ゾンビー・バードハウス
『ゾンビー・バードハウス』は、アメリカ合衆国のミュージシャン、イギー・ポップの6枚目のソロアルバム。1982年9月にブロンディのクリス・スタインが設立したインディーレーベル、アニマル・レコードからリリースされた。
『ゾンビー・バードハウス』 | ||||
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イギー・ポップ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1980年5月 ブランク・テープ・スタジオ、ニューヨーク州ニューヨーク市[1] | |||
ジャンル | ||||
時間 | ||||
レーベル | アニマル・レコード[5] | |||
プロデュース | ||||
イギー・ポップ アルバム 年表 | ||||
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プロダクション
編集経緯
編集アリスタから契約更新を断られたイギーに声をかけたのは、自身のレーベルを設立したばかりのクリス・スタインだった。スタインから5万ドルの出資を受けたイギーはスタインのレーベルから新作を出すことに合意し、それまでのツアー(フォロー・ザ・サン・ツアー)[6]でギタリストを務めたロブ・デュプレイを作曲パートナーに選び、1982年初頭からレコーディングの準備を開始した。作業はデュプレイの自宅アパートに設られたホームスタジオで進められるなど、徹底したコストダウンが図られた[1]。
レコーディング
編集2月中旬から行われたレコーディングも同じくコストダウンが図られた。格安で知られていたが16トラックの録音施設しかなかったブランク・テープ・スタジオを借り受け、イギー、デュプレイ、スタイン、クレム・バーク[注 1]の4名という少人数で作業が進められた。作業は1ヶ月程度で終了し、4月にイギーは当時の恋人エスター・フリードマンとともに、レコードジャケット撮影のためにハイチに向かった[1]。
エピソード
編集フリードマンとのハイチ旅行は災難続きで、違法薬物が格安で入手できる土地柄だったことからずっと酩酊状態だったイギーが現金を使い込んでしまい、加えて交通事故で負傷し、滞在費も帰国旅費も使い果たしてしまった。フリードマンは現地で歯科助手として働くことになったが、就職先の歯科医が殺害されて失業した。最終的にフリードマンの金策が実って帰国できることになったが、その際も酩酊したイギーが帰国直前になって何度も失踪するなどしてなかなか帰国できず、すべての災難を乗り越えて帰国に成功すると、フリードマンはそのままイギーを依存症治療施設に入院させた。本作リリース前後に退院したイギーは、そのままプロモーション・ツアーに向かった[1]。
スタイル
編集当時トーキングヘッズの『リメイン・イン・ライト』のヒットによって興隆を見せ始めていたアフロビートを取り入れるなどの野心的な試みが見られ[8][9]、レーベル主導でアレンジやミックスなどでニューウェーブ風の仕上がりを狙ったアリスタ時代の3枚とは一線を画した内容となっている[1]。
リリース
編集1982年9月にアニマル・レコードからリリースされ、クリサリス・レコードの販売網により配給された[10]。
1991年にボーナストラック「ペイン・アンド・サーファリング」が追加されたリマスター盤が、A&Mレコード傘下のI.R.Sレコード[11]からリリースされた[12]。
2003年、1991年のリマスター盤に1982年のトロントのライブが収録されたボーナスディスクを追加したリイシュー盤がリリースされた[13]。
2019年、キャロライン・レコード傘下のキャロライン・インターナショナル[14]から、再リマスター盤がリリースされた。『トレインスポッティング』の原作者アーヴィン・ウェルシュがライナーノーツを執筆している[15]。
日本でのリリース
編集評価
編集メディアによる評価
編集『ゾンビ・バードハウス』は批評家から賛否両論の反応を受けている。
オールミュージックのマーク・デミングは回顧的なレビューで「悲しいことに、イギー自身はここでは特にうまくやっていなかった。彼の歌詞はしばしば明確な焦点のない奇妙な自由連想の寄せ集めであり、スタインはヒーローと仕事をすることに少し畏敬の念を抱きすぎて、彼のボーカルが音程を外れている(または完全に調子が狂っている)ときにそれを指摘する勇気がなかったように感じられる。(中略)結局のところ、このアルバムは失敗作だが、イギーのキャリアの中で最も興味深く野心的な失敗作の1つであることは間違いない」と書いた[4]。
クラシック・ポップのイアン・ギッティンズはゾンビ・バードハウスを「奇妙でとりとめのない出来事、イギーがその場その場で作り上げたようなぎこちないアート・ロックの無秩序な実践」と評した。彼はアルバムを「作るのは明らかにとても楽しかった。でも、それを何度も聴くかって?それは全く別の話だ」と結論付けた[18]。
ザ・ライン・オブ・ザ・ベストフィットのロス・ホートンは肯定的なレビューで、アルバムを「鋭いエレクトロニックのエッジが効いた、油っぽくて汗まみれで、安っぽいロックンロール」「歪んだ金属と有毒ガスで満ちた、完全に美味しい自動車事故のレコードだ。これは間違いなく最も高貴な種類の失敗であり、薬物で傷つき、燃え尽きたロックンロールの犠牲者2人が、名曲を作るために凡庸なソングライターに頼った結果だ。彼らが望んだ通りにうまくいくことは決してなかったが、ほぼうまくいった」と評し、スーサイド、スロッビング・グリッスル、トーキング・ヘッズとの音楽的比較についても言及している[9]。
ローリング・ストーン誌のパーク・プターバウは、このアルバムを「アイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグ』の作者からは想像できないほど奥深い、知的でよく練られたコレクション」と評した[21]。
サウンズ誌のサンディ・ロバートソンは、このアルバムは「初期のポップの薬物過剰摂取でひざまずくような大騒ぎのアルバムのように挑戦的ではない」が、クリス・スタインは勇敢にも彼のおなじみのスタイルをほとんど提供していないと感じ、「その代わりに、メガネをかけたテキストだ」と述べている[23]。
ヴィレッジ・ヴォイス誌のロバート・クリストガウは、このアルバムをイギーのこれまでで最も実験的なアルバムと呼び、「音楽の巨匠」ロブ・デュプリーの興味深いスタイルの連続性を称賛したが、ポップの「スローガン、社会理論、内輪のジョーク、下手な詩、声のドラマツルギー」を酷評した[24]。
ポップマターズのシャーロット・ロビンソンは、「ゾンビー・バードハウスは(中略)その奇妙さから伝説的な地位に達している」と述べ、「単調なシンセサイザー、アフロ風のビート、疑似詩的で自由連想的な歌詞に満ちている」としている。彼女はまた、このアルバムは「ポップのキャリアにおける、興味深く実験的だが不安定な時期の終わりを告げるもの」だと書いている[25]。
イギーの伝記作家、ポール・トリンカは本作を「失敗作と評価されることになるだろう。」と述べつつも、「興味をそそられる実験曲もあり(中略)、少なくとも実験的な試みを行い、その年の初めのデヴィッド・ボウイのように期待を裏切ろうとする意欲は感じられた。」と肯定的に評価した[1]。
音楽レビュアーとしても活動しているミュージシャンのジュリアン・コープは本作を「イギーの作品中、最も型破りで、奇妙で、ファンキーで、ユーモアにあふれている」「彼のソロアルバムの中で最高のアルバム」と高く評価している[26]。
チャートアクション
編集英米ともに特に目立ったチャートアクションは見られない。
後世への影響
編集ミュージシャンの反応
編集イギーのトリビュートアルバム『ウィ・ウィル・フォール』[27]でブロンディのオリジナルメンバー(クリス・スタイン、クレム・バーク、デボラ・ハリー、ゲイリー・ヴァレンタイン、ジミー・デストリ)によるユニット、アドルフズ・ドッグ[注 3]が「オーディナリー・バマー」をカヴァーしている。この曲はシングルカットもされた[29]。
メディアでの扱い
編集1991年リリースのリマスタリング盤に収録されたボーナストラック「ペイン・アンド・サーファリング」は、もともと映画「ロックン・ルール」の挿入歌だったもの。本作でレコーディングされた曲ではない[注 4]。
ライブ・パフォーマンス
編集リリース直後の10月13日から、アメリカを中心に、カナダ、イギリス、フランスを巡る日程で、本作の名称を冠したツアーが敢行された[31]。ドラマーはクレム・バークからシカゴのパンクバンド・スカフィッシュのメンバー、ラリー・ミゼルウィッチ[32]に交代し、ギタリストに元ブロンディのフランク・インファンテが迎えられた。これまでのツアーと同様に荒れたツアーとなり、ドイツでイギーはビール瓶(ハイネケンだったと言われる)で殴られ、ロンドンでは暴走族に絡まれ、イギリスのチャンネル4の番組『ザ・チューブ』に出演した時は偶然か故意か機材を破壊してしまったが、ベーシストのマイケル・ペイジ[注 5]によるとプライベートは比較的クリーンで、大酒飲みのペイジを非難するような言動もあったという[1]。
本作の名を冠したツアーは1982年12月に終了し、翌1983年2月から名称を「ブレイキング・ポイント・ツアー」と変更して再開された[34]。なお、ツアー名称は変更されたがメンバー[注 6]変更はなかった。このツアーでイギーは初のアジア・オセアニア方面へのツアーを実施したが[35][36][37]、オーストラリアでライブ中に負傷した女性客から訴訟を起こされたため、途中でキャンセルし、7月にはアメリカに帰国することになった。
ベーシストのマイケル・ペイジによると、このツアーの後半で、それまで比較的クリーンだったイギーのプライベートも崩れてしまい、大量のアルコールを摂取するようになったという[1]。
日本との関係
編集収録曲
編集全作詞・作曲: イギー・ポップとロブ・デュプレイ(イギーの単独作品「オーディナリー・バマー」と「ストリート・クレイジーズ」を除く)。 | ||
# | タイトル | 時間 |
---|---|---|
1. | 「ラン・ライク・ア・ヴィラン」 | |
2. | 「ザ・ヴィレッジャーズ」 | |
3. | 「アングリー・ヒルス」 | |
4. | 「ライフ・オブ・ワーク」 | |
5. | 「クッキー・マクブライドのバラード」 | |
6. | 「オーディナリー・バマー」 |
# | タイトル | 時間 |
---|---|---|
7. | 「喰うか、喰われるか」 | |
8. | 「ブルドーザー」 | |
9. | 「プラトニック」 | |
10. | 「ホース・ソング」 | |
11. | 「ウォッチング・ザ・ニュース」 | |
12. | 「ストリート・クレイジーズ」 |
参加メンバー
編集- イギー・ポップ – ヴォーカル
- ロブ・デュプレイ – ギター, キーボード, バックグラウンド・ヴォーカル
- クリス・スタイン – ベース (A5, A6, B2, B3, B6), アートディレクション
- クレム・バーク – ドラムス, パーカッション
- アイヴァン・クラール – ギター (1991年盤ボーナストラック)
- ロブ・デュプレイ – ギター (1991年盤ボーナストラック)
- マイケル・ペイジ – ベース (1991年盤ボーナストラック)
- ダギー・バウン – ドラムス (1991年盤ボーナストラック)
注釈
編集- ^ ブロンディのドラマーで、フォロー・ザ・サン・ツアーにも参加していた[7]。
- ^ Discogsなどでは1982年リリースとされているが、日本盤に封入された烏井賀句のライナーノーツは執筆日を1983年4月3日としており、文末に1983年6月に予定されていた来日コンサートの案内も記載されている[17]ため、1982年リリースではないことがわかる。
- ^ ブロンディが1997年の正式な再結成直前に名乗ったユニット名で、アドルフ・ヒトラーの飼い犬の名前が「ブロンディ」だったことからこのように命名された[28]。
- ^ 2019年のリマスター盤クレジットによれば、作曲が前作『パーティ』でパートナーを務めたアイヴァン・クラールであり、レコーディングメンバーも『パーティ』と同一であるため、『パーティ』のアウトテイクか、以前のメンバーで『パーティ』とは別に映画向けにレコーディングしたものと思われるが、その点については特に明示されていない。著作権表記はイギー自身の版権管理会社が1982年に権利を登録した形となっている。なお、この曲のバックグラウンドボーカルを「デビー・ハリー」としている媒体もあるが、リマスタリング盤のクレジットでは似た名前(デビー・ハリス)の別人とされている[30]。
- ^ 元ニューヨーク・ドールズのシルヴェイン・シルヴェインが結成したザ・クリミナルズを経て、チャビー・チェッカー、ジェリー・リー・ルイスのバックバンドに在籍していた。またストゥージズを解散してロサンゼルスに住んでいた頃のイギーとは面識があった。ペイジは後に「今のバンドメンバーは外国生まればかりだから1人くらいアメリカ生まれを呼びたい。」とイギーが言い出したから、自分は演奏を聴かせていないのに合格した、と語っている[33]
- ^ ロブ・デュプレイ (ギター)、フランク・インファンテ (ギター)、マイケル・ペイジ (ベース)、ラリー・ミゼルウィッチ (ドラムス)
- ^ 1998年に離婚している[39]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i Paul Trynka (2007). Iggy Pop: Open Up and Bleed
- ^ “Detroit Rock Music Style Overview”. AllMusic. 2025年1月20日閲覧。
- ^ “Contemporary Pop / Rock Music Style Overview”. AllMusic. 2025年1月20日閲覧。
- ^ a b c Deming, Mark. “Zombie Birdhouse - Iggy Pop | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. 2025年1月20日閲覧。
- ^ Animal-Recordsのディスコグラフィ - Discogs
- ^ “Iggy Pop - Follow The Sun Tour”. setlist.fm. 2025年2月9日閲覧。
- ^ AMY HABEN (2017年8月23日). “INTERVIEW WITH BLONDIE DRUMMER CLEM BURKE!”. Please Kill Me. 2025年1月14日閲覧。
- ^ Robinson, Charlotte (5 February 2003). “The Weird Trilogy: Iggy Pop's Arista Recordings”. PopMatters. December 20, 2014閲覧。
- ^ a b c “This reissue of Iggy's Zombie Birdhouse is every bit as frustrating and fascinating as the original”. The Line of Best Fit (July 4, 2019). June 17, 2021閲覧。
- ^ Zombie Birdhouse Original - Discogs
- ^ I.R.S. Recordsのディスコグラフィ - Discogs
- ^ Zombie Birdhouse Remaster - Discogs
- ^ Zombie Birdhouse Bonus Disk - Discogs
- ^ Caroline Internationalのディスコグラフィ - Discogs
- ^ Zombie Birdhouse Re-Remaster - Discogs
- ^ Zombie Birdhouse Japan - Discogs
- ^ 烏井賀句、1983、『ゾンビー・バードハウス・ライナーノーツ』、クリサリス・レコード
- ^ a b “Reissue Review: Iggy Pop – Zombie Birdhouse”. Classic Pop (2019年). June 18, 2021閲覧。
- ^ Larkin, Colin (2011). “Iggy Pop”. The Encyclopedia of Popular Music (5th concise ed.). London: Omnibus Press. ISBN 978-0-85712-595-8
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- ^ We Will Fall: The Iggy Pop Tribute - Discogs
- ^ Adolphs Dog - Discogs
- ^ Selections From We Will Fall: The Iggy Pop Tribute - Discogs
- ^ Zombie Birdhouse - Discogs
- ^ “Iggy Pop - Zombie Birdhouse Tour”. setlist.fm. 2025年2月9日閲覧。
- ^ Larry Mysliewicz - Discogs
- ^ Barbara Palmer (2003年5月29日). “Ziggy and Iggy”. SAN Diego Reader. 2019年4月28日閲覧。
- ^ “Iggy Pop - Breaking Point Tour”. setlist.fm. 2025年2月9日閲覧。
- ^ “Iggy Pop - Breaking Point Tour in Japan”. setlist.fm. 2025年2月9日閲覧。
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- ^ rockin’on 1989年4月号 来日インタビュー. 株式会社ロッキング・オン. (1989年4月)
- ^ JANE ROCCA (2013年3月24日). “What I know about women”. THE SYDNEY MORNING HERALD. 2025年2月9日閲覧。
- ^ Joe Arlotta - Discogs
- ^ Butch Jones - Discogs
- ^ Esther Friedman - Discogs
- ^ Mike Reese - Discogs
- ^ Joe Black - Discogs
外部リンク
編集- Zombie Birdhouse - Discogs (発売一覧)