Wikipedia‐ノート:表記ガイド/過去ログ7

最新のコメント:2 年前 | トピック:「仮名」節の変更について2 | 投稿者:Miraburu

JIS X 0208外漢字の表記について

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以前、Wikipedia:井戸端/subj/文字参照の是非でも関連する議論が少しあったようですが、JIS X 0208に含まれていない漢字を記事中で使用する場合、私は文字参照を利用してunicodeのコード直値指定でたとえば「詡」と表記することで「詡」と出るように書いていました。しかし先日、私が執筆した曹錕という記事で、天竺鼠さんが「錕」を表す「錕」をすべて{{lang|zh|錕}}と書き換えられました。そこで疑問に思ったのですが、JAWP的にはどちらの表記の方が推奨されるのでしょうか? (まあいずれにしても読者の環境のフォントセットに「錕」が無い場合には「・」(中黒)なり「〓」(ゲタ記号)なりで表示されるとは思うのですが)。{{lang}}の挙動について詳しく知らないので誤ったことを言っているかもしれませんが、私の感覚では、読者環境で設定された中国語フォントで表示されたり、日本語の文章中にその文字だけ別フォントで表示されたりするような恐れがあるような気がして(杞憂なのかもしれませんが)、執筆者が想定した漢字と同一の字で表示される保証が文字参照形式より弱いような気がしてしまうのですが…。ちなみに件の{{lang}}タグは中国語の字に限らず、たとえば北葛城郡など純粋に日本語表記のみの記事でも「北{{Lang|zh|葛}}城郡」のように使用されていて、個人的には少しく違和感を覚えます(Wikipedia:アクセシビリティ#外国語では「日本語(ラテン文字も含む?)以外の語句には、{{lang}}タグを用いるべきです。」とありますが、北葛城郡は「外国語」ではありませんし…かつてTemplate‐ノート:Langでも議論されていた形跡はありますが)。 CJK統合漢字の場合、確かに言語ごとに字形が異なる字はあるので、元々が中国語圏の語の場合には{{lang}}タグを用いるのも理解はできます(infoboxなどで簡体字・繁体字表記の対応を見せる場合などは特に)。ただ記事本文はあくまで日本語としての文章なので……。また「錕」の場合はunicode制定時に対応する日本語のコード(JIS)が存在しなかったため(その後JIS第四水準に含まれJIS X 0213で規格化されましたが)、市販のフォントセットなどには含まれていないことが多く、勝手にMSUIゴシックなりMeiryoなりで表示される字という事情もあったりはしますが…。

いずれの表記法を利用した方が良い(もしくはどちらでも良いとか)というような統一的な基準は何かあったりするのでしょうか。無いようであれば今後もケースバイケースで対応していこうと思いますが…--トホホ川 2010年2月8日 (月) 23:19 (UTC)

  コメント 余談。Help:特殊文字では、入力時には文字参照を使用することを推奨し、編集時には文字参照でなくても文字化けしないアプリケーションを使うことを推奨しています。両方とも、書いたのはわたしですが……。「他人の環境に配慮しよう」という趣旨なので、ダブルスタンダードに見える書きかたになっています。
ユニコードに対応したアプリケーションで表示上は「・」や「〓」になってしまうとき、実際にどういうデータとして扱われているのかは一概に言えないとおもいます。コピペなどしたときに、文字の情報が失われるかもしれませんし、表示上問題があるだけでフォントのある環境では正しく表示できるのかもしれません。
ですので、そういう表示になる可能性があるとおもったら文字参照を使っておいたほうが無難だし、わざわざ文字参照をやめるような修正をする必要はないと、個人的には考えます。
で、どういう範囲なら大丈夫かというと、最近の日本語向けオペレーティングシステムは基本的にJIS X 0213:2004の範囲の文字を扱えるので、この範囲なら大丈夫だと考えられます (読むだけならともかく、編集する側の利用者ならそういう環境で作業しているでしょう)。この点、Help:特殊文字をわたしが加筆改訂したころとはすこし変わってきています (当時はJIS X 0208+JIS X 0212といった環境がまだ主流だった)。
なお「葛」の件ですが、日本語でのこの漢字の字形をあらわすのに{{lang}}を使うのはまちがいではないかとおもいます。正確な説明は長くなるので簡単に言うと、JIS X 0213やユニコードでは「葛城市」の葛と「葛飾区」の葛を区別していないですし、中国の文字コード規格にもとづくフォントの字形が日本の規格と同じ基準で決められているわけでもありません。 --Hatukanezumi 2010年2月11日 (木) 17:34 (UTC)
コメントありがとうございます。確かに最近のシステムではあまり気にすることではないのかもしれませんが、文字参照形式の方が「より無難」ということですね。私の感覚でもそんな感じじゃないかな、と思っております。とりあえずは今後も基本的に文字参照で執筆していくことにします。ありがとうございました。--トホホ川 2010年2月12日 (金) 23:16 (UTC)
JIS X 0213:2004(通称JIS2004)の字形を表示したい場合やJIS X 0213で定められた文字を表示したい場合は、表示するためのテンプレートとして、Template:JIS2004フォントがありますので、そちらを使用したほうがよいですね。--122.220.1.166 2010年2月13日 (土) 13:48 (UTC)

Wikipedia:表記ガイド#括弧の入れ子について

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括弧#cite_note-jun-1には、

日本などの一部の国では、数式における括弧の入れ子は [{()}] の順で用いられてきた。しかし、世界的には {[()]} の順で用いられる方式が多数派である。
なお、この日本工業規格 (JIS) の解説文において、丸括弧・角括弧・波括弧を入れ子にする際の順序については「特に規定しない」としたうえで、{[()]} が大多数(世界中の学術誌のうち約90%)であることが付記されている。

とあります。

数式における括弧の入れ子の順について、 [{()}] とする理由が特にないのならば、 {[()]} としてもいいのではないでしょうか。 --124.154.155.148 2010年2月17日 (水) 06:01 (UTC)

unicodeで統合された旧字体について

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JIS X0208やJIS X0213では新字体と旧字体が分かれていたがunicodeでは統合された漢字があります。具体的には常用漢字一覧で脚注1が付いている漢字です。これらの漢字の旧字体はCJK互換漢字に含まれているので文字参照は可能ですが、copy&pasteを行った場合などにCJK統合漢字である新字体になってしまう場合があります。

現時点では表記ガイドでは、固有名詞についてJIS X0208で旧字体が分かれていた文字は特に制限されていませんが、使用を制限した方が良いのではありませんか? 特に項目名としては明確に禁止したほうが良いと思います。コメントをお待ちします。--アルビレオ 2010年4月4日 (日) 05:35 (UTC)

  コメント 常用漢字一覧にちょっと加筆しときました[1]。ご提案の本質にかかわる変更ではありませんが。
これらの組はJIS X 0208では「旧字」と「新字」が包摂されていましたから、「新字」のほうをつかうことは、▼WP:NC#漢字を適切に使うことで「JIS X 0208にある文字の範囲」を使うとし、▼WP:JPE#使用可能な文字で「JIS X 0201のラテン文字類にもJIS X 0208にも規定されていない文字は、できるだけ使わない」としているのと整合します。で、意見。
  • 本文については、コピペなどで互換分解されてしまうような編集環境 (具体的にそういう例があるのなら) に配慮して、字形に気をつけたいときは文字参照を使うことを推奨するのがよいとおもいます。あと個人的には、字形にこだわらないときは無理して「旧字」をつかわないようにしたほうがいいともおもいます。
  • なお記事名については、ページ作成の際に自動的にNFKCが適用される (互換分解が起こる) ので、問題の「旧字」は「新字」に変わってしまい、もともと使えないです。{{記事名の制約}} (「旧字」を意図している場合) や {{統合文字}} (「新字」を意図している場合(?)) で対処するということでよいのではないかとおもいます。
--Hatukanezumi 2010年4月4日 (日) 12:52 (UTC)明確化 --Hatukanezumi 2010年4月4日 (日) 12:55 (UTC) 括弧内加筆--Hatukanezumi 2010年4月4日 (日) 13:13 (UTC)
コメントありがとうございます。ご指摘通りJIS X0213で旧字体のコードが分かれたのですね。私の調査不足でした。以下余談です。
Hatukanezumiさんの書かれていることにはほぼ同意なのですが、旧字体がJIS X0208で包摂されている場合、「包摂されているのだからJIS X0208に含まれていないとは言えない」と言い出す人が出てこないように、この辺りの表現を厳密なものにしたほうが良いのではないでしょうか。
なお、私自身は、人名などで特に本人がこだわっているような場合以外は新字体を使うことにしています。今回の話は、旧字体にこだわる(?)人が、「旧字体が公式な表示であることが明確になっていない(むしろ新字体が広く使われている)」記事について{{記事名の制約}} を貼っているため、あたかも「旧字体が公式な表示である」かのように見えていることが発端です。--アルビレオ 2010年4月16日 (金) 22:53 (UTC)
とっても遅いコメントですみません。
もともと「JIS X 0208に限定」としているのは、この範囲のレパートリしか扱えない機器に配慮してのことだったはずなので、後の規格で包摂分離されたことをもちだすのは筋がとおらないでしょう (JIS X 0213にだけある文字はJIS X 0208のみ対応の機器では表示できない)。強いて明確化することもないようにおもいます。
「公式な表記」が何であるかは旧字か新字かという話ではないので、別途議論が必要だとおもいます。ちなみにJIS X 0213で追加されたほうの字は、文部科学省答申に掲出された字の微細な筆画の違いを区別するための措置で、必ずしも「旧字」といえるわけではありません。--Hatukanezumi 2010年7月13日 (火) 12:29 (UTC)

西暦と和暦を併記する際の順序について

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こちらでの議論はWikipedia‐ノート:表記ガイド/西暦と和暦を併記する際の順序についてに分割しました。--Miraburu会話 / 投稿記録 2022年7月4日 (月) 13:32 (UTC)

中国漢字人名の表記方法について

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中国漢字人名の表記方法について疑問に思ったのですが、 人名の節には、

「中国漢字人名(中国名)については、漢字表記・日本語読みを原則とします。仮名表記が慣習になっている場合はそれに従います。」

と記されていますが、たとえば、国家主席・胡錦濤を例にとると、胡錦濤(こ・きんとう)が原則で、もし、フー・ジンタオという仮名表記が慣例になっている場合(たとえば、外務省のページや中国の大使館のサイトで胡錦濤(フー・ジンタオ)とルビがふってある。など)は、 胡錦濤(フー・ジンタオ)表記を優先するということでしょうか。

現在、林志玲にて、IPユーザー 116.80.172.141 氏が、小学館発行の日本大百科全書に、「りんしれい」という日本語表記が載っている事を根拠に、 導入部の編集を行っています。私を含め、複数のユーザーが、差し戻しを行っていますが、執拗に同様の編集を繰り返しております。

IP氏の主張によれば、日本でも権威のある出版社が発行する百科事典に「りんしれい」と載っているのだから、表記ガイドの「漢字表記・日本語読みを原則」のガイドラインに則り、「林 志玲(日本語:りんしれい(後略)」 とすべきだ。とのことです。 しかし、オフィシャルは林志玲のみ。各映画雑誌や出版された書物などでも、「りんしれい」はみあたらず、「リン・チーリン」という仮名表記が慣習化されています(と判断してもいいかとは思います)。

なので、「慣習になっている場合」を採用し、「りんしれい」は導入部分には記述せず、漢字表記+慣習になっている仮名表記 つまり、「林 志玲(中国語:リン・チーリン)(後略)」でいいと思うのですが、この解釈は当てはまるのでしょうか。--フォルクス 2010年5月19日 (水) 01:47 (UTC)

確か、一部の俳優などで日本でも中国語読みが定着している人がいると聞いたような気がしますが、そういう例を想定して、中国語読みを冒頭に書けるような規程になっているのだと私は思います。胡錦濤の場合はまだ「こきんとう」の方が一般的だとは思いますが。なので、林志玲の場合も日本でどちらの読みが定着しているかを調査して、多い方を採用すればよいかと思います。もっとも、どちらか一方だけに限定せずに併記でもよい気がしますが。--Tam0031 2010年5月19日 (水) 12:13 (UTC)

年号表記についてのウィキプロジェクト 学校 での議論のお知らせ

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Wikipedia・トーク:ウィキプロジェクト 学校#沿革項目の元号は併記で残すべきでは にて、年号表記についての議論が進行中です。表記ガイドの範疇ではないかと思われる議論も出ておりますので、こちらをご覧の方からもご意見をいただけないでしょうか。

最新の議論はWikipedia・トーク:ウィキプロジェクト 学校#当該記述の削除提案 以下です。よろしくお願いします。--Sushiya 2010年5月21日 (金) 22:48 (UTC)

「子ども」及び「障がい」について

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主に政治的理由で使われているまぜ書きの「子ども」と「障がい」について、Wikipedia:表記ガイド#まぜ書きには何も言及が為されていないので説明の追加を提案します。

「子ども」(案)
「供」も常用漢字であり「子供」が差別的表現であるか否かについては見解が分かれているため、原則として項目名に従い「子供」表記とする。但し「国際子ども図書館」のような固有名詞や、外部の文章を引用する際はこの限りではない。
「障がい」(案)
現時点では、原則として常用漢字に従い「障害」とする。但し「障がい者制度改革推進本部」のような固有名詞や、外部の文章を引用する際はこの限りではない。また、常用漢字外表記の「障碍」については、以下の場合に使用する。
  1. 日本における固有名詞。「視覚障碍者読書支援協会」など。
  2. 日本以外で漢字を使用している国・地域(中国・香港・台湾・韓国)の事物に関する記述は「障害」に置き換えず「障碍」とする。繁体字で「障礙」(「」はJIS第2水準)が用いられている場合も「障碍」に統一。
  3. 外部の文章を引用する場合。「障礙」の扱いについては2. と同様とする。
今後「碍」が常用漢字に採用された場合(遅くとも2010年11月頃までに結論が出る予定)に「障害」を「障碍」に置き換えるか否かは、採用された段階で改めて協議する。
参考議論

--サンシャイン劇場 2010年6月13日 (日) 20:40 (UTC)

個別記事で考慮すべき事柄ではあるかもしれませんが、表記ガイドで定めるべき事柄ではないと思います。「閉塞」や「がいし」を一々表記ガイドで示さないのと同じことです。--Jms 2010年6月13日 (日) 21:29 (UTC)

和暦テンプレートについて

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Wikipedia:内容に関連するリンクだけを作成を考慮すると、日付に関するリンクの形式は多様であるべきで、テンプレートによってリンクの形式を固定すべきではありません。したがって、

  • {{Jdate}}「テンプレートのまま」記事内で保持するのは好ましくない。
  • substが使えるのなら改善してほしい。

と要求していますがいつまでたっても改善されません。 それどころか、どんどん他のテンプレートで使用してテンプレート自体の改善ができないように仕向けているやからもいる状況です。--Goki 2010年6月16日 (水) 02:17 (UTC)

疑問符・感嘆符の使い分けについて

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以前から気になっていたのですが、Wikipedia:表記ガイド#疑問符・感嘆符には「全角・半角のどちらを使うかは直前の文字に従います。」と書いてありますが、これは例外なくそのようにしなければならないのでしょうか。私はアニメの各話リストを多く追加しており、サブタイトルに疑問符・感嘆符を使用するのはよくある事です。しかし私自身が編集した記事を含め、守られていない場合(主に半角を使用)が多いようです。先日、直前の文字が全角の疑問符・感嘆符を全角に修正されている方(こちらの編集)がいましたが、やはり表記通りに修正すべきなのでしょうか。あと、表記ガイドには書いてないのですが、「!?」や「!!」などを使用する場合も同様に直前の文字に従うのでしょうか。--ジャビ 2010年6月20日 (日) 18:27 (UTC)

  コメント うーん。これ、わたしも不思議です。たぶん、日本語の印刷物では疑問符や感嘆符が全角取りになっていることが多いので、全角形を使いたがるのでしょうね。「JIS X 0208とJIS X 0201の両方にあるものは全角形を使わない」という表記ガイドの原則からはおかしいんですが、これだけ広く行われていると理由づけをして認めざるをえず、「直前の文字に従う」ということに落ち着いたんだとおもいます (この説明はわたしの主観もはいってますので、当ノートの過去ログでの議論も見てみてください)。
で、表記ガイドの解説では、連記号の「!!」や「!?」や「!!!」なんかにまで考えが及んでないので、これはとりあえず自由でよいとおもいます。わたしが推測した上のような理由からすると、全角形の文字をならべて使わないほうがよさそうです。
また、印刷物では疑問符や感嘆符のあとはスペースを空けるのがあたりまえなのですが、これをしていない例がときどき見受けられます。みかけたら、ほかの修正のついでにでも直すとよいとおもいます (ただし、本文の話です。記事名については、なぜかほとんどが空いてないので、もう直しようがないです)。 --Hatukanezumi 2010年6月21日 (月) 14:00 (UTC) --Hatukanezumi 2010年6月21日 (月) 15:14 (UTC)
JIS X 4051では区切り約物は全角と規程されており、この全角と全角形すなわちいわゆる全角を同一視すれば、いわゆる全角を用いることになるのでしょう。同じ伝でゆくなら連記号も全角一つ分で組むべきですから、全角形の文字を複数並べて一つの区切り約物を構成することはあり得ず、従って直前の文字によらず「!?」「!!」となりましょう。一方、組版上全角だから文字コードも全角形というのは合理的とは言えないので、文字コードの観点からすれば単一の疑問符や感嘆符についてもいわゆる半角の疑問符や感嘆符を用いるべきでしょう。なお区切り約物に続くアキについては JIS X 4051 に規程されており (JIS X 4051:2004 47 頁、表5)、それに従えば区切り約物に続く文字クラスにより、ベタ組の場合もアキを入れる場合もあります。--Jms 2010年6月21日 (月) 17:10 (UTC)
  コメント 一点だけ訂正入れますが、JIS X 4051 (の最新版) が依拠する文字集合はJIS X 0213 (JIS X 0208の拡張規格の側面を持ちます) なので、区切り約物「?」「!」等の文字コード自体に全角形のものを用いなければならない必然性はないです (上のリンク先記事も参照ください)。ちなみに、2字までの連記号はJIS X 0213には規定されていますが、JIS X 0208には規定されていません。
あと、アキの話は利用者:Hatukanezumi/JIS X 4051の字間空き量で分析を加えていますんで、規格上のこまかい事情を知りたいかたはご覧ください。
なんかマニアックな話になっちゃってごめんね。 --Hatukanezumi 2010年6月21日 (月) 17:23 (UTC)
訂正、というのはどの部分についてでしょう? --Jms 2010年6月21日 (月) 20:21 (UTC)
  報告 それについては完全に余談になるのでこちらで説明しました。 --Hatukanezumi 2010年6月25日 (金) 17:33 (UTC)

Hatukanezumiさん、Jmsさんお答え頂きありがとうございます。「!!」や「!?」などについては半角を使うことにします。疑問符・感嘆符の全角・半角についてはこれまで通り直前の文字に従うということで良いんでしょうか?どうすべきか分からなくなってきたのですが…。

もう一点お伺いしたいのですが、記事名に疑問符・感嘆符は半角を使用する事になっていますが、記事の導入部分が「とらドラ!」のように全角感嘆符で記述しているものがあります。表記ガイドに従うならば「とらドラ!」の記述の仕方が正しいと思いますが、他の記事を見ても同様の記述をしているのはほとんどありません。こちらについても直前の文字が全角の疑問符・感嘆符の記事名においては同様の記述の仕方をすべきなのでしょうか?--ジャビ 2010年6月26日 (土) 07:25 (UTC)

Wikipedia‐ノート:表記ガイド/過去ログ1#疑問符・感嘆符の半角・全角に以前の議論があり、記事名にリンクしている場合などは必ずしも「とらドラ!」としなくとも良い様にも思えます。一方、表記ガイド冒頭の「コンピュータ上で作られる文書であることに配慮しながら、印刷物の慣行に近づける」という観点からすると、直前の文字種によって疑問符・感嘆符の全角形と半角形を使い分けるというのが妥当なのかどうかは疑問だと思います。そこから検討すべきかもしれません。--Jms 2010年6月26日 (土) 09:40 (UTC)
組方の記述例を『文字の組方ルールブック タテ組編』 ISBN 4-88888-312-2 および『文字の組方ルールブック ヨコ組編』 ISBN 4-88888-314-9 より拾いました。
  • (タテ組) 疑問符・感嘆符は全角ドリとし、句点の役割をかねる場合は、疑問符・感嘆符の後は、原則として全角アキとする。
    • 文脈の関係で?や!の下をあけると不自然になるときは、前後を四部アキか、またはベタ組とする。
  • (ヨコ組) 句点の役割をかねる疑問符(?)、 感嘆符(!)は全角物を用い、その後を全角アキとする。疑問符(?)、感嘆符(!)の前はベタ組とする。
    • 二分物の疑問符(?)、感嘆符(!)を用いて疑問符(?)、感嘆符(!)の後を二分アキとする組方もある。
『タテ組編』の例示疑問符は全角物でした。直前の文字に影響を受けるという記述はありませんでした。「縦組の中に欧文を横組にして組む場合は欧文の組方にならい」とあり、この縦組中の横組欧文中の疑問符・感嘆符と縦組中の疑問符・感嘆符では組方が違いますから、直前の文字云々よりは、縦組をした時にどうなる疑問符・感嘆符なのか、ということではないかと思います。なおこの違いは組版の話なので文字コードのいわゆる全角半角とは違う話ですが、ヨコ組編からの引用で組幅の違いを示すのにいわゆる全角半角の使いわけを (嫌々ながら) しました。--Jms 2010年6月27日 (日) 22:12 (UTC)

インデントを戻します。話を蒸し返して申し訳ありませんが、上記の議論(過去ログ含む)を読んでも結局どう使い分ければ良いのか判断できずにおります。とりあえず、

  • 「?」(疑問符・耳だれ)・「!」(感嘆符・雨だれ)は使わないでください。
とありながら、
  • 全角・半角のどちらを使うかは直前の文字に従います。

となっているため、私のように文字コードや文字の組み方などにまったく疎い人間は混乱させられます。まったく矛盾している説明と感じられます。例えば『仮面ライダー電王』なのですが、台詞やサブタイトルに感嘆符が多く使われていますが、全て(たぶん)半角が使用されています。これは『「!」(感嘆符・雨だれ)は使わないでください。』に合致します。一方で、「直前の文字に従う」のならば全角に置換しても問題ない部分がほとんど、というか、全角にしたほうが良い部分が非常に多いという事になってしまうと思うのですが、一体どうなのでしょう。今のところ疑問符・感嘆符を全角にするか半角にするかで編集合戦になっているのを見た事はないのですが、自分は今まで『「?」(疑問符・耳だれ)・「!」(感嘆符・雨だれ)は使わないでください。』に従って全角を半角に修正する編集をしてしまったり、他の編集者様に「半角でお願いします」と連絡してしまったりした事があるので居心地が悪いです。「半角じゃなきゃ絶対に駄目!」とか「いや全角じゃなきゃ」という厳密でカチコチのルールは無理というか、あってはならないとは思います。しかしながらもう少し説明をわかりやすくしてはいただけないでしょうか?(← ここは「?」か「?」か、もうわからない。)よろしくお願い申し上げます。--Taomao ys 2010年11月27日 (土) 02:02 (UTC)

「?」(疑問符・耳だれ)・「!」(感嘆符・雨だれ)は使わないでくださいというのは、地の文では疑問文も感嘆文も使うなという意味でしょう。「全角・半角のどちらを使うかは直前の文字に従います。」というのは固有名詞や引用文についてのことであって、「?」(疑問符・耳だれ)・「!」(感嘆符・雨だれ)は使わないでくださいとは独立した話です。--Jms 2010年11月27日 (土) 06:19 (UTC)
  コメント 「『!』(感嘆符・雨だれ)は使わないでください。」は、全角や半角のことではなく、記事の本文で「。」でおわるべきところを感嘆符にしない、ということでしょう! (←これはだめ) だから「!」も「!」もいけないのではないでしょうか!? (←これもだめ) どういうふうに書き換えればいいでしょうか。
引用文や作品題名の中で全角を使うか半角を使うかについては、ひとによって意見が違うようです。「直前の文字にしたがう」という方法を支持するひともいますし、「できるだけ半角にする」というひともいますし (わたしはそうです)、あまり気にしないひともいます。そういう意見の違いが、ガイドラインにも表れているのだとおもいます。
ですので、ガイドラインから読み取れるいろいろなやりかたのうち、自分が一番合理的だとおもうやりかたをえらべばいいとおもいます。
自分とちがうやりかたの文章をみつけたら、ついでに直してもかまわないとおもいます。ただし、感嘆符や疑問符はこれだけ長いあいだ複数のやりかたが併存してきて、それで困ったこと --- 読者が読めない、誤読を誘う、といったことが、一番困ります --- が起こっていないのですから、無理にすべてを統一する必要はないとおもいます。
また、万一「全角か半角か」で編集合戦がおこっているのをみかけたら、当事者に、当ノートの議論を見るように言ってあげてください。--Hatukanezumi 2010年11月27日 (土) 06:23 (UTC)
Jms様、Hatukanezumi様。早速のご回答ありがとうございます。「地の文」・「記事の本文」という部分で当方が完全に思い違いをしていた事を理解できました。「鈴木太郎は俳優である!」や「鈴木太郎は俳優である!」という使い方はしないでください、「鈴木太郎は俳優である。」としましょう、というお話だったのですね。恥ずかしい質問をしてしまったと反省いたしております。しかしながら、もしも可能であれば「記事の本文では」という箇所を説明に入れていただけれるとよりわかりやすくなり助かると思うのですが、いかがでしょうか(まあ、私のような勘違いをする馬鹿者はいないかもしれません、お手数をお掛けして申し訳ありませんでした)。--Taomao ys 2010年11月27日 (土) 08:19 (UTC)

未来の日付の和暦表記について

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WP:JPE#年月日・時間では「西暦を原則とします。和暦(元号が定められていない場合は天皇在位年)も併記することができます。」「日本に関する事柄の場合は和暦を併記することが望まれます」としています。しかし、未来のまだ到来していない年代や日付にまで和暦を付与してよいものでしょうか。つまり「2018年(平成30年)12月23日」のような記述です (ちなみに、今年は平成22年です)。

この話題はもともとTemplate‐ノート:和暦#未来の日付が表示されるで出たものです。そこでは「未来の元号は未定だから独自研究になってしまう」「官公庁などで実際に用いている」「そのような年代表記をするかどうかは執筆者の自由」「あまりに未来の年についてはやめたほうがよいのでは」(いずれも要約) といった意見が出ました。

執筆時点では未来の事象についての年代や日付を和暦表記することについて、表記のガイドラインとしてはどうあるべきか、ご意見をください。--Hatukanezumi 2010年7月19日 (月) 00:10 (UTC)

厳密に考えれば、現時点のガイドラインで明確になっていると考えます。和暦および天皇在位年は、未来の日付の場合は未確定なので使うべきではないでしょう。なお、「官公庁などで実際に用いている」については、固有名詞や引用には適用されないので問題にならないと考えます。判り難い人が多いのであれば「未来の日付については、和暦は確定していないので使わないでください」位の表現を追加すれば良いと思います。--アルビレオ 2010年7月19日 (月) 02:29 (UTC)
ちと考えすぎではないかと思います。今は平成22年7月ですが、「平成23年」とか「平成22年10月1日」とかを禁じるのは現代日本語の慣行に対して極度にタガをはめるものです。面倒なルールです。--КОЛЯ 会話 2010年7月19日 (月) 03:33 (UTC)
年号に限らず未来のことは不確定です。来年日本列島が存在している可能性は絶対ではありません。一ヶ月後には第三次世界大戦が勃発して人類は滅亡しているかもしれません。年号も同じことで、こうしたifの議論につきあうのは不毛と考えます。--薔薇騎士団 2010年7月19日 (月) 04:19 (UTC)
もちろん未来のことは確定していないので、未来記事に和暦を積極的に使うことは推奨はしません。が、日常生活でも近未来の案件について、「平成24年着工予定」「平成23年度予算に計上」などという表現はよく見ますし、数年ぐらいのレンジなら、あまり目くじらを立てるのもどうかと思います。「未来の記事については慎重に利用しましょう」程度の注記で十分かと。--トホホ川 2010年7月19日 (月) 05:14 (UTC)
  コメント もとの議論はテンプレートの表示に関するものでしたんで、「仕様として、いつを区切りにするか」という話になっているんですね (機械は人間とちがって、加減がわかりませんから)。
ただテンプレートの使いかたの実例を見ると「2049年(平成61年)」なんてものもあったりするので、テンプレートを使わなくてもこういう表記はそれなりにあるのかな、とおもっています。--Hatukanezumi 2010年7月19日 (月) 08:22 (UTC)
  報告未来の年代について和暦の併記は控えるべきという意見が大勢を占めているようなので、テンプレートの使用上の注意に「平成については未来の年代でも表示できますが、特に必要のない限り、未来の年代の表示は控えてください。」という一文を追加しました。--唐棣色 2010年7月19日 (月) 13:05 (UTC)
  報告 : すみませんが、差し戻させていただきました。結論を急ぎすぎです。説明も曖昧で不適当に感じました。どういう問題があるのか、ガイドラインがどうなっているのか、どういう場合が良いのか/悪いのか、それぞれ明確にすべきですし、注意するくらいあるなら機能自体を制限したほうがいいでしょう。--氷鷺 2010年7月19日 (月) 16:00 (UTC)
  コメント全体的にはむしろ問題ないという意見が多数だと思うのですが。もちろん平成123年という表記はおかしいと思いますが、平成24年くらいは別に問題ないでしょう。要は編集者が常識的に対応すべきことだと思います。--薔薇騎士団 2010年7月19日 (月) 22:25 (UTC)
  コメント テンプレート側の議論では「あまりに未来の年についてはやめたほうがよいのでは」といった意見でしたが、一般的な表記ガイドのうえでは「特に制限すべきではない」と考えます。公的な文書等では、未来のことも平成表記が普通ですし、そもそも未来のことなのですから、不確定要素が含まれるのは当然のことです。可能性を言うなら、100年後の日本でグレゴリオ歴が使われている保証もありませんし、「平成122年」が来る可能性も否定できません。--氷鷺 2010年7月19日 (月) 16:00 (UTC)
  コメント ≪「平成23年」とか「平成22年10月1日」とかを禁じる≫必要はないと思いますが、典拠に和暦が用いられていない分野で未来の和暦を使う必要もないと思います。典拠に「2012年」と書いてあるもの(「平成24年」という表記の典拠がすぐに見つけられないような分野のもの)をわざわざ「平成24年」に直して記事に組み込むのは疑問に感じます。
逆に、典拠に和暦が使われている範囲においては使っても構わないと思います。例えば「平成24年」にリンクしている「松任駅」では工事完了が平成24年度末らしい(記事中に出典はなさそう)ですが白山市のサイトに平成表記で書いてありますので、おそらくその分野は和暦表記がよく使われる分野なのでしょうから、平成24年度末という表記を避ける理由もないでしょう。平成24年がこなかったら、その典拠もすぐに次の元号に修正されるでしょうし、その段階で記事が修正されればいいのではないでしょうか。
≪数年ぐらいのレンジ≫≪平成122年≫というのは結局、数年先であれば平成表記で言及した情報源もあるでしょうが、100年先のことを平成表記で言及した情報源は滅多にない、ということなんじゃないのかなと思います。--NISYAN 2010年7月19日 (月) 18:41 (UTC)
  コメント「ガイド」についての意識の違いがかなりありますね。本件については未来の日付の和暦を認めない制約の強いほうから
1 和暦は認めない。和暦の記述は積極的に修正する。
2 和暦を使わないことを推奨する。和暦の記述があっても単独の修正は控え、他の修正と同時に修正することは認める。
3 和暦を使わないことを推奨するが、使うことも認める。他との整合を取る以外の修正はしない。
4 和暦を使っても使わなくても良く、全くの自由とする。
5 和暦を併記することを推奨する。
位の段階があると思います。私の意見は2です。未来の日付の和暦の表示は修正しなければならなくなる可能性があり、使わないほうが望ましいと考えます。もちろん世間一般に使われる表現であり、記述の根拠となる資料に和暦があれば引用時にそのまま和暦も使うことは当然ですが、「ガイド」としては、どういう記述が望ましいかを明記すべきと考えます。--アルビレオ 2010年7月20日 (火) 14:30 (UTC)
  コメント (ガイドライン的には1だが現実的には2) なんだかとある方針文書の草案を思い起こさせますが、気のせいでしょう;-)。未来の日付での和暦付記について、わたしの立場は1ですが、現実の編集では2です。あるパターンの記述だけをねらってなおすのならボットかなんか使ったほうがよほど効率がいい。人間が機械のまねをする必要はない。
また、わたしの立場1は、未来の日付についてだけです。理由は、検証可能性が得られないからです。現在以前のことなら、年代を含めた解説内容に検証可能性があるかぎり現在の「和暦〔…〕も併記することができます」という文言で対応可能です。さらに、西暦と一致しない暦法の時代については、西暦への換算自体が独自研究のおそれをはらみますので、和暦のみを記載すべき場合もあると考えます (記紀風土記の年代の一部など)。--Hatukanezumi 2010年7月21日 (水) 12:48 (UTC)
5を支持します。特に日本史の場合、和暦の併用は必須と考えます。西暦というのは日本語の特殊訳で本来はキリスト教暦(グレゴリオ暦)ですので、キリスト教徒以外が使用するのは、信教の自由の観点から問題がないわけではありません(革命暦の記事等参照)。検証可能性ということを言い出すと、西暦自体イエス・キリストの生誕を基準にしていますが、(キリスト非実在説を別にしても)正確な生年は不明で検証可能性を満たしていません。--薔薇騎士団 2010年7月22日 (木) 05:57 (UTC)
あ、混乱させたかな。ここでの問題は「未来の年代や日付」の扱いなんで、日本史の年代や、ナザレのイエスがいつうまれたかとかは、関係ないでしょう。--Hatukanezumi 2010年7月22日 (木) 12:32 (UTC)
検証可能性というのは、「真実かどうか」の問題ではありません。来年、今上天皇が存命されているかは和暦の使用とは関係ないのです。官公庁などで「平成24年度完成予定」等の使用例があり、出典を明記できるなら問題ないわけです。--薔薇騎士団 2010年7月22日 (木) 16:01 (UTC)

結局、Hatukanezumi氏の意見によれば、日本が西暦を使い始める前の年代や来年以後の年代には元号と西暦いっしょに書くなって事ですよね。1600年(慶長5年)というのもダメだし、2011年(平成23年)というのもダメ。重箱の隅つついて自分ルールに合わない記述は絶対に許さないという感じ。あまり細かいことにこだわらず、もっと自由に書けるようにした方がいいと思います。-Qrsk075 2010年7月22日 (木) 14:18 (UTC)

  コメント 1600年(慶長5年)はだめじゃないよ。でも、旧暦と西暦は年初・年末がずれてるから、慶長5年12月は1601年になることがあるし、1600年1月が慶長4年になることもある。だから、単純に換算するとまちがう可能性がある。ただし、慶長5年のできごとはすでに起こったことだから、ちゃんと確かめれば一応正しい年号は決められる。
2011年(平成23年)はちがう。もしも来年1年間が平成なら、平成23年は2011年に一致します。しかし、来年がずっと平成かどうかは、現時点ではだれにもわからない。さらに後の年になると、もっとわからない。自由に書いていいとはいっても、だれにも検証できないことを書いていいのだろうか、というのが、この節の話題の発端です。--Hatukanezumi 2010年7月22日 (木) 14:57 (UTC)
Hatukanezumiさんへの質問。未来の出来事は、予定であれ推測であれ、それ自体が不確定で「現時点ではだれにもわからない」はずですが、そのことについてはどうお考えですか? 「それとこれとは別の話」なのか、それとも「年(年月日)だけでも、より確実な表記を」という考えなのか、あるいは別の考え方があるのか…そのへんがどうもよく分かりません。
来年・再来年程度の「予定」ならともかく、当初の予定通りに計画が進むことって(分野にもよりますが)そんなに「確実」ではないような気がしますし、「予定」が何度も変わることだって珍しくないでしょう? Wikipediaは修正可能なんですから、それを極端に恐れる必要はないように思います。予定は未定。我々は予言者ではないし、数年後・数十年後の元号にそこまで重い責任を負っているわけでももありません。あくまで「2010年/平成22年現在での予定や推測」であれば良いかと。--氷鷺 2010年7月22日 (木) 16:39 (UTC)
  支持
薔薇騎士団さんの2010年7月22日 (木) 16:01 (UTC)の「出典を明記できるなら問題ないわけです。」というコメントを支持します。(2010年7月19日 (月) 22:25 (UTC)の「平成24年くらいは別に問題ないでしょう。」というコメントについては不支持。)
出典が信頼できる情報源の条件を満たすものである時のみ、未来の和暦表記を用いても良いと考えます。
出典が西暦表記のみで和暦表記が無い場合は、「独自研究は載せない」の公式方針に抵触すると考えます。
  参考資料
官公庁における使用例 - 防衛省発行『わが国の防衛と予算:平成22年度の概要』では、P.33(36/45)「歳出額と後年度負担額の関係」に「26年度以降」という和暦表記が用いています。(参照サイト…防衛省 防衛政策局 防衛計画課; 経理装備局 会計課 (2010年1月). “わが国の防衛と予算 - 平成22年度の概要” (PDF). 防衛省. pp. P.33(36/45). 2010年7月22日閲覧。
防衛省関連の記事において上記のサイトを出典として用いることは、WP:V#OSを満たしています。--Resto1578 2010年7月22日 (木) 18:47 (UTC)
  コメント 上で書いたことの繰り返しでしょうけど、≪2010年/平成22年現在での予定や推測≫をウィキペディアンが行うことについてはいくら近い未来であっても疑問に感じますが、第3者がそのような予定や予測を行う分には問題ないでしょうし、それに基づいて未来日付を和暦表記することは問題ないと考えます。--NISYAN 2010年7月23日 (金) 00:49 (UTC)
  コメント ちょっと言いかたを変えてみます。
だれかが「ある時期にある事象が起こる見こみだ」と主張していることを引用で示そうとする場合、引用元で「平成23年」という表現を使っていたら、引用文中でもそう表記しなければなりません (でないと引用にならないもんね)。しかしその引用は「ある事象がある時期に起こる見込み」という主張を紹介するためにやっているのであって、「平成23年という年号が実現する」という主張の情報源ではないですよね。
「未来の元号表記は自由だ」(大意) とこの場で述べている主張のなかには、「事実であること」と「検証可能であること」を区別しないものが見受けられるようにおもいます。--Hatukanezumi 2010年7月23日 (金) 12:29 (UTC)
どうもHatukanezumi氏の独自研究の理解が独自研究的で、他の方とずれているようですね。たとえば官公庁出版の白書信頼できる情報源ですが、そこに「某ダムは平成24年度完成予定」とか書いてあれば、その出典を明記しておけば、不確定の未来のことを書いても独自研究にはなりません。「平成24年まで今上天皇が存命していると証明できるのか」とか「そのダムは来年建設中止になるかもしれない」とか、そうした心配はWikipediaの執筆者は一切する必要がありません。検証可能性で求められているのは、その記事内容が「真実かどうか」ではなく信頼できる情報源に基づいた検証可能な内容かどうかだけです。--薔薇騎士団 2010年7月23日 (金) 16:12 (UTC)
薔薇騎士団さんの『Hatukanezumi氏の独自研究の理解が独自研究的で、他の方とずれている』という指摘は当たっているかもしれません。未来ことなら、そもそも(まだ)事実ではないのだから、実際どうなるかってのはどうでも良いことですよ。出典に基づき、その表記を優先するなり、適宜「西暦併記」「元号併記」などすればいいのです。もし「平成23年」に問題があるというなら「2011年」も同様です。--氷鷺 2010年7月23日 (金) 16:43 (UTC)
  コメント 出典に基づいた書きかたとしては、つぎのようなものがあります。
国土交通省は2005年、「某ダムの完成は平成24年の予定である」と発表した<ref>(出典)</ref>。
かぎ括弧内は引用ですので、引用元の表記を変えてはいけません。しかし、ウィキペディアでは西暦表記をするよう推奨していますから、つぎのように書くのがよりよいです。〔…〕は引用文中での説明です。
国土交通省は2005年、「某ダムの完成は平成24年〔2012年〕の予定である」と発表した<ref>(出典)</ref>。
いっぽう、引用ではなく地の文で解説する場合、ウィキペディアでは年代を西暦で記すことを推奨していますから、次のようになります。
国土交通省は2005年、某ダムの完成予定を2012年と発表した<ref>(出典)</ref>。
ガイドラインでは年代に和暦を付記できるとしていますが、この場の議論で問題になるのは、地の文で未来の年代を次のように書く場合です。
国土交通省は2005年、某ダムの完成予定を2012年(平成24年)と発表した<ref>(出典)</ref>。
ここでの話題は、よっつめの場合についてです。これ以外のみっつは特に問題ないでしょう。よっつめとほかのみっつを区別して論じていただくようお願いします。--Hatukanezumi 2010年7月23日 (金) 21:53 (UTC)
引用だったらそのまま書くべきであって、表記ガイドの対象じゃないです。そんな分かりきったことをわざわざ持ち出す意味が分からない。賛成意見が一人だけだからといって、「お前らは区別できてない」とか文句をつける……そんなことを前にもやってましたよね。少しは反省したらどうですか。平成24年にしろ平成122年にしろ、現時点での予定の記述としては何ら問題ないもので、和暦表記としては「正しい」ものです。国交省が「○○ダムの完成予定は平成24年」としたら、その予定が・その元号が実際にどうなるかなんてのはどうでもいいんですよ。そこで用いられている「平成24年」が実際に来るかどうか、誰が保証するわけでもないし、誰もそんなことを求めてなんかいません。--氷鷺 2010年7月23日 (金) 23:00 (UTC)
  コメント お詫び みなさん申し訳ない。年代の和暦表記に関してはしばしば「和暦表記は自由にやらせろ」と呼号するばかりで議論の趣旨をわきまえない発言が見られるようですが、今回は、わたしが相手をしたせいでそうなってしまったようです。だいぶん話がそれてしまいましたが、あらためて題記の件について「表記ガイドとしてどうするか」の議論をお続けいただければありがたいです。よろしくお願いいたします。--Hatukanezumi 2010年7月24日 (土) 16:05 (UTC)
  コメント未来の日付についての和暦は未確定であり、元号が確定したときに修正しなければならなくなる危険があります。そのため、記事で和暦を直接書くことは推奨しない方が良いと思います。templateを使えば、元号が確定したときの修正はtemplateだけで良いので、「未来の日付については、元号が未確定なのでtemplateを使うことを推奨します」のような記述が良いと思います。問題としては和暦に関して特定のtemplateをガイドラインとして推奨することがどうか、どのtemplateを記載するか(複数でも可)でしょうか。Template‐ノート:和暦#未来の日付が表示されるの議論の大勢とは逆の主張になりますが、和暦表示が欲しい人と、将来の修正を避けるための落とし所ではないかと思います。--アルビレオ 2010年7月25日 (日) 21:40 (UTC)
  コメント 提起者より 「未来の日付の表示にテンプレートを使う」という落としどころに特に異議はありません (賛成も反対もしません)。しかしその場合は、既存のテンプレートとは別のものを作成していただきたいとおもいます。
Template‐ノート:和暦をひととおり読めば察していただけるとおもいますが、テンプレートにはテンプレート固有の課題があるので、テンプレートのノートで表記ガイド系の議論をおっぱじめられると、本来の課題を議論できなくなってしまうんですよね。ですからこの議題については、表記ガイドでの合意をまってテンプレートへの実装を考えるよう、誘導したのです。
というわけで、提起者としては今後、当節でのコメントは控えます。当面の事態収拾よりも、表記ガイドとして適切な合意が得られることを重視することを望みます。
あ、あと蛇足。この件の解決のためにテンプレートを新設するのなら、{{平成}}といった、ウィキテキストで見てもわかりやすいものにしたほうがいいとおもいます。「編集している最中になにが表示されるか想像がつかない」という批判も、現在の和暦系テンプレートには寄せられています。蛇足でした。--Hatukanezumi 2010年7月26日 (月) 15:16 (UTC)

「仮名」節の変更について2

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こちらでの議論はWikipedia‐ノート:表記ガイド/「仮名」節の変更について(2010年)に分割しました。--Miraburu会話 / 投稿記録 2022年7月4日 (月) 13:38 (UTC)

当て字の仮名書き

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当て字を仮名書きにしなければいけないというのは、何の出典に基づいているのでしょうか。--薔薇騎士団 2010年7月25日 (日) 13:40 (UTC)

たとえば、「面倒 → めんどう」と書いていますが、試しにgoogleで検索したところ、
面倒:約 9,100,000 件
めんどう:約 719,000 件
の検索結果でした。明らかに「面倒」のほうが使用されています(10倍以上)。--薔薇騎士団 2010年7月25日 (日) 13:59 (UTC)
"ふんいき":約 76,800 件 (0.07 秒) 、"ふいんき":約 275,000 件 (0.06 秒) だそうです。実態はともかく、検索件数なんてそんなものでは?--PurpleDragon 2010年7月31日 (土) 08:54 (UTC)
反論のおつもりと思いますが、そもそも"雰囲気"約 59,300,000 件 (0.11 秒) だそうですから。読みが間違っていることを示すためには平仮名で「ふいんき」と書かざるを得ないのであって、その比較は例示にはそぐわないと思います。--ろう(Law soma) D C 2010年8月2日 (月) 00:33 (UTC)
検索結果の数が意味するところなんて、どう言う理由があるか分からないし、あてないならないってことですよ。--PurpleDragon 2010年8月2日 (月) 02:32 (UTC)

和暦併記の有無は統一すべきか

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源氏物語における写本記号源注拾遺などで「一つの記事の中に和暦が併記されている年月日と和暦が併記されていない年月日が混在する場合」に「年月日に併記されている和暦をすべて除去する」という編集をされている方がおられます。これはガイドラインに則った編集なのでしょうか。

もし和暦併記の有無をどちらかに統一するべきというならWikipedia:表記ガイド#年月日・時間にある「日本に関する事柄の場合は和暦を併記することが望まれます」とWikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいとを合わせ考えると「すべての年月日に和暦を併記する方向に統一する」べきではないかと思うのですがどうでしょうか。このような編集に関連する何らかの他のガイドラインが存在するのでしょうか。--211.135.54.237 2010年8月18日 (水) 14:08 (UTC)

ガイドラインとかではなく、勝手にやっているだけでしょう。ガイドラインも人の話も無視して荒らしまわっているひとなので、まともに相手をすると面倒なことになると思いますよ。--氷鷺 2010年8月18日 (水) 14:56 (UTC)
  コメント 具体的な例をあげてもらわないとなんともいえません。が、わたしも思い当たるので実例を挙げます。
なお、わたしは併記をやめるときにかならず和暦を除去しているわけではありません。旧暦の期間は和暦年と西暦年とが正確に対応しないので、西暦年のほうを除去している場合もあります (この場合、記事全体としては併記するかしないかを統一はしてません)。たとえば
あと、人物記事の冒頭の生没年月日にまで和暦を併記している記事をみかけますが、個人的には括弧が重なってうるさいとおもいます。和暦併記は生没年月日が旧暦のときだけでいいんじゃないでしょうか。
ほかにも、Template‐ノート:和暦/利用実態調査なんかでさまざまな実例を見つけられます。--Hatukanezumi 2010年8月18日 (水) 16:29 (UTC)
「具体的な例をあげてもらわないとなんともいえません」とのことですが、冒頭に「源氏物語における写本記号」と「源注拾遺」というふたつの事例を挙げているのですがわかりにくかったでしょうか。--211.135.54.237 2010年8月18日 (水) 16:48 (UTC)
ごめん、例示を見落としてた(^^;)。
要約欄に書いてある理由が妥当かどうかが問題でしょう。両者とも「なんでここだけ併記なのか」という意図は理解できますし、だからといって全部の年号を併記にするのはそれはそれで妥当性を欠くかもしれません。
あと個人的には、書誌については併記をやめてほしい。出版年が旧暦のものは和暦のみ (または和暦を主にして西暦を付記)、新暦のものは西暦のみに統一してほしいです。記事本文で年代の形式が不統一なのはある程度しかたがないですが、書誌情報が不統一なのは利用するうえでとても不便に感じます。--Hatukanezumi 2010年8月18日 (水) 17:13 (UTC) 加筆--Hatukanezumi 2010年8月18日 (水) 17:23 (UTC)

括弧の使い方をどちらかに統一してほしい

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こちらでの議論はWikipedia‐ノート:表記ガイド/括弧の使い方についてに分割しました。--Miraburu会話 / 投稿記録 2022年7月4日 (月) 13:34 (UTC)

か、カ、ヵ、ケ、ヶ、箇について

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2005年1月30日までの議論でも取り上げられていますが、疑問があります。
現在、Wikipedia:表記ガイド#仮名の項目では、「小さい「ヶ」は、使わないでください。例: 1ヶ月 → 1か月、1箇月」とされています。「ヶ」を使用しないとして、代用としては「か、カ、ヵ、ケ、箇」が考えられるわけですが、「か、箇」のみを代用とする、と定められているのは、「カ、ヵ、ケ」も使用しないということでしょうか。
仮にそうであったら、「カ、ヵ、ケ」は使わないでください、の記述が必要だと思いますし、逆にそうでないのだったら、「ヶ」の代用として使用を認める旨を明記すべきだと考えます。
私個人としては、上の議論で「公用文では「か、箇」のみ使用する」ことが示されているので、「か、箇」のみの使用を認める方がいいのではないか、と考えています。統一的な基準を設けた方がまとまった百科事典の形成に一役買うとも考えられます(ページごとに表記が違うといい気はしない)。
これについて皆さんの意見をお聞かせください。--Feyumyth 2010年10月2日 (土) 16:19 (UTC)--Feyumyth 2010年10月16日 (土) 07:00 (UTC)(修正)

分野の慣習もありそうですね。発達心理学で「○ヶ月児」というときは、「ヶ」「カ」が多いでしょう。「箇」はまず使いません。CiNiiで検索すると、
  • "カ月" - 5780件
  • "ヶ月" -4182件
"ケ月" - 1131件 - なぜか "ヶ月" と44件重複しているようだ
  • "か月" - 4127件
  • "箇月" - 65件
このようになりました(三ヶ月のような固有名詞も入っているので、正確な数字ではありませんが)。ひとまずは「ヶ月」「カ月」……のみについてしかいえませんが、いくら公用文ではそうだという規定があっても、「か」「箇」のみを認めるのは、実質的に公的な文章である論文や学会抄録などでの現実の使用とは乖離しているようです(公用文の規定は、けっこう現実とズレていることもありますよね)。個人的な意見としては、「か」については文献間で表記が揺れていてもふつうのことなので、ましてWikipediaの記事間で揺れていてもそれほど気になりません。今の規定だと、「ヶ」だけ使えないのはおかしいので、むしろ「小さい「ヶ」は、使わないでください」のほうの規定もなくしてほしいと考えています。ただ、揺れているべきと考えるわけではないので、統一的な基準を設けたいということに反対するわけではありません。そのときは、上で述べましたが、「か」「箇」のみを認めるのが現実の使用にそぐうものなのかは再考してほしいと思います。--Shaz 2010年10月16日 (土) 01:36 (UTC)
Shazさん、ご意見いただきありがとうございます。このガイドは「利用者:Michey.M/書き方」に始まり、「利用者:Koba-chan/Paropedia/書き方」に移動され、その後公式ガイドになったようですが、「利用者:Michey.M/書き方」の初版(すなわち表記ガイドの初版)から「ヶ」は使わないでくださいとあり、それが今になっても残っているようです。元々Michey.Mさん(あるいは別アカウントのMichey.M-testさん)が私案として書かれたと思われ、またMichey.Mさんは現在活動をしていらっしゃらないようなので、どういった理由で「ヶ」を好ましく無いと考えたのか、真意はちょっと伺えそうにありません。
私自身も、全く別の記事であれば表記揺れが混在していてもそんなに気になりません。しかし、例えば同じアーティストの各シングル記事で表現が揺れている、あるいは長いページの数行先で表記が揺れている、などの場合統一したくなります。そのときに、ルールがあった方が好ましいと思いまして、取り上げました(恥ずかしながら、「小さい「ヶ」は、使わないでください。例: 1ヶ月 → 1か月、1箇月」を拡大解釈し、「カ」も「ヵ」も使わないことになっていると勘違いしてしまいまして、その勘違いに則って編集してしまいました。それに気づいて書かせていただいている次第です。)。
現在のルールでは、確かに「3ヶ月児」「3ヶ年計画」など慣例的、習慣的な表現が出来ませんね。Googleで検索しても(すべてダブルクオーテーションで囲んで検索しました)
でした。Shazさんの調査も含めまして(CiNiiで「ヵ月」は7466件でした)、
  • 「か」は無難。
  • 「ケ」は使用例が少ない。ATOKでは変換出来ないので(IMEとGoogle日本語入力は変換可)、時代遅れかも。
  • 「ヶ」はバラバラ。
  • 「カ」は1つ極端に少ない以外は多い(Yahoo!知恵袋にもあるように、新聞の影響かも)。
  • 「ヵ」はバラバラ。
  • 「箇」は非常に少ない(個人的な意見ですが、「三箇年計画」が多いのは三が漢数字だからでしょう。Wikipediaでは原則固有名詞以外アラビア数字を使うことになっていますから、実質的にWikipedia内で「箇」を積極的に使う理由はないと思います。ほかの5つはアラビア数字でも漢数字でも一般的に使う表記だと思い、敢えて漢数字の方も検索しました)。
以上から、ひとまず「小さい「ヶ」は、使わないでください。例: 1ヶ月 → 1か月、1箇月」から1箇月を削除したいのですがどうでしょう。他の5つについては、「ヶ」の使用を認めるのか、認めないのか、折衷案をとるのか、また表記を統合するのか、しないのかなどを含め、もう少し他の方の意見を伺いたく思います。--Feyumyth 2010年10月16日 (土) 04:03 (UTC)--Feyumyth 2010年10月16日 (土) 04:09 (UTC)(修正)
  コメント わたしは、普段文章を書くときは「ヶ」(小さい) をつかうのですが、ウィキペディアでは当ガイドラインを尊重して「箇」で通すことにしています。それはつぎのような理由からです。
「ヶ」(小さい) はもともと「個」または「箇」の略体で、清朝末期 (だったとおもう。資料を失念) には用例が見られるようです。中国語では簡体字」の字形に採り入れられています。しかし「○ヶ所」「○ヶ国」などのようにものを数え上げる表現専用の字 (漢字ではない) は、日本語独自のようです。
ですから片仮名の「ケ」(大きい) は同形の字の誤用ですし、音で「カ」(大きい) としたものは類推によるさらなる誤用です。さらに「ヵ」(小さい)、ついには「」(小さい)、「」(小さい) なんていう字をつくって使っている印刷物まであるようです。これらは誤字ということになります。
誤字以外では、「か」(大きい) は混ぜ書きになるので避けるべきでしょう。
残る「ヶ」(小さい) または「箇」が妥当ということになりますが、わたし自身はどちらでもこだわりはありません。しかし「ヶ」は最初に述べた字源によって、「正字ではない」といった論争を生む可能性があります。
で結局、現ガイドラインでも推奨されていることですし、「箇」を使うことにしています。--Hatukanezumi 2010年10月16日 (土) 04:54 (UTC)
意見ありがとうございます。
私も「か」と「け」の小さいものは使うべきではないと考えます(広く普及しているとは思えませんし…)。表記ガイドに追加した方がいいかもしれませんね。
一方、私は歴史的に考えて、誤字・誤った語法であるからといって、必ずしも「一般的に」「表記として」間違っているとは言えないと考えます。
例えば、歴史的に見れば同音の漢字による書きかえは、(意図的な)誤った語法でしょう。漢字の構成を無視したもので、誤った表記です。ではHatukanezumiさんは沈殿、抜粋、丁重などは誤った表現だから、Wikipedia上で使うべきではないとお考えなのでしょうか。また山茶花を「さざんか」、輸入を「ゆにゅう」、依存症を「いぞんしょう」とルビを振ることも誤りだとお考えなのでしょうか(輸入、依存症のページのように、こういう読みもあると書いておけば、Wikipedia上ではあまり問題になりませんけど…)。
私は言語は使いやすい、便利な方に変化していきますから、由来がどうであれ、広く使われているものであればWikipediaで使うことに問題はないと考えます。逆に、普段目にしないような「箇」表記は避けるべきかと思い(最初の提案と異なりますので、最初の方は取り消し線を引いておきます)、上記の提案をしました。また「か」は交ぜ書きだから避けるべきとお考えのようですが、これも慣例的表現として普及しており、「拉致」を「ら致」など表記することとはまた種類を異にすると思います。--Feyumyth 2010年10月16日 (土) 07:00 (UTC)
いや、わたしも、歴史的に見て正字かどうかは必ずしも決め手にはならないとおもっていますよ。そうではなく、「『正字ではない』といった論争(下線引用者) を避けたいだけなのです。つまり、「ヶ」と「箇」のどちらがより「正しい」かを、労力をかけて決める必要を感じていないのです。
ですから、だれかが推奨しているものに一定の合理性があり、それが実行されてきて、特に不都合もないのなら、それにしたがっておこうとおもう、ということです。ほかのひともそうしてくれる可能性が高いので、全体としてこのことにかける労力は少なくてすむ、と、こういう判断です。--Hatukanezumi 2010年10月16日 (土) 07:13 (UTC)
お返事ありがとうございます。少々誤解していました。
では、Hatukanezumiさんは「「箇」を使えば無益な論争を避けることが出来、それに問題がないと思われるので「箇」を使用している」と言うことでよろしいでしょうか。間違っていましたらご指摘お願いします。
確かに、箇を使うことによって他の5表記が抱える文法上の問題は避けられるように思います。しかし、現代の日本で箇を日常的に使うかというと疑問です。表記ガイドの冒頭には「ウィキペディア全体の表記の一貫性を目指し、コンピュータ上で作られる文書であることに配慮しながら、印刷物の慣行に近づける意図があります。」とあり(強調はFeyumythによる)、Wikipediaでは一般的な、日常的に使われる表記・表現が望ましい、と解釈できます。「一貫性」ともありますから、必ずではないにせよ、6種類の表記を出来る限り統一(そこまで行かなくとも種類の制限)することが望ましいともとれます。この一貫性を目指すときに、「箇」で統一すると慣行から外れてしまうのではないか、と私は考えています。そういう意味で、「箇」の使用は文法的な問題は抱えないものの(私が知る限りですが)、一般性を欠く、不自然な表記という点で問題があるのではと思います(「ら致」が文法的に誤っていなくても不自然という印象を与えるのと同じです)。
ただ単純に慣行に近づけるとなると新聞協会の慣例である「カ」が望ましいようにも思えますが、印刷物である論文では「カ」も多いものの、決め手になるほどではないですし、「カ」にするならひらがなの「か」でいいんじゃないかという思いもあり、なかなか難しいですね。--Feyumyth 2010年10月16日 (土) 09:54 (UTC)

非西暦の併記削除に至る表記ガイド解釈

編集
ノート:李垠#和暦削除についてにて、李垠および李方子の記事から併記されている和暦の一部または全部を削除するか否かの議論がありました。
その中で、「私の立場は以前から「新暦年代に元号年表記はいらない」というもの[2]」と言われるHatukanezumiさんが、こちらのWikipedia:表記ガイド#年月日・時間を引用して下記の通り解釈しております。
西暦と異なる暦法が使われていた時代のことは、その暦法での年号表記のほうが正確になるので、読者の理解を助けるために、併記が望まれる。[3]
  • ガイドラインで併記することが望ましいとしているのは、西暦と異なる紀年の年号ではなく、西暦と異なる暦法の年号です。・・・グレゴリオ暦を暦法として用いるようになった時代・地域に関するものですから、和暦の併記は不可能です。[4]
また、この解釈との関連は不明ですが、併記された和暦の全削除には同調されている方も居ます。議論の方では、和暦削除論は全削除論から部分削除論へ集約されて、併記維持論と対立している状況ですが、下記のこちらへの提起とは切り離したいと思います。
表記ガイドを素直に読めば、非西暦の併記についてはこの解釈と逆のことが書いてあるように思えますし、和暦は西暦と同じように日本語で時間を把握するための物差しとなっている観点が欠落しているように思えます。さて、上記のHatukanezumiさんの表記ガイド解釈は、果たしてどの程度支持されている意見なのでしょうか?ご意見を伺いたいと思います。(なお本調査の不支持票は、必ずしも和暦併記を全適用という意思表明とはなりません)--Yasumi 2010年11月30日 (火) 21:27 (UTC)
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  1. 唐棣色
  2. Giftlists 2010年12月4日 (土) 23:46 (UTC)
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  コメント 議事進行ありがとうございます。ノート:李垠#和暦削除についてでも見られるように、和暦併記に反対 (制限ふくむ) する側が議論を主導すると悪意のこもった攻撃にさらされることが多いものですから、わたしが議事を主導することはやりたくなかったのです。

あと、上でご紹介のわたしの問題提起について補足します。

  • 過去の議論を見ても、解説に書かれた「望まれます」がなにを意図した文言なのかは議論されていません。言葉が独り歩きしている感があります。あらためて、なにが望まれ、なにが望まれないのかを合意する必要があるとおもいます。
  • 旧暦年と新暦年では、併記についての意見、その理由にもちがいがあるとおもいます。旧暦年については併記が望ましいことに異論はないとおもわれますが、それを単純に新暦年に適用してよいのかどうかが問題です。これまで併記を強く主張する意見は、新暦年を念頭に置いたものがおおかったように感じています。両者は分けて議論すべきでしょう。
  • 「和暦」がなにを意味するかといった辞書的な議論は不毛になりがちですので、用語の定義をしたほうがいいとおもっています。上のノートの発言で提案しておきました。

よろしく。--Hatukanezumi 2010年12月1日 (水) 03:19 (UTC)

  コメント まず、2004年3月9日 (火) 06:40(UTC)の表記ガイドライン初版では

西暦を原則とする。和暦は併記してよい。
例:2003年(平成15年)

と記述されています。そして、現行ガイドラインの元となった利用者:Spirituelleさんによる2006年11月18日 (土) 18:32(UTC)の版では、

西暦を原則とする。和暦は併記してよい。
例: 2006年(平成18年)
日本に関する事柄の場合は和暦を併記することが望ましい。イスラームにおけるヒジュラ暦、フランス革命時における革命暦等も同様とする。
和暦においては、太陽暦移行以前は原則旧暦を用いる。

と、下位規範を付け加える形で記述されました。さらに、最新版の記事においては

例: 2006年(平成18年)、622年(推古天皇30年)

と記述されています。これらの版で新暦年が「例」として挙げられており、「和暦」と「旧暦」が区別されていることからも分かるとおり、ウィキペディアの表記ガイドラインは策定当初から一貫して、(1)「和暦」は旧暦年に限定されず、新暦年を含む、(2)「和暦」とは元号による紀年を意味する、(3)併記の推奨に際してはもっぱら「日本に関する事柄」という地域性に着目しており「時代」は限定されていないと解され、特に異論を唱えられることもなく受け入れられてきました。したがって、ガイドラインの一部(「和暦を併記することが望まれます。」とする一文)に関する「和暦」のみを取り上げて、これが旧暦年を表記する年号に限定されるという見解は、一般的な利用者の解釈から外れていると思います。--唐棣色 2010年12月1日 (水) 09:44 (UTC)

  コメント その編集なんですが、要約欄に「いろいろ書き換え、問題があれば議論しましょう」と書かれています。しかしその後いまにいたるまで、「望まれます」の意図についての議論はなかったわけです。
2006年当時も解釈はひとによってちがったかもしれないのですが、そのことは顕在化しなかった。2008年になって和暦系テンプレートができ、使われるようになると、記事中での年号併記が増え、議論がはじまります。このノートでの#西暦と和暦を併記する際の順序について以降がそうですし、和暦系テンプレート自身のノートではいまでも議論が続いています。
併記についての議論を遡ると、2003年のスタイルマニュアルのノートで言及があります。「日本史には和暦と西暦併用、世界史には西暦」という、特定の分野を想定した議論です。
日本語版ウィキペディアが立ち上がって間もないころで、現在のようにバラエティに富んだ記事 (ポップカルチャーなど) のある時代ではなく、歴史のような堅い分野のことだけ考えて調整すればこと足りたのでしょう。
また、(少しだけ例を挙げると) 事故の一覧自衛隊海外派遣のようにWP:JPOVが問題になりうるような場合や、日米関係史#岩倉使節団のように同時期の事件同士でも暦法が異なるような場合まで考えたわけではなかったのです。「望まれます」という言葉が独り歩きしていると考えるゆえんです。
そういうわけで、ウィキペディアの記事の現状に即してなにが「望まれ」るのかを、いまから考えるべきだとおもいます。
わたしのコメントはこのへんで。--Hatukanezumi 2010年12月1日 (水) 12:54 (UTC)
  コメント たしかに、表記ガイドの当該部分の文言の解釈について論じられたことはありません。しかし、論じられたことがないからと言って、解釈の幅は無限ではありません。本件についても、「併記することができます。」「併記することが望まれます。」という文面から、「新暦年については併記すべからず」という禁止規範を読み取ることはできません。なお、これまで併記「すべき」か「すべきでない」かが論じられたときも、「和暦」の解釈ではなく、「日本に関する事柄」や「日本」の解釈が問題とされました。これは、ガイドラインの文面から、日本という「地域」に限る意図は読み取ることはできても、「和暦」を「旧暦」と解して「時代」を限ることはできないからです。もし、「新暦年については併記すべからず」というルールを打ち立てたいならば、現行文面を無理から解釈するのではなく、新たな文面の提案を行うべきです。--唐棣色 2010年12月4日 (土) 15:38 (UTC)

表記ガイド解釈への意見まとめ

編集
遅くなりましたが、ご意見ありがとうございました。現状に至る約一ヶ月間に出た意見として、少なくともHatukanezumiさんの行った非西暦の併記削除に至る表記ガイド解釈を支持する意見がなかったという結果を得たことで、今回の確認を終わりたいと思います。どうも、ありがとうございました。--Yasumi 2011年1月9日 (日) 23:03 (UTC)
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