ジョン・グロバム・ハウ (1625-1679)
ジョン・グロバム・ハウ(英語: John Grobham Howe、1625年1月25日 – 1679年5月27日埋葬)は、イングランド共和国・イングランド王国期の政治家。グロスタシャー選挙区の代表として庶民院議員を務めた[1]。
生涯
編集初代準男爵サー・ジョン・ハウと妻ブリジット(Bridget、旧姓リッチ(Rich、1596年ごろ – 1642年6月15日、トマス・リッチの娘)の次男として、1625年1月25日に生まれた[2]。1645年2月5日にリンカーン法曹院に入学した後[2]、1646年からおそらく1649年までウィルトシャーの治安判事を務め、1650年から1653年までグロスタシャーの治安判事を務めた[1]。
『英国議会史』(1983年)や『オックスフォード英国人名事典』など20世紀末以降の文献によれば、ハウは第一議会(1654年 – 1655年)と第二議会(1656年 – 1658年)でグロスタシャー選挙区の代表として議員を務めたが[1][3][4]、『完全貴族名鑑』など19世紀末の文献ではハウの父初代準男爵サー・ジョン・ハウが議員を務めたとしている[5][6]。第三議会(1659年)でも引き続きグロスタシャー選挙区選出の議員を務めた[1]。
1660年3月にグロスタシャーの治安判事を再任、同年7月にノッティンガムシャーの治安判事にも就任し、1679年に死去するまで務めた[1]。同年のイングランド王政復古により父が準男爵に処され、母も
1661年イングランド総選挙ではグロスタシャー選挙区から出馬した[7]。ラグランのハーバート卿ヘンリー・サマセットとサー・トマス・オーヴァーベリー(Sir Thomas Overbury)も出馬を表明したが、オーヴァーベリーはすぐに選挙戦から撤退した[7]。ハーバートとハウが当選するように見えたが、第2代準男爵サー・ベイナム・スロックモートンがハーバートに反対して出馬を表明した結果、ハウとスロックモートンが当選、ハーバートによる選挙申し立ても失敗に終わった[7]。
国教忌避こそしなかったものの、議会では1661年5月に聖奠を受けることを回避、1666年12月には聖奠強制の反対動議を支持した[1]。1673年に庶民院議長の第4代準男爵サー・エドワード・シーモアが枢密顧問官を兼任していることに不満を感じてシーモアを批判、1674年1月に初代ローダーデイル公爵ジョン・メイトランドの罷免を支持した[1]。
1678年5月以降に庶民院に登院した記録はなく[1]、1679年3月イングランド総選挙にも出馬せず、議員を退任した[7]。同年に死去、5月27日にランガーで埋葬された[1]。
家族
編集1648年までに[1]アナベラ・スクロープ(Annabella Scrope、1631年ごろ – 1704年3月21日、初代サンダーランド伯爵エマニュエル・スクロープの庶出の娘)と結婚、4男5女をもうけた[2]。アナベラは1663年6月1日に儀礼席次において伯爵の嫡出の娘と同等の順位を与えられた[2]。
- スクロープ(1648年11月 – 1713年1月16日) - 初代ハウ子爵[2]
- ブリジット(1653年ごろ – 1703年7月14日没) - 1673年5月1日、初代オソルストン男爵ジョン・ベネットと結婚、子供あり[2]
- エリザベス(1720年没[2]) - 1674年7月10日、第2代準男爵サー・ジョン・ガイズと結婚、子供あり[8]
- アナベラ(1678年2月14日までに没[2])
- メアリー(1687年/1688年没) - 初代準男爵サー・ウィリアム・ソームと結婚[2]
- ジョン・グロバム(1657年2月9日 – 1722年6月11日) - 1683年、メアリー・モーガン(Mary Morgan、旧姓バスカヴィル(Baskerville)、1656年洗礼 – 1699年、第3代準男爵サー・エドワード・モーガンの未亡人、ハンフリー・バスカヴィルの娘)と結婚、子供あり[4]
- ダイアナ(1660年ごろ – 1719年1月8日[2]) - 1687年までに第4代準男爵サー・フランシス・モリニューと結婚、子供あり[9]
- チャールズ(1661年 – 1742年2月17日) - 1688年から1690年ごろ、イリナ・デリング(Elianor Dering、旧姓パーギッター(Pargiter)、1665年5月5日 – 1696年7月25日、サー・ヘンリー・デリングの未亡人、サー・ウィリアム・パーギッターの一人娘)と結婚、子供あり[2][10]
- エマニュエル・スクロープ(1663年ごろ – 1709年9月26日) - 1695年11月、ルパータ(Ruperta、1673年 – 1740年、カンバーランド公爵ルパートとマーガレット・ヒューズの庶子)と結婚したとされ、2人は子供をもうけた[11]
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j Ferris, John. P. (1983). "HOWE, John Grobham I (1625-79), of Little Compton, Withington, Glos. and Langar, Notts.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k Crisp, Frederick Arthur, ed. (1919). Visitation of England and Wales (英語). Vol. 13. pp. 95–96, 99–106.
- ^ Evans, Richard K. (2007). The Ancestry of Diana, Princess of Wales: For Twelve Generations (英語). New England Historic Genealogical Society. p. 131.
- ^ a b Hanham, Andrew A. (4 January 2007) [23 September 2004]. "Howe [How], John Grobham [Jack]". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/13958。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ Cokayne, George Edward, ed. (1903). The Complete Baronetage (1649–1664) (英語). Vol. 3. Exeter: William Pollard & Co. p. 123.
- ^ Williams, William Retlaw (1898). The Parliamentary History of the County of Gloucester, Including the Cities of Bristol and Gloucester, and the Boroughs of Cheltenham, Cirencester, Stroud, and Tewkesbury, from the Earliest Times to the Present Day, 1213–1898, with Biographical and Genealogical Notices of the Members (英語). Hereford: Jakeman and Carver. p. 57.
- ^ a b c d Ferris, John. P. (1983). "Gloucestershire". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月9日閲覧。
- ^ Ferris, John. P. (1983). "GUISE (GUYSE), Sir John, 2nd Bt. (c.1654-95), of Elmore, Glos.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月9日閲覧。
- ^ Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (2002). "MOLYNEUX, Sir Francis, 4th Bt. (c.1656-1742), of Kneeton and Teversall, Notts.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月9日閲覧。
- ^ Blacker, Beaver Henry; Levin, Adam Jacob (3 January 2008) [23 September 2004]. "Howe, Charles". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/13950。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ Handley, Stuart (3 January 2008) [23 September 2004]. "Howe, Emanuel Scrope". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/13951。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
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先代 エドワード・スティーブンス サー・マシュー・ヘイル |
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