アレンタウン (哨戒フリゲート)

アレンタウン (USS Allentown, PF-52) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲートタコマ級フリゲートの1隻。艦名はペンシルベニア州アレンタウンに因む。

アレンタウン
基本情報
建造所 フローミング・ブラザーズ社
艦歴
起工 1943年3月23日
進水 1943年7月3日
就役 1944年3月24日
退役 1945年7月12日
除籍 1961年12月1日
その後 海上自衛隊に貸与
要目
基準排水量 1,430トン
全長 93.0m
最大幅 11.4m
吃水 3.5m
機関 ボイラー3基 5,500軸馬力
タービン2基 2軸推進
最大速力 20ノット
乗員 170名
兵装 50口径3インチ単装緩射砲×3基
56口径40mm連装機銃×2基
70口径20mm単装機銃×9基
ヘッジホッグ対潜迫撃砲×1基
片舷用爆雷投射機(K砲)×8基
Mk.9爆雷投下軌条×2条
レーダー SA 対空捜索用×1基
SL 対水上捜索用×1基
Mk.51 射撃指揮装置×2基
ソナー QBFまたはQJA 探信儀×1基
テンプレートを表示

艦歴

編集

アレンタウンは海事委任契約(船体番号1477)の下1943年3月23日ウィスコンシン州ミルウォーキーのフローミング・ブラザーズ社で起工した。1943年4月15日まではPG-178と呼ばれた。1943年7月3日にジョイス・E・ベアリーによって命名、進水1944年3月24日ルイジアナ州ニューオーリンズで艦長ガーランド・W・コリンズ沿岸警備隊中佐の指揮下就役した。

アレンタウンは4月3日にニューオーリンズを出航し、整調訓練のためバミューダに向かった。およそ1ヶ月間の訓練の後、アレンタウンはノルウェーの商船ノルデン (SS Norden) の護衛としてニューヨークに向かう。5月13日にニューヨークに到着し、整調後の修理および改修が行われた。6月末に船団の護衛としてニューヨークを出航する。6月28日バージニア州ノーフォークに到着し、ノーフォーク海軍造船所で追加の修理が行われた。8月半ばに修理が完了すると出航し、16日にニューヨークに到着した。その後第33護衛部隊の一部として太平洋向けの船団護衛任務に就く。

アレンタウンはパナマ運河ソシエテ諸島ボラボラ島経由で9月末にニューギニアの北部海岸に到着した。オランダ東インド諸島で偵察および護衛任務を開始し、10月末にモルッカ諸島モロタイ島占領任務に短期間従事した。11月半ばにはホーランディアレイテ島の間で、フィリピン占領部隊を運ぶ船団の護衛に従事する。フィリピンの島々におけるこれらの任務は1945年3月前半まで行われた。3月9日にアレンタウンはウルシー環礁から帰国する第1弾の船団護衛任務に加わった。アレンタウンは4月7日にピュージェット・サウンド海軍造船所に到着した。

オーバーホールを終えるとアレンタウンは6月7日にピュージェット・サウンドを出航しアラスカ州に向かう。6月15日コールド・ベイに到着し、その後約1ヶ月間を訓練演習に費やした。アレンタウンは1945年7月12日にコールド・ベイで退役し、翌日レンドリース法に基づきソ連海軍に貸与された。

ソ連では「護衛艦」を意味する「EK」の略号が付与され、EK-9ロシア語:ЭК-9エーカー・ヂェーヴャチ)と命名された。1945年7月23日には、警備艦として太平洋艦隊に配備された。EK-9は、8月12日に行われた雄基上陸作戦と、その後に清津上陸作戦に参加した。

1949年10月15日までソ連海軍で運用されたあと、横須賀でアメリカ海軍に返還された。横須賀での保管された後、1953年3月30日、日米船舶貸与協定に基づき第3回貸与艦として警備隊(後の海上自衛隊)に貸与され、「うめ (PF-9)」 として就役した。同年4月1日に新編された第1船隊群に司令警備船として編入。1954年4月10日、第3船隊群が新編され司令警備船として編入。同年7月1日、海上自衛隊が発足し自衛艦隊が新編、第3船隊群は第1警戒隊群に改称され、「うめ」は同群旗艦となる。1957年5月10日、第1警戒隊群の廃止及び練習隊群の新編により旗艦として編入。同年9月1日、艦籍番号がPF-289に変更された。1961年12月1日にアメリカ海軍から除籍、1962年8月28日に貸与から供与へと変更された。その後、1965年3月31日に保管船(YAC-14)に区分変更され、1970年3月31日に除籍、1971年7月12日にアメリカ海軍に返還された。

アレンタウンは第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。

外部リンク

編集