トゥアティエン=フエ省

ベトナムの省

トゥアティエン=フエ省(トゥアティエン=フエしょう、ベトナム語Tỉnh Thừa Thiên-Huế / 省承天-化? Thua Thien Hue.ogg 発音)は、ベトナム地方自治体)の一つ。省都フエ市

トゥアティエン=フエ省
Tỉnh Thừa Thiên–Huế
省承天-化
フエ王宮
フエ王宮
トゥアティエン=フエ省の位置
地理
省都 フエ
地方 北中部
面積 4,947.11 km²
下位区分 8 県
統計
人口
人口密度
1,153,795 人(2021年)
233.2 人/km²
民族 キン族, タオイ族英語版, コツ族英語版, ブル族英語版, ホア族
その他
市外局番 234 (2017年6月まで 54)
郵便番号 47
ナンバープレート 75
ISO 3166-2 VN-26
公式Webサイト 公式ウェブサイト
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2025年1月1日をもって、省全域は中央直轄市フエ市に改編される予定である[1]

地理

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北中部に位置し、東はバクボ湾に、北はクアンチ省に、南はクアンナム省およびダナン市に、西はラオスサーラワン県セーコーン県)に接している。世界遺産でもある故都フエ(フエの建造物群)を抱えている(故都は中国故宮を意識してベトナム人がフエを呼ぶ際の枕詞であり、古都という意味ではない)。

歴史

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7世紀頃からチャム族チャンパ王国の中心地の一つウリク州英語版(里州:現クアンビン省クアンチ省、トゥアティエン=フエ省)として栄え、1306年にチャンパと大越の政略結婚の花嫁代償として大越陳朝の領土に編入されてホア州(化州)が置かれた。フエという地名はこの「ホア」の訛りといわれる(チャム語起源説もあるが、20世紀中葉までチャム族はフエをウリクと呼んでいた)。17世紀に地方領主の広南阮氏によりトゥアンホア(順化)都城が築かれ、19世紀初頭に最後の王朝となった越南阮朝(広南阮氏の後裔がベトナムを統一して樹立)の都フースアン(富春)京が置かれた。

インドシナ戦争

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多くの宮殿が1947年 - 1948年フランス再征服軍との戦いで傷つき、1954年以後トゥーズー皇后やベトナム共和国考古院、トゥアティエン省建設司による修復が行われた

ベトナム戦争

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南北ベトナムに分断されていた時は、南ベトナムの北端近くに位置する大学都市として知識人が集った(現在でもフエ大学は7つの単科大学及び高等専門学校からなるマンモス大学である)。フエ旧市内は1968年テト攻勢の際には激しい戦闘の場所となり、南ベトナム解放民族戦線(主力は北ベトナムの人民軍兵士)による占領中に、多くの保守派知識人僧侶がここで虐殺され、解放軍の逃走後は逆に容共派知識人や学生活動家が虐殺された。解放軍逃走の際に虐殺を免れて一緒に北ベトナムに逃亡した学生活動家の中から、グエン・ヴァン・メーベトナム語版ら今日のフエの有力政治家が輩出した。ベトナム戦争中は多くの宮殿が基本的にずっと半壊状態のまま放棄されていた。

近年修復が目覚しい建造物群の他、宮廷音楽、宮廷料理など無形の文化物が多く存在する。

隣接行政区画

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行政区画

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トゥアティエン=フエ省は、以下の行政単位に区分される。

市(Thành phố / 城庯

  1. フエ市(Huế / 化

市社(Thị xã / 市社

  1. フオントゥイ市社(Hương Thủy / 香水
  2. フオンチャー市社(Hương Trà / 香茶

県(Huyện / 縣

  1. フーヴァン県Phú Vang / 富榮
  2. クアンディエン県Quảng Điền / 廣田
  3. アルオイ県A Lưới / 阿䋥
  4. ナムドン県Nam Đông / 南東
  5. フォンディエン県Phong Điền / 豊田
  6. フーロック県Phú Lộc / 富祿

住民

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民族

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キン族タオイ族英語版コツ族英語版ブル族英語版ホア族

言語

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フエ方言の発音は、ダナン方言と同様に声調が極めて曖昧・不明瞭であることで知られ、声調が苦手な外国人にとっては比較的まねしやすいが、一般のベトナム人には異質でわかりにくい方言とされている。

宗教

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交通

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脚注

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  1. ^ Quốc hội biểu quyết thông qua Nghị quyết thành lập thành phố Huế trực thuộc Trung ương” (ベトナム語). quochoi.vn (2024年11月30日). 2024年11月30日閲覧。

関連項目

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