スウェイン (Swain) は、アイルランド生まれの競走馬種牡馬フランスイギリス調教を受け、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス(文中では「キングジョージ」と略す)を連覇(連続優勝)した。

スウェイン
欧字表記 Swain
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1992年2月12日
死没 2022年7月28日(30歳没)
Nashwan
Love Smitten
母の父 Key to the Mint
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 シェイク・モハメド
馬主 Sheikh Mohammed al Maktoum
Godolphin
調教師 Andre Fabreフランス
Saeed bin Suroorイギリス
競走成績
生涯成績 22戦10勝
獲得賞金 379万7566ドル(ドル換算)
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競走馬時代

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ナシュワン英2000ギニー英ダービーを優勝したイギリス二冠馬で、「キングジョージ」も優勝している。母ラヴスミットンはアメリカ合衆国のアップルブロッサムハンデキャップ(G1)の優勝。祖母スクウェアエンジェルはカナダの3歳牝馬チャンピオン(ソヴリン賞の前身)を受賞。他の近親にも著名な活躍馬が多数いる名門の生まれである。

3歳となったスウェインはフランスアンドレ・ファーブル調教師厩舎調教を受け、1995年5月サンクルー競馬場でデビューすると、リス賞(G3)、ドーヴィル大賞典(仏G2)を含む5連勝で10月凱旋門賞に駒を進めたが、ラムタラの3着に終わった。

古馬となった1996年ロンシャン競馬場のガネー賞(仏G1)3着の後、イギリスのコロネーションカップでG1競走初勝利。サンクルー大賞では3歳馬のエリシオに逃げ切られたが、凱旋門賞の前哨戦であるフォワ賞では同年の「キングジョージ」優勝馬ペンタイアを破った。続く凱旋門賞はエリシオが5馬身差で圧勝し、スウェインはピルサドスキーオスカーシンドラーに続く4着に終わった。凱旋門賞後はカナダのブリーダーズカップターフ[1]に出走。凱旋門賞2着のピルサドスキーが優勝、シングスピールが2着、スウェインは3着だった。4着のシャントゥーを含め、上位1〜4着を欧州勢が独占した。

5歳となった1997年はイギリスのサイード・ビン・スルール厩舎に移籍した。シーズン[2]緒戦のニューマーケット競馬場で行われたプリンセスオブウェールズステークス(G2)2着と1走して「キングジョージ」に出走した。この年のキングジョージにはエリシオ、ピルサドスキー、シングスピール、シャントゥーらといった有力馬が集まり今では "The Race of the Decade" と称されるほどになったハイレベルなレースになったが、スウェインは単勝6番人気ながら見事に優勝した。父ナシュワンとの親子優勝でもあった[3]。その後はアークトライアル3着を経て三度目の正直を目指して凱旋門賞に出走したがパントレセレブルの7着に敗れた。

1998年は緒戦にアラブ首長国連邦ドバイドバイワールドカップに出走した[4]ヨーロッパコースを走っていたスウェインにとって初のダートコース[5]となったが、アメリカ合衆国から遠征したシルバーチャームと叩き合い[6]を演じたが短頭差(→着差を参照)で2着に敗れた。

その後はコロネーションカップ2着、ハードウィックステークス(英G2)3着を経てこの年も「キングジョージ」へ駒を進めた。これまでスウェインを苦しめてきたエリシオ・ピルサドスキー・シングスピールといった前年までの有力馬は引退しており、ハイライズロイヤルアンセムデイラミらを下して連覇を達成した[7]

にはアイルランドアイリッシュチャンピオンステークスを優勝し、この年はダートのブリーダーズカップクラシックへ挑戦した。同年のブリーダーズカップクラシックにはスキップアウェイオーサムアゲインシルバーチャームヴィクトリーギャロップコロナドズクエストジェントルメンといった近年希にみるハイレベルなメンバーが集結し、地元アメリカ合衆国のシルバーチャームとの再戦ともなり、競り合いになると強いシルバーチャームに対抗するため、騎手ランフランコ・デットーリは最後の直線コースでコースの大外に進路を取るという作戦に出たが、シルバーチャームも連れてスウェインに合わせにいったものの、その間に内を進んだオーサムアゲインが優勝、スウェインは2着のシルバーチャームを差し切れず3着に終わり、この競走を最後に引退した。同年はカルティエ賞最優秀古馬を受賞。

競走成績

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種牡馬時代

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引退後は種牡馬となり、アメリカ合衆国ケンタッキー州シャドウェルファームで種牡馬入り。2010年からカナダオンタリオ州にある、アスコットスタッドで繋養されていた。産駒のG1勝ち馬は1頭、優勝ステークス数12と、競走成績からの期待には及ばない種牡馬成績である。

2022年をもって種牡馬を引退し、オールドフレンズへ移動した。

2022年7月28日、老衰のため30歳で死亡した[8]

代表産駒

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  • ディミトローヴァ:フラワーボウル招待ステークス(米G1)
  • ナシージ:メイヒルステークス(英G2)、フレッドダーリンステークス(英G3)、スイートソレラステークス(英G3)
  • スタンレーパーク:サンルイレイハンデキャップ(米G2)、ベイメドウズダービー(米G3)
  • ムクビル:グリーナムステークス(英G3)
  • マカーン:トーマスブライアン賞(仏G3)
  • トリリオンカット:朝日チャレンジカップJRAG3)
  • シェルゲーム:巴賞

血統表

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スウェイン血統ブラッシンググルーム系ナスルーラ系) / Nearco5×5=6.25%) (血統表の出典)

Nashwan
1986 栗毛
父の父
Blushing Groom
1974 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
父の母
Height of Fashion
1979 鹿毛
Bustino Busted
Ship Yard
Highclare Queen's Hussar
HighLight

Love Smitten
1981 鹿毛
Key to the Mint
1969 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Key Bridge Princequillo
Blue Banner
母の母
Squara Angel
1970 鹿毛
Quadrangle Cohoes
Tap Day
Nangela Nearctic
Angela's Niece F-No.14-c

脚注

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  1. ^ ブリーダーズカップアメリカ合衆国競走であるが、この年はカナダウッドバイン競馬場で開催された。
  2. ^ ヨーロッパ競馬平地競走からまでで、場は障害競走などが行われる。
  3. ^ 同競走史上7組目。1995年ニジンスキーラムタラ親子以来であった。
  4. ^ サイード・ビン・スルール厩舎馬主ゴドルフィンの地元であり、このチームでドバイで出走する際は、所属はアラブ首長国連邦となる。
  5. ^ スルール厩舎はヨーロッパ平地競馬のシーズンオフとなる冬場はドバイ調教を行うため、トレーニングではダートコースを経験している。
  6. ^ 競走の終盤に騎手でスパートを掛け合うこと。またはそのような接戦。
  7. ^ 同競走史上2頭目。1973年 - 1974年に連覇した牝馬ダリア以来。
  8. ^ スウェインとドゥマーニ、いずれも老衰で死亡(アメリカ)[生産]”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年8月4日閲覧。

外部リンク

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