Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/振武寮 20170411
選考終了日時:2017年4月25日 (火) 00:07 (UTC)
- (自動推薦)2017年3月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot(会話) 2017年4月11日 (火) 00:07 (UTC)
- 賛成 帰還した特攻隊員らを集めたという特異な施設について、設立の背景、運用、終戦後のことまで一定の説明がなされていると考えます。--Mogumin(会話) 2017年4月14日 (金) 13:05 (UTC)
- 賛成 本来は、軍隊という組織は役所なので、きちんとした文書に基づいて部隊や施設が設置・管理されるのですけど、こういう混乱期に現場レベルでやっている施設になると、あやふやなことが多いのはやむを得ないところで、諸説ある点についてはきちんと複数の説を列挙して書けており、十分な内容になっているものと思います。--Tam0031(会話) 2017年4月14日 (金) 14:01 (UTC)
- 賛成 本記事を読んで初めて知った事項ですが、内容は時系列で読みやすく良くまとまっていると思います。公式記録がないのは、例によって「なかったこと」にしたい人たちが戦後、書類を焼却してしまったのかと思いましたが、そうではなく、最初から現場レベルの、悪く言えば「やっつけ仕事」の結果であって、きちんと計画されていた仕事ではなかったということですね。
- 倉澤清忠少佐の証言は、確かに矛盾が多く信用できない感じですが、上層部が公式な方針や命令をきちんと出していないのに、次々と押し寄せる現場レベルの課題への対処を押し付けられてしまった中間管理職の苦悩と混乱のようなものも感じられます。倉澤が、深酒や朝酒で泥酔した状態で寮の朝食に現れては隊員を罵倒したことなども、軍規を考えればとんでもない話ですが、倉澤としては酒でも飲まなければやっていられない、という気分だったのかもしれません。その他戦後の行動も合わせて倉澤のエピソードを読むと、彼に対してはむしろ、現在のサラリーマンにも通じる中間管理職の悲哀を感じます。倉澤少佐に同情する気はないけど、上層部の無策の犠牲になって悪役にさせられてしまった人、という気もします。
- あとは例によって細かい疑問点をいくつか。
- §2.2. 設立理由・経緯
- 「軍旗粛清上甚だ生暖かい統率の仕方という批判もあるだろうが」
- 「軍規粛正」の間違ではないかと思うのですが、軍隊用語に詳しくないので、変換ミスかどうか判断できません。
- §3.3 娯楽
- 「内本支店長が、第6航空軍に同社女子社員と振武寮収容隊員とのお茶会を申し出た」
- 少なくとも民間人には振武寮が帰還特攻隊員の収容所とは知らなかったはずだし、支店長は振武寮にいる軍人達をどのような人たちだと認識していたのでしょうか。そもそもこの時代に一民間人が、軍人と若い女性達が直接歓談するようなお茶会を企画・提案すること自体が異様なことに思えますが、そういう企画は結構普通にあちこちであったことなのでしょうか。
- 「倉澤は、この事件後、特別操縦見習士官にあまり干渉しなくなったという。」
- これは、振武寮に収容されていた隊員全員が特別操縦見習士官だったということでしょうか。そうでないとすれば、「振武寮収容隊員」と書かず「特別操縦見習士官」と書かれているのはどういう意味でしょうか。文面通り「特別操縦見習士官」身分だった隊員にのみ干渉しなくなった、ということでしょうか。また、こう書いているということは、倉澤を殴り倒した中野友次郎少尉は特別操縦見習士官だったということでしょうか。
賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Karasunoko(会話) 2017年4月17日 (月) 10:10 (UTC)