カレイジャス (空母)
カレイジャス (HMS Courageous, 50) は[注釈 2]、イギリス海軍の艦船[5]。 カレイジャス級巡洋戦艦 (Courageous-class battlecruiser) のネームシップ[6]。 日本語ではカレージアス[7][8][9]、カレイジアス[10]など複数の表記がある[注釈 3]。カレイジャスとは[14]、勇気ある、勇敢な、度胸のある、という意味[注釈 4]。
カレイジャス | |
---|---|
基本情報 | |
運用者 | イギリス海軍 |
艦種 |
巡洋戦艦(竣工時) 航空母艦(改造後) |
級名 |
カレイジャス級巡洋戦艦(竣工時) グローリアス級航空母艦(改造後)[注釈 1] |
愛称 | クラパム・ジャンクション[3] |
艦歴 | |
発注 | 1915年3月14日 |
起工 | 1915年3月28日 |
進水 | 1916年2月5日 |
竣工 | 1916年11月4日 |
その後 | 1939年9月17日に戦没 |
要目 | |
基準排水量 | 22,350 トン |
満載排水量 | 26,518 トン |
全長 | 786.5 ft (240.0 m) |
最大幅 | 81 ft (27.6 m) |
吃水 | 25.8 ft (8.1 m) |
機関 | 蒸気タービン |
ボイラー | ヤーロー式重油専焼水管缶18基 |
主機 | パーソンズ式ギヤード・タービン4基 |
推進 | 4軸 |
出力 | 90,000hp |
最大速力 |
30.8 ノット (57 km/h)(公試時) 29.5 ノット (通常時) |
航続距離 | 16ノットで5,860 浬 |
乗員 |
(軽巡洋艦時) 829名 (航空母艦時) 766名 + 航空要員450名の合計1,216名 |
兵装 |
(竣工時) 38.1 cm(15インチ)連装砲 2基 101.6 mm(4インチ)3連装砲 6基 3ポンド(76.2 mm)単装砲 2基 53.3センチ(21インチ)3連装魚雷発射管 4基 53.3センチ(21インチ)水中魚雷発射管 2門 (航空母艦時) 40口径12cm単装高角砲 16基 2ポンド8連装ポムポム砲 3基 |
搭載機 | 42~48機 |
姉妹艦にはグローリアス (HMS Glorious, 77) と[16][注釈 5]、準同型艦フューリアス (HMS Furious, 47) がある[17][注釈 6][注釈 7]。 バルト海上陸作戦のための「大型軽巡洋艦」[20](軽巡洋戦艦)として建造され[15][21]、第一次世界大戦では第一巡洋艦戦隊に所属して第2次ヘルゴラント・バイト海戦に参加した[22]。 ワシントン海軍軍縮条約締結後[10]、多段式の航空母艦へ改造された[23][注釈 8]。 グローリアス級航空母艦 (Glorious-class aircraft carrier) もしくはカレイジャス級航空母艦 (Courageous-class aircraft carrier) に分類されている。
第二次世界大戦開戦直後の1939年(昭和14年)9月17日[25]、ブリテン諸島近海で対潜作戦に従事中[8]、Uボートの魚雷攻撃により沈没した[注釈 9](大西洋の戦い)[注釈 10]。
概要
編集カレイジャスは、15インチ(38cm)連装砲塔2基を備えた「大型軽巡洋艦」[28]としてアームストロング社で建造された[注釈 11][注釈 12]。
本級は、しばしば“ハッシュ・ハッシュ・クルーザー”と呼ばれる[31][注釈 13]。
ハッシュ・ハッシュ・クルーザーの建造は、フィッシャー軍令部長の提唱、推進によるものだった[33]。フィッシャー提督はバルト海上陸侵攻作戦 (Baltic Project) 支援のための特殊艦艇として[34]、海峡部を一挙に突破するための高速力と、同方面での行動を考慮した浅吃水、哨戒や迎撃に出現するであろう敵巡洋艦を圧倒する火力を求めたものである[35]。敵の巡洋艦を駆逐する「巡洋艦駆逐艦 Cruiser Destroyer」という新艦種であった[36]。
設計を担当した海軍造船局長サー・ユースタス・テニスン・ダインコートによれば[37]、バルト海侵攻作戦と同時に、敵海軍の通商破壊艦に対処するため、海外派遣や遠洋での行動も考慮していた[38][注釈 14]。すなわち本級の実体はレナウン級巡洋戦艦とアドミラル級巡洋戦艦(フッド)の中間に位置する軽巡洋戦艦である[40][41]。同時に、その船体の大きさの割に軽量化を優先させた本級には、後述する船体構造上のしわ寄せも生じた[注釈 15]。 また1930年代後半になると、魚雷に対するダメージコントロール能力に疑問符がもたれていた[注釈 16]。
設計
編集- 搭載機変遷
- 1939年 9月 計24機 811Sqn(ソードフィッシュ×12)+822Sqn(ソードフィッシュ×12)
艦歴
編集カレイジャス級巡洋戦艦は1915年(大正4年)1月下旬に設計に着手、「カレイジャス」は同年3月28日に起工した[43]。1916年(大正5年)2月5日、進水[30]。同年10月28日に引き渡され、11月14日に公試がはじまった[44]。 艦隊配属前の1917年(大正6年)1月8日に全力公試を行った際、船首楼部分に破損を生じて燃料タンクが裂け、燃料130トンを流出する事故を起こしている[3]。そのため、早々に船体強化工事を実施する羽目となった[44]。また、上述の「バルト海上陸作戦」はフィッシャー卿の辞任に伴って立ち消えとなったため、本級がバルト海作戦に投入されることは無かった[28]。 またカレイジャス級巡戦3隻には、それぞれ異なった特殊装置が設けられた[45]。「カレイジャス」の後甲板には機雷投下軌条が設けられて[46]、当時の最新型HII機雷202個が敷設可能な機雷敷設艦となった[3]。この機雷敷設装置は姉妹艦には装備されず、本艦にのみ設置された[注釈 17]。しかし、この設備が用いられた記録はなく、同年11月には早くも撤去された[3]。
なお本級計画時の魚雷兵装は水中魚雷発射管2門のみだったが[36]、甲板に水上魚雷発射管を増設する改装を実施した[48]。雷撃能力向上後は、水雷巡洋艦 (Torpedo Cruiser) と呼ばれたこともあったという[49]。イギリス海軍は、巡洋戦艦としても軽巡洋艦としても中途半端な本級を有効利用するため、味方の巡洋艦や水雷戦隊を掩護する役目を与えた[45]。
修理と改造工事を終えた「カレイジャス」は、T.ネイピア海軍少将の坐乗する第一巡洋艦戦隊 (1st Cruiser Squadron) 旗艦となった[3][22]。 続く同年11月17日には[50]、「グローリアス」や巡洋戦艦「レパルス」などと共に、第2次ヘルゴラント・バイト海戦に参加した[51][注釈 18]。 この海戦では、ドイツ帝国海軍 (Kaiserliche Marine) の小型巡洋艦「ピラウ」に対して姉妹艦とともに1発の主砲共同命中を果たしたが、自身の主砲発射の衝撃によって前甲板に破損を生じている[3]。
第一次大戦後は、海軍砲術学校付練習艦を経て、予備艦隊旗艦の任に就いている[3][53]。 ワシントン会議により列強各国はワシントン海軍軍縮条約を締結、この中に戦艦や巡洋戦艦を航空母艦に改造する条項が盛り込まれた[54]。イギリスは巡洋戦艦「フッド」の建造中姉妹艦2隻を空母に改造する権利を得たが、既に「フューリアス」を保有している関係上、準同型艦の本艦と「グローリアス」を空母に改造した[10][注釈 19]。
「カレイジャス」は1924年から1928年にかけて航空母艦へ改造された[3][57]。 その結果、カレイジャス級3隻は[注釈 6]、戦間期において英国海軍の標準型空母へと変貌を遂げている[58][59]。また、英海軍は長らく着艦オペレーションの制御に苦心してきたが、1931年には従来の縦索式を廃して「カレイジャス」に横索式着艦制動装置を導入した[注釈 20]。この装置は漸次的に保有空母に導入され、英海軍における着艦制動の問題は無事に解決を見た[58]。さらに、続く近代改装では飛行甲板の小延長、艦橋構造物上のマストを三脚檣ヘ更新するとともにホーミング・ビーコンを設けている[注釈 21]。
第二次世界大戦
編集1938年(昭和13年)11月中旬、新世代のイギリス空母「アーク・ロイヤル」」が竣工した[注釈 22]。航空戦隊旗艦をアーク・ロイヤルに譲り[注釈 16]、また着艦訓練用の練習空母としての役目も「フューリアス」に任せて、予備艦になった[注釈 23]。
1939年(昭和14年)8月、戦艦「ネルソン」艦長を務めていたメーケイグ・ジョーンズ大佐が[11]、カレイジャス艦長として赴任してきた[注釈 24]。 当時、ホルトン提督指揮下の予備艦隊 (Reserve Fleet) はウェイマスに集結しており、カレイジャスも水上機母艦やリヴェンジ級戦艦などと共に停泊していた[注釈 25]。 8月9日、スコットランド滞在中のイギリス国王(大英帝国皇帝)ジョージ6世がポートランド港を訪れ、「カレイジャス」など各艦を親閲した[注釈 25]。
9月初旬[63]、第二次世界大戦がはじまる[64]。世界大戦初期、ヨーロッパ大陸の西部戦線は平穏だったことから人々は“まやかし戦争”と呼んでいたが、海上では熾烈な戦闘がはじまっていた[7]。開戦時の本艦はプリマス軍港に停泊しており[65]、本国艦隊 (The Home Fleet) に所属、ソードフィッシュを装備する第811飛行隊と第822飛行隊を搭載していた[66]。 ドイツ海軍 (Kriegsmarine) のUボートの捜索および撃沈のために、連合軍は艦隊型航空母艦を中心としたハンター・キラー・グループを編成する[11](大西洋の戦い)[注釈 26]。
同年9月3日、「カレイジャス」はUボート狩りのためプリマスを出撃した[68]。護衛は駆逐艦「イングルフィールド」、「イントレピッド」、「アイヴァンホー」、「インパルシヴ」であった[69]。「カレイジャス」では乗組員達が「アスディックがあればUボートは恐れるに足らず、空母の護衛には駆逐艦2隻で充分だ。」と安心していたという[70]。9月10日、哨戒飛行中のソードフィッシュ1機が未帰還となる[70]。
ドーヴァー海峡では、オランダからリヴァプールにむかっていた日本郵船の「りすぼん丸」とすれ違っている[注釈 27][注釈 28]。 9月17日、「カレイジャス」はアイルランド沖のウェスタンアプローチで対潜哨戒任務に就いていた[8]。18時過ぎ、「カレイジャス」はドイツ潜水艦「U29」に発見された[72]。この時、護衛の駆逐艦4隻の内「イングルフィールド」と「イントレピッド」は貨物船「カフィリスタン (Kafiristan)」がドイツ潜水艦「U53」に攻撃されたためそちらへ派遣されていた[73]。また、「カレイジャス」のソードフィッシュが「U35」を攻撃している[74]。
「カレイジャス」は搭載機を発艦させるため風に向かって向きを変えたことで、「U29」に接近して射点を提供することになった[75]。19時50分[76]に「U29」は魚雷3本を発射し、2発の命中音を聴取[77]。航走時間2分15秒で距離2160メートルとなっている[77]。左舷に2発被雷した「カレイジャス」は20度傾斜し、また主発電機の一つが破壊され艦内はほぼ真っ暗となった[78]。10分後には傾斜は45度に達し、艦長メーケイグ=ジョーンズ (Makeig-Jones) 大佐は乗員が艦を離れることをしぶしぶ認めた[78]。傾斜は約10分後に35度ほどになった[79]とも。「カレイジャス」は被雷から約20分後に沈没したと推定されるとも[79]、15分で沈没したとも[80]、攻撃後19分で沈没したとも[78]される。
1260名中519名[74]または1216名中[注釈 29]、艦長を含め518名が死亡した[82][83]。また本艦沈没時に811飛行隊と822飛行隊の兵士も多数が戦死し、後日、両者を統合して815飛行隊が編成された。
「カレイジャス」の被雷後、右側にいた「インパルシヴ」は救助活動を開始した[79]。また、オランダ客船「フェーンダム (Veendamn)」とイギリス貨物船「コリンワース (Collingworth)」(および汽船「Dido」[84])が生存者を救助した[74][注釈 30]。護衛の駆逐艦2隻は爆雷を使い尽くすまで4時間に渡って「U29」への攻撃を行ったが、「U29」を取り逃がした[86]。
これより3日前の9月14日、イギリス空母「アーク・ロイヤル」がU-39に攻撃され[注釈 31]、その直後に「カレイジャス」が撃沈された[90]。 イギリス海軍は、艦隊型航空母艦を対潜哨戒任務に投入することを中止した[90]。
「カレイジャス」は、第二次世界大戦において敵艦との交戦により最初に失われたイギリス軍艦である[3][注釈 32]。 本艦の沈没は、世界各国で報道された[91][92]。10月14日のU47による戦艦「ロイヤル・オーク」沈没とあわせ、Uボートの威力を世界に示すことになった[93]。
脚注
編集注釈
編集- ^ しばしばカレイジャス級航空母艦と表記する。フューリアス級航空母艦と表記した資料もある[1][2]。
- ^ 〔英國〕航空母艦カレヱジアス[4] 全長786呎 幅81呎 吃水22呎 排水量18,600噸 備砲(4.7吋-16門 外に小口徑砲-18門) 速力31節 本艦は姉妹艦グローリアスと共に1927年竣工の巡洋艦を1924年に至り航空母艦に改装さるゝことゝなつたものである。竣工1928年4月 グローリアスの改装工事は1930年1月完成せり。
- ^ ほかにカレーヂアス[11][12]、カレヱジアス[4]、カレヂアスと表記することもある[13]。
- ^ イギリス海軍の非公式な呼び方は“無法者”[15]。
- ^ 華府會議以後、列強は優秀なる航空母艦の計畫に力を注いだ[12]。英國は一千萬圓を投じてフューリアスを根本的に改造して水平煙突式とし、その成績に鑑みてカレーヂアス及グローリアスの二大巡洋戰艦を航空母艦に改造した。/ カレーヂアス及グローリアスは各排水量二萬二千五百噸、速力三十一節、搭載飛行機數三十六である。(以下略)
- ^ a b 航空母艦“フューリアス Furious”[18] 全要目{排水量22,450噸 速力31節 備砲 13糎高角砲10門 10糎高角砲4門 搭載機數33機 起工 1915年6月 竣工 1917年 1918年改装 建造所 アームストロング會社} 英國海軍の誇る三大航空母艦の一つで、その全長239.63米、幅27.13米、平均吃水6.40米。飛行甲板の長さ213.36米でその幅24.34米に達す。速力31節の軸馬力は90,000馬力で巡洋戰艦を改造したものである。
外に機銃其他小砲實に54門を有す。搭載機は戰闘機1個中隊(ニムロツド、フライキャッチャー9機) 哨戒偵察機1個中隊(フェアリーIII F12機) 雷撃機1個中隊(リツボン12機)と發表されてゐるが、今日では更に新鋭機を搭載してゐることだらう。ほゞ同排水量の二段甲板の母艦に“カレヂアス Courageous” “グロリアス Glorious”の大型航母がある。 - ^ 〔英國〕航空母艦フューリアス[19] 全長786呎 幅90呎 吃水22呎 排水量19,100噸 速力31節 備砲(5.5吋-10門 4吋高角-6門) 本艦は舊カレヂアスおよびグローリアスと大型巡洋艦として起工せられたるものを途中航空母艦に改造したものである。
- ^ 航空母艦“ハーミーズ Hermes”[24] 全要目{排水量10,850噸 速力25節 備砲13.8糎砲6門 10糎高角砲3門 搭載機數20機 起工1918年1月 竣工1923年5月 建造所不詳} 此艦は英國海軍が航空母艦として計畫した最初のものである。全長182.26米、幅21.33米、平均喫水5.50米、飛行甲板の幅27.43米。上記の兵装の外に小砲計26門を有す。
航空母艦“カレツヂアス Courageous” 全要目{排水量22,500噸 速力30.5節 備砲13.8糎砲10門 10糎高角砲6門 巡洋戰艦より改造せるもの 搭載機數36機 起工1915年5月 竣工1917年1月 建造所アームストロング會社} 尚英國には以上の外に“アルガス Argus”14,450噸、20.2節。及び“グロリアス Glorious”22,500噸、30.5節の2隻の航空母艦がありこの艦種に於ては列強中特に整備充實されてゐる。 - ^ 潜水艦の電撃による我海軍艦船の最初の犠牲は九月十七日に起つたのであるが、それは航空母艦カレージアスであつた[26]。
- ^ カレイジャスを撃沈したのは、オットー・シューハルト大尉が指揮するU-29であった[27]。
- ^ 巡洋戦艦と見做されているが[12][24]、舷側最大7.6センチ、甲板最大3.8センチという、軽巡洋艦並の防御力しかない[29]。
- ^ 英航空母艦撃沈さる 獨潜水艦の攻撃を受け[30]【ロンドン十八日發國通】英國情報相發表=英國海軍航空母艦カレジャス號(二二、五〇〇噸)は敵潜水艦の攻撃を受け撃沈せられたり 【註】英航空母艦カレジアス號は長さ二二四.〇六米、幅二四.六八米(バルヂを含む)吃水六.七五米、排水量基準二二,五〇〇噸、常備二三,二〇〇噸、乗員七四八人(航空隊員を合計すれば一一〇〇人)機關パーソンス式歯車タービン、汽罐ヤロー式一八個、馬力九〇,〇〇〇、速力三一節、兵装備砲一二糎高角砲一六、四.七糎四、機銃五〇、探照燈六、装甲一艦側中部七.六糎、同前部五.〇糎、前部隔壁五.〇糎、後部隔壁七.六乃至二.五糎、艦側主装甲上部三.八糎、上甲板二.五糎、下甲板二.八糎、艦機上部甲板七.六糎、改良されたるバルヂの深さ七.六二米、右舷にアイランド型一檣、一煙突あり、一九一五年五月アームストロング社において起工、一九一六年二月五日進水、一九一七年竣工、フイツシヤー卿の設計にてバルチツク海に使用する目的の爲に淺吃水に造られた大型輕巡洋艦であつたが、一九二四年デボンボート工廠において航空母艦に改装着手、一九二八年三月完了したものである(寫眞はカレジヤス號)
- ^ フューリアスのみ18インチ砲(計画は2門、竣工時1門)を搭載したが、のちに後部主砲も撤去して完全な航空母艦となった[32]。
- ^ 本級の建造時、インド洋ではドイツ帝国海軍の軽巡「エムデン」が活動し、シーレーンを脅かしていた[39]。
- ^ カレイジャス沈没から生還したあと、最新鋭空母「イラストリアス」に配備されたチャールズ・ラム(第815海軍飛行隊)は「イラストリアスと比べると、カレイジャスはノアの方舟みたいなものだった。」と回想している[42]。
- ^ a b (カレイジャス沈没状況)[11] 開戰後三週間内に海軍の蒙つた最初の重大なる損害は潜水艦の雷撃を受けて航空母艦カレーヂアスの沈没したことである。戰爭前カレーヂアスは航空戰隊司令官の旗艦としての任務をアーク・ロイヤルに譲つて以來豫備艦隊に属してゐた。同艦は豫備艦隊の殘餘の艦と共に八月、恰かも本國艦隊旗艦ネルソン艦長をやめて代将としてポーツマス海兵團長に轉補せられんとしてゐたメーケイグ・ジョーンズ(Makeig-Jones)大佐を艦長として就役した。護衛船團組織が完備する迄の期間、艦隊航空部隊所属の航空機は當時猶單獨行動しつゝありし多數の商船を保護する爲、海上貿易の輻輳水域に於ける對潜水艦哨戒に當つてゐた。カレーヂアスは四隻の驅逐艦に護衛せられ英國諸島の西方近海に於て此の任務に從事してゐた。
九月十八日薄暮の頃、二隻の驅逐艦を附近に發見せる敵潜撃攘の爲め派遣し、同艦はそれより風上に回頭して飛行中の飛行機を収容する爲め同一針路を續航中、偶々敵の一潜水艦は味方飛行機にも掩護驅逐艦にも發見せられずして同艦が魚雷の射程内に在ることを知つたのである。カレーヂアスは魚雷二發を受け約二十分にして沈没し、艦長および約千二百名の乗員中五百餘名を失つた。飛行機箸艦準備の爲め母艦の針路が一定して是を確知せらるゝに至つた瞬間に敵潜は幸運にも攻撃可能の位置に在つたことは疑ひなしとするも此の攻撃は極めて巧妙なものであつた。敵潜水艦は直ちに驅逐艦の反撃を受けたが其の結果は不明である。獨逸ラヂオの放送に依れば此の潜水艦は何等の損害を蒙らずと主張し、又潜水艦長の襲撃談と稱するものが發表された。一方、同艦の損失は英國に於て直ちに發表せられ、所謂獨逸の襲撃談なるものは、潜水艦の初歩知識を有する何人かの作話であつたかも知れないので、其の發表は何の效もなかつた。中には軍艦がそれ程容易に水中攻撃に屈するものなりやに就て疑惑を懐いた者もあつた。然かしカレーヂアスは水中防禦装置が未だ採用されない二十年前に建造されたもので、其の構造甚だ脆弱なるは周知の事である。兎に角此の損失は其の跡比較的新式の脆弱度少き艦の抵抗力に關して不安の原因とはならないことを立證し、比較的舊式艦バーラムも、稍々新式のネルソンも夫々魚雷及び機雷の命中に堪へ得たのである。(以下略) - ^ 大正九年一月 英國駐在海軍造船少佐 藤本喜久雄 英國巡洋驅逐艦「カレージャス」機雷敷設装置ニ就テ[47] 「カレージァス」ハ「グロリアス」ト姉妹艦ニシテ共ニ巡洋驅逐艦ナルガ其ノ建造當時ハ「カレージァス」ノミ特ニ機雷敷設装置ヲ有セリ。其ノ廣キ後部上甲板ヲ利用シテ片舷三條ノ軋條ヲ取附ケ片舷約百二十個(全部ニテ二百四十個)ノ機雷ヲ搭載セリ/ 後此レヲ取リ外シ現在ニテハ其ノ設備ヲ有セザレドモ(以下略)
- ^ 第1巡洋艦戦隊(カレイジャス〈旗艦〉、グローリアス)、第1軽巡戦隊、第6軽巡戦隊、第1巡洋戦艦戦隊(ライオン〈旗艦〉、プリンセスロイヤル、タイガー、ニュージーランド、レパルス〈副旗艦〉)、駆逐艦19隻[52]。
- ^ アメリカ海軍はレキシントン級巡洋戦艦を、日本海軍は天城型巡洋戦艦を[55]、フランス海軍はノルマンディー級戦艦を改造対象に選んだ[56]。
- ^ 「カレイジャス」に設けられた着艦制動装置は重量2.7トン、速度60ノットの機体を制御可能であった[58]。
- ^ 他方、姉妹艦はホーミング・ビーコンを装備しなかったが、飛行甲板の大規模な延長や増高を行っており、こうした点は両艦の識別点となった[57]。
- ^ 従来の水上機母艦「アーク・ロイヤル」は[60]、新鋭正規空母に艦名を譲り「ペガサス」と改名されている。
- ^ 艦隊航空隊用母艦[61] 一九三八年計畫の艦隊航空隊用工作船はユニコルンと命名される豫定である。該船の建造註文は四月にブレストのハーランド・エンド・ウルフ會社に發せられた。/ 航空母艦フューリアスは從來カーレヂアスが當つてゐた役目を受け繼いで、内國艦隊に於て箸艦訓練用練習航空母艦として就役した。之は前者が修理の爲め豫備船となつた爲である。/ 艦隊航空隊の飛行機に關しては、第八章に詳細に記述されてゐる。
- ^ 発令日は7月24日付。
- ^ a b ▲艦隊の御視閲[62] 八月九日にはバルモラル御滞在中を利用して豫備艦隊を視閲あらせられた。同艦隊は當時ウエーマスに碇泊し、将に艦隊演習に参加せんとする前であつた。因に同艦隊は非常時動員の目的を果たすべく編成せられたものである。皇帝には午前十時、列車にてウエーマス御到箸、直にポートランド港に赴かせられ、ウンクリーヴス埠頭から王室用ヨットのヴィクトリヤ・エンド・エルバートに御坐乗あらせられた。
其の地では海軍省の各員や艦隊及陸上諸官衙の官吏の奉迎があつた。此の場合、特に目立つたのは、佛國海軍の艦隊長官、海軍大将F・ダロラン提督が来賓として参列してゐたことであつた。
皇帝は先づ第一番に航空母艦カレーヂアス號に歩を向けられ、次で親しく數艦を視閲された。カレーヂアス號では視閲されざる艦船の代表員合計一千五百名が飛行甲板に整列して閲兵を受けた。其の跡、皇帝には巡洋艦エッフェンガム(豫備艦隊司令長官サァ・マツクス・ホルトン中将旗艦)及びカーヂフ、檣驅エキスマス、潜水艦オトウェー、掃海艇ミルトルを巡視された。王室用ヨット内にて、晝餐會があつた後、皇帝は二時間に亘り、小艇にて電動艇を前後に從へせられ、艦隊の列間を御通行、成るべく諸艦に接近する如く針路を選ばれた。然る後御上陸、スコットランドに歸還あらせられた。視閲終了に際し、次の如き信號が交換され、最後に酒肴料を賜はるべき旨、勅錠があつた。(中略)警備艦隊は、皇帝の訪問せし提督の旗艦エッフィンガム、航空母艦カレーヂアス竝にペガサスの他、巡洋艦四隊、十六隻、驅逐艦七隊、五五隻、潜水艦二隊、九隻、防護エスコート艦二隻、巡邏船三隻、掃海艇七隻、トロール船十一隻、M・A・S艇五隻、電動艇三隻、曳船二隻から成立つてゐる。因に此の艦隊と同所に、當時巡洋戰艦ラミリーズ、レヴェンヂ及アイオン・ヂュークが碇泊していた。 - ^ 海軍の喪失と其の死傷[67] 我海軍は聯合國船舶の爲に海上の交通を自由にし、又敵國に對しては之を閉鎖すると云ふ事に成功したのであるが、然かし其の蔭には矢張り相當の犠牲が伴つて居たのである。驅潜用の艦艇を充分に準備する事が出來る迄の其の間隙を補填する爲に、我海軍省は非武装商船竝に非護送船團商船を保護する爲に、航空母艦を派遣して之に相當自由な行動をさせる事を決定したのであつたが、此の目的を以つて出動した軍艦が即ち艦齢二十二年のカレージアスであつた。同艦は九月十七日英國の西方約四百浬の海上に在つたのであるが、此の方面は既に同艦が約二週間に亙つて頗る有効な働きをして居た區域であつた。同艦には護衛艦として四隻の驅逐艦が配備されてゐたのであるが、其の中の二隻は今将に一商船を襲撃した處の獨逸潜水艦を攻撃する爲に派遣せられた處であつた。黄昏になつて同艦は其の搭載飛行機を箸艦させる爲に風に向つて艦首を立てたのであるが、丁度此の時機に運惡くも獨逸潜水艦に出會したのであつた。當時カレージアスが取つた航路は其の直前までは全然豫定する事の出來なかつたものであつたが故に、此の遭遇こそは實に百分の位置のチャンスで起つたものである。是に於てか此の潜水艦は丸で「草堆に坐つて居て狙ひ撃ち」をする様なものであつて、此のチャンスを最善に利用し乍ら其の魚雷を發射した。斯くしてカレージアスは僅かに十五分間にて沈没し、其の士官と乗員五一五名を失つたのである。(以下略)
- ^ (中略)[71](9月15日ロッテルダム発)九月三日に英國は對獨宣戰を布告したしもうその頃には附近の海面は危險極まりないもので本船がハーブル港を出帆、ロッテルダムへ向ふといふ話を聞き危險だから止せと注意した者もあつた、ロッテルダム碇泊中に英國の西の海域で帆をかけたドイツ潜水艦が走つてゐたといふ報告があり不氣味に感ぜられてゐたが本船は思ひ切つてロッテルダムを出帆リバープールへ向かつた、その途中ドーヴア海峡で例の獨潜水艦に撃沈された英航空母艦カレジヤス號が四隻の驅逐艦を從へ航行してゐるのに會つた、その時は多分ドイツ潜水艦捜索に出掛けたものであらう、その後十七日午後リバープールの入口に達し十八日朝同港へ着いてみるとカレジヤス號はもう撃沈されていた(以下略)
- ^ 第二次世界大戦勃発時、大日本帝国は中立国であった。
- ^ 公式発表では、海軍将兵748名、空軍将兵498名、合計1246名であった[81]。
- ^ British Battleships 1919-1945には複数の駆逐艦(destroyersと複数形になっている)が生存者を救助したともある。また他の船の記述はない。Hitler's U-Boat WarやU-Boat Attack Logsには駆逐艦による救助のことは書かれていない。当時の報道では、駆逐艦と商船が生存者を救助となってる[85]。
- ^ U-39によるアーク・ロイヤルへの攻撃は魚雷の早爆により失敗し[87]、護衛艦艇の反撃によりU-39は沈没した[88]。またアーク・ロイヤルの艦上機スクア2機がU-30への爆撃に失敗して墜落し、搭乗員はU-30の捕虜となった[89]。
- ^ なお9月10日にイギリス海軍のT級潜水艦トライトンが、自軍のO級潜水艦オクスリー (HMS Oxley) を同士討ちにより撃沈している[27]。
出典
編集- ^ 中島、航空母艦 1930, p. 33原本57頁
- ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 128–131多段式飛行甲板型航空母艦の衰退
- ^ a b c d e f g h i 宮永 2015, p. 30.
- ^ a b 軍艦写帖 1930, p. 143(英國)航空母艦カレヱジアス
- ^ 英国軍艦写真集 2009, p. 78a大型巡洋艦「カレイジャス」Courageous
- ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 26aイギリス/大型軽巡洋艦「カレイジャス」級 COURAGEOUS CLASS
- ^ a b 海戦、連合軍対ヒトラー 1971, p. 32.
- ^ a b c ペイヤール、潜水艦戦争 1970, pp. 61a-62カレージアスへの魚雷攻撃、一九三九年九月一七日
- ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 45–53同時代の世界の航空母艦
- ^ a b c マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 36–38軍縮条約と各国の実情
- ^ a b c d ブラッセー海軍年鑑 1940, pp. 33–34(原本51-53頁)
- ^ a b c 中島、航空母艦 1930, p. 8原本6-7頁
- ^ 「「香港英語放送(ダベントリー中継)」、各種情報資料・情報(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03024517100 p.1〔 九月十八日 (一) 英国の航空母艦カレヂアス號は敵潜水艦の襲撃を受けて沈没した乗込員一同は英驅逐艦に救助され本國へ歸還の途上にありカレヂアス號は開戰以来商船護衛の任務を遂行中のものであつたと海軍省より發表された。(記事おわり)〕
- ^ 英国軍艦勇者列伝 2012, p. 15.
- ^ a b 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 32.
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 90–93(2)カレイジャスとグローリアス
- ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 27aイギリス/大型軽巡洋艦「フューリアス」 FURIOUS
- ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 77(原本136-137頁)航空母艦フューリアス
- ^ 軍艦写帖 1930, p. 145(英國)航空母艦フューリアス
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 134–136軍機の特大型軽巡洋艦
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 136–140巡洋戦艦か重巡か超大型軽巡か
- ^ a b 英国軍艦写真集 2009, p. 78b.
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 93–94(3)空母になったフューリアス
- ^ a b ポケット海軍年鑑 1935, p. 93原本168-169頁(航空母艦 ハーミーズ)
- ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 57.
- ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, p. 67(原本118頁)
- ^ a b 呪われた海 1973, p. 31.
- ^ a b 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 26b.
- ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 107カレイジャス
- ^ a b Hoji Shinbun Digital Collection、Manshū Nichinichi Shinbun, 1939.09.19、2023年7月10日閲覧 p.1
- ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 105aカレイジャス COURAGEOUS/バルト海侵攻用の特殊艦
- ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 105bフューリアス FURIOUS/45.7センチ単装砲を搭載
- ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 16–22空母の先駆をなした「フューリアス」
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 140–143フィッシャー元帥の機密作戦の構想
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 143–147フィッシャー構想の超軽巡
- ^ a b #T08.07.01グローリアス p.3(大正七年十月 英國駐在勝軍造船大技士 藤本喜久雄 英國巡洋艦驅逐艦「グロリアス」ニ就テ)
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 149–153設計者の回想
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 158–164設計者ダインコートによる文献
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, p. 150.
- ^ 宮永 2015, p. 31.
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 164–167大型軽巡の技術上の特長と特異性
- ^ ラム、雷撃 1982, pp. 118–119.
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, p. 161.
- ^ a b 福井、世界巡洋艦物語 1994, p. 157.
- ^ a b #英国大艦隊作戦大要其(2) pp.29-31〔 第三節 特別軽巡洋艦 〕
- ^ #機雷敷設装置 p.4
- ^ #機雷敷設装置 p.3
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, p. 95a(4 )強力な魚雷兵装
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 163–164.
- ^ #英独前進部隊(1) p.42〔 午前七時五十二分頃ノ戰況(英艦「グロリアス」羅針檣楼ヨリ敵方ニ面シ実写セルモノ)〕
- ^ 英国軍艦写真集 2009, p. 73巡洋戦艦「リパルス」(Repules)
- ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 147–149第二次ヘルゴラント・バイト沖の海戦
- ^ Burt, R. A. (1986). British Battleships of World War One. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. p. 315. ISBN 0-87021-863-8
- ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 59–65航空母艦建造に関する制限
- ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 71–78なぜ「赤城」と「加賀」なのか
- ^ 中島、航空母艦 1930, p. 27原本44-45頁(列強航空母艦一覧)
- ^ a b 高田 泰光 編『第2次世界大戦のイギリス軍艦』 2016 No.839、海人社〈世界の艦船6月増刊号〉、2016年5月17日、30頁。ASIN B01EYMD2LI。
- ^ a b c 宮永 忠将 著、室岡 泰男 編『英国の空母 クイーン・エリザベスの系譜』潮書房、東京都千代田区〈丸 2018年3月号〉、2018年3月1日、78-79頁。
- ^ Wright, Malcolm (2016) (英語). British and Commonwealth Warship Camouflage of WW II: Battleships & Aircraft Carriers. 2. 47 Church St., Barnsley S70 2AS: Seaforth Publishing. p. 111. ISBN 9781848322530
- ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 94原本170-171頁(水上機母艦アルバトロス、アークローヤル)
- ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, p. 14原本12頁
- ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, p. 10(原本4-5頁)
- ^ “歐洲へ使して 海軍大将大角岑生”. Hoji Shinbun Digital Collection. Singapōru Nippō, 1940.02.07. pp. 01. 2024年5月4日閲覧。
- ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, p. 31(原本46-47頁)
- ^ ラム、雷撃 1982, pp. 8–10長い一日 ― 開戦の日
- ^ Brown, p. 12
- ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, p. 70(原本124-125頁)
- ^ ラム、雷撃 1982, pp. 20–21.
- ^ U-Boat Attack Logs, p. 1
- ^ a b ラム、雷撃 1982, pp. 22–23.
- ^ “歐洲の危險海域を切抜け りすぼん丸けさ寄港 照國丸爆沈事件直後感銘いと深き 貫見船長の現地突破談”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nippu Jiji, 1939.11.22. pp. 01. 2024年5月4日閲覧。
- ^ U-Boat Attack Logs, p. 2
- ^ U-Boat Attack Logs, p. 2、Hitler's U-Boat War, p. 90
- ^ a b c Hitler's U-Boat War, p. 90
- ^ ミドルブック、戦艦 1979, p. 39(1939年9月17日、カレッジアスの沈没状況)
- ^ Hitler's U-Boat War, p. 90では19時40分
- ^ a b U-Boat Attack Logs, p. 3
- ^ a b c U-Boat Attack Logs, p. 5
- ^ a b c British Battleships 1919-1945, Sinking of Courageous by U29
- ^ War at Sea 1939-1945 Volume I, p. 106
- ^ 「Shin Sekai Asahi Shinbun 1939.9.19、新世界朝日新聞/nws_19390919(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022350400 p.1〔 獨潜水艦の襲撃受け英航空母艦沈没/沈没カ號二万二千餘噸/乗組員千二百名 〕
- ^ U-Boat Attack Logs, p. 1、死者数については同書6ページでは518人ほど (Some 518) となっている
- ^ War at Sea 1939-1945 Volume I, p. 106によれば艦長を含め519名が死亡
- ^ U-Boat Attack Logs, p. 6
- ^ “英海軍大航母艦 獨潜水艦に撃沈 カ號 獨潜水艦に撃沈さる”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nippu Jiji, 1939.09.18 Edition 02. pp. 01. 2024年5月4日閲覧。
- ^ Hitler's U-Boat War, pp. 90-91
- ^ 呪われた海 1973, pp. 108–110(6)役に立たぬドイツの魚雷
- ^ ペイヤール、潜水艦戦争 1970, p. 60a空母アーク・ロイヤルへの攻撃、一九三九年九月一四日
- ^ ペイヤール、潜水艦戦争 1970, p. 60b.
- ^ a b デーニッツ回想録 1986, pp. 51–52.
- ^ “歐洲へ使して 海軍大将大角岑生”. Hoji Shinbun Digital Collection. Singapōru Nippō, 1940.02.09. pp. 01. 2024年5月4日閲覧。
- ^ Hoji Shinbun Digital Collection、Kawai Shinpō, 1939.11.28、2023年7月10日閲覧 p.7〔 (中略)又ニュースとしては、東日、大海及び同盟號外ニュース、獨逸空軍猛爆下のポーランド、ドイツ快速機械化部隊のワルソー進撃、英航空母艦カレジアス號獨潜水艦に撃沈される瞬間、戰火に慄く英帝國等の外天皇陛下臨御下に於ける靖國神社臨時祭等が上映さる(記事おわり)
- ^ “ドイツ潜水艦の強力 英海軍の技術的作戰的失敗 米海軍當局觀測 紐育タイムス所報”. Hoji Shinbun Digital Collection. Shin Sekai Asahi Shinbun, 1939.10.17. pp. 02. 2024年5月4日閲覧。
参考文献
編集- 大内健二『航空母艦「赤城」「加賀」 大艦巨砲からの変身』光人社〈光人社NF文庫〉、2014年2月。ISBN 978-4-7698-2818-1。
- 岡部, いさく 著、小川 光二 編『英国軍艦勇者列伝 Legend of British Fighting Ships』(初版)大日本絵画、東京都,千代田区、2012年6月。ISBN 9784499230865。
- 木俣滋郎『大西洋・地中海の戦い ヨーロッパ列強戦史』光人社〈光人社NF文庫〉、2004年2月(原著1986年)。ISBN 978-4-7698-3017-7。
- 編集人 木津徹、発行人 石渡長門「<第1部> 近代巡洋艦の成長」『世界の艦船 2010.No.718 近代巡洋艦史』株式会社海人社〈2010年1月号増刊(通算第718号)〉、2009年12月。
- 太平洋戦争研究会、岡田幸和、瀬名堯彦、谷井建三(イラストレーション)『ビッグマンスペシャル 世界の戦艦 〔 弩級戦艦編 〕 BATTLESHIPS OF DREADNOUGHTS AGE』世界文化社、1999年3月。ISBN 4-418-99101-8。
- 高木宏之『英国軍艦写真集 British warship photograph collection』光人社、2009年1月。ISBN 978-4-7698-1415-3。
- カール・デーニッツ「第6章 潜水艦戦初期 1939年9月~40年3月1日」『デーニッツ回想録 10年と20日間』山中静三 訳、光和堂、1986年10月。ISBN 4-87538-073-9。
- リチャード・ハンブル『壮烈!ドイツ艦隊 悲劇の戦艦「ビスマルク」』実松譲 訳、サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫(26)〉、1985年12月。ISBN 4-383-02445-9。
- 福井静夫 著「“ハッシュ・ハッシュ”巡洋艦の話」、阿部安雄、戸高一成 編『福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想 第八巻 世界巡洋艦物語』光人社、1994年6月。ISBN 4-7698-0656-6。
- レオンス・ペイヤール『潜水艦戦争 1939-1945』長塚隆二 訳、早川書房、1973年12月。
- カーユス・ベッカー「第1部 攻勢の開始」『呪われた海 ドイツ海軍戦闘記録』松谷健二 訳、フジ出版社、1973年7月。
- ドナルド・マッキンタイア『海戦 ― 連合軍対ヒトラー ―』関野英夫、福島勉 訳、早川書房、1971年7月。
- ドナルド・マッキンタイヤー「1.海軍航空化への道ひらく」『空母 日米機動部隊の激突』寺井義守 訳、株式会社サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫23〉、1985年10月。ISBN 4-383-02415-7。
- M・ミドルブック、P・マーニー『戦艦 ― マレー沖海戦 ―』内藤一郎 訳 、早川書房、1979年6月。
- 宮永, 忠将 著、市村 弘 編『世界の戦艦プロファイル ドレッドノートから大和まで』大日本絵画、東京都千代田区、2015年。ISBN 9784499231527。
- チャールス・ラム「第1章 英国航空母艦「カレイジァス」」『雷撃』宇田道夫/光藤亘 訳、朝日ソノラマ〈文庫版航空戦史シリーズ 14〉、1982年7月。ISBN 4-257-17014-X。
- Brown, J. D. (2009). Carrier Operations in World War II. Annapolis, MD: Naval Institute Press. ISBN 978-1-59114-108-2
- BRITISH AND EMPIRE WARSHIPS OF THE SECOND WORLD WAR(Naval Institute Press)
- Daniel Morgan, Bruce Taylor, U-Boat Attack Logs: A Complete Record of Warship Sinkings from Original Sources 1939-1945, Seaforth Publishing, 2011, ISBN 978-1-84832-118-2
- Clay Blair, Hitler's U-Boat War: The Hunters, 1939-1942, Modern Library, 2000, ISBN 0-679-64032-0
- S.W. Roskill, War at Sea 1939-1945 Volume 1 The Defensive, 1954, HMSO
- R. A. Burt, British Battleships 1919-1945, Seaforth Publishing, 2012
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍協会『軍艦写真帖』海軍協会、1927年5月 。
- 海軍協会『軍艦写真帖』海軍協会、1930年4月 。
- 海軍研究社編輯部 編『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊独軍艦集. 1935年版』海軍研究社、1935年5月 。
- 海軍研究社編輯部 編『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊独軍艦集. 1937,1940年版』海軍研究社、1937年2月 。
- 海軍有終會編輯部同人 共譯『一九四〇年版 ブラッセー海軍年鑑(譯書) ― 本文全譯 ―』海軍有終會、1940年10月 。
- 神田孝一『世界列強戦備比較論』東治書院、1933年3月 。
- タフレール 著; 石丸藤太 訳『獨英海戰記』聖紀書房、1941年7月 。
- 獨逸研究所「第十八 潜水艦の活躍」『電撃戦』新與亜社、1941年12月 。
- 海軍少佐中島武「七 華府會議と航空母艦」『航空母艦』三省堂、1930年5月 。
- 若林秀一「第八章 英國海軍の戰闘力」『英国はいつまで戦へるか』三栄社、1941年4月 。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『「6年12月1日 自5年6月至6年8月 英国大艦隊作戦の大要 其の1(1)」、大正5年 外国駐在員報告 巻4(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100792400。
- 『「6年12月1日 自5年6月至6年8月 英国大艦隊作戦の大要 其の1(2)」、大正5年 外国駐在員報告 巻4(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100792500。
- 『「6年12月1日 自5年6月至6年8月 英国大艦隊作戦の大要 其の2」、大正5年 外国駐在員報告 巻4(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100792600。
- 『「6年11月21日 英独前進部隊の戦闘に関する報告其の1」、大正6年 外国駐在員報告 巻6(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100829000。
- 『「7年4月15日 大正6年11月17日「ヘリゴランド・バイト」に於ける英独前進部隊の戦闘報告の追補」、大正6年 外国駐在員報告 巻6(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100829100。
- 『8年7月1日 任務遂行及び予定報告の件 英国巡洋艦「グローリアス」に就いて 英国大型軽巡洋艦「フロービシャ」に就いて/大正6年 外国駐在員報告 巻7(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100831600。
- 『9年1月21日 英国巡洋駆逐艦「カレージアス」機雷布設装置に就いて/大正6年 外国駐在員報告 巻7(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100835600。
関連項目
編集- 水雷戦艦
- 第二次世界大戦中のイギリス海軍の喪失艦一覧
- ヴァンガード (戦艦) - 航空母艦への改装に伴い撤去され、保管されていた本艦とグローリアスの15インチ主砲が転用された。
- HMS Courageous - カレイジャスの艦名を冠したイギリス艦船一覧。
- カレイジャス (原子力潜水艦) - チャーチル級原子力潜水艦の3番艦。
- 対潜戦