アンドリュー・マーシャル
アンドリュー・マーシャル(Andrew W. Marshall、1921年9月13日 - 2019年3月26日)は、アメリカ合衆国の国防官僚。
Andrew W. Marshall アンドリュー・マーシャル | |
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生誕 |
1921年9月13日 ミシガン州デトロイト市 |
死没 |
2019年3月26日(97歳没) バージニア州アレクサンドリア |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身校 | シカゴ大学大学院 |
職業 | 国防官僚 |
概要
編集アメリカ合衆国の国防総省にて総合評価局[註釈 1]の局長を務め[1][2][3]、ネットアセスメントの第一人者として知られている。局長としての在任期間は、1973年に始まり、2015年1月に退任するまで40年をこえ、90代になっても現役の国防官僚であった[1][3]。ニクソン政権からオバマ政権に至るまで、党派を超えて歴代政権に仕えてきた[1][3]。長年に渡って要職を務めたが、表舞台にはほとんど立たないことから[3][4]、「伝説の軍略家」[3]、「伝説の戦略家」[3]、「伝説の老軍師」[4]とも呼ばれている。また、スター・ウォーズシリーズの登場人物になぞらえて「国防総省のヨーダ」[5]とも通称された。
来歴
編集生い立ち
編集1921年生まれ。ミシガン州デトロイト市にて育った。シカゴ大学の大学院にて学んだ。その後はランド研究所に勤務し、安全保障戦略にかかわる業務に従事していた[1]。
官界にて
編集1973年、かつてランド研究所に勤めていたジェームズ・R・シュレシンジャーが、ニクソン政権にて国防長官に就任することになった[1]。それにともない、マーシャルはシュレシンジャーによって抜擢され、ランド研究所から国防総省に転じた。米ソデタントに懐疑的だったシュレシンジャーは、ソビエト連邦に対してアメリカ合衆国が軍事的優位に立つための戦略が必要と考えていた[1]。その戦略の策定と推進を担わせるため、シュレシンジャーは国防総省に総合評価局を創設し、その初代局長にマーシャルを任命した[1][2]。このポストは政治任用職であるが、フォード政権、カーター政権、レーガン政権、ジョージ・H・W・ブッシュ政権、クリントン政権、ジョージ・W・ブッシュ政権、オバマ政権といった歴代政権においても、引き続きこの職を務めた[1]。ただ、クリントン政権下でウィリアム・コーエンが国防長官に就任すると、一時、マーシャルの国防大学への転属が取り沙汰された[2]。結局、国防大学への転属は実現せず、そのまま局長を継続した[2]。
40年近く同一のポストを占め続けており、既に90代に達しているなど[1][3]、アメリカ合衆国の官界でも異例の存在となっている。仮に一般職の公務員であったならば定年を大きく超えている年齢であるが[2]、余人をもって代えがたいとして再任が続いている。長年に渡っての国の安全保障に対する貢献が評価され、2008年には大統領のジョージ・W・ブッシュより大統領市民勲章が授与された[6]。オバマ政権下でチャック・ヘーゲルが国防長官に就任すると、マーシャル排除が計画された。表向きは歳出削減を名目としており、彼が局長に立つ総合評価局そのものの廃止案も検討された。結局マーシャル個人の解雇のみが実現した。2015年1月5日辞職。
業績
編集- ネットアセスメント
- 戦車の数、原子力潜水艦の数、核弾頭の数などをいちいち数え上げて機械的に比較する「ビーンカウンティング」の手法では、ソ連との差を比較評価できないと主張した[2]。そのうえで、戦車の数の比較だけではなく、軍隊の士気、将校と兵卒との関係性、通信系統の効率性、通信系統を支える技術力などといった要素も勘案して総合的に比較評価する「ネットアセスメント」の手法を導入した[2]。
- 冷戦終結後は、米中冷戦の到来を予測して中華人民共和国に対する研究に積極的に取り組んだ[8]。公開されている情報が少ないことから「うーん、中国は分からん」[3]とこぼしながらも、人口動態、水の需給、世論の変化、さらには、中国の歴代王朝の行動なども調査し、それらを勘案して分析を試みている[3]。
- セイント・アンドリューズ・スクール
- 国防総省の総合評価局にて長年に渡り局長を務めたことから、ネットアセスメントの生き字引的な存在となっている[2]。そのため、ポール・ウォルフォウィッツやドナルド・ラムズフェルドなど[2]、多くの者に影響を与えた。マーシャルの影響を受けた者たちのことを、学派のような一派と看做して「セイント・アンドリューズ・スクール」[2]と総称することもある。
- 軍事における革命
- 「軍事における革命」の概念を提唱した[2]。アメリカ合衆国の軍隊が、戦車や航空母艦など従来型の「武器を搭載するプラットフォーム」に依存していると指摘した[2]。武器を搭載するプラットフォームは第二次世界大戦以来の発想であり、情報通信技術など新技術を駆使した未来型の戦争においては、従来型のプラットフォームが無力化され太刀打ちできない可能性があると指摘した[2]。中国人民解放軍にもマーシャルの理論は影響を与えており[9]、中国人民解放軍は新技術の開発に熱心であることをマーシャルは指摘し[2]、米軍の技術的優位性が中国に崩される可能性を晩年は最も懸念していた[10]。
- 統合エアシー・バトル構想
- アンドリュー・クレピネビッチらとともに、1990年代より「統合エアシー・バトル構想」の必要性を主張してきた[11]。1993年、マーシャル率いる総合評価局は、各国の長射程兵器技術の発展により、アメリカ合衆国の前方展開基地の脆弱性が露呈し侵攻抑止効果が失われると予測した[12]。同時に、航空母艦等の伝統的な打撃群は機動性やステルス性に欠けており、アメリカ合衆国の海軍前方展開兵力では危機に対処することが困難になるとの見通しを示した[12]。2000年代後期になると、こうした懸念は次第に現実味を帯びつつあった[13]。この懸念に対処するため、マーシャルは国防長官のロバート・ゲーツに対し統合エアシー・バトル構想の構築を提言した[13]。ゲーツはこの提言を採用し、太平洋空軍司令官のキャロル・チャンドラーらに統合エアシー・バトル構想の構築作業を命じた[13]。2010年に発表された国防総省の「四年ごとの国防計画見直し」には、戦力投射能力や侵攻に対する抑止と、同盟国への救援に対する潜在的脅威への備えとして、統合エアシー・バトル構想の開発が盛り込まれた[14]。
人物
編集メディアに登場することも少なく、公式の場で発言することもほとんどない[3][4]。『日本経済新聞』には「公の場やメディアに出ることは皆無」[3]とまで報じられた。また「表舞台に出るのが大嫌い」[4]とも評されている。
栄典
編集著作
編集単著
編集- Andrew W. Marshall, The use of multi-stage sampling schemes in Monte Carlo computations, Rand Corporation, 1954.
- Andrew W. Marshall, Problems of estimating military power, Rand Corporation, 1966.
共著
編集- Herbert Goldhamer and Andrew W. Marshall, The frequency of mental disease -- long-term trends and present status, Rand Corporation, 1949.
- Andrew W. Marshall and Herbert Goldhamer, An application of Markov processes to the study of the epidemiology of mental disease, Rand Corporation, 1954.
- Andrew W. Marshall, et al., Bureaucratic behavior and the strategic arms competition, Southern California Arms Control and Foreign Policy Seminar, 1971.
- Herbert Goldhamer and Andrew W. Marshall, Psychosis and civilization, Arno Press, 1980. ISBN 0405119143
- Albert J. Wohlstetter, et al., On not confusing ourselves -- essays on national security strategy in honor of Albert and Roberta Wohlstetter, Westview Press, 1991. ISBN 0813311950
- Ernest R. May, Andrew W. Marshall and Herbert Goldhamer, The 1951 Korean Armistice Conference -- a Personal Memoir, Rand Corporation, 1994.
- Andrew W. Marshall and James G. Roche, Asia 2025, United States Department of Defense, 1999.
参考文献
編集- アンドリュー・クレピネヴィッチ、バリー・ワッツ『帝国の参謀 アンドリュー・マーシャルと米国の軍事戦略』
- 北川知子訳、日経BP、2016年4月。ISBN 978-4822251499
脚注
編集註釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i 秋田浩之「米戦略を動かす伝説の老軍師(上)――アンドリュー・マーシャルの素顔」『外交』19巻、外務省、2013年5月、69頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 「アジア戦略会議勉強会『アジアの2025年』議事録」『アジア戦略会議勉強会「アジアの2025年」議事録 page1 | 世界とつながる言論 | 特定非営利活動法人 言論NPO』言論NPO、2003年9月11日。
- ^ a b c d e f g h i j k 秋田浩之「伝説の戦略家が去る」『日本経済新聞』46249号、14版、日本経済新聞社、2014年11月16日、2面。
- ^ a b c d 秋田浩之「米戦略を動かす伝説の老軍師(上)――アンドリュー・マーシャルの素顔」『外交』19巻、外務省、2013年5月、68頁。
- ^ Craig Whitlock, "Yoda still standing: Office of Pentagon futurist Andrew Marshall, 92, survives budget ax", Yoda still standing: Office of Pentagon futurist Andrew Marshall, 92, survives budget ax - The Washington Post, WP Company, December 4, 2013.
- ^ Office of the Press Secretary, "The President Participates in a Ceremony for 2008 Recipients of the Presidential Citizens Medal", The President Participates in a Ceremony for 2008 Recipients of the Presidential Citizens Medal, George W. Bush Presidential Center, December 10, 2008.
- ^ “米国防総省の軍略家 マーシャル氏が死去 米紙報道”. 日本経済新聞. (2019年3月27日) 2019年3月30日閲覧。
- ^ “米中覇権争い、30年前から予測 A・マーシャル氏死去”. 日本経済新聞 (2019年3月28日). 2019年4月11日閲覧。
- ^ "The dragon's new teeth". The Economist. Apr 7, 2012.
- ^ “米軍がAIに負ける日 技術革新が壊す米中のバランス”. 日本経済新聞 (2019年4月6日). 2019年4月11日閲覧。
- ^ 木内啓人「統合エア・シー・バトル構想の背景と目的――今、なぜ統合エア・シー・バトル構想なのか」『海幹校戦略研究』1巻2号、海上自衛隊幹部学校、2011年12月、140頁。
- ^ a b 木内啓人「統合エア・シー・バトル構想の背景と目的――今、なぜ統合エア・シー・バトル構想なのか」『海幹校戦略研究』1巻2号、海上自衛隊幹部学校、2011年12月、141頁。
- ^ a b c 木内啓人「統合エア・シー・バトル構想の背景と目的――今、なぜ統合エア・シー・バトル構想なのか」『海幹校戦略研究』1巻2号、海上自衛隊幹部学校、2011年12月、142頁。
- ^ 木内啓人「統合エア・シー・バトル構想の背景と目的――今、なぜ統合エア・シー・バトル構想なのか」『海幹校戦略研究』1巻2号、海上自衛隊幹部学校、2011年12月、139頁。
関連人物
編集関連項目
編集公職 | ||
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先代 (新設) |
国防総省総合評価局局長 初代:1973年 - 2015年 |
次代 ジェイムズ・ベイカー |