ゲオルギー・ダネリヤ

ソビエト連邦およびロシアの映画監督

ゲオルギー・ニコラーエヴィチ・ダネリヤ: Гео́ргий Никола́евич Дане́лия1930年8月25日 - 2019年4月4日)は、ソ連ロシア映画監督。ロシア国籍グルジア人

ゲオルギー・ニコラーエヴィチ・ダネリヤ
Георгий Николаевич Данелия
Георгий Николаевич Данелия
生年月日 (1930-08-25) 1930年8月25日
没年月日 (2019-04-04) 2019年4月4日(88歳没)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国 トビリシ
死没地 ロシアの旗 ロシアモスクワ
職業 映画監督
活動期間 1959年 - 2019年
受賞
カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭
グランプリ

1960年Серёжа
モスクワ国際映画祭
最優秀作品賞
1977年Mimino
サン・セバスティアン国際映画祭
最優秀作品賞

1979年秋のマラソン
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来歴

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1955年、モスクワ建築大学ロシア語版英語版卒業。その後はモスフィルムの上級監督コースを修了し、1959年からモスフィルムで監督として働き始める。

最初の長編映画作品はヴェーラ・パノワロシア語版の中篇小説を題材とした『セリョージャ』(1960年、イーゴリ・タランキンロシア語版英語版と共同監督)であった。この作品は、カルロヴィ・ヴァリ映画祭をはじめとするいくつかの国際映画祭で賞を獲得した。

僕はモスクワを歩くロシア語版英語版』(公開1964年)では、若い労働者の夜勤明けの1日を爽やかなタッチで描き、ソ連映画界に新風を吹き込む作品として話題を呼んだが、同時に本作を通じて、滑稽さと悲しみ、皮肉とリアリズム、そして複雑な性格とドキュメンタリー調に映された街の風景を結合させる自身のスタイルを確立。日本でも1964年10月に第2回ソビエト映画祭で上映された[1]

ソ連国内で最も観客動員数が多かった『アフォーニャ』(1975年)は、タシケント国際映画祭で大賞を受賞。また、『ミミノ』(1977年)がモスクワ国際映画祭で金賞を、『秋のマラソン』(1979年)がサン・セバスティアン国際映画祭で大賞を、それぞれ獲得。

ほかにもSF映画の『不思議惑星キン・ザ・ザ』(1986年)はソ連全土で1570万人の観客を動員[2]。その後も世界中でカルト的人気を博し、2013年にはタチアナ・イリーナとの共同監督により『クー!キン・ザ・ザ』としてアニメ化された。

2019年2月に肺炎のために入院していたが、同年4月4日に死去した[3]。88歳没。

監督作品 

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(観客動員数などの基本データは、Энциклопедия отечественного киноおよびセルゲイ・クドリャフツェフ[4]による)

出典

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  1. ^ 10月28日 東京・有楽町読売ホール、10月30日 新潟・松竹大竹劇場):ロシア映画社アーカイブスより。
  2. ^ Энциклопедия отечественного кино によると、1987年にソ連で公開された映画のうち、観客動員は第14位。
  3. ^ “Умер кинорежиссер Георгий Данелия” (ロシア語). ノーヴァヤ・ガゼータ. Novaya Gazeta. (2019年4月4日). https://www.novayagazeta.ru/news/2019/04/04/150593-umer-kinorezhisser-georgiy-daneliya 2019年4月4日閲覧。 
  4. ^ クドリャフツェフ編の観客動員数の統計資料については、次の文献を参照のこと。西周成『映画 崩壊か再生か』(アルトアーツ、2011年9月)24ページ、同『タルコフスキーとその時代』(アルトアーツ、2011年4月)83-86ページ。
  5. ^ アテネ・フランセ文化センターでの上映時の日本語題は「モスクワを歩く」。
  6. ^ 監督の自伝 Безбилетный пассажир. М.,:Эксмо, 2011. による。
  7. ^ 日本語題:嘆くな!
  8. ^ 日本語題:秋のマラソン

参考文献

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  • Некипелов А.Д. (глав. ред.) Новая Российская энциклопедия. М., 2003.,Т. 5.
  • Щукин А.Н. Кто есть кто в русской истории:2000 известных россиян. М., 2011.
  • 『新版 ロシアを知る事典』(平凡社、2004年1月)