サルギス・サルグシアン
サルギス・サルグシアン(Sargis Sargsian, アルメニア語:Սարգիս Սարգսյան, 1973年6月3日 - )は、アルメニア・エレバン出身の男子プロテニス選手。ATPツアーでシングルス1勝、ダブルス2勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス38位、ダブルス33位。身長180cm、体重75kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
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2004年全米オープンでのサルグシアン | ||||
基本情報 | ||||
愛称 | サルグ (Sarg) | |||
国籍 | アルメニア | |||
出身地 | 同・エレバン | |||
生年月日 | 1973年6月3日(51歳) | |||
身長 | 180cm | |||
体重 | 75kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1995年 | |||
引退年 | 2006年 | |||
ツアー通算 | 3勝 | |||
シングルス | 1勝 | |||
ダブルス | 2勝 | |||
生涯通算成績 | 223勝288敗 | |||
シングルス | 155勝209敗 | |||
ダブルス | 68勝79敗 | |||
生涯獲得賞金 | $2,603,732 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 4回戦(2003) | |||
全仏 | 3回戦(1998-2000) | |||
全英 | 3回戦(2001・03) | |||
全米 | 4回戦(2004) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 3回戦(2004・05) | |||
全仏 | ベスト8(2004) | |||
全英 | 1回戦(1998・2003・04) | |||
全米 | 2回戦(1997) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 38位(2004年1月12日) | |||
ダブルス | 33位(2004年8月9日) | |||
来歴
編集サルグシアンは4大大会の男子シングルスで、2003年全豪オープンと2004年全米オープンで4回戦に進出し、全仏オープンとウィンブルドン選手権でも複数回の3回戦進出を果たしている。男子テニス国別対抗戦デビスカップでも、アルメニアが1996年に初参加した時からずっとデビスカップアルメニア代表を支え、当地のスポーツ史に大きな足跡を残した。
サルグシアンは7歳からテニスを始め、アルメニアのスポーツ選手育成機関で学んだ後、1993年からアメリカに留学した。アリゾナ州立大学の学生テニス選手だった頃、サルグシアンは同大学で最初のNCAAシングルス選手権優勝者になっている。1995年にプロ入りし、主催者推薦で初出場した全米オープンでいきなり3回戦に進出した。翌1996年、アルメニアはデビスカップに初参加を果たす。5月下旬にイスタンブールで行われた最下位グループヨーロッパ・アフリカゾーン・グループ3の総当たり戦が、アルメニアのデビスカップ初挑戦であった。1997年7月、サルグシアンはテニス殿堂選手権で初のATPツアー決勝に進出し、ブレット・スティーブンを7-6, 4-6, 7-5で破り、ツアー初優勝を達成した。
それから、サルグシアンは全仏オープンで1998年~2000年の3年連続3回戦進出を果たす。この3年間、彼はティム・ヘンマン、ウェイン・フェレイラ、チャン・シャルケン、アルノー・クレマンなどの強豪選手を撃破し、1999年の3回戦では大会前年優勝者のカルロス・モヤと対戦した。2001年には、ウィンブルドン選手権で初の3回戦進出を果たしている。
30歳を迎えた2003年、サルグシアンはテニス経歴で最も充実した年を送った。この年、彼はツアーでシングルス2大会に準優勝、ダブルスで2大会優勝、全豪オープン4回戦進出などの戦績を記録する。それまで全仏オープン・ウィンブルドン・全米オープンの3回戦に勝ち上がってきたサルグシアンだが、この全豪オープンで初の4回戦進出を決めた。3回戦で地元オーストラリアのマーク・フィリプーシスを破ったサルグシアンは、初進出の4回戦でウェイン・フェレイラに3-6, 4-6, 6-3, 3-6で敗れた。その後ウィンブルドン選手権でも2年ぶり2度目の3回戦に進出するが、フアン・カルロス・フェレーロに敗退する。同年の秋に、サルグシアンはロシアでの2大会で決勝に進んだが、9月末のクレムリン・カップ決勝ではテーラー・デントに、10月のサンクトペテルブルク・オープンではグスタボ・クエルテンに敗れ、6年ぶりとなるツアー2勝目のチャンスを逃した。
2004年のシーズンは、全米オープンで4回戦進出があった。1回戦でアレックス・コレチャ、2回戦でアテネ五輪の単複金メダルを獲得したニコラス・マスーを破って勝ち進んだサルグシアンは、4回戦でアンドレ・アガシに3-6, 2-6, 2-6のストレートで完敗した。
サルグシアンはオリンピックのアルメニア代表選手としても、1996年アトランタ五輪と2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪の3度出場を果たしている。アトランタではダニエル・ネスターとの1回戦に勝利しているが、シドニーとアテネでは初戦敗退に終わっている。
2005年ウィンブルドン選手権1回戦でニコラス・マスーに敗れた試合が、彼の最後の4大大会出場になった。2006年7月、デビスカップでイワン・ドディグに敗れた試合を最後に、サルグシアンは33歳で現役を引退した。
ATPツアー決勝進出結果
編集シングルス: 3回 (1勝2敗)
編集
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結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 1997年7月7日 | ニューポート | 芝 | ブレット・スティーブン | 7–6(0), 4–6, 7–5 |
準優勝 | 1. | 2003年9月29日 | モスクワ | カーペット (室内) | テーラー・デント | 6–7(5), 4–6 |
準優勝 | 2. | 2003年10月20日 | サンクトペテルブルク | ハード (室内) | グスタボ・クエルテン | 4–6, 3–6 |
ダブルス: 5回 (2勝3敗)
編集結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 1999年7月5日 | ニューポート | 芝 | クリス・ウッドラフ | ウェイン・アーサーズ リーンダー・パエス |
7–6, 6–7, 3–6 |
準優勝 | 2. | 2000年8月21日 | ワシントンD.C. | ハード | アンドレ・アガシ | ジャレッド・パーマー アレックス・オブライエン |
5–7, 1–6 |
準優勝 | 3. | 2003年5月19日 | ザンクト・ペルテン | クレー | ネナド・ジモニッチ | シーモン・アスペリン マッシモ・ベルトリーニ |
4–6, 7–6(8), 3–6 |
優勝 | 1. | 2003年7月28日 | ワシントンD.C. | ハード | エフゲニー・カフェルニコフ | クリス・ハガード ポール・ハンリー |
7-5, 4-6, 6-2 |
優勝 | 2. | 2003年9月8日 | ブカレスト | クレー | カールステン・ブラーシュ | シーモン・アスペリン ジェフ・クッツェー |
7–6(7), 6–2 |
4大大会シングルス成績
編集- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | A | 2R | 1R | 2R | 1R | 2R | 1R | 4R | 2R | 2R | 8–9 |
全仏オープン | A | A | 1R | 3R | 3R | 3R | 2R | 1R | 2R | 1R | 1R | 8–9 |
ウィンブルドン | A | A | 2R | 2R | 1R | 1R | 3R | 2R | 3R | 2R | 1R | 8–9 |
全米オープン | 3R | LQ | 3R | 1R | 1R | 1R | LQ | 3R | 2R | 4R | A | 9–8 |
※: 1997年全米2回戦の不戦勝は通算成績に含まない
外部リンク
編集- サルギス・サルグシアン - ATPツアーのプロフィール
- サルギス・サルグシアン - デビスカップのプロフィール
- サルギス・サルグシアン - 国際テニス連盟
- サルギス・サルグシアン - Olympedia