そごう心斎橋本店
そごう心斎橋本店(そごうしんさいばしほんてん)は、かつて大阪府大阪市中央区の心斎橋に存在したそごう・西武が運営する百貨店。本項では、2000年12月25日まで株式会社そごうが同じ場所で運営していたそごう大阪店についても記述する。
心斎橋そごうと呼ばれた大阪店はそごうの本店であり、呉服商時代から心斎橋筋に店を構えていた。2000年のそごうグループ経営破綻により大阪店は休業、西武百貨店と共同で再起をかけ、建て替えを経て創業の地に心斎橋本店を開業させたものの、経営不振により2度目の閉店となった。
そごう大阪店
編集 そごう大阪店 SOGO OSAKA | |
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(2001年8月) | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒542-0085 大阪府大阪市中央区心斎橋筋1丁目8番3号 |
開業日 | 1935年9月24日 |
閉業日 | 2000年12月25日 |
店番号 | 1 |
正式名称 | そごう大阪本店 |
建物名称 | 心斎橋そごう |
土地所有者 | 株式会社そごう |
施設所有者 | 株式会社そごう |
施設管理者 | 株式会社そごう |
設計者 | 村野藤吾 |
施工者 | 大倉土木 |
商業施設面積 |
※そごう売場面積:31,768→42,563 |
後身 | そごう心斎橋本店 |
大阪ミナミの御堂筋沿いに所在したそごう一号店。旗艦店の役割を果たしていた。通称「心斎橋そごう(しんさいばしそごう)」。オープン時のキャッチフレーズは「お遊びに、お買物に」。キャッチコピーは「ガラスと大理石の家」「ピカピカの新館に新品溢る」。
1877年に心斎橋へ移転して以来、隣接する大丸とは呉服商・百貨店として競合関係にあり、結果的に心斎橋筋商店街全体の活性化につながった。
1935年に開業したアールデコ様式の店舗は、村野建築事務所の村野藤吾が設計し大倉土木が建設した(SRC造地下3階・地上8階。31,697m)。「ガラスブロックと大理石の殿堂」と呼ばれるほど贅沢な造りで、モダニズム建築の傑作と評され心斎橋のシンボルとなった。日本初のプラスチックパネルを用いたヌードエスカレーターをはじめ、館内にはシンボルゾーンとして「光の樹」、藤川勇造作のシンボルモニュメント「飛躍の像」が設置され、エレベーターの扉は島野三秋作の「漆螺鈿装飾扉」、館内の天井には鶴丸梅吉作のモザイクタイル天井画「天空」が使用されていた。
終戦後に進駐軍に接収されたが、1952年に接収解除され再開店した。その際に本支店の呼称を廃し、「大阪本店」を「大阪店」、「神戸支店」を「神戸店」に変更した。再開店後の改修により建物の大理石部分はモザイクタイルに変更された。1969年には「株式会社設立50周年記念事業」として増築開店した。
1982年から6年間をかけ「魅力化計画」と称して半年ごとに少しずつリモデルを進め、全館のリモデルを進めていった[2]。1991年11月に地階に「世界の人形時計」としてからくり時計が設置された(閉鎖後、解体に伴い撤去)。
1955年公開の東宝映画『ゴジラの逆襲』の宣伝用スチールに使われ、1989年公開のハリウッド映画『ブラック・レイン』も当店近くで収録された。
2000年12月25日に閉店。最終営業日まで1935年に竣工した建物を使用していた。閉店翌年以降も株式会社そごうは施設に灯りを点け続け、無償で施設を貸すなどの活用策を数年間続けていた。建築物としての歴史的価値が高く評価され、施設保存を訴え解体に反対する声が挙がったものの、建て替えに伴い施設は2003年に解体撤去された。
そごう心斎橋本店
編集 そごう心斎橋本店 SOGO SHINSAIBASHI | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒542-0085 大阪府大阪市中央区心斎橋筋1丁目8番3号 |
開業日 | 2005年9月7日[3] |
閉業日 | 2009年8月31日 |
土地所有者 | 株式会社そごう・西武 |
施設所有者 | 株式会社そごう・西武 |
施設管理者 | 株式会社そごう・西武 |
設計者 | 竹中工務店 |
施工者 | 竹中工務店JV |
敷地面積 | 4,804.1 m²[3] |
延床面積 | 58175.05→58,400 m2[3] |
商業施設面積 | 40,000 m2[3] |
中核店舗 | そごう心斎橋本店 |
営業時間 | 10:00 - 20:30[3](レストランフロア 11:00 - 22:00[3]) |
駐車台数 | 1,300[3]台 |
前身 | そごう大阪店 |
後身 |
大丸心斎橋店 北館 ↓ 心斎橋パルコ |
最寄駅 | 心斎橋駅 |
外部リンク | アーカイブ 2008年11月23日 - ウェイバックマシン ホームページ |
SOGO |
概要
編集そごう大阪店の解体後、大阪店の跡地は、当初は三越へ売却する予定だったが、当時のそごうの親会社のミレニアムリテイリング社長で、そごう再建を手がけた和田繁明(元西武百貨店社長)の発案により用地売却を撤回した。
2003年12月に建設工事に着工し、2005年8月に竣工。同年9月に「そごう再生のシンボル」として[4]、大阪店の跡地に開業した。心斎橋本店開業時のキャッチフレーズは「なにわ遊覧百貨店」。CMキャラクターに女優の宮沢りえを起用し、大阪らしい賑やかさと華やかさを強調したテレビCMや新聞広告を積極的に展開した。
ミレニアムリテイリングはそごう心斎橋本店の開店に先立ち、2005年6月にそごうの登記上の本店所在地を大阪市中央区へ移し、商品本部に関西担当を新設、西武百貨店の関西法人外商部をそごうに移管し関西地区の法人外商をそごうに一本化、同時にそごうの関東地区の法人外商を西武百貨店へ移管するなど[5]、復活させたそごう心斎橋本店を中心に関西地区での事業の強化を計画していた。同時に西武百貨店池袋店も、そごう心斎橋本店の開業を前に「池袋本店」に店名変更[5] している。
ミレニアムリテイリング内の西武百貨店と差別化するため、中高年の富裕層をターゲットにした高級志向の店舗展開を図り、個性的なテナント構成を目指して開店当初は話題となったが、近隣のアメリカ村をはじめとする心斎橋界隈の急速な若年齢層化に対応しきれず、厳しい経営を余儀なくされた。
心斎橋本店のオープン当時は、そごう経営破綻からの再起の集大成として注目を集めた[4]。開店からわずか1か月の間に200万人が来館[4]。再開店から1年後の時点では、再開店前と比較して1日あたりの来客が3,000人増えた[6]。しかし初年度(2006年度)の売上は目標の500億円に届かず、477億円の売上を計上して営業赤字となった[7]。
心斎橋本店が開業した2005年には、隣接するライバル店「大丸心斎橋店」の売上と客数が共に15%増加した。当時の大丸会長であった奥田務は、客の取り合いで売り上げや客数はプラスマイナスゼロと予測していたと述べている[8]。
2006年9月1日に、再オープン1年を記念して得意客を招いた茶会「心斎橋遊覧お茶会」を催した。1587年に豊臣秀吉が開いた「北野大茶会」を模したもので、同年9月2日から11日まで規模を縮小して一般客にも茶を振舞った[9]。
2度目の撤退
編集2005年に営業を再開したものの、当初の年間売上目標500億円[3] には届かず、約4億円の追加投資を行って売場の改装などを実施したものの[10] 年々売上が減少し[4]、開店から一度も黒字転換することなく[10]、新装開店からわずか4年で、創業の地から2度目の撤退を迎えることになった。
2008年2月期のセブン&アイの決算補足資料を見ても、そごうの主要店舗として売上高が記載されているのは横浜店・千葉店・神戸店のみであり、心斎橋本店の売上高は当時561億円あった神戸店の売上高を下回っていたものと思われる[11]。
「再生のシンボル」として開店した心斎橋本店は、大阪店閉店から9年弱、念願の再開店からわずか4年で、そごう創業の地から完全撤退という形での閉店を余儀なくされた。奇しくもそごうが心斎橋で百貨店事業を始めた1919年から90年という節目の年であった。2009年8月19日から最終営業日までは「そごう心斎橋本店カウントダウン」として閉店までの日数を入口前に表示していた。8月31日に心斎橋本店は閉店した。8月1日にセブン&アイ・ホールディングス傘下となっていたミレニアムリテイリングとそごう・西武百貨店が合併しそごう・西武となったが、心斎橋本店はその最初の閉鎖店舗となった。
閉店から間もない2009年9月に、店の屋上に置かれたそごうの創業者・十合伊兵衛のブロンズ製の座像が月の上旬に撤去されることになった際、そごうの元社員らが拝観に訪れるようになったという。坐像は心斎橋本店が「再生のシンボル」として誕生した際に、のれんを守るとの誓いを込めて制作されたもので、当面はそごう神戸店で保管されるとしていた[12]。しかしその後、そごう神戸店もエイチ・ツー・オーリテイリングへ譲渡されたため、2018年にそごう横浜店の屋上へ移設されている[13]。
建物データ
編集S・SRC造の地下2階 - 地上14階[3]、延床面積58,400m2[3]、営業面積約40,000m2[3]。ハートビル法の認定を受けていた[3]。当初は地上8階・地下3階で建設する予定だったが、売場面積の拡張を狙い、建物の容積率の規制緩和を待って着工したため営業再開が延期した。
建物のデザインと企画はアメリカ・シアトルのキャリソン・アーキテクチャー社が手がけた[3]。2006年2月には、アメリカの店舗デザイン専門誌『VMSD』が主催する国際店舗デザインコンテストの総合百貨店部門で、そごう心斎橋本店が1位に選ばれた。
2007年11月26日に、大阪府・大阪市・大阪府建築士会の3者が「個性豊かな都市景観作りに貢献した建物」として、第27回「大阪都市景観建築賞(大阪まちなみ賞)」の知事賞にそごう心斎橋本店が選ばれた。選定理由として、施設の壁面に曲線を用いたバルコニーデザインを取り入れていたことを挙げ、遠景近景ともに御堂筋と調和していることが評価された[14]。
建物の売却
編集心斎橋本店の閉館後、株式会社そごう・西武が保有していた心斎橋本店の土地・建物は、隣接する大丸(現:大丸松坂屋百貨店、J.フロント リテイリング傘下)に379億1,000万円で売却された[4]。2009年9月末に建物の引渡しが行われ[4]、2か月間の改装を経て、2009年11月14日に「大丸心斎橋店 北館」としてリニューアルオープンした。14階に併設されていた「そごう劇場」は「大丸心斎橋劇場」へ改称された。その後、デパ地下の復活などを経て、2019年9月に「大丸心斎橋店 北館」が閉館した。
リニューアル工事の後、J.フロント リテイリング傘下のパルコとしてリニューアルされることになり、2020年11月20日、心斎橋PARCOとして開店した[15]。当初は2021年春の予定だったが、前倒しでの開業となった。なお、この心斎橋PARCOは2代目店舗で、2011年まで当地の北方に初代店舗があった。
一方、そごう・西武はそごう神戸店を関西の拠点として関西地区での事業の再構築を図ったが[10]、業績不振が続いたため、2017年にそごう神戸店・西武高槻店をエイチ・ツー・オーリテイリングへ譲渡した[16]。売却後も「そごう」「西武」の屋号はしばらく維持されたが、2019年にそごう神戸店は神戸阪急、西武高槻店は高槻阪急へと転換された。
2020年にそごう西神店と西武大津店も閉店[17][18]、関西地区からそごう・西武の百貨店事業は完全に撤退した。2021年現在、法人向けの商事事業部は大阪市に西日本商事部を置いている[19]。これにより、大阪を発祥とするそごうの店舗は関西地区から消滅することとなった。
沿革
編集創業 - 終戦まで
編集- 1830年(天保元年) - 十合伊兵衛が、大坂の坐摩神社(陶器神社)近くに古手屋(古着屋)「大和屋」を開業[20]。
- 1860年
- 3月7日 - 近隣より出火類焼。
- 12月12日 - 近隣より出火類焼。
- 1872年(明治5年) - 吊りぎれを売り出す。
- 1875年(明治8年)2月7日 - 坐摩の大火により類焼。
- 1876年(明治9年) - 大和屋を大阪府第2大区安堂寺橋通3丁目に移転し木綿呉服店を開業。
- 1877年(明治10年) - 大和屋を大阪府第2大区心斎橋筋1丁目に移転し、呉服商に転業、商号を「十合呉服店」とする[20]。
- 1889年(明治22年) - 心斎橋店が南区内となる。
- 1894年10月1日 - 大丸心斎橋店の北側に移転、以後そごうとしては大阪店、心斎橋本店を置く。
- 1897年(明治30年)
- 5月26日 - 十合合名会社設立。
- 9月30日 - 電話架設。
- 1900年 - ショーウインドー設置。
- 1901年3月1日 - 売場に陳列場新設。
- 1903年3月1日 - 売場に陳列場新設。同時に第五回内国博覧会に協賛出品。
- 1904年9月 - 地方出張販売開始。
- 1907年4月 - 耐火土蔵造り店舗建築を起工。
- 1908年
- 4月1日 - 耐火土蔵造り2階建ての店舗を新築開店し会社組織整備。百貨店営業をめざす。
- 10月2日 - 商号を合名会社十合呉服店と変更。
- 1910年
- 1月 - 意匠図案部設置。
- 10月 - 十合洋服店心斎橋筋1丁目8番地に移転。
- 1911年10月 - メッセンジャー制を採用し仕入部を大宝寺西之町に設置、高砂会を結成。寄宿舎を南区清水町に設置。
- 1912年12月2日 - 天王寺区餌差町に寄宿舎味原寮を新築。
- 1917年5月20日 - 鉄筋コンクリート造の地下1階・地上4階の増築を起工。
- 1918年 - 新店舗を完成。
- 1919年(大正8年)
- 1920年5月 - 大暴落半額売出し開催。
- 1921年
- 7月 - 蔵ざらへ売出し創始。
- 8月1日 - コタチ百貨部創設。
- 9月 - 持越品競売日 時間提供等の売出し開催。
- 1923年
- 9月 - 外売部に通信販売係設置。
- 10月1日 - 十合洋服店吸収、洋服部新設。
- 1925年
- 1月 - 5階建に増築。
- 3月 - 大大阪記念博覧会協賛催し「流行の大阪館」開催。
- 1926年4月 - 本格的夜間営業開始。
- 1927年4月15日 - 十合ビルヂング大阪本店新築用地買収開始。
- 1928年9月1日 - 下足預りを廃止全店土足とす。
- 1930年3月10日 - 本店新店舗設計を村野藤吾に委嘱。
- 1931年
- 8月26日 - 大倉土木と本店建築工事契約締結。
- 10月22日 - 本店第一期工事起工
- 1932年
- 6月30日 - 大阪本店が竣工。
- 7月11日 - 大阪本店建築契約を実費精算方式に改更。
- 9月6日 - 大阪本店通信販売チェーン店募集。
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)
- 1月10日 - 大阪本店第2期工事起工。
- 3月1日 - 大阪本店組織機構整備。
- 6月1日 - 大阪本店心斎橋入口閉鎖臨時入口を北隣に設置。
- 1935年(昭和10年)
- 3月24日 - 板谷宮吉に大阪本店建築資金調達協力を申入れ。
- 6月27日 - 板谷宮吉と大阪本店建築資金導入覚書交換。
- 9月24日 - 大阪本店第2期工事竣工。
- 10月1日 - 大阪本店が新築開店。同時に建物を十合ビルヂングに売却し同社と賃貸借契約締結。
- 1936年
- 8月10日 - 十合ビルヂングいづ勘化粧品店所有地を買収登記。
- 9月14日 - いづ勘跡地に第3期工事起工。
- 1937年12月1日 - 大阪本店第3期工事竣工全館新築開店。
- 1938年
- 7月7日 - 大阪本店慰問品売場開設。
- 8月1日 - 大阪本店愛国お買物貯金実施。
- 9月3日 - 大阪本店百貨更生部を設置。
- 1940年(昭和15年)4月 - 株式会社十合と商号変更[21]。
終戦 - 1970年代
編集- 1946年(昭和21年)7月 - 大阪本店がアメリカ進駐軍に接収され[21]、米軍のPX(Post Exchange=米軍購買部)として使われる。
- 1949年(昭和24年) - 大証一部上場。
- 1952年(昭和27年)
- 1957年(昭和32年)5月25日 - そごう東京店(通称:有楽町そごう)を国鉄有楽町駅前の読売会館に開店[22]、東京進出。
- 1958年(昭和33年) - 水島廣雄がそごうに入社、副社長に就任。
- 1961年(昭和36年) - そごうが東証一部上場。
- 1962年(昭和37年) - 水島廣雄がそごう社長に就任。
- 1967年(昭和42年)- 株式会社千葉そごう設立(10月28日[23])を皮切りに、地域子会社による全国多店舗展開を開始。
- 1969年(昭和44年)
- 増築開業。
- 法人改組50周年を機に株式会社そごうへ商号変更。
1980年代 - 1990年代
編集- 1982年 - 心斎橋側に正面玄関完成。1階、中2階一部リモデル[2]。
- 1984年 - 地下食品フロア、2階特選サロン「パレロワイヤル」、1階 - 5階をリモデル[2]。
- 1986年 - 1階心斎橋側に特選ブティックフロアオープン、御堂筋側にDCブランドフロア「EXPRESSION」オープン。[2]。
- 1987年 - 5階紳士フロアをリモデル、1階を一部リモデル[2]。
- 1988年 - 6階リビングフロアをリモデル、1階、2階、4階を一部リモデル[2]。
- 1990年(平成2年)- 株式会社西神そごう設立。
- 1994年(平成6年)- 水島廣雄がそごう社長を退任、会長に就任[26]。
2000年代
編集- 2000年(平成12年)- 水島廣雄がそごう会長を辞任。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
- 1月30日 - 東京地裁より再生手続終結決定。
- 4月 - 1935年(昭和10年)に建てられた大阪店を解体。
- 6月1日 - ミレニアムリテイリンググループが発足。
- 12月12日 - 心斎橋本店起工式。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)6月1日 - ミレニアムリテイリングがセブン&アイの完全子会社となる。
- 2009年(平成21年)
- 8月1日 - 株式会社そごう・西武が発足。
- 2009年(平成21年)
- 8月31日 - 心斎橋本店を閉店。土地・建物は、隣接する大丸(J.フロント リテイリング)へ売却。
- 11月14日 - 跡地に大丸心斎橋店北館が開館(旧そごう心斎橋本店を改装)。
- 2020年(令和2年)
- 9月 - 大丸心斎橋店北館が閉館。
- 11月20日 - 跡地に心斎橋PARCO(2代目店舗)が開店。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 心斎橋PARCO 株式会社パルコ
- ^ a b c d e f 山森俊彦『そごう さらに壮大なる未来へ』ストアーズ社、1992年3月19日。ISBN 4-915293084。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “そごう心斎橋本店 オープン”. ミレニアムリテイリング (2005年). 2019年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月23日閲覧。
- ^ a b c d e f “そごう心斎橋本店が8月末で営業終了-11月から大丸として運営”. なんば経済新聞 (2019年8月23日). 2019年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月23日閲覧。
- ^ a b ミレニアムリテイリンググループ 組織再編と主要人事についてお知らせします。(6月1日付) ミレニアムリテイリング、2005年5月31日
- ^ 『朝日新聞』2006年9月13日付、大阪市内 朝刊、24頁
- ^ 『朝日新聞』2007年8月7日付、経済 朝刊、11頁
- ^ 『朝日新聞』2005年10月5日付、朝刊 経済面、13頁
- ^ 2006年9月2日付、経済面 朝刊、13頁
- ^ a b c そごう心斎橋本店の営業終了について そごう・西武、2009年1月26日
- ^ 2008年2月期決算補足資料 p.13、セブン&アイ・ホールディングス
- ^ 『朝日新聞』2009年9月3日、朝刊、24頁
- ^ そごう創業者像、引っ越し3都物語 業界再編で今は… 朝日新聞、2018年1月18日付、2021年8月24日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2007年11月2日付、大阪市内1 地方面、29頁
- ^ “大阪で9年ぶりパルコ復活 ミナミの新たな目玉に”. 共同通信 (2020年11月20日). 2020年11月21日閲覧。
- ^ 株式会社そごう・西武のそごう神戸店及び西武高槻店に関する事業の譲渡についての基本合意書締結のお知らせ セブン&アイ・ホールディングス、2017年5月11日
- ^ 西武大津・そごう西神 閉店へ 街づくりへの影響懸念 日本経済新聞、2019年10月10日付、2021年5月9日閲覧。
- ^ 西武大津店閉店 創業者の出身地で44年、最終日は2万5000人来店 びわ湖大津経済新聞、2020年9月21日
- ^ 商事事業部|株式会社そごう・西武
- ^ a b c 『株式会社そごう小史 創業百五拾年』そごう、1979年12月。
- ^ a b c d e 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 39-41
- ^ “開店奉仕品へカサの波”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (1957年5月25日)
- ^ 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 45
- ^ “西神そごう「パントリー21」百貨店に初登場。高品質総合食品売場。ラッキーが出店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年7月24日)
- ^ 『17年度下期 組織人事について』(プレスリリース)そごう・西武、2017年8月17日 。2017年8月21日閲覧。
- ^ 「そごう賠償査定裁判 「企業担保論」大家のプライド「わたしも法律家」ワンマン水島前会長 あくまで反論 捜査当局 時効にらみ立件目指す(写真付き)」神戸新聞朝刊、p.31 朝一社 2000年11月3日付(全1,497字)
関連項目
編集外部リンク
編集- 新生「そごう心斎橋本店」は、2005年9月7日(水)オープンいたします。(2005年5月31日プレスリリース)
- そごう心斎橋本店の営業終了について(2009年2月26日プレスリリース)
- 大丸大阪・心斎橋店「北館」11月14日(土)オープン フロア概要等について[リンク切れ](2009年9月10日プレスリリース)