アンディ・ロディック(Andy Stephen Roddick, 1982年8月30日 - )は、アメリカネブラスカ州オマハ出身の元男子プロテニス選手。ATPツアーでシングルス32勝、ダブルス4勝を挙げた。身長188cm、体重88kg。自己最高ランキングシングルス1位。

アンディ・ロディック
Andy Roddick
2010年全米オープンでのアンディ・ロディック
基本情報
フルネーム Andrew Stephen Roddick
愛称 エー・ロッド(A-Rod)
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・ネブラスカ州オマハ
居住地 同・テキサス州オースティン
生年月日 (1982-08-30) 1982年8月30日(42歳)
身長 188cm
体重 88kg
利き手
バックハンド 両手打ち
殿堂入り 2017年
ツアー経歴
デビュー年 2000年
引退年 2012年
ツアー通算 36勝
シングルス 32勝
ダブルス 4勝
生涯通算成績 679勝263敗
シングルス 612勝213敗
ダブルス 67勝50敗
生涯獲得賞金 $20,637,390
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト4(2003・05・07・09)
全仏 4回戦(2009)
全英 準優勝(2004・05・09)
全米 優勝(2003)
優勝回数 1(米1)
4大大会最高成績・ダブルス
全仏 1回戦(2001)
全英 1回戦(2001)
全米 2回戦(1999・2000)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 優勝(2007)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位(2003年11月3日)
ダブルス 50位(2010年1月11日)

2003年全米オープン男子シングルス優勝者。ATPツアー・マスターズ1000では5回優勝。有数のビッグサーバーとしても知られ、サービスエース数9074本は歴代4位記録である。

また、現在男子アメリカ人選手シングルス最後のグランドスラム優勝者・世界ランキング1位・年間最終ランキング1位経験者である。

選手経歴

編集

キャリア初期

編集

4歳からテニスを始める。2000年全豪オープン全米オープンジュニアシングルスに優勝し、18歳でプロ転向。2001年春から男子テニス国別対抗戦・デビスカップアメリカ合衆国代表選手に選ばれた。

2003年 全米オープン優勝、No.1へ

編集

2003年全米オープン男子シングルス4大大会初優勝。決勝では当年度の全仏オープン優勝者、フアン・カルロス・フェレーロを6-3, 7-6, 6-3のストレートで倒した。ロディックはこの優勝により、それまで長年アメリカの男子テニス界を支えてきたピート・サンプラスアンドレ・アガシの“後継者”として注目を集めた。その後ロディックは11月3日付けの世界ランキングで1位に上り詰めた。

2004年~2005年 フェデラーとの戦い、不調へ

編集

ロディックはウィンブルドン選手権では2004年2005年の2年連続、決勝でロジャー・フェデラーに敗れて準優勝になった(フェデラーには2003年の同大会準決勝でも敗れているため、3年連続の苦杯となる)。

2004年アテネ五輪にアメリカ代表選手として、シングルス3回戦でチリ代表のフェルナンド・ゴンサレスに4-6, 4-6で敗退する。オリンピック終了後の全米オープンでは、準々決勝でヨアキム・ヨハンソンに4-6, 4-6, 6-3, 6-2, 4-6のフルセットで敗れ、早い段階で大会連覇のチャンスを逃した。2005年全米オープンでは、1回戦でジル・ミュラーに不覚を取り、6-7, 6-7, 6-7のストレートで敗退した。

2006年~2009年 再びフェデラーへ挑戦

編集

2006年全豪オープンで、ロディックは4回戦でマルコス・バグダティスに4-6, 6-1, 3-6, 4-6で敗退する。その後、ウィンブルドンでは3回戦でイギリスの新星アンディ・マリーとの“アンディ対決”に敗れてしまった。このとき世界ランキングは12位まで落ちている。ウィンブルドン選手権の終了後、ロディックは7月26日から新コーチとして往年のスーパースターだったジミー・コナーズを招聘した。コナーズに師事し始めた後、全米オープンで3年ぶり2度目の決勝進出を果たしたが、またもやフェデラーに2-6, 6-4, 5-7, 1-6で敗れて準優勝に終わった。

その後2年低迷していったが、名コーチであるラリー・ステファンキを新たに迎え、プレースタイル改善を図っていき、2009年ウィンブルドンでは、三度目の決勝に進出しフェデラーに挑戦したが、7-5, 6-7, 6-7, 6-3, 14-16のフルセットの末惜しくも敗れ、またも準優勝に終わった [1]

キャリア後半等

編集

ロディックは長い間クレーコート開催の全仏オープンと相性が悪く、初出場時の2001年に3回戦まで進出した後は1・2回戦敗退止まりの成績が続いていたが、ようやく2009年に初の4回戦進出を決めたが、第11シードのガエル・モンフィスに4-6, 2-6, 3-6のストレートで完敗した。

デビスカップアメリカ合衆国代表選手としても、2007年にチームを12年ぶりの優勝に導いた。

プライベートにおいては2009年4月17日に、2007年秋以降交際を続けていた水着モデルのブルックリン・デッカーと結婚した。その人気を生かし、児童虐待などの防止を呼びかけるチャリティーリストバンドをプロデュースするなど、社会的な活動も行っている。

2012年、第20シードとして出場した全米オープンの開催中で、自身の30回目の誕生日である8月30日に、現役引退を表明した。「ずっとこの大会で引退したいと思っていた。来季を戦う体力の不安があり、1回戦を戦って決めた」と記者会見で語った[2] 。同大会4回戦にて、フアン・マルティン・デル・ポトロに7-6, 6-7, 2-6, 4-6で敗退し、現役を引退した。

ロディックは2017年に国際テニス殿堂入りを果たした。

プレースタイル等

編集
 
ロディックのサーブ、2004年

209~242 km/hのサーブを繰り出すビックサーバー。全身の力を効率よく理想的に使ったダイナミックなサーブでエースを量産する。またセカンドサーブで打つキックサーブやスライスサーブも強力。

2003年~2004年当時

編集

荒削りで若干安定性の面で欠ける部分はあるが、スウィング・スピードが非常に速いフォアハンドも武器であった[3][4]。 ただし、サーブとフォアハンドに比べて、フットワーク、ストローク力等のレベルの低さは著しい。サーブやその次のフォアハンドで決められない場合、チャレンジャーレベルと揶揄されることもあった。 なお逆に伸びしろは一番と「未完の大器」と期待されていた時期でもある。

2006年以降

編集

フェデラーに全く歯が立たないことから、安定性を求めトップスピン系フォアハンドを多用したり、ネットプレーにチャレンジしたり、プレースタイルに変化を求めたが、なかなか成功するまでに至らず、低迷。

しかし、このロディックのプレースタイル変更の取り組みは、名コーチであるラリー・ステファンキを迎えた晩年の2009年ウィンブルドンにて、成果を見せる。「ビックサーブを軸としたフォアハンド、ネットプレーを使った速攻」「ボディへの鋭いスピンを効かせたセカンドサーブ」「冷静な粘り強さ」を特徴として勝ち進む。フルセットの熱戦となった準々決勝ヒューイット戦、トータル獲得ポイントでは劣っていたにもかかわらず勝負強さを発揮/競り勝った準決勝のマレー戦、そして最後は力尽きたが7-5、6-7、6-7、6-3、14-16と最後にブレイクされるまで37ゲームもサーブキープを続けた決勝フェデラー戦と[5]と、名勝負を繰り広げている。ただ2010年以降、年齢的問題、肩の怪我により急激に衰えを見せており、この輝きが続くことはなかった。

ATPツアー決勝進出結果

編集

シングルス: 52回 (32勝20敗)

編集
大会グレード
グランドスラム (1–4)
ATPファイナルズ (0–0)
ATPツアー・マスターズ1000 (5–4)
ATPツアー500 (5–3)
ATPツアー250 (21–9)
サーフェス別タイトル
ハード (21–15)
クレー (5–2)
芝 (5–3)
カーペット (1–0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2001年4月23日   アトランタ クレー   グザビエ・マリス 6-2, 6-4
優勝 2. 2001年4月30日   ヒューストン クレー   李亨澤 7-5, 6-3
優勝 3. 2001年8月13日   ワシントンD.C. ハード   チャン・シャルケン 6-2, 6-3
優勝 4. 2002年2月18日   メンフィス ハード (室内)   ジェームズ・ブレーク 6-4, 3-6, 7-5
準優勝 1. 2002年3月10日   デルレイビーチ ハード   ダビド・サンギネッティ 4-6, 6-4, 4-6
優勝 5. 2002年4月22日   ヒューストン クレー   ピート・サンプラス 7-6(11-9), 6-3
準優勝 2. 2002年8月5日   トロント ハード   ギリェルモ・カナス 4-6, 5-7
準優勝 3. 2003年2月24日   メンフィス ハード (室内)   テーラー・デント 1-6, 4-6
準優勝 4. 2003年4月28日   ヒューストン クレー   アンドレ・アガシ 6-3, 3-6, 4-6
優勝 6. 2003年5月26日   ザンクト・ペルテン クレー   ニコライ・ダビデンコ 3-6, 2-6
優勝 7. 2003年6月16日   ロンドン   セバスチャン・グロジャン 3-6, 3-6
優勝 8. 2003年7月21日   インディアナポリス ハード   パラドーン・スリチャパン 7-6(7-2), 6-4
優勝 9. 2003年8月4日   モントリオール ハード   ダビド・ナルバンディアン 6-1, 6-3
優勝 10. 2003年8月11日   シンシナティ ハード   マーディ・フィッシュ 4-6, 7-6(7-3), 7-6(7-4)
優勝 11. 2003年8月25日   全米オープン ハード   フアン・カルロス・フェレーロ 6-3, 7-6(7-2), 6-3
優勝 12. 2004年2月9日   サンノゼ ハード (室内)   マーディ・フィッシュ 7-6(15-13), 6-4
優勝 13. 2004年3月22日   マイアミ ハード   ギリェルモ・コリア 6-7(2-7), 6-3, 6-1, 途中棄権
準優勝 5. 2004年4月19日   ヒューストン クレー   トミー・ハース 3-6, 4-6
優勝 14. 2004年6月14日   ロンドン   セバスチャン・グロジャン 7-6(7-4), 6-4
準優勝 6. 2004年7月4日   ウィンブルドン   ロジャー・フェデラー 6-4, 5-7, 6-7(3-7), 4-6
優勝 15. 2004年7月19日   インディアナポリス ハード   ニコラス・キーファー 6-2, 6-3
準優勝 7. 2004年8月2日   トロント ハード   ロジャー・フェデラー 5-7, 3-6
準優勝 8. 2004年10月4日   バンコク ハード (室内)   ロジャー・フェデラー 4-6, 0-6
優勝 16. 2005年2月7日   サンノゼ ハード (室内)   シリル・ソールニエ 6-0, 6-4
優勝 17. 2005年4月24日   ヒューストン クレー   セバスチャン・グロジャン 6-2, 6-2
優勝 18. 2005年6月6日   ロンドン   イボ・カロビッチ 7-6(9-7), 7-6(7-4)
準優勝 9. 2005年7月3日   ウィンブルドン   ロジャー・フェデラー 2-6, 6-7(2-7), 4-6
優勝 19. 2005年8月7日   ワシントンD.C. ハード   ジェームズ・ブレーク 7-5, 6-3
準優勝 10. 2005年8月22日   シンシナティ ハード   ロジャー・フェデラー 3-6, 5-7
優勝 20. 2005年10月30日   リヨン カーペット (室内)   ガエル・モンフィス 6-3, 6-2
準優勝 11. 2006年7月24日   インディアナポリス ハード   ジェームズ・ブレーク 6-4, 4-6, 6-7(5-7)
優勝 21. 2006年8月20日   シンシナティ ハード   フアン・カルロス・フェレーロ 6-3, 6-4
準優勝 12. 2006年9月11日   全米オープン ハード   ロジャー・フェデラー 2-6, 6-4, 5-7, 1-6
準優勝 13. 2007年2月25日   メンフィス ハード (室内)   トミー・ハース 3-6, 2-6
優勝 22. 2007年6月17日   ロンドン   ニコラ・マユ 4-6, 7-6(9-7), 7-6(7-2)
優勝 23. 2007年8月5日   ワシントンD.C. ハード   ジョン・イスナー 6-4, 7-6(7-4)
優勝 24. 2008年2月24日   サンノゼ ハード (室内)   ラデク・ステパネク 6-4, 7-5
優勝 25. 2008年3月8日   ドバイ ハード   フェリシアーノ・ロペス 6-7(8-10), 6-4, 6-2
準優勝 14. 2008年8月10日   ロサンゼルス ハード   フアン・マルティン・デル・ポトロ 1-6, 6-7(2-7)
優勝 26. 2008年9月28日   北京 ハード   ドゥディ・セラ 6-4, 6-7(6-8), 6-3
準優勝 15. 2009年1月10日   ドーハ ハード   アンディ・マリー 4-6, 2-6
優勝 27. 2009年2月13日   メンフィス ハード (室内)   ラデク・ステパネク 7-5, 7-5
準優勝 16. 2009年7月5日   ウィンブルドン   ロジャー・フェデラー 7-5, 6-7(6-8), 6-7(5-7), 6-3, 14-16
準優勝 17. 2009年8月9日   ワシントンD.C. ハード   フアン・マルティン・デル・ポトロ 6-3, 5-7, 6-7(6-8)
優勝 28. 2010年1月10日   ブリスベン ハード   ラデク・ステパネク 7-6(7-2), 7-6(9-7)
準優勝 18. 2010年2月14日   サンノゼ ハード (室内)   フェルナンド・ベルダスコ 6-3, 4-6, 4-6
準優勝 19. 2010年3月21日   インディアンウェルズ ハード   イワン・リュビチッチ 7-6(7-3), 7-6(7-5)
優勝 29. 2010年4月4日   マイアミ ハード   トマーシュ・ベルディハ 7-5, 6-4
準優勝 20. 2011年1月9日   ブリスベン ハード   ロビン・セーデリング 3-6, 5-7
優勝 30. 2011年2月20日   メンフィス ハード (室内)   ミロシュ・ラオニッチ 7-6(9-7), 6-7(11-13), 7-5
優勝 31. 2012年6月23日   イーストボーン   アンドレアス・セッピ 6-3, 6-2
優勝 32. 2012年7月22日   アトランタ ハード   ジル・ミュラー 1-6, 7-6(7-2), 6-2

ダブルス: 8回 (4勝4敗)

編集
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2001年3月12日   デルレイビーチ ハード   ジャン=マイケル・ギャンビル   トーマス嶋田
  マイルズ・ウェイクフィールド
6-3, 6-4
準優勝 1. 2001年7月30日   ロサンゼルス ハード   ジャン=マイケル・ギャンビル   ボブ・ブライアン
  マイク・ブライアン
5-7, 6-7(6-8)
優勝 2. 2002年4月29日   ヒューストン クレー   マーディ・フィッシュ   ジャン=マイケル・ギャンビル
  グレイドン・オリバー
6-4, 6-4
準優勝 2. 2004年1月12日   ドーハ ハード   ステファン・クベク   マルティン・ダム
  シリル・スーク
2-6, 4-6
優勝 3. 2006年7月24日   インディアナポリス ハード   ボビー・レイノルズ   ポール・ゴールドステイン
  ジム・トーマス
6-4, 6-4
優勝 4. 2009年3月21日   インディアンウェルズ ハード   マーディ・フィッシュ   マックス・ミルヌイ
  アンディ・ラム
3-6, 6-1, [14-12]
準優勝 3. 2009年10月11日   北京 ハード   マーク・ノールズ   ボブ・ブライアン
  マイク・ブライアン
4-6, 2-6
準優勝 4. 2011年5月15日   ローマ クレー   マーディ・フィッシュ   ジョン・イスナー
  サム・クエリー
不戦敗

4大大会優勝

編集
  ウィンブルドン準優勝3度:2004・05・09年〕
大会 対戦相手 試合結果
2003年   全米オープン   フアン・カルロス・フェレーロ 6-3, 7-6, 6-3

成績

編集

4大大会シングルス

編集
大会 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 通算成績
全豪オープン A A 2R SF QF SF 4R SF 3R SF QF 4R 2R 38–11
全仏オープン A 3R 1R 1R 2R 2R 1R 1R A 4R 3R A 1R 9–10
ウィンブルドン A 3R 3R SF F F 3R QF 2R F 4R 3R 3R 41–12
全米オープン 1R QF QF W QF 1R F QF QF 3R 2R QF 4R 43–12
Won–Lost 0–1 8–3 7–4 17–3 15–4 12–4 11–4 13–4 7–3 16–4 10–4 9–3 6–4 131–45

大会最高成績

編集
大会 成績
ATPファイナルズ SF 2003, 2004, 2007
インディアンウェルズ F 2010
マイアミ W 2004, 2010
モンテカルロ 3R 2002
マドリード QF 2009
ローマ SF 2002, 2008
カナダ W 2003
シンシナティ W 2003, 2006
上海 QF 2011
パリ SF 2003, 2005
ハンブルク 3R 2002
オリンピック 3R 2004
デビスカップ W 2007

世界ランキング

編集
2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012
順位 156 14 10 1 2 3 6 6 8 7 8 14 39

対戦成績

編集

脚注

編集

外部リンク

編集
タイトル
先代
  フアン・カルロス・フェレーロ
世界ランキング1位
2003年11月3日 - 2004年2月1日
次代
  ロジャー・フェデラー