イリーナ・スコブツェワ
イリーナ・スコブツェワ(ロシア語: Ири́на Константи́новна Ско́бцева, ラテン文字転写: Irina Konstantinova Skobtseva, 1927年8月22日 - 2020年10月20日[2])は、ソビエト連邦(ソ連)/ロシアの映画女優。
イリーナ・スコブツェワ Ирина Скобцева | |
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1966年 | |
本名 |
Ирина Константиновна Скобцева (Irina Konstantinova Skobtseva) |
生年月日 | 1927年8月22日 |
没年月日 | 2020年10月20日(93歳没) |
出生地 |
ソビエト連邦 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国 トゥーラ[1] |
国籍 | ロシア |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画・テレビ |
活動期間 | 1955年 - 2020年 |
配偶者 | セルゲイ・ボンダルチュク(1959年 - 1994年)※死別 |
著名な家族 |
イェレーナ・ボンダルチュク(娘) フョードル・ボンダルチュク(息子) |
主な作品 | |
映画 『戦争と平和』(1965年) |
略歴
編集1927年に旧ソ連のトゥーラで、気象学の学者である父コンスタンチン・スコブツェフと公文書調査員の母ジュリア・ニコラエヴナの間に出生[1]。モスクワ大学歴史学部[要出典]で学び、1951年にモスクワ芸術座に入って演技を学び、1955年に女優として卒業した[1]。
1955年にウィリアム・シェイクスピア原作の『オセロ』のソ連での映画化で、デズデモーナ役で出演し映画デビュー。オセロ役のセルゲイ・ボンダルチュクと共演した。この作品はカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞している。
1959年にボンダルチュクと結婚、娘のイェレーナ、息子のフョードルの二子をもうけた。二人とも後に俳優となっている。ボンダルチュクとは彼が監督・主演を務めたレフ・トルストイ原作の『戦争と平和』で夫婦を演じている。『戦争と平和』は米国アカデミー賞外国語映画賞など数々の賞を受賞。
1966年(昭和41年)6月19日、『戦争と平和』第一部の日本公開のため、ボンダルチュク、ナターシャ役のリュドミラ・サベーリエワ、アンドレイ役のヴァチェスラフ・チーホノフと共に日本を訪問した。
主要出演作
編集- 1955年:オセロ(Otello, シェークスピア原作、セルゲイ・ユトケーヴィッチ監督)
- 1960年:セリョージャ(Seryozha, ゲオルギー・ダネリヤ監督)
- 1964年:モスクワを歩く(Ya shagayu po Moskve, ゲオルギー・ダネリヤ監督)
- 1965年:33(Tridtsat tri, ゲオルギー・ダネリヤ監督)
- 1966年:戦争と平和(Voyna i mir, セルゲイ・ボンダルチュク監督)
- 1970年:ワーテルロー(Waterloo, セルゲイ・ボンダルチュク監督)※クレジットなし
- 1973年:エバンス博士の沈黙(Molchaniye doktora Ivensa, ブデミイル・メタルニコフ監督)
- 1974年:行方不明(Sovsem propashchiy, マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』原作、ゲオルギー・ダネリヤ監督)
- 1975年:祖国のために(Oni srazhalis za rodinu, セルゲイ・ボンダルチュク監督)
- 1979年:曠野(Step, セルゲイ・ボンダルチュク監督)
- 1986年:ボリス・ゴドノフ(Boris Godunov, アレクサンドル・プーシキン原作、セルゲイ・ボンダルチュク監督)
- 1992年:悪霊(Besy, フョードル・ドストエフスキー原作、ドミートリー・タランキン監督)
脚注
編集- ^ a b c “Irina Skobtseva - Biography” (英語). IMDb. 2013年5月18日閲覧。
- ^ “Умерла Ирина Скобцева” (ロシア語). ria.ru. (2020年10月20日) 2020年10月21日閲覧。