パーティ (イギー・ポップのアルバム)

イギー・ポップのアルバム

パーティ』はアメリカ合衆国のミュージシャン、イギー・ポップの5枚目のソロ・スタジオ・アルバム。1981年8月にレコード会社アリスタから発売された。パティ・スミス・グループでベーシスト、ギタリストとして活躍したアイヴァン・クラールとのコラボレーションによって制作された。

『パーティ』
イギー・ポップスタジオ・アルバム
リリース
録音 1980年8月
レコード・プラント・スタジオニューヨーク州ニューヨーク市ウエスト44番街321
ジャンル
時間
レーベル アリスタ
プロデュース
イギー・ポップ アルバム 年表
ソルジャー
1980年
パーティ
1981年
ゾンビー・バードハウス英語版
1982年
『パーティ』収録のシングル
  1. バン・バン英語版 / シー・オブ・ラブ[2]
    リリース: 1981年
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プロダクション

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経緯

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本作はプレッシャーとストレスの中でレコーディング準備が行われた。

プレッシャーはレコード会社アリスタからのもので、前作『ソルジャー』が予算超過したことから、本作はイギーへの過大投資を正当化するために、アリスタで制作されたこれまでの2作(『ニュー・ヴァリューズ』、『ソルジャー』)以上にヒットすることが求められた。

ストレスは過酷なスケジュールからきており、この時期(1980年2月から5月)のイギーとバックバンドは1日か2日おきにライブを開催するといった過酷なツアーを続けていたことから、本人もバンドメンバーも疲弊していた。

そのような苦境の中で、ツアー終了後、1ヶ月程度の休暇を経た1980年夏頃からイギーとクラールはレコーディング場所のレコード・プラント・スタジオの近所にあったニューヨークのイロコイホテルに滞在してレコーディングの準備を行なった[3]

レコーディング

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レコーディングは1980年8月に行われた。

アリスタは、クラールも参加していたパティ・スミス・グループのヒット曲「ビコーズ・ザ・ナイト」でエンジニアを担当したトム・パヌンツィオをプロデューサーとして起用し、本作でも同様のヒットを狙ったが、完成したアルバムを聞いたアリスタのマネージングディレクター、チャールズ・レヴィンソンは、今回の体制が失策だったと判断した。

その後、本作を救済するためのプロデューサーを探し回ったレヴィンソンは、面識のあったモンキーズの元プロデューサー、トミー・ボイスに声をかけ、イギーとクラールに要望して追加作曲させた「バン・バン英語版」、オールディーズのカバー「シー・オブ・ラブ」「タイム・ウォント・レット・ミー英語版」のプロデュースを担当させた[3]

エピソード

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トム・パヌンツィオがプロデュースしたレコーディング現場ではイギーはふざけた行動を繰り返して、やる気を見せなかったという[3]

シングル向けの曲がないと考えたチャールズ・レヴィンソンが「バン・バン」の追加作曲を依頼した際に、これに応じたイギーはプロデューサーとしてフィル・スペクターマイク・チャップマンを呼ぶように要望した。また、イギーは、この曲のアイデアは地元の書店で「ライトスタッフ」を読んで得たと主張している[4]

イギーにさまざまな注文をつけたチャールズ・レヴィンソンは、同時にアリスタ社内におけるイギーの擁護者でもあった。彼が本作リリース後の1981年夏にワーナー・ミュージック・グループに移籍すると、同じ時期にイギーはアリスタから契約更新はしないと正式に伝えられた[3]

スタイル

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当時の流行だったカーズ風のニューウェーブスカに挑戦し、イギー作品としては初となるホーンセクションの本格導入などを行なっている[3]

リリース

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1981年6月にリリースされ、同月にシングル「バン・バン」もリリースされている。

2000年にリマスター盤がリリースされ、ボーナストラックが2曲追加されている[5]
リマスター盤は2014年にも限定リリースされ[6]、同時期にボーナストラックが含まれないヴァイナル盤もリリースされている[7]

日本でのリリース

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1992年9月23日のCDリリースが日本初リリースとなった[8]

2007年7月25日に紙ジャケットのリマスター版が限定再リリースされている[9]

2014年にもCDがリリースされているが、これはボーナストラックが含まれない2013年リリースのUS盤を「国内流通盤」として販売したものである[10]

評価

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専門評論家によるレビュー
レビュー・スコア
出典評価
オールミュージック     [11]
クリストガウ・レコードガイド英語版C+[12]

メディアによる評価

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本作は批評家からの評判は芳しくない。

ポップマターズ英語版のシャーロット・ロビンソンは、このアルバムを「奇妙な大惨事」と呼んだ[13]

オールミュージックのマーク・デミングは、「イギー・ポップの独特な誠実さの一部として、(ヒット作を出すために)魂を売り渡そうと挑戦するが、売る方法をわかっていないということがある。彼のキャリアの中で最も奇妙なアルバムの1つである『パーティ』がその証拠だ」と評している[11]

ロバート・クリストガウは「スタジオセッションのためにアップタウン・ホーンズ[注 1]に電話するほうが、歌詞を書くより時間がかかったに違いない。」と評し、低評価をつけた。

イギーの伝記作家、ポール・トリンカ英語版は本作を「退屈な作品」呼ぶとともに、レコーディングの背景についても言及し、「『パーティ』のストーリーには何とも言えない哀しさがある。かつてはジャングルの誇り高き王者だったが、今では鞭の音に合わせてサーカスのリングを回る、ノミに噛まれた哀れな遺物となってしまった歯抜けの老ライオンのようなものだった。」と評している。

アリスタのチャールズ・レヴィンソンは「うまくいかなかった。ジム(イギーの本名)に自信喪失させてしまった。」とマネジメントの失敗を認めている[3]

イギー本人は「全作中一番嫌いなアルバム」と評価している[15]

チャートアクション

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ビルボードトップ200で最高位166位[注 2][注 3]

後世への影響

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ミュージシャンの反応

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デヴィッド・ボウイはアルバム『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』で「バン・バン」をカバーした[18]

メディアでの扱い

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米ドラマ「CHUCK/チャック」の第2シーズン第6話「チャック VS 元カノ英語版」に、登場人物のプレイリストに入っているという設定で「パンピン・フォー・ジル」が登場する[19]

ライブ・パフォーマンス

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本作の名を冠したツアーはリリース月と同じ1981年6月から開始され、同年9月まで続けられた[20][注 4]

ツアー終了前後にアリスタから契約更新の見送りを告げられることになり、さらにバンドマスターだったアイヴァン・クラールも同年7月31日にバンドを脱退してしまった。クラールの後任ギタリストは元ブロンディゲイリー・ヴァレンタイン英語版が採用された[3]

10月末からツアーは再開するが、ツアー名称から本作の名称が外されて「フォロー・ザ・サン」と改められ[22]、メンバーも変更になった。

ギタリストとしてデヴィッド・ボウイのパートナー的存在として知られるカルロス・アロマー英語版が参加し、トリプルギター体制になるとともに、キーボードのリチャード・ソール英語版が解雇され、後任は置かれなかった。さらにドラムスがダギー・バウン英語版からブロンディのクレム・バーク英語版に変更された[3]

このメンバー[注 6]によるツアーの模様は1983年に「Live In S.F」としてビデオ発売されている[24][注 7]

また、キース・リチャーズから声がかかり、ローリング・ストーンズのサポートアクトとして11月30日にポンティアック・シルバードームで開催されたスタジアムライブに出演した[3]

この時のイギーの衣装は革ジャンにミニスカートという組み合わせで、ミニスカートの下は下着なしでストッキングを履いており、事実上、局部を露出した状態だった。加えて登場してすぐに観客を罵倒し始めたため、激怒した観客たちによって大量のガラクタがステージ上に投げ込まれた[30]

収録曲

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Side A
#タイトル作詞作曲・編曲作曲者時間
1.「プレジャー」  イギー・ポップ, アイヴァン・クラール
2.「ロックンロール・パーティ」  イギー・ポップ, アイヴァン・クラール
3.「エッグス・オン・プレイト」  イギー・ポップ, アイヴァン・クラール
4.「シンセリティ」  イギー・ポップ, アイヴァン・クラール
5.「ヒューストン・イズ・ホット・トゥナイト」  イギー・ポップ, アイヴァン・クラール
Side B
#タイトル作詞作曲・編曲作曲者時間
6.「パンピン・フォー・ジル」  イギー・ポップ, アイヴァン・クラール
7.「ハッピー・マン」  イギー・ポップ, アイヴァン・クラール
8.「バン・バン」  イギー・ポップ, アイヴァン・クラール
9.「シー・オブ・ラヴ」  フィル・フィリップス英語版, ジョージ・コーリー英語版
10.「タイム・ウォウント・レット・ミー」  トム・キング英語版, チェット・ケリー[31]
リマスター盤ボーナストラック
#タイトル作詞作曲・編曲作曲者時間
11.「スピーク・トゥ・ミー」  イギー・ポップ, アイヴァン・クラール
12.ワン・フォー・マイ・ベイビー英語版  ハロルド・アーレン, ジョニー・マーサー

参加メンバー

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  • イギー・ポップ – ヴォーカル
  • アイヴァン・クラール – ギター, キーボード
  • ロブ・デュプレイ – ギター
  • マイケル・ペイジ – ベース
  • ダギー・バウン – ドラム
  • アップタウン・ホーンズ – ホーンセクション英語版(「プレジャー」, 「シンセリティ」, 「ヒューストン・イズ・ホット・トゥナイト」, 「ハッピー・マン」)

注釈

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  1. ^ ジョーン・ジェットローリング・ストーンズジェームズ・ブラウンといった著名ミュージシャンとの共演経歴を多数持つホーンセクション[14]。イギーとの共演は数あるロックミュージシャンとのセッション履歴の中でも最初期にあたる。
  2. ^ トップ200初登場が9月19日と3ヶ月かかり[16]、10月3日に166位に到達し[17]、10月24日にチャートから消えた。
  3. ^ 英語版Wikipediaでは本作と同時期にリリースされたシングル「バン・バン」がビルボード・クラブプレイ・シングルチャートで35位にチャートインした、とあるが該当するソースが引用されておらず、「要出典」と指摘されている。
  4. ^ リリース前のツアーでも収録曲「プレジャー」や「エッグス・オン・プレート」が散発的に演奏されていることが確認できる[21]
  5. ^ ニューヨーク・ドールズシルヴェイン・シルヴェイン英語版が結成したザ・クリミナルズを経て、チャビー・チェッカージェリー・リー・ルイスのバックバンドに在籍していたベーシスト。またストゥージズを解散してロサンゼルスに住んでいた頃のイギーとは面識があった。ペイジは後に「今のバンドメンバーは外国生まればかりだから1人くらいアメリカ生まれを呼びたい。」とイギーが言い出したから、自分は演奏を聴かせていないのに合格した、と語っている[23]
  6. ^ カルロス・アロマー(ギター)、ゲイリー・ヴァレンタイン(ギター)、ロブ・デュプレイ英語版(ギター)、マイケル・ペイジ[注 5](ベース)、クレム・バーク(ドラムス)
  7. ^ 1981年11月25日、サンフランシスコのマーケット・ストリートにあるウォーフィールド・シアターで撮影されたもの。2005年にタイトルを「Live in San Fran 1981」に変更してDVD化され[25]、2007年には音源のみが改めてCD化[26]されている。また、この前日のライブの模様も2024年に音源のみがCD及びヴァイナルでリリースされている[27][28][29]

脚注

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  1. ^ a b Deming, Mark. “Party - Iggy Pop | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. 2021年7月6日閲覧。
  2. ^ Bang-Bang - Discogs
  3. ^ a b c d e f g h i Paul Trynka (2007). Iggy Pop: Open Up and Bleed. https://archive.org/details/iggypopopenupble00tryn 
  4. ^ Anne Wehrer (1982). I Need More: The Stooges and Other Stories. https://books.google.co.jp/books/about/I_Need_More.html?id=V3rhAAAAMAAJ&redir_esc=y 
  5. ^ Party - Discogs
  6. ^ Party - Discogs
  7. ^ Party - Discogs
  8. ^ イギー・ポップ / パーティ [廃盤]”. CDJournal.com. 2025年1月14日閲覧。
  9. ^ パーティ 【紙ジャケット仕様】|イギー・ポップ”. ソニーミュージック・オフィシャルサイト. 2025年1月14日閲覧。
  10. ^ Party - Discogs
  11. ^ a b Deming, Mark. “Party – Iggy Pop | Songs, Reviews, Credits, Awards | AllMusic”. AllMusic. December 20, 2014閲覧。
  12. ^ Christgau, Robert. “Robert Christgau: CG: Iggy Pop”. robertchristgau.com. December 20, 2014閲覧。
  13. ^ Robinson, Charlotte (February 5, 2003). “The Weird Trilogy: Iggy Pop's Arista Recordings | PopMatters”. PopMatters. December 20, 2014閲覧。
  14. ^ Uptown Horns”. Discogs.com. 2025年1月20日閲覧。
  15. ^ 『CROSSBEAT Special Edition イギー・ポップ』株式会社 シンコーミュージック・エンタテイメント、2017年9月4日。ISBN 978-4-401-64497-1 
  16. ^ Billboard200”. Billboard.com. 2025年1月14日閲覧。
  17. ^ Billboard200”. Billboard.com. 2025年1月14日閲覧。
  18. ^ Never Let Me Down - Discogs (発売一覧)
  19. ^ Chuck: "Chuck Vs. The Ex"”. avclub.com (2008年11月11日). 2025年1月20日閲覧。
  20. ^ Search for setlist Iggy Pop Party Tour”. setlist.fm. 2025年1月14日閲覧。
  21. ^ Search for setlist Iggy Pop 1980”. setlist.fm. 2025年1月14日閲覧。
  22. ^ Search for setlist Iggy Pop Follow The Sun Tour”. setlist.fm. 2025年1月14日閲覧。
  23. ^ Barbara Palmer (2003年5月29日). “Ziggy and Iggy”. SAN Diego Reader. 2019年4月28日閲覧。
  24. ^ Live In S.F. - Discogs
  25. ^ IMDb - Live in San Fran 1981 - 2005-04-19th DVD, Target Video (DR-4438) US”. IMDb.com. 2025年1月14日閲覧。
  26. ^ Live In San Fran 1981 - Discogs
  27. ^ San Francisco 1981 - Discogs
  28. ^ San Francisco 1981 - Discogs
  29. ^ San Francisco 1981 - Discogs
  30. ^ AMY HABEN (2017年8月23日). “INTERVIEW WITH BLONDIE DRUMMER CLEM BURKE!”. Please Kill Me. 2025年1月14日閲覧。
  31. ^ Chet Kelley”. Discogs.com. 2025年1月20日閲覧。

外部リンク

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