アサヒマロツト
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
アサヒマロツト[2]とは、日本で生産されたアングロアラブの競走馬、種牡馬。史上初めて兵庫三冠を達成したほか[注釈 1]、南関東のアラブダービーへも東西に短期移籍を繰り返しながら同時に出走。古馬になってからも兵庫大賞典を連覇する活躍をみせ、管理した溝橋弘調教師をして「ナタのアサヒマロツト、カミソリのタイムライン」と称させた[3]。
アサヒマロツト[1] | |
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品種 | アングロアラブ(アラブ血量25.00%)[2] |
性別 | 牡[2] |
毛色 | 鹿毛[2] |
生誕 | 1967年3月12日[2] |
死没 | 不明(1988年8月用途変更) |
父 | マロツト(サラブレッド)[2] |
母 | タカラミヤ(アングロアラブ)[2] |
母の父 | ライジングフレーム(サラブレッド)[2] |
生国 | 日本(北海道浦河町)[2] |
調教師 |
溝橋弘(園田) |
競走成績 | |
生涯成績 | 49戦24勝 |
勝ち鞍 |
楠賞(1970年) 兵庫大賞典(1971、1972年) 菊水賞(1970年) 六甲盃(1970年) 市川賞(1969年) |
競走馬時代
編集兵庫に敵なし
編集北海道の牧場から園田競馬場まで長時間トラックに揺られてやってきた際、他馬がさすがに疲れを見せている中でも1頭だけ元気いっぱいであったという[1]。デビュー当初からその実力はずば抜けており、デビューから3戦目のみ大出遅れを喫して6着に敗れたほかは、当時の兵庫競馬における唯一の3歳重賞であった市川賞も含めて楽勝を続けた[1]。年が明けて2月半ば、兵庫三冠の1冠目である菊水賞を2着に5馬身差をつけて逃げ切ると、アサヒマロツトは当時地方競馬のアングロアラブ競馬においてはアラブ大賞典とともに最高の格を誇った南関東公営競馬のアラブダービーのタイトルを狙い[注釈 2]、大井競馬場の廿楽長市郎厩舎へと転出する[1]。
東西を股にかけて
編集南関東へやってきたアサヒマロツトは、その緒戦でいきなり古馬のB2級と対戦するとこれを破っている[注釈 3][4]。4月20日、南関東アラブ三冠の1冠目である千鳥賞へと出走したが、これは馬場の悪さに加えて佐々木竹見騎乗・イクタガワに先手を取られる不利もあって4着に敗れた[5]。 その後はすぐさま園田競馬場へと戻ると、5月頭の姫路開催で兵庫競馬に復帰[注釈 4]。そして5月17日、園田競馬場で行われた楠賞を逃げ切ると、アサヒマロツトは中10日の強行軍でふたたび大井競馬場へ舞い戻り[1]、アラブダービーへの出走を果たす。
アラブダービーでは最内のグリンバーデーがロケットスタートでハナを主張したが、その外からアサヒマロツトが競りかけ逃げる形へ持ち込むことに成功する[6]。2番手集団を形成したトヨカメワールド・グリニツチらを3コーナー半ばで振り落とし[6]、中団から位置を上げてきたスピードウララ・オーギモアらも直線不発[6]。アサヒマロツトには絶好の流れかと思われたが、道中は3番手まで下げていたグリンバーデーが再び伸びて叩き合う展開となる[6]。最終的にこの女傑に3/4馬身競り落とされ、アサヒマロツトは惜しい2着に終わった[6]。
その後、アサヒマロツトは古馬のオープン戦を1勝したのち[7][注釈 5]、ワード賞を3着[7][注釈 6]。そして8月6日の川崎の白百合賞で8着と惨敗したのを最後に[7]、8月半ば園田競馬場へと帰還する。そこからは3戦して1勝2着1回とやや調子を崩したが[1]、兵庫三冠の最終戦となる六甲盃は見事に逃げ切り、史上初の兵庫三冠達成馬の栄光に輝いた[1]。
斤量との戦い
編集デビュー以来本馬の世話をしてきた厩務員が「(斤量を)[注釈 7]背負うとスタートが甘くなった。無理にハナに行くと末が甘くなる」と評したように[1]、豊かなスピードを活かした逃げ馬であるアサヒマロツトにとって、その実績相応の斤量を背負わされるのはつらいものがあった[1]。同世代との最終戦となった姫山菊花賞は出遅れもあって2着まで[1]、さらに兵庫での古馬との初対戦となった白鷺賞ではホクセツエースら当時の古馬一線級に阻まれ3着に完敗している[1]。年が明けた新春賞でも、61キロを背負い4着に敗れた[1]。8月にはふたたび大井へ移籍しオープン戦で5着、サラブレッドのB級戦で2着[8]。その後はいったん兵庫へ戻ったのちアラブ大賞典を目指して復帰する予定だったが[8]、結果的には出走することはなかった。
一方で、馬齢定量で施行されていた兵庫大賞典は5・6歳時に連覇を果たしている[1]。通算成績は49戦24勝、2着12回3着4回という安定したものであった[9]。
種牡馬時代
編集三石の平野種馬場で種牡馬入りすると、多くの重賞勝ち馬を輩出し人気種牡馬の1頭となった[9]。産駒はとりわけコースの広い札幌競馬場での良績が多く[9]、1980年にはスカレー、マスホマレらを抑えてタガミホマレに次ぐ中央・地方総合リーディング2位となっている[10]。
主な産駒
編集- ツルギウイン(アラブ優駿[道営]・センジュスガタ記念・銀杯[道営]。ミスダイリンの半弟。)[11]
- シビアーフアイト(紫桐杯・北陸アラブチャンピオン)[12]
- ヤリガダケ(園田ジュニアカップ)[13]
- リツシヨウマロツト(アラブダービー・千鳥賞・アラブ大賞典蔵王特別)[14]
- カツマロツト(アラブ優駿[道営])[15]
- スイフトエース(アラブ大賞典[佐賀]・アラブ4歳優駿特別[中津]・種牡馬)[16]
- ヤングヤマチヨ(新春賞[福山])[17]
- ヒダカスピード(銀杯[福山])[18]
- ヤエヤマブキ(銀杯[道営]・岩見沢記念[道営]・黄菊賞[道営])[19]
- ホロトムテキング(新春アラブ争覇[愛知])[20]
- テンシヨウオー(ワード賞・シルバーカップ・種牡馬)[21]
- ヒカリマロツトオー(名古屋タイムズ杯・中京アラブ三歳特別)[22]
- ブロードアサカゼ(アラブ優駿[道営]・帝冠賞)[23]
- ナイスブレーン(摂津盃・姫山菊花賞・種牡馬)[24]
- サンマロット(1988年産。全日本アラブ争覇)[25]
血統表
編集アサヒマロツトの血統「アア」表記はアングロアラブ種 「アラ」表記はアラブ種 「*」が付された馬名はシャギア・ギドラン・濠サラ | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | リボー系 |
[§ 2] | ||
父 マロツト Marot 1959 |
父の父 Ribot1952 |
Tenerani 1944 | Bellini 1937 | |
Tofanella 1931 | ||||
Romanella 1943 | El Greco 1934 | |||
Barbara Burrini 1937 | ||||
父の母 Macchietta1946 |
Niccolo Dell'Arca 1938 | Coronach 1923 | ||
Nogara 1928 | ||||
Milldoria 1932 | Milton 1916 | |||
Doria 1915 | ||||
母 アア タカラミヤ 1960 |
ライジングフレーム Rising Flame 1947 |
The Phoenix 1940 | Chateau Bouscaut 1927 | |
Fille de Poete 1935 | ||||
Admirable 1942 | Nearco 1935 | |||
Silvia 1927 | ||||
母の母 アラ 琢治1956 |
アラ ニーフアン Nifan 1934 | アラ Norniz 1922 | ||
アラ Nifa 1925 | ||||
アラ 琢楓 1946 | アラ フアヘツド Fahed 1925 | |||
アラ 師択 1931 オーバーヤン五ノ七系[28] | ||||
5代内の近親交配 | Nogara 4 × 5 = 9.38%、Pharos 5 × 5 = 6.25% | [§ 3] | ||
出典 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m 池永博省「熱砂の戦慄~兵庫アラブ伝説~(10)アサヒマロツト」地方競馬全国協会『Furlong』2003年5月号、54頁。
- ^ a b c d e f g h i “アサヒマロツト”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ 池永博省「思い出に残る名馬」兵庫県馬主会『設立20周年記念誌:協会のあゆみ』1993年、215-219頁。
- ^ 啓衆社『競週地方競馬』1970年4月号。
- ^ 啓衆社『競週地方競馬』1970年6月号。
- ^ a b c d e 啓衆社『競週地方競馬』1970年7月号。
- ^ a b c 啓衆社『競週地方競馬』1970年9月号。
- ^ a b 啓衆社『競週地方競馬』1971年10月号。
- ^ a b c 後藤正俊「アングロアラブ種牡馬名鑑:アサヒマロット」地方競馬全国協会『Furlong』1994年10月号、23頁。
- ^ JBIS Serch, 1980年アングロアラブ総合リーディング(2014年9月6日閲覧)。
- ^ “ツルギウイン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “シビアーフアイト”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “ヤリガタケ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “リツシヨウマロツト”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “カツマロツト”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “スイフトエース”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “ヤングヤマチヨ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “ヒダカスピード”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “ヤエヤマブキ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “ホロトムテキング”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “テンシヨウオー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “ヒカリマロツトオー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “ブロードアサカゼ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “ナイスブレーン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ “サンマロツト”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ a b “アサヒマロツト 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年4月4日閲覧。
- ^ a b “リボーの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年4月4日閲覧。
- ^ 田辺一夫『アラブ系牝馬系統大鑑』啓衆社、1967年、15頁。