キース・フォーク
キース・フォーク(Keith Charles Foulke , 1972年10月19日 - )は、アメリカ合衆国・サウスダコタ州ラピッドシティ出身の元プロ野球選手(投手)。現役時代は主にクローザーを務めていた。
ボストン・レッドソックス時代 (2004年10月30日) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | サウスダコタ州ラピッドシティ |
生年月日 | 1972年10月19日(52歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 210 lb =約95.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1994年 ドラフト9巡目でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名 |
初出場 | 1997年5月21日 |
最終出場 | 2008年9月18日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前からジャイアンツ時代
編集ラピッドシティのエルスワース空軍基地で生まれ、テキサス州のハーグレーブ高校を卒業後、同じテキサスのガルベストン大学へ進んだ。1993年にはデトロイト・タイガースから14巡目(全体389位)で指名されるが契約はせず[1]、アイダホ州のルイスクラーク州立大に移った1994年、サンフランシスコ・ジャイアンツから9巡目(全体256位)で指名され6月3日に契約、プロとしてのキャリアをスタートする事になる[2]。
その年は4試合の登板にとどまったが、翌1995年はアドバンストA級で28試合に登板し防御率3.51、13勝6敗、翌1996年はAA級で27試合に登板、防御率2.75、12勝7敗と好成績をおさめる。1997年はAAA級フレズノで12試合に登板したところでメジャーに昇格するが、手荒い洗礼を受けてしまう。ジャイアンツは7月31日のトレード期限にフラッグシップ・ディールを行い、先発投手ウィルソン・アルバレス、ダニー・ダーウィンとリリーフのロベルト・ヘルナンデスを獲得、フォークはボブ・ハウリーら5人と共にシカゴ・ホワイトソックスに放出された。
ホワイトソックス時代
編集ホワイトソックス移籍後リリーフにコンバートされ、ハウリーがクローザーとして育っていく中、主にセットアッパーをつとめていた。2000年にはシーズン途中からクローザーとなり、この年は34セーブ、2001年は42セーブと順調に活躍する。
しかし2002年は5月末時点で防御率5.56、8セーブと安定感を欠き[3]、その後復調したもののトータル11セーブに終わった。チームとしてもアントニオ・オスナが11セーブ、ダマソ・マルテが10セーブとクローザーに悩まされた1年となった。シーズンオフの12月3日、ホワイトソックスは新たなるクローザーとしてビリー・コッチをマイナー2選手と共に獲得し、フォークと他2名プラス金銭をオークランド・アスレチックスに放出した。
アスレチックス時代
編集2003年は復活を果たし最多セーブのタイトルを獲得、オールスターにも選出された。
レッドソックス時代
編集2004年はアスレチックスからFAとなっていたが、1月7日にボストン・レッドソックスと契約。安定した成績をおさめ、チームはア・リーグ東地区2位でポストシーズンへ進出する。ディビジョンシリーズではアナハイム・エンゼルス相手に2試合登板し、1セーブ、無失点と完璧におさえ、チームは3連勝でリーグチャンピオンシップシリーズへ進出、シリーズではヤンキース相手に5試合登板し、ここでも1セーブ、無失点と抑えきり、4勝3敗でカージナルスとの2004年のワールドシリーズへと駒を進める。ワールドシリーズでも全4試合に登板、防御率1.80、1勝1セーブと4連勝で1918年以来86年ぶりのワールドシリーズ制覇に貢献し胴上げ投手となる。ポストシーズントータルでは防御率0.64、1勝3セーブと完璧な内容であった[4]。
翌2005年は膝の故障に悩まされ序盤から不調であった。7月6日にはDL入りし翌日には左膝の内視鏡手術を受ける。9月9日に戻ってきた時には既にマイク・ティムリンにクローザーの座を奪われた後だった。復帰後は10日ほどの間にわずか6.2イニングを投げただけでシーズンを終えてしまった。オフには右膝まで内視鏡手術を受けることとなった[5]。
2006年は復活を待たれていたが、術後の両膝に加え右肘と背中にも不安があり、スプリングトレーニングでの成績も芳しくなかったため、チームは先発での起用を予定していたジョナサン・パペルボンをクローザーに起用し、自身は中継ぎで使われることとなった[6]。しかし6月13日には右肘の違和感でDL入りし、レッドソックスは2007年の契約オプション750万ドルを行使せずFAとなった。
アスレチックス復帰
編集2007年1月4日にクリーブランド・インディアンスと契約するが、肘の状態は思わしくなくスプリングトレーニング直前の2月16日に「身体が思うように反応しない」と語り引退を表明した[7]。しかし、復帰を考え9月に右肘の遊離軟骨除去手術を行い、復帰に向けてのトレーニングを開始。
2008年1月に行った入団テストには高い興味を示していたアスレチックス、アリゾナ・ダイヤモンドバックスをはじめ二十数球団が視察に訪れ[8]、最終的にアスレチックスと年俸70万ドル、インセンティブ総額250万ドルで契約し[9]、ヒューストン・ストリートへつなぐセットアッパーとして期待されていたが、同年限りで退団した。
独立リーグ時代
編集2009年は独立リーグ・アトランティックリーグのニューアーク・ベアーズに入団しプレーした[10]。この年限りで現役を引退した。
投球スタイル
編集詳細情報
編集年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1997 | SF | 11 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | -- | .167 | 209 | 44.2 | 60 | 9 | 18 | 1 | 4 | 33 | 1 | 0 | 41 | 41 | 8.26 | 1.75 |
CWS | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | -- | 1.000 | 117 | 28.2 | 28 | 4 | 5 | 1 | 0 | 21 | 0 | 0 | 11 | 11 | 3.45 | 1.15 | |
'97計 | 27 | 8 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 3 | -- | .444 | 326 | 73.1 | 88 | 13 | 23 | 2 | 4 | 54 | 1 | 0 | 52 | 52 | 6.38 | 1.51 | |
1998 | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 1 | -- | .600 | 267 | 65.1 | 51 | 9 | 20 | 3 | 4 | 57 | 3 | 1 | 31 | 30 | 4.13 | 1.09 | |
1999 | 67 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 9 | 21 | .500 | 411 | 105.1 | 72 | 11 | 21 | 4 | 3 | 123 | 1 | 0 | 28 | 26 | 2.22 | 0.88 | |
2000 | 72 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 34 | 3 | .750 | 350 | 88.0 | 66 | 9 | 22 | 2 | 2 | 91 | 1 | 0 | 31 | 29 | 2.97 | 1.00 | |
2001 | 72 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 9 | 42 | 0 | .308 | 322 | 81.0 | 57 | 3 | 22 | 1 | 8 | 75 | 1 | 0 | 21 | 21 | 2.33 | 0.98 | |
2002 | 65 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 11 | 8 | .333 | 306 | 77.2 | 65 | 7 | 13 | 2 | 2 | 58 | 1 | 0 | 26 | 25 | 2.90 | 1.00 | |
2003 | OAK | 72 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 1 | 43 | 0 | .900 | 338 | 86.2 | 57 | 10 | 20 | 2 | 7 | 88 | 0 | 1 | 21 | 20 | 2.08 | 0.89 |
2004 | BOS | 72 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 32 | 0 | .625 | 333 | 83.0 | 63 | 8 | 15 | 5 | 6 | 79 | 3 | 0 | 22 | 20 | 2.17 | 0.94 |
2005 | 43 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 15 | 1 | .500 | 210 | 45.2 | 53 | 8 | 18 | 1 | 5 | 34 | 0 | 0 | 30 | 30 | 5.91 | 1.55 | |
2006 | 44 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 14 | .750 | 205 | 49.2 | 52 | 9 | 7 | 0 | 2 | 36 | 2 | 0 | 24 | 24 | 4.35 | 1.19 | |
2008 | OAK | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 8 | .000 | 133 | 31.0 | 28 | 7 | 13 | 2 | 1 | 23 | 1 | 0 | 14 | 14 | 4.06 | 1.32 |
通算:11年 | 619 | 8 | 0 | 0 | 0 | 41 | 37 | 191 | 55 | .526 | 3201 | 786.2 | 652 | 94 | 194 | 24 | 44 | 718 | 14 | 2 | 300 | 291 | 3.33 | 1.08 |
- 2008年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
編集- 最多セーブ投手:1回(2003年)
表彰
編集- ローレイズ・リリーフマン賞:1回(2003年)
- ベーブ・ルース賞:1回(2004年)
記録
編集参考資料
編集- ^ “Draft Picks who came from Galveston College”. 2008年2月10日閲覧。
- ^ “Draft Picks who came from Lewis-Clark State College”. 2008年2月10日閲覧。
- ^ “2002 Career Highlights:”. Mlb.com. 2008年2月10日閲覧。
- ^ “2004 Career Highlights:”. Mlb.com. 2008年2月10日閲覧。
- ^ “2005 Career Highlights:”. Mlb.com. 2008年2月10日閲覧。
- ^ “Jonathan Papelbon – Profile of Boston Red Sox pitcher Jonathan Papelbon”. 2008年2月10日閲覧。
- ^ “Keith Foulke”. Rotoworld.com. 2008年2月10日閲覧。
- ^ “Reliever Keith Foulke back with Oakland”. USA TODAY.com. 2008年2月10日閲覧。
- ^ “Keith Foulke”. Rotoworld.com. 2008年2月10日閲覧。
- ^ “Save opportunity for former Red Sox closer Foulke”. The Boston Globe (2009年5月20日). 2021年9月21日閲覧。
- ^ “KFFL - Article - Keith Foulke, CL, Boston Red Sox”. 2008年2月10日閲覧。