ケントロサウルス (学名 Kentrosaurus) は中生代ジュラ紀後期キンメリッジ期、アフリカに生息していた剣竜類の草食恐竜で、同時代に生息したステゴサウルスに近縁な学名は「スパイクのトカゲ」を意味する。

ケントロサウルス
生息年代: 中生代ジュラ紀後期, 152 Ma
ケントロサウルス骨格
ケントロサウルスの骨格模型
フンボルト大学ベルリン自然史博物館
地質時代
中生代ジュラ紀後期(約1億5,200万年前)
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 爬虫綱 Reptilia
亜綱 : 双弓亜綱 Diapsida
下綱 : 主竜形下綱 Archosauromorpha
上目 : 恐竜上目 Dinosauria
: 鳥盤目 Ornithischia
階級なし : 頬竜類 Genasauria
亜目 : 装盾亜目 Thyreophora
下目 : 剣竜下目 Stegosauria
: ステゴサウルス科 Stegosauridae
: ケントロサウルス属 Kentrosaurus
学名
Kentrosaurus
Hennig[1]

K. aethiopicus Hennig[2]1915模式種

特徴

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想像図
 
人間との大きさ比較

ステゴサウルスに近縁であるが、大きさ、装甲の形状、体の柔軟性において差異が認められる。大きさはステゴサウルスが体長7.4メートル、体重3,500キログラムに達するのに対してケントロサウルスは体長2.5 - 5メートル、体重400キログラム - 1.5トンと[3]はるかに小型である。背中の骨板はステゴサウルスでは菱形の骨板が2列互い違いに配置されているが、ケントロサウルスでは2列対称に配置しており、更にその骨板はヨーロッパのレクソヴィサウルス (Lexovisaurus ) などと同様に腰の辺りからは細く伸びた状に変化している。ステゴサウルスの骨板が体温調節の働きを持っていたのに対してケントロサウルスの骨板と棘の用途はもっぱら防衛のみだったようである。またケントロサウルスの腰の辺りには湾曲した鋭い棘がある。なおこの棘については、トゥオジャンゴサウルス (Tuojiangosaurus ) など中国で発見されている他の種では肩についていたという証拠が得られているため、ケントロサウルスの復元に関しても見直すべきだという意見がある。

 
尾のスパイク

ステゴサウルスの脊椎骨を特徴付ける腰から尾にかけての脊椎骨の顕著な棘突起がケントロサウルスにはなかった。この棘突起に付着した強靭な筋肉によりステゴサウルスは後肢のみで立ち上がり樹木の葉を食べることもできたが、ケントロサウルスには不可能だったようである。足の他の部分に対する大腿骨の長さの比が大きくこの恐竜が遅くて不活発な恐竜であったことを示す。

頭骨については断片的な化石しか得られていないが、近縁種からの推定では頭骨は小さく細長い形態で、歯を失い、代わりに角質のをもったがあったとされる[3]

生息環境

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北アメリカ大陸ロッキー山脈のモリソン累層で発見されたステゴサウルスと、アフリカ大陸タンザニアのテンダグル累層で発見されたケントロサウルスが近縁であるということは、両者の共通祖先が1つの大陸パンゲア超大陸(その後北半分がローラシア大陸、南半分がゴンドワナ大陸へと分裂)に生息していたことを示している。一方で、両者の相違点は同じ先祖をもつ動物が分裂したそれぞれの大陸で別々にたどった進化の上での変化を示している。 また、この2層の類似はブラキオサウルス類においても顕著である。

発見

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1909年 - 1912年ドイツによるドイツ領東アフリカ遠征はいくつかの新しい恐竜種の発見をもたらした。この遠征に参加した3人の古生物学者の一人であるエドウィン・ヘニッヒ英語版1915年にケントロサウルスを記載した。ほぼ完全な骨格が復元されベルリン大学フンボルト博物館に展示されたが、博物館が第二次世界大戦中爆撃され大部分は焼失してしまった。

脚注

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  1. ^ ヴィリー・ヘニッヒ or Edwin Hennig (1882-1977) 古生物学者
  2. ^ ヴィリー・ヘニッヒ or Edwin Hennig (1882-1977) 古生物学者
  3. ^ a b ヘーゼル・リチャードソン、デイビッド・ノーマン(監修)『恐竜博物図鑑』出田興生(訳)、新樹社〈ネイチャー・ハンドブック〉、2005年、84-85頁。ISBN 4-7875-8534-7 

関連項目

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