝来ルートに関して言えば、伝来ルートを4つに分けるのが定説ではありません。甲元眞之氏がそうしているというだけで、例えば趙法鐘氏は5ルートを述べておりp54,p55、また日本の学者の中には3ルートに分類している人も少なくない。定説でもないような4ルート分類をwikipediaが採用する事自体が問題なので、ここは「研究者によって3つ以上のルートが提唱されており」と説明し、それぞれの内容を書いておくべきです。またこうした多様な伝来ルートが考えられている中で、池橋宏氏は「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べているのであり、趙法鐘氏は、「日本の稲作は韓半島から伝来したという見解は韓日両国に共通した見解である」と書いているのです。これらは「水田稲作伝来」の概観であると言えます。
- 【問題点2】稲作の伝来に関して、最も重視されているのが「水田稲作の伝来」です。稲作全体伝来に関する論文が無いわけではありませんが、その数は比較的少ないし、それよりも水田稲作がいつ、どのように伝来したかについての論文は非常に多くあり、著作も多く発表されています。関係学会における主たる関心事の一つであると言えるでしょう。現在はまだ反映させていませんが、水田稲作に関しては「水稲がいつどのように伝来したか?」と「水稲を耕作するための水田稲作灌漑技術がいつどのように伝来したか?」に論文の種類があるようであり、後者は考古学に多く論文を見つけることができます。そういうわけで記述の多い「水稲の伝来」は独立したひとつの項目として言及すべきです。現状たいした分量になっていませんが、量がかさむようなら、「水稲」ないしは「水田稲作」として独立記事作成をすべきです。
- 【問題点3】以上、簡単に問題点を述べ ましたが、この青鬼よしさんの提案では、水稲伝来の大まかなまとめ部分が削られており、自分の願望を反映したものになっています。また上のコメントを依頼する際の各個人に対するコメント依頼は、偏った文言を使って誘導しており、「複数の説がある論争中の話題では、自身の主張を過剰な形容詞を使うことはできないが、自分の意に沿った著作物を引用しすることで過剰な形容詞を使用することが可能です」と解釈された方により、記事の内容を特定の説に偏った内容にするように求められ、私の手に余る事態となっております」という説明はWikipedia:カンバス#適切な告知の「メッセージは常に中立を保ち」に反しています。さらに「適切な告知」は「過去に問題となっている記事やプロジェクトを相当量編集した、または相当に議論に加わった利用者全員に知らせる。」を推奨していますが、今回青鬼よしさんがコメントを依頼した方々は、過去に「稲作」を編集した方たちではありません。従って稲作関係専門の論文を読んでいる人がほとんどいない中で、重要なことを議論し、結論を出そうとしています。このような反則じみたやり方は無効であることを私は主張します。--よしのぶ(会話) 2016年1月14日 (木) 05:58 (UTC)
- 【問題点1】は現行版の問題であって、青鬼よしさんのご提案の問題ではありません。現行版の記述に問題があるとお考えであれば、加筆修正されれば良いと思います。(因みに、趙法鐘氏は直接渡来説について「農耕関連の遺物が全く発見されていない」と言っていますが、記事で紹介されている対馬暖流ルートは(農耕関連遺物が発見されている)九州北部に伝来したとする説なので、微妙に中身が違うようです。どのような説が代表的な説なのか少し慎重に検討する必要があるかもしれません。
- 【問題点2】については、「水稲の伝来」の節を独立した節として設けるべきだというお考えは理解できます。「朝鮮半島経由」が通説であることも、おっしゃる通りでしょう。しかし、水稲は一回こっきりの波によってではなく、長い期間にわたる数次の波によって伝来したものであり、「朝鮮半島経由」が通説であることは、他のルートによる伝来を100%否定するものではありません。そのような中で「ほぼ議論の余地がない」のような無駄に挑発的なワーディングを採用する必要はありませんし、ましてや「稲作渡来民」のような一般的でない用語を持ち出して一人の学者の説にスポットライトを当てる必要もありません。世間で普通に言われているように「日本に稲作文化をもたらした弥生人は朝鮮半島から来た(とされる)」と言う方が、読者にとってよほど分かりやすいと思います。
- 【問題点3】については、仮に一部の人にコメントを求めたやり方に問題があったとしても、それで全ての議論が無効になると言うことではありません。他人のことを「知識がない」と決め付けて議論への参加を拒むのは明らかにウィキペディアの方針に反する「対話拒否」に当たりますが、それでよしのぶさんの意見が全部無効になるわけではないのと同様のことです。--Dwy(会話) 2016年1月15日 (金) 00:02 (UTC)
- 【問題点3】について「一部の人にコメントを求めたやり方に問題」だけを指摘しているのではなく、各個人に対するコメント依頼は、偏った文言を使って誘導しており、「複数の説がある論争中の話題では、自身の主張を過剰な形容詞を使うことはできないが、自分の意に沿った著作物を引用しすることで過剰な形容詞を使用することが可能です」と解釈された方により、記事の内容を特定の説に偏った内容にするように求められ、私の手に余る事態となっております」という説明はWikipedia:カンバス#適切な告知の「メッセージは常に中立を保ち」に反しする事も指摘しています。
- 他人のことを「知識がない」と決め付けて」いるのではなくWikipedia:カンバス#適切な告知の推奨する公正さに欠けていると述べているはずです。妙な翻訳はやめていただけますか?「過去に問題となっている記事やプロジェクトを相当量編集した、または相当に議論に加わった利用者全員に知らせる。」というWikipedia:カンバス#適切な告知に従っていないのを正当化するのをやめてください。また確かにウィキペディアは規則主義ではありませんが、それは方針やガイダンスを無視せよという意味でもありません。
- コメント依頼の告知は私に対して、はっきりとどこでなされているのか、告げなければなりませんが、そうしていないのも問題です。
- このような複数の問題点のあるこの提案には反対いたします。強行するのはやめてください。--よしのぶ(会話) 2016年1月17日 (日) 06:35 (UTC)
こちらに よしのぶさん。Yoshinobukoさんが反対の意思を表明したことは確認させていただきました。ただし、Takabegさんからの指摘[145]が会話に埋もれているようですので、こちらにつきましては、ご回答をしていただきますように、お願いいたします。
池橋さんの『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』の62頁を読めば、池橋さんが三つの説のうち「朝鮮半島南部経由」説がほぼ確実で、それを前提として論を進めているというのはわかりますが、池橋さん御本人の説(主張)は、173頁を読めばわかります。①生業の要素や工芸品の一部が朝鮮半島を経由して「ほとんど直接に」長江流域から日本へ導入された可能性、②朝鮮半島には長らく定着せず、さらに西日本へ来たという可能性 というのが池橋さんの説 (主張)ですので、この記事の本文で「池橋宏によれば、」という書き方をするのならば、62頁のものを書いてはいけないとは言いませんが、173頁のものは書かなくてはいけないのではないかと思います。
また、伝来ルートを4つに分けるのは2008年4月2日以来の記載[146]を継承しているだけですので、他に良い案があるようでしたら、ご提示ください。それ以外に記載内容に問題はないということで宜しいですね。--青鬼よし(会話) 2016年1月15日 (金) 03:54 (UTC)
- それ以外にも問題点を提示しておりますが、無視しないようにしてください。
- Takabegさんの書くべき特筆性のある内容だと思ったものは、Takabegさんが稲作に書込めばよいだけの話です。--よしのぶ(会話) 2016年1月16日 (土) 01:14 (UTC)
- よしのぶさんが古代の稲作以降に問題点を指摘されているようでしたら、会話の中で埋もれて見落としているのかもしれません。お手数ですが該当箇所を教えていただけませんでしょうか。
- また、稲作伝来ルートが4つになっている理由につきましては、ご理解いただけましたでしょうか。よしのぶさんからも、より良い案を提示していただければ幸いです。
- Takabegさんの指摘については、反論できることはありませということで宜しいですね。--青鬼よし(会話) 2016年1月16日 (土) 01:59 (UTC)
- Takabegさんが何も編集されていないのに、どうして反論が必要なのか?さっぱりわかりませんが。Takabegさんが編集したのを照合して問題点があれば、指摘し書き変えることになるでしょう。--よしのぶ(会話) 2016年1月17日 (日) 02:47 (UTC)
- 特に反論はないとのことですので、池橋さんの主張につきましては、Takabegさんの指摘を採用させていただきます。指摘事項・追記事項があるようでしたら、頂戴いただければと思います。「青鬼よしさんが編集したいことを書いているだけのこの文章には明確に反対いたします。」などの個人的な感情に基づいた書き込みは、稲作の記事に全く貢献しませんので、青鬼よしのノートページに書くようにしていただければ幸いでございます。--青鬼よし(会話) 2016年1月23日 (土) 19:57 (UTC)
- Takabegさんが何も編集されていないのに、どうして反論が必要なのか?さっぱりわかりませんが。Takabegさんが編集したのを照合して問題点があれば、指摘し書き変えることになるでしょう。--よしのぶ(会話) 2016年1月17日 (日) 02:47 (UTC)
- 「何も反論が無い」と誰が述べたのか?示してください。
- この提案のコメント依頼の仕方については、すでにカンバスの問題点を指摘しています。「過去に問題となっている記事やプロジェクトを相当量編集した、または相当に議論に加わった利用者全員に知らせる。」というWikipedia:カンバス#適切な告知に従っていない事。各個人に対するコメント依頼は、偏った文言を使って誘導しており、「複数の説がある論争中の話題では、自身の主張を過剰な形容詞を使うことはできないが、自分の意に沿った著作物を引用しすることで過剰な形容詞を使用することが可能です」と解釈された方により、記事の内容を特定の説に偏った内容にするように求められ、私の手に余る事態となっております」という説明はWikipedia:カンバス#適切な告知の「メッセージは常に中立を保ち」に反しする事。また私に対しては、ほとんど説明していません。
- それゆえに、このような反則のようなやり方で進められた提案は最初から無効であろうと思います。--よしのぶ(会話) 2016年1月25日 (月) 06:36 (UTC)
- よしのぶさんによる池橋さんの著書からの引用の仕方がチェリー・ピッキングだと思ったため指摘させていただいただけです。時間的に余裕がないのですが、仮に時間的に余裕がある時期であったとしても、潜在的な編集合戦を孕んでいる記事において、平均的な利用者が編集を躊躇するのは自然のことではないかと思います。Takabeg(会話) 2016年1月24日 (日) 08:45 (UTC)
- チェリー・ピッキングとは穏やかでない主張ですが、池橋 宏の『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62は、「第2章朝鮮半島の稲作渡来民」を全体として大まかな説明を述べた部分であり、それ以降の主張を要約しているので、ここを選んだわけです。また、池橋 の別の著作である『稲作の起源』p207~210あたりに書いている事も共通した内容です。
- Takabegの主張はこれですよね。
池橋さんの『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』の62頁を読めば、池橋さんが三つの説のうち「朝鮮半島南部経由」説がほぼ確実で、それを前提として論を進めているというのはわかりますが、池橋さん御本人の説(主張)は、173頁を読めばわかります。①生業の要素や工芸品の一部が朝鮮半島を経由して「ほとんど直接に」長江流域から日本へ導入された可能性、②朝鮮半島には長らく定着せず、さらに西日本へ来たという可能性 というのが池橋さんの説 (主張)ですので、この記事の本文で「池橋宏によれば、」という書き方をするのならば、62頁のものを書いてはいけないとは言いませんが、173頁のものは書かなくてはいけないのではないかと思います。
- これはの池橋の主張の中では「中国大陸から戦乱に巻き込まれた人達が渡来した」説の細かい内容になるわけですが、この部分をさらに書きたいというのなら、どうぞ。というしかありません。私はその部分を特に詳しく書く必要はないと思いますが。
- それから余談ですが、稲作開始年代がBC8頃説が有力になった現在の考古学会では、広瀬和雄が書いたように、「中国大陸から戦乱に巻き込まれた人達が渡来した、というような説は水田稲作が紀元前8世紀には渡来したのであればもう成立しない」という事になります。佐藤ー池橋論争を含め、この辺りの論争をいづれは書くつもりです。--よしのぶ(会話) 2016年1月25日 (月) 06:36 (UTC)
「日本への伝来」の構成につきまして -稲作の起源について-
稲作の起源については諸説がありますので、出典を以下に展開いたします。
著名な百科事典の記述
知恵蔵2015
稲作伝来ルート
近畿地方屈指の弥生時代遺跡である大阪府の池上曽根(そね)遺跡、奈良県田原本町の唐古(からこ)・鍵遺跡で見つかっていた2200〜2300年前(弥生時代前期)の水稲炭化米が2001年6月までのDNA分析で、長江下流付近など中国の温帯ジャポニカ種と同一種と判明。先に滋賀県守山市の弥生遺跡・下之郷(しものごう)遺跡からは熱帯ジャポニカ種も確認されており、近畿地方には朝鮮半島経由のほか、中国から直接もたらされた稲もあったことが確実視されている。(天野幸弘 朝日新聞記者 / 今井邦彦 朝日新聞記者 / 2007年)
- コメント 『知恵蔵2015』は学術的な記事における有効な出典とはなりません。--220.212.137.26 2016年3月3日 (木) 07:58 (UTC)
考古学の観点から
甲元眞之
甲元眞之は「日本へのイネの伝来ルートについては現在、①農学者や民俗学者が提起する台湾と琉球列島を経由してきたとする説、②民族学者が想起する東中国海を横断して直接九州にもたらされたとする説、③考古学者と一部の農学者が主張する山東半島~朝鮮半島を経て日本列島に到来したとする説が展開されている。」と現在の仮説を紹介した上で、「これまでの考古学的研究によると、稲作栽培を含めた日本列島における初期農耕文化は、縄文時代後期から弥生時代前期のころに、中国東北南部と韓国と密接に関連して形成されたことが判明している。」と山東半島~朝鮮半島ルート説を支持している。稲作の伝播については九州と韓国南部地域で共通する漁掛具に着目し「漁携民の活動に依拠するものであった」としている。(甲元眞之 稲作の伝来 (2005-7-15) [147])
甲元眞之 農耕社会の形成(2008-2-29)
縄文時代後期は気温が今日より2~3度上がり、湿潤な気候であったので、穀物栽培には格好の条件が整えられるところとなった。海水面も上昇して遠浅の海岸が形成され、魚の産卵場所が沿岸いたるところに作られることで、漁業資源が豊富になったことが明らかになっている。ちょうどこのころ逆T字形釣り針という得意な釣具が登場している。これは山東半島や遼東半島で出現し、朝鮮半島にも分布が及ぶ延縄漁掛に使用され、マダイ、クロダイ、スズキといった沿岸近くに生息する魚類を対象としたものである。遼東半島の遺跡では逆T字形釣り針が出土する遺跡からイネやアワの出土が認められている。この逆T字形釣り針が対馬、北部九州沿岸、西北九州に分布をみせていることから、この釣具を使用した漁民たちはイネの存在を熟知していたことが窺えるのである(甲元眞之「環東中国海の先史漁携文化」『熊本大学文学部論叢』1999年)。このことは縄文時代後期になり漁民の接触を通して農耕が日本にもたらされたことを物語っている。
中国の考古学会
龍谷大学国際社会文化研究所 徐光輝 「長江流域の農耕集落について」(2004年) [148]
稲作の伝播ルートについては、長江中下流域から次第に北上していく中でいくつかのルートに分けられるが、一般的に南路と中路では東部沿海地域から直接海を渡って朝鮮半島や日本列島に、北路では華北と遼東半島などを経由して朝鮮半島や日本列島に伝わったと見られる。山東省棲霞県楊家圏遺跡、大連市文家屯遺跡、同大鳴子遺跡(写真15)、朝鮮民主主義人民共和国の平壌市南京遺跡(写真16)、韓国扶余郡松菊里遺跡(写真17) といった中継点を勘案すれば、基本的に陸地をもとにする北路が最も安全で確実であると考えられる。
ただ稲作は必ずしもいつも遼東半島を経由したとは限らないため、山東半島から海を渡ってまず朝鮮半島中南部の西海岸の平野地帯に上陸した可能性も十分ある。最近、韓国境内で新石器時代にさかのぼる稲の資料が出ており、日本列島でも縄文時代後晩期の関連資料が確認されつつあるが、稲型や年代における差異が比較的大きいため、伝播経路を多様に見るべきである。特に岡山県朝寝鼻遺跡などで検出された、長粒型に属する年代の古い資料の由来に関しては、現時点では龍山時代の山東半島より、さらに南の黄准流域と長江下流域からの海上ルートを考えたほうが妥当であろう。また、稲作の伝播というのは、単なる稲のみではなく、それが食糧として利用されるに至る生産技術や儀礼を含む物質文化と精神文化の要素が共に伝わったかどうかも考えるべきである。
育種学の観点から
農業・生物系特定産業技術研究機構
稲作技術発達史テキスト版トップ 第1章 縄文~平安時代[稲作伝来~鉄製農具の普及] [149]
稲作伝来3つのルート稲作が日本へ伝わったルートについては、いろいろな説がある。代表的なものは、以下の3説であるが、研究は現在も進められている。 1.北方説:石包丁や石斧など、発掘された出土器の分布から推定。 2.南方説:祭事・神事など、稲作民族の農耕儀礼の分布から推定。 3.中央伝来説:稲の品種・栽培地の条件、稲の呼称などから推定。
また、花粉分析などによって、縄文時代中期の日本は高温だったことが証明されたことから、在来の野生稲があったのではと推定する説もある(在来自生説)。
独立行政法人農業環境技術研究所
水田稲作と土壌肥料学 (1)情報:農業と環境 No.105 (2009年1月1日) [150]
日本への水田稲作の伝来については大きく分けて三つの説があるが、現在では、この長江流域から直接、東シナ海を渡って九州へ伝播したという説が有力となっている。そして、九州の南部には稲作が定着しにくい黒ボク土壌が広く分布することから、稲作の伝来は九州北部であったろうと考えられている。事実、日本で発掘された最古の水田遺跡は、佐賀県唐津市の菜畑(なばたけ)遺跡をはじめ、九州北西部に多く分布している。そして、ここに水田稲作が定着したのは、約2500年前であろうと推定されている。日本史における弥生時代の始まりである。
佐藤洋一郎
佐藤洋一郎は稲の伝播経路に既存の「フィリピン・琉球を経由して九州に伝播した南の経路、中国南部から直接伝わった経路、中国から朝鮮半島を経由した経路」に加えて、「はじめに南から陸稲がやってきて畑稲作として定着し、つづいて中国から(あるいは朝鮮半島南部を経由して)水田稲作と水稲が渡来した」南北二元説を提唱している。
「日本のイネの伝播経路」 (佐藤洋一郎)より [151]
イネのきた道について過去に出された仮説は、朝鮮半島経由説、江南説(直接ルート)および南方説の三つにまとめることができよう
最近私は、この「イネがどこからきたか」という問いに対して、生物としてのイネが持つ特性やその分布などに基づいて南北二元説という新しい考えを発表した。南北二元説では、はじめに南から陸稲がやってきて畑稲作として定着し、つづいて中国から(あるいは朝鮮半島南部を経由して)水田稲作と水稲が渡来したと考える。
「DNA の欠失領域を用いた栽培イネ Oryza sativa L. の熱帯ジャポニカ型と温帯ジャポニカ型の識別マーカの作出と登呂Ⅰ期遺跡から出土した炭化種子への応用」(佐藤洋一郎 共同執筆より)
イネの品種や稲作文化の起源や伝播,多様性の研究が文化的側面や科学的側面から行われてきた(佐々木,1993;坪井,1982;富山,1993;渡部,2000).遺跡から出土したイネ遺物は,粒形(佐藤,1971;直良,1956;花森ら,2007;和佐野,2009)やプラントオパール分析(杉山,2000;藤原,1998)を含む形態分析およびDNA 分析(佐藤ほか,2001;佐藤ほか,2005)によって調査が進んでいる.イネの伝播経路については,フィリピン,琉球を経由して九州に伝播した南の経路,中国南部から直接伝わった経路,中国から朝鮮半島を経由した経路の3つの仮説が提唱されている(佐藤,1996;柳田,1978;渡部,1993).
「プラント・オパールからみた稲作農耕の開始と土地条件の変化 外山秀一 [152] (佐藤洋一郎 「稲のきた道」 166p から引用部分)」
遺伝学の成果によると、中国から伝播した雑種の弱勢遺伝子Hwc-2と短日性の晩生(I型)の粳タイプの温帯ジャポニカ、南方から伝播したhwc-2の遺伝子をもち短日性を示さない晩生(II型)の熱帯ジャポニカとが自然交配し、そこからできた早生が急速に北日本まで広がったとみられている
「稲の道」 中国雲南 ・江南ルート」[153] (佐藤 洋一郎 「稲のきた道」 から引用部分)
稲のきた道の道案内ツールは雑種弱勢現象であるとの見解が提示されている。すなわち、詳細については佐藤洋一郎の学説にゆずるが、その著書のなかで二つの遺伝子を説明している。とくにHwc-2遺伝子の地理的分布についてみると、Hwc-2優性遺伝子をもつ黒丸品種が中国の江南と台湾にかたまっている。この分布に対して、hwc-2劣性遺伝子をもつ白丸品種はアジア全域にみられる。なお、中国の稲はすべてhwc-2劣性遺伝子をもっており、粳稲はすべてHwc-2優性遺伝子をもっていることも明らかにされている
「日本・中国・東南アジアの伝統的酒類と麹」岡崎直人 [154] (佐藤 洋一郎 「稲のきた道」 から引用部分)
稲の伝播に関する佐藤洋一郎氏の論文によれば刊今から 7千年以上前,長江中,下流域に生まれた温帯ジャポニカは,約 2千数百年前に九州に伝わった。一方,それ以前に南方から熱帯ジャポニカが陸稲として伝わってきていた。そして日本のどこかで合間見え,日本の稲栽培条件に適した短日性の温帯ジャポニカが主流を占めるようになった。
宇田津徹朗
東アジアにおける水田稲作技術の成立と発達に関する研究 : その現状と課題(日本と中国のフィールド調査から) 2013年4月 [155]
日本への稲作伝播の主要なルートとしては、「長江下流域からの直接伝播ルート」「琉球列島を経由する南方ルート」「山東半島から朝鮮半島を経由するルート」の3つが知られている。現在までに得られた成果から、これらのルートそれぞれの成立の可能性について考えて見たい。まず、「長江下流域からの直接伝播ルート」についてであるが、すでにのべたように、長江下流域の稲作開始期は日本との大きな時間差があり、よく整合する。しかし、農業技術という点では、当該地域の稲作は低湿地利用を基本とする水田稲作技術であり、日本の初期稲作技術として想定されている焼畑など畑作系譜の稲作との整合性に欠ける。「琉球列島を経由する南方ルート」については、琉球列島において、グスク時代(およそ10世紀)を遡る稲作の存在が確認されていないことから、成立そのものが困難な状況と言えよう2つめの「山東半島から朝鮮半島を経由するルート」は、経由地域の気候的な位置づけから、畑作系轄の農業技術を背景にもっている点、さらに、さきに述べたように山東半島地域での稲作が山東龍山文化期まで遡る点など、技術系譜や時代の前後関係において一定の整合性が認められており、現段階では、最も可能性高いルートと言えよう。
ノートページに編集内容を大量にコピーすることについて
現在青鬼よしさんによって、稲作の一部が大量のコピーされ、このすぐ上に張り付けられています。 [156] 編集は稲作でやればよいものであり、何のために大量貼り付けをしているのでしょうか?意味不明瞭な行動はやめてくださる事を希望します。--よしのぶ(会話) 2016年1月12日 (火) 02:09 (UTC)
- こんにちは。記述をどうするか意見が分かれるときに、事前にノートページで文案を書いて議論するというのは一般的に行われており、むしろ好ましい行為とされていると思われます。「Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合う」の「1.ノートの活用」などをご参考ください。ただ、青鬼よしさんにおかれましてはノートであってもコピペおよび改変するときは、Wikipedia:ウィキペディア内でのコピーに沿って、要約欄あるいはノート中に帰属表示をお願いします。--Yapparina(会話) 2016年1月12日 (火) 11:27 (UTC)
- 御指摘ありがとうございました。帰属表記につきましては、なるべく早く対応いたします。--青鬼よし(会話) 2016年1月13日 (水) 15:43 (UTC)
青鬼よしさんは去年の9月来、「水稲は朝鮮半島から来た」という記述を削除するために、何度も虚偽出典による独自研究記述を繰り返して来ました。そうした過程は「ノート:稲作#稲作伝来ルートのYoshinobukoさんの編集について」から以降を読んでいただければ、おわかりだと思います。日本民族の起源に関する出典をまるで稲作について書いてあるように記述したり[157]、ネットのサイトの記事にすぎないものを新聞記事として出典偽装をしたり(ノート:稲作#「日本への伝来」節の編集について(2))、枚挙のいとまがありません。ところが、次々と指摘されてしまい[158]、さらに様々な論文を発掘した結果もう削除することも書き変えることもできなくなった。そこで「提案」という形で「水稲の伝来」節自体を消そうとしています。上の提案の中には、現在存在している包括的な「水稲の伝来」が削除されているのはそのためです。稲作(水稲)に関して調べて編集して来た人がその知見にもとづいてそのつど必要に応じて編集すべきであり、「水稲は朝鮮半島から来た」という記述を削除するという目的を持った上記のような提案のやり方には反対です。--よしのぶ(会話) 2016年1月13日 (水) 15:11 (UTC)
K-12
『【日韓歴史共通教材】日韓交流の歴史』明石書店、2007年3月、ISBN 4-7503-2483-3 ですが、記述は高校生向け (参考文献に関しては教員・一般読者用のものも掲載されているようですが) とあります。Wikipedia:信頼できる情報源には、「K-12水準の教科書は権威があるようには作られておらず、ウィキペディアの編集者は避けるべきです。」とありますので、典拠を置き換えるなど適切な対処をよろしくお願いします。Takabeg(会話) 2016年1月13日 (水) 14:47 (UTC)
なるほど、それは了解しました。--よしのぶ(会話) 2016年1月13日 (水) 15:00 (UTC)
単に節の「構成」を変えるだけではなく、小節の「記述内容」を変えている現在の編集について
上でDwy氏は、「ここで提案されているのは節の「構成」ですから、」と述べて批判をかわそうとしていましたが [159] 現在、節の「構成」とともに内容を変える編集がなされています。[160] [161] また青鬼よしさんには複数の虚偽出典のよる独自研究が指摘されており、まずそれを説明し、さらに合意してから編集を敢行してください。--よしのぶ(会話) 2016年1月17日 (日) 10:00 (UTC)
- 内容が変わったことについて異議がおありなら、どの部分にどのような問題があるのかノートでご指摘下さい。内容が変更されて問題があると思われる箇所については、問題点の指摘とともに一旦差し戻していただいても結構ですが、できれば単純に差し戻しすのではなく、上の議論や要約欄で指摘されている問題点等も考慮の上で、より良い記述になるような編集を考えていただければ最高だと思います。--Dwy(会話) 2016年1月17日 (日) 15:03 (UTC)
- 「ここで提案されているのは節の「構成」ですから、」と述べていたのですから、節の「構成」だけにしてください。Dwyさんは「節の「構成」だけ」と表面上は言いながら内容を変えたかったわけですか?
- この佐藤洋一郎の記述は「縄文晩期に温帯ジャポニカが揚子江下流域(RM1-b)と朝鮮半島南部(RM1-a)から伝播し」になっていたのだから、『黒潮ルート、南方伝来ルート説』に入れているのがおかしいでしょ。概論として「稲作の伝来」に加えることにしましょう。
- この後、青鬼よしさんは、出典を足して、
- 「1990年ごろ、農学者の佐藤洋一郎は、縄文前期に熱帯ジャポニカが南西諸島から伝播し、水陸未分化の粗放稲作が行われた。縄文晩期に温帯ジャポニカが揚子江下流域(RM1-b)と朝鮮半島南部(RM1-a)から伝播し、熱帯ジャポニカと混合した水田稲作が始まったのではないかと、複数のルートから伝わったと提唱し、2008年、農業生物資源研究所がイネの粒幅を決める遺伝子のひとつ「qSW5」を解析し、」から
- ↓
- 「1990年ごろ、農学者の佐藤洋一郎は、縄文前期に熱帯ジャポニカが南西諸島から伝播し、その後に中国から持ち込まれた温帯ジャポニカと自然交配が行われ、日本への普及が進んだと提唱し、2008年、農業生物資源研究所がイネの粒幅を決める遺伝子のひとつ「qSW5」を用いて、ジャポニカ品種日本晴とインディカ品種カサラスの遺伝子情報を解析し、」
- に変更[162]
かなり大きな変化ですが、追加された出典【外山 秀一「プラント・オパールからみた稲作農耕の開始と土地条件の変化」(324⁻325p) [163]】に果たしてこの変化分である「その後に中国から持ち込まれた温帯ジャポニカと自然交配が行われ、日本への普及が進んだと提唱し」が存在するのか?を見てみます。
- この部分の出典となりそうなのは、「 遺伝学 の成果 に よる と, 中国から伝 播 した雑種 の弱勢 遺伝子 Hwc-2と 短 日性 の晩生 (Iこう型) の粳タイプの温帯ジャポニカ, 南方から伝播したhwc-2の遺伝子 を もち短日性 を示 さない晩生 (II型)の熱帯ジャポニ カとが自然交配し, そこからできた早生が急速に北日本まで広がったとみられている 」(p324)という記述ぐらいしかないが、しかしこれは佐藤の説ではなく、遺伝学 の成果であり、「佐藤が~唱えた」という文章にはならない。また「南方から」が「南西諸島から」にここではなっている。これは明らかに「発表済みの情報の合成」(WP:SYN)である。「 また佐藤(1992) に よる と, 温帯 ジャポニカ種が九州 に伝 わる以前に, 南 ルー トで熱帯 ジャポニカ (ジ ャバニ カ) が陸稲 として伝 播 していた とい う.」(p324)という文章もあるが、これを「その後に中国から持ち込まれた温帯ジャポニカと自然交配が行われ、日本への普及が進んだと提唱し」にするのは無理である。さらにこの論文は外山 秀一の論文であって、佐藤を出典とした文章があっても、この場合「外山は佐藤を出典として●●と述べた」とならなければならない。以上の理由により全体を差し戻します。それから、このように文章を大きく変化させる場合元からあった出典は出典として意味をなさなくなるので削除すべきでしょう。あるいはどの部分の出典となっているかをちゃんと示すべきです。--よしのぶ(会話) 2016年1月17日 (日) 20:10 (UTC)
- Dwyさんは、 「概要」節を消去していますが[164]、節を消去すること自体には賛成します。しかし内容を全部削除するのではなく、出典のあるものは履歴を継承して、ふさわしい節に移動してください。「ボトルネック効果」など、それなりに特筆性のある記述を理由もなく消すような編集は止めてください。
- [[[国立歴史民俗博物館]]による放射性炭素年代測定結果からは、・・・弥生時代の開始時期の定義も揺らいでいる」のみは移動したのを確認しましたが[165]、どこから移動したのか書いておいてください。
- この編集[166]で「1990年ごろ」を書きくわえていますが、これは何を出典とした記述でしょうか?教えていただけますか?
- いづれにせよ、今回の節の構成の編集のどさくさに内容を変えようとする試みには反対します。--よしのぶ(会話) 2016年1月18日 (月) 05:26 (UTC)
Dwyさん。「日本への伝来」に書いてあった内容が全て削除されていますが[167]、これを削除する理由を述べてから削除してください。現在の編集は、「節の構成の問題」と述べながら、実際には内容を削除しております。理由が不明な編集が続いており、上記検証して来た複数理由によって一度元の状態に戻しします。--よしのぶ(会話) 2016年1月19日 (火) 02:47 (UTC)
- 「節の構成」を変える提案についてはすぐに合意が得られそうになかったので、こちらで一般論として指摘した問題が比較的はっきり現れていると私が思った部分を、要約欄に理由を述べて編集したものです。編集の理由か不明ということはありませんし、「どさくさに」のような言い方はWP:CIVILやWP:AGFに反します。もしも要約欄の記述が舌足らずでわからないということなら、具体的にわからない箇所をご指摘下さい。--Dwy(会話) 2016年1月19日 (火) 15:35 (UTC)
- Dwyさん。すでに複数問題を指摘しておりますが、どれにも答えていただいておりません。
- 「概要」節の消去の際に[168]、内容のほとんどをまったく理由を述べずに消しています。要約欄には「重複する情報等の整理」としか書かないで15行に渉って消しており、そのうち4行だけ[169]は移動してありました。要約欄には書いていないが、11行を消す理由は何かあったのでしょうか?
- 出典がなく独自研究であるとか虚偽出典であるとか、ウィキペディアの方針上削除すべき記述ならともかく、「一般論として指摘した問題が比較的はっきり現れていると私が思った部分」などという理由で削除しないでください。「私が思った」で消せるなら、全ての記事を自分の感情で消せることになってしまうでしょう。消した全てに出典があり、検証もしないで出典ある記述をどさくさにまぎれて削除しないでください。よろしくお願いします。--よしのぶ(会話) 2016年1月19日 (火) 18:18 (UTC)
稲作#水稲の伝来の下にある「稲作#概要」節を消去し、その内容は全て出典があるのでこれを移動します。この記述のほとんどが、稲作#日本への伝来にふさわしいと思います。--よしのぶ(会話) 2016年1月19日 (火) 10:02 (UTC)
「伝来ルート」以下の編集について
「稲作#伝来ルート」「稲作#対馬暖流ルート説」「稲作#黒潮ルート、南方伝来ルート説」「稲作#遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」「稲作#山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート説」についてですが、朝鮮半島経由の場合「稲作#遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」か「稲作#山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート説」か、どちらとも断定不能なものが多いという便宜上の欠点もあり、すでに指摘したようにこの4説に分けるこのやり方は定まっておらず、3説に分けたりや5説に分ける場合もあります。そこでこの「稲作#伝来ルート」節自体を削除する事を提案します。記述内容は、出典があるものは「稲作#日本への伝来」か「稲作#水稲の伝来」、「稲作#日本国内での歴史」に移動したいと思います。それから[要高次出典]タグがつけられたものがありますが、これは誰が何にためにつけたのでしょうか?記述は2次資料に基づいており、それでは足らないということでしょうか?タグは取り外しますが、必要だという方は、その理由をご指摘してください。中立性の点では主張を事実として書いており、問題があるのは確かですが。--よしのぶ(会話) 2016年1月19日 (火) 11:36 (UTC)
「水稲の伝来」は「水田稲作の開始」と内容的にかぶるので一つにまとめようという提案もあるのですが、そちらは無視して自分だけで編集していくおつもりですか?--Dwy(会話) 2016年1月19日 (火) 15:49 (UTC)
- こうして編集する前に意見を書いているのは、「無視して自分だけで編集していくおつもり」では無いからですよね。もし「無視して自分だけで編集していくおつもり」なら、何も書かずに勝手に編集するだけになるでしょう。また「「水稲の伝来」は「水田稲作の開始」と内容的にかぶるので一つにまとめようという提案もある」のと、この稲作#伝来ルートの編集が何か関係があるのですか?できるだけ善意にとる努力はしておりますが、中傷しないようにお願いいたします。
- 上記提案内容に関しては何の異論も無いようですね?--よしのぶ(会話) 2016年1月19日 (火) 17:33 (UTC)
- 「伝来ルート」節を全部無くしてしまうのには反対です。私としては、こちら]でKioriさんが言っておられるように、基本的に「伝来ルート」を記述する節と「歴史」を記述するする節を設けて役割分担させるべきだと思っています。
- で、よしのぶさんの方は私の提案に何の異論もないということでいいんですね?--Dwy(会話) 2016年1月19日 (火) 18:59 (UTC)
- 一年前の誰かのコメントを持ち出して「反対です」というだけでは意味がありません。今回、新たに4ルートに分ける問題点を指摘しており[170]、それをついて意見は無いわけですね。--よしのぶ(会話) 2016年1月20日 (水) 16:19 (UTC)
- Dwyさんの提案というのはどれのことですか?--よしのぶ(会話) 2016年1月20日 (水) 16:19 (UTC)
- 私の提案はこちらの節にありますし、伝来ルートに関する記述についてはこちらで意見を表明済みです。よしのぶさんはこちらでの議論にずっと参加されていますし、関連する節でのかなり大規模な編集も提案されているわけですから、これまでの議論の中での他の人の意見等は充分把握されているものと思っていましたが、上記の私の提案・意見はお読みになっていなかったということでしょうか。
- 「伝来ルート」の節には果たすべき役割があるから全部無くしてしまうのは反対だと言っていますが、他の人の意見を「意味がありません」などと切って捨てるのは、見方によっては対話拒否の予告みたいに見えてしまいますし、何より礼儀に反します。--Dwy(会話) 2016年1月22日 (金) 03:36 (UTC)
「意味がありません」という言葉がなぜ、「対話拒否」あるいは「礼儀に反し」になるわけですか?それこそ言いがかりというしかありません。まったく今回の提案とは無関係な1年前のダレかのコメントを持ち出すことに、何か意味があるというのなら、それを論証してください。「意味が無い」ものは「意味が無い」というしかありませんね。--よしのぶ(会話) 2016年1月25日 (月) 05:38 (UTC)
- 「起源」にまったく出典の無い記述がありますので、一週間待って削除します。残したい方は出典をよろしくお願いします。
- 「水稲に関しては、揚子江下流の浙江省寧波の河姆渡(かぼと)村で、放射性炭素年代測定法で約7000 - 6500年前の水田耕作遺物(水田遺構は発見されていない)が1970年代に発見された。1980年代に入り、現在の所最古の水田遺構が彭頭山文化前期にあたる約8000年前の揚子江中流湖南省の彭頭山遺跡で見つかっている[1]。以上の発見等から現在では、水稲の水田耕作は揚子江中・下流域に起源し、日本へもこの地方から伝播したと考えられている。」--よしのぶ(会話) 2016年1月19日 (火) 18:33 (UTC)
- コメント誰の主張が正しいとか合理的だと判定するわけではありませんが、これだけ長期間・多岐にわたって意見の隔たりが収束していないわけですから、「記事本文の編集」はいったん凍結し、まずは合意形成に注力すべきでは?いまのまま記事本文の編集を行っても論争が拡大するばかりで、問題の解決からどんどん離れていきます。(ここでいう「問題」は、記事の中身の問題のことではなく、編集合戦やノートでの議論が解決していないことを指します)
- 学説・学会で見解が分かれたり諸説あるような主題であれば、それをこの記事やノートで争うのは不毛です。
- いちどゼロ地点(なにも書いていない状態)に立ち戻って、お互いに「合意できることから」・「合意できることだけ」書いてはいかがでしょう。そのうえで、文献などにきちんと出典が求められることで、意見(学説)が分かれるものについては、その「学説」単体で別記事とし、当記事にはその記事へのリンクを貼るのみ、とすれば、この記事内で各学説が衝突することを回避できます。
「水田稲作の開始」の位置にまとめた際の内容の削除について
- Dwyさんは「水稲の伝来」節については、「水田稲作の開始」と内容的にかぶるので、「水田稲作の開始」の位置にまとめようという提案をしています。つまり、時系列に従って、まず縄文稲作について記載し、その後に水稲伝来→水田稲作の開始の話を書いていくということです」 という提案をしています。それ自体はたいした問題ではありません。かぶっている部分は整理すべきだからです。
- しかしその場合でも全体を俯瞰する説明は残すべきです。
- どさくさにまぎれて、内容の無造作な削除はやめてください。
- 「POV除去」と説明していますが、この12行の文章のどこがPOVなのか?説明すべきです。POVの問題ある文章は見当たりません。どこがどのように中立性に問題があるのか?示してください。
- 「引用されている出典の中に、日本における初期の稲作が天水田で行われたという記述はありません」 という説明で記述を削除していますが、出典はここから 読むことができます。p39、p40には日本でもわずかながら、天水田による栽培がなされたことが書かれています。出典を確認しているなら、なぜ「引用されている出典の中に、日本における初期の稲作が天水田で行われたという記述はありません」という断定になるのでしょうか?
- ただしこの文章は、「日本で」という部分ではないので、稲作#起源に移動すべきです。いづれにしても無造作な削除はしないでください。編集は差し戻します。--よしのぶ(会話) 2016年2月3日 (水) 08:11 (UTC)
- 要約欄で趣旨を明示した上で編集していますから、別に「どさくさにまぎれて」はいませんし、無造作でもありません。かぶっている部分を整理すべきだということに異論がないのなら、そちらこそ無造作に全部差し戻すのではなく、異論がある部分についての改善案を提案されたら良かったと思います。
- 「日本への伝来」節の冒頭に「全体を俯瞰する説明」を置くことには必ずしも反対ではありませんが、現実には非常に難しいのではないかと思います。過不足なく全体を俯瞰する記述をまとめるのは決して容易ではありませんし、ウィキペディアのように何時でも誰でも自由に加筆修正できるプロジェクトで過不足ない記述を維持するのは更に困難だからです。
- いずれにしろ、既存の記述の一部を「残す」やり方では「全体を俯瞰する説明」にはなりません。よしのぶさんが「全体を俯瞰する説明」が必要だと言うのであれば、適切な文章を新たに提案していただく必要があります。
- 少なくとも現在の版は半端な記述を全体の構成やバランスも考えずに並べているだけで、「全体を俯瞰する」には程遠い状態です。いまのような文章を残すくらいなら、何もない方が余程マシです。
- 「伝来ルートの解明は…」以下の部分には出典が3つ付いているわけですが[171][172][173]、研究の方法論について正面から語っているのは最後の外山秀一だけで、そこでは民俗学や農学等を含め様々な視点からの分析を行うと書いてあります。現在の記述は考古学や遺伝子分析だけに焦点が当たっており、WP:DUEが要求する「釣り合いの取れた重み付け」ができていません。
- 「天水田」の記述について、「日本ではごく僅か」のところは分かっていますが、「初期の稲作」はどこから持って来たのでしょう?そんな記述はどこにもありません(日本以外の地域について語っている箇所にも「初期の稲作」に関する記述はありませんから、「起源」のところに移すのも不適切です)。--Dwy(会話) 2016年2月4日 (木) 23:09 (UTC)
- 私としてはよしのぶさんの差し戻しに理由がないと思いますので、取り敢えず一旦元に戻します。よしのぶさんが「全体を俯瞰する記述」が必要だと考えるのであれば加筆していただいて結構ですし、除去された情報がどうしても必要だとおっしゃっているのならその情報を適当な場所に復帰した上で議論を継続する手順で構いませんが、かぶっている部分は整理すべきだという点に同意いただいている以上は、全部を差し戻すことはやめていただきたいと思います。--Dwy(会話) 2016年2月6日 (土) 00:09 (UTC)
Dwyさんが、出典のある記述を消していること[174]の説明を求めましたが、まったく答えていただけません。この文章はほかとかぶっているというのなら、そのかぶっている文章を示してください。全体的に記事の破壊になっていますので、無造作な削除を編集合戦するのはやめてください。--よしのぶ(会話) 2016年2月22日 (月) 17:02 (UTC)
- 「伝来ルートの解明は…」のように一般的な方法論を語る文章の出典には、方法論を正面から論じているものが必要です。ある論文がたまたまある方法を採用していたとしても、それを「伝来ルートの解明は…」などと一般化して書いてはいけません。よしのぶさんは出典があるとおっしゃいますが、「伝来ルートの解明」の方法論を正面から論じた出典は一つもありません。--Dwy(会話)2016年2月22日 (月) 21:54 (UTC)
Dwyさんは「この文章はほかとかぶっている」と書いていますよね。ですから、具体的に示してくださいとお願いしています。具体的に「かぶっている部分」は無いわけですか?--よしのぶ(会話) 2016年3月5日 (土) 05:40 (UTC)
- 「伝来ルートの解明は…」の部分について「この文章はほかとかぶっている」と書いた記憶がありません。カギカッコの使い方に一言お持ちのよしのぶさんがわざわざカギカッコで括っておられるのですから原文を正確に引用されているはずですが、情けないことに発言が確認できません。いつどこでの発言か示していただけませんでしょうか?--Dwy(会話) 2016年3月5日 (土) 08:57 (UTC)
- するとここで「引用されている出典の中に、日本における初期の稲作が天水田で行われたという記述はありません」 という説明で記述を削除しているのは、「初期の」という3文字が出典に無いから・・・という理由で削除したという事でしょうか?論文を読めば、これが陸稲と水稲が未分化な初期の稲作の話であることは十分に理解できますが。またたとえ理解不能であったとしても「初期の」という3文字が無いという理由で全文削除はいかがなものでしょうか?--よしのぶ(会話) 2016年3月2日 (水) 03:59 (UTC)
- その論文が言っているのは、天水田の稲作では稲の生育初期(つまり、熱帯モンスーン気候では乾季に当たる春先)に乾燥抵抗性が要求されるということ。「初期の稲作に於いては潅漑用水を用いず、雨水のみに依存する天水田での稲作が行われた」は誤読です。
- それからもう一点。仮に誤読がなかったとしても、水稲や陸稲についての説明は何も無いなかで、唐突に天水田の稲の乾燥抵抗性について語る意味が分かりません。話の流れやバランスが悪すぎます。記事を書く際には、全体の構成やそれぞれの情報の重要性を考慮した上で、分かりやすくバランスの良い記述を心掛けるべきです。出典があっても、全体の構成のなかで重要でない情報は不要です。--Dwy(会話) 2016年3月2日 (水) 09:39 (UTC)
Dwyさんは「引用されている出典の中に、日本における初期の稲作が天水田で行われたという記述はありません」 という説明で記述を削除していますが、論文の中には書いてありました。何が誤読ですか?この論文[175]の中には「日本ではごく僅かであるが、アジアの他の国々では田が造成されているが水の供給はもっぱら天水をたよりにするイネ栽培も多い。」と書かれており、誤読の余地はありません。「引用されている出典の中に、日本における初期の稲作が天水田で行われたという記述はありません」と書く方が誤読と言えます。この部分は消すのではなく稲作#起源に移動します。--よしのぶ(会話) 2016年3月5日 (土) 05:40 (UTC)
- 「出典に書かれていないことを、まるで出典に書いているように偽装して編集する事」が「虚偽出典」ならば、「初期の稲作」を意味する言葉が出典にないのに、まる出典に書いているように言い張って編集するのも「虚偽出典」ではないのですか?よしのぶさんのおっしゃることは、さっぱり意味が分かりません。
- それから、私からは記述のバランスとか適切な重み付けについても問題提起しているのですが、そっちは無視なんですね。--Dwy(会話) 2016年3月5日 (土) 08:46 (UTC)
- あと、「伝来ルートの解明は…」の問題点も何度も説明していますが、またもや何の反論もないままに復帰してしまっているのはどういうことでしょうか?--Dwy(会話) 2016年3月6日 (日) 16:36 (UTC)
「初期の」が3文字が出典に無いから消したのですか?「記述のバランスとか適切な重み付けについても問題提起」は削除の理由にはなりませんね。だいたい「問題提起」などどこにもしていないでしょ。削除した理由をあとづけで作成するのはやめてください。--よしのぶ(会話) 2016年3月6日 (日) 17:46 (UTC)
- 「初期の」も無ければ、「残ることになる」もない。よしのぶさんの基準にしたがうなら、明確な虚偽出典です。
- 「理由になりませんね」って、何の説明にもなっていませんね。まともに議論をする意欲あるいは能力をお持ちでないことは分かりましたが…--Dwy(会話) 2016年3月12日 (土) 08:29 (UTC)
「日本国内での歴史」について
現状、出典が全くついていませんが、この記事でこの状態の記述は生き残れないと思います。執筆時にはちゃんと出典を参照して書かれているものと思います。早急に出典の加筆をお願いします。--Dwy(会話) 2016年2月7日 (日) 00:20 (UTC)
いつの、誰の、どの編集についてのべているのか?まったく分かりません。URLをつけてどこに関するものか、指定してください--よしのぶ(会話) 2016年2月22日 (月) 17:07 (UTC)
- コメントを投稿した時点の、「日本国内の歴史」の節の記述について述べてたものです。その後記述内容の改善がなされ、なんのことを言っているのか「全くわかりません」と言ってもらえるほどの状態になっていることは、喜ばしい限りです。--Dwy(会話) 2016年2月22日 (月) 22:20 (UTC)
URLをつけてどの編集の話かをきちんと指定してください、とお願いいたしましたが、つけていただけないようです。--よしのぶ(会話) 2016年3月2日 (水) 01:50 (UTC)
- こちらの議論は既に終わっていますので、お気になさらないで結構です。もしもよしのぶさんが取り上げたい話題があるのなら、新しい話題として議論して下さい。--Dwy(会話) 2016年3月2日 (水) 09:47 (UTC)
大量に編集されている虚偽出典記述について
- すでに青鬼よしさんの編集について幾度か虚偽出典や著作権の問題点を指摘しています。
- 【虚偽出典】
- 「1999年3月23日 共同通信 中日共同調査団が発表・・・」[176]
:その後、追及したところ、出典部分はネットで見つけたサイトからのコピーであることを認めています。虚偽出典である上に2行と少し丸写ししていますので、WP:DCVの疑いが濃い案件だと思います。(ノート:稲作#「日本への伝来」節の編集について(2))その点でもコメントを伺いたいものです。
- 原典を確認しないで、勝手に「」で囲う。[177]
- 私の原典から要約した文章を再編集して、勝手に「」をつけています。これだと読む人はそれがそのまま池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』という著作に書かれていると勘違いしてしまうでしょう。これに対して「なぜカッコで囲ったのか?」と聞いても答えはありませんでした。
- 日中歴史共同研究 を出典とする記述を行っています。[178] これに対する虚偽出典指摘は[179]
- ここでは私のして来た編集を全て削除して、編集していますが、ほとんどが虚偽出典です[180]。(ノート:稲作#遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説を冒頭に移動した件につきまして)[181]で指摘。しかし、この指摘に答えることなく、その後12月23日にリパートをしています[182]。
- 【ケースB】(WP:DP#B)
- この編集の「人類学的な知見からは、日本の稲作の歴史は、縄文時代晩期に中国大陸の南部から、稲作技術をもった人々が渡来したことにより始まったと考えられている」は、[183]からの丸写しであるにもかかわらず範囲を指定していません。明らかに著作権を侵害しています。指摘はここで[184]
- これらの指摘に対して、青鬼よしさんからはほとんどまったく説明もないのが実情です。
- こうした状態でまたもや、2月6日16時ころに連続10編集、翌7日に3編集、さらに21日の連続8編集しており、内容を大きく変えています。[185]内容確認してみます。
佐藤洋一郎は、中国・朝鮮・日本の温帯ジャポニカのSSR(Simple Sequence Repeat)マーカー領域に存在するRM1-aからhの8種類のDNA多型を調査し、中国にはRM1-a~hの8種類があり、bが多く、aがそれに続く、朝鮮半島はbを除いた7種類が存在し、aがもっとも多い。 日本にはa、b、cの3種類が存在し、bが最も多い。aは東北も含めた全域で、bは西日本が中心であることを発見し、長江下流のイネが直接の日本の水稲品種の祖先とする可能性が高いことを指摘した
を
「育種学研究, 2004 「マイクロサテライトマーカーを用いた日本の在来イネの分類」[186]」を出典に書いています。
- この論文はここで読むことができます。
- 確認すれば分かるように、大越 昌子、胡 景杰、石川 隆二、藤村 達人の論文ですが、作者を書いていません。またページ数もありません。
- ここで問題は論文p126の左9行目「長江下流のイネが直接の日本の水稲品種の祖先とする可能性が高いことを指摘した」を丸写ししているにも関わらず、引用範囲を「」でくくっていない。これはケースBに該当(WP:DP#B)。
- 「中国・朝鮮・日本の温帯ジャポニカのSSR(Simple Sequence Repeat)マーカー領域に存在するRM1-aからhの8種類のDNA多型を調査し、中国にはRM1-a~hの8種類があり、bが多く、aがそれに続く、朝鮮半島はbを除いた7種類が存在し、aがもっとも多い。 日本にはa、b、cの3種類が存在し、bが最も多い。aは東北も含めた全域で、bは西日本が中心であることを発見し」という文章は近くにありませんが、これはどこかからの情報の合成WP:SYNに該当します。ただし、現状上記論文のどこにも書かれていないので、虚偽合成ではないかと思われます。青鬼よしさんはこの文章がどのページを出典としているか、きちんと示してください。--よしのぶ(会話) 2016年2月22日 (月) 19:27 (UTC)
- ご指摘の件につきまして、出典の追記と記載が完了しました。よしのぶさんが記載されている「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」につきまして、訂正・出典の追加をお願いします。以上。--青鬼よし(会話) 2016年2月28日 (日) 05:46 (UTC)
青鬼よしさんの変更はこれですが、 [187]ケースB部分を消し出典をつけただけで虚偽部分をまったく改善されておりません。出典を加えてますがこれではどの情報がどこを出典としているのかまったく分かりません。元々書いてあり、今も消していない
中国・朝鮮・日本の温帯ジャポニカのSSR(Simple Sequence Repeat)マーカー領域に存在するRM1-aからhの8種類のDNA多型を調査し、中国にはRM1-a~hの8種類があり、bが多く、aがそれに続く、朝鮮半島はbを除いた7種類が存在し、aがもっとも多い。 日本にはa、b、cの3種類が存在し、bが最も多い。aは東北も含めた全域で、bは西日本が中心であることを発見し
がどこを出典としているのかきちんと示してください。また新しくくっつけた「at home 教授対談シリーズ」出典文書はこれが学術論文ではなく不動産会社のインタビューであることはすでに指摘しています。同じことを繰り返さないようにしてください。さらに「これは稲が朝鮮半島を経由せずに直接日本に伝来したルートがあることを裏付ける証拠になります。」は「稲」について述べており、「水稲」ではありません。ここは「水稲の伝来」について述べており稲作ではありません。水稲に関して佐藤は 「じゃあ水田栽培以外の稲作は、日本では行なわれていなかったのだろうか、ということになります。」「私は、ひょっとすると縄文晩期から作られたごく初期の水田は、縄文人が朝鮮半島を訪れ、そこで目にした水田を見よう見真似で作ったものではないかと思っているんです。縄文人というのは、もともと流浪の民ですから、フットワークはかなり軽くて、朝鮮半島まで行くのなんて朝飯前だったんじゃないかと(笑)。だからこの曲金北遺跡のように、水稲も陸稲もごちゃ混ぜの農耕を行なっていた可能性があると思うわけです」などの主張しています。 すでに青鬼よしさんの編集提案に関しては反対を表明しており、強引な大量編集はやめてください。記述はいったん差し戻します。--よしのぶ(会話) 2016年3月2日 (水) 02:26 (UTC)
「よしのぶさんが記載されている「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」につきまして、訂正・出典の追加をお願いします。」と書いていますが、私はこの部分を編集していません。青鬼よしさんが勝手に移動したわけですが、広瀬和雄、藤尾慎一郎、山崎純男、佐藤洋一郎、趙法鐘などが「山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート説」ではなく「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」を唱えているという根拠を示してください。--よしのぶ(会話) 2016年3月2日 (水) 02:49 (UTC)
『日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史』を出典とした記述については、出典が不適当でないかという意見がつき[188]、それは正しい意見なので、私の編集では削除しています[189]。青鬼よしさんは勝手に記述位置を移動した[190]あげくなぜこれを今にいたっても削除していないのでしょうか?--よしのぶ(会話) 2016年3月2日 (水) 03:06 (UTC)
青鬼よしさんの編集「水田稲作の開始」に 「上述の通り、日本列島における稲作は弥生時代とともに始まったというのが近代以降20世紀末までの定説であり、潅漑稲作の日本への伝播は、戦国時代末期の紀元前4世紀の越の滅亡によって、潅漑稲作技術を持った江南の民族が逃避してきたことによりもたらされたとされていた[57][58]。」と編集していますが、「潅漑稲作の日本への伝播は、戦国時代末期の紀元前4世紀の越の滅亡によって、潅漑稲作技術を持った江南の民族が逃避してきたことによりもたらされたとされていた」は数の人間の説にすぎないのであってどうしてこれを定説のように書いているのでしょうか?すでに述べたように広瀬和雄は、「中国大陸から戦乱に巻き込まれた人達が渡来した」というような説は水田稲作が紀元前8世紀には渡来したのであれば「もう成立しない」としています。また藤尾慎一郎は、これまでの前4,5世紀頃伝来説が、新年代説(前10世紀頃)になったとしても、朝鮮半島から水田稲作が来たことには変わりないとしています。「戦国時代末期の紀元前4世紀の越の滅亡によって、潅漑稲作技術を持った江南の民族が逃避してきた」は一部の意見であり、意見を事実として書かないようにしてください。部分のみ差し戻すつもりでしたが、全体として問題だらけですので、全体を一度差し戻します。上でなされた提案に対してはすでに反対を表明しており、強引な大量編集はしないでください。--よしのぶ(会話) 2016年3月2日 (水) 03:27 (UTC)
- こんにちは。「日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史」につきまして、削除をしておきました。「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」につきましては会話さんが問題点の修正をしていただければと思います。また、よしのぶさんの編集に追記された要出典につきましても、削除をするのではなく、出典を引用することで対応いただければと思います。「潅漑稲作技術を持った江南の民族が逃避してきたことによりもたらされたとされていた。」は池橋宏さんの著書を出典としております。個人的には「池橋宏は、長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達したとしており[32]、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている」と併せて削除してくださって問題ありませんので、よしのぶさんの判断で、ご対応ください。
- また、「大量に編集されている虚偽出典記述」とのことですが、青鬼よしが主に記載した古代・中世・近世・近代の稲作について、よしのぶさんが削除した理由が全く説明されておりません。こちらにつきましては、逐一で削除した理由を確認させていただきますので、生地の品質向上のため、ご指南をよろしくお願いします。--青鬼よし(会話) 2016年3月2日 (水) 13:01 (UTC)
すでに上の提案の段階で、反対しています。(ノート:稲作#「日本への伝来」の構成につきまして)。青鬼よしさんは、「Yoshinobukoさんが反対の意思を表明したことは確認させていただきました」と述べていますよね。反対を確認しているのになぜ強行するのでしょうか?さらに個別具体的な指摘にたいしてまったく答えていません。そういう状態で、編集を強行しています。またすでに指摘して来たこれまでの大量の「虚偽出典」についてはまるで答えていただいておりません。虚偽出典まじりで大量の編集を強行するのはやめてください。--よしのぶ(会話) 2016年3月4日 (金) 05:59 (UTC)
「日本にはa、b、cの3種類が存在し、bが最も多い。aは東北も含めた全域で、bは西日本が中心であることを発見し、佐藤は「これは稲が朝鮮半島を経由せずに直接日本に伝来したルートがあることを裏付ける証拠になります。」と発言している」の出典は「佐藤洋一郎、稲のたどってきた道 at home 教授対談シリーズ 2001年9月号」ですが、なぜか他に3つ出典がついています。しかしそのどれも佐藤は「これは稲が朝鮮半島を経由せずに直接日本に伝来したルートがあることを裏付ける証拠になります。」と発言している」になりません。元々「育種学研究, 2004 「マイクロサテライトマーカーを用いた日本の在来イネの分類」[191]」を出典としていたが、これには書かれていないことを指摘されると不動産会社at home の業界紙に掲載されたインタビュー記事を今度は出典にしています。この不動産業界紙はすでに出典として問題があることを指摘したはずですが。関係ないものを出典として加えるのはやめてください--よしのぶ(会話) 2016年3月4日 (金) 14:21 (UTC)
- 問題があると言っているのはよしのぶさんだけなのですが…。というか、よしのぶさんが佐藤洋一郎の発言として提示された『宝島社文庫の逆転の日本史編集部「日本のルーツがわかる本」』よりは、本人のインタビューの方が信憑性は高いと思うのですけどね。本日は時間がありませんので、青鬼よしの編集前の状態に戻しておくだけにしておきますが、後ほど、日本の稲作の歴史を通して、よしのぶさんが大規模な出典の削除を行った理由につきまして、確認をさせていただきますのでよろしくお願います。--青鬼よし(会話) 2016年3月4日 (金) 15:41 (UTC)
- 宝島社文庫に収められている逆転の日本史編『日本のルーツがわかる本」』には佐藤氏本人が書いた論文が所収されていると、すでに何度も述べていますが。佐藤洋一郎氏の論文はP76~P92に収められている「米 日本列島に最初に稲作を持ち込んだのは縄文人だった」という題名です。青鬼よしさんにはすでに2015年の8月には述べていますよね。(ノート:稲作#稲作伝来ルートのYoshinobukoさんの編集について)。以後何度も同じことを蒸し返すのは止めてください。それとも著名な研究者本人が書いた論文を出典にできないという何か根拠があるのでしょうか?もしそういう話ならきちんと説明してください--よしのぶ(会話) 2016年3月5日 (土) 05:20 (UTC)
- 業界紙の記事が理想的だとは思いませんが、出典として無効というわけではないでしょう。
- それから、「虚偽出典」という言い方は「不正なごまかし」のニュアンスを含んでおり、WP:AGFやWP:CIVILに反します。おやめ下さい。(実際、今すぐ問答無用で一括除去しなければならないほどの問題があるようにも見えませんし)--Dwy(会話) 2016年3月5日 (土) 01:40 (UTC)
出典に書かれていないことを、まるで出典に書いているように偽装して編集する事を「虚偽出典」と申しております。出典にちゃんと書かれていますというのなら、その部分を提示すればよいものと思いますが。今まで大量の虚偽出典指摘に対して、ほとんどまったく答えていただいておりません。--よしのぶ(会話) 2016年3月5日 (土) 05:23 (UTC)
- 私たちとよしのぶさんでは、虚偽出典に関する定義が異なっているため、議論をしても平行線のままなのは仕方がないかと。私の記載についてよしのぶさんだけが大量に「虚偽出典だ」と書かれていますが、具体的な説明が全くございません。以下によしのぶさんが虚偽出典として削除した内容を提示していきますので、ご回答をよろしく願いします。--青鬼よし(会話) 2016年3月5日 (土) 16:13 (UTC)
- 出典に書かれていない事、どう要約してもそのような記述にならない事を書けば、それは虚偽出典と言えるでしょう。これについてはすでに青鬼よしさんが自分でコメントを求めたYapparinaさんや虹色の風さんによって確認されています[192]、[193]。
よしのぶさんがおっしゃるように、論文のp.48には上記の青鬼よしさんの記述の出典とできるような説明は見当たりませんでした。青鬼よしさんにおかれましては、適切な理由があるようでしたらご説明いただければ幸いです。
とYapparinaさんは述べています。また、虹色の風氏は
「「日本の温帯ジャポニカの遺伝子情報には、朝鮮半島の痕跡はなく」の出典にできるような記述はやはり存在していませんでした。どうしてこのような記述に編集可能なのか説明する必要があるのではないでしょうか?そうでなければ、目的外利用の疑いは避けられないように思います。」
と強く指摘していますが、青鬼よしさんはまったく答えていません。 すでに第三者によって出典が虚偽であることが確認されています。「問題があると言っているのはよしのぶさんだけなのですが…」と上で青鬼よしさんは述べていますが、その主張自体が虚偽です。 --よしのぶ(会話) 2016年3月6日 (日) 14:57 (UTC)
- なんでもいいけど、よしのぶさんがここで問題にしているssrについての記述は、私がここまで細かい情報は不要かと思って一旦除去した時に、よしのぶさんが「出典ある記述をどさくさにまぎれて削除しないでください」と言って[194]復帰したので[195]、私も考えを変えて残す方向で検討するこてにしたやつじゃないですか。他人の編集の内容をちゃんと確認せず、適当に異議を唱えて無造作に差し戻してしまうからこういうことになる。本当にいい加減にしてほしい。--Dwy(会話) 2016年3月6日 (日) 16:24 (UTC)
- コメント虚偽出典について議論になってますけど、単純に、書かれている記事に対して、その出典を辿ったらそのような記述やそう解釈出来る内容はどこにも見当たらなかったわけですよね?それは虚偽出典だと言われても仕方ないんじゃないですか?こういう編集を続けていくことは問題があると思いますが・・・。--虹色の風(会話) 2016年3月27日 (日) 10:53 (UTC)
趙法鐘ྂ『古代韓日関係の成立 -弥生文化の主体研究についての検討』
2015年11月21日、青鬼よしが「趙法鐘ྂ『古代韓日関係の成立 -弥生文化の主体研究についての検討』[196]p48」の「日本の先史考古学学会が最近行ったAMS(イオンビーム加速器質量分析法)測定による新しい年代観を根拠に弥生時代の開始時期を紀元前930年までさかのぼらなければならないという紀元前10世紀説の主張は、その前提として弥生文化の起源である韓半島の農耕および青銅器文化の年代も同時に上昇させなければならない。しかし、韓国学会の全般的な研究内容は、このような年代上昇に懐疑的な側面が強い。」を出典とし、「(稲作の)伝来時期に関しては放射性炭素年代測定などの調査により、紀元前9世紀ごろに水稲稲作が開始されたたことが導きだされている」の後に「が、朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている。」と記載をした。この記載がよしのぶの定義する虚偽出典である[197]。2016年11月23日、よしのぶは、この記載を削除した。[198]よしのぶ
この論文は、日本の水耕稲作を含む金属文化の伝来様相について「日本学会および概要書では、その伝来したものや地域について曖昧に「大陸」とのみ表現する傾向があった」という現状に対して、「韓半島中心の青銅文化が日本列島に伝わったことが、より具体的に言及される必要があると考えられる。」という目的が序説(p48)で記載されている。2015年1月16日 よしのぶは、この論文のp54の記載を引用して「弥生早期の稲作は松菊里文化に由来し「水稲農耕、灌漑農耕技術、農耕道具、米の粒形、作物組成および文化要素全般において」韓半島南部から伝来したとしており、「日本の稲作は韓半島から伝来したという見解は韓日両国に共通した見解である」と書いている」と記載を行った。[199]
よしのぶの記載に対して、青鬼よしが同日(2015年1月16日)に趙法鐘ྂは「日本の稲作は韓半島から伝来したという見解は韓日両国に共通した見解である」の出典として、”深澤芳樹 「弥生時代概説」『日本考古学』小学館”を提示しているが、小学館には該当する出版物がない[200][201]、 深澤芳樹氏の著書にも該当するものがない[202]。そもそも、深澤氏は奈良・平安時代の発掘を中心とされた考古学者であること[203])を指摘した[204]ことを指摘し、出典の追記を依頼した。
2016年2月6日、よしのぶからの回答が得られないため、青鬼よしが該当箇所に「信頼性要検証|date=2016年2月|title=趙法鐘さんは「日本の稲作は韓半島から伝来したという見解は韓日両国に共通した見解である」(P55)の出典として、”深澤芳樹 「弥生時代概説」『日本考古学』小学館”を挙げておりますが、小学館には該当する出版物がありませんし、 深澤芳樹さんの著書にも該当するものがありません。(そもそも、深澤氏は奈良・平安時代の発掘を中心とされた考古学者です。)」のタグを付与した[[205]]した。2016年2月6日、よしのぶは出典の追記を行うことなく、このタグを削除した。[206]
2016年3月3日、該当の箇所について、IPユーザーが出典無効のタグを付与した[207]。2016年3月4日、よしのぶは出典の追記を行うことなく、このタグを削除した。[208]
現在(2016年3月6日)、青鬼よしはWP:AGFの立場から、青鬼よしの確認方法に不備があり、よしのぶは該当の出典を提示できる状態だが、操作ミスなどで提示されていないだけであると解釈している。そのため、再々度の「信頼性要検証」タグは付与は行っていない。よしのぶは青鬼よしの善意に応じて、次回の編集で高度の出典の明示を行うと推測される。
留意事項
- 青鬼よしがよしのぶによる「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている。」の削除を容認した理由は、よしのぶによる「虚偽出典」を肯定した訳ではなく、韓国の歴史学会の見解がよしのぶと編集合戦をしてまで記載する価値はないと判断したためである。 --青鬼よし(会話) 2016年3月5日 (土) 16:03 (UTC)
コメント趙法鐘ྂ氏の著作を出典とした編集については 私が虚偽出典の指摘をしたのち[209]、Yapparinaさんによって確認されています[210] :私のこの部分の指摘は以下です。↓
「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている」と書いています。出典は「日韓歴史共同研究報告書 古代韓日関係の成立 ―弥生文化の主体問題についての検討― 趙法鍾 P48」。公開されています[211]が、p48には、AMS測定に対する韓国学界の懐疑が述べられているだけであり、「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判」などとどこに書かれているのでしょうか?これも虚偽出典です。趙法鍾は「前提条件として弥生文化の起源として韓半島の農耕および青銅器文化」と書いており、こうした考えが広く共通認識とされていることが分かります。
よしのぶさんがおっしゃるように、論文のp.48には上記の青鬼よしさんの記述の出典とできるような説明は見当たりませんでした。青鬼よしさんにおかれましては、適切な理由があるようでしたらご説明いただければ幸いです。
- 第三者が探してみても、「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている」という記述の根拠となる記述はどこにも無いことが確認されています。
- 青鬼よしさんが「虚偽出典では無い」というのなら、どのこの論文の記述を根拠に、「朝鮮半島の水稲稲作の始まりが日本より後になるという理由から、韓国の歴史学会から批判を受けている」という記述になるのかを示してください。この事はすでに何度もお願いしているではありませんか?
- それから、興奮されているのは、分かりますが、他人の名前を書く時に、呼び捨ては止めてください。礼儀を忘れず、丁寧にふるまうようにしてください(WP:CIV)。あまり感情的にならないようにお願いします。また細かい手直しを何度も入れるクセがあるようですが、誰にもミスはあるにしても「プレビュー」を使って確認してから投稿する事をお勧めします。--よしのぶ(会話) 2016年3月6日 (日) 16:01 (UTC)
- よしのぶさんへ。私は対話を呼びかける際は「さん」付けの口語体、第三者に説明をするときは敬称を略して断定体で使い分けているだけです。これは今までの会話を誠実におこなっていただければ理解できることかと思いますが、このような思い込みの強い部分が「他の編集者の説明に耳を傾けない」とコメント依頼で会話さんが指摘される事由となっているのですが…。
- よしのぶさんへ。冷静に考えてください。誰からの賛意も得られず、ある人からはチェリーピッキングの指摘をされ、別な人からは編集態度に問題ありとコメント依頼まで出されているような相手に興奮する要素がどこにあるのでしょうか。もし、よしのぶさんが「礼儀を忘れず、丁寧にふるまう」編集者であるようでしたら、青鬼よしが「興奮されている」に理由につきまして、よしのぶさんの思い込みではなく、第三者が見ても納得できる合理的な説明をしていただけますでしょうか。それから、下記の米穀安定供給確保支援機構 ホームページからの引用について、虚偽出典の根拠の提示もご提示ください。よしのぶさんが「礼儀を忘れず、丁寧にふるまう」編集者であることを願っております。
- それから、Yapparinaさんが「(よしのぶさんの指摘した青鬼よしの5つの問題点のうち)上記の4の点だけコメントしておきます。」と、よしのぶさんの指摘の大半に賛意をしていないことを省いたり、「:48ページは要旨として、最初に「例えば、稲作文化の場合、韓半島の松菊里文化の影響が確実に確認されており」という韓国歴史学会の前提を述べ、次に、AMS測定の判定結果により弥生時代の稲作が松菊里文化より以前に行われていたとするならば「弥生時代の起源である韓半島の農耕および青銅器文化の年代も上昇させなければならない。」と韓国の歴史学会から見た問題点を指摘し、「そのため、韓国学会はAMS測定の判定結果に懐疑的である。」という結論付けております。また、57ページで歴博チームの調査方法を『年代を合わせるための強弁である可能性が高い』と記載があったため、批判という表現にしました。」と青鬼よしが回答していることを省いたりしていますが、こういう行為を見た場合、私は興奮するよりも必死だなぁと冷めてしまう性格であることを理解していただければと思います。では、稲作についての議論に戻りましょう。--青鬼よし(会話) 2016年3月13日 (日) 08:18 (UTC)
- 「第三者に説明をするときは敬称を略してよい」という根拠を示してください。まったく無根拠な言いわけを述べるのはやめてください。
- 自分が他人を呼び捨てにしておいて[213]、「「礼儀を忘れず、丁寧にふるまう」編集者であることを願っております」とはまたすごい言い分があったものです。--よしのぶ(会話) 2016年3月14日 (月) 06:28 (UTC)
米穀安定供給確保支援機構 ホームページ
2016年2月7日、青鬼よしは米穀安定供給確保支援機構 ホームページ[214]の「いわゆる新田開発が積極的に進められるようになったのは、17世紀以降のことです。16世紀末には、耕地面積が全国で150万町歩、米の生産量は約1800万石程度しかなかったのが、18世紀前半の元禄ならびに享保時代になると、耕地面積が300万町歩、生産量も2600万石に達しています。こうした耕地の拡大にともなう米の生産増加は、灌漑技術の進歩によるところが大きいと思われます。」を出典とし、「16世紀末の耕地面積は全国で150万町歩、米の生産量は約1800万石程度だったものが、18世紀前半の元禄ならびに享保時代になると、耕地面積が300万町歩、生産量も2600万石に達した。」と記載を行った[215]。 2016年3月2日、よしのぶは、この記載について「大量に編集されている虚偽出典記述」として削除した。ただし、具体的な説明が省かれているため、削除理由の明示が必要である。--青鬼よし(会話) 2016年3月5日 (土) 16:03 (UTC)
青鬼よしの編集前の状態に「正確」に戻しました
よしのぶさんが、青鬼よしの編集前の状態に戻すという名目で、自分自身の編集に上書きする行為(自分の編集に求められている要出典を剥がす行為を含めて)を続けているため、青鬼よしの編集前の状態である 2016年3月2日 の Dwyさんの版に「正確」に戻しておきます。--青鬼よし(会話) 2016年3月4日 (金) 15:41 (UTC)
出典に関して
Wikipedia は論争に決着を付ける場では有りません。当該記事が混乱している最大の理由は関連する幾つかの学会でも結論が出されていない経由地、伝播時期、水稲/陸稲のどちらなのか等の「考古学的」「人類学的」「科学的」にも検証が困難な事象に関し、結論を1説のみに導き記事執筆者自身が信奉する論説に都合の良い記述がされている「書籍」「コラム」「講演会資料」等に拡大解釈を盛り込み半ば強引に引用し主張を通そうとしている事にあります。「書籍」「コラム」「講演会資料」等は学術的記事に対する出典・脚注先となり得ません。Wikipedia:信頼できる情報源に有る様に査読付きの学会誌に発表された論文(出来れば間接引用では無く、原著や1次記述先)のみを出典・脚注先として使用しませんか? 出典・脚注先に記述されていない事を書くのを止めませんか? そろそろ結論の出ない不毛な編集合戦を止めにしませんか? --220.212.137.26 2016年3月3日 (木) 05:41 (UTC)
- 学術的な論文は必ずしもアクセスが容易でないので、記事の全部を学術論文に準拠して書くのは、現実には難しいと思います。実際、今の記事もかなりの部分が、大衆向けの教養書に基づいてますし。
- あと、学会誌の論文については、その論文の学説が社会でどの程度評価されているのかを見極めるのが難しいという面もあります。少なくとも最初の段階では、大衆向けの概説に準規する方が、むしろ中立的でバランスのよい記述になりやすいかと。--Dwy(会話) 2016年3月5日 (土) 01:27 (UTC)
「今の記事もかなりの部分が、大衆向けの教養書に基づいてますし。」というのはどこの部分なのか具体的に指摘してください。 「研究者が書いた論文や著作」と「不動産会社の業界紙のインタビュー記事」の違いが分からないということでしょうか?--よしのぶ(会話) 2016年3月5日 (土) 05:00 (UTC)
- 「○○の謎」のようなものはタイトルからして大衆向けの教養書ですし、「○○の日本史」などというのも基本的なターゲットは一般大衆です。少なくともIP氏が言っておられるような査読付きの論文では絶対にありません。
- 研究者が大衆向けの教養書に書いたことと、研究者が(特に利害関係のない)業界紙でのインタビューに答えたことに、信頼性の点で本質的な違いはありません。--Dwy(会話) 2016年3月5日 (土) 05:26 (UTC)
インタビュー記事は本人が書いたものではありません。論文であれば脚注などに一次資料が大量にあるので、我々はそれを見て検証することが可能ですが、インタビューでは資料が限られており、また質問によっては論文などには書けないレベルの想像を話す部分もあるでしょう。「権威づけられた専門家による公表物」は出典としてかなり信頼性の高いものであり、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価やWikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価に書かれています。「編集者は複数の情報源の信頼性を評価し、できる限りより信頼でき、よりすぐれていると一般に認められているものの中から、出典を幅広く選ぶようにして下さい」「一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます。」「情報源は、専門分野外よりも専門分野内の方がより信頼できます。」--よしのぶ(会話) 2016年3月5日 (土) 06:08 (UTC)
- よしのぶさんが記載された「佐藤洋一郎は「温帯ジャポニカ(水稲)は、弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」の出典が、宝島社の「逆転の日本史編集部」が編集した『日本のルーツがわかる本』のみでなければ、よしのぶさんの発言も」首肯できるのですけどね。佐藤洋一郎の学術論文、および、佐藤の論文を引用した学術論文に、そのようなことが書かれていない[216]ので、「編集者は複数の情報源の信頼性を評価し、できる限りより信頼でき、よりすぐれていると一般に認められているものの中から、出典を幅広く選ぶようにして下さい。信頼できる情報源であるかぎり出典は一つである必要はなく、複数挙げられていることがむしろ好ましいです。」をキチンと理解してくださいねとしか助言できません。--青鬼よし(会話) 2016年3月5日 (土) 16:33 (UTC)
コメント以前ちょっとコメントしたことでウォッチリストに入っていまして、注視しているわけではないのですが極めて頻繁にここのページがあがってきます。いろいろ論点はあるようですが、第三者からみると、議論を待たずに編集を強行しては差し戻す、の争いが何ヶ月も繰り返されていて、見苦しいとしかいいようがありません。
- 記事本文の編集は凍結し(どの版で凍結するのかで揉めるんでしょうけど、冒頭の「問題があって議論中です」タグが付いている限り、まあどの版で凍結しても大差ないでしょう。)、まずは合意形成に専念してみてはいかがでしょう。
- また、以前も何度か繰り返し提案していることですが、このように「伝来」をめぐって意見が割れる状態が長続きすることを解消する手段として、「伝来」節の分割を強く「勧告」します。(勧告と言っても、一利用者である私が言っているだけですから、なんの効力もありませんけどね。)
- 分割は、「稲作の日本への伝来をめぐる○○説」みたいに「説」毎に分割すればいいでしょう。そうすればその記事のなかでは他説との衝突による編集合戦を回避できます。そのうえで、当記事には「○○説については別記事を参照」とし、各「説」に対する「評価」のようなものは行わずにおけばいいのです。--柒月例祭(会話) 2016年3月7日 (月) 09:20 (UTC)
柒月例祭さん。意見が違うから編集合戦になっているわけではありません。虚偽出典記述や著作権侵害のおそれのある記述が大量に編集されてしまうので、それを指摘して来たはずです。ウオッチしている柒月例祭さんが一つ一つ本当に虚偽出典か否か、著作権の問題が無いか否かを確認していただければ、編集合戦にはならなくても済むのではないでしょうか。--よしのぶ(会話) 2016年3月7日 (月) 18:45 (UTC)
- 柒月例祭さん: 議論は議論で十分やっていますから、「議論を待たずに編集を強行」しているわけではないと思いますよ。もともと新たな加筆については大胆な編集が推奨されていますし、議論の過程において妥協案を提示する際にもある程度は大胆にやらないと、議論が膠着して出口が見えなくなります。一番大事なのは、他の編集者の主張に耳を傾け、妥協しながら折り合っていく態度です。ここで編集合戦みたいになっているのは、他の編集者の意見に耳を貸さず、記事の所有権を主張するかのような態度で、異論がある部分も無い部分も一纏めに全部差し戻してしまう人がいるからです。--Dwy(会話) 2016年3月12日 (土) 09:11 (UTC)
コメント依頼提出のお知らせ
こちらの記事における利用者:Yoshinobuko(よしのぶ)さんの議論・編集の姿勢についてWikipedia:コメント依頼/Yoshinobukoを提出しました。よろしければコメント下さい--Dwy(会話) 2016年3月7日 (月) 03:15 (UTC)
「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」であるという根拠をお願いします
禰宜田佳男によれば、水田稲作の受容の過程で、縄文時代後期後半は朝鮮半島由来の土器や石器が出土するにしてもこの時点では稲作は狩猟や採集の生活を補足するものであり、気候が寒冷化した弥生時代早期に至ってはじめて灌漑施設による水田稲作が始まったという[1]。 藤尾慎一郎は、これまでの前4,5世紀頃伝来説が、新年代説(前10世紀頃)になったとしても、朝鮮半島から水田稲作が来たことには変わりないとしている[2]。 伝来ルートについて池橋宏は、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている[3]。これについて広瀬和雄は、「中国大陸から戦乱に巻き込まれた人達が渡来した」というような説は水田稲作が紀元前8世紀には渡来したのであれば「もう成立しない」としている[4]。また山崎純男は、朝鮮半島から最初に水田稲作を伴って渡来したのは支石墓を伴った全羅南道の小さな集団であり、遅れて支石墓を持たない慶尚道の人が組織的に来て「かなり大規模な工事を伴っている」としている[5]。佐藤洋一郎によると風張遺跡(八戸)から発見された2,800年前の米粒は「熱帯ジャポニカ(陸稲)」であり、「温帯ジャポニカ(水稲)は、弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」と言う[6]。ただし、佐藤洋一郎は埴原和郎が『日本人2重構造説』で唱えた稲作が大きな人類集団の渡来を伴ったという説には否定的であり、稲の小さな集団が渡来したと考えている[7]。
趙法鐘は、弥生早期の稲作は松菊里文化に由来し「水稲農耕、灌漑農耕技術、農耕道具、米の粒形、作物組成および文化要素全般において」韓半島南部から伝来したとしており、「日本の稲作は韓半島から伝来したという見解は韓日両国に共通した見解である」と書いている。[8]。
脚注
- ^ 広瀬和雄『弥生時代はどう変わるか 歴博フォーラム 炭素14年代と新しい古代像を求めて』p117、p118、禰宜田佳男「水田稲作の受容と展開」
- ^ 藤尾慎一郎『<新>弥生時代 500年早かった水田稲作』p34
- ^ 池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62、講談社選書
- ^ 広瀬和雄『弥生時代はどう変わるか 歴博フォーラム 炭素14年代と新しい古代像を求めて』p169
- ^ 広瀬和雄『弥生時代はどう変わるか 歴博フォーラム 炭素14年代と新しい古代像を求めて』p172
- ^ 逆転の日本史編集部『日本のルーツがわかる本』p84、p88、佐藤洋一郎「米 日本列島に最初に稲作を持ち込んだのは縄文人だった」
- ^ 佐藤洋一郎、イネにおける栽培と栽培化 (PDF) 山本紀夫編『ドメスティケーション―その民族生物学的研究』 国立民族学博物館調査報告 84:119-136(2009), p134
- ^ 趙法鐘ྂ『古代韓日関係の成立 -弥生文化の主体研究についての検討』p55 、[9]
という記述を青鬼よしさんは、「水稲の伝来」から「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」に移動していますが[217]、ここで書かれた禰宜田佳男、藤尾慎一郎、池橋 宏、広瀬和雄、山崎純男、佐藤洋一郎、趙法鐘ら全員が、「山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート説」ではなく「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」を唱えているという根拠をそれぞれ示してください。どこにも彼等が「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」を唱えているという根拠はありません。これはすでに以前指摘しており、何度も同じことを繰り返すのは止めてください。--よしのぶ(会話) 2016年3月14日 (月) 05:16 (UTC)
- よしのぶさん。正確には、よしのぶさん以外が上記の記述を「水稲の伝来」から「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」に移動していますが、それ以外のWikipediaユーザーが「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」が戻しております。何度も同じことを繰り返すのは止めてください。上記のよしのぶさんが書かれている部分については、個人的には手を入れるつもりはありませんし、「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」がイヤだというのでしたら、よしのぶさんが納得いく記載にすれば宜しいかと。『各ルート名は正式な呼び名ではなく、本稿における便宜的な呼び名である』と明記されているのですから--青鬼よし(会話) 2016年3月19日 (土) 03:44 (UTC)
青鬼よしさんが移動したのですから、青鬼よしさんが、移動した根拠を述べるべきです[218]。 「山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート説」ではなく「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」である根拠がまったく無いのに移動したのですか?--よしのぶ(会話) 2016年3月19日 (土) 14:45 (UTC)
- よしのぶさんが書かれた部分は、よしのぶさんだけが冒頭部分に移動しようとしていることは自覚できていますか。繰り返しますが「私の書いた記述が冒頭にあるべき理由」について合理的な説明をしていただけませんでしょうか。また、よしのぶさんが書かれた記述が「山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート説」についてなのか「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」についてなのかを明記していただけますでしょうか。--青鬼よし(会話) 2016年3月21日 (月) 00:54 (UTC)
青鬼よしさんが「水稲の伝来」から「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」に移動していますよね。これを見ればわかる話です。[219]このように移動する以上は、「山東半島 - 朝鮮半島南東部ルート説」ではなく「遼東半島 - 朝鮮半島南下ルート説」である根拠を示す必要があります。私はそのような根拠の無い移動には賛同しておりません。ぜひ根拠を示してから移動してください。--よしのぶ(会話) 2016年3月24日 (木) 07:16 (UTC)
要出典のタグはがしについて
青鬼よしさんは「出典付きの説明が下段で記載されているのに要出典を記載する意図が不明のため、これを除去」と書いて要出典タグを除去しています。 [220] この部分の出典となる論文、著作などがあるなら示してください。「下段で記載」とはどの出典のことですかね?まったく存在しないものを存在するかのように偽装するのは止めてください。この4つの分類自体が何を根拠にしているのか?まったく不明です。 このタグはがしおよび上記の根拠の無い移動を差し戻します。--よしのぶ(会話) 2016年3月14日 (月) 05:50 (UTC)
- 『本稿における便宜的な呼び名である』とよしのぶさんが参加した「2015年8月2日 (日) 06:06」より前から明記されておりますが、今まで、よしのぶさんは、この記事の何を見てきているのですか?--青鬼よし(会話) 2016年3月19日 (土) 03:34 (UTC)
根拠なく編集者が勝手に『本稿における便宜的な呼び名である』として記事を造ってしまえばそれは、独自研究の部類です。出典のある分類に変えるべきであることは明らかです。--よしのぶ(会話) 2016年3月19日 (土) 14:38 (UTC)
- 質問は、『本稿における便宜的な呼び名である』について、半年以上前から問題視をしていなかったよしのぶさんが、今になって問題視をしている理由についてです。また、『本稿における便宜的な呼び名である』の代替えとなる複数の学術論文の出典に基づいた分類の提示を書き忘れていらっしゃるようですので、併せて、ご記載ください。--青鬼よし(会話) 2016年3月21日 (月) 00:54 (UTC)
えーと、「半年以上前から問題視をしていなかったよしのぶさん」だそうですが、すでに問題は「ノート:稲作#「伝来ルート」以下の編集について」で提示しています。 いずれにせよ、記述はそれを残したい側が出典を提示しなければなりません。すでに提示をお願いしていますが、一週間程度待ちますので、4分類になる出典をお願いします。--よしのぶ(会話) 2016年3月24日 (木) 07:30 (UTC)
日本への伝来ルートについて
稲作の日本への伝来ルートについて、半年以上も編集合戦が続いております。 改めて、青鬼よしからの合意形成に向けた案を提示いたします。最終的な目的は、この案を記事に反映させることになりますので、記載された内容に問題がないか、皆様のご意見を賜りたく。(過去の提案 ノート:稲作#「水稲の伝来」節の構成について)
今回の案についての特徴は以下の通り (敬称略) 【2016年3月27日に追記】 「よしのぶ」さんが、議論に応じない理由として、敬称を略す行為が失礼にあたることを挙げているため、「よしのぶ」さんだけ敬称をつけました。[221]
- 2 伝来ルートは「よしのぶ」さんが持論の根拠とする「佐藤洋一郎」と「池橋宏」から引用し、『朝鮮半島経由説』、『江南説(直接ルート)』『南方経由説』の3ルートとする。
- 池橋宏「20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していた」池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62
- 佐藤洋一郎「イネのきた道について過去に出された仮説は、朝鮮半島経由説、江南説(直接ルート)および南方説の三つにまとめることができよう」「日本のイネの伝播経路」 (佐藤洋一郎) [223]
- 3 初期の状態は『朝鮮半島経由説』は「よしのぶ」さんの記述を採用する。『江南説(直接ルート)』『南方経由説』は「青鬼よし」の記述を採用する。
- 4 伝来ルートの表記順は「よしのぶ」さんによる記述を最優先とし『朝鮮半島経由説』を最初に記載する。
- 補記 「青鬼よしさんが編集したいことを書いているだけのこの文章には明確に反対いたします」などの意見が前回の合意失敗の一端となっていることを反省し、以下の事項を補記として掲載する。
- 補記1 問題解決に向けて建設的な会話をするため、賛成できない箇所がある場合は具体的な代替案を提示し、第三者が青鬼よしの提示した案と比較検討できるようにする。また、今回の解決方法に賛同できない場合は、具体的な解決案を提示する。
- 補記2 この項目は稲作の伝来ルートについての合意形成を目的とする。編集に参加するWikipediaユーザーに関する話題を行いたい場合は、別途で項目を設けて、そちらで行う。
=== 日本への伝来 ===
==== 伝来ルート ====
イネ(水稲および陸稲)の日本本土への伝来に関しては、『朝鮮半島経由説』、『江南説(直接ルート)』『南方経由説』の3説がある[1][2]。
===== 朝鮮半島経由説 =====
池橋宏は、長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達したとしており[2]、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている[2]。これについて広瀬和雄は、「中国大陸から戦乱に巻き込まれた人達が渡来した」というような説は水田稲作が紀元前8世紀には渡来したのであれば「もう成立しない」としている[3]。一方で、藤尾慎一郎は、これまでの前4,5世紀頃伝来説が、新年代説(前10世紀頃)になったとしても、朝鮮半島から水田稲作が来たことには変わりないとしている[4]。また山崎純男は、朝鮮半島から最初に水田稲作を伴って渡来したのは支石墓を伴った全羅南道の小さな集団であり、遅れて支石墓を持たない慶尚道の人が組織的に来て「かなり大規模な工事を伴っている」としている[5]。佐藤洋一郎によると風張遺跡(八戸)から発見された2,800年前の米粒は「熱帯ジャポニカ(陸稲)」であり、「温帯ジャポニカ(水稲)は、弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」と言う[6]。ただし、佐藤洋一郎は埴原和郎が『日本人2重構造説』で唱えた稲作が大きな人類集団の渡来を伴ったという説には否定的であり、稲の小さな集団が渡来したと考えている[7]。日本の温帯ジャポニカは中国や朝鮮半島に比べて遺伝的多様性が失われているが、これは渡来時の稲が極少数だったことによるボトルネック効果と推測している[8]。また、池上曽根遺跡や唐古・鍵遺跡から出土した弥生米のDNA分析して朝鮮半島には存在しない中国固有の品種が混ざっている事から、朝鮮半島を経由しないルートがあった根拠の一つとしている[9]。
趙法鐘は、弥生早期の稲作は松菊里文化に由来し「水稲農耕、灌漑農耕技術、農耕道具、米の粒形、作物組成および文化要素全般において」韓半島南部から伝来したとしており、「日本の稲作は韓半島から伝来したという見解は韓日両国に共通した見解である」と書いている。[10]。
===== 江南説(直接ルート) =====
農学者の安藤広太郎によって提唱された長江下流域から直接に稲作が日本に伝播されたとする説[11][12][13]である。考古学者の八幡一郎は「稲作と弥生文化」(1982年)で「呉楚七国の乱の避難民が、江南から対馬海流に沿って北九州に渡来したことにより伝播した可能性を述べている[14]。佐藤洋一郎は、中国・朝鮮・日本の水稲(温帯ジャポニカ)のSSR(Simple Sequence Repeat)マーカー領域に存在するRM1-aからhの8種類のDNA多型を調査し、中国にはRM1-a~hの8種類があり、bが多く、aがそれに続く、朝鮮半島はbを除いた7種類が存在し、aがもっとも多い。 日本にはa、b、cの3種類が存在し、bが最も多い。aは東北も含めた全域で、bは西日本が中心であることを発見し、稲が朝鮮半島を経由せずに直接日本に伝来したルートがあることを裏付ける証拠になるとしている[15][16][17][18][19]。
===== 南方経由説 =====
柳田國男の最後の著書「海上の道[20]」で提唱された中国南部揚子江河口域(江南)からの南西諸島を経由して稲作が日本に伝播されたとする説である。石田英一郎、可児弘明、安田喜憲、梅原猛などの民俗学者に支持されている[21][22]。北部琉球での稲作を示す考古学的資料が出ていないため関心が薄かったが、遺伝子学の発展に伴って、佐藤洋一郎らによって陸稲(熱帯じジャポニカ)の伝来ルートとして再評価されており[1][23]、2008年には、農業生物資源研究所がイネの粒幅を決める遺伝子「qSW5」を用いてジャポニカ品種日本晴とインディカ品種カサラスの遺伝子情報の解析を行い、温帯ジャポニカイネが東南アジアから中国を経由して日本に伝播したとする論文をネイチャー ジェネティクスに発表している[24][25]
脚注
- ^ a b 佐藤洋一郎:日本のイネの伝播経路 日本醸造協会誌 Vol.87 (1992) No.10 P732-738, doi:10.6013/jbrewsocjapan1988.87.732
- ^ a b c 池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62、講談社選書
- ^ 広瀬和雄『弥生時代はどう変わるか 歴博フォーラム 炭素14年代と新しい古代像を求めて』p169
- ^ 藤尾慎一郎『<新>弥生時代 500年早かった水田稲作』p34
- ^ 広瀬和雄『弥生時代はどう変わるか 歴博フォーラム 炭素14年代と新しい古代像を求めて』p172
- ^ 逆転の日本史編集部『日本のルーツがわかる本』p84、p88、佐藤洋一郎「米 日本列島に最初に稲作を持ち込んだのは縄文人だった」
- ^ 佐藤洋一郎、イネにおける栽培と栽培化 (PDF) 山本紀夫編『ドメスティケーション―その民族生物学的研究』 国立民族学博物館調査報告 84:119-136(2009), p134
- ^ 佐藤洋一郎 『稲の日本史』2002, pp=104-109, ISBN 4-04-703337-5
- ^ 佐藤洋一郎、稲のたどってきた道 2001年9月
- ^ 趙法鐘ྂ『古代韓日関係の成立 -弥生文化の主体研究についての検討』p55 、[10]
- ^ 蔡 鳳書、「山東省の古代文化と日本弥生文化の源流 : 考古学資料を中心として」 日本研究 25, 263-277, 2002-04
- ^ 今西 一 「稲作文化と日本人-日本史雑記貼1-」 (PDF) 小樽商科大学 大学進学研究(1984-07) 8巻 2号, p.58 - 61, hdl:10252/5129
- ^ 「稲の日本史」著:佐藤洋一郎 角川選書 2002/6 ISBN 978-4047033375, p99
- ^ 賀川光夫、『西日本の土偶出現期と土偶の祭式』 別府大学紀要 (Memoirs of Beppu University). No.31 (1990. 1) ,p.1- 10
- ^ 平野 智之、飛奈 宏幸、佐藤 洋一郎、『日中韓の水稲品種のマイクロサテライト多型』 育種学研究 Breeding research 2(2), 233, 2000-09-25, NAID 10006112180
- ^ 佐藤洋一郎、稲のたどってきた道 at home 教授対談シリーズ 2001年9月号
- ^ 「稲の日本史」著:佐藤洋一郎 角川選書 2002/6 ISBN 978-4047033375, P104~p106
- ^ 大越昌子、胡景杰、石川隆二、藤村達人、「マイクロサテライトマーカーを用いた日本の在来イネの分類」育種学研究 Vol.6 (2004) No.3 P.125-133, doi:10.1270/jsbbr.6.125, p126
- ^ >井澤毅、正村純彦、小西左江子、江花薫子、矢野昌裕、コメの粒幅を大きくしたDNA変異の同定とイネ栽培化における役割の解明 (平成20年度の主な研究成果) 農業生物試験研究所 (PDF)
- ^ 『海上の道』 著:柳田國男 岩波文庫 1978/10 ISBN 978-4003313862
- ^ 佐々木高明、戦後の日本民族文化起源論―その回顧と展望― 国立民族学博物館研究報告34(2): 211–228 (2009)
- ^ 『森の思想が人類を救う』 著:梅原猛 小学館 (1995/03), ISBN 978-4094600704, p178
- ^ 東南アジア研究 29巻 3号 田中耕司 マレー型稲作とその広がり[11]358-359ページ
- ^ コメの大きさを決める遺伝子を発見!日本のお米の起源に新説! 農業生物資源研究所
- ^ Ayahiko Shomura, Takeshi Izawa, Kaworu Ebana, Takeshi Ebitani, Hiromi Kanegae, Saeko Konishi & Masahiro Yano, Deletion in a gene associated with grain size increased yields during rice domestication. Nature Genetics 40, 1023 - 1028 (2008)Published online: 6 July 2008 ,doi:10.1038/ng.169
コメント
コメント 補記2に関する話題
何度も言いますが私を呼び捨てにするのは止めてください。「他の人に説明するため」であろうがなかろうが、そのようなやり方は認められません。内容以前の問題です。青鬼よしさんには礼儀を守るようにお願いします。--よしのぶ(会話) 2016年3月27日 (日) 00:43 (UTC)
- ここは『稲作の日本への伝来ルート』についての合意形成をするためのコメント欄です(補記2に明記)。円滑な議事進行のため、よしのぶさんが問題視している「敬称略」の対象から「よしのぶ」さんを外しましたが、この会話の続きをしたい場合を含め、今後は『稲作の日本への伝来ルート』と関係のない話題は別な場所に記載してください。上記の案につきまして、代替案などがないようでしたら、無理にコメントしていただかなくても問題ありません。--青鬼よし(会話) 2016年3月27日 (日) 08:27 (UTC)
青鬼よしさんは、私を「よしのぶ」と呼び捨てにしている事についてまず謝罪すべきです。それからの問題であって、「無理にコメントしていただかなくても問題ありません」などと開き直るような問題ではありません。すでに何度か、呼び捨てにしないように述べており、それをまるで聞かずに何度も繰り返すのは改善の余地が無いということでしょうか?--よしのぶ(会話) 2016年3月27日 (日) 12:52 (UTC)
- 過去に敬称をつけなかったということで1日ブロックされた利用者がいましたが、ブロックを実施した管理者が解任されたという事例が有ったことをお知らせしておきます。--Vigorous action (Talk/History) 2016年3月27日 (日) 12:59 (UTC)
- この件でブロック依頼する事は考えておりません。求めているのは謝罪であり、青鬼よしさんには礼儀を守るようにお願いたいと思います。--よしのぶ(会話) 2016年4月12日 (火) 02:31 (UTC)
ここは、記事の記載内容の検討の場であるので、敬称のあるなしを批判するばではありません。敬称云々のお願いなどは、利用者ページ・ノートでお願いいたします。議論の展開に有意義なコメントではなく、議論の確認にも手間がかかりますので。--Koshi2016(会話) 2016年4月13日 (水) 07:25 (UTC)
結審
第三者へのコメント依頼、および、関係者への告知を行って2か月が経過しましたが、内容についての意義はございませんでした。そのため、提案内容を記事に反映させていたします。--青鬼よし(会話) 2016年5月28日 (土) 08:09 (UTC)
他人に対して、嫌がらせのように「呼び捨て」にして、それに対して何度も訂正をお願いしましたが聞いていただけませんでした。そのようなやり方をしながら、「意義はないから」というのは有り得ない話です。それにしても「結審」とは何かの裁判のおつもりなのでしょうか?--よしのぶ(会話) 2016年7月4日 (月) 15:51 (UTC)