サンコー (神奈川県)
株式会社サンコーは、神奈川県川崎市に本社を置き[14]、神奈川県・東京都・埼玉県でスーパーマーケットチェーンを展開していた日本の企業である[10]。1961年(昭和36年)11月10日設立[5]。
ダイエー向ヶ丘店 旧「サンコー向ヶ丘ショッピングワールド」 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | |
本社所在地 |
日本 神奈川県川崎市川崎区榎町9-21[3] 本部:東京都品川区西五反田7-22-17[3]東京卸売センター[4] (1970年(昭和45年)7月23日移転[4]) |
設立 |
1961年(昭和36年)11月10日(初代)[5] ↓ 1950年(昭和25年)2月22日(2代目)[3][注釈 1] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパーマーケット[7] |
代表者 |
中田安彦[7] ↓ 大川栄二[6] |
資本金 |
100万円(設立時)[8] ↓ 5億円[3] |
売上高 |
約350億円 (1972年(昭和47年)8月期)[9][10] ↓ 約657億円 (1979年(昭和54年)2月期)[10] |
純利益 |
約5.99億円 (1979年(昭和54年)2月期)[10] |
決算期 |
8月[9][10][11] ↓ 2月[3] |
主要株主 |
岡田屋(現・横浜岡田屋)[11] ↓ ダイエーグループ:約90%[3] ↓ ダイエー:約29%[12] |
特記事項:1981年(昭和56年)7月31日に「株式会社マルエツ」にを吸収合併されて消滅[13]。 |
1970年(昭和45年)2月27日にダイエーと提携[15]、1981年(昭和56年)7月31日に株式会社マルエツに吸収合併され消滅した[13]。
歴史
編集設立から中堅チェーンへ
編集サンコーは、岡田屋(川崎市地場資本の呉服店、現在の横浜岡田屋)のスーパーマーケット事業会社として[5][11]、1961年(昭和36年)11月に資本金100万円で設立された[6]。
同月に1号店として「小田店」を開設したのを皮切りに[8]、武蔵小杉や鹿島田、登戸、武蔵新城、溝の口などの南武線沿いや大師や川崎駅前、元住吉など地盤である川崎市内に加えて、隣接する横浜市内の綱島や星川等へ出店を進め[11]、1966年(昭和41年)8月期には岡田屋グループ全売上の55%を占める最大事業へと成長した[11][15]。
1964年(昭和39年)に本部を小田店から独立させ[16]、商品部を設置して本部集中仕入れを開始した[17]。
1966年(昭和41年)9月23日に溝ノ口店の新館を開店し[18]、従来の主力の食品と日用雑貨に加えて衣料品の強化を図った[19]。
1967年(昭和42年)までに川崎での商勢圏での店舗網を築き上げ[20]、1968年(昭和43年)には横浜での本格的なチェーン展開に乗り出した[21]。 同年5月時点で神奈川県内で最多の15店舗を展開し[11]、中堅スーパーへ成長した1970年(昭和45年)には売上高約150億円の中堅スーパーへ成長した[15]。
1969年(昭和44年)11月に共同仕入れ機構「ナルサ」を[22]、イトーヨーカ堂や扇屋のほか[22]、伊勢甚・忠実屋・藤五・カネ長武田と共に設立し[23]、参加企業の合計で売上高1000億円超の流通グループを形成することになった[22]。「ナルサ」には1970年(昭和45年)1月、当時のスーパーでは名門とされる尾張屋(後にニチイと合併)も加盟した[23]。
この「ナルサ」では、売上高約300億円のサンコーは約320億円のイトーヨーカ堂と共に中核となり[22]、岡田屋グループの岡田吉朗が[15]代表取締役[24]・会長に就任した[15]。
このように、新興スーパーを代表する存在として[10]、神奈川県を地盤とし[14]26店舗を展開するスーパーマーケットチェーンとなった[25]。同じ川崎市に本拠を置き、本業の百貨店で岡田屋と競合していた老舗の小美屋が「小美屋第一商事」を設立してスーパーマーケット「コミーマート」を開業した際は、サンコーを超えることが目標とされた[15]。
ダイエー傘下での再建
編集サンコーは経営難に陥ったため[26]、1970年(昭和45年)2月27日にダイエーと提携して再建を図ることになり[15][27]、役員の相互派遣や当社独自のショッピングセンターの開設などを含む提携を行うことになった[15]。
ダイエーは、創業者の中内㓛が「血を流して一体化すべきである」などと発言して提携には批判的で、サンコー以前には業務提携は行っていなかったが[4]、サンコーとの提携を皮切りに同年4月18日に高知市の大橋通にフランチャイズ1号店を開店し、同年7月24日には「さとう」や「宝屋」「福屋」「丸作」とフランチャイズ契約や業務提携を行うと発表するなど、提携戦略を展開するようになった[4]。
ダイエーとの提携発表の翌日の1970年(昭和45年)2月28日、「ナルサ」に脱退届を正式に受理され[4]、脱退した[28]。
その後、ナルサはイトーヨーカ堂を中心として運営されるようになったが[23]、1976年(昭和51年)8月21日に扇屋がジャスコと合併し[28]、1978年(昭和53年)7月に忠実屋が脱退する[28]など衰退に向かい[28]、イトーヨーカ堂に吸収合併されて消滅することになった[10]。
また、提携当初はサンコー独自のショッピングセンターの開設継続が含まれていたことから[15]、提携直後の1970年(昭和45年)には、3月21日に川崎市の向ヶ丘遊園駅前に専門店約60店が入居する向ヶ丘ショッピングワールドを開業し、同月26日に横浜市長津田に専門店約40店が入居する長津田ショッピングワールドを開業、11月20日に横浜市上大岡に上大岡ショッピングワールドを開業、同月28日に横浜市井土ヶ谷に井土ヶ谷ショッピングワールドを開業するなど、大型店を相次いで出店した[4]。
ところが、西友等の他の大手スーパーも買収の動きもあったことから、ダイエーが約35億円でサンコーを買収し[25]、1970年(昭和45年)7月1日にサンコーの仕入れ部門を廃止してダイエーと共同仕入会社の「エマック」を設立すると共に[15]、同月23日に東京都品川区西五反田の東京卸売センターへ本部を移転した[4]。
そして、1971年(昭和46年)4月にダイエーとの共同店舗の第1号店として「鶴見ショッパーズプラザ」を開業し[14]、サンコー鶴見西口店を出店した[29]。
また、大型店の業績が低迷していたことから[10]、ショッピングセンターの管理・運営はダイエー・ショッビングセンター運営部が継承することになり、1971年(昭和46年)に向ヶ丘店と上大岡店[9]、横浜西口店はダイエーに営業権を譲渡することになった[23]。
その結果、サンコーの店舗数は25店舗へ減少し[10]、業務体制の確立のために約7年間にわたって出店を凍結した[30]。そして、総合スーパーのダイエーと異なるチェーンストアとして差別化を図り[30]、食料品約60%で衣料品と家庭用品が各々約20%という構成比の食品スーパーとして、独立したチェーンとして展開した[10]。
出店再開から上場へ
編集1977年(昭和52年)9月に桜台店を開店して[31]出店を再開し[10]、1978年(昭和53年)9月に開店した[31]南浦和店を皮切りに埼玉県へ進出し[10]、以降は神奈川・東京・埼玉・千葉の首都圏1都3県でのチェーン展開を目指すことになった[10]。
こうした経営改善により1979年(昭和54年)2月期には売上高約657億円で約5.99億円の純利益を上げるようになり[10]、同年12月3日に東京証券取引所第2部上場した[2]。
マルエツに吸収合併
編集しかし、首都圏における有力食品スーパーで、大手スーパーの首都圏攻略のカギを握るとされていたマルエツが、株式会社西友ストアー(現・西友)と全面提携すると報道されると[14]、サンコー創業家の高橋家の中での意見の相違があったことを利用してダイエー側が逆転[32]。
その結果、1981年(昭和56年)2月4日にはダイエーグループのサンコーがマルエツに吸収合併される契約に調印し[33]、同年7月31日にマルエツに吸収合併され[13]、サンコーはその歴史に終止符を打つことになった。
年表
編集過去に存在した店舗
編集神奈川県
編集川崎市
編集川崎区
編集中原区
編集高津区
編集宮前区
編集幸区
編集多摩区・麻生区
編集横浜市
編集- 横浜西口店(西区南幸2-16-1[68]、1968年(昭和43年)11月15日開店[69][68][70])
- 店舗面積約5,455m2[68]。
- 2フロアのショッピングセンター形式の店舗として出店した[21]。
- 1971年(昭和46年)12月にダイエーに営業権を譲渡することになり[23]、1972年(昭和47年)4月5日にダイエー横浜ショッパーズプラザとして開店した[34]。
- 2019年2月にダイエー横浜西口店が閉店し、閉店後は権田金属工業と都市再生機構 (UR) の共同事業により、住居部分も含めて9階建て商業棟と8階建て賃貸住宅が建てられ、商業施設部分にダイエーと同じイオングループのイオンモール株式会社が運営する「CeeU Yokohama(スィーユー ヨコハマ)」が開業[広報 1][広報 2]。ダイエーは同施設の核店舗「イオンフードスタイル横浜西口店」として、2023年(令和5年)10月27日に先行オープンの形で再出店した[広報 1]。
横浜市・川崎市以外
編集東京都
編集埼玉県
編集出店を計画した店舗
編集過去に存在した事業所
編集脚注
編集注釈
編集出典
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