ジョン・ハウ (初代準男爵)
政治家
初代準男爵サー・ジョン・ハウ(英語: Sir John Howe, 1st Baronet、姓はHow(ハウ)とも、1594年9月1日以前[1] – 1671年ごろ[2])は、イングランド王国・イングランド共和国期の政治家、準男爵。
生涯
編集ジョン・ハウ(John HowまたはJohn Howe、1580年以前 – 1630年9月13日以降)と妻ジョーン(Joan、旧姓グロバム、1580年以前 – 1630年9月13日以降、ニコラス・グロバムの娘)の長男として、1594年9月1日までに生まれた[1]。1638年8月13日、リンカーン法曹院に入学した[3]。
1650年から1651年までグロスタシャー州長官を務めた[3]。『完全貴族名鑑』など19世紀末の文献によれば、ハウは第一議会(1654年 – 1655年)と第二議会(1656年 – 1658年)でグロスタシャー選挙区の代表として議員を務めたが[3][4]、『英国議会史』(1983年)や『オックスフォード英国人名事典』など20世紀末以降の文献ではハウ自身ではなく次男にあたるジョン・グロバム・ハウが議員を務めたとしている[5][6][7]。
1671年ごろに死去、長男リチャード・グロバムが準男爵位を継承した[2]。
家族
編集1620年7月23日、ブリジット・リッチ(Bridget Rich、1596年ごろ – 1642年6月15日、トマス・リッチの娘)と結婚[3]、5男4女をもうけた[1]。
- リチャード・グロバム(1621年8月28日 – 1703年5月12日埋葬) - 第2代準男爵[1]
- ジョン・グロバム(1625年1月25日 – 1679年5月27日埋葬[5]) - 庶民院議員。1648年までに[5]アナベラ・スクロープ(Annabella Scrope、1631年ごろ – 1704年3月21日、初代サンダーランド伯爵エマニュエル・スクロープの娘)と結婚、子供あり[1]
- スザンナ(1626年12月4日[1] – ?) - 1646年3月1日、サー・ジョン・アーンリーと結婚、子供あり[8]
- トマス・グロバム(1630年3月3日 – ?) - 1660年12月15日に騎士爵に叙され、1662年2月23日にリンカーン法曹院に入学した。ヘスター・マナリング(Hester Mainwaring、サー・ウィリアム・マナリングの娘)と結婚[1]
- ウィリアム(1630年6月13日 – 1650年/1651年) - リメリック包囲戦で戦死[1]
- アンナ(1633年3月4日 – ?) - 早世[1]
- エリザベス(1633年12月21日 – ?) - 1655年1月12日、トマス・チェスター(Thomas Chester、1687年2月26日埋葬)と結婚[1]
- ジョージ(1635年10月22日[1] – ?)
- チャールズ(1637年11月27日 – 1710年3月18日埋葬[1])
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l Crisp, Frederick Arthur, ed. (1919). Visitation of England and Wales (英語). Vol. 13. pp. 94–98.
- ^ a b Watson, Paula; Hanham, Andrew A. (2002). "HOWE, Sir Richard Grobham, 2nd Bt. (1621-1703), of Withington and Chedworth, Glos., and Great Wishford, Wilts.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月9日閲覧。
- ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1903). The Complete Baronetage (1649–1664) (英語). Vol. 3. Exeter: William Pollard & Co. p. 123.
- ^ Williams, William Retlaw (1898). The Parliamentary History of the County of Gloucester, Including the Cities of Bristol and Gloucester, and the Boroughs of Cheltenham, Cirencester, Stroud, and Tewkesbury, from the Earliest Times to the Present Day, 1213–1898, with Biographical and Genealogical Notices of the Members (英語). Hereford: Jakeman and Carver. p. 57.
- ^ a b c Ferris, John. P. (1983). "HOWE, John Grobham I (1625-79), of Little Compton, Withington, Glos. and Langar, Notts.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月9日閲覧。
- ^ Evans, Richard K. (2007). The Ancestry of Diana, Princess of Wales: For Twelve Generations (英語). New England Historic Genealogical Society. p. 131.
- ^ Hanham, Andrew A. (4 January 2007) [23 September 2004]. "Howe [How], John Grobham [Jack]". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/13958。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ Watson, Paula; Lancaster, Henry (2002). "ERNLE, Sir John (c.1620-97), of Bury Blunsdon and Whetham House, Calne, Wilts.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月9日閲覧。
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