デヴィッド・コノリー
デイヴィッド・ジェイムズ・コノリー(David James Connolly, 1977年6月6日 - )は、イングランド・ブレント・ロンドン特別区ウィレスデン出身の元サッカー選手、元アイルランド代表。現役時代のポジションはセンターフォワード。
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名前 | ||||||
本名 |
デイヴィッド・ジェイムズ・コノリー David James Connolly | |||||
ラテン文字 | David CONNOLLY | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
アイルランド イングランド | |||||
生年月日 | 1977年6月6日(47歳) | |||||
出身地 | ロンドン ブレント区ウィレスデン | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | CF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
-1994 | ワトフォード | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994-1997 | ワトフォード | 26 | (10) | |||
1997-2001 | フェイエノールト | 25 | (7) | |||
1998-1999 | → ウルヴァーハンプトン (loan) | 32 | (6) | |||
1999-2001 | → エクセルシオール (loan) | 48 | (42) | |||
2001-2003 | ウィンブルドンFC | 63 | (42) | |||
2003-2004 | ウェストハム | 39 | (10) | |||
2004-2005 | レスター | 49 | (17) | |||
2005-2006 | ウィガン | 19 | (1) | |||
2006-2009 | サンダーランド | 39 | (13) | |||
2009-2012 | サウサンプトン | 61 | (14) | |||
2012-2015 | ポーツマス | 35 | (11) | |||
2014 | → オックスフォード・U (loan) | 16 | (4) | |||
2015 | AFCウィンブルドン | 8 | (1) | |||
1994-2015 | 合計 | 462 | (178) | |||
代表歴 | ||||||
1996-2004 | アイルランド | 41 | (9) | |||
監督歴 | ||||||
2013 | ポーツマス (選手兼任コーチ) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年4月2日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
プレミアリーグのウィガン・アスレティックFC、サンダーランドAFCを含めイングランドの様々なクラブを渡り歩いた他にも、フェイエノールト、SBVエクセルシオールといったオランダの2クラブでもプレーした経験を持つ。代表としては、イングランドで生まれ育ったが、アイルランド代表を選択しており、2002 FIFAワールドカップに出場している。
経歴
編集クラブ
編集ワトフォード
編集1994年にワトフォードFCの下部組織を経て、グレン・ローダー監督率いる同クラブのトップチームからプロキャリアを開始する。翌1995-96シーズンは、低迷するチームにあって、1996年4月13日のポート・ヴェイルFC戦でプロ初得点を含むハットトリックを達成する[1]と、23日のグリムズビー・タウンFC戦でもハットトリックを達成する[2]等で終盤の6試合で8得点を記録した[3]が、チームを救済するまでに至らず、ディビジョン2 (3部) へと降格した。1996年12月9日、FAカップのアシュフォード・タウンFC戦で途中出場から14分の間にハットトリックを記録した[4]。
オランダ
編集1996-97シーズン終了後、アイルランド代表の先輩であるナイアル・クインから、クインが所属するサンダーランドAFCへの移籍を薦められたが、UEFAチャンピオンズリーグでのプレーを夢見た為[5]、1997年に自由契約でエールディヴィジ (オランダ1部) のフェイエノールトと4年契約を締結した。しかし、開幕から6試合目まで出番が訪れず、9月下旬にフィテッセ戦で初得点を挙げるも、以降は再び出場機会を得るのに苦労していた[6]。レオ・ベーンハッカー監督交代後はチャンスが与えられ、FCトゥウェンテ戦で途中出場からリーグ戦2得点目にして決勝点を挙げる[6]プレーを見せたが、またしても出場に恵まれなかった[7]ことで、1998年8月にディビジョン1 (2部) のウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC[8]、1999年からはエールステ・ディヴィジ (オランダ2部) のSBVエクセルシオールへそれぞれ貸し出された。ウルヴァーハンプトンでは、ロビー・キーンとコンビを組み[7]、1998年11月のブリストル・シティFC戦において4得点[9]を挙げるも、シーズン全体では32試合6得点と印象を残すことは出来なかった。だが、エクセルシオールでは、1999-2000シーズンに得点王 (29得点) に輝いており[7]、翌2000-01シーズンもエクセルシオールに滞在することになったが、15試合13得点と昨シーズン同様に得点力の高さを見せつける[10]と、2000年12月にフェイエノールトに呼び戻された[7]。
期限付き移籍から復帰したフェイエノールトでは、アヤックスとのデ・クラシケルでの2得点[11]を含む5得点を記録。2000-01シーズン終了後、クラブから契約更新の提案があったが、自身の求める賃金と開きがあった為に退団する[12]と、自由契約選手となったコノリーにAZアルクマールとローダJCの2クラブからオファーをされ[12]、最終的にアイルランド代表で共にプレーするケニー・カニンガムの推薦もあり、2001年7月にディビジョン1のウィンブルドンFCと3年契約を締結した[13]。しかし、AZアルクマールから、ウィンブルドンFCとの契約前に3年契約で口頭合意していたと主張され、更にオランダサッカー協会からは、新クラブでプレーすることを禁止が言い渡され、一時暗礁に乗り上げていた[14]。7月27日にウィンブルドンFCでプレーすることが正式に決定した[13]。
ウィンブルドンFC、ウェストハム
編集ウィンブルドンでエースとして、リーグ戦63試合42得点を記録[15]。特に2002-03シーズンは、主将のニール・シッパリーとのコンビで24得点を挙げており[16]、その活躍にプレミアリーグのクラブからオファーがあったものの、2003年8月1日、プロキャリアを開始した時の監督だったローダー監督が率いるウェストハム・ユナイテッドFCと移籍金28万5000ポンドで合意した[15]。初出場を飾ったプレストン・ノースエンドFCとの開幕戦では、移籍濃厚だったジャーメイン・デフォーの残留に加え、期限付き移籍で加入したニール・メラーの存在から控えでのスタートとなった[17]が、メラーとの交代出場した8分後に決勝点を挙げてチームを勝利に導いた[18]。その後、デフォーやメラー、更にボビー・ザモラ、マーロン・ヘアウッド、ブライアン・ディーンといった多くの選手とのポジション争い[19]を繰り広げながら、最終的に公式戦48試合14得点を記録した。2004年5月のクリスタル・パレスFCとの昇格プレーオフ決勝戦がウェストハムでの最後の試合となった。
レスター、ウィガン
編集2003-04シーズン終了後、かつてアイルランド代表で師事したミック・マッカーシー監督が率いるサンダーランドからオファーをされるも、2004年7月20日にポール・ディコフの後釜として、移籍金50万ポンドでレスター・シティFCと3年契約を締結する[20]。レスターでチーム最多の得点源として活躍し、翌2005-06シーズンもストーク・シティFC戦でハットトリックを挙げる[21]等、好調を見せていたところ、2005年8月31日に移籍金200万ポンド(インセンティブ最大300万ポンド)でプレミアリーグのウィガン・アスレティックFCに引きぬかれ、3年契約で合意した[22]。初出場を飾ったウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC戦において初得点を挙げ[23]、早速結果を残したが、ジェイソン・ロバーツとアンリ・カマラの牙城を崩せず、また、2006年1月10日にアーセナルFCとのフットボールリーグカップにおいて、ハムストリングを負傷した[24]ことでシーズンの大半を棒に振り、昇格組ながら10位と好調なチームにあまり影響を与えることが出来なかった。
サンダーランド
編集2006年8月31日、旧知のロイ・キーンが監督を務め、過去に2度誘われた[25]サンダーランドAFCと移籍金190万ポンド、3年契約で加入する[26]。サンダーランドでも負傷に悩まされながら[27]、11月18日のコルチェスター・ユナイテッドFC戦で初得点[28]を挙げて以降、12月9日のルートン・タウンFC戦の決勝点[27]、16日のバーンリーFC戦の同点弾といった重要な得点を挙げており[29]、チームはターンオーバー制を敷き、ストライカーの布陣は流動的であったが、チーム最多の13得点を挙げて、リーグ優勝及びプレミアリーグへの昇格に貢献した。だが、2007-08シーズン、特に2008年1月以来、鼠径部の度重なる問題[30]から出場機会を得ることが出来ず、2009年5月28日に退団となった[31]。
サウサンプトン
編集自由契約選手となった後、暫くの間所属先が見つからなかったが、ウィンブルドンFC時代に師事したアラン・パーデュー監督率いるサウサンプトンFCでの3週間の練習を経て、2009年10月8日に同クラブと2009-10シーズン終了までの契約で移籍した[32]。パーデュー監督が4-5-1のフォーメーションを採用しており、1トップのレギュラーにリッキー・ランバートを据えていた[33]ことで、初出場を飾ったオールダム・アスレティックAFC戦、次のミルトン・キーンズ・ドンズFC戦と途中出場だったが、それぞれ得点を挙げて[34][35]アピールしていった結果、11月6日のブリストル・ローヴァーズFCとのFAカップで先発の座を掴み、そして2得点を挙げた[36]。その後、レギュラーと言えないながらも、20試合7得点を記録したのが評価され、2010年7月6日に契約を1年延長することに成功する[37]と、2010-11シーズンは、負傷の影響から17試合4得点と前シーズンより結果を残せずにいた[38]が、クラブから新たな契約を提示され、2011-12シーズン終了までの1年延長した[39]。2011-12シーズンは、リーズ・ユナイテッドAFC戦を皮切りにバーンズリーFC戦、イプスウィッチ・タウンFCと開幕戦から3試合連続で得点を挙げ、8月27日のレスター戦でも得点を挙げてリーグ戦5試合4得点と近年の不振を感じさせない結果を残していた。しかし、2012年1月の冬の移籍市場でビリー・シャープと李忠成が加入した影響から定位置を掴むのに苦労し、最終的に先発出場試合11試合にとどまり、2012年5月19日にシーズン終了に伴って退団することが発表された[40]。
ポーツマス、AFCウィンブルドン
編集2012年12月31日にポーツマスFCと1ヶ月の契約で合意する[41]。翌日のスウィンドン・タウンFC戦で初出場を飾る[42]。2月26日のミルトン・キーンズ・ドンズ戦で初得点を挙げる[43]と、次のクルー・アレクサンドラFC戦でも得点し、更にその次のベリーFC戦では2得点を挙げた[44]コノリーは、チームのフットボールリーグ2 (4部) への降格を防ぐことが出来なかったが、17試合7得点と一定の結果を残したことで契約を2年延長することに成功した[45]。翌2013-14シーズンは、9月下旬からガイ・ウィッティンガム監督を支える選手兼任コーチに就任[46]。だが、リッチー・バーカー監督就任以降は構想外となり、2014年1月31日に同シーズン終了までの期限でオックスフォード・ユナイテッドFCへ貸し出された[47]。2月1日のAFCウィンブルドン戦で初出場及び初得点を記録した[48]。
期限付き移籍復帰後もポーツマスで出場機会を得られなかった為、2015年1月15日に双方合意でクラブと契約解除[49]し、同日に同カテゴリーのAFCウィンブルドンに移籍した[50]。2月21日のルートン・タウン戦で初得点を挙げる[51]。8試合 (途中出場6試合) 1得点を挙げた後、体力の限界を感じたコノリーは、ウィンブルドンFC時代に共にプレーしたニール・アドリー監督との会談の末、2015年3月8日に37歳で現役引退することを発表した[52]。
代表
編集イングランドで生まれ育つも、両親がアイルランド出身[3]だったことから、1996年5月のポルトガルとの親善試合に向け、アイルランド代表に初招集され[53]、初出場を飾る[54]。同年のen:1996 U.S. Cupにおいて、アメリカ戦[55]、メキシコ戦でそれぞれ1得点挙げた[56]後、1997年5月22日の1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のリヒテンシュタイン戦で12分間にハットトリックを達成し、初出場から5試合5得点とした[57]。同予選では、アイスランド戦でも得点を挙げる等でプレーオフ進出に貢献したが、ベルギーとの第2戦において、1点差を追いかける中、途中出場から約10分後にヘルト・ヴェルハイエンを蹴ったことでレッドカードによる一発退場処分となり、チームは1998 FIFAワールドカップ出場を逃した[58]。
個人成績
編集クラブでの成績
編集所属クラブ | シーズン | リーグ | カップ | リーグカップ | 合計 | |||||
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所属リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
ワトフォード | 1994-95 | ディビジョン1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | ||
1995-96 | 11 | 8 | 1 | 0 | 12 | 8 | ||||
1996-97 | ディビジョン2 | 13 | 2 | 2 | 4 | 1 | 0 | 16 | 6 | |
合計 | 26 | 10 | 4 | 4 | 1 | 0 | 31 | 14 | ||
フェイエノールト | 1997-98 | エールディヴィジ | 10 | 2 | 15[a] | 2 | ||||
2000-01 | 15 | 5 | 15 | 5 | ||||||
合計 | 25 | 7 | 30 | 7 | ||||||
ウルヴァーハンプトン (loan) | 1998-99 | ディビジョン1 | 32 | 6 | 1 | 0 | 2 | 0 | 35 | 6 |
エクセルシオール (loan) | 1999-2000 | エールステ・ディヴィジ | 32 | 29 | 32 | 29 | ||||
2000-01 | 16 | 13 | 16 | 13 | ||||||
ウィンブルドンFC | 2001-02 | ディビジョン1 | 35 | 18 | 2 | 0 | 1 | 0 | 38 | 18 |
2002-03 | 28 | 24 | 2 | 0 | 0 | 0 | 30 | 24 | ||
合計 | 63 | 42 | 4 | 0 | 1 | 0 | 68 | 42 | ||
ウェストハム | 2003-04 | ディビジョン1 | 39 | 10 | 4 | 2 | 2 | 2 | 48[b] | 14 |
合計 | 39 | 10 | 4 | 2 | 2 | 2 | 48 | 14 | ||
レスター | 2004-05 | チャンピオンシップ | 44 | 13 | 5 | 0 | 0 | 0 | 49 | 13 |
2005-06 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | ||
合計 | 49 | 17 | 5 | 0 | - | 54 | 17 | |||
ウィガン | 2005-06 | プレミアリーグ | 17 | 1 | 1 | 1 | 3 | 1 | 21 | 3 |
2006-07 | 2 | 0 | - | - | 2 | 0 | ||||
合計 | 19 | 1 | 1 | 1 | 3 | 1 | 23 | 3 | ||
サンダーランド | 2006-07 | チャンピオンシップ | 36 | 13 | 1 | 0 | 0 | 0 | 37 | 13 |
2007-08 | プレミアリーグ | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | |
2008-09 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
合計 | 39 | 13 | 2 | 0 | 1 | 0 | 42 | 13 | ||
サウサンプトン | 2009-10 | リーグ1 | 20 | 5 | 1 | 2 | - | 23[c] | 7 | |
2010-11 | 15 | 3 | 1 | 1 | 1 | 0 | 18[d] | 4 | ||
2011-12 | チャンピオンシップ | 26 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 26 | 6 | |
合計 | 61 | 14 | 2 | 3 | 1 | 0 | 67 | 17 | ||
ポーツマス | 2012-13 | リーグ1 | 17 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 17 | 7 |
2013-14 | リーグ2 | 18 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 36[d] | 9 | |
合計 | 35 | 11 | 1 | 1 | 0 | 0 | 52 | 16 | ||
オックスフォード・U (loan) | 2014-15 | リーグ2 | 16 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 16 | 4 |
AFCウィンブルドン | 2014-15 | リーグ2 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 |
合計 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | ||
キャリア通算成績 | 462 | 178 | 24 | 11 | 11 | 3 | 522 | 196 |
- a. ^ UEFAチャンピオンズリーグ4試合、CL予選1試合を含む
- b. ^ 昇格プレーオフ3試合を含む
- c. ^ フットボールリーグトロフィー2試合を含む
- d. ^ フットボールリーグトロフィー1試合を含む
代表での成績
編集出典:[61]
アイルランド代表 | ||
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年 | 出場 | 得点 |
1996 | 4 | 2 |
1997 | 7 | 4 |
1998 | 3 | 0 |
2000 | 6 | 1 |
2001 | 4 | 0 |
2002 | 4 | 0 |
2003 | 6 | 1 |
2005 | 1 | 0 |
Total | 41 | 9 |
代表での得点
編集# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
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1. | 1996年6月9日 | フォックスボロ | アメリカ合衆国 | 0-1 | 2-1 | USカップ |
2. | 1996年6月12日 | イーストラザフォード | メキシコ | 1-1 | 2-2 | USカップ |
3. | 1997年5月21日 | ダブリン | リヒテンシュタイン | 1-0 | 5-0 | 1998 FIFAワールドカップ予選 |
4. | 1997年5月21日 | ダブリン | リヒテンシュタイン | 2-0 | 5-0 | 1998 FIFAワールドカップ予選 |
5. | 1997年5月21日 | ダブリン | リヒテンシュタイン | 3-0 | 5-0 | 1998 FIFAワールドカップ予選 |
6. | 1997年9月6日 | レイキャヴィーク | アイスランド | 0-1 | 2-4 | 1998 FIFAワールドカップ予選 |
7. | 1999年2月10日 | ダブリン | パラグアイ | 2-0 | 2-0 | 親善試合 |
8. | 2001年10月6日 | ダブリン | キプロス | 3-0 | 4-0 | 2002 FIFAワールドカップ予選 |
9. | 2003年10月9日 | ダブリン | トルコ | 1-0 | 2-2 | 親善試合 |
獲得タイトル
編集- クラブ
- フットボールリーグトロフィー : 2010
- 個人
- エールステ・ディヴィジ得点王 : 1999-2000
- FAIインターナショナル・フットボール・アワーズ年間最優秀若手選手賞部門 : 1997[62]
脚注
編集- ^ "David's treble chance; Watford 5 Port Vale 2" thefreelibrary.com
- ^ "Hat-Tricks scored for Watford FC in Competitive Games"
- ^ a b "Football: Ireland call on Connolly to convert chances"
- ^ "DAVE RAVE; Watford 5, Ashford 0" thefreelibrary.com
- ^ "Connolly column: More should follow Hitz"
- ^ a b "CONNOLLY TO MISS EURO KICK-OFF; Ban blow for David" thefreelibrary.com
- ^ a b c d "Football: IT'S GOOD TO BE BACK; Connolly beginning to re-build troubled career at Feyenoord" thefreelibrary.com
- ^ "Connolly to strike chord as McGhee gets his way" thefreelibrary.com
- ^ "Football: Slack City hit for six; BRISTOL CITY 1 WOLVES 6" thefreelibrary.com
- ^ "CONNOLLY IN LINE FOR RECALL"
- ^ "FEYENOORD SINK AJAX IN EPIC"
- ^ a b "Football: Holl over for David" thefreelibrary.com
- ^ a b "David Connolly cleared to play for Dons"
- ^ "Connolly move hits snag"
- ^ a b "Connolly joins West Ham"
- ^ "Royals confirm Connolly interest"
- ^ "Hammers circus rolls into town"
- ^ "Preston 1-2 West Ham" BBC Sport
- ^ "Problems pile up for Pardew"
- ^ "Connolly joins Foxes"
- ^ "Leicester 4-2 Stoke" BBC Sport
- ^ "Wigan secure signing of Connolly"
- ^ "West Brom 1-2 Wigan" BBC Sport
- ^ "Wigan suffer double injury blow"
- ^ "We Conn do it!"
- ^ "Six-pack swoop" sunderlandecho.com
- ^ a b "Irish strikers seal Sunderland victory"
- ^ "Elliott and Connolly on target in Sunderland win"
- ^ "Burnley 2-2 Sunderland" BBC Sport
- ^ "Connolly undergoes more surgery"
- ^ "Yorke heads Sunderland clear-out"
- ^ "Southampton sign striker Connolly"
- ^ "Connolly must wait his chance"
- ^ "DAVID CONNOLLY'S first goal [..." thefreelibrary.com
- ^ "Saints too strong for Dons"
- ^ "Connolly sends Saints though"
- ^ "Southampton striker David Connolly pens one-year deal"
- ^ "Saints start preparations"
- ^ "Southampton striker David Connolly signs new contract"
- ^ "Southampton release Lee Holmes, David Connolly and Radhi Jaidi"
- ^ "Former Southampton striker David Connolly signs for Portsmouth"
- ^ "Pompey debut turns sour for ex-Saint"
- ^ "Pompey pegged back at home"
- ^ "Portsmouth 2–0 Bury" BBC Sport
- ^ "David Connolly: Veteran striker agrees Portsmouth contract"
- ^ "Portsmouth: David Connolly still key - Guy Whittingham"
- ^ "Connolly in Oxford loan switch"
- ^ "Oxford Utd 2–1 AFC Wimbledon" BBC Sport
- ^ "Paul McCallum: Portsmouth sign West Ham striker on loan"
- ^ "David Connolly: AFC Wimbledon sign veteran striker" BBC Sport 2015年1月15日付
- ^ "AFC Wimbledon hero Connolly grabs last gasp winner to down Luton Town"
- ^ "David Connolly: AFC Wimbledon's former Ireland striker retires"
- ^ "IT'S CHILD'S PLAY FOR MICK; Kids can bring us glory says Townsend" thefreelibrary.com
- ^ "Dons hitman Connolly still has time on his side"
- ^ "Connolly goal not enough for Republic"
- ^ "Angry McCarthy sees red"
- ^ "Football: Connolly's hat-trick keeps Republic in the hunt"
- ^ "Ireland fail to reach World Cup"
- ^ “David Connolly”. soccerbase. 16 April 2015閲覧。
- ^ “David Connolly”. footballzz. 16 April 2015閲覧。
- ^ a b “David Connolly”. national-football-teams. 16 April 2015閲覧。
- ^ "Keane gets FAI player of the year"
外部リンク
編集- デヴィッド・コノリー - Soccerbase
- デヴィッド・コノリー - Soccerwayによる個人成績
- transfermarkt