Wikipedia:井戸端/subj/管理者は一斉に解任すべき

衆議院選挙のように、管理者は一斉に解任すべき

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管理者は一定の期間置きに一斉解任して、最初から採り直した方が良いと思います。

管理者の独裁的行動は様々なサイトで問題視されていますが、最近、特にその傾向が著しく現れていますよね。

そういった外部で問題視されても、反省をするどころか、叩いてるサイト側の方を荒らし扱いして済ませ、自らの行動を全く省みない管理者。

一度決めた削除・白紙保護化の処置は、どんなに正論を唱えようとも、異議には絶対屈せず絶対に過ちを認めようとしない管理者。

敢えてここではその名前は出しませんが、そういった善意の独裁者がウィキペディアの管理者陣には多すぎると思います(少なくとも現状の日本語版では)。

しかし、管理者が悪いとは言いません。私だって、管理者になれれば独裁的な行動に走らないという自信は全くございません。ウィキペディアの管理者は、一度管理者になれば、解任審議があがってもよほどのことがないと解任されませんよね。そういったコミュニティの性質が、管理者になることで独裁的な行動を可能にしてしまうのではないでしょうか。

これを解消するために、例えば衆議院のように、様々な民衆の意見を採りやすくすべく、1年置きくらいに一斉解任するというのはど

うでしょうか?ご意見お待ちします--学級王山崎 2007年6月14日 (木) 15:21 (UTC)[返信]

暴論ですね。管理者が一斉に任期が切れて再選挙と言う場合には、全ての削除依頼や保護依頼、荒らし対処などがストップすることになり無法地帯になってしまいます。そもそも管理者に権限を与えるべきビューロクラットまで辞任して誰が管理者の就任手続きを取るのでしょう!問題とすべき管理者がいる場合は管理者の解任手続きを取ることもできますが、くれぐれも先日行なわれた解任投票のように誰一人賛同を得ることができなかったようなものでなく、審議するに値するものを提出することをお願いします。--Tiyoringo 2007年6月14日 (木) 15:26 (UTC)[返信]
ただでさえ管理者が不足していると言う状況下で一斉解任でもすれば大変ですよ。それに衆議院て言いますけどあれは衆院解散中に参議院が機能するから解散と言うシステムが成り立つわけであり、解散すれば法議論が機能しなくなるわけではありません。どうしても一斉解任をやりたければ代替的な方針を考える必要があります。臨時管理者・・・と言う流れを思いつくかもしれませんが、臨時管理者の大量採用を行っても作業に慣れない人間は通常の管理者よりももっと不適切な判断を下すかもしれない。また、アクティブな管理者についてはいきなり解任するといろいろ不都合が出るケースもあると思いますよ。解任云々を話し合うのはいいけど、残念ながら円滑な運用を妨げるような提案は誰も呑めません。悪い提案とまでは言いません(かと言っていい提案だとも言いません)がもっと配慮が欲しいな・・・。--IRUMA [ 会話 履歴 ] 2007年6月14日 (木) 15:41 (UTC)[返信]
このような意見が管理者を暴君たらしめるのだろうな、と感じました。やめさせることではたぶん何も変わらないでしょう。 Kzhr 2007年6月14日 (木) 15:47 (UTC)[返信]
今の管理者不足状況では不可能だと思いますし、この場で反対しておきます。管理者行為の一部には、人によっては不適切と思われる行為は存在します。まず、そのような行為があったときは管理者に直接問い合わせ、それで解決しなければ、コメント依頼を提出すべきです。そこでどのような行為が問題であったのかを考え、そして解任すべきほどの問題であったのなら、管理者の解任を提出すべきと考えます。
さらに、今の学級王山崎さんの意見では、一斉解任のメリットが私にはよくわかりません。任期制にするというならまだしも、なぜ「一斉」にしなくてはならないとおっしゃるのか、その意見ではわかりません。-- 2007年6月14日 (木) 15:51 (UTC)[返信]
考え方としては理解しますし、そういうサービス設計(サービスの管理体制設計と言うべきか)は、アリだと思います。ぼくは、考え方としては暴論だとは思いません。ただ、その方法をどのようにしてWikipediaに導入するか、過渡的な時期にどういう問題が想定できそれをどう解決していくかという具体的な部分が欠落しているため、今回の提案には、あんまり意味があると思いませんでした。
それから、衆議院選挙を例に出してくるのは、失当ではないかと思います。それが可能なのは、日本国には「行政システム」があり、行政サービスの提供には国会議員なんか必要ないということを見落としているように思います。管理者は、比喩的に言うなら議員ではなく官僚なんですよ。基本的に管理者には判断をゆだねない、というWikipediaの思想からも、管理者は行政官僚であるという性格が明らかにされているように思います。そして、官僚の一斉罷免システムというものは、世界中のどこを見ても、存在しません。
ついでですが。
おれもまあ現状の管理システムが最善のものだとは全然思いませんし、正直あまり日本的風土に馴染むものだとも思いません。しかしながらそれはとにかく。「一度決めた削除・白紙保護化の処置は、どんなに正論を唱えようとも、異議には絶対屈せず絶対に過ちを認めようとしない管理者」というあたりには、強い疑問を感じます。いちいち覚えていませんが、管理者裁定なんかは正論を述べればそれなりにひっくり返すことは可能な程度のものにすぎませんし、間違ったことをやった管理者に謝罪させることやしばらく黙らせることくらいむずかしいこっちゃありません。あなたが思う「自分の正論」が、あなたが思うほどには説得力のある正しいものではない可能性というものも、考えてみた方がいいんじゃないかという気がします。
いかがなもんでしょうか。--Nekosuki600 2007年6月14日 (木) 15:55 (UTC)[返信]
(コメント)衆議院を持ち出すということは、解散をイメージしてなのかもしれませんが、同じシステムを作るとすれば、一斉解任権者を決めなければなりませんので、今からの制度の設計としては、結構大変そうです。恐らく、ちょっと見方を変えれば解任権者独裁になります。解任権者を決めないとすれば、任期制などの話になるので、それですと、衆議院は関係なくなってきますね。--磯多申紋 2007年6月14日 (木) 16:09 (UTC)[返信]
『外部で問題視されても、反省をするどころか~』とありますが。他所は他所。ウチはウチです。記事内容ではなくコミュニティ体制に異論があるならば、それはコミュニティに参加し、実りある活動で人成りを示し、そしてコミュニティ内で意を唱えるべきものです。学級王山崎さんがされたように、コミュニティ内で新しい方法をより良いと信じて提起していただけるのは問題ないのですが、その理由が『他所でイロイロ言われてるような酷い人達は解散されるべきだ』という意見は悲しいものがあります。
ところで一斉解任は問題ですが、任期制でもありませんが『再任制』なら考えた事があります。もっとも日本国内の国民審査すらマトモじゃないといわれる世の中で、再任制がどれだけ機能するのかもワカリマセンが。--秋月 智絵沙 2007年6月14日 (木) 16:19 (UTC)[返信]
ウィクショナリーは1年ごとに信任投票を行う規定になっていて、今のところこの任期制は結構いいんじゃないかという印象を思ってます。ウィキペディアでも3ヶ月編集なしなら自動解任という規定がありますが、もう少し代謝が高い方が良いように思います。個人的にはコモノなのでいつ管理者をやめても良いのですが、やはり現状では管理者は不足していますので、ホントに、猫の手ほどの補助でもあった方がいいだろうと管理者を続けています。
ついでにちょっと思いつきを書いて見ますが、任期を短くすることで管理者信任の敷居を低くくするのもありかと思います。最近管理者立候補のログを見てみると、みなさん結構高いハードルを管理者候補に課している気がします。ちょっと言い方が悪いのですが、管理者作業自体の大半はそんなに高い能力を必要とはしません。データ的に取り返しのつかないミスも基本的にはありません。例えば、半年だけ管理者やります、という立候補のしかたもあるんじゃないかと。また、運転免許の更新みたいなかんじもありかなと思います。最初のうちは更新がはやくて、ゴールドライセンスになると長くなって、事故すると(!)また頻繁になって、と。具体的に考えると結構煩雑な気もしますが管理者の解任規定も結構敷居が高いので、検討の余地は残っていると思いますけども。
「絶対に過ちを認めようとしない」のは管理者であろうとなかろうと責められることですね。ただ、主張を通すためには相応の説得力が必要で、論理の展開ややり方がまずいと正論と認められないのは社会一般に共通することです。とりあえず、今回の主張は、主張が通ったときに起こるであろうデメリットが全く考慮されていないことから、説得力に欠けています。また、外部サイトが具体的に何を指すのかわかりませんが、単なる憶測で書かれた文章はたくさんありますし、鵜呑みにするのは危険です。他にも指摘はできますが、繰り返しますが、主張を通すためには説得力が必要です。電気山羊 2007年6月14日 (木) 16:44 (UTC)[返信]
現在の管理者に不満をお持ちのようですが、それならば学級王山崎さん、あなたも管理者になられたらいかがでしょう。傍から見ているのと実際にやってみるのとでは相当違うと思いますよ。学業や仕事を持ち、妻帯者であれば家庭生活を営むための時間も必要ですけど、それらの時間をやりくりしてメンテナンスに当たることがどれだけ大変かあるいはたいしたことないのか、ご自身で経験してみることだと思います。その上で提案されるのであれば耳を傾けましょう。しかしあなたのいわんとしていることはわからないわけじゃないんだけども、地に足のついた提案とは思えません。ちょっと言葉はキツイかもしれませんがあえて言わせてもらうなら、今のままでは単なるイチャモンとかワガママにすぎないように見えるのです。高い問題意識をもっておられる学級王山崎さんならきっと何かを見つけられると思います。--赤い飛行船 2007年6月14日 (木) 17:12 (UTC)[返信]
他の人には見えない巨悪と勇敢に戦う、俺は好きですよ、そんなドン・キホーテが。--Lipstick 2007年6月14日 (木) 17:13 (UTC)[返信]
週末になると現れて長文の演説を残していくK-OPTICOMユーザはほっといて、と。Wikipedia‐ノート:管理者の解任に書いても詮ないことですので、こちらに書きます。
管理者を解任するのは簡単だとおもうんですよね。信任投票でも解任投票でもいいけど、とにかく一定の選挙権をもった利用者が100人かそこら、管理者の会話ページに「辞めろ」と書き込むようなことがあれば、その管理者は辞任せざるをえないでしょう。現在の利用者数からみれば100人なんて微々たるものですが、そういうことは起こっていないわけです。
逆に言うと、そういうことが起こらずに日々管理業務を実施しているということ自体が、その管理者の業務遂行をコミュニティが認めている、ということになります。別の言いかたをすると、管理者は解任動議を出されるその日まで、日々コミュニティから信任を合意され続けている、とも言えるでしょう。
だからわたしは、再信任投票といったものは特に必要ないとおもいます。また、「現在よりゆるい基準で信任された管理者もいるからみんな一度は解任投票にかけるべきだ」というのも、理に走った考えだとおもいます。解任されたほうがいいような管理者は、別に投票なんかしなくても、自然と解任せざるをえなくなるでしょう (もちろん、はっきりさせるために投票に持ち込むのはありだとおもいますが)。
逆に言うと、解任の見込みもないのに解任動議を提出したりするような方というのは、上で述べたような意味でのコミュニティの合意を覆そうとしていることになります。よくもそんな無謀なことができるもんだとおもいます。たびたび繰り返せば無期限ブロックの対象じゃないでしょうか。 --Hatukanezumi 2007年6月15日 (金) 11:43 (UTC)[返信]

まあ、巨悪でもなんでもなく、単にシステムが未熟なんですね。システムが未熟なんで改善したいと、つめが甘いにしろこうやっていれかわりたちかわり提案する人は皆ドンキホーテじゃないでしょう。基本的にこういう学級委員的役割には、上の電気山羊さんみたいな大人の利用者が駅前の早朝掃除ボランティアのような感覚で地道に行動される一方で、たいしてセルフコントロールもないのに権威みたいなものに憧れて、たちの悪い自警団組織化してしまう利用者グループもいるわけです。だいたいコミュニティの規模が大きくなり、人の出入りも多くなっているのに、運営のそれもアクティブな管理者の多くが村の自警団みたいな感覚でやってしまっている事に起因する利用者の不満は前からずっとあちらこちらでいわれている。かんたんにやめさせられない。こういう文句もしょっちゅう出る空気からも当然ですが、自警団のふるまいを見るにつけ管理者候補になりたいという人も出にくい。「代謝が低い」という電気山羊さんの指摘に完全に同意します。管理者解任制度、再信任制度についてですが、管理者信任というのは75%以上という非常に妥当なラインが設けられており、このライン以上が管理者として信任、これ以下が不信任というシンプルな原則を踏襲すべきであったと思います。「解任」という新たな概念、規定整備にとらわれるあまり、別個に「解任ライン」という新概念をまた発明してしまっており、システムとしてシンプルではありません。また「解任規定」ではなくて「再信任規定」であったならば、既存の管理者の信任規定のリソースをそのまま再利用できたとも思います。要するに、「再信任規定」の整備に当たっては、動議提出部分だけを整備すればよく、あとは既存の信任規定の投票へポインタを示すだけで、まるなげできたということです。この再信任動議の発現サイクルを自動的にするのか、ユーザーがトリガーするのか、というのはまた別の問題で、前者は「任期制」ということになり、後者は「再信任動議提出」ということになります。もちろん「任期制」という自動サイクルがあったとしてもそれプラスユーザベースの動議提出というのも組み込めるし、自動サイクルの仕組つまり「任期制」の性格はとりあえず後からそれだけ付け足すというのも可能です。同時に議論しないといけないことはありません。結局のところ、実際Suisui氏、Tietew氏その他の解任動議事例を通して再確認できましたが、「Wikipediaの管理者は75%以上の支持を得て管理者に就任できる」のに「75%以下の支持しか得ていない利用者が管理者としてい就任している」という明白な矛盾、ダブルスタンダードでも言葉は何でもいいですが、不具合が生じています。この状態を留任とするのはそのプロセスの一時的な状態を示しているにすぎず、本来は「信任」=「留任」であるべきです。実際にこういう矛盾を内包しているからこそ、管理者解任FAQでも非常に納得しにくい複雑なつじつまあわせ的な操作が必要になってしまっているのだと思います。もうそろそろ再信任、任期制度、つまりやめさせたほうがいい管理者はシステム的に担保された循環サイクルにて簡単にお払い箱、だからこそ成りたい人は簡単にお試し期間も提供される、という方向の議論が盛り上がらないかなと思うのですが、なかなかですね。(捕捉)この節の提案者の「一斉解任」というのは現実性にかけていますが、一斉でなく順繰りに再信任投票にまわすっていうのは、実はすでに解任動議規定の試験期間運用中で想定されていたことです。今はなぜかそれが動議乱発という心理的抵抗にあっていますが、これが自動任期再信任投票であったならば、こんなフェイズで価値観や心理、政治的な要素は介入しなかっただろうと思いました。--59.190.169.110 2007年6月15日 (金) 06:00 (UTC)[返信]

とりあえず、現状で自分が辞めさせたい管理者への動議が通りそうにないように見えるからシステムを変えるというのでなければコメント依頼を出していただければ私が動議を出します。作っていたときからそうなのですが、主導権を握りたいからかどうか知りませんがとにかく分散させようという試みはいい加減にしませんか。追うのが大変です。あと任期制は魅力的でも人的コストがかかると何度も何度も何度も書いていますがなぜ毎度毎度そのコストの回避を語ることなく提案される方ばかりなのでしょうか。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2007年6月15日 (金) 08:32 (UTC)[返信]
まず、井戸端というのは、もっとも実状の認知が薄い人たちが書き込む場所であるので、散発的にこのような議題があがるのは不自然でもなく、すべて特定のピンポイントの場所に不特定多数が自発的に議論を集約するというのは難しいし、意図的な分散の試みではないと考えます。いかに広く問題視されているかの発露ではないかと思います。任期制の人的コストの問題とやらですが、はるかに人的リソースで劣るウィクショナリーでは実現されているようです。Tanuki_Zさんの主張として人的コストが大きいというのは、また個人的に追って精査したいと考えますが、現状の解任動議がぽんぽんでて、動議賛成票が出る程度の人的リソースや需要からなるエネルギーがあればたいした問題ではないと思います。(追記)任期制、つまりこの場合一斉でなく、時期をずらしてそれぞれの管理者が一定のサイクルで自動的に再信任投票を新規信任投票とまったく同じ基準で行うっていうメリットは、それが機械的なことですね。別に動議による再信任投票でもかまわないけれども、自動化された自動動議成立ならば、そこに一切の政治的要素が含まれない。今までの実際の解任動議をみていると、誰が動議を出しただの、動機が不純だの、その管理者の適正をチェックするという本来の目的よりも、チェックするためのプロセスの疑問により解任反対するだとか、しいては動議提出者が信用できないとか、そんな事信任チェックとは関係なく切り離すべきだろうという事まで心理的に左右されており、どうしようもないなというのが感想です。この節でつめが甘いながらも「解散」という政治的概念を提案されたのは、システム的に全員の管理者へむけて、誰のどういう意図でもない機械的な信任チェックを一様にやりたいということなのでしょう。そんなに動議の出しかたが微妙で問題で結果を左右するならば、自動サイクルでまわせば、無意味な心理的抵抗も政治要素も介入しないだろうと思うわけです。--60.56.47.89 2007年6月15日 (金) 09:44 (UTC)[返信]
学級王山崎さんの提案というか、この度の抗議声明みたいなのは、学級王山崎さんの履歴から管理者NiKeさんに削除のことで強い抗議したが、それだけではおさまらず、そのことをみんなに知ってもらいたかったということよのようですね。50人以上のjawp管理者全員に抗議しているのではなくて、ある管理者の行為に対して大きな声で、井戸端のような広場で多くの人に、jawpのみんなに聞いてもらいたかったということでしょうか。そのことについては、私も同じです。学級王山崎さんのこの度の行動には、私も共感し、応援するものです。今後も不条理なことに気がつけば(いっぱいあると思いますが)抗議と共に、多くの人に聞いてもらいましょう。そして、不条理なことを改善してもらいましょう。楽しいウィキペディアライフを過ごせるために。
別な話になりますがついでで申し訳ないのですが。管理者Tanuki Zさんは、Wikipedia‐ノート:管理者の解任#動議フェイズに関してで「大半の管理者が再信任を受けていないことについては一段落したら動かそうかなと思ってはいます。」といっているのですが、「一段落」とはどのようなことを指すのか知りませんが、近いうちにwikipedia:管理者の解任に則って、50人超のjawp管理者全員の「コミュニティの信任」を確認するということですか。--Godaigo 2007年6月15日 (金) 11:51 (UTC)[返信]
まず任期制のコストについて。ここであまり詳しくやるつもりはありませんので軽く。ウィクショナリの現状を私はよく知りませんが、日本語版の管理者の数は4人のようです。対してウィキペディア日本語版では現状大雑把に10倍強になります。これは単純に「1人の参加者」が適性を判断すべき数が10倍になるということです。これでは形式化しませんかというのが一つ目です。もう一つは何人いてもどうせ実際に負担するのはその一部なわけで、かつその一部は他の業務も負担しています。まぁそのことが問題だと言えばそれまでですが、それが二つ目になります。これ以上はまた別の場所で。あと任期制のメリットは挙げられている点は全部承知しています。ただ、現行規定はおっしゃるような「政治的要素」を愚か者が損をする仕組みとして意図的に組み込んでいますのでご批判の一部は的外れかと。なお、現行規定でも全員を対象に任期制的運用は可能です。「なぜか」まだだれもしませんが。
管理者の行動について不条理を感じた場合、Godaigoさんのおっしゃる通りその不満を何らかの形にするべきと私も思います。通常はその管理者の会話ページ→コメント依頼となりますがその最終目的地となることも規定の狙いですし。
一段落したらの件はその通りで、疑似任期制的に運用する予定です。テスト時にやりたかったことを自分の時間ができたからやるというだけのことですけど。「一段落」というのは、現在規定のあり方そのものについて色々と提議を受けている状態ですので、少なくともこの議論に参加している人間がそれを無視して動議を出していくことは問題があると思いますので、それが落ち着いたらということを意味します。まぁこういうことはすべて「私の」予定以上のものではありませんが。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2007年6月15日 (金) 13:35 (UTC)[返信]
現行規定において意図的に「政治的要素」を組み込んでいる、現行規定でも任期制的運用が可能、という2点について確認したいと思います。わたしが今までの解任動議の実運用を観察している限り、以上はまったく機能していません。これは、当該ノートでの見直し議論をみても明らかであろうと思います。Tanuki_Zさんの主張「私の理想は成立することは少なかろうと頻繁に解任動議が出される状況です。成立させるためには感情論だけを振りかざすのでなくそれなりに頭を使ってうまく立ち回ることを求めるものです。愚か者には不利になり理性的に動くものには有利になるシステムです。現状一部の人間の「不満」が論点化することは稀です。その「不満」ほとんどは不当なものですが、彼らの間でだけ正当視されて蓄積していくだけです。硬直した対立図式を避けるためにも一つ一つ解決していくべきです。これは本来はコメント依頼の仕事ですが機能していません。」を拝読しましたが、こういう「解任動議を成功裏にするためにはうまくたちまわなければならない」 という理想の妥当性がまったくみいだせません。このような意図的な「政治的要素」の組込みは「失敗」であり、それこそが、正式運用後の問題視やら廃案の提案につながっているんじゃないかと思っていますがいかがでしょうか。管理者全員対象にシステマチックに信任チェックをする、これ以上でも以下でもない事であるのに、わざわざ問題を動議提出フェイズで理性だの愚かものだの余分な要素を組み込む意味はなんでしょうか?また、解任規定以前でも、管理者を解任することは3ヶ月ブロックを通すことで可能でしたが、一度も機能しなかった、同様の論理で、現状規定は改善すべきかもしれないが、うまくやれば目指している任期性的運用は実現できるという論理はなかなか受け入れがたいものがあります。自分がみるかぎり、こういう指摘されないとわからないようなウルトラC的方針の運用は、過分にまた政治的意図を問われることになり、位置付けを周知させるためのコストが大きすぎて無理があると思います。なお、まとめページやコメント依頼の義務化ですが、再信任チェックサイクルは、個々の管理者の就任日時から簡単にそのタイムスケジュールがまとめられることでしょう。解任動議とリンクさせないまでも、問題視する利用者は事前にそのスケジュールに同期させるようにコメント依頼することができるはずです。これはつまり、(コメント依頼>根回し、うまく立ち回る>解任動議成立>賛成してもらいやすいようにする)という現在の形態でなく、(スケジュールを見極めてコメント依頼(問題のない管理者のケースであれば誰もそんなことはしない)>スケジュールどおりの再信任投票)となる、ということです。--58.70.60.109 2007年6月16日 (土) 09:59 (UTC)[返信]


一斉解任→再選出というのは現実的でないと思うので賛成しませんが、「管理者が支持されている」ということを目に見えるようにするために、一定期間毎の信任投票はあった方がいいでしょう。多分全ての管理者が信任されると思いますが、コミュニティの合意というはたから確認しにくいものを表現する形式を用意することも大事なことかと。解任動議とはまた別の話。Fuji 3 2007年6月16日 (土) 02:37 (UTC)[返信]

とりあえず、学級王山崎さんの意見は建設的でないため賛成できませんが、再信任投票的なものを設けるのには賛成です。人間の難しいところなのですが、人には「権力を持つととたんにだめになるタイプ」が存在します(本来的に管理者の権限は、権力でないということは、ここでは置きますが)。(ちょっと例が大きいですが)中国の皇帝のなかには、皇帝になる前は明るかったはずなのに、皇帝になったとたん暗くなった人が数います。また、もうひとつ、権力を持つまではすばらしい人を装っている、というタイプも存在します。後者の典型例が、中国史上最大の暴君とされる煬帝ですね。再信任は、この2つのタイプを取り除く機構が必要かと。この2種は、取り除く必要があると考えます。
ただ、どういった形にするかが問題で、すくなくともTanuki Zさんの方法がよいかといわれれば、あまりよくないのではないかと思います。解任はあくまで「もはや管理者として放置しておけない人を排除する」ための解任動議をする場であるべきではないでしょうか?つまり、解任はあくまで煬帝みたいな人を管理者から「排除」する場所であるべきです。つまりそれ以外の「あまり管理者としては適任ではなかった」というような感じの人をふるいにかける場所が、いると思います。
方法としては、「管理者の再信任」規定みたいなものを作って、3ヶ月に1回、もっとも再信任(あるいは信任)から時間のたっている管理者5人が、再信任に自動的にかけられるみたいな感じです(この数値だと、現行の管理者人数55人では一回りするのに11回かかります。つまり33ヶ月で、ちょっと長いかなと思います。まあ、数値はあんまり重要ではないので、無視してください)。一斉解任は、無法状態になるのでまったく現実ではなく、参議院みたいに半数ずつも、その労力からかなりの負担があるとなれば、こういった形で、短いスパンで小出しにしていくのが、よいかなと考えます。もし、こういったのを作るのに賛成の人が多いなら、年末施行を目指して作り始めてもいいのではないでしょうか?--koon1600 2007年6月16日 (土) 13:56 (UTC)おかしなところを修正--koon1600 2007年6月16日 (土) 14:01 (UTC)[返信]
あと一言。
信任投票にせよ解任投票にせよ、「その管理者を辞めさせるかどうか」ということが争点になっているようにおもいます。そうではなく、(定期か不定期かはともかく)「その管理者がなにを為したか」を評価するような仕組みをつくることは、考えてもいいのではないでしょうか。いまの流れだと、管理者はプラスマイナスゼロ評価から始まって、あとは減点法でしか採点されない仕組みになっているようにおもいます。そうである間は、管理者信任投票では厳しめの基準が採用されやすいだろうし、個人的にもそうならざるをえないとおもっている。
蛇足。ときどき出るArbComの話ですが、こういう現状で立ち上げても、うまく働かないだろうとおもう。おそらく「お上に裁いてもらう」という認識が大勢を占めるだろうし、そうなると今度は「弾劾制度を作れ」とかいう話になって、元の黙阿弥ではないかと。 --Hatukanezumi 2007年6月16日 (土) 17:54 (UTC)[返信]
んー・・・減点だけというのは、ちょっと違うような。すくなくとも私は「ああ、よくやっているな」と思っている管理者の方はいますし、「ちょっとやりすぎな感もあるが、まあいたほうがよい」という人もいます。もちろん「ちょっと管理者やめたほうがいいのでは?」という人も(名前は挙げませんが)います。まあ、見ている人は見ているという話なのですが、本来的な管理者業務ってこういうものなのではないかと。たしかに減点は見つけるの簡単なのです。大きなポカとか総スカン食らったとか。しかし、加点面も、しっかりあると思います。
正直、現状の管理状況、記事状況はひどすぎるというのには同意します。見方によってはカスとしかいえない、といった意見もあるかもしれません(いえ、外部では実際にありますね)。しかし、管理状況についていえば・・・管理者の質ももちろんあるのです。あるのですが、人数が少ないというのも大きいと思うのです。政治の世界でもそうですが、独裁政治、寡頭政治と、執行人数が少なくなればなるほど、正しい方向(もしくはよりよい方向)へのゆり戻しの力は働きにくくなります。日本語版の5倍程度の規模を誇る英語版には、管理者が1,248人います(ノンアク含めて。en:Wikipedia:List of administrators)。しかし、英語版の5分の1の規模である日本語版には、管理者は英語版の24分の1にあたる55人しかいません。見方によっては、5分の1もの規模を持っているウィキペディアでありながら、管理規模は24分の1しかないという考え方もできます。もちろん、これは記事粒度の違い、IP編集とアカウント編集の比率の違い、リアル英語を話すことができる人間と日本語を話すことができる人間の人口比などもろもろを考慮に入れていない、数値上の単純比較ではあります。しかし、やはり少なすぎるというのは、確かなのではないでしょうか?
んー・・・書いていて思ったのですが、このあたりいろいろあって複雑なので、コメント依頼に「日本語版ウィキペディアの管理状況向上について」とでもいう依頼を出して、その中で節ごとに「より多くの管理者は必要か、また必要ならどのようにして増やしていくか」「管理者の再信任などのシステムは必要か、また必要ならどのようにしていくべきか」「管理者について、評価基準などは必要か、必要ならどういった形がよいか」などといったのを、まとめて議論できる場がほしいなと思います。どうも日本語版ウィキペディアの悪い傾向として、議論が霧散する傾向が強いのが気になります(霧散させたい人が意図的にそうしているのか、話し合いの姿勢が未熟なのか、あるいはその両方なのかは知りませんが)。一度、こういったまとめみたいなところを作って、一箇所で話し合ったほうがいいのではないでしょうか?--koon1600 2007年6月17日 (日) 15:54 (UTC)[返信]
まとめて議論できる場は、いまの時点では、井戸端やコメント依頼、または ML などがありますし、新しく創ることはそれほど難しいことではないと思われます。しかし、問題を提起する人や議論をリードする人が少ないかいないかということだと思います。そこがボランティアの集まりの弱点とでも言い得るところかも知れません。また、そのような議論の必要性を感じているユーザーもおられるようですが、それらの議論よりも趣味や楽しみで参加しているボランティアのユーザーが大半を占めていると考えられますから、小難しい議論には興味や関心が薄いのだとも思います。
邪推ですが、一つにまとまって議論しようとするよりも、できるなら自分一人か小集団を結成してでもjawpをリード(支配)して行こうとする考えを持つユーザーもいると思いますので、jawpを「よりよい方向へ進めよう」とする総論には大勢が賛成しますが、じゃあどうするかの具体的な各論になると百家争鳴、一人一派の感がありますので、難しいと考えられます。まあ、その中でもWikipedia:管理者の解任を公式方針にまで仕上げたという例もないではありません。しかし、この方針とて既に述べられているように未だに廃案を望む声が少なくありません。しかし、困難はあっても議論の場を創ることは必要だろうなと思います。--Godaigo 2007年6月18日 (月) 01:30 (UTC)[返信]
うーん。議論をするのはいいことだし、ファシリテートができるひとを増やすのも大事だとおもいます。
ただ、ウィキペディアは基本的には Rough consensus, running code の原則で動くものだとわたしは思っているので (codeの意味が違うが)、議論を集約することに力を注ぐより、なにか実働する仕組みを作ってそれがいい結果をだすことをめざす、というほうがいいとは思いますね。
そういうわけで、koon1600さんが「管理者の再信任」規定みたいなものを作って動かしてみる、というのなら、その準備の議論には加わってみようかと思います (上に書いたように、わたしの意見はkoon1600さんと少し違うのですが)。 --Hatukanezumi 2007年6月18日 (月) 05:49 (UTC)[返信]
解任関係用のページがあることを知っていてあえて井戸端で書いている方は移動しませんか。特殊は一般に優先するといいますし。
本題。これ以上長くしたくないので58.70.60.109さんに反論するのとkoon1600さんの意見の一部に対して説明するのにとどめます。
えぇっとまず私個人の理想は理想でしかないわけで、お前の考えより私の考えの方が優れているといわれてもそれはただの趣味の問題と思うわけです。少なくともシステムの構想に関係する私の理想は置いておくにしても、当面の目標として設定した論争の回避と濫用の抑止に関しては成功しているわけで、失敗だと決めつけられても困ります。使い方云々に関しては私は慣れの問題だと単純に思っていますので前例の蓄積で解消されるだろうと思っています。
次に3カ月ブロックによる解任を求める行動がなかったことは確かにそのように解釈を導き実行するには政治的技量が求められるからだとも思いますが、あれはあくまで一時的処置に過ぎなかったのだということも考慮するべきです。というかあれを使わなかったのは解任解任と叫んでいた人たちが肝心のところで怖気づいたのか、通らないという想定から現状の解任を叫んでプレッシャーをかけ続けるほうが有効と判断したからかのどちらかだと思っていますが。アクロバティックな運用という想定は使用者に技量が要求されるため難しいというご指摘はその通りでしょうが、既に宣言しているようにここの議論が長引きさえしなければ私がその前例を作ることになっていますので、その前例がない状況を前提にされるべきではなかろうと思います。なお、なぜ誰も任期性的運用をしないのかについてはやり方が分かっていない・思いつかない人が多いというのもあるでしょうが単に面倒くさいだけという人が多いとのだと私は思っています。
それと、任期制はコメント依頼などと連動しないから反対だと主張している人がいるのでしょうか。少なくとも私は知りません。私の場合、スケジュールが明記されるためそのスケジュール以外のタイミングで出すことは難しくなる一方そのスケジュールに沿った時は往々形骸化している恐れがあると主張をすることはありますが。
煬帝についてですが、煬帝だけを斬るべきだというのはその通りですが、問題はいざ煬帝を斬るときに斬る方法を知っている人間が確保できるかというところにあります。要するに避難訓練と同じで再信任を同じ形式に合わせるべきとしているのはそのいざというときに困らないためだったりするのですが、いまいち理解者が少ないです。。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2007年6月19日 (火) 12:23 (UTC)[返信]

「濫用の抑止に関しては成功している」ということですが、これは事実に則していないと思います。解任動議項式運用後、たかだか数人の管理者の解任動議がこの規定とりまとめ人のひとりによって出されただけで、濫用であるという非難がまきおこりました。これは、単に最初の再信任チェックを自発的動議を提出していない、かつほうぼうで名前のあがる議論があるであろう管理者へ機械的に動議をあてただけと位置づけることも可能ですが、到底そういう理解は得られなかった。結局のところ、管理者当人以外の第三者により、解任動議を提出した時点で「ある勢力」vs「ある勢力」という対立が生じます。これは「解任動議提出」というアクションが自動的でなく人為的に起こされる以上、避けられない現象であり、さらにTanuki_Zさんがいうような規定への「意図的な政治的要素の混入」があればより明確化されることになります。今回仮に、Tanuki_Zさんが、任期制的運用をしたとしても、それがその通り受け入れられるのであれば、それはとりもなおさずTanuki_Zさんが動議をそのような意図で出したからという政治的認知によるものに他ならず、今後別の人がやった場合は、またその利用者にたいしての政治的評価がコミュニティから得る必要があることになります。だったら、なんでこの「任期性的運用」をTanuki_Zさんなどの「誰か利用者による手間がかかるという運用方法」でなく自動化、つまり「再信任規定」「自動スケジュール化」しないんですか?っていうことです。それこそ無用な政治的要素、無用な人的リソースをあてているとしか見えないのです。ウィクショナリーの話もでましたが、Wikimediaのスチュワードなんかも1年おきに再信任投票が行われていますね。ああいうの、別に皆同時にやっても、皆それぞれに信任、不信任の投票をいれて、動議がどうとかそんなフェイズは一切問題になっていない。なりようがないからです。なぜああいうシンプルで明瞭な方式を採らずに、信任ラインのダブルスタンダード(50-75%)や慣れる慣れないとか前例とかややこしいことに執着して現時点の議論があたりまえのように行われてきた妥当性は理解しにくいです。(追記、まとめ)ボトムラインとして、管理者の信任方式を現状に固執して運用していく限り、上で指摘があった「代謝が非常に低い」「管理者の数が少ない」という現状は改善されないだろうと認識しています。理由は政治的ごたごたの要素が大きすぎるからです。いつ誰かに解任動議出されるような役割に積極的に立候補したいとは思いにくいであろうし、だから解任動議濫発を抑制するということなのでしょうが、逆に動議提出者が任期制に近い考えで一発投票おこそうとしただけで今回のようにバッシングが起こる、結局解任なんてなかなかされない、だから信任ハードルもあがる、信任されないだろうと思って気軽に立候補しないという悪循環が生じています。立候補してみる、活動できなくなったり、管理者権限の利用がうまくできないということがわかったならば、来るべき再信任投票で落としてくれればよい、このような立候補者、投票者の間のコンセンサスが成立すれば、代謝もあがるだろうと思います。故に現状のシステムが未熟で、システムの単純化、機械化、改善なしに、単に運用方法やら政治的牽制なんかでどうにかなるものではないと考えています。--219.122.235.185 2007年6月20日 (水) 02:06 (UTC)[返信]

どうもです。たしかに、システムの簡略化や信任ラインのずれは、直すべきであると考えます。というより、私が上で言っている「再信任システム」は、現状の管理者が少なすぎる状況を改善しなければ、なかなか意味がないと考えられます(現状の管理者数では、よくない管理者であっても、数を減らすこと事態に抵抗があるのではないかと思います。すくなくとも私は抵抗があります。しかし、管理者が多くなれば、「こんな管理者いなくていい」となることもあるのではと思います。)。考えられる管理者増加の方法は、信任ラインを下げることと、もうひとつ重要なのはアカウント編集者を増やすことであると思います。これについては、IPの新規投稿禁止などが考えられると思いますが・・・
私は、「再信任」「管理者の増加」「アカウント編集者の増加」という三位一体(?)の改革が必要なんではないかと、考えています。--koon1600 2007年6月21日 (木) 15:50 (UTC)[返信]
再信任案に関しては、以前より存在するし、今回の解任動議正式運用を観察して、電気羊さんのをまくらに記述しただけであり、別段、Koonさんに呼応してわけではないのですが、以下確認。
解任であれ、再信任であれ、現状の管理者が少ないという状況は共通であるので、特に再信任方式を検討する上で意味がないとか指摘するのは妥当ではないこと。次に、信任ラインを下げるであるとか、こういうレイヤーが異なり、かつ賛否両論がより大きな規模で巻き起こるであろう話はぜひ再信任案とは切り離して議論してほしいということ。アカウント編集者を増やすのもまた別の問題であろうということ。三位一体という理想は理解できるが、本来次元が異なる別の問題を、再信任案といういわば本質的にシンプルな問題と同時に議論しようとするのは議論の発散でありまとまりようがないので、そういうベクトルは抑制したほうがよろしいのではないかと思いました。--58.70.61.83 2007年6月21日 (木) 17:10 (UTC)[返信]
んー・・・別に同じページでする必要はないのでしょうが、どっちにせよ一刻も早く進めなければならない話ではないかと思います。結局、管理体制が悪いというのも、諸悪の根源(?)は管理者が少なすぎることが最大の問題です。本来的には解任も再信任も、十分な量の管理者がいなければ成り立ちません(そもそも、解任するだけの管理者が存在していないわけですから。人が少なければ、問題ある管理者であっても、管理者を減らすことのリスクが大きいはずです。)。でもって、管理者の増産には十分な土壌がなければいけません。この土壌とは、立候補などを増加させることと(これは、立候補の敷居を低くするというより、当選ラインを動かすのが適当と考えます。これは、とりあえずしかるべきところで聞いてみます)、立候補できる人、つまりアカウントで活動する人を増やす必要もあるのではないかと、考えます。たとえば58.70.61.83さんがアカウントを取って継続的に活動してくれたら、管理者になっていただけるかもしれないわけで。私は、上で挙げた3つというのは、結構互いに絡み合っているものであると思います。--koon1600 2007年6月21日 (木) 17:24 (UTC)[返信]
先にも書きましたが場所を移しませんか。井戸端が長くなるのは好まないので。あと私の名前はtanuki_Zです。捨てハンの名前と間違えないでください。
議論取りまとめ人云々というのは正直関係ないと思います。私個人はあれは濫用とは思いませんがその後の説明といいきわめて下手糞だという印象を持っています。個人的動機が勘ぐられたらマイナスに響くといういい例にはなりましたが。というよりも誰かを解任させたくて議論の取りまとめに参加していたような人がその意図を丸出しにして行動して不利益をこうむるのは当り前じゃないかと。。
さて自動化ですが、自動化といっても結局誰かが動かさなければならないというのは改めて確認する必要はありませんよね。だったら、その誰かが規定を任期制的に運用すればいいだけじゃないのというのが私の発想です。全く伝わっていないですけどね。
さらに言えば、政治的云々が嫌なら「機械的」な運用だけをすれば済む話だと思うのですが。すでに多くの方の言っているようにいつでも出せる解任規定と定期的な再信任規定は両立できるものです(私自身は並立させると一定の問題があると考えていますが)。この規定は任期制とは違いかなり自由度が高くつくってありますからどのようにでも利用できます。任期制を好む人はそのように使えば済むだけの話で、その人とは別の考えの人が動議を出し失敗しようとそれは別に注意を払うほどのものでもないと思うのですが。まとめ以降の仮定の連続で結論を導いている部分ですが、とりあえずいつ任期制的な動議が出されたか教えてくださいませんか。私は知りませんので。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2007年6月21日 (木) 18:08 (UTC)[返信]

愚痴つまり、「誰かが規定を任期制的に運用すればいいだけじゃないの」という部分を拝読しましたが。だったらなんで、こういう「既存の規定」+誰かの「ある方法に即した運用方法」という2つのコンポーネント、しかも「覚悟」とか「失敗」とか「任期制の人気の利用」とか政治的要素の混入がある2重レイヤーの構造を好むのですか?というのが理解できないですね。「自由度が高い」のではなくて、最初からそのような「政治的要素を解決したうえの任期制的運用方法」と付け加えないと任期制にならないのが問題であると考えます。もちろん、この場所で誰かを説得しようとしても有意義ではないですが、愚痴をみても、やたらめったら動議提出者にフォーカスして議論されているのが妥当ではないという印象を持ちます。繰り返しになりますが、根本は信任をチェックされる側の管理者がフォーカスの中心であって、動議提出者ではありません。構造的に動議提出者の「かしこい振舞い」をこれだけクローズアップしなければならないのは、別の言いかたをすると、「既存の規定」+誰かの「ある方法に即した運用方法」という二重コンポーネントは運用に失敗するかもしれない方法論ということです。正直動議提出者のやりかたなどどうでもよろしいし、こういう「誰かの政治的手腕」に100%依存しないと成立しないのは、自由度が高いとは言いません。以下水掛け論になるのを抑制するために、以下コメントをいただく人にお伺いしたいのですが、たとえば、m:Stewards/confirm/Archives/2007/01のような形式のそのサブページ名のとおりつまりconfirm信任確認=再信任のシンプルな形式についてですが、これが日本語Wikipediaに導入するのに障害となる要素があればぜひ教えてください。(念のために確認捕捉)現在、信任ラインを2/3=66%にひきさげる議論も並行しておこなわれているようですが、それならばそれで、現状の信任投票の75%を66%に上書きするだけで実現できる話であるし、上のconfirmのページに相当するのがその投票ページであると言ってもよいでしょう。要するにこの場合、confirmのページが誰によってどのように作成されたか、なんてのがまったく意味をもたないのは見てもわかりますが、再信任フェイズは現状の新規信任投票フェイズとまったく同じであり、再信任フェイズに移行する前のオーバーヘッドなどないに等しいですね。誰かが「自動的スケジュール」にしたがって動かしているのはそのとおりですが、誰がやっているのかさえ不明で意味のないことで、こういうのを機械的な規定というのだというのを再確認しておきます。--58.70.61.83 2007年6月22日 (金) 00:05 (UTC)[返信]


いずれにしろ、無期限ブロックされた利用者である蓋然性がきわめて高いひとが議論に参加し続けるのもなんですので、ここは終了としましょう。ところでわたしは、誰のやりかたがいいとか悪いとか言ってないのだがな。 --Hatukanezumi 2007年6月22日 (金) 03:31 (UTC)[返信]