ド・ヴェシー子爵
ド・ヴェシー子爵(ド・ヴェシーししゃく、英: Viscount de Vesci)は、イギリスの貴族、子爵、アイルランド貴族爵位。ナプトン男爵家の当主トマス・ヴィジーが1776年に叙されたことに始まる。なお、爵位名『de Vesci』は「ド・ヴェシー(de Vesey)」と読み、家名の『Vesey』は「ヴィジー(Veezy)」と発音する[1]。
ド・ヴェシー子爵 Viscount de Vesci | |
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Arms:Or on a Cross Sable a Patriarchal Cross of the field Crest:A Dexter Hand erect in armour holding an Olive Branch proper Supporters:On either side a Figure of Hercules clad in a Lion's Skin and holding a Club over the exterior shoulder proper
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創設時期 | 1776年7月19日 |
創設者 | ジョージ3世 |
貴族 | アイルランド貴族 |
初代 | 2代男爵トマス・ヴィジー |
現所有者 | 7代子爵トマス・ヴィジー |
相続人 | 下記を参照。 |
付随称号 | ナプトン男爵 (アビーリークスの)準男爵 |
現況 | 存続 |
旧邸宅 | アビーリークス・ハウス |
モットー | 汝、この徴にて勝利せよ (Sub Hoc Signo Vinces) |
歴史
編集子爵家の始まりは、17世紀の聖職者サー・トマス・ヴィジー(1672/3–1730)にまで遡ることできる。サー・トマスは1698年にメアリー・マシャン(Mary Muschamp)なる女性と結婚したが、この妻はアイルランド名門ボイル家の血を引く資産家であった[2]。サー・トマスは財産獲得によりアイルランド準男爵位を受ける運びとなり[2]、同年中に(アビーリークスの)準男爵(Baronet, of Abbeyleix)を得た[1][3]。彼は聖職者としても出世して、オソーリー司教やテュアム司祭長を歴任している[2]。
その息子ジョン(1709-1761)は1727年から1750年にかけてアイルランド庶民院議員を務めた政治家であったが、1750年4月10日にナプトン男爵(Baron Knapton)を得て貴族に昇った[4][3]。この男爵位はアイルランド貴族爵位であり、叙爵の理由は時の首相ヘンリー・ぺラムの推挙があったためだという[4]。
さらにその息子トマス(1735-1804)も1776年7月19日にクイーンズ・カウンティにおけるアビーリークスのド・ヴェシー子爵(Viscount de Vesci, of Abbeyleix in Queen's County)に叙せられ[5][6]、現在まで続く子爵家を興した。この爵位の上昇については、初代ハーコート伯爵(同時期のアイルランド総督)は「ナプトン卿は以前陸軍に在籍しており、アイルランドの徒党『White Boys』の鎮圧に功があった[注釈 1]」と綴っている[5]。
初代子爵以降は直系男子による継承が続き、2代子爵ジョン(1771–1855)、3代子爵トマス(1803–1875)はいずれもアイルランド貴族代表議員に選出されている[5]。
続く4代男爵ジョン(1844–1903)は1884年11月8日に連合王国貴族のクイーンズ・カウンティにおけるアビーリークスのド・ヴェシー男爵(Baron de Vesci, of Abbeyleix in Queen's County)を授けられて貴族院に議席を得た[8][9]。しかし彼には男子がなく、この男爵位は僅か一代で途絶えた[8][3]。一方でアイルランド貴族爵位は4代男爵の弟ユースタス・ヴィジーの子イーボに流れた[1]。以降は現在までこの系統で存続している。
その孫にあたる7代子爵トマス(1955- )が子爵家現当主を務める[1][3]。
子爵家のかつての邸宅にはアイルランド、リーシュ県アビーリークスに位置するアビーリークス・ハウスがあった。
子爵家の紋章に刻まれるモットーは『汝、この徴にて勝利せよ(Sub Hoc Signo Vinces)』[3]。
現当主の保有爵位
編集現当主である第7代ド・ヴェシー子爵トマス・ヴィジーは、以下の爵位を有する[3]。
- 第7代クイーンズ・カウンティにおけるアビーリークスのド・ヴェシー子爵(7th Viscount de Vesci, of Abbey Leix in Queen's County)
(1776年7月19日の勅許状によるアイルランド貴族爵位) - 第8代ナプトン男爵(8th Baron Knapton)
(1750年4月10日の勅許状によるアイルランド貴族爵位) - 第9代(アビーリークスの)準男爵(9th Baronet, of Abbeyleix)
(1698年9月28日の勅許状によるアイルランド準男爵位)
一覧
編集(アビーリークスの)準男爵(1698年)
編集- 初代準男爵サー・トマス・ヴィジー (1672/3 - 1730)
- 第2代準男爵サー・ジョン・デニー・ヴィジー (1709-1761) (1750年にナプトン男爵叙爵)
ナプトン男爵(1750年)
編集- 初代ナプトン男爵ジョン・デニー・ヴィジー (1709-1761)
- 第2代ナプトン男爵トマス・ヴィジー (1735–1804) (1776年にド・ヴェシー子爵に昇叙)
ド・ヴェシー子爵(1776年)
編集- 初代ド・ヴェシー子爵トマス・ヴィジー (1735–1804)
- 第2代ド・ヴェシー子爵ジョン・ヴィジー (1771–1855)
- 第3代ド・ヴェシー子爵トマス・ヴィジー (1803–1875)
- 第4代ド・ヴェシー子爵ジョン・ロバート・ウィリアム・ヴィジー (1844–1903) (1884年にド・ヴェシー男爵叙爵)
- 第5代ド・ヴェシー子爵イーボ・リチャード・ヴィジー (1881–1958)
- 第6代ド・ヴェシー子爵ジョン・ユースタス・ヴィジー (1919–1983)
- 第7代ド・ヴェシー子爵トマス・ユースタス・ヴィジー (1955 - )
爵位の法定推定相続人については、クラクロフト貴族名鑑は「7代子爵(現当主)は1987年に結婚したが、長男は婚姻前の1985年の出生であるため爵位継承から外れ、次男が子爵位の法定推定相続人」とする[3]。他方、デブレット貴族名鑑では結婚年、長男の出生年に関しては前述と同一であるものの相続人については触れられていない[1]。
家系図
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 『White Boys』は、アイルランド小作民による秘密結社。自分たちの土地権利擁護を目的に徒党を組んで各所で襲撃を繰り返した[7]。
- ^ 5代子爵の存命の弟2人には、1904年に「閣下(Hounourable)」の敬称使用を認める勅許が下りている[10]。
出典
編集- ^ a b c d e Susan, Morris (2018-11-29). 『Debrett's Peerage and Baronetage 2019』 (150 ed.). London,England: Marston Book Services. p. 4454. ISBN 978-1999767006. オリジナルの2022-7-19時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c Barnard, Toby (23 September 2004) [2004]. "Vesey, Sir Thomas, first baronet". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/28259。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “de Vesci, Viscount (I, 1776)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月19日閲覧。
- ^ a b Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire (英語). Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 343.
- ^ a b c Cokayne, Gibbs & Doubleday (1916), p. 307.
- ^ "No. 11679". The London Gazette (英語). 29 June 1776. p. 1. 2022年7月19日閲覧。
- ^ “Irish Secret Societies (1760-1762) - Concise History of Ireland”. www.libraryireland.com. 2022年7月19日閲覧。
- ^ a b Cokayne, Gibbs & Doubleday (1916), p. 308.
- ^ "No. 25412". The London Gazette (英語). 7 November 1884. p. 4795. 2022年7月19日閲覧。
- ^ "No. 27685". The London Gazette (英語). 14 June 1904. pp. 3787–3788.
参考文献
編集- Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds (1916) (英語). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart). 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd.. p. 307