Wikipedia:井戸端/subj/政権側が起こした戦役・事象の改名について

政権側が起こした戦役・事象の改名について

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政権側が起こした戦役・事象「小田原征伐」「九州征伐」(これらはいずれも立項時の項目名)への改名議論をしてきましたが、議論が長期化し、今議論をしているのは私とYasumiさんだけになってしまいました。すでに私とYasumiさんだけでは議論が噛み合わないので、みなさんから意見を頂きたいと思います。政権側が起こした戦役・事象は日本史上多くあり、他の戦役・政治事象にも多く波及しうる問題だと思います。両議論に共通する論点は概ね以下のようです。

  • 戦役名として「征伐」は、認知度が高くても項目名として劣勢か?
  • 明治時代の公刊戦史「小田原の役」・「九州の役」に出典としての優越性は有るのか?
  • 「~~征伐」といった項目名では、被征伐側が「征伐」をしたかのような表現になるか?
  • 「~~征伐」といった項目の中に、征伐される側の行動を書くことが許されるか?
  • 「~~征伐」という言葉は、時代背景を考えても、中立性を損なったプロパガンダと言えるか?

以上のような点についてコメントを頂けたらと思います。なお、中立性に関しては既にKurz氏によって考慮する必要は無いとのコメントがありました。--秋田城之介 2011年8月29日 (月) 03:15 (UTC)[返信]

私見を述べます。「征伐」という語は、
  • 「罪のある者や反逆者などを攻め討つこと。征討」(『大辞泉』)
  • 「罪ある者や反逆する者を攻め討つこと。征討。討伐。退治」(『日本国語大辞典』)
  • 「反逆者や悪者を攻め討つこと。征討」(『明鏡国語辞典』)
  • 「攻めて行って反逆者や悪者などを討つこと」(『大辞林』)
という意味ですので、戦争当事者のうち、一方を「罪ある者」「悪者」「反逆者」と決めつけてしまうことですから、中立性に関して問題ありと考えます。ただ、「中立性に関して問題あり」だとしても「圧倒的に認知度が高い」というのであれば、話は別です。話は別でありますが、では、「九州征伐」「小田原征伐」が「圧倒的に認知度が高いのか」というと、決して「高い」とは言えません。むしろ、「九州攻め」「小田原攻め」の方がヨリ認知度が高いことが認められています。したがって、中立性と認知度の双方を総合して考えると、おそらくは「九州攻め」「小田原攻め」が最良の選択になるのではないかと考えます。それにまた、国語辞典によれば、「征伐」には「攻め討つこと」という意味を含んでいるので、「九州攻め」「小田原攻め」としたところで「九州征伐」「小田原征伐」という捉え方、あるいは、そういう捉え方が存在することの否定にはあたりません。「九州の役」「小田原の役」については、公刊戦史だからといって格別に出典としての優越性はないと考えます。また、「政権側が起こした」という表現は適切ではありません。戦争というのも相手のある話であり、「どちらかが一方的に起こそうと思って起こせる」という性格のものではありません。また、島津氏・後北条氏ともに大名権力、地域的政権という意味では「政権」以外の何物でもないのであり、まさしく「政権」であるからこそ、一定の動員力を持ちえたのです。そこは、フェアに見てやる必要があると思います。--Chokorin 2011年8月29日 (月) 11:51 (UTC)[返信]
先だっての秋田城之介さんのコメント依頼でも同様でしたが、議論の経緯である比較対象を書かずに行われる呼び掛けが繰り返されたことに驚いております。いつも第三者への依頼に対して論争を描写していただけないのはなぜでしょうか? それ以前に、ここの呼びかけ直後に秋田城之介さんは井戸端への意見提起にあたって今まで「○○征伐」に肯定的な御三方を選抜して声を掛けています[1][2][3]が、どういうおつもりでしょうか?Wikipedia:多重アカウント#ミートパペット行為Wikipedia:カンバスフォーラム・ショッピングなどを参照してよくよく考えていただきたいです。これらの行動や方針について、できれば第三者から御指摘いただけたらと思います。--Yasumi 2011年8月29日 (月) 12:02 (UTC)[返信]
私はより多くの方に議論参加いただくよう呼びかけたものです。そもそもこれは投票でもなんでなく、特定の意見を集めるための呼びかけではありませんが、誤解を招いたことはお詫びします。--秋田城之介 2011年9月7日 (水) 02:37 (UTC)[返信]

  コメント政権の後ろ盾である朝廷からの官符( 追討の許可・認可・事後承諾含む )が発せられている、戦役の結果追討側が勝利して被征伐側を処断している、歴史的に称せられた時期が長く意味が通じるほどに浸透している。以上の条件が充たされれば征伐の名称で差し支えないでしょう。--ジャムリン 2011年8月29日 (月) 13:07 (UTC)[返信]

  コメント先ずは秋田城之介氏に、事情が事情とは言えYasumi氏の指摘通りWikipedia:カンバス#フォーラム・ショッピングに相当する行為であることを心に留め、今後も類似する行為に及ぶ必要性を覚えた際には十二分に注意を払って戴きたい旨を述べておきます。 さて、私見ですが。

戦役名として「征伐」は、認知度が高くても項目名として劣勢か?
各頁毎に事情は異なります。Wikipediaは百科事典なので「認知度が高い」ことは充分に考慮をしなければなりません。ですが「認知度が高ければ他の事情を考慮する必要が無い」わけでもありません。
明治時代の公刊戦史「小田原の役」・「九州の役」に出典としての優越性は有るのか?
出典は出典です。出版時期や出版主体のみで優劣が決まるわけではありません。例えば歴史的正統性の論拠としては古ければ古い程より適切でしょうが、時代の変化に応ずる正当性の論拠にするのであればあまり古いと適切ではないでしょう。
「~~征伐」といった項目名では、被征伐側が「征伐」をしたかのような表現になるか?
常識的に言ってなりません。少々度が過ぎていますね、よほど苛烈な議論(と言うか単なる言い争い)になってしまっているのでしょう。
「~~征伐」といった項目の中に、征伐される側の行動を書くことが許されるか?
当然以前の当たり前でしょう。征伐される側の事情やらなんやらだって「中立的な観点」に基づいて書くことが出来ます。但し同一事象に関して「~~の役」と「~~征伐」との複数の記事に分割されている場合は充分に注意を払う必要があります。例えばナザレのイエスイエス・キリストのような場合には、です。
「~~征伐」という言葉は、時代背景を考えても、中立性を損なったプロパガンダと言えるか?
勝てば官軍負ければ賊軍という言葉もあります。今現時点(及び将来)に於いて征伐側の観点が存在するのでなければ、プロパガンダとして成立しません。プロパガンダは「もう終わった」のではないでしょうか、「明治時代の公刊戦史」にはもう「~~征伐」ではなくなっていたらしいですし、或いはそれ自体がもうプロパガンダ(明治政府が徳川幕府に対する嫌味的な)なのかも知れません。その意味で「中立性を考慮する必要は無い」とは言い過ぎかも知れませんが、議論に大きな影響を与えるものではないと思います。その他の理由で決定が難しい場合に「中立的な表現の方がWikipediaらしいと思わないか?」と言うのと同程度のものでしょう。

世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月30日 (火) 08:52 (UTC)[返信]

この議論は、まず、改名提案が出された、あるいは改名提案が繰り返し出されているということから始まっています。で、じゃあ具体的に記事名が「九州の役」「小田原の役」で実害があるかどうかというと、個人的には「あまりない」というふうに感じます。もとより、この感じ方は個人的なものですが、改名をどうしても推し進めようと考える人はしたがって、可能であれば、記事名が「九州の役」「小田原の役」であることによって生じる実害を掲げていただきたいと思います。そうでないと、そもそも改名が必要かどうかのコンセンサスが得られないのではないかと思います。改名推進者が「認知度が低い」ということだけを問題視するのであれば、むしろ同じ理由で「九州征伐」「小田原征伐」もまた改名先としては適切ではなく、より認知度の高い「九州攻め」「小田原攻め」の方が適切だということになるでしょう。まとめれば、「改名するとすれば『征伐』ではなく『攻め』」というのが私の意見です。
そうではなく、名称については白紙に戻し、「九州征伐」「九州攻め」「九州の役」のなかからひとつを選ぶ(ふたつを捨てる)という議論だとしたら、個人的には、やはり「九州攻め」を最良と判断します。少なくとも、諸調査の結果から、他の二者にくらべて「認知度が高い」わけですから有力候補にはなるでしょう。このなかから、あえて認知度の低い「九州の役」を選ぶということであるならば、同じロジックで紀州、中国、四国なども「~の役」に変更しなければならなくなります。それに対し、「九州征伐」は意味としては「九州攻め」とはそれほど変わりません。つまり、「征伐」というのは「反逆者や罪人を攻める」ということですから、「攻める」ことに何ら違いがあるわけではないのです。ただ、「反逆者」「罪人」というレッテルのつくところだけが違います。自分としては、島津氏なり後北条氏なりが、徹頭徹尾「反乱軍」なのかというと、少なくとも戦闘開始の段階でこれを反乱ないし反逆とみなすことについては異議があります。これについては、複数の学者からも同様の指摘があります。むしろ、事後的に「反乱」ないし「反逆」にさせられてしまった(そして、その語が以前は定着していた)ということだと思います。いずれにせよ、「九州征伐」「小田原征伐」がタイトルでは、島津氏や後北条氏を「反逆者」「罪人」「悪者」と決めつけなくてはいけないわけで、それでは、この記事を執筆する側も閲覧する側もたいへん不便、不自由きわまりない話です。そうしてみれば、「征伐」を避けるのが長期的にみても無難と考えます。「九州攻め」「小田原攻め」に関しては、そのような問題点を指摘する学者もいないようです(いたら教えていただきたいのですが)し、比較すると最も認知度も高いようですので、自分としてはこれを推します。
さらに言えば、ずっと記事名だけについての議論がつづいており、内容についての話ではないので、そのこと自体が記事の発展を拒んでいるかにみえます。紀州、中国、四国、九州、小田原については、以後、蒸し返しのないよう、「役」「攻め」「征伐」のなかからひとつを選び、統一してしまった方がいいでしょう。改名議論ばかりで記事加筆が進まないのは、Wikipediaのあり方としては本末転倒と考えます。--Chokorin 2011年8月31日 (水) 22:10 (UTC)[返信]
私への返信と受け取ったのは自意識過剰なのでしょうか。でなければ先に述べた通り「中立的な表現の方がWikipediaらしいよね!」という感覚から、「征伐」や「攻め」等のような行動の表現よりは事象である戦役の表現である「役」の方が一般論としては適切かと思っています。さらに言うと「征伐」に「攻めて滅ぼした」という意味がある分、「攻め」だと「攻めたけど滅ぼせずに退却/講和した」という印象を覚えます。ですがその他の事情を全く考慮していない意見であることから、飽くまで部外者の述べる一般論の域を出ません。
ついでながら私は「小田原攻め」というのを聞いた印象が全く無いのです、「小田原征伐」であれば「あぁ、あの小田原評定で滅ぼされた話ね」とすぐに思い浮かぶのですが。個人的には「征伐」、だがWikipediaらしさを考えて「役」です。諸調査の結果は知りませんので「攻め」が認知度が高いという観点が存在すること自体が予想外で驚いているぐらいであり、「攻め」が選択肢に挙げられていたと知って首を傾げています。そして議論に参加するつもりは無いので、諸調査の結果を見る気もありません。飽くまで、部外者の述べる一般論です。
以後、蒸し返しのないよう、「役」「攻め」「征伐」のなかからひとつを選び、統一してしまった方がいいでしょう
そうですね。誰も蒸し返さなくなるぐらい誰もが納得するような素晴らしい合意が形成出来るように頑張って下さいね、何百年も掛かるかも知れませんけど。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年9月1日 (木) 02:57 (UTC)[返信]
特にCray-Gさんへの返信ということではありませんでしたが、御意見ありがとうございます。一応補足しておくと、「征伐」には「攻めて滅ぼした」という意味はないと思います。現に島津氏も滅ぼされてはいません。「諸調査の結果」については、「ノート:九州の役/過去ログ4#そろそろ決着を付けませんか」や「ノート:小田原の役#今後の議論」に示されていますので、もし気が変わったら御参照ください。「誰も蒸し返さなくなるぐらい誰もが納得する」というお言葉ですが、「誰もが納得する」ということと「蒸し返しがなくなる」ということとは全然性質の異なることだというふうに考えています。「誰もが納得する」ということは、この件に関しては無理なんじゃないかというふうには思いますが、意見の相違を超えて手続きをふまえた合意形成をおこない、その結果を尊重しあえば「蒸し返し」は防止可能ではないかと思います。「蒸し返し」を防止するよい手立てやアイディアがあったら、御教示くだされば幸いです。--Chokorin 2011年9月3日 (土) 12:05 (UTC)[返信]
前述の通り、行きがかりもフェアと思えない提起なのですが、設問内容についても誤解の無いように改名議論の流れを説明しておきたいと思います。比較無しに優劣は語れませんから。
  • >戦役名として「征伐」は、認知度が高くても項目名として劣勢か?
議論の焦点は「記事主題の戦争名称を表す記事名として、九州征伐・小田原征伐」が優越か?になっておりますが、両名とも出典での用例の殆どは戦争名称を表すものでなく、征伐を意味する使い方をされています。記事を表していない用例を以て、認知度が高いと言って良いのでしょうか?
  • >明治時代の公刊戦史「小田原の役」・「九州の役」に出典としての優越性は有るのか?
この設問の前提として、各記事を構成するWikipedia:信頼できる情報源の出典には『九州征伐』『小田原征伐』という書籍・論文タイトルが皆無である、ということがあります。各戦争を主題とした出典の優越性を述べたものであり、出典が無い名称よりも出典が有る名称が優越するのは当然でしょう。むしろ、戦争名としての○○征伐は史学的にも縮小傾向にあります。また、公刊戦史についてはガイドライン的にある「正式」性として公刊戦史が挙げられたと言うことです。
  • > 「~~征伐」といった項目名では、被征伐側が「征伐」をしたかのような表現になるか?
これも、「○○征伐」は戦争名称の意味副次的にある代名詞ですから、単純に戦争名称として記事内に配置すると「被征伐側が征伐を行った」という表現になってしまい「征伐された」との受動的な言い換えが必要です。これは、ガイドラインにある「リンクの張りやすいもの」に抵触する減点材料であると問うたポイントです。
  • >「~~征伐」といった項目の中に、征伐される側の行動を書くことが許されるか?
根元的な問題ですが、この記事が出典『九州征伐』から作られた征伐POV記事であれば問題有りません。しかし、この記事はWikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史にあるような交戦勢力を中立的に描写した戦争記事であります。
  • >「~~征伐」という言葉は、時代背景を考えても、中立性を損なったプロパガンダと言えるか?
征伐の意味合いについては既に挙げられている通りですが、他にも鄭求福「壬辰倭乱の歴史的意味-壬辰倭乱に対する韓・日両国の歴史認識-」2005年(日韓歴史共同研究報告書 第1期)では「征伐:伝統的に東洋では、征伐というのは天子が反乱を起こした諸侯を討ち平定するという意味である。これはきわめて道徳的な意味がこめられている。」[4]などの見解があります。少なくとも征伐側POVの名称であることは間違いないでしょう。
当方は、もとより征伐自体を否定するつもりなど毛頭ないわけですが(征伐の出典から作られた、征伐記事であれば、○○征伐と付ければいいのです)、中立的な描写をしている記事でどちらでも良い記事名であるなら、素直に戦争記事には戦争名をつければよく、わざわざ不都合のある征伐POVの記事名をつけることはないと思います。
なお、Kurz氏の「記事名の中立性については考慮に入れる必要はない」とのコメントはその後の対話で撤回[5]されていることを付記します。en:WP:POVTITLEの条件の一つ「信頼性の高い情報源の大多数の利用を通じて明らか単一の共通の名前で呼ばれている場合」は精神においてWikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史#記事名と揆を一にしていると思います。--Yasumi 2011年9月1日 (木) 11:08 (UTC)[返信]
  提案 あのー、私の意見を取り上げるのはかまわないのですが、その取り上げ方はちょっといただけないですね。 それはともかくとして、いずれの改名候補にしてもそれなりに妥当であって、どの案になっても百科事典としてはそれほど問題はないわけです(だからこそなかなか決まらない)。また名前にこだわったところで記事が充実するわけでもありません。ですから、ある程度意見が出揃ったら議論をまとめた上でそれを参考にしつつ投票で決めるとでもして、早いところ落としどころを探った方がよいのではないでしょうか。 なお、もしそれほどにまでに名前や中立性にこだわりがあるのであれば、そのあたりについて記事に記載していただければウィキペディアが充実しますので、その方がよほど有益でしょう。--Kurz 2011年9月1日 (木) 12:19 (UTC)[返信]
Kurzさんの「早いところ落としどころを探った方がよい」という御意見には全面的に賛同いたします。--Chokorin 2011年9月3日 (土) 12:05 (UTC)(場所移動)--Chokorin 2011年9月4日 (日) 22:28 (UTC)[返信]
  コメント「私もKurzさんの「早いところ落としどころを探った方がよい」というご意見には賛成します。ここでの議論・ノートでの議論で意見を募った上で、それでも集約されないのであれば投票も、という考えはありました。
>Chokorinさん 「九州の役」を「九州攻め」に改名するための合意のときに、「九州攻め」への改名を前にすすめるべきだったと思います。それで前進できるのであれば、と私も妥協はしたわけですから。--秋田城之介 2011年9月7日 (水) 02:37 (UTC)[返信]
Kurzさんの提案に沿って。落としどころが探れるなら、まああれこれ長期化しないのだろうと思います。改名議論ばかりで記事加筆が進まないのは、Wikipediaのあり方としては好ましくないけれど、記事の名称が重要と考える人が少なからずいるならばやむをえないことだと思います。容易に決定できないなら、たいていはどっちでも問題が生じるほどではなくて、記事名と異なる表現は本文中で説明があって、リダイレクトが作られていればよし、というのが、議論相手を諦めさせるロジックではなく、自分が諦める理由として受け入れれば、論争はあまり生じないはずだけれど、そうはいかないこともある。
ノートで議論しているからといって、編集はできるのですから、記事の加筆はやればいいと思うのですね。ただ、移動合戦/編集合戦が起こっていたら保護されてしまうし、記事名の議論が長期化していると、ノートを占拠してしまって記事内容の議論がやりにくくなるとは思います。
たとえば
  • 記事本文での議論告知があり、コメント依頼が出され、一定期間(3か月とか半年とか)にわたって議論が継続している場合は、記事名の議論をサブページ化してリンクを残してインクルードしないようにする。
  • 既に議論がなされていて合意に至っていない記事名の移動、あるいは記事名以外の表現・表記の説明を除き記事名に関わる本文中で用いられている表記を書き換える編集については、原則として移動保護・保護ではなくブロックで対応する(ブロック逃れでの強行編集は保護の必要もあるでしょうけれど)。
とかいう方向でガイドラインでも作ってみますか?--Ks aka 98 2011年9月3日 (土) 08:15 (UTC)[返信]
  コメント 正直言って、記事名の議論は長引いたところで当人が疲弊する以外はそれほど影響はないですし、あまり細かいルールを増やしても面倒なので、そこまでしなくてもいいんじゃないですか。 またあまりに議論が長引いている場合にはWP:POINT#いつまでも「納得」しないにあてはまるような場合が多いので、妨害行為として扱えば済むのでは。--Kurz 2011年9月3日 (土) 12:08 (UTC)[返信]
  コメント「ノートで議論しているからといって、編集はできるのですから、記事の加筆はやればいい」ということですが、「攻め」「戦役」「戦争」などの場合は、客観的な事実をもとにしていた命名ですから問題は生じないとして「征伐」の場合は、ある一定の価値観を前面に押し出した命名ですから、そう改名される可能性がある記事にあえて手を出そうという気にはならないですよね。そこは、それほど簡単な話ではないと思います。--Chokorin 2011年9月4日 (日) 22:28 (UTC)[返信]

  コメント Yasumiさんの言ってることは、『「~~征伐」といった項目名では、被征伐側が「征伐」をしたかのような表現になる』というようなどうみても方便なんですよ。Chokorinさんも「小田原の役」が一番良いとは言わないでも、とにかく改名に反対と言う。どういうことなんでしょう。記事の私物化でしょうか? --以上の署名のないコメントは、小判キング会話投稿記録)さんが 2011年9月3日 (土) 18:59 (UTC) に投稿したものです(Chokorinによる付記)。[返信]

「とにかく改名に反対」と申し上げたつもりはありません。「自分としては、島津氏なり後北条氏なりが、徹頭徹尾『反乱軍』なのかというと、少なくとも戦闘開始の段階でこれを反乱ないし反逆とみなすことについては異議があります」「いずれにせよ、『九州征伐』『小田原征伐』がタイトルでは、島津氏や後北条氏を『反逆者』『罪人』『悪者』と決めつけなくてはいけないわけで、それでは、この記事を執筆する側も閲覧する側もたいへん不便、不自由きわまりない話です」と申し上げた点については、どうお考えですか。反論があれば、お寄せください。それから、「現状の記事名でどのような実害があるのか」「どうして改名先が『征伐』でなくてはならないのか」についても説明が必要だと感じますが、いかがでしょうか。--Chokorin 2011年9月3日 (土) 12:05 (UTC)[返信]

  記事名は、個々の記事での議論も良いですが、なるべくガイドを優先すべきと思います。そうしないと記事によって命名基準が異なって百科事典としての整合性が低下します。ノート:南京事件 (1937年)#論点の整理案でも、「そもそも、中立的に思えない記事名は適切かどうか」という議論は挙がってます。Wikipedia:記事名の付け方では「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。」です。Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件では「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する」です。どちらも「記事名も中立的なものが良い」とは書かれていません。英語版では方針文書のen:Wikipedia:Article_titles#Non-neutral_but_common_namesで、中立性に議論のある記事名も一般の普及度で選ぶ、といった趣旨が書かれています。厳密に言えば「大化の改新」「明治維新」「フランス革命」「カノッサの屈辱」なども中立的な記事名とは言えませんが、それぞれ最も普及しています。個々の「征伐」が史実から見て適切な表現だったかなど、議論してもきりが無いと思います。ただTemplate:太平洋戦争・詳細などは「○○の戦い」など中立的な記事名に揃えているようです。基本的には、ガイドの通り一般の普及度で選定すべきと思います。なおgoogle検索では「小田原の役」は1,460,000 件、「小田原征伐」は378,000 件、google書籍検索では「小田原の役」は12,200 件、「小田原征伐」は2,240 件でした。--Rabit gti 2011年9月4日 (日) 16:38 (UTC)[返信]

  コメントNET検索HIT数でいえば、「四国」や「紀州」は「攻め」や「役」より征伐優勢、「九州」は「役」優勢になりますが、役ですと「○○の役に立つ、立たない」、「○○の役所」といった文脈も拾っているようです。また小田原市は「小田原合戦」をタイトルに採用し、文中では「小田原征伐」を使っています[6]。また「小田原攻め」は1561年の長尾景虎による小田原城の戦い (1560年)、1496年の北条早雲の小田原奪取の際の戦いにも使われています。--ジャムリン 2011年9月4日 (日) 18:19 (UTC)[返信]
  コメント謙信長尾景虎による小田原攻めはこれによれば「小田原征伐」なのだそうです。関東管領となる上杉からすれば北条は「逆徒」「悪人」以外の何物でもないということになるのでしょう。そういうレッテルを外すことが、記事名選択には求められているんじゃないでしょうか。現状「小田原の役」の記事名を「小田原攻め」としたところで、Otherusesを使って「この項目では、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めについて説明しています。1561年の長尾景虎による小田原攻めは小田原城の戦い (1560年)をご覧ください」と冒頭に示せば済む話です。--Chokorin 2011年9月4日 (日) 22:28 (UTC)[返信]
  コメント曖昧回避については記事名が小田原征伐でも同じことをすればいいだけの話でしょう。ですが、長尾景虎は小田原征伐を志向しただけで、実際に征伐はしていませんよね。事象としては成り立ちません。--ジャムリン 2011年9月5日 (月) 02:35 (UTC)修正--ジャムリン 2011年9月6日 (火) 21:03 (UTC)[返信]
  コメントそれはそうです。曖昧さに関しては、いずれの候補も「問題がない」ということでよいでしょう。そこのところは合意が成立したとみてよさそうですね。--Chokorin 2011年9月5日 (月) 02:59 (UTC)[返信]
  コメントご存知でしょうが、既に小田原城の戦いには曖昧回避として、現行の小田原の役が入っています。--ジャムリン 2011年9月5日 (月) 03:17 (UTC)[返信]
さらに一応、付け加えますと、武田氏による小田原攻撃も小田原攻めと称されることがあります。--ジャムリン 2011年9月6日 (火) 20:27 (UTC)[返信]
曖昧さ回避についてはOtherusesを用いれば、いかようにも対応できるでしょう。ジャムリンさんおっしゃるように「同じことをすればいいだけの話」です。--Chokorin 2011年9月6日 (火) 20:35 (UTC)[返信]
(追記)「そういうレッテルを外すことが、記事名選択には求められている」ということに関しては、特に反論はないんでしょうか。--Chokorin 2011年9月6日 (火) 21:55 (UTC)[返信]
単に「そういうレッテルを外すことが、記事名選択には求められている」と主張している側がそういうレッテルを貼っているのだと思っております。--ジャムリン 2011年9月6日 (火) 22:04 (UTC)[返信]
それはまったく違いますよ。「罪のある者や反逆者などを攻め討つこと。征討」(『大辞泉』)、「罪ある者や反逆する者を攻め討つこと。征討。討伐。退治」(『日本国語大辞典』)、「反逆者や悪者を攻め討つこと。征討」(『明鏡国語辞典』)、「攻めて行って反逆者や悪者などを討つこと」(『大辞林』)というふうに、そもそも「征伐」には「反逆者、罪ある者、悪者を攻め討つ」という意味があり、それをどの辞書でも漏れなく記載しているわけです。おわかりになりませんか。--Chokorin 2011年9月6日 (火) 22:17 (UTC)[返信]
辞書的な意味を繰り返されても、歴史事象でありながら、当時の状況や認識を組み入れていない現代の一部視点の押し付け=レッテルにしか思えませんね。--ジャムリン 2011年9月6日 (火) 22:24 (UTC)[返信]
「レッテル」というのは、そういう意味なんでしょうか。失礼ながら、「一部」でもなければ、何らかの「視点」について述べたわけでもなく、何らかの「押し付け」は一切した覚えがないんですけれども。当方は「反論はないか」というふうに伺いを立てており、有意な反論であれば耳を傾けようと思っているのですが。ジャムリンさんの御意見は、そもそも反論になっているかどうか疑問です。--Chokorin 2011年9月6日 (火) 22:52 (UTC)[返信]
反論とは認めたくないのでしょうか。別のページ、紀州征伐でも改名議論でもありましたが、歴史上のことは当時の状況もふまえ、「征伐」といったものも、現代事情からでのみ見るのではなく峻別して考えるべきという藤木氏のような研究者もいらっしゃいます。そのような視点から考えても一部レッテルだと思います。ある意味、歴史性を無視した「中立性」という名のプロパガンタからのレッテルといえると思います。--ジャムリン 2011年9月6日 (火) 23:06 (UTC)藤田氏を藤木氏に訂正--ジャムリン 2011年9月7日 (水) 01:19 (UTC)[返信]

(インデント戻す)藤田氏というのは、藤田達生先生のことでしょうか。--Chokorin 2011年9月7日 (水) 00:24 (UTC)[返信]

失礼しました、訂正いたします。藤木久志氏でした。--ジャムリン 2011年9月7日 (水) 00:28 (UTC)[返信]
  コメント 私もジャムリンさんと同じ意見です。歴史学的に多用されてきた用語を、独自の解釈で不適切と断定するのは、Chokorinさんの独自研究に他なりません。--秋田城之介 2011年9月7日 (水) 02:37 (UTC)[返信]
  コメントお言葉ながら、[「征伐」=「政権側が起こした戦役」]という規定の方がよほど独自解釈だと思いますよ。そんな規定は、どこにも書かれていないでしょう。少なくとも私は4種類の国語辞典を出典として示しておりますので「独自解釈」の批判はあたらないものと思います。--Chokorin 2011年9月7日 (水) 04:25 (UTC)[返信]
  コメントお言葉ながら同じ朝廷から官位を賜っているなら、朝廷の任を得ている政権に逆らえば、反逆者ですので征伐という言葉は辞書的にも順当なものと判断します。--ジャムリン 2011年9月9日 (金) 16:12 (UTC)[返信]
それはどうでしょう。同じ朝廷から官位を賜っている以上、等しく朝廷の任を得ている者同士の戦争ということになるんじゃないでしょうか。島津にせよ、北条にせよ、朝廷や国家に対する反逆行為があったわけではありません。--Chokorin 2011年9月9日 (金) 21:03 (UTC)[返信]
朝廷(豊臣秀吉は関白であり政権を委ねられたもの)に対して、命令拒否や法令違反(罪人)をした上、応戦したのですから立派に反逆でしょう。--ジャムリン 2011年9月9日 (金) 21:14 (UTC)[返信]

  コメント 秋田城之介さんは、政権側が行う攻撃行為やそれにまつわることに関して明確に「征伐」と表現することを肯定とされるようですね。その意見は私としましても理解できる部分もあるのですが、しかしながらノート:武田征伐における問題は少々違うと思うので、この場を借りて意見を述べさせていただきます。織田信長軍による「武田征伐」ですが、この織田軍の側が政権側であると、果たして言えるでしょうか?織田氏の武田氏攻撃と、豊臣氏の九州・関東攻撃は同じように「政権側の行動」だと言えるのでしょうか?そう言えない場合、武田征伐という用語の正当性が揺らぐことになると思います。ここでなくてもかまいません、武田征伐のノートでご解答願えませんでしょうか?--貫鉄 2011年9月5日 (月) 09:43 (UTC)[返信]

小和田哲男先生は「甲斐武田攻め」という用語を使っていますね。検索でのHIT数も「武田征伐」よりだったらずっと多い結果となりましたが、いかがですか。--Chokorin 2011年9月5日 (月) 16:17 (UTC)[返信]
「"甲斐武田攻め"」ですと約 4,310 件 、「"武田征伐"」約 27,500 件 なんですが。Chokorinさんは小田原の役の検索でも同じ「""」でかこまない「語順も含め完全一致」ではない検索結果を提示していましたよね。--ジャムリン 2011年9月6日 (火) 07:02 (UTC)[返信]
あれ、そうでしたか。Googleの書籍検索では「武田征伐」39件、「甲斐武田攻め」1,600件と出ましたから、「武田征伐」の用例はずっと少ないと思っていました。--Chokorin 2011年9月6日 (火) 12:07 (UTC)[返信]
書籍検索でも「"甲斐武田攻め"」では6件、「"武田征伐"」39件ですよ。--ジャムリン 2011年9月6日 (火) 12:35 (UTC)[返信]
「"武田攻め"」だと163件ですね。--Chokorin 2011年9月6日 (火) 12:45 (UTC)[返信]
他の攻めの場合もそうですが、文脈で「武田攻めあぐねて」といった用法や大内氏の武田攻め(安芸武田氏)も入ってしまってますね。--ジャムリン 2011年9月6日 (火) 13:06 (UTC)[返信]
そういう用法を除外しても、単に「認知度」を基準にするなら「武田征伐」が優位にあるとは言えないですね。圧倒的に「武田攻め」が多い。となれば、記事名を「武田征伐」にしておく理由はまったくないと言えそうです。で、考え方としては、そのうえで安芸武田氏とのあいだの曖昧さを回避するために「甲斐武田攻め」を採用するというのは、ひとつの案としては成立するのではないですか。--Chokorin 2011年9月6日 (火) 20:20 (UTC)[返信]
武田征伐のノートで回答します。--秋田城之介 2011年9月7日 (水) 02:37 (UTC)[返信]

(インデント戻します)甲斐武田攻めにすると認知度が落ちるという元に戻りましたね。その上、武田攻めにブレがある以上、歴史的にみて明確に特定の事象を指してきた名称をわざわざ変える理由も全くないと考えます。--ジャムリン 2011年9月7日 (水) 01:19 (UTC)[返信]

大内氏の立場からすれば安芸武田氏攻めも「武田征伐」にほかならないわけです。それで、「"武田攻め"」160件に対して「"武田征伐"」39件、「"甲斐武田攻め"」6件に対して「"甲斐武田征伐"」2件なのですから、後者(「征伐」)はいずれも認知度が相当低いことは明白ではないでしょうか。こうなると、「元に戻りました」ということではなく、「武田攻め」がよいか「甲斐武田攻め」がよいかという話でしょう。解決策としては、たとえば「安芸武田攻めの記事ができるまでは『武田攻め』としておく。安芸武田攻めの記事ができたら、その時点で話し合う」というふうに事前に決めておけば、蒸し返しを避けることはできるでしょう。--Chokorin 2011年9月7日 (水) 03:33 (UTC)[返信]
  コメント ノート:武田征伐において、改名後の記事名はどれが適切かも含めて話しを進めたいと思うのでみなさんご協力ください。--貫鉄 2011年9月16日 (金) 09:15 (UTC)[返信]

  コメントさて、「『征伐』の語には、中立性の面からみて問題がある」という指摘に対して、今まで、特に有意な反論もないようですが、その件については、特にみなさん異論なしということでいいのでしょうか。--Chokorin 2011年9月6日 (火) 12:32 (UTC)[返信]

みなさん、戦争当事者の一方を「反逆者」「悪者」「罪人」とみなすことについては反対ということでよろしいのでしょうか。--Chokorin 2011年9月6日 (火) 20:20 (UTC)[返信]
  コメント『「中立性を考慮する必要は無い」とは言い過ぎかも知れませんが、議論に大きな影響を与えるものではないと思います』(世界最狂の魔法使いCray-Gさん)、『政権の後ろ盾である朝廷からの官符( 追討の許可・認可・事後承諾含む )が発せられている』(ジャムリンさん)、『個々の「征伐」が史実から見て適切な表現だったかなど、議論してもきりが無い』(Rabit gtiさん)といった意見があるにも関わらず、なぜそのような結論に至るのか、Chokorinさんのそのコメントは議論をミスリードするものであると思います。あるいは意図的にそうなさっているのでしたら、不適切な手法だと思います。--秋田城之介 2011年9月7日 (水) 02:37 (UTC)[返信]
  コメント私も「征伐」を利用して問題ないと思います。項目名に中立性を考慮するのは当然ですが、百科事典で利用されている用語が中立性に違反することなどありえません。他の方々からも指摘がありますが、もし「戦争当事者の一方を「反逆者」「悪者」「罪人」とみなす」用語の利用が問題ならば、そういったニュアンスの用語について一々議論する必要があるという話になってしまうのではないでしょうか。たとえば、「十字軍」に関する用語はカソリックが異教徒を「反逆者」「悪者」「罪人」とみなすニュアンスがありますが、百科事典で一般的に利用されていますよ。レコンキスタはグラナダなどイベリア半島のイスラム王朝を、北方十字軍はポーランドやバルト系などを「反逆者」「悪者」「罪人」と見なしていますが、最も一般的な用語です。妥当な用語であるかどうかは、ウィキペディア利用者よりも学者や研究者の判断を優先させるべき、そんなの当たり前です。--伏儀 2011年9月7日 (水) 05:48 (UTC)[返信]
  1. 早いところ落としどころを探った方がよい >全く同感であり、議論を尽くした上は調査投票の結果に合意する準備があり、これはノート:九州の役で去年の11月上旬に表明した提案[7]ですが、同意いただけず残念です。これ以上の疲弊を防ぐため、投票決着による合意形成に向けて、提案者へアドバイスいただけたら幸いです。ただし、当方の同意は多重アカウントの投票を防ぐ投票条件の整備を必須です。 追記:Kurzさんの2011年9月1日 (木) 12:19 (UTC)について、趣旨に沿わぬ引用でしたら謹んでお詫びします。
  2. (改名議論の範囲について) >本件の対象は、あくまでも九州の役小田原の役の2件について各々の背景を基にする個別案件となっています。新設ルールの策定や他記事への適応を投げかけて議論範囲を広げたり縮めたりするのであれば、提案者は議論範囲をハッキリさせたうえで然るべき上位プロジェクトへ提案ください。提案条件を場当たりに変えることはやめてください。
  3. (改名議論なのか?) >なぜ主論点でない「中立性」だけを論じて、主論点からの離脱を図るのでしょうか?征伐が征伐でないなどという意見は出ていませんし、これでは議論が拡散するばかりです。 議論について反対側から話をすれば、私はウィキペディアのタイトルとして中立的でないタイトルは当然あり得るものと考えます。そのケースは「1.POV概念を主題とする記事の場合」と、「2.主題とする記事の呼び名がPOV呼称で圧倒的な場合」です。そして、どちらの場合も主題を同じくするWikipedia:信頼できる情報源を出典とする裏付けが必要です。改名を提案されている「九州の役」と「小田原の役」はいずれも「戦争を主題とする記事」です。そして圧倒的なPOV呼称が存在しない以上、主題を同じくする出典の戦争呼称が優先されるのは当然だと思います。 どうも○○征伐を支持する方の意見は改名であったり別主題であったりとあいまいです。改名でなく、主題変更であるならば定義文の変更等の提案内容は具体的にしてください。主題の前提と、出典などの比較状況を確認しないまま主語を省略して、中立性は無視すべきとか、重視すべきとか言っても水掛け論でしょう。
  4. (ガイドラインについて) >記事名ルールよりも、議論ルールや解釈の整備が必要そうです。私は深入りする根気が不足気味ですが・・・議論が尽きていないのに投票決着を強要するようなことはいただけないですし、逆に議論が尽きて堂々巡りをしているのであれば投票決着による合意形成も必要でしょう。また、悪意ある者から不要あるいは回答済みなどの質問に沈黙すれば対話拒否、対話を続ければいつまでも納得しないとレッテルを貼られます。議論の交通整理、例えば議論が現状でどの段階にあり、次のステップに必要なことを認定つけるルールが必要かなと思います。(例えば、議論への参加権を返上する代わりに、不足情報の提示要求や投票決着の可否を判定する係り。提案要件不良で足切りしたり、議論を棚上げにする事自体が発展的な場合もありかと)--Yasumi 2011年9月7日 (水) 12:04 (UTC)[返信]
  コメント Yasumi殿へ。上記のコメントの宛先は、私も含まれているのでしょうか? 先ほどの私のコメントは、「みなさん、戦争当事者の一方を「反逆者」「悪者」「罪人」とみなすことについては反対ということでよろしいのでしょうか。」というChokorin殿のコメントに対する反論であって、「主論点からの離脱を図る」目的はありません。(そもそも、私も中立性は改名の主要な論点にならないと思っているからこそ、先ほどのコメントをしたのですから)。また、十字軍の話をしたのも、「戦争当事者の一方を「反逆者」「悪者」「罪人」とみなす」用法の一例として提示しただけで、「他記事への適応を投げかけて議論範囲を広げたり縮めたりする」意図はありません。例が不適切という指摘ならともかく、なぜ例を挙げただけで論点をずらそうとしているかのような物言いをなさるのでしょう。また、中立的でない記事名とするケースは「1.POV概念を主題とする記事の場合」と、「2.主題とする記事の呼び名がPOV呼称で圧倒的な場合」であると述べておられますが、ウィキペディア日本語版にそのような規則はありませんよ。他の記事の例や記事名の規則についてRabit gti殿から適切な解説をしていただいておりますので、もう一度確認することをお勧めします。
皆さんへ。最後に、私も「征伐」「攻め」「役」どれでも問題ないと思いますし、だからこそなかなか決まらないと言うKurz殿のご意見に同感です。意見が出尽くしているようなら投票に移ってよいでしょう。皆さんのご意見がどれほどコミュニティに受け入れられるかは、投票結果にゆだねましょう。--伏儀 2011年9月7日 (水) 15:06 (UTC)[返信]
「中立性」に話を戻してすみませんが、「『征伐』の語には、中立性の面からみて問題がある」という指摘そのものと「問題はあってもそれを重視しない」という見解とは、一応、峻別しておく必要があると思います。両者は互いに相容れない意見というよりは、むしろ両立可能な見解だと思うからです。すなわち、
  1. 「『征伐』には、中立性の面からみて問題がある」という指摘それ自体に対しては、今をもってしても、何ら有意な反論がありません。「厳密には『明治維新』『カノッサの屈辱』『十字軍』などであっても決して『中立的』な命名とは言えない」という御意見がありました。それはその通りだとしても、「『征伐』が中立性の面からみて問題がある」という指摘を覆すものではありません。言い換えれば、「問題なし」を立証するものではありません。実際に問題視しているようにみえる研究者も複数いらっしゃいます。
  2. 「中立性」を考慮ないし重視する必要に関しては、「考慮する必要がある」という意見と「考慮する必要はない」という意見に分かれるようです。「考慮する必要がない」という御意見が大多数を占めるようですが、わたしは、この件は「考慮する必要のある」ケースではないかというふうに考えています。
で、どうして考慮する必要があるかというと、ひとつには、「十字軍」「カノッサの屈辱」などの場合とは事情が全然異なり、この件はそのような「定まった用語のない」ケースだからです。たとえるならば、「十字軍」という用語を使えないと仮定して、「ムスリム征伐」「イスラム圏侵攻」「対イスラム戦争」等のなかから記事名を選ばなくてはならない、そんな状況に近いと考えています。みなさんは、この3者から選ぶとすれば何を選ぶでしょうか。
このような状況でひとつを選択しなければならないとき、その基準が重要であることは言うまでもありません。いろいろ議論のあるところではありますが、基本的には、Wikipedia:記事名の付け方の5指針、
  1. 認知度が高い
  2. 見つけやすい
  3. 曖昧でない
  4. 簡潔
  5. 首尾一貫している
が、まずは重視されるべきではあります。今回の改名論議の場合、「4.簡潔さ」に関しては差がありません。「2.見つけやすさ」に関しては、リダイレクト処理するとしたら、これまた差はありません。「1.認知度の高さ」に関しては、まとめるとだいたい「攻め」>「征伐」>「役」であり、紀州・四国の改名議論の際におこなわれた調査では、時系列的には1980年代までは「征伐」優勢、1990年代以降は「攻め」優勢に変化したことが確認されています。「3.曖昧さ」に関しては「役」>「征伐」≧「攻め」という指摘が支配的なようです。ただし、「3.曖昧さ」に関してはotheusesを使えばどのようにも対応できるという指摘があり、また、「1.認知度の高さ」といっても、そもそもが「定まった用語がない」なかでの「相対的な」認知度の高さ、いわば「程度問題」にすぎません。大抵の場合は、ここまででだいたい決着が付くはずなのですが、残念ながら、今までの話し合いでは決着が付きませんでした。「5.首尾一貫性」に関しては、個人的には重要だと思いますが、議論の拡散につながるので、ここではふれません。
いずれにせよ、上の5指針(というか4指針)で検討しても埒があかないわけですから、他の基準も加えて検討することが必要です。さしあたって、
  1. 記事を最も成長させるのはどの候補か。
  2. 強固な反対や異論が少なくて、蒸し返しを極力避けられる候補はどの候補か。
の2つが自分としては思い浮かびます(ほかに思い浮かぶ基準があるのならば、ぜひお寄せください)。
そうした場合、ある候補よりも別の候補の方が、戦争当事者双方を公平に扱うことができ、記事を発展させることができるというのであれば、「ある候補」よりは「別の候補」の方がが好ましいと言えるでしょう。また、いつもいつも改名議論しているわけにはいきませんので、蒸し返しを避ける方法を採用するのと同時に、極力蒸し返しが避けられる候補を選択するのが賢明でしょう。改名議論はこれまで主に「中立性」と「認知度」をめぐって繰り広げられてきたわけですので、著しく中立性に難があったり、極端に認知度が低いものは蒸し返される可能性が高いと考えられます。まとめると、5指針のなかで結論が出せるのなら中立性は問題にならないかもしれないが、現実には、5指針の範囲内で結論を出してこれなかったということです。
「ウィキペディア利用者よりも学者や研究者の判断を優先させるべき」という伏儀さんの御意見にはまったくもって同感ですし、Yasumiさんの投票決着による合意形成提案にも同意します。早く決着を付けるべきでしょう。--Chokorin 2011年9月8日 (木) 15:02 (UTC)[返信]
  コメント 「今をもってしても、何ら有意な反論がありません。」と言われても困ります。「征伐」が不適切とする今までの主張は匿名の一個人であるウィキペディアンの私見にすぎませんし、投票前にコメントするような話ではありません。一説はあくまで一説であって定説ではありませんし、いくつかの用語が並立している場合は平等に扱うのがWikipediaとして当然です。--伏儀 2011年9月9日 (金) 11:58 (UTC)[返信]
  コメント私としては、ここは「私見」を述べてよい場だと思っていたので述べてきたというにすぎません。もとより「『征伐』が不適切」というのも、「見出し語とするのには反対」ということにすぎないのであり、下の方のように「差別用語」だと言いたいわけでもありませんし、「九州征伐」という用語を使用するのが適切な場面で「九州征伐」の用語を使用することに異論があるわけではありません。ウィキペディアンのひとりとしては、最も関心があるのは記事の成長なわけですし、本当のところ、改名議論などどうでもよいと思っています。で、この件に関していうと「見出し語」として「九州の役」「小田原の役」で特に不都合はありません。ですから、「何が何でも改名しなければならないものなのか」ということに対しては「改名の必要はない」と考えます。「九州の役」「小田原の役」の語自体に記事の成長を妨げる要素があるわけではありませんし、何が何でも「九州攻め」「小田原攻め」にしたいわけではありません。ただし、どうしても改名しなければならないものであるとするなら、認知度の高さからみても中立性の観点からみても「九州征伐」「小田原征伐」とするよりは「九州攻め」「小田原攻め」とする方がはるかに妥当であり、また、加筆しやすく記事の成長にもつながると考えます。ですから、何としても改名を推し進めたいという人たちが、改名先候補を「九州攻め」「小田原攻め」としてくれるのであれば、一応、賛成することはできます。しかし、一足飛びに「九州征伐」「小田原征伐」に改名することは、それにともなう弊害があると思うので反対です。ここまでは、「ウィキペディアンの私見」です。投票の結果、「九州征伐」「小田原征伐」に決まるのであればそれに従いましょう。お約束いたします。--Chokorin 2011年9月9日 (金) 22:58 (UTC)[返信]
  コメントいえ、私もヒートアップしていたようです。候補から「征伐」を除くべきという意見でないかぎり、私見に対して強く反対するつもりはございません。投票の実施については合意がとれていると思いますので、投票の実施方法を詰めたうえで投票に移ってよいと思います。--伏儀 2011年9月12日 (月) 06:06 (UTC)[返信]

(コメント)秋田城之介、ジャムリン、小判キングらのアカウントは異口同音に、差別用語『征伐』を推進しているように見えます。過去に同様の主張をしていたプリズム11も含めて、投票の前にまずチェックユーザーすべきですね。--三階菱 2011年9月8日 (木) 16:28 (UTC)[返信]

  コメント 歴史系の項目名や表記をめぐる議論でしばしば現れるのが、「○○はこういう意味にとれるからふさわしくない」という主張です。「南京大虐殺」でいえば、論争のある大虐殺について、ウィキペディアが一方の肩を持つような表現をとるのはけしからん、「九州征伐」でいえば、征伐は勝者の論理・レッテル貼りであるから中立的でない、といった主張です。これらの主張は、もっともらしい割には実は重要でないと考えます。

百科事典には、冒涜的、宗教的、差別的、性的、政治的あるいはトンデモな項目がありますが、それらの項目名が意味するところが中立であるかどうかは問われません。呼び名がなんであろうとどういう意味を持とうと収録に値する項目はその名で収録されます。「魔女狩り」、「奴隷」、「賤民」、「宇宙人」、「幽霊」、「超能力」などがあるからといって、ウィキペディアがそれらを支持したり、レッテルを貼っているという人はいないでしょう。項目名は、事実としてそれがなんと呼ばれているかを端的に示す以上のものではありません。中立的であろうとするなら、なぜその名前で呼ばれるかを客観的に説明することで果たされます。「いやそれでも、別にふさわしい呼び名があるのだからそっちにした方がいい」という反論については、「こっちの方がふさわしい」と思い込んでいる時点で偏った立場であるとお答えできます。私自身も含めて、だれにでも生まれ育ってきた環境や学んだ知識・思想などによる偏りがあるわけで、議論参加者全員が自分の偏りを自覚すること、これこそが中立的な議論の前提でしょう。その偏りに気づかずに、自分は中立であり相手こそ偏っているという風な争いに発展するなら、歴史解釈と同じでいつまでたっても合意などできるわけがありません。

また、カタカナ表記の場合に典型的な例として、単純に個人的に「なじみがあるかどうか」で賛成とか反対というものがあり、これはどうでもよさそうに見えて案外重要だと思います。というのは、なじみがあるかどうかは、その項目が一般的にどう呼ばれているかということと直接関わっていて、百科事典として項目が検索しやすく見つけやすい点は、由緒の「正しさ」や原音的に「正しい発音」に勝る場合があるからです。つまり、百科事典は利便性に配慮すべきで、「正式呼称(発音)はこれこれだが一般的にこう呼ばれる」などのフォローが本文にあれば、項目名自体は便宜的に決めて構わないのです。

あと、関連する呼称の統一という観点があります。統一は、できないよりできた方がきれいです。が、ただそれだけです。きわめて雑多な現実世界の反映であるウィキペディアに、あまり美しさを求めすぎないようにしましょう。ひとつの観点にこだわらないことも中立的には必要です。

有力な呼称が複数あってどちらとも決めかねる場合の実際的な解決法としては、その項目が拠っている主たる文献が採用している呼称に従う(典拠優先)のがよいと思います。または、論争より記事の充実に意欲のある利用者の意見に従う(主筆者優先)のもよいでしょう。ウィキペディアは論争サイトではないので、自分の意見は意見として、相手とどう折り合うかを話し合うのがノートページの役割です。項目名をめぐる争いは、第三者にとってはどっちに転ぼうと構わない状況で、自分の偏りを全力でアピールしているように見える、ということを心すべきでしょう。そういうときには、Wikipedia:エチケットあまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください。」及び「ノートページの濫用を避ける」に従うのが賢明です。--みっち 2011年9月11日 (日) 03:07 (UTC)[返信]

  命名基準の件は、みっちさんの意見と同じ意見です。繰り返しになりますが、Wikipedia:記事名の付け方では「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。」です。Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件では「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する」です。どちらも「記事名は中立的なものが良い」とは書かれていませんen:Wikipedia:Article_titles#Non-neutral_but_common_namesでは、更に明確に書かれています。ウィキペディアは一般向け百科事典ですから、一般に普及した記事名を選定し、中立的な記述はその記事内で行うべき(記事名を編集者が勝手な基準で選定しないこと)というガイドだと、私は理解しています。--Rabit gti 2011年9月12日 (月) 11:37 (UTC)[返信]
一応補足しておくと、「一般に普及した記事名」は秋田城之介さんの調査では、九州では「九州平定」次いで「九州攻め」ということであり、「九州征伐」は認知度はかなり低い、「九州の役」は著しく低いという結果でした。小田原に関しては、「小田原攻め」と「小田原征伐」の認知度に大きな違いはなく、「小田原の役」は両者に比較すればやや低いですが、史学関係の書籍を中心にかなり一般的に普及しているようです。私も、みっちさんのおっしゃる典拠優先、主筆者優先が、結局は記事の成長に資するのではないかと考えます。--Chokorin 2011年9月12日 (月) 13:34 (UTC)[返信]
  コメント認知度についてですが、Chokorinさんがよく「征伐」の語義に持ち出される辞書ですが、例えばあるネット辞書の国語辞典限定ですと「九州征伐」、「四国征伐」、「小田原征伐」が存在することに対し、「九州の役」、「九州攻め」、「四国攻め」、「小田原の役」、「小田原攻め」と登録無しになっており、「薬子の変」、「前九年の役」といった「の」の入る単語も登録されている中で、辞書内リダイレクトもなく未登録のままとは、認知度が高いとは言えないようにも思えます。辞書検索でも「○○征伐」は百科事典記事があるのに対し「攻め」「役」は外部Feペディアに誘導リンクがあるだけです。ここでは現時点で国語辞書登録されるほどの認知度の有無の判断の結果とも言えるかもしれませんし、「四国」については一般・書籍共に「""」で囲むと、「攻め」より「征伐」が優位でした。--ジャムリン 2011年9月12日 (月) 13:46 (UTC)[返信]
認知度については詳細な文献調査がすでにおこなわれていますので、各ページの過去ログを再読いただければと思います。--Chokorin 2011年9月12日 (月) 14:01 (UTC)[返信]
辞書とネット検索をこの場に認知度参考として持ち込んだのはChokorinさんもですので。--ジャムリン 2011年9月12日 (月) 18:15 (UTC)[返信]
(伏儀さんへ)私のコメントは特にあなたに向けたものではありませんが、該当するか否かはコメント要件の通りです。POV名について直に書いてあることではないですが、ルールを読んでいけば必然的に上記二通りに落ち着くと思います。例えば、すべての記事がPOVであるとの前提に立ったとしても、優先されるのは「出典での呼称」or「出典で使われる圧倒的代名詞」に変わりはありません。
(主論点について)さて、九州征伐と小田原征伐の改名提案への反論はポリティカル・コレクトネスを求めるものでもなければ、言葉狩りでもありません。中立性の優越は傍論にすぎません(極めて副次的に「選べるような状況では、中立的な呼称を優先した方がいいよね」という考えは持っていますが、一方で「いかなる中立性も考慮すべきではない」と考える人もいるようで、この点では水掛け論でしょう)。
しかし、主論点はそうではなく、記事の定義を無視して耳当たりの良い記事名を選ぼうという論理の飛躍に問題があると思います。「出典の主題」から「記事の主題」は「主題となる出典」から形成され、当然「記事名も主題の呼称」から導かれるのです。
どうして秋田城之介さんが 2011年9月7日 (水) 02:37 (UTC)「歴史学的に多用されてきた用語」という現実と異なる解釈に至ったのか不明ですが、むしろ「○○征伐」を戦争名称として使うことは現行の史学研究では中立性の欠如から避けられている言葉です。記事も出典も読まれていないのでしょうか?
また、ジャムリンさんが 2011年9月9日 (金) 16:12 (UTC) で「如何に征伐が征伐として成立しているか」を論じていますが、本記事の主題は征伐概念ではなく戦争概念です。逆に言えば、征伐概念を主題とする出典から、征伐記事を独立して書くことも可能であろうと言うことでもあります。戦争記事であることは、前回の改名でも合意された事項です、もし現行の合意を覆すのであれば提案内容に反映すべきですが、提案内容に乗せないままこっそり戦争記事を征伐記事に書き換えるつもりであるならば、極めて不誠実な提案でしょう。
すでに述べましたが、Wikipedia:記事名の付け方の解釈にしても下記の問題点があります。
  1. 「認知度が高い」 >が良く引用されていますが、大前提である「その記事の内容を表す」「信頼できる情報源において最も一般的に使われ」を無視してはいませんか?この2つの記事は定義にあるとおり、「・・・戦いの総称である。(九州の役)」、「・・・戦役。(小田原の役)」と戦争概念を描写した記事であることが定義されています。征伐概念の記事には征伐名、戦争概念の記事には戦争名を付けるのが自然でしょう。
  2. 見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事にリンクできるもの)。 >例文「<豊臣と島津の戦争>に動員された島津家久は緒戦において九州を北上し、戸次川の戦いで豊臣・大友連合軍を大破し、大友領に深く進攻した。」 の<>内を「九州の役」と「九州征伐」で置き換えてみれば一目瞭然です。征伐の使用例は原義の征伐概念で圧倒的です、このような状態で数%の使用例である戦争代名詞として読者は汲み取れるのでしょうか?
--Yasumi 2011年9月12日 (月) 11:59 (UTC)[返信]
(追記)5.再改名の開始時期についての制限、「新論点の持ち込み」や「棚上げ期間の設定」なども合意しておいた方がいいでしょう。--Yasumi 2011年9月12日 (月) 20:51 (UTC)[返信]
  コメント 「征伐」は「政権側が戦争当事者の一方を反逆者などと見なし、侵攻した」という政治的背景に着目した用語で、「攻め」「役」「合戦」「戦い」などは戦争そのものに着目した用語でしょう。単なる言い換えの問題だと思います。そもそも、戦争に関する記事には戦争そのものだけでなく、戦争に至った背景について説明されるのが普通です。既存の事典もそうなっているので、一般の読者様が迷うことはないと思います。--伏儀 2011年9月12日 (月) 12:36 (UTC)[返信]
太平洋戦争日本の降伏が異なるように、九州の役と九州征伐は異なります。実際に出典でも使い分けがなされていますし、九州征伐の圧倒的用例は「秀吉が島津を征伐した行為」であり、秀吉POVなので被征伐側については適用されません。--Yasumi 2011年9月12日 (月) 20:51 (UTC)[返信]
>太平洋戦争と日本の降伏が異なるように
日本の降伏というのは、単に結果のみの定義であり、本議論との比較はできないと思います。被征伐側については適用されませんとのことですが、適用されないというのはどういうことでしょうか?それが不適切な理由になるのでしょうか?項目内で、征伐に対する反応・応戦に触れればいいだけのことであって全く根拠にならないと私は考えています。--秋田城之介 2011年9月15日 (木) 00:19 (UTC)[返信]
私が2011年9月12日 (月) 11:59 (UTC) に提示した例文の通り、「戦争の意味で征伐を使用すると文章が成立しない」または「説明したいことと異なる別の意味に解釈されて誤解を生む」というデメリットの通りです。--Yasumi 2011年9月19日 (月) 08:17 (UTC)[返信]

投票実施の提案

編集

もう大方の意見は出ており、「落としどころを探った方がよい」、「投票をすべき」との声も多いので、「小田原の役→小田原征伐、九州の役→九州征伐」の改名投票の実施を提案します。投票場所は九州の役・小田原の役それぞれのノート、投票権利者は50回以上のアカウントユーザーに限定し、期間は1週間ほどにしたいと思いますが、みなさんから投票の仕様について異論があれば変わっていくと思います。投票自体すべきでないという意見もあるかもしれませんが、その場合は議論上の理由もコメントしていただきたいと思います。--秋田城之介 2011年9月12日 (月) 02:28 (UTC)[返信]

  コメント ちょっと待ってください。「小田原」も「九州」も元々は「征伐」で投稿されたものが、「征伐はふさわしくない」として「役」に改名されたのが発端ですよね。そして、「征伐で問題ない」という意見が皆さんから出ているのが現状であると。よって、「役から征伐に改名」というより、「初投稿時の項目名」の賛否について投票しましょうというのが正確ではないでしょうか。そもそも「役」でも問題ないわけで、単に「役」から「征伐」の改名ですと「役のままでよい」で終わってしまうのではないでしょうか。よって、「初投稿時の征伐で問題ないかどうか」でまず投票し、「征伐」反対票が過半数の場合に「攻め」「役」「合戦」など他の候補から選んでいただくべきだと思います。なお、投票期間はもう少し長くしてよいと思います。--伏儀 2011年9月12日 (月) 05:56 (UTC)[返信]
確かにそういった形式でも良いかもしれません。ただ、九州の役の場合は過去の改名議論で純粋な戦争としての定義を前提に改名されていたようなので、そもそも「純粋な戦争としての定義」が正しかったのかどうか(これは役への改名根拠にされたにも関わらず、変更時に全く議論されませんでした)も焦点になると思います。投票期間は2週間くらいでしたら、一般的な範囲だと思っています。--秋田城之介 2011年9月15日 (木) 00:19 (UTC)[返信]
方向としては投票解決に賛成ですが、以下の理由で具体提案として反対です。条件の整備をお願いします。
  1. 投票者に参照してもらう各論のまとめが確認されていない(それとも以前私が提案した比較表で各論をまとめますか?)。
  2. 多重アカウントは排除するための条件として投票条件が緩すぎる。配慮願いたい。
  3. 秋田城之介さんの提案内容が未だハッキリしていない。以前の合意は「戦争記事に戦争名を付ける」ということで、本記事が戦争記事であることが確認されています。定義変更伴う提案なのか否か?
  4. 秋田城之介さんは他の記事への提要も考慮しているようですが、本当に他記事についての何かを決める前提なのか否か?
いずれにしても、各ノートページへ提案する内容だと思います。--Yasumi 2011年9月12日 (月) 12:00 (UTC)[返信]
項目候補毎に、それを推す人が押す理由を書けばいいと思います。長短所双方を書くのは無駄に長くなりますので避けたいと思います。投票条件については言葉が足りなかったかもしれませんが、「投票開始時点で全名前空間の編集回数50回以上、初投稿から1ヶ月以上のログインユーザー」という一般的な基準に基づいてやるべきだと思っていますが、合意次第で変更も有りだと思いますので、当然みなさんにも意見を求めたいと思います。--秋田城之介 2011年9月15日 (木) 00:19 (UTC)[返信]
  コメント伏儀さんのおっしゃることも理解できなくはないですが、結果が「役のままでよい」が多数ならば「『役のままでよい』で終わってしまう」ことで何ら問題ないんじゃないでしょうか。元々「征伐」で投稿されたことは事実であるとしても、「役」に改名されてから数年経過しているわけですし、九州の場合ですと前回の改名時に6,915バイトだったものが、現在では51,148バイトにサイズアップしています。わたしとしては、せっかくここで様々な御意見をいただいていることですし、「改名」というよりは、履歴はこの際白紙に戻し、記事名を一から選びなおすような手法がいいと思います。このケースは、みっちさんのおっしゃる「有力な呼称が複数あってどちらとも決めかねる場合」に相当すると思います。こういうケースの「実際的な解決法」ということでみっちさんは「その項目が拠っている主たる文献が採用している呼称に従う(典拠優先)」を掲げていますが、ここを落としどころにして合意できないでしょうか。--Chokorin 2011年9月12日 (月) 14:26 (UTC)[返信]
Chokorinさんのおっしゃることも一理あるように思えますが、ご自分はネット検索数をもって参照するコメントを出し、ご自分の意見に反するネット検索結果が出ると文献にしましょうと言い出すような方のご意見には俄かに賛同しがたいものがありますし、別の用語典拠の文献を以って改正加筆された場合はどうなるのでしょう。そう考えるとその落としどころは弱いように思えます。--ジャムリン 2011年9月12日 (月) 18:25 (UTC)[返信]
別の用語典拠の文献で加筆した場合は記事名変更を可とする、具体的には、主筆者の改名提案を他者は受容する(主筆者優先)ということでいいんじゃないでしょうか。結局のところ、記事名は便宜的なものにすぎないというのが今までの議論で示されたおおかたのコンセンサスですし、要は加筆が進めばよいわけです。逆に言うなら、加筆が進むような名称ならそれが無難ということでしょう。認知度についても、あなたがおっしゃるように結局のところは水掛け論になってしまっていますし、所詮は程度問題にすぎないようです。--Chokorin 2011年9月12日 (月) 20:35 (UTC)[返信]
そうですね。NET検索数の優位でいってしまえば、一般も書籍も「四国攻め」などは「四国征伐」になってしまうという、まさに水掛論になってしまいます。--ジャムリン 2011年9月13日 (火) 02:11 (UTC)[返信]
結論としては典拠優先、主筆者優先ということでよろしいのでしょうか。--Chokorin 2011年9月13日 (火) 03:51 (UTC)[返信]
歴史的総合的な認知度も考えた方がいいと思います。--ジャムリン 2011年9月13日 (火) 04:32 (UTC)[返信]
ありがとうございます。ジャムリンさんの御意見は、典拠優先・主筆者優先という原則に加えて歴史的総合的な認知度も考慮し、各人がそれぞれ判断して投票するという意見と理解して間違いないですか。--Chokorin 2011年9月13日 (火) 04:39 (UTC)[返信]
主筆者優先については、どうなんでしょう?ひとつの側面として考慮の要素に入れてもいいと思いますが、優先となると記事の私物化に傾く惧れがあるような気がしないでもありません。--ジャムリン 2011年9月15日 (木) 19:36 (UTC)[返信]
(追記)秋田城之介さんはいかがですか。みっちさんの示された「実際的な解決法」について、何か御意見はありますか。--Chokorin 2011年9月13日 (火) 03:54 (UTC)[返信]
典拠や立項者・執筆者の観点も考えるべきですが、歴史的な認知度を最も優先すべきと思います。--秋田城之介 2011年9月15日 (木) 00:19 (UTC)[返信]
Yasumiさんはいかがでしょうか。みっちさんの示された「実際的な解決法」について、御意見ありますか。--Chokorin 2011年9月16日 (金) 00:09 (UTC)[返信]
実際的な解決法として示された第一の「その項目が拠っている主たる文献が採用している呼称に従う(典拠優先)」についてはきわめて同感です。ただし当然、文頭の条件の通り、記事の主題と出典の主題が一致していることは極めて重要です。つまり、たとえば「九州攻め」という言葉が出典に多数出ていようと、それが「豊臣秀吉が九州(島津)を攻めた行為」を示した言葉であって、豊臣と島津の戦争を示した言葉でなければ「その項目」とは切り口が違うと言うことになるでしょう。第二の「論争より記事の充実に意欲のある利用者の意見に従う(主筆者優先)」については、まずはWikipedia:記事の所有権の観点から疑問を感じざるを得ませんが、例えば戦争主題でなく惣無事令を基調とした「秀吉が島津を成敗した正統性」などを主題とする九州征伐の記事が立項されることは有り得るのではないかと思います。九州と小田原の二件については、戦争記事として記述する充分な出典に支えられていると思います。--Yasumi 2011年9月19日 (月) 08:17 (UTC)[返信]
記事も出典もよく読んで下さい。ネット検索も文献調査も、「表現されている=認知度が高い」ではありません(同じく「九州征伐」より「征伐」の使用頻度は高いですが、記事主題と異なるので改名候補としませんよね?)。「その呼称の用法」と「記事の主題」は一致しているのですか? 私が読んだ限り、「九州征伐」「小田原征伐」の用法の殆どは「秀吉の征伐行為」をであり、各「戦争名称」ではありませんでした。当然、被征伐側が主体の場合には使用されない呼称でした。上にも書きましたがWikipedia:記事名の付け方の「認知度の高い」の条件は「その記事の内容を表す」かつ「信頼できる情報源において最も一般的に使われ」です。--Yasumi 2011年9月12日 (月) 20:51 (UTC)[返信]
名称というのは一般使用として無視できないものがあると思います。例えば「○○殺害事件」といった記事では加害・被害、そして捜査なども含まれ表現された内容になっているのではないでしょうか。--ジャムリン 2011年9月13日 (火) 02:11 (UTC)[返信]
「九州征伐」「小田原征伐」の用法は「秀吉の征伐行為」と「戦役」の両方の意味合いがあり、定義上の問題は重要ではありません。もし重要であったとしても、元の記事名が「征伐」であったのですから、今回の「役→征伐」が許されず前回の「征伐→役」が許されるというのは根拠が無く、なぜ付加逆なのか説明もありません。それに「小田原の役」の方では定義変更の議論を経ずに改名がなされたという事実もあります。--秋田城之介 2011年9月15日 (木) 00:19 (UTC)[返信]
(ジャムリンさんへ)九州の役小田原の役は史学的・中立的な見地から戦争を主題とした記事なのですから、それらの記事を構成する同一主題の出典の中から一般的に使われている戦争名称を選ぶべきでしょうね。例に示された「○○殺害事件」といった記事であれば、娯楽演目忠臣蔵と史学的事件元禄赤穂事件の違いのように、主題を見失わないことが大事です。英語版の一般的な名称が優先される例題に成っているボストン虐殺事件についても、同主題を同名で扱っている研究が圧倒的であるという前提に立っていることに注目せねばなりません。
(秋田城之介さんへ)「九州征伐」「小田原征伐」の用法は「秀吉の征伐行為」が圧倒的であり、代名詞としての「戦役」意味はほんの数%です。戦争名と征伐名のどちらが、史学的戦争記事のタイトルとして優越されるのか、出典が示しております。出典を読み、記事を書き、記事を読む、全ての前提を踏まえて、お考え直し下さい。--Yasumi 2011年9月19日 (月) 08:17 (UTC)[返信]

(インデントもどす)Yasumiさんのおっしゃることも、ジャムリンさん・秋田城之介さんのおっしゃることも、それぞれ一理あると思います。ただ、現実には「征伐」「攻め」の語句は戦役の意味で実際に使用されており、事典の見出しにもなっています。たとえば、

  • 1983年の吉川弘文館『国史大辞典 第3巻

では、今井林太郎によって「九州征伐」の見出しが立てられており、

  • 2005年の吉川弘文館『戦国武将・合戦事典』

では、『国史大辞典』と同じ説明文で執筆者今井林太郎としながら「九州攻め」の見出しを使用しています。双方とも内容は九州戦役の説明です。Yasumiさんのおっしゃることも理解できなくないですが、それをどこまで重視するかについては人それぞれ温度差があるでしょう。もとより、「九州の役」「小田原の役」で間違っているわけではありませんし、それで不都合があるわけではありません。ジャムリンさんや秋田城之介さん、小判キングさんは、「役」の語を用いることによって生じる実害や「征伐」を用いなければならない必然性があるのであれば、より詳細に、具体的におっしゃっていただければと思います。--Chokorin 2011年9月20日 (火) 21:55 (UTC)[返信]

「九州の役」「小田原の役」の一番の問題点は「認知度が高い」と呼べないことだと思っています。単著というのも、参謀本部関連のものだけですし、事典などにおいては見出し語に使われることがほぼない状態です。--秋田城之介 2011年9月21日 (水) 04:36 (UTC)[返信]

  コメント 投票条件については具体的な要望があったものは改めましたが、以下のような条件でよろしいでしょうか?投票場所は九州の役・小田原の役それぞれのノート、投票資格は「投票開始時点で全名前空間の編集回数50回以上・初投稿から1ヶ月以上のログインユーザー」、投票期間は2週間となっています。投票開始日は、投票要綱の決定から一週間ほどが良いと考えています。また投票要綱決定後に、各選択肢の長所についてもまとめたいと思っています。--秋田城之介 2011年9月21日 (水) 04:36 (UTC)[返信]

投票もいいですが、ジャムリンさん、秋田城之介さん、Yasumiさん、3人とも「典拠優先」という解決方法に一定の理解を示されています。そこで、記事「小田原の役」をみれば、現状では、主たる出典は旧参謀本部の『小牧・九州・小田原の役』ですし、記事「九州の役」では、主な出典は小和田哲男『戦争の日本史15 秀吉の天下統一戦争』・『名城と合戦の日本史』のようです。前者では「小田原の役」、後者では「九州攻め」が用語として選択されています。そのあたりを落としどころにして合意することはできないでしょうか。また、Yasumiさんは「征伐」について、「戦争主題でなく惣無事令を基調とした『秀吉が島津を成敗した正統性』などを主題とする九州征伐の記事が立項されることは有り得る」とおっしゃっていますが、この意見については、どう思われますか。--Chokorin 2011年9月21日 (水) 12:07 (UTC)[返信]
小田原の役の主たる典拠は参謀本部の『小牧・九州・小田原の役』ではないと思いますが。参謀本部を典拠にしているのは陣立て部分でしかありません。--ジャムリン 2011年9月24日 (土) 20:33 (UTC)[返信]

(インデント戻す)わかりました。では、「九州の役」に関しては、「典拠優先」という解決方法を採用して「九州攻め」への移動ということにしてはいかがでしょうか。この記事の冒頭には「九州征伐、九州平定、九州攻めなど」への改名提案タグが貼られており、「九州攻め」も改名先候補となっており、また、「九州攻め」への改名は提案者の秋田城之介さん御自身の同意もあります。もし、この記事が「九州征伐」の用語を採用した出典によって大幅に改稿ないし加筆された場合には、そのとき「九州征伐」への改名も検討するということでどうでしょう。また、「九州攻め」とは区別した「純然たる戦役記事」として「九州の役」を立項したい向きには、新規立項を妨げないということでいいと思います(ただし、記事の中味が重複しないよう、そこは別途協議して調整を図る必要があります)。

小田原の役」に関しては、「小田原の役」と「小田原征伐」との二者択一で投票によって決することにしてはどうかと思います。Yasumiさんは不正投票の心配をなさっていますが、これは疑ったらキリのない話であり、コミュニティを信頼するよりほかにないと思います。小判キングさんの調査によれば、「小田原征伐」が約1300件、「小田原の役」は604件、「小田原征討」は82件、「小田原平定」は52件(ちなみに私の調査では「小田原攻め」1270件、「小田原征伐」1190件)ということでした。「小田原征伐」と「小田原の役」ではNET検索上では確かに認知度のうえでは倍程度の差がありますが、これを「ダブルスコアで圧倒的」ととらえるか「五十歩百歩で大差ない」ととらえるかは判断の分かれるところです。そしてまた、「征伐」とは、「桃太郎」の歌や「宮さん宮さん」の歌に登場するように、平たくいって「悪者をやっつける」という意味であり、それゆえ、しばしば主観的に用いられることがあるのも事実です。すなわち、「征伐」の原義には「政権側が起こした」という意味は含まれておらず、そういった意味からは「上杉謙信の小田原征伐」も決して誤用ではありません。Rabit gtiさんがおっしゃるように、「記事名は中立的なものが良い」と書かれていないことは確かにその通りであり、記事名いかんによらず「中立的な記述はその記事内で行うべき」ということについてはもとより異論はありませんが、このケースの場合、記事名もまた記事の一部でありうるとも考えられます。少なくとも、「小田原征伐」の名称では、「北条氏にとくに目立った反逆行為があったわけではなかった」というような歴史学者の意見や指摘は叙述しにくいことは確かです。Cray-Gさんのおっしゃった「個人的には『征伐』、だがWikipediaらしさを考えて『役』」というあたりが一般的な感覚かもしれませんが、この件は認知度・記事の中立性の保障、いずれをとっても微妙な案件なので、ここは水掛け論を避けるために投票によって決すべきでしょう(ただし、仮に「小田原征伐」に決まった場合でも、わたしがノート:小田原の役で記したような池上裕子や神田千里らの呼称問題に関する言及が記事に加筆されても、決して削除しないということを「征伐」を推進する方々には約束していただきたいと思います)。典拠となる文献の豊富さなども考慮して、各自総合的に判断していただくのが最良ではないでしょうか。--Chokorin 2011年9月25日 (日) 00:52 (UTC)[返信]

私は九州の役小田原の役を念頭にコメントしていたのですが、ここでは何を対象とした議論をし、何について決定をすべき場所なのでしょうか?概要としては「議論が尽くされた提案は投票で解決し執筆に注力すべき」との方向性が示されたものであると思いますが、武田征伐紀州征伐長州征討他に適用するような提案なのでしょうか?実に曖昧です。この場は各論を繰り返す場には相応しくないと考えます。もしここの提案が、統一的な一括解決を臨むものであるならば提案者は議論の対象・前提・範囲を説明すべきでしょう。
なお秋田城之介さんが提示された投票条件については、私の要望が全く受け入れられていないため大変不満です。投票条件に間に合わせたかのようなアカウントが大挙し、その後活動を止めるような事にならない配慮を求めます。--Yasumi 2011年9月25日 (日) 20:37 (UTC)[返信]
Yasumiさんのおっしゃることも理解できます。ここは何を対象とした議論をし、何について決定をすべき場所なのかが必ずしも明確ではありません。記事名の付け方について幅広く意見を集めたいということなのであれば、秋田城之介さんは、どうして「征伐」への改名を推し進めようという人だけに声をかけたのか。また、秋田城之介さんはなぜ投票の有資格者について「投票開始時点で全名前空間の編集回数50回以上、初投稿から1ヶ月以上のログインユーザー」としたのか。「投票開始時点」ならば、Yasumiさんが心配されるように、投票目的のために大量のソックパペットがつくられるのではないかという疑惑があって当然です。ただ私は、その一方で、このような疑問や懸念を多くの人がかかえたまま、本当に投票におよんでよいのかとも思います。そもそも、改名投票(記事名にかかわる投票)は、扱う対象が同一ないしほぼ類似の事項であるからこそ成り立つのであって、Yasumiさんがおっしゃるように、「役(戦役)」と「征伐行為」がまったく異なるものであれば投票は必要ありません。また、秋田城之介さんがおっしゃるように「○○征伐」には「戦役と征伐の両方の意味がある」というのであれば、本件の解決方法はやはり改名投票ではなく、むしろ別記事立項のはずです。その点ではYasumiさんと秋田城之介さんは共通の土台に立っているのですから、小田原の役に関しては、「小田原の役」と「小田原征伐」の両方を立てるのがよいでしょう。また、九州の役に関しては、現状の記事からみれば典拠の面からいって「九州攻め」への改称が適切なので「九州攻め」に移動するのがよいでしょう。そのうえで、この記事が「九州征伐」の用語を採用した出典によって大幅に改稿・加筆された時点で「九州征伐」への改名を検討する、あるいは、軍記物・講談などを典拠に別記事「九州征伐」を立てることがあればそれを妨げない、その一方で「九州攻め」とは区別した「純然たる戦役記事」として「九州の役」を立項したいという人がもし出現したならば、そのときは新規立項を妨げないということでいいでしょう。--Chokorin 2011年9月26日 (月) 01:38 (UTC)[返信]
私はかつて、Chokorinさんの「九州攻め」への妥協案で合意しましたよ?しかしYasumiさんが合意しなかったし、Chokorinさんは特に説得もしなかった。だからこういう展開になっているのです。また同じようなことを言われても堂々巡りになるのは目に見えていますし、記事を並立・共存するのであれば、現行の「小田原の役」「九州の役」を元の記事名「小田原征伐」「九州征伐」に戻すのが筋であり、いずれにせよ改名を望む私の姿勢は変わっていません。また今回の投票は長州征討や紀州征伐など他の記事について決定する性質のものではないですし、私は今回の投票提案にあたっても言及したつもりはありません。投票条件については、他の投票に用いられている基本的な条件を踏襲したものです。具体的な改善意見が無かったのでそのままでしたが。他の投票でも、投票提案時点を基準にしている場合もありますので、投票提案時(2011年9月12日 (月) 02:28 (UTC))基準ではどうでしょうか?--秋田城之介 2011年9月26日 (月) 02:51 (UTC)[返信]
説得しなかったのは確かですが、Yasumiさんと秋田城之介さんとはお互い同じ前提に立っていて、わたしはお二人とは違う立場にいますからね。Yasumiさんは、「征伐行為について書きたいなら書けばよい」とおっしゃっていますし、秋田城之介さんも「征伐行為について書きたい」のでしょう。ならば、そこで合意したらどうでしょうか。具体的にはこの版をもとに「征伐行為」について記した記事を立てればよいと思います。そうすれば、改名前の「九州征伐」の記事を生かしたことにもなるんじゃないでしょうか。いかがでしょうか。--Chokorin 2011年9月26日 (月) 03:54 (UTC)[返信]
前回の改名理由は不適切であると思っていますので、現行の「九州の役」を「九州征伐」とし、新たに「九州の役」を立てるべきだと思っています。どちらを新たに立てるにせよ、記事の一部分割ということになりそうですが。そういう意味ではYasumiさんと同じ前提に立っていません。--秋田城之介 2011年9月27日 (火) 15:18 (UTC)[返信]
「前回の改名理由が不適切かどうか」が主論点だったんでしょうか。ならば、なぜ小判キングさんが「九州平定」への改名を提案したときに賛成し、わたしの「九州攻め」への改名提案には同意できたのでしょうか。お答え下さい。--Chokorin 2011年9月27日 (火) 20:41 (UTC)[返信]
現行の「九州の役」は、「九州攻め」の語を使用している学者の文献を典拠としており、現状の記事の記事名としては、(前回の改名理由の適・不適いかんによらず)「九州攻め」が最適です。「九州征伐」の語を用いている学者の文献は典拠としては一切用いられていません。この件についてはどう考えますか。--Chokorin 2011年9月27日 (火) 20:41 (UTC)[返信]
ガイドラインで示されている記事の名前の付け方は、歴史事件においては「一般的」であって、典拠で使われているか否かという基準は上げられていませんし、それは他の方にも指摘されています。また、これも前にも言いましたがそれでは別の用語が使われている典拠を元にした大幅加筆や改編のあった場合等に一々改名しなくてはならなくなりますし、そんなことはガイドラインのどこにも提示されていません。
小田原に関しての使用例の調査ですが、書籍検索に限っても「小田原征伐」は謙信の場合にも使われていないことはないですが、「小田原攻め」に比べてると使用例はかなり少ないですし、「小田原攻め」は武田信玄の小田原攻撃にも使われています。それどころか秀吉のときには攻められる側である北条家の祖・早雲の小田原奪取の際の使用例もありますし、扇谷上杉家による小田原攻撃計画にも使われています。
投票を実施するのであれば、開始についての合意が得られてから、管理系の投票に用いられている条件(ログインユーザー、アカウント取得から投票開始までに一ヶ月以上の経過・標準空間で50回以上の編集、直前までの一ヶ月に標準空間での5回以上の編集)に準ずれば良いのではないかと思います。--ジャムリン 2011年9月28日 (水) 03:36 (UTC)[返信]
「小田原攻め」への改名は誰も主張していないんじゃないでしょうか。小田原に関しては、「小田原征伐」でも「小田原の役」でも、とにかくどちらでもいいから「典拠にもとづいた加筆」がなされる段階だと思いますけれど。--Chokorin 2011年9月29日 (木) 11:18 (UTC)[返信]
なぜ典拠最優先の議論方法になるのでしょうか?私が元の記事名に沿うよう「九州征伐」を使用した文献・事典を出典として大量に使えば、あなたは「九州征伐」への再改名に賛成するのですか?しないでしょう、そういう単純な問題じゃないはずです。--秋田城之介 2011年9月30日 (金) 03:09 (UTC)[返信]
少なくとも私は2011年2月11日の段階では21,859バイトだった記事に、2011年3月8日の加筆で「九州攻め」を典拠にした加筆をおこない51,414バイトにしており、強化記事にも選ばれています。あなたが「九州征伐」を使用している学者の文献だけを典拠にして11万バイトの記事にしてくれるというのなら、「九州征伐」への改名にはもちろん賛成できます。それまでは「九州攻め」でよいでしょう。「典拠優先の原則」を落としどころにすることでみなさんが同意できるのなら、その方が記事の充実に資すると思います。--Chokorin 2011年9月30日 (金) 21:08 (UTC)[返信]
横から申訳ございません。この長大な節を、なんとか読んでみたのですが、そもそも改名が必要だと提案されている理由が、明確には把握できませんでした。もしかすると私の理解力が弱いだけなのかも知れませんが。せっかく投票所を設けられても、内容が理解しにくくては、従来論争に参加されてきた方以外は、根拠のある投票を行えないのではないでしょうか。ちなみにウィキペディアでは「征伐」の語について、定義文中に「実際にはプロパガンダ(政治宣伝)として(中略)使われることが多い」となっていますので、一定のネガティブなニュアンスが付くことは否定できないように思えますが。--J Stalin 2011年9月28日 (水) 06:42 (UTC)[返信]
征伐でのご指摘の記述についての典拠が提示されていなかったので、改めて要出典タグを貼りました。ご存知の方の提示と説明を待ちたいと思います。--ジャムリン 2011年9月28日 (水) 09:45 (UTC)[返信]
日本の歴史教科書では「征伐」の語はほとんど見かけたことはないですが、韓国の国定教科書では元寇を「日本征伐」と記していましたね。日本を「悪者」と見なすプロパガンダのように感じましたが、わざわざ「これは政治宣伝である」と断って政治宣伝をする人はいないので、そのへんは難しい判断が求められるでしょう。--Chokorin 2011年9月28日 (水) 11:02 (UTC)[返信]
正しくは現在の教科書ということでしょうか?他国の事象おける他国の立場についての議論ではありませんので参考にもなりませんね。日本のネット辞書では何れの事象も「征伐」でしたが。--ジャムリン 2011年9月28日 (水) 18:44 (UTC)[返信]
教科書についての調査の具合がどれほどのものかは判りませんが、中学校の教科書などを発行している東京書籍で募集している東賞教育賞の13回優秀賞を受賞した論文などでは「―地域教材で学び合う姿を求めて' 「『子ども先生型授業』の開発」」( pdf)と「小田原征伐」が使われていました。--ジャムリン 2011年9月28日 (水) 19:19 (UTC)[返信]
ジャムリンさんが引用した論文は史学ではなく教育学の論文であるわけですが、それとて文中にある三個所の「小田原征伐」は小田原の役の主題である「豊臣と北条の戦争」を表現しておらず、一方による征伐行為を意味する使用例です。他の小田原征伐の用例の殆どと同様に、該当記事の主題と異なる使用例であることから「小田原征伐」が該当記事名に相応しくない根拠です。--Yasumi 2011年10月12日 (水) 12:13 (UTC)[返信]

(インデントもどす)J Stalinさんは「そもそも改名が必要だと提案されている理由が、明確には把握できませんでした」とおっしゃっていますが、これは何もJ Stalinさんの「理解力が弱い」からではありません。ずっと議論にたずさわっている私にも実はよく把握できていません。現行の「小田原の役」「九州の役」だと具体的にどんな深刻な不都合があるのか、必ずしも小判キングさんや秋田城之介さんは明らかにしていませんからね。たとえば、「現行の記事と記事名とがミスマッチを起こしている」とか、「現行の記事に加筆修正していくうえでは『小田原の役』では著しく不便である」とかというのであれば、改名はどうしても必要だということになるのでしょうけれど。リダイレクト状態が不満で「征伐記事を書きたい」というのであれば書けばいいと素直に思うのですが、それを避ける理由は何なのか。そのあたりは、ちゃんと説明すべきでしょうね。--Chokorin 2011年9月29日 (木) 11:11 (UTC)[返信]

(秋田城之介さんへ)秋田城之介さんは「前回の改名理由は不適切であると思っています」とおっしゃっていますけれども、申し訳ありませんが、「前回の改名理由が適切か不適切か」にはまったく興味がありません。「その時改名に賛成した人は適切だと考えたのでしょう」としか言いようがありませんので、そういう話題がしたいのであれば、どうか、他人を巻き込まないで、Yasumiさんとお二人でじっくりとお話し合いください。そうではなく、「現行の『九州の役』『小田原の役』の記事の記事名として最も適切なものは何か」ということであるならば、少なくとも「九州の役」に関しては加筆者のひとりとして自分なりの意見はあります。そのあたりをちゃんと切り分けて、整理して議論を進めてくださいますよう、お願いします。--Chokorin 2011年9月29日 (木) 11:39 (UTC)[返信]

「九州の役・小田原の役の認知度が高いとは言えない」「前回の改名理由が不適切」という2点が主な理由です。認知度については度々とりあげましたし、「前回の改名理由が不適切」のみを論じているわけではないです。そんなことはChokorinさんはご存知のはずですが、なぜ議論を攪拌するのでしょうか?それにこの問題を私とYasumiさんだけの問題にして片付けるのは乱暴な論理でしょう。--秋田城之介 2011年9月30日 (金) 03:09 (UTC)[返信]
「前回の改名理由が不適切」というのが主論点のひとつであるならば、声をかけるべきは「前回改名に賛成した人たち」だったのではないでしょうか。どうして「征伐に改名したい人たち」のみを選択して声をかけたのでしょうか。筋の通った説明をお願いします。--Chokorin 2011年10月1日 (土) 22:05 (UTC)[返信]
前回改名に賛成した人たちの多くは編集活動を行っていない状態でした。--秋田城之介 2011年10月5日 (水) 03:22 (UTC)[返信]

投票提案に対する意向

編集

議論が込み入ってしまったので、投票条件についての仕切りなおしたいと思います。今まで挙がった投票条件について賛成か反対を表明してください。--秋田城之介 2011年9月30日 (金) 03:09 (UTC)[返信]

投票実施の是非
  • 投票実施に賛成
提案者票--秋田城之介 2011年10月5日 (水) 03:30 (UTC)[返信]
--小判キング 2011年10月9日 (日) 15:02 (UTC)[返信]
  • 投票実施に反対
--三階菱 2011年10月2日 (日) 16:13 (UTC)[返信]
  •   条件付賛成/  条件付反対
(コメントによる)--Yasumi 2011年10月12日 (水) 12:13 (UTC)[返信]
投票者資格
  • 投票提案時で全名前空間の編集回数50回以上、初投稿から1ヶ月以上のログインユーザー(2011年9月26日の私の意見)
提案者票(ジャムリンさんの案との折衷も考えます)--秋田城之介 2011年10月5日 (水) 03:30 (UTC)[返信]
  • 開始についての合意が得られてから標準空間で50回以上の編集、直前までの1ヶ月に標準空間での5回以上の編集、アカウント取得から投票開始までに1ヶ月以上経過(ジャムリンさんの意見)
投票期間
  • 1週間
  • 2週間
--秋田城之介 2011年10月5日 (水) 03:30 (UTC)[返信]
その他意見

コメント欄

編集
  コメント投票実施に関しては基本的には賛成です。しかし、それに先だって、このケースが「『信頼できる情報源』において圧倒的に戦役名称として『征伐』が用いられ、認知度が高い」と言えるのか、それとも、「有力な呼称が複数あってどちらとも決めかねる場合」にあたるのかは共通理解を図っておく必要があると思います。後者であるならば、自説にこだわらず、できるだけ記事の加筆のしやすい用語、「積極的に賛成」とまではいかなくても大体が「まあまあ許容できる」という無難な用語を選択したらどうかと思います。投票以外の方法、たとえば「典拠優先」という解決策の採用も検討してよいでしょう。逆に、前者であるならば、歴史学分野を対象とした精緻な文献調査によってその根拠が示されるべきでしょう。
もうひとつは、記事の主題に関する共通理解であり、「○○征伐」と「○○の役」とがまったく異なる主題をあらわすものであるとか、あるいは、「○○征伐」は多義的で「戦役」という意味と「征伐行為」という意味の両方をあらわすというのであれば、投票という行為によって問題を解決することはできないと考えます。そこは、「少なくともWikipediaのなかでは『○○の役≒○○征伐』とみなすのだ」という合意が必要です。そういう合意が成り立たないならば、そもそも現状の「九州征伐→九州の役」のリダイレクト状態そのものが不合理・不適切だということなので、別記事立項で対処すべき案件ということになるでしょう。別記事立項というセンで合意できるのであれば、前回の改名の経緯や適・不適にはこだわらず、それで合意した方がよいでしょう。
この2点がクリアされたなら、すぐに投票に移ってよいのではないでしょうか。--Chokorin 2011年9月30日 (金) 22:46 (UTC)[返信]
  コメント Chokorinさんのおっしゃる通りです。そもそも、征伐推進派は感情論ばかり先立っており、(これはノート:征伐でも明白です。)なんの根拠も持っていませんよね。また、征伐へ改名したがっている利用者には不正利用の懸念もあります。現時点では投票移るべきでないという方向に同意です。--三階菱 2011年10月2日 (日) 16:13 (UTC)[返信]
そもそも役でなければ描けないという点も、一部がそう言い立てているだけで、根拠まるで示されていません。--ジャムリン 2011年10月2日 (日) 22:56 (UTC)[返信]
  コメントそういう水掛け論を避けるために文献調査が必要なのではないでしょうか。「役でなければ描けない」と言っている人がいるかどうかは知りませんが、「『征伐』という記事名じゃ書きにくい」という人は当然いるでしょう。「征伐」というのは、「悪者をやっつける」という意味であり、「悪者を攻めるのだから自分の行為は正義である」という主張や宣伝を含んでいますからね。大義名分がどうであるかは別にして、「島津(北条)には島津(北条)の正義と呼ぶべきものがあったんじゃないか」という観点からの事実や分析、意見などが書きにくいことは確かでしょう。『太閤記』など秀吉を主人公にする物語で「九州征伐」「小田原征伐」という表現を使うのは当たり前すぎるほど当たり前の話であり、そういうものをみて「認知度が高い」と言っても何の説得力もありません。もとより、「そんなに書きにくいのなら加筆を断念しろ」という意見が存在しうることは確かです。しかし、それも「信頼できる情報源」でいうところの「二次資料」のなかで圧倒的に「九州征伐」「小田原征伐」の語が使われているということが前提になります。「二次資料」のなかで圧倒的に「九州征伐」「小田原征伐」の語が使われているというのならば、いくらでもそれを典拠に加筆はできるということなわけですから。何としてでも「征伐」の記事名を採用したいというのであれば、そう主張する側が率先して文献調査をおこない、「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された」著作物のなかでも圧倒的に「九州征伐」「小田原征伐」の語が用いられていることを明らかにすべきでしょう。それが明らかにされない限り、投票は無意味なんじゃないかと思いますし、明らかにされれば「征伐」への改名はコミュニティの圧倒的な支持を得ることができると思います。--Chokorin 2011年10月3日 (月) 12:18 (UTC)[返信]
  コメント すでに記事のノートで文献調査などが繰り返し行われており、その後井戸端で提起された事案ですので、ここで文献調査を行っても進展には寄与しないのではないでしょうか?--貫鉄 2011年10月4日 (火) 09:15 (UTC)[返信]
  コメントこのケースが「『信頼できる情報源』において圧倒的に戦役名称として『征伐』が用いられ、認知度が高い」と言えるのか、それとも、「有力な呼称が複数あってどちらとも決めかねる場合」にあたるのか。そのどちらかをハッキリさせるための文献調査です。これがハッキリしないと投票者は何を基準に投票したらよいのか判断が付かないはずです。提案者がまずは自らの主張の根拠を明確にしないことには話にならないでしょう。--Chokorin 2011年10月4日 (火) 10:20 (UTC)[返信]

  コメント提案者(秋田城之介さん、小判キングさん)はいかがでしょうか。「調査の必要あり」「調査の必要なし」どちらでしょうか。--Chokorin 2011年10月4日 (火) 21:42 (UTC)[返信]

私としては、Chokorin氏基準の再度の調査は必要ないと考えています。理由は下記にした通りです。--秋田城之介 2011年10月5日 (水) 03:19 (UTC)[返信]
「ネット検索に問題点がある」なおかつ「再度の文献調査は必要ない」ということであれば、「今までの文献調査は最大限尊重する」ということでいいんでしょうか。--Chokorin 2011年10月11日 (火) 17:07 (UTC)[返信]

投票に先だっての共通理解について

編集

(セクションの設置)上記コメント欄を受けて、共通理解が必要と思われる事項については、この欄で検討することとしましょう。--Chokorin 2011年10月1日 (土) 22:16 (UTC)[返信]

本件が、「信頼できる情報源」において圧倒的に戦役名称として「○○征伐」が用いられ、認知度が高いと言えるケースなのか。それとも、「有力な呼称が複数あってどちらとも決めかねる場合」にあたるのか。
  コメントこれについては、そもそも、この記事が歴史事象を歴史学的に扱った記事であることが合意されていることが前提になります。「Wikipedia:信頼できる情報源#情報源」には、「『二次資料』がウィキペディアの記事の参照先として依存する素材庫になります」とあり、二次資料とは何かについては「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます」とあります。したがって、『太閤記』などの軍記物で「九州征伐」の語がいくらたくさん使われているとしても、「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」には相当しませんから、そこは除外して考える必要があります。国語辞書や百科事典なども「三次資料」ですので、やはり除外しなければなりません。ところがNET検索は、そうした軍記物や講談、あるいはそれをもとにした小説などで使われている言葉、あるいは三次資料も拾ってしまいますから、学術上の認知度を測る目的でNET検索を使用するのはきわめて不適切です。したがって、「歴史学のうえで圧倒的に『征伐』が用いられており、認知度が高い」ということを、もし主張されるのであれば、歴史学分野を対象とした文献調査によってその根拠が示されることが前提になります。具体的には、山川出版社の日本史ブックレットや新版県史シリーズ、吉川弘文館の「戦争の日本史」シリーズ、あるいは1992年出版の集英社版「日本の歴史」、2002年の講談社版「日本の歴史」など各出版社発行の「歴史学者が執筆している通史」で学者がどの用語を採用しているかを調べ、その結果、「『征伐』が圧倒的に多く用いられ、認知度が高い」ということを指し示すべきでしょう。これは、本来的に改名提案者である秋田城之介さんと小判キングさんのお仕事です。そこを面倒くさがっちゃいけません。きわめて残念なことながら、この議論が混乱してきた理由のひとつは、秋田城之介さんと小判キングさんは、提案者でありながら、提案者が果たすべき最低限の責務を果たして来なかったことに原因があると思います。今からでもよいので、まずは文献調査をおこない、この件をハッキリさせるべきでしょう。--Chokorin 2011年10月2日 (日) 00:38 (UTC)[返信]
ネット検索に問題点があることは承知ですが、不適当な件数を拾っているのはどの候補にもあることですし、二倍近くの差が開くのは十分理由になるでしょう。「三次資料の除外」に関しては全く反対です。Chokorinさんの取り上げたガイドラインには三次資料について『著者の記名がないものは編集部員が書いたものであり、彼らは専門家とは限らないため注意してください。そのような記事は専門家の手によるものと同等の信憑性を期待することはできませんが、ウィキペディアの目的には信頼できる情報源とみなされます』とされており、三次資料の除外はChokorinさんの独自の考えであると言えます。また、そのような考えを以って今までの調査や議論を白紙にするようなやり方は不適切だと感じます。--秋田城之介 2011年10月5日 (水) 03:19 (UTC)[返信]
「ネット検索に問題点がある」という点に関しては私も完全に同意します。三次資料の扱いについては、「専門家の手によるものと同等の信憑性を期待することはできません」とありますので、自分としては除外した方がいいと思います。まずは「専門家の手によるもの」だけで判断し、そこで判断がつかないようなら、三次資料も参考にするのがよいでしょう。--Chokorin 2011年10月5日 (水) 14:42 (UTC)[返信]
詳しい記事を書くにあたって、より参考になるものは確かに二次資料です。しかし認知度が高いかどうかを調べる際に、二次資料と三次資料の軽重つける、もしくはそれを推奨するようなガイドラインは無いはずですが。--秋田城之介 2011年10月7日 (金) 02:10 (UTC)[返信]
「ネット検索に問題点がある」という点については合意が成立しているわけですので、特に異論がないようでしたら、認知度をはかる目安として文献調査を採用にするということでいいでしょう。三次資料に関しては意見の分かれるところですが、そこは各自の判断に委ねることとしてよいのではないでしょうか。--Chokorin 2011年10月7日 (金) 08:35 (UTC)[返信]
私はネット検索に問題があるとは思っていません。むしろ文献に関しては年代範囲をどこに定めるかという問題があり、年代限定の根拠がないということに関して他の方からの批判もあったはずですが。--ジャムリン 2011年10月7日 (金) 12:27 (UTC)[返信]
「年代限定」の話題が出てくるのは、要するに、1980年代から1990年代にかけて以降は「九州征伐」「小田原征伐」の用語を歴史学者が使わないようになってきており、現状ではむしろ積極的に「征伐」の語を使用する学者はほとんどいないように思われるからです。「九州征伐」「島津征伐」などの語をあえて使用する場合も、カギ括弧を用いて秀吉側の視点のみに立った命名であることを強調しており、ほかならぬ歴史学者が「中立性への配慮」をきわめて重視しているのが現状です。一例をあげれば、山川出版社県史シリーズ『宮崎県の歴史』(1999)で大賀郁夫は「豊臣秀吉の九州侵攻」の語を用い、「…このため秀吉は、同年7月島津氏を『逆徒』と決め、…羽柴秀長・秀次の指揮のもとに西国軍勢を派兵して、世にいう『島津征伐』が開始された。」と叙述しています。この記事が歴史事象を歴史学的に扱った記事であることが合意されているならば、「九州征伐」「小田原征伐」が学問上「認知度が高い」とは到底言えません。ネット検索でHitするほとんどは小説や軍記物のたぐいであり、それで「歴史学における認知度の高さ」を測ることはナンセンスというものでしょう。--Chokorin 2011年10月7日 (金) 20:53 (UTC)[返信]
歴史事件についての記事名の付け方のガイドラインは「一般的な知名度」であって、歴史学上の正しさの根拠が示せない限りは、只の独自研究結果による文献調査結果の一つの視点でしかありません。--ジャムリン 2011年10月7日 (金) 22:16 (UTC)[返信]
確認しておきますが、この記事は歴史事象を歴史学的に扱った記事ということでよいのでしょうか。一般的な知名度ということからいえば、たとえば「治承・寿永の戦い」よりは「源平合戦」の方が確かに「通りがよい」かもしれませんが、それを記事名にすることは、記事の品質を確保するうえではあまりに弊害が大きいと言わざるをえません。現実にも、歴史学者がいわゆる「源平合戦」を歴史事象として書き記すときには、「源平合戦」とは書きません。実際にどれだけ多くの歴史学者が「九州征伐」「小田原征伐」の語を使っているのか、ジャムリンのお言葉によれば「歴史学上の正しさの根拠」を指し示す必要があるのは、改名提案者の側のはずです。そこを誤魔化してはいけません。--Chokorin 2011年10月7日 (金) 23:12 (UTC)[返信]
「少なくともWikipediaのなかでは『○○の役≒○○攻め≒○○征伐』とみなす」ということに同意できるか。
  コメント個人的には、同意できますし、現実的にもある程度それが合意されているからこそリダイレクト処理されているのだと思いますが、秋田城之介さんのここでの御見解は、そうした合意をくつがえすものではないかと思います。すなわち、秋田城之介さんの御見解「『九州征伐』『小田原征伐』の用法は「秀吉の征伐行為」と「戦役」の両方の意味合いがある」にしたがうならば、むしろ、戦役に関しては現行の記事をそのまま残し、「九州征伐」や「小田原征伐」に関しては、「この項目では『征伐行為(=正義が悪を討つ行為)』に関して叙述する」ということで新規に記事が立てられると思います。みなさん、それでよいのであれば、改名議論に終止符を打つこともできますし、小説や軍記物などについても新規立項の「九州征伐」「小田原征伐」のなかで扱えると思います。議論となってきた「中立性」の問題もそうした項目があることで、むしろ説明しやすいかもしれません。個人的には「それも悪くない」と思っています--Chokorin 2011年10月2日 (日) 00:38 (UTC)[返信]
>「少なくともWikipediaのなかでは『○○の役≒○○征伐』とみなすのだ」という合意が必要
ケースバイケースの面もあるでしょうが、そういった改名にあたって合意が必要であれば、征伐→役の改名など起こり得なかったと思います。「九州征伐」「小田原征伐」が定義・表現ともに揺れがあったからこそ、「役」に改名されたのではないですか?それを今更、「役」の状態で定義を固定しようというのは方便でしょう。私としては、そのような合意は必要では無いと思います。--秋田城之介 2011年10月5日 (水) 03:19 (UTC)[返信]
御返答ありがとうございました。「『○○の役≒○○征伐』とみなす合意が必要でない」ということであれば、そもそも投票は不可能でしょう。それでは「九州征伐」「小田原征伐」については、「征伐行為」について説明した別記事として立項する作業に移りたいと思います。合意形成に向けて前進されたことに感謝します。--Chokorin 2011年10月5日 (水) 03:43 (UTC)[返信]
現時点での別記事立項には反対です。「九州征伐」「小田原征伐」が定義・表現ともに揺れがあったからこそ、「役」に改名された旨のコメントをお読みください。ハッキリ言いますが、あなたがやろうとしていることはペテンですよ。--秋田城之介 2011年10月5日 (水) 03:46 (UTC)[返信]
定義に揺れがあっても「○○の役≒○○征伐」と認識されていたからこそ、改名されたのですね。ところが、ほかならぬあなたが「『○○の役≒○○征伐』とみなす合意が必要でない」とおっしゃっているから別記事を立てようということです。「九州征伐」「小田原征伐」は少なくとも「特筆性がない」とは言えない、つまりは特筆性は充分にあるわけですし、「九州の役」「小田原の役」とは異なるものと見なしてよいのであれば、誰であっても新記事立項に反対する権利はありません。あとは、記事間の内容をどう調整するかを話し合うべきでしょう。前回の改名がもし不適切なものであったとしても、何も無理して不適切な改名を再び繰り返す必要はありません。--Chokorin 2011年10月5日 (水) 14:42 (UTC)[返信]
前回の改名が不適切であるから今回の改名も不適切なものと看做すのは意味がわからないコメントですが・・・・。合意の必要があるかどうかと、私の認識がどうであるかは別問題ですが、意思疎通ができていなかったのでもう一度見解を。私は九州征伐・小田原征伐≒九州の役・小田原の役(征伐の方が意味合いが広いですが)だと思っていますが、○○征伐≒○○の役という関係が、他の記事も含めて常に成り立つとは限らないし、他記事にも無用の影響を及ぼすため、その合意を得る必要が無いと考えているのです。九州の役・小田原の役に限定すればほぼ等しいでしょうし、投票すべきだとコメントされている他の利用者もそのような認識を持たれていると思います。しかし一般論としての「○○征伐≒○○の役という関係」を、この場で肯定する必要はありません。--秋田城之介 2011年10月7日 (金) 02:10 (UTC)[返信]
他の記事については問題にしていません。あなたの結論としては「九州征伐・小田原征伐≒九州の役・小田原の役」という認識でいいわけでしょうか。ひとつ伺いますが、「征伐の方が意味合いが広い」というのは何を根拠にしていますか。--Chokorin 2011年10月7日 (金) 11:23 (UTC)[返信]
Chokorinさんはなぜ秋田城之介さんとの話し合いだけで「投票は不可能」と勝手に話しをきめているのでしょうか? 投票に移るべきという人のほうが多いはずです。--以上の署名のないコメントは、小判キング会話投稿記録)さんが 2011年10月9日 (日) 15:02‎ (UTC) に投稿したものです(Chokorinによる付記)。[返信]
コメントありがとうございます。秋田城之介さんとだけ話をしているつもりはなく、小判キングさんの御意見もYasumiさんの御意見も歓迎します。それから、「投票は不可能」とは言っていません。投票を意味あるものにしたいだけです。前回の改名では「定義揺れ」の問題はさほどクローズアップされなかったわけですが、今回は1つの大きな論点になっているので、解決してから投票におよんだ方がよいのではないかということです。そこを曖昧にしたまま投票におよんでも禍根をのこすだけでしょう。--Chokorin 2011年10月9日 (日) 18:59 (UTC)[返信]
秋田城之介さんに再度うかがいますが、「征伐の方が意味合いが広い」というのは何を根拠にしていますか。以前は、「征伐の方が意味が狭く限定的だから記事名称に適する」というようなことをおっしゃっていませんでしたか。「征伐には2つの意味がある」とおっしゃってみたり、その都度その都度でおっしゃることが変わるようですが、御自身の都合だけに合わせて用語解釈をコロコロと変えていくのは感心しませんね。--Chokorin 2011年10月10日 (月) 23:48 (UTC)[返信]
私は用語解釈を変えてはいません。Chokorinさんが一方的に誤解しているだけです。基本的には九州征伐・小田原征伐≒九州の役・小田原の役という認識です。「征伐の方が意味合いが広い」というのは使用の際にこのような[8]使用例の他に事象・結果が包括されている場合があるということです。逆に征伐の用法は、どちらかが為政者であるわけであり、そういった意味で限定されるのです。--秋田城之介 2011年10月11日 (火) 02:06 (UTC)[返信]
お答えありがとうございます。「どちらかが為政者」というのは、何を根拠にしていますか。--Chokorin 2011年10月11日 (火) 02:17 (UTC)[返信]
征伐の項に書いてあるとおりです。--秋田城之介 2011年10月11日 (火) 03:04 (UTC)[返信]
ウィキペディアの記事を根拠にしているわけですか。それで、南九州の住民にとっての島津氏、関東の住民にとっての後北条氏が「為政者ではなかった」というのは、どの部分、どの典拠に由来しているわけですか。--Chokorin 2011年10月11日 (火) 04:29 (UTC)(署名忘れを付記)[返信]
この戦役は、少なくとも「為政者が反社会的な連中を懲罰する」というものではないと思うんですがね。秀吉の全国統一の後の話ではなく、その途中経過における戦役なわけですよね。朝廷がお墨付きをあたえているとか、配下の武将が多いとかというのとは別の次元で、大名権力としては対等であるとか、為政者同士の戦争という見方も当然あると思うのですが、いかがですか。そこを切り捨てていいんですか。--Chokorin 2011年10月11日 (火) 17:07 (UTC)[返信]
為政者同士の戦争という見方を完全に否定する気はありませんが、それだけでは「征伐」が不適格な理由にはなりません。朝廷がお墨付き、秀吉が関白であったことなどは重要なファクターでしょう。--秋田城之介 2011年10月14日 (金) 03:25 (UTC)[返信]
それが「重要なファクターだ」とか「だから、『征伐』と呼ぶべきだ」と言っているような学者がいますか。そんなことを言っている学者は管見の限り1人もいませんよ。いるのなら、その学者の名を出していただけませんか。--Chokorin 2011年10月14日 (金) 19:44 (UTC)[返信]

(インデントもどす)一応補足しておきます。「前回の改名が不適切」だとは申し上げておりませんし、そもそも、前回の改名の適・不適は問題にしていません。が、あえて申せば、「九州征伐」「小田原征伐」の語が「中立的でない」ことについては、誰からも表立った批判はありません。それは、自明のこととして受容されているようです。そしてまた、管見の限りでは、歴史学者の多くも中立性に配慮するようになって、歴史学の信頼できる文献にも「九州征伐」「小田原征伐」を使われていないようですから、前回の改名は、方向性としては全然間違っていなかった、「適切であった」と思っています。現に、2004年6月10日に立項された「九州征伐」が4年9か月後の2009年3月31日でも6,915バイトにしか増えていないのに対し、「九州の役」に改名後は2年足らずの2011年3月8日の段階で51,487バイトに増えていますから、典拠をもとにして記事を充実していくうえでは「九州の役」の方が「九州征伐」よりは、はるかにマシだったと言えるでしょう。数度にわたって「九州の役」「小田原の役」で何か問題があるかと聞いても、一向に具体的な「問題」は出てきませんから、このままでよいのかもしれません。しかし、前回は定義揺れを認めながらも別記事立項の可能性には言及されかったわけですし、「認知度」の面をいささか軽視した点にも幾分手抜かりがあったといえばあったと言えるでしょう。その2点は争点にならなかったわけです。これを、後になって「前回の改名が不適切」と主張して蒸し返している側が、「認知度」を争点にしておきながら、そこを曖昧にしようというのであれば、百歩譲って前回が不適切だと仮に言えても、今回はそれ以上に「不適切な改名」だということは明白でしょう。いっぽう定義揺れの問題に関しては、Yasumiさんの主張にも問題があるように思います。確かに純粋に国語的な意味からすれば「征伐」=「戦争」と見なすことには無理があるわけですが、ひとつの熟語としてとらえて「○○征伐≒○○の役」ということで改名された以上、後になって「○○征伐≠○○の役」とだけ主張するのは無責任ですし、一貫性がありません。まして、Yasumiさんは、「四国征伐」の改名では「四国攻め」を推進したわけですからね。九州の役に関していうと、改名前の「九州征伐」はスタブに毛の生えた程度の記事だったわけですから、定義揺れの問題は些末な問題とされてしまったわけですが、現在は「九州攻め」を典拠に大幅な加筆がされているわけなので、そこはキチンと向き合う必要があります。Yasumiさんが「○○征伐≒○○攻め≒○○の役」ということで同意できるのなら、投票に進んでいいと思います。しかし、「○○征伐≠○○の役」という御意見であるのなら、別記事立項のプランを具体的に指し示し、検討課題に供する必要があるでしょう。要は、「出典をもとにして客観的・中立的に九州戦役・小田原戦役について記事の書ける場が提供されればよい」ということだと思います。--Chokorin 2011年10月9日 (日) 02:50 (UTC)[返信]

その意見はChokorinさんの押し付けですよ。Yasumiさんが合意しなければ検討が云々と言っていますが、Yasumiさん優先の物言いは納得できんません。とくに小田原の役なんて小田原征伐に比べて格段に使用されていないことはわかっているはずです。--以上の署名のないコメントは、小判キング会話投稿記録)さんが 2011年10月9日 (日) 15:02‎ (UTC) に投稿したものです(Chokorinによる付記)。[返信]
小判キングさんが提示したものを含め、Googleの検索、そして事典類の調査などで少なくとも認知度の面では九州の役・小田原の役より九州征伐・小田原征伐のほうが高いという私の主張は変わりませんし、曖昧にしているつもりもありません。Chokorin氏のように事典などを調査の対象から外すべきだという人から見れば根拠不足ということになると思いますが、そのような主張をしているのはChokorinさんだけです。辞典類は調査参考にならないという意見はWikipediaの方針ではなく、コミュニティの合意もありません。--秋田城之介 2011年10月11日 (火) 02:06 (UTC)[返信]
自分の問題意識としては、
  1. 「小田原征伐」は学術書など「信頼できる情報源」において「認知度が高い」とは言えない
  2. 記事名が「小田原征伐」だと客観的・中立的な加筆がしづらい
というのがあります。別に「『小田原征伐』という記事名の記事があっては困る」とは思っていません。1.に関していうと、どうしたわけか、「征伐」を推される方々は「信頼できる情報源」においても「征伐」が認知度が高いという証拠を出そうとはしません。出せば自分たちの意見が筋の通ったものであると認められ、議論において圧倒的に優位に立てるはずなのに、なぜかそういう話にはならんのです。管見の限りでは、現在、歴史学者の多くは「中立性」を重んじるようになって「征伐」の用語を回避しているように見えます。私のみる限り、学術書ではあまり「小田原征伐」の語は使われなくなってきている。ならば、ウィキペディアでも回避するのが筋ではないかと思います。きちんと文献調査して「小田原征伐」が多いのなら「小田原征伐」にする、「小田原攻め」が多いのなら「小田原攻め」、「小田原の役」が多いのなら「小田原の役」にするというふうにした方が紛れがないでしょう。「文献調査をやったら、『小田原征伐』の認知度が低いことがわかってしまう」そう思うのなら、正直にそうおっしゃるべきです。そしてまた、「信頼できる情報源」において「認知度が高くない」ということは、典拠として最近の学術書が使えないということですから、記事を成長させるうえで大きな障害になります。最近の学術書で「小田原征伐」の語が登場する例は少なく、登場する場合でも、カギ括弧をつけて秀吉側の論理であることを強調し、「特に反逆行為はなかった」「征伐と呼べるようなものではなかった」という文脈での登場がほとんどです。そういう状態なのに「小田原征伐」の語に改名してしまったら、記事の中立性・客観性はまったく保障できないものになってしまいます。そういう意味では、1.の問題は2.につながるわけです。ただ、「信頼できる情報源」(学術書)という枠を取っ払って、創作作品やサブカルチャーも含めた「認知度」ということであるならば、それはサブカルチャーにシフトした記事「小田原征伐」、中立的な学術記事として「小田原の役」「小田原攻め」ということで共存は可能かもしれません。そのあたりをみなさんに考えていただければと思います。--Chokorin 2011年10月9日 (日) 20:33 (UTC)[返信]
調査対象に辞典類を含めないのはChokorin氏独自の基準であり、「征伐」だと客観的・中立的な加筆がしづらいという主張も、この井戸端で主張しているのはYasumiさんとChokorinさんのみです。小田原征伐をサブカルチャーに限定した記事にするというのも実態から離れた独自研究でしょう。全く賛成することは出来ません。--秋田城之介 2011年10月11日 (火) 02:06 (UTC)[返信]
事典類は死語も拾いますし、基本的には新語補充が編集の中心ですから、歴史学者が現在どの用語を用いているかを判別するにははなはだ不適切でしょう。文献調査をなさるというのであれば、「信頼できる情報源」のなかの「二次資料」を中心になさってください。「征伐」だと客観的・中立的な加筆がしづらいというのは、現に、その用語の使用に対して疑義を呈している学者が何人もいますから、深刻な問題といえます。そもそも「征伐」の原義は「悪者をやっつける」ということですから、「島津や北条は決して悪者ではないよ」という学者の意見は、いくら典拠があっても書けないのです。まあ、島津や北条の立場を完全に無視した記事と双方の立場を公平に書ける記事と2つあればいいのかもしれませんが。--Chokorin 2011年10月11日 (火) 02:40 (UTC)[返信]
その用語の使用に対して疑義を呈している学者が何人もいると言いますが、それが大勢ではありませんし、重ねて言っているように事典類を使用状況の調査から省くというのはガイドラインにも無いことで、征伐が死語であるわけでもありませんし、どんな基準をもってして死語になるかという問題もあります。--秋田城之介 2011年10月11日 (火) 03:04 (UTC)[返信]
「客観的・中立的な加筆がしづらいという主張を、この井戸端で主張しているのはYasumiさんとChokorinだけ」とおっしゃっていますが、2人もいれば充分と思いますし、もし、同じように思う人がこの後出てきたらどうするのでしょうか。そもそもそういう理由で前回の改名がなされたはずです。そういう人には、「加筆しなくていいよ」とおっしゃるんでしょうか。逆に「九州の役」「小田原の役」で「加筆しづらい」という意見がひとつでもあったでしょうか。また、「その用語の使用に対して疑義を呈している学者が何人もいると言いますが、それが大勢ではありません」とおっしゃっていますが、二次資料の文献調査をやらないという人がどうして「大勢ではない」と言えるんでしょうか。表立って疑義を呈している学者が複数いて、現在の学者は「九州征伐」「小田原征伐」という語をほとんど使っていないのですから、それが大勢と言えるでしょう。--Chokorin 2011年10月11日 (火) 17:07 (UTC)[返信]
同じように思う人がこの後出てきたら、という仮定の話しをされても意味はありません。現実にはYasumiさんとChokorinさんのみの意見です。私の今までの調査の中には二次資料もあれば三次資料もありまし、論調が大勢であれば三次資料にも反映されているはずです。そもそも、「現在の」とはどの期間を指しますか?また、そういった選定はウィキペディアの方針に沿っていますか?--秋田城之介 2011年10月14日 (金) 03:27 (UTC)[返信]
三次資料でも反映されていたはずですね。吉川弘文館は、1980年代前半に出した『国史大辞典』では「紀州征伐」「九州征伐」「小田原征伐」という語を見出し語に採用していますが、2005年、『国史大辞典』のうち戦国時代に関する項目だけ抜き集めて『戦国武将・合戦事典』をつくっており、そこでは同内容で「紀州攻め」「九州攻め」「小田原攻め」が見出し語に採用されています。要するに、専門的・学術的な見地から「九州征伐」「小田原征伐」なる語は「見出し語に適さず」と判断されているということでしょう。日本史教科書では圧倒的なシェアをもつ山川出版社『詳説日本史』でも、1979年発行のものは「小田原征伐」が使われていましたが、2002年発行のものや2008年のものでは「小田原攻め」が用いられています。少なくとも現代の高校生・大学生にとって「九州征伐」「小田原征伐」という用語はなじみの薄いものになっています。御存知ないかもしれませんが、日本史教科書は、日本史学界では第一人者と呼べる学者が編集にたずさわった出版物であり、学術的な出版社から発行されたものです。そこででは現実に語の転換が起こっており、現在は「征伐」は使用されていないのです。初学者が日本史学習の座右にする書籍で既にそうなのですから、「他は推して知るべし、大勢はそうだ」と考えるべきでしょう。改名投票をするのは反対しませんが、「九州征伐」「小田原征伐」は改名先候補から除外すべきと考えます。--Chokorin 2011年10月14日 (金) 09:57 (UTC)[返信]
一部の教科書においてそういった経緯があったからといって、「九州征伐」などが改名候補として不適格になる理由にはなりません。2003年発行の『最新日本史教授資料』(明成社)には「小田原征伐」が使用されています。また高校生にとって馴染みが薄いかどうかというのも同様です。対象を高校生に限定すべき理由がありませんし、大学生の「馴染み」を「日本史の教科書」のみに求めるのも無理があります。「現在の」等と期間を独自に選定するChokorinさんの手法には既に批判が出ております。その観点から改名候補を除外したいのであれば、まずそれがウィキペディアの方針に沿うものであるかどうか確かめてみてください。--秋田城之介 2011年10月14日 (金) 14:42 (UTC)[返信]
明成社吉川弘文館山川出版社とくらべて「学術的」なのか、シェア57パーセントの山川『詳説日本史』と明成社『最新日本史教授資料』とどちらが「一般的」で「認知度が高い」のか、比較するまでもないと思います。高校日本史の教科書でシェア第2位の実教出版、第3位の東京書籍でも「九州征伐」「小田原征伐」の語は使用されておらず、「小田原攻め」等が用いられています。小和田哲男熱田公山田邦明堀新池上裕子など戦国・織豊期を専門とする学者の多くが現在「九州攻め」「小田原攻め」の語を用いています。明成社『最新日本史教授資料』くらいしか出せず、積極的に「九州征伐」「小田原征伐」を用いている学者が皆無だというのならば、「九州征伐」「小田原征伐」は改名先候補として不適切であり、除外すべきでしょう。--Chokorin 2011年10月14日 (金) 19:14 (UTC)[返信]
学術的かどうかはともかくとして、教科書では九州攻め・小田原攻めが優勢なのかもしれませんが、教科書で全ての趨勢がわかるわけではありません。私は辞書・事典も理由に含めた上で提案したわけですから。--秋田城之介 2011年10月16日 (日) 16:11 (UTC)[返信]
「学術的かどうかはともかく」とおっしゃいましたが、「学術的であるかどうか」が最も重視されるべきでしょう。「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」が最も「信頼できる情報源」だったはずです。違いましたか? --Chokorin 2011年10月16日 (日) 17:05 (UTC)[返信]
どちらが学術的かどうかについては何ともいえません。「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」が最も「信頼できる情報源」だとしても、教科書のみを理由して良い理由はありませんし、三次資料を考慮しない理由はありません。ウィキペディアの方針に沿わない出典の選定はおやめください。--秋田城之介 2011年10月16日 (日) 17:26 (UTC)[返信]
別に教科書のみを理由にしている人は誰もいませんが。私がそうだとおっしゃるんですか。明成社の「小田原征伐」は戦国・織豊期を専門にしている研究者によって書かれたものなのですか。--Chokorin 2011年10月16日 (日) 17:37 (UTC)[返信]

  コメント 私はChokorinさんによる「投票に先だっての共通理解について」に対して返答してきましたが、私は「事典等を調査に含まない」「征伐だと加筆しづらい」という2点については賛成できませんし、この点についての共通理解はできず、コミュニティの意思を仰ぐべきだと思っています。私の投票提案から1ヵ月近くが経とうとしておりますので、追って候補の論旨整理をしたいと思います。--秋田城之介 2011年10月11日 (火) 03:04 (UTC)[返信]

「征伐だと加筆しづらい」というのは、正確に言えば「中立的・客観的な立場からの加筆がしづらい」ということですね。一方的な観点からでいいのだったら、いくらでも書けます(何なら書いてさしあげてもよろしいです)。そりゃそうでしょう。たとえば、「日露戦争」は、日本からみれば「ロシア征伐」、ロシアからすれば「日本征伐」と呼びうるものです。戦争というのは相手があって初めて成立するものですし、相手が何でも自分の思い通りに行動するならばそもそも戦争は起こらないわけですが、これを、たとえば「ロシア征伐」という枠組のなかで扱うのと、「日露戦争」という枠組のなかで扱うのとでは、どちらが「中立的・客観的に書ける」のか、言うまでもないでしょう。現に「征伐だと書きやすい」という意見はありませんよね。「征伐」だと、島津・北条側の史料をもとにした研究を反映させることができないのです。現在、戦国・織豊期を専門とする学者が誰も「九州征伐」「小田原征伐」の語を使用していないのも、そのためだと考えます。いくらあなたが反対したところで、加筆しづらいものが加筆しやすくなるというものではないと思いますが。--Chokorin 2011年10月16日 (日) 18:38 (UTC)[返信]
それは例えになっていないと思います。「ロシア征伐」「日本征伐」などが歴史事典や歴史を扱った書籍で多様されていないからです。「征伐だと加筆できない」という主張し関しては私やジャムリンさん、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの指摘の通りで、繰り返しになりますが合意形成不可能な点で、投票理由の一つのポイントにはなるでしょう。--秋田城之介 2011年10月20日 (木) 15:50 (UTC)[返信]
「ロシア征伐」「日本征伐」はもとより例え話です。「戦役」「攻め」「合戦」などがあくまでも「事実をもとにした命名」であるのに対し、「征伐」が一方を正義、一方を悪とみなす「意見をもとにした命名」であることは確かでしょう。島津にしても北条にしても、もともと秀吉に臣従していたものではありません。臣従していたものが反逆したのならば誰の目からみても島津・北条は「逆徒」「反逆者」ということになるかもしれませんが、この戦役は臣従を拒否して起こったものですから、そもそも従来「征伐」と呼びならわしてきたことは不正確だったわけです。ではなぜ1970年代までは「征伐」の語が多用されてきたかといえば、厖大な一次資料の存在があります。結果的に小田原合戦によって北条が滅亡し、天下統一されたわけですから、諸大名等が残した文献・系図等の史料(一次資料)では圧倒的に「九州征伐」「小田原征伐」の語が用いられている。これは考えてみれば当たり前の話で、家康もふくめ生き残った側はすべて秀吉方として参戦した当事者なわけですし、当事者である以上自分の行為は誰しも正当化したいわけです。1970年代までは、歴史学のなかにおいてすら一次資料そのまま引き写した「征伐」表記に何の抵抗もなかったわけですが、しかし、この戦役をあらためて歴史学の対象として公平・中立・客観的に扱おうとするならば「征伐」の語は不正確である、穏当さに欠ける、一方に偏している、あるいは単純に言って不便なわけです。いずれにせよ問題がある。ですから、80年代以降の学者は「征伐」表記を採用しなくなってきています。秀吉が一方的に出した「征伐令」これは一方的に出したものだからこれでよいとして(それですら「攻撃令」と呼ぶべきという学者もいます)、戦争は必ず二者間でおこなわれるものですから両者を公平に扱おうという場合には「征伐」は不便・不適切なわけです。1990年代以降では「征伐」表記は少数派になっており、21世紀に入ってからはほとんどいないと言ってよいのではないでしょうか。別にわたしとYasumiさんだけが「征伐だと加筆しづらい」と言っているのではなくて、多くの学者が「征伐だと説明しづらい」と考えているからこそ、たとえば、現在の高校教科書ではほとんどまったく「征伐」の語は使われていないのです。これは「仮定の話」ではなく、現実の話です。日露戦争についても、戦争当時の日本の新聞などでは「ロシア征伐」などの表記が多用されていますから、ウィキペディアがもし「一次資料重視」の方針を採用しているのなら、見出し語としては最有力候補になるでしょう。しかし、あくまでも「二次資料重視」が基本方針なわけです。その意味で、「九州征伐」「小田原征伐」は「一次資料そのまま引き写し」の時代がたいへん長かったといえますが、これは、軍記物の影響があるのでしょうね。『太閤記』は江戸時代から戦前・戦後を通じてたいへん人気がありましたから、そこで「九州征伐」「小田原征伐」の表記が流布したのでしょうし、戦前は征伐史観が支配的でしたから一次資料引き写しでも違和感がなかったのでしょう。現在でも、『太閤記』を下敷きにした小説や通俗的な読みもの、信長・秀吉を主人公にしたゲームなどでは「九州征伐」「小田原征伐」の表記が多くみられることは確かです。NET検索では、歴史学者による学術的な研究よりもむしろ多数ヒットするにちがいありませんが、それを基準にしていただくのは勘弁していただきたい。わたしはやはり、本記事を歴史学を踏まえたものとするなら、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源のなかの「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」が最も重視されるべきと考えます。--Chokorin 2011年10月22日 (土) 22:01 (UTC)[返信]
たしかに「征伐」表現が真に平等かというとそうではありませんが、Wikipedia:中立的な観点は論争に対してのものでありせんからこれに触れるものではないと考えています。「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」はたしかに記事を書くにあたって重要ですが、呼称がどうなっているのか調べるのには三次資料の参照も有効だと思っています。--秋田城之介 2011年10月26日 (水) 02:43 (UTC)[返信]

自案の提示に関して

編集
  • これまで議論の中身にはほとんど参加していなかった者ですが、希望を述べさせて下さい。
    • 対象となる歴史的事象は、はっきり列挙して限定するのがよいと思います(列挙しても書くのに困るほど膨大にはないでしょう)。例外が生じると不統一になって嫌だと思われるかも知れませんが、参加する人が自分のイメージで「○○征伐」や「○○の役」を思い浮かべて投票し、結果が出て実施に及んだ際に「それも変るのか」「そんなつもりじゃなかった」とならないよう、皆が同じ対象を見て選択するのがよいと思うからです。
    • 提案者が、自案のメリットと他案のデメリットを短文で箇条書きにて示して下さい。これまでの長い議論は読みきれないでしょうし、たとえがんばって読んだとしても、ポイントを外した読み方をしないとも限りません。また、あらためて双方の意見を長文で述べても、やはり全部は伝わらないと思います。キャッチーで端的な表現でお願いしたいと思います。--J Stalin 2011年10月11日 (火) 04:10 (UTC)[返信]
自案は、九州に関しては「九州攻め」または「九州平定」に改名、小田原に関しては「小田原攻め」に改名です。根拠は利用者:Chokorin/文献調査に示されているとおり、それが「信頼できる情報源」において最も「認知度が高く」「中立的である」からです。「九州の役」の記事については、総分量の6割程度は私の加筆によるものですし、その典拠は「九州攻め」の用語を採用している小和田哲男氏の著作によっています。「九州平定」は私が立てた記事なので、もし、そのセンで合意がとれるならば、記事の統合には応じることが可能です。「九州征伐」「小田原征伐」は「中立的でない」うえに、そもそも「信頼できる情報源」において決して「認知度が高いとは言えない」から反対です。--Chokorin 2011年10月11日 (火) 17:24 (UTC)[返信]
なるべく第三者に伝わりやすい要旨は必要だと私も思います。--秋田城之介 2011年10月14日 (金) 03:27 (UTC)[返信]

改名先候補に関する提案

編集

秋田城之介さん、小判キングさんが改名先候補として推されていた「九州征伐」「小田原征伐」ですが、典拠優先や中立性優先で考えても優位性がないのみならず、認知度も決して高くないことが判明しています。そこで、「九州征伐」「小田原征伐」を改名先候補から除外したらどうかと思います。いかがでしょうか。--Chokorin 2011年10月15日 (土) 01:55 (UTC)[返信]

「典拠優先や中立性優先で考えても優位性がないのみならず、認知度も決して高くないことが判明しています」というのはChokorinさんの意見でしかなく、事実ではありません。ミスリードはおやめください。--秋田城之介 2011年10月16日 (日) 16:11 (UTC)[返信]
認知度は高くないでしょう。これが「今までおこなわれた文献調査」の結果です。あなたは、「改めて文献調査をおこなう必要はない」とおっしゃったし、「NET検索には問題がある」ともおっしゃった。あなたも加わっておこなった「今までおこなわれた文献調査」を尊重しないとしたら、何を根拠に「認知度が高い」と言っているんですか。「ミスリードをおやめください」はこちらのセリフです。--Chokorin 2011年10月16日 (日) 17:05 (UTC)[返信]
NET検索にも問題点はあると言いましたが、2倍以上の差が開いておりましたし参考にはなると考えています(それは同時に述べていますが)。九州征伐が九州攻めや九州平定と並び、小田原征伐が小田原攻めと並び、突出していないことは確かですが、九州平定は南北朝時代のものを指す場合があり、小田原攻めは上杉謙信によるものを指す場合があり問題点があります。また、それらの出典調査では「九州の役」「小田原の役」はもっとも劣勢であり、いずれにせよ改名する必要があるでしょう。「九州の役」改名については私は「九州攻め」でも合意はできると言いましたが、合意を募りつつその方向で議論を進めようとしなかったのは他ならぬChokorinさんです。--秋田城之介 2011年10月16日 (日) 17:37 (UTC)[返信]
「九州征伐が九州攻めや九州平定と並び、小田原征伐が小田原攻めと並び」とありますが、決して並んではいないでしょう。「征伐」は劣勢なのではないでしょうか。「二次資料」では皆無と言っていいくらいです。私は「九州征伐」「小田原征伐」は、改名先候補から除外していいと思います。--Chokorin 2011年10月16日 (日) 17:51 (UTC)[返信]

(インデント戻す)「九州平定は南北朝時代のものを指す場合があり…」以下についてですが、「曖昧さがない」ことを「認知度の高さ」よりも優先させるならば「九州の役」「小田原の役」が一番よいことになります。「九州征伐」でNET検索すれば、相当数「景行天皇」や「源範頼」にヒットしますし、「小田原征伐」も「上杉謙信」にヒットします。その点では、「九州征伐」に特に優位性があるわけではありません。「2倍以上の差が開いておりました」というのは、単に、「小田原の役」と「小田原征伐」の2候補だけをNET検索でくらべただけの話にすぎないのであり、文献調査の結果ではありません。「ノート:バグダード」を御覧いただければわかるように、「バグダッドとバグダードと、14倍程度の差しかなく…」「Google の14倍は、それほど問題にする数字ではない」という見解もございます。確かにWikipedia:記事名の付け方の5基準のうちの第一に「認知度が高い」とありますが、それは、あくまでも「信頼できる情報源において」の話であることをお忘れなきように。そしてまた、「NET検索で2倍程度の差しかないのならば、客観的・中立的に加筆できそうな方がずっとよい」という意見も当然ございます。「いずれにせよ改名する必要があるでしょう」ということに対しては、したがって、それはあくまでも秋田城之介さんの個人的見解にすぎないのであり、「改名する必要がない」という人が多数となる可能性もあることは、御承知おきください。自分の思い通りの結果にならないからといって、後になって「不適切」などとおっしゃらないでください。これはお願いです。「『九州の役』改名については私は『九州攻め』でも合意はできる」というのであれば、少なくとも「九州征伐」の方は改名先候補から除外できるということでしょう。提案者自身が改名先候補から「九州征伐」を除外できるのであれば、改名投票は「九州の役」「九州攻め」の2者間でおこなってよいはずです。少なくとも、「Wikipedia:信頼できる情報源」において「九州攻め」が「九州の役」や「九州征伐」より認知度が高いことは「文献調査」の結果明らかになっています。そのうえで記事「九州平定」との統合の是非を論じたらよいでしょう。小田原の方は、提案者が小判キングさんですから、秋田城之介さんではなく小判キングさんの了解を得なくてはいけない話です。小判キングさんの了解が得られないのであれば、「小田原の役」「小田原征伐」「小田原攻め」の3者間で投票したらいいでしょう。「小田原征伐」に決まったら小判キングさんが頑張って記事を成長させてくれればよいですし、「小田原の役」に決まったらYasumiさんに頑張ってほしいと思います。現状では、ハッキリ言って、どちらに決まったところで、記事自体が全く検証可能性を満たさないものであり、典拠を明記しながらの大幅改稿の必要なところだと思います。もちろん、どちらに決まってもわたしは手出ししません。仮にわたしの言い分が認められて「小田原攻め」に決まったら、そのときは「信頼できる情報源」をもとに加筆には前向きに取り組みたいとは思っています。蛇足ながら、「前回の改名が不適切」という主張をなさるのであれば、処理としては「改名」ではなく、前回の改名直前の版(「九州征伐」2009年3月8日 (日) 07:51(UTC)(6.915バイト)、「小田原征伐」2005年10月23日 (日) 12:33 (UTC)(1,809バイト))への「巻き戻し」が適切だと思います。その場合は、ぜひとも「前回の改名後に加筆してしまった部分の救済」を御検討ください。--Chokorin 2011年10月17日 (月) 13:02 (UTC)(若干補筆)--Chokorin 2011年10月17日 (月) 13:25 (UTC)[返信]

まず、投票提案をするにあたって、コミュニティの支持はどの結果になっても厳粛に受け止めるべきだと思っています。Wikipedia:信頼できる情報源には「そのような記事は専門家の手によるものと同等の信憑性を期待することはできませんが、ウィキペディアの目的には信頼できる情報源とみなされます。現存する百科事典よりも優れた記事を書こうという大望をウィキペディアンたちが抱いたとき、そのような三次資料の内容に頼るようでは目標の達成には充分ではありません。」とあります。つまり三次資料は信頼できるが、百科事典よりも優れた記事を書こうとするには三次資料だけでは不十分ということことになります。NET検索は議論上の指標であって、信頼できる情報源とまでは言えませんが、議論上の補強にはなると考えていました。また、「『九州攻め』でも合意はできる」という考えは変わっていませんが、それは『九州攻め』で最終的な合意形成(つまり無投票)ができればの話しで、投票する以上は三候補でやるべきだと思っています。「前回の改名後に加筆してしまった部分の救済」に関してはChokorinさんの意見に概ね賛成です。形式的にどういった処置になるかわかりませんが。--秋田城之介 2011年10月20日 (木) 16:10 (UTC)[返信]
わかりました。九州に関しては、
  1. 前回の改名直前の版(「九州征伐」2009年3月8日 (日) 07:51(UTC)(6.915バイト)への巻き戻しのうえ「九州征伐」への改名
  2. 現状変更せずに「九州攻め」に改名
  3. 現状変更せずに「九州の役」のまま改名せず
の三者から選ぶことには、私も賛成できます。投票の結果、2.に決定した場合は「九州平定」への統合もあり得るので、これは別途に協議することとしてよいでしょう。1.に決定した場合は「前回の改名後に加筆してしまった部分の救済」も考慮するということで、差分を暫定的に典拠中心にして「九州攻め」の名称で新規立項してもよいですし、あるいは、2.と3.のうち得票数の多い方を名称にするということでもよいと思います。--Chokorin 2011年10月22日 (土) 08:36 (UTC)[返信]
三候補の中で過半数を得るものが無ければ、本投票者による、上位二候補の決選投票を考えたほうが良いと思いますがどうでしょうか?--秋田城之介 2011年10月26日 (水) 03:07 (UTC)[返信]
投票は1回でよいと思います。--Chokorin 2011年10月26日 (水) 19:02 (UTC)[返信]
わかりました。1.に決定した場合、2.と3.のうち得票数の多い方を名称にした新規執筆については私も反対しません。--秋田城之介 2011年10月28日 (金) 16:04 (UTC)[返信]
(小判キングさんへ)秋田城之介さんは、一時「前回の改名が不適切」とおっしゃいましたが、小判キングさんはいかがお考えでしょうか。言うまでもないことですが、「『小田原の役』の記事名が不適切」という意見と「前回の改名そのものが不適切」という意見は全然異なるわけで、もし、改名そのものが「不適切」「無効」ということであれば、とられるべき処置は「改名」ではなく、前回の改名直前の版「小田原征伐」2005年10月23日 (日) 12:33 (UTC)(1,809バイト)への「巻き戻し」でなくてはいけません。現在の25,292バイトの記事のうち、1,809バイトを差し引いた23,483バイトは、記事名「小田原の役」として書かれたものではあっても「小田原征伐」に加筆されたものではありませんよね。その点はいかがお考えでしょうか。そして、その場合、大幅な現状変更をともなうため、今まで加筆されてきた方々の了解を得なくてはならないと思います。そのあたりは、たいへん難しい話になってくると思いますが、どのようにお考えでしょうか。--Chokorin 2011年10月19日 (水) 03:19 (UTC)[返信]
(再度小判キングさんへ)いかがでしょうか。私としては[9]のように考えるので、もし、小判キングさんがNET検索のHIT数だけをみて「『小田原の役』の記事名が不適切」というだけであるとしたら、「信頼できる情報源」における認知度や今後公平で正確な記事に成長していく観点からすれば「小田原征伐」もまた不適切であり、多くの教科書にも採用されており、「二次資料」における認知度の高い「小田原攻め」を改名先候補とすべきだと考えます。改名先候補として「小田原征伐」を除外してもよろしいでしょうか。それとも、秋田城之介さん同様「前回の改名が不適切」という御意見でしょうか。--Chokorin 2011年10月22日 (土) 23:31 (UTC)[返信]
一週間特に御意見もないようですので、「小田原征伐」を改名先候補から除外し、「小田原の役」と「小田原攻め」の二者間で投票することといたしましょう。--Chokorin 2011年10月31日 (月) 03:06 (UTC)[返信]
「小田原征伐」以上に意義のブレのある「小田原攻め」を候補に残すことには反対致します。--ジャムリン 2011年11月1日 (火) 02:26 (UTC)[返信]
小判キングさんから意見が無かったからといって一方的に「小田原征伐」を改名先候補から除外するのは反対です。--秋田城之介 2011年11月6日 (日) 06:57 (UTC)[返信]

全ての候補で投票するべきです。また、投票の際には投票者が他の候補を挙げるのも許容するべきです。(例えば「合戦」「戦い」など。この場の議論は重要なので、投票者全員が議論を把握したうえで投票してほしいとは思いますが)。「征伐」、あるいは「攻め」「役」は不適切という意見を主張するのは自由ですが、どの記事名が適切かはコミュニティの総意に委ねるべきでしょう。むしろ、除外された候補に対する投票をどうやって排除するつもりなのか説明していただきたいですね。まさか、「投票開始後は、候補の除外に対する異論は認めない!」などとおっしゃるつもりでしょうか。--伏儀 2011年11月1日 (火) 12:50 (UTC)[返信]

「どの記事名が適切かはコミュニティの総意に委ねるべき」ということには賛成です。ただ、「小田原征伐」への改名を提案したのは小判キングさんだったはずで、当の小判キングさんがおっしゃったのは、NET検索の結果「小田原の役」よりも「小田原征伐」の方が「認知度が高い」ということだけだったわけです。しかし、「認知度が高い」というのは、「記事名を付けるには」によれば、あくまでも 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの 」 ということであり、「信頼できる情報源」とは、方針文書(「Wikipedia:信頼できる情報源#情報源」)によれば 「 学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料 」です。決してNET検索ではありません。さらに付け加えるならば、NET検索ですら「小田原征伐」よりは「小田原攻め」の方が多いようです。また、このことを指摘しても特に小判キングさんから反論があるわけではありません。とすれば、「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」のなかで最も認知度の高い候補「小田原攻め」と現行の「小田原の役」との2者間で投票してもよい理屈にならないでしょうか。「認知度が高い」ということを基準に改名提案する限りは、むしろ「小田原征伐」は改名先候補からは消えてしまうわけで、これは誰の目からみても明らかなことです。本来的には、提案者が意見を集約し、場を仕切ってくださらない限り、前には進まない話です。改名提案を取り消すのなら取り消すでもかまいませんし、あらためて文献調査をするならするでかまいません。小判キングさんとしては結局どうしたいのか、提案した以上は最後まで責任をもって議論を引っ張っていく義務があるんじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。現状の「小田原の役」では、すでに改名提案タグは外されており、議論は終了していることになっていますが。--Chokorin 2011年11月1日 (火) 15:32 (UTC)[返信]
前にも上げましたが「小田原攻め」は上杉謙信、武田信玄や他の後北条氏敵対勢力による動きとしての文脈や果ては、北条早雲の小田原城奪取の際にも使われており曖昧がすぎます。また議論の経過のよって、提案者とは別の色々な論点が現れて検討されることは妨げられるものではないはずです。--ジャムリン 2011年11月1日 (火) 19:52 (UTC)[返信]
ジャムリンさんにひとつ質問ですが、現在、「小田原征伐」を積極的に用いている日本史研究者にはどなたがいらっしゃいますか。--Chokorin 2011年11月1日 (火) 21:41 (UTC)[返信]
「積極的に」とはいかなる基準・状況を指すのでしょうか?またその場合の基準が「Wikipedia:記事名の付け方」に添っていると言う根拠も示していただきたいと思います。--ジャムリン 2011年11月7日 (月) 00:03 (UTC)[返信]
「記事名の付け方」の「歴史上の事件」の項をみれば、「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する」とありますので、それに関しては、現在、中高生が用いる教科書の表記を参考にするのがよいと思います。これは、文部科学省の検定を受けたものなので、日本史研究者、歴史教育者のみならず、文部官僚においても「一般的」と認知されたものであり、また、結果としては学習者である中高生、あるいはその教科書で学んだ多くの社会人にとっても「一般的」なものとなっているでしょう。これは当然「記事名を付けるには」のなかの「見つけやすい」すなわち「読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事にリンクできるもの)」という条件にも合致することになります。また、「記事名を付けるには」では「認知度が高い」ということを掲げており、「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」とあります。したがって、調査すべきは「信頼できる情報源」ということになります。「Wikipedia:信頼できる情報源」によれば、「信頼できる情報源」の筆頭に掲げられるのが「二次資料」であり、「二次資料」とは、「ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したもの」です。なかでも「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できる」としており、「学者によって書かれていること」「学術的な出版社によって出版されていること」が条件になります。また、ここでは、「独立した二次資料」の条件として、
  1. 編集者の監視や、事実の検証プロセスを経ている
  2. 合作していない
  3. 利用できる一次資料を彼ら自身で見ており、評価するに当たっては彼ら自身の判断を使っている
の3点を掲げています。したがって、この議論を解決していくためには、詳細な文献調査が前提になりますし、NET検索がそれを満たすものでないことは言うまでもありません。問題を解決する気があるのだったら、「文献調査が必要ない」みたいな意見がどうして出てくるのが理解できません。「Wikipedia:検証可能性の観点からも「信頼できる情報源」か否かが最重要視されるところではないでしょうか。単純に言えば、「学者の見解にしたがえ」ということでもありますが、わたしの調べたところでは、歴史学者のなかには『九州「征伐」』に関して、「征伐」の語を地の文でそのまま使うことに対して疑念が提示されています。少なくとも、これらの「征伐」の用いられ方が「積極的」と言えないことは明らかでしょう。NET検索だと、こういう用いられ方も拾われてしまうわけですし、いくら、秋田城之介さんやジャムリンさんが「『征伐』で問題がない」と主張しても、学者がそこに問題を感じており、「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」のなかで1人ならず複数の学者が指摘している以上、改名先候補としては不適切だと言わざるを得ません。確かに、わたし自身の高校時代の教科書(1979年の教科書)をみれば「小田原征伐」となっていますから、「小田原征伐」の名称になじみのある人も少なくないと思いますが、近年の学術書をみる限りは、今の学者は「小田原征伐」の語は使っていませんし、1990年代以降は教科書でも使われていません。したがって、見出し語は「小田原征伐」以外の「認知度の高い」候補とし、「小田原征伐」はそのリダイレクトにするのが妥当だと考えます。--Chokorin 2011年11月11日 (金) 23:38 (UTC)[返信]
資料における年代別の範囲の設定につきましては、他の方も指摘されておりますが、ご自身の主張にあわせたChokorinさんの独自研究に過ぎないと思われますので了承できかねます。--ジャムリン 2011年11月21日 (月) 03:05 (UTC)[返信]
  コメント ジャムリンさんの言うとおり、小田原征伐が候補から除外されるんだったら小田原の役の方をむしろ除外すべきでしょう。秋田城之介さんの調査では「小田原征伐」が事典で使われていることがわかっているわけですから、「小田原の役」を棚に上げて「小田原征伐」だけ除外しろというのはChokorinさんのワガママ。二時資料だとか三時資料だとか言ってますが、要は「小田原征伐の根拠は事典だから、事典を信用しないことにすればいい」ってことですか?--小判キング 2011年11月4日 (金) 16:43 (UTC)[返信]
  コメント「ワガママ」との批判がありましたが、決してそうではありません。秋田城之介さんの調査によれば、事典類での認知度も「小田原征伐」よりは「小田原攻め」の方が高く、「信頼できる情報源」である二次資料の調査では圧倒的に「小田原攻め」の認知度が高く、高校教科書で使用されている語も「小田原攻め」です。したがって、認知度の高さを基準にする限り、改名先候補として最適なのは「小田原攻め」です。「小田原征伐」が候補になる余地はありません。また、ジャムリンさんのおっしゃるように曖昧さ回避を基準にするのなら、「小田原征伐」もまた、上杉謙信の事例でも使用しますし、後北条氏敵対勢力からみればすべて「小田原征伐」と呼びうるのですから、「小田原攻め」を候補として不適とするのであれば「小田原征伐」も同じ理由で不適ということになります。曖昧さ回避の観点からは「小田原の役」が一番よいでしょう。したがって、投票者が記事名の付け方の5基準のうち「曖昧でないこと」を重視するならば「小田原の役」、「認知度の高さ」を重視するならば「小田原攻め」に投票すればよいということなのであって、「何としても征伐に改名したい」という類の個人的願望(それを「ワガママ」というのではないでしょうか)は何ら基準になるものではありません。個人的願望以外の理由があるならば、お示しください。--Chokorin 2011年11月4日 (金) 23:10 (UTC)[返信]
  コメント 繰り返しになりますが、「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」だけでなく「辞典を含めた三次資料」も、Wikipediaの方針上、参考になるということは先にお伝えしたとおりです。Chokorinさんの「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」という判断基準は投票するにあたっての比較点にはなると思いますが、それ以上のものではありません。--秋田城之介 2011年11月6日 (日) 06:57 (UTC)[返信]
  コメント方針を読む限りは「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」のみが「信頼できる情報源」なのであり、「三次資料」はそれに準じるケースがあるというだけのことです。百科事典や歴史事典の類であっても、執筆者の記名がないようなものは、最終的な「検証可能性」を欠くわけですから、通常「信頼できない」と見なされるでしょう。ただ、秋田城之介さんのお調べになった事典(執筆者無記名のもの)だけをみても、「小田原攻め」の方が「小田原征伐」よりも認知度は高いようなので、そこは大きな論点にはならないでしょう。「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」において「小田原征伐」はほとんど皆無、高校の日本史教科書でも「小田原征伐」を採用している学者・教科書会社は存在しないということですから、「小田原征伐」の認知度は圧倒的に低いわけです。いまどき「小田原征伐」という言葉を「これがいい」と言って、積極的に使っている学者などいません。そう考えれば、改名先候補に「小田原征伐」を残しておくべき理由はまったくないわけです。まして「小田原征伐」に改名したところで、執筆に際しデメリットはあってもメリットはまったくありません。もし、改名先とすべき理由なりメリットなりがあるのだったら、それをお示しになればよいのではないでしょうか。理由を何ひとつ明らかにしないで自分の好みにこだわるのは「いつまでも納得しない」ということになるんじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。--Chokorin 2011年11月6日 (日) 16:19 (UTC)[返信]
  コメント「どうやって除外された候補に対する投票を排除するのか」質問させて頂きましたが、答える気はないということですか。「征伐」(他の方は「攻め」、「役」)がなぜ不適切なのか、熱弁をふるっておられますが、どの候補に投票するのかはあくまで投票者が判断することです。特に「コミュニティの総意に委ねるべき」という意見にChokorin殿から賛同を頂きましたが、どうやら口先だけの賛同だったようですね。”「征伐」が不合理である根拠は十分に主張されたと思いますので、あなたの主張が妥当であることを投票結果で示しましょう”と提案するつもりでしたが、もはや議論に参加する気力がなくなりました。このままでは投票自体が実行されず、なし崩し的に「役」のままになるかもしれませんね。まさかそのような事態を望んでいる方がいらっしゃるとは思いませんが。--伏儀 2011年11月7日 (月) 13:52 (UTC)修正--伏儀 2011年11月7日 (月) 13:55 (UTC)[返信]
  コメント私の質問についてはもう結構ですから、候補を除外せずに投票に移ってはいかがでしょうか。どの候補に投票するのかはあくまで投票者が判断することです。この場での意見を投票者に把握してもらった上で投票して頂くべきです。もし、自説の主張を繰り返したいというのであれば、これ以上私から申し上げることはありません。--伏儀 2011年11月7日 (月) 14:04 (UTC)[返信]
  コメントコメントありがとうございます。候補を絞る件に関しては、「"征伐"の不適切性」や「"征伐"が不合理である根拠」とは一応別の問題ととらえており、むしろ「"征伐"を主張する側のダブルスタンダード」ないし「恣意性」を問題にしてきたつもりです。そこには明らかにダブルスタンダードがあり、主張に一貫性がありません。「はじめに"征伐"ありき」という姿勢しか看取できず、結論から割り出した主張がその都度その都度繰り出されるのみで、実のところ、候補たるべき真っ当な根拠は、ただ今をもってしても何ひとつ示されていません。このような、恣意的に選択された候補をいったん許してしまうと、結局は同じことが繰り返され、改名が蒸し返されることになりはしないか、心配ではあります。ただ、有意な反論もない代わりに合意に達する気配もないことは確かですので、恣意的に選択された候補を認めるのは今回限りということで「征伐」も候補に含めて投票に移ることに同意します。小田原に関しても、「前回の改名が不適切」という主張であるならば巻き戻しの必要があると思います。提案者は、そのへんもハッキリさせていただくとありがたいです。--Chokorin 2011年11月7日 (月) 15:13 (UTC)[返信]

合意形成のモラルとマナーについて

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  コメント本ページは各記事の変更を決定する場ではありません、提案や集約は該当する記事のノートページや上位プロジェクトへ場を移すべきでしょう。井戸端の目的外利用、記事から隔絶した場で選ばれたメンバーが行う決定や合意が何処まで拘束力があるのでしょうか?二度手間になるでしょうね。 また、冒頭で私や世界最狂の魔法使いCray-Gさんの指摘があったにもかかわらず、再度Wikipedia:カンバス#フォーラム・ショッピングに相当する行為[10][11][12][13][14][15][16][17][18]を繰り返した改名提案者の秋田城之介さんはどういうつもりなのでしょうか?秋田城之介さんが任意に選んだメンバーが閉鎖された議場で決定した改名に効力があるのか非常に疑問ですし、指摘された方針を熟読したうえで意図的に行っているのであれば大問題です。また、Chokorinさんに対して「あなたがやろうとしていることはペテンですよ。--秋田城之介 2011年10月5日 (水) 03:46 (UTC) [19]」と悪しざまな発言がありましたが、冷静な話し合いのためにも善処を願います。[返信]
それと、提案された投票案件について、私の要望が考慮されてるどころか排除されている現状です。投票対象の不明示、再提案への条件付け無視、多重アカウントの排除要望の無視・・・当方も妥協の余地はありますが、提案側から全く無視されては合意することが出来ません。--Yasumi 2011年10月12日 (水) 12:13 (UTC)[返信]
まず、私はなるべく冷静に議論しようとしていますし、悪し様な発言をする意図はありません。私が10月11日に行った呼びかけは、井戸端での議論参加者に対して平等に行ったものであり、Wikipedia:カンバス#フォーラム・ショッピングに相当するものではありません。議論場所に関しては確かに、当初の目的とは脱線気味であり、場を移すことも考えています。投票条件・多重アカウントの排除要望について例えば、投票開始直前1ヵ月に活動が無い利用者を除外するとか、編集回数50回以上の数値を引き上げるとかいろいろな方法があると思いますが、具体的な要望をおっしゃったのはジャムリンさんだけです。投票条件については細かく意見が割れるかもしれませんから議論で折衷するしかないと思っています。ご意見があるのであれば具体的な要望を出してください。--秋田城之介 2011年10月14日 (金) 03:25 (UTC)[返信]
念のため、秋田城之介さんにもう一度ご確認いたします。私は2011年8月29日 (月) 12:02 (UTC) と2011年10月12日 (水) 12:13 (UTC) の二回の指摘を行いました。しかし、それを踏まえて尚かつ、秋田城之介さんの呼び掛けは「より多くの方に議論参加いただくよう呼びかけたもの」「呼びかけは、井戸端での議論参加者に対して平等に行った」との理由により合理性があり、特に改める態度ではなく、今後も必要に応じて同様な手法の呼び掛けが行われるものと考えて宜しいですか?ご回答下さい。--Yasumi 2011年10月14日 (金) 22:36 (UTC)[返信]
一回目の呼びかけについては不適切な面があったと思います。二回目の呼びかけについては平等におこなっており、特に問題は無いと考えております。投票条件・多重アカウントの排除要望については意見は無いのでしょうか?--秋田城之介 2011年10月16日 (日) 16:11 (UTC)[返信]
「二回目の呼びかけについては平等」とおっしゃいましたが、わたしのところには呼びかけがなかったことを申し添えておきます。ただ、投票で決しようというのは、もともとYasumiさんの言い出したことですから、この件についてはあまり注文をつけるべきではないと思いますが、いかがでしょうか。もし、投票後に多重アカウントの疑いがあるときはチェックユーザーをお願いする、その場合、投票者はそれに対し異議を唱えない、そういう条件で投票することとしてはどうかと思います。その程度の縛りで充分ではないでしょうか。--Chokorin 2011年10月20日 (木) 09:59 (UTC)[返信]
Chokorinさんはこの議論において常に頻繁に参加していたこともあって呼びかけ漏れしてしまいました。これについては私のミスで、申し訳ありませんでした。四国攻めの投票の際、チェックユーザーをするかしないかで紛糾した経緯もありますので、「投票者はチェックユーザー依頼に対し異議を唱えない」という縛りは有りかもしれません。ただそれに則ってチェックユーザー依頼が出た場合、「全員一括」ということになるでしょう。--秋田城之介 2011年10月20日 (木) 16:16 (UTC)[返信]
「全員一括」という条件については、私も異存ありません。--Chokorin 2011年10月22日 (土) 08:41 (UTC)[返信]

  報告 井戸端で投票要件の詰めを行うのは不適切であると考えたため、今までの議論を元にWikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてを作成しました。--秋田城之介 2011年10月28日 (金) 16:29 (UTC)[返信]

みなさんに一方的に声をかけておきながら、なおかつ、この場が機能している状態で、今また議論の場を一方的に移動させようというのは、どんなものかと思います。--Chokorin 2011年10月31日 (月) 18:50 (UTC)[返信]
唐突にも見えるような形になってしまいましたが、井戸端で議論する領分ではないところ(改名投票)まで議論が来ているので、移らなければいけないステップだと思っています。ただ、ここでの議論を強制的に終了するものではありません。--秋田城之介 2011年11月6日 (日) 06:57 (UTC)[返信]

(コメント) TOPにある論点とされているものは、未だに解決されていないのでしょうか。日本語は難しいですから、記事の中身(文章)が意味することは、たとえ同じものを参考にしても書き方一つで変わります。
・どういう書き方が良いのか、あるいは書き方のバリエーションが付けられるのかといった疑問よりも、どのような書き方が適切なのかという点が大きな問題だと思います。
どのような書き方が適切なのかというのは、ここで何個か出ている中立性も含めて包括すべきだとは思いますが、記事の改名はその次の問題といったところでしょうか。
といっても議論は長く続いているようですから、今改名のための投票になるのは仕方ないにしても、改名を目的化するようなことがあればナンセンスです。--Historical rox 2011年11月3日 (木) 05:36 (UTC)[返信]

このページで提起した論点は、改名議論に当たって私とYasumiさんの間で論点となっており、第三者からコメントを頂く格好となりました。私には改名を目的化する意図はありません。Wikipedia:記事名の付け方に則って適正に議論されるべきだと思っています。--秋田城之介 2011年11月6日 (日) 07:13 (UTC)[返信]
  コメント 秋田城之介さんがTOPに掲げた「論点とされているもの」のうち、
  • 戦役名として「征伐」は、認知度が高くても項目名として劣勢か?
に関しては、秋田城之介さんも加わっておこない、これを最大限尊重するとした文献調査の結果、「征伐」の「認知度は決して高くない」ということが判明しています。九州に関しては「九州平定」または「九州攻め」が認知度が高く、小田原に関しては「小田原攻め」が認知度が高いということなので、「征伐」は「項目名として劣勢」という結論が得られたといえるでしょう。
  • 「~~征伐」という言葉は、時代背景を考えても、中立性を損なったプロパガンダと言えるか?
に関しては、他ならぬ秋田城之介さん御本人が2011年10月26日(水)02:43(UTC)の書き込みで「たしかに「征伐」表現が真に平等かというとそうではありません」とおっしゃっているので、少なくとも「中立性を損なっている」という結論は得られたのではないかと思います。
したがって、改名を目的化するのでないとすれば、認知度が高く、戦争当事者を平等に扱える記事名への改名をまずは考えるべきでしょう。そのうえで、どのような書き方が最も適切なのかを話し合うべきではないかというふうに思います。--Chokorin 2011年11月6日 (日) 16:53 (UTC)[返信]
「征伐表現が真に平等かどうか」と「Wikipediaの中立性に反するかどうか」は別の問題です。「小田原攻め」や「九州攻め」は「豊臣秀吉によるもの」以外にも使用されますのでその調査で征伐よりやや秀でる部分があってもそこは考慮するべきですし、「役」は「豊臣秀吉によるもの」以外であまり見られませんが、征伐に認知度で劣っています。「戦争当事者を平等に扱える記事名にすべき」とのことですが、戦争当事者間の中立性を採るべきという考え方はWikipediaの方針はないものですし、そういった議論をしないことは「改名を目的化している」ことでもなんでもないと思います。--秋田城之介 2011年11月11日 (金) 15:32 (UTC)[返信]
「戦争当事者間の中立性を採るべきという考え方はWikipediaの方針にはない」とおっしゃいましたが、戦争当事者のうちの一方を悪者にするために「征伐」への改名がどうしても必要だということでしょうか。--Chokorin 2011年11月11日 (金) 22:00 (UTC)[返信]
戦争当事者のうちの一方を悪者にするためにやっているわけではありません。--秋田城之介 2011年11月16日 (水) 01:16 (UTC)[返信]

(インデント戻す)コメント依頼を立てるなとは言いませんが、せめて、ここで出てきた主論点(語の定義、中立性の問題、認知度の問題、前回の改名の適・不適)とその経緯を踏まえてはいかがでしょうか。まずは、ここでの結論をまとめるのが先決だと思います。問題提起をして、あちこちに声をかけてコメントを集めた人間が、それをしないでなしくずしに議論の場を次々に移動させる真意は何なのでしょうか。コメント依頼で、また一から話し合えということでしょうか。正直申し上げれば、秋田城之介さんが冒頭に示した「論点」のごときものは、論点のようにみえて全然論点などではありません。「改名問題を解決したい」ということではなく「征伐に改名したいけど何か問題ある?」ということでしかありません。そのためだけに井戸端に声をかけておいて、それすらまとめないというのであっては、「改名を目的化している」と言われても仕方ありません。新しく立てたコメント依頼をみると、「争点整理」と称して同じことをそのまま掲げたうえに、自分の気にくわない意見を「争点」に加えています。これはすなわち、秋田城之介さんが気にいる結論が出るまで、このようなことを延々と続けるおつもりだということでしょうか。御返答ください。--Chokorin 2011年11月12日 (土) 23:22 (UTC)[返信]

議論の場を移動させることは、意味無くやっていることではありませんし、一からやり直せといっているわけでもありません。重要な点として第三者から広い意見を募る必要を感じたから、井戸端を利用したのです。しかし、井戸端は本来個々のページの改名議論を行う場ではありませんから、改名投票準備などは別の場所で議論すべきと感じたのです。投票に向けて「争点整理」を再び掲げた理由は、どういった問題が存在したかを、投票する第三者に対し知ってもらわなければならないからです。論点・争点について合意できない部分があり、それは完全には解決できないし、溝は存在するでしょう。つまり、改名問題に対し議論による「合意形成」という形で解決が難しいから「投票」になろうとしているわけです。そして、「投票」に移るべきかどうかについては結論は出ているはずです。--秋田城之介 2011年11月16日 (水) 01:16 (UTC)[返信]