Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/アッシジのフランチェスコ 20121111
選考終了日時:2012年11月24日 (土) 16:15 (UTC)
- (自動推薦)2012年10月の月間強化記事賞受賞記事。--Pastern(会話) 2012年11月10日 (土) 16:15 (UTC)
- 賛成 読みました。
- 呼称について、「多い」というのは感覚的なものなのか、何らかの調査をもとに導き出された結論なのか明確にしておいた方が良いと思います。特に前者であれば「場合もある」のような、多寡を明示しない表現にしておいたほうが無難かもしれません。
- 「回心、俗世との別れ」節については文章表現を見直してください。年譜で「幻を見る」としている内容があたかも事実であったかのように記述されていることに違和感を覚えました。
- 「出典」と「参考文献」の違いが良くわからない。「記事を作成する上で実際に参照した文献」を出典としているのであれば、脚注にある文献は「出典」節に記述すべきではないでしょうか(『アッシジの聖フランシスコ』)。また、脚注の『アッシジの聖フランシスコ』は参考文献節に同名のものが2冊あるため、どちらを指しているか記述しておいた方が良いと思います。
- 全体的な構成・内容についての大きな問題は無いと思いますので良質な記事への選出に賛成します。指摘部分については一度見直して修正可否についてご検討ください。--ayasesaya(会話) 2012年11月16日 (金) 20:20 (UTC)
- コメント1.と2.については訂正しておきました(→差分)。
- 3.については、実は私の加筆以前からあった注記であり、私自身もどの著作を出典にしているかわからなくて扱いに困り、そのままにしておいたものです。本来的には同名の文献に実際にあたり確認するのがよいと思いますが、仮にこれを脚注から外しても、他の参照文献が示されており、「出典を明記する」の方針には違背していないようですから、いったん脚注から外すこととします。確認しだい、出典を特定できるような表記に改めて復帰させようと思います。御精読・御指摘ありがとうございました。--Greenland4(会話) 2012年11月16日 (金) 21:07 (UTC)
- (コメント)記事の体裁や、文章などは大変素晴らしいと思います。ただ、出典資料についてコメントさせて頂きます。これはAyasesaayaさんが指摘する
- 年譜で「幻を見る」としている内容があたかも事実であったかのように記述されていることに違和感を覚えました
- にも関連する話だと思うのですが、出典資料に問題を抱えているように思えるのです。アッシジのフランチェスコは中世のカトリックの聖人なので、いわゆる「聖人伝」がゴマンとありますし、そういう聖人伝には「神の声を聞いた」「天使が現れて光線がフランチェスコの身体に聖痕を刻んだ」「単身イスラム軍に乗り込んでスルタンに改宗を迫った」みたいな話にあふれています。19世紀末からプロテスタントの側からフランチェスコ再評価の声が上がって、迷信めいた記述を取り除いた伝記も多く書かれるようになりましたが、それでも聖痕伝説などは外せず、現在の記事の本文にも
- 長い断食と徹夜の祈りのあとの1224年9月14日早暁、フランチェスコは空から6枚の翼をもった天使が十字架像を抱いて高速で舞い降りてくるのを見たと感じた。その直後、十字架にかけられたイエスの姿が翼の後方に現れ、天使の2枚の翼は頭上に立ち、その他の2枚は空を舞うごとく広げられ、のこりの2枚はフランチェスコの身体を覆っていたと感じた。その瞬間、フランチェスコは不思議の感に打たれ、やがて苦悩のまじった恍惚の境地に達して、その姿が見えなくなっても巨大な感動の渦のなかにあったが、ふと我に返ると、両手両足と脇腹の5カ所という十字架上のイエスの傷と同じ場所に、同じような形状の傷を受けていた。
- とあるような、書かれ方が続けられているのが現状です。でも、この微に入り細に入った描写のほとんどは、死後の伝記作者の創作であることが資料によって裏付けられています。根拠になっている、弟子の一人が書き付けた短いメモには、ここまで書かれていません。こうした資料の問題点については、時間があれば当該記事のノートの方に書いておくことにしますが、フランチェスコの生涯については文献批判の手続きを経た研究書なり伝記も参照するべきですし、「聖人伝的記述」も注意深く取り除くべきだと考えます。--おーた(会話) 2012年11月17日 (土) 03:04 (UTC)2012年11月17日 (土) 03:04 (UTC)
- (付記)「聖人伝的記述は取り除く」というよりも、「そのような聖人伝説があることが分かるように書く」とすべきでした。訂正します。--おーた(会話) 2012年11月18日 (日) 02:55 (UTC)
- 賛成 「出典」の節と「参考文献」の節が並立していることにやや戸惑いを覚えます。脚注で個別に出典を明記した資料が「出典」節に並べてあるように見えますが、この区別はあまり意味が無いように思います。ただ、文章は非常にわかりやすく、どのような人物であるか、どのような影響を残したかを理解しやすいです。おーたさんの仰るような、後世付け加えられた聖人伝的記述の問題はあるかと思いますが、とりあえず良質な記事としてはこの段階でよいように思います。聖人伝的記述については単に取り除くだけではなく、このように後世の聖人伝では取り上げられたが、当時の記録にはない、のように後世の記述であることがわかるように改めていく方向が良いと考えます。後世そのように受容された、ということも彼に関する重要な情報だと思うからです。--Tam0031(会話) 2012年11月17日 (土) 04:32 (UTC)
- コメント 実証的に検証可能な部分と聖者伝的な記述とが同じような調子で書かれているのは私も気になりました。内容から伝説・伝承の類だとわかりはするのですが、記述の上でもう少し書き分けたほうがいいのではないかと思います。それぞれの記述がもともとはどういった資料や伝記に基づいていて、それぞれの資料がどういった性格を持ったものか、といったことを簡潔に説明しておくというふうに、原資料かそれに近いものに触れながら記述するという形にしていくとそのあたりの問題は解消できるのではないでしょうか。聖人の記事ですので、私もよく知られている伝説・伝承のくだりは排除するのではなく、はっきりそれとわかるようにして残すのがよいと思います。
あと、内部リンクが少々過剰ではないかと思いました。財布や宴会のような記事を閲覧してもこの主題についての理解が深まるわけではないので、こうした単なる日常的な語にはリンクしないほうがよいと思います(Wikipedia:内容に関連するリンクだけを作成)。
文章の質や出典の明記、記事構成などについては問題なく、良質な記事のレベルに達していると思いますが、歴史分野の素養がなく判断に迷うところもあるのでさしあたり賛否は控えます。--頭痛(会話) 2012年11月17日 (土) 06:06 (UTC)- コメント私の加筆が物議をかもしているようで申し訳なく思います。改めて評伝記事の難しさを感じた次第です。ところで、「実証的に検証可能な部分と聖者伝的な記述とが同じような調子で書かれている」という御指摘ですが、フランチェスコ自身は著作をのこしておらず、フランチェスコの生前から既に彼の聖人化は進行していますから、「実証的に検証可能な」部分と「聖者伝的な」部分とを切り分けることは必ずしも容易ではないと考えます。そういう意味で「ジャンヌ・ダルクや聖徳太子について予備知識の全くない人に一から説明する」のと同じケースではないかと思います。そう考えれば「ジャンヌが神の声を聴いたというけれども本当か」というのは、いささか身も蓋もない話に属するわけで、そこの真偽を明らかにすることは決して百科事典の目的ではないと思います。また、一般の日本の読者の関心ということで言うならば、「スティグマについて詳しく知りたい」だったり、「小鳥に説教するという有名な話はいつ頃の話なのか」だったりするわけで、そういうところは基本的な情報としてちゃんと提示する必要があるのではないかというふうにも考えます。もっと言うならば、聖人の聖人たる所以をきちんと説明しないと、この記事は成功しないと思います。個人的には、「実証的に検証可能な」部分(おそらくはリアル・ファクトの部分)と「聖者伝的な」(レジェンドの)部分とをきちんと切り分けてから提示することが果たして最善なのかというと、必ずしもそう言い切れないのではないかという気がしてなりません。リアル・ファクトだから重くてレジェンドだから軽いというふうに一概に言えない気がするのです。Tam0031さんおっしゃるように、リアル・ファクトの部分もレジェンドの部分も渾然一体となって、それが一般に流布してきた長い歴史があるのではないかと思います。伝説や信仰を抜きにしても、彼の人生が一種深い感銘をあたえる人生であることは疑いないわけですが、そこは、フランチェスコの伝記は死去の直後から数多述されてきたことを示したうえで、「そうした聖人伝をベースにして彼の人生と事績を略述すると以下の通りである」という一文を添えることで問題は解消するのではないかと思います。もとより、近年活況を呈している社会史的な研究手法を排除するものではなく、それはそれとして提示すべきであると考えます。それによれば従来のフランチェスコ像が改変をせまられているということであるだとすれば、その旨を詳述すべきでしょう。日欧におけるフランチェスコの認知度の格段の違い、あるいは彼我の研究の蓄積の違いというものも考慮しないといけないように思います。ともあれ、ジャック・ルゴフがどのようにフランチェスコを描いているのかについては私もたいへん興味があります。おーたさんの熱意にはたいへん頭が下がります。御指摘ありがとうございました。今後の皆様の加筆におおいに期待します。--Greenland4(会話) 2012年11月19日 (月) 21:53 (UTC)
- コメント 「実証的」という言い方がなにか不味かったかもしれません(歴史の分野ではもっと適切な言い方があるのだと思いますが、思いつけませんでした)。例えば、フランチェスコが何年にどこで生まれ、どこの聖堂の付属学校に入ったとか、フランシスコ会が何年に設立されたか、といったことは、おそらく当時の公的記録などから確認が可能、あるいは少なくともそういった検証の対象となる情報ではないかと思います(執筆者が直接そういったものを確認すべきというようなことではもちろんないのですが)。一方でフランチェスコが聞いた神やイエス・キリストの呼びかけの内容や幻を見たといったものは、そうしたある程度客観性のある資料を通じて確認できる事柄ではないと思います。フランチェスコ自身が著作を残していないということですから、これらはおそらく弟子や同時代人が書きとめたものとか、後世にまとめられた伝記などによるものだと思いますが、こうした情報は資料間に齟齬があったり、後世の創作が混じったりする可能性が、前述の出生年などのような情報に比べれば高くなるものと思われます。なのでそれぞれの記述がもともとはどのような資料に寄っているのか、といったことが提示できればそういった記述の情報としての確かさ(事実かどうか、ではなく)をその都度読者に提示することができるのではないかと思うのです。実証と伝承とが渾然となって伝えられたといっても、情報の性質としてはやはり両者には違いがあると思いますので、これらがどちらも同じような調子で記述されていると一般読者の側も不安を感じると思います。実証的な情報を伝承的な情報より重視すべき、ということではないです。--頭痛(会話) 2012年11月20日 (火) 17:24 (UTC)
- コメント12世紀から13世紀にかけてという時代に「公的記録」があるのか(あるいは、「公的記録」が当てになるのか)というと、はなはだ疑問です。現代的な意味での「公的記録」は存在しないのではないでしょうか。自分としては、なるべく<自分の加筆以前の状態>に手を入れないような加筆態度を心がけてきました。生年月日に関しては、「1182年7月5日」というふうに月日まで明示されていたことに私自身も多少違和感を感じたのですが、そう書かれている以上削除すべきではないというふうに(少なくとも加筆時には)考えていました。削除するのではなく、出典をつけることが適切だと考えたからです。「参考文献」節や「聖フランシスコの平和の祈り」の節に関しても同様です。脚注化されておらず、本文に反映していない「参考文献」なら削除しても構わないという考えもありましょうが、あえてそのままにしておきました。頭痛さんおっしゃるように、「それぞれの記述がもともとはどのような資料に寄っているのか」ということができれば、確かに一番よいのでしょうが、自分は外国語もできませんし、数ある伝記のすべてにあたる時間的余裕もありません。そして、それぞれの記述の原典を逐一掲げながら評伝を書くというのも、何だか無闇に可読性を損なうような気がして、あまり賛成できません。自分としては、「伝説のヴェールに包まれながらもひとつながりの話として言い伝えられてきた伝記」なるものを提示したうえで、「伝説のヴェールをはぎ取って真実のフランチェスコ、人間フランチェスコに迫る研究」は別項で扱う、というような方式を支持します。書き方として、逐一、脚注化していく手法には、賛成です。--Greenland4(会話) 2012年11月22日 (木) 22:51 (UTC)
- コメント 「実証的」という言い方がなにか不味かったかもしれません(歴史の分野ではもっと適切な言い方があるのだと思いますが、思いつけませんでした)。例えば、フランチェスコが何年にどこで生まれ、どこの聖堂の付属学校に入ったとか、フランシスコ会が何年に設立されたか、といったことは、おそらく当時の公的記録などから確認が可能、あるいは少なくともそういった検証の対象となる情報ではないかと思います(執筆者が直接そういったものを確認すべきというようなことではもちろんないのですが)。一方でフランチェスコが聞いた神やイエス・キリストの呼びかけの内容や幻を見たといったものは、そうしたある程度客観性のある資料を通じて確認できる事柄ではないと思います。フランチェスコ自身が著作を残していないということですから、これらはおそらく弟子や同時代人が書きとめたものとか、後世にまとめられた伝記などによるものだと思いますが、こうした情報は資料間に齟齬があったり、後世の創作が混じったりする可能性が、前述の出生年などのような情報に比べれば高くなるものと思われます。なのでそれぞれの記述がもともとはどのような資料に寄っているのか、といったことが提示できればそういった記述の情報としての確かさ(事実かどうか、ではなく)をその都度読者に提示することができるのではないかと思うのです。実証と伝承とが渾然となって伝えられたといっても、情報の性質としてはやはり両者には違いがあると思いますので、これらがどちらも同じような調子で記述されていると一般読者の側も不安を感じると思います。実証的な情報を伝承的な情報より重視すべき、ということではないです。--頭痛(会話) 2012年11月20日 (火) 17:24 (UTC)
- コメント私の加筆が物議をかもしているようで申し訳なく思います。改めて評伝記事の難しさを感じた次第です。ところで、「実証的に検証可能な部分と聖者伝的な記述とが同じような調子で書かれている」という御指摘ですが、フランチェスコ自身は著作をのこしておらず、フランチェスコの生前から既に彼の聖人化は進行していますから、「実証的に検証可能な」部分と「聖者伝的な」部分とを切り分けることは必ずしも容易ではないと考えます。そういう意味で「ジャンヌ・ダルクや聖徳太子について予備知識の全くない人に一から説明する」のと同じケースではないかと思います。そう考えれば「ジャンヌが神の声を聴いたというけれども本当か」というのは、いささか身も蓋もない話に属するわけで、そこの真偽を明らかにすることは決して百科事典の目的ではないと思います。また、一般の日本の読者の関心ということで言うならば、「スティグマについて詳しく知りたい」だったり、「小鳥に説教するという有名な話はいつ頃の話なのか」だったりするわけで、そういうところは基本的な情報としてちゃんと提示する必要があるのではないかというふうにも考えます。もっと言うならば、聖人の聖人たる所以をきちんと説明しないと、この記事は成功しないと思います。個人的には、「実証的に検証可能な」部分(おそらくはリアル・ファクトの部分)と「聖者伝的な」(レジェンドの)部分とをきちんと切り分けてから提示することが果たして最善なのかというと、必ずしもそう言い切れないのではないかという気がしてなりません。リアル・ファクトだから重くてレジェンドだから軽いというふうに一概に言えない気がするのです。Tam0031さんおっしゃるように、リアル・ファクトの部分もレジェンドの部分も渾然一体となって、それが一般に流布してきた長い歴史があるのではないかと思います。伝説や信仰を抜きにしても、彼の人生が一種深い感銘をあたえる人生であることは疑いないわけですが、そこは、フランチェスコの伝記は死去の直後から数多述されてきたことを示したうえで、「そうした聖人伝をベースにして彼の人生と事績を略述すると以下の通りである」という一文を添えることで問題は解消するのではないかと思います。もとより、近年活況を呈している社会史的な研究手法を排除するものではなく、それはそれとして提示すべきであると考えます。それによれば従来のフランチェスコ像が改変をせまられているということであるだとすれば、その旨を詳述すべきでしょう。日欧におけるフランチェスコの認知度の格段の違い、あるいは彼我の研究の蓄積の違いというものも考慮しないといけないように思います。ともあれ、ジャック・ルゴフがどのようにフランチェスコを描いているのかについては私もたいへん興味があります。おーたさんの熱意にはたいへん頭が下がります。御指摘ありがとうございました。今後の皆様の加筆におおいに期待します。--Greenland4(会話) 2012年11月19日 (月) 21:53 (UTC)
選考終了時点で賛成2票のため、今回は見送りとなります。--Tam0031(会話) 2012年11月24日 (土) 16:44 (UTC)