クリムズン作戦
クリムズン作戦(英語: Operation Crimson)は、第二次世界大戦中の1944年7月25日にイギリス海軍によって実行された作戦である。インドネシアのサバン、ルホンガ、コタラジャ(現在のバンダ・アチェ)の日本軍の飛行場に対して艦砲射撃と空襲が行われた[1]。
小戦力で陽動で行っていた今までの作戦と違い、本作戦は「飛行場と港湾施設を壊滅させ、そこに隠れているあらゆる船舶を破壊するために」計画された「正真正銘の作戦」(a full-blooded operation)とされた[2]。
サー・ジェームズ・サマヴィル大将率いる[3]艦隊はトリンコマリーを出撃し、7月25日早朝に多大な損害を日本軍に与えた。本作戦の報告書によると、
7月25日早朝、艦隊は予定発艦位置に達し、午前4時には戦艦隊がカンバーランド、ケニア、ナイジェリアとともにサバンを艦砲射撃するため分派された。午前5時25分、2隻の空母から航空部隊が発艦。本作戦は日本軍に多大な損害を与えることができ、成功に終わった。 — [1]
34機のF4U コルセア戦闘機によって[2]日本軍の航空戦力を減退させたのち、トロンプ、クオリティ、クイックマッチ、クィリアムがサバン港に突入し日本軍陣地を砲撃した[4][5]。日本側の損害は工作部中破、航空基地送信所大破、「桐丸」沈没などで、死者は4名であった[6]。日本軍は反撃を試みたが、イギリス軍の損害はトロンプと駆逐艦2隻被弾、コルセア2機被撃墜など、比較的軽微だった[2]。日本軍は、駆逐艦3隻に命中弾を与え航空機4機を撃墜したとしている[6]。
偵察に向かった日本軍の零戦3機のうち1機が未帰還となった[6]。また、日本軍は天山2機、九七式艦攻5機、零戦12機で薄暮攻撃を試みたが会敵できず、敵戦闘機との交戦で零戦3機が失われ、加えて天山1機、零戦2機が着陸時に大破した[6]。翌日にも偵察を行った零戦1機が着陸時に大破している[6]。
サマヴィル提督は病気を理由に外交に活躍の場を移したため、本作戦はサマヴィル提督の関わった最後の軍事作戦となった[3]。
参加兵力 (連合国軍)
編集脚注
編集- ^ a b c Patrick Boniface, HMS Cumberland, page 86, 2006.
- ^ a b c Malcolm H. Murfett, Naval Warfare 1919-45: An Operational History of the Volatile War at Sea, page 357, 2008.
- ^ a b Stanley Sandler, World War II in the Pacific: An Encyclopedia, page 729, 2001.
- ^ “"BISHOP" - BEIF Covering operation for Rangoon Landing”. Royal Navy in Pacific and Indian Oceans area. 2015年3月13日閲覧。
- ^ Table of actions by Royal Navy.
- ^ a b c d e 戦史叢書54巻 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降、429ページ
- ^ Mason, Geoffrey (2003年). “HMS QUILLIAM”. Naval History. 2015年3月13日閲覧。
参考文献
編集- 防衛庁防衛研修所 戦史室、『戦史叢書54巻 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』、朝雲新聞社