アンヌ・ド・フォワ
アンヌ・ド・フォワ(フランス語: Anne de Foix, 1484年 - 1506年7月26日)は、ハンガリーとボヘミアの王ウラースロー2世の3番目の妃。家名はフォワ=カンダル(Foix-Candale)ともされる。ハンガリー語名はツァンダレ=イ・アンナ(Candale-i Anna)、チェコ語名はAnna z Foix a Candale、バスク語名はAna Kandalakoa、オック語名はAna de Fois-Candala。
アンナ Anna | |
---|---|
ハンガリー王妃 ボヘミア王妃 | |
王妃アンナ像(部分、1509年、リトムニェジツェ) | |
在位 | 1502年 - 1506年 |
出生 |
1484年 |
死去 |
1506年7月26日 ハンガリー王国、ブダ |
埋葬 | ハンガリー王国、セーケシュフェヘールヴァール、聖イシュトヴァーン大聖堂 |
結婚 | 1502年9月29日 セーケシュフェヘールヴァール |
配偶者 | ハンガリー王・ボヘミア王ウラースロー2世 |
子女 |
アンナ ラヨシュ2世 |
家名 | フォワ=カンダル家 |
父親 | ケンダル伯ガストン2世・ド・フォワ |
母親 | カトリーヌ・ド・フォワ |
生涯
編集フランス貴族フォワ伯家の傍系出身で、名目上のケンダル(カンダル)伯ガストン2世・ド・フォワと最初の妻であるナバラ王女カトリーヌ[1]の娘として生まれた。従妹ジェルメーヌ[2]とともに、フランス王ルイ12世の宮廷で従姉である王妃アンヌ・ド・ブルターニュ[3]に育てられた[4]。
1502年、ウラースロー2世の3番目の王妃として迎えられた。政略結婚であったが、ウラースローとアンナの結婚は幸福なものであった。2人は1男1女をもうけた。
- アンナ(1503年 - 1547年) - 後にボヘミアとハンガリーの王位を継承し、神聖ローマ皇帝にもなるハプスブルク家のフェルディナント大公と結婚。
- ラヨシュ2世(1506年 - 1526年) - ハンガリーとボヘミアの王。フェルディナントの妹マリアと結婚。
ラヨシュの出産後まもなく、22歳で死去した。
脚注
編集アンヌ・ド・フォワの血統(フォワ=カンダル家) | (血統表の出典) | |||
父 ガストン2世・ド・フォワ |
父の父 カンダル伯ジャン1世・ド・フォワ
|
カンダル伯ガストン1世・ド・フォワ | ベアルン子爵アルシャンボー・ド・グライー | |
フォワ女伯イザベル | ||||
マルグリット・ダルブレ | アルノー・アマニュー・ダルブレ | |||
マルグリット・ド・ブルボン | ||||
父の母 マーガレット・カーデストン
|
サー・トーマス・カーデストン | |||
エリザベス・ド・ラ・ポール | サフォーク伯マイケル・ド・ラ・ポール | |||
キャサリン・ドゥ・スタッフォード | ||||
母 ナバラ王女カトリーヌ・ド・フォワ |
フォワ伯ガストン4世 | フォワ伯ジャン1世 | ベアルン子爵アルシャンボー・ド・グライー | |
フォワ女伯イザベル | ||||
ジャンヌ・ダルブレ | ドゥリュー伯シャルル1世・ダルブレ | |||
マリー・ド・シュリー | ||||
母の母 ナバラ女王レオノール
|
アラゴン王フアン2世 | アラゴン王フェルナンド1世 | ||
レオノール・デ・アルブルケルケ | ||||
ナバラ女王ブランカ1世 | ナバラ王カルロス3世 | |||
レオノール・デ・トラスタマラ |
参考文献
編集- Anthony, Raoul “Identification et Etude des Ossements des Rois de Navarre inhumés dans la Cathédrale de Lescar”(1931年、Paris, Masson)
- Kropf, Lajos(ラヨシュ・クロフ) “Anna királyné, II. Ulászló neje ”(ウラースロー2世の王妃アンナ)(Századok (世紀雑誌)、1895年、pp.689-709)