U-73ドイツ海軍がかつて運用したUボートVIIB型潜水艦。


基本情報
建造所 ブレーマー・ヴルカン造船所
運用者  ナチス・ドイツ海軍
艦種 潜水艦
級名 UボートVIIB型
艦歴
起工 1939年11月5日
進水 1940年7月27日
就役 1940年9月30日
その後 1943年12月16日に戦没
性能諸元
排水量 水上:753トン
水中:857トン
全長 66.5m
耐圧殻長 48.8m
全幅 6.2m
耐圧殻幅 4.7m
吃水 4.74m
速力 水上:17.9kt
水中:8kt
航続距離 水上:10ktで8,700海里
水中:4ktで90海里
運用深度 220m
燃料 重油:113.5トン
乗員 士官4名と40~56名
センサー FuMO 61 Hohentwiel U
兵装 53.3cm魚雷発射管
艦首4門 艦尾1門
魚雷(最大) 14発または
TMA 機雷 26個
8.8cm SK C/35単装砲 1門
2cm C/30単装機関砲 1門

1940年7月27日に進水し、同年9月30日に就役した[1][2]。 U-73は、1941年初頭から1943年後半にかけて15回の哨戒航行を行い、8隻の船と4隻の軍艦を沈め、さらに3隻の商船にも損害を与た。 1943年12月16日に北アフリカ沿岸にて、2隻の米駆逐艦ウールゼイ(DD-437 Woolsey)とトリップ(DD-403 Trippe)によって撃沈された。

艦歴

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第1哨戒

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U-73は、1941年2月8日に最初の哨戒のためヘルゴラントを出航した。北西のアイスランドに向かってフェロー諸島シェトランド諸島間を通り、北海を航行した。1941年2月24日にアイスランドの南でウェインゲートを沈め、3月2日にフランスの大西洋岸ロリアンに入港した。

第2哨戒

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U-73は、1941年4月3日にアイスランド近海にて3隻、さらに4月20日にロッコールの南西にて2隻の船を撃沈した。

第3、第4、第5哨戒

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3回目から5回目の哨戒は大西洋で行われた。1941年5月26日、U-73はイギリスの駆逐艦から攻撃を受けていた戦艦ビスマルクを支援するように命じられた。5月26日の夜、戦闘中のビスマルクを発見したが、強風による影響でビスマルクを狙う駆逐艦を攻撃出来なかった。U-73はビスマルクの位置を報告したが、報告した位置は正確ではなかったと判明した。その後、U-73はフランスの港に帰投した。

第6哨戒

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1942年1月14日、6回目の哨戒でジブラルタル海峡を経由して地中海に入った[3]。U-73の艦長ローゼンバウムは2月に駆逐艦を沈めたと主張したが、戦後の記録では撃沈を確認出来る証拠は残っていない[4]。U-73は2月12日にイタリアのラ・スペツィアに入港した。

第7哨戒

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U-73は1942年3月22日、リビアデルナ北西約50海里にある第203飛行隊RAFのブリストルブレニムによる攻撃で損傷を負い、1942年3月26日にラ・スペツィアに戻った。ラ・スペツィアでは4か月間修理に費やされた。

第8哨戒

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1942年8月11日、U-73はペデスタル作戦にてイギリス空母イーグル (HMS Eagle) を撃沈した[5]。ローゼンバウムは騎士鉄十字章を授与され、黒海のUボート船団を指揮するために派遣された[5]

第9哨戒

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ローゼンバウムの後、ホルスト・デッカートがU-73の艦長となった[6]。U-73は、11月7日のトーチ作戦にて爆雷を受け損傷した[6]。11月10日に戦艦ロドニーを狙い4発の魚雷を発射するが、攻撃は失敗に終わった[7]。1942年11月14日に商船に損害を与え、帰還後は1943年6月まで修理を行った。

第10、第11哨戒

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U-73は1942年12月5日の空爆で損傷し、港に戻ることを余儀なくされた。1943年1月1日に護送船団のアメリカ商船を沈めた[8]

第12哨戒

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連合軍がハスキー作戦に備える中、U-73は1943年6月21日にオラン沖で1,600トンのイギリスの貨物船を沈め、1943年6月28日に8,300トンのイギリス海軍の給油艦に損害を与えた[9]

第13哨戒

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13回目の哨戒は、シチリア島で行われた。U-73は1943年8月19日にメッシーナ海峡に到着した[10]

第14哨戒

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U-73は1943年10月30日(哨戒終了直前)にトゥーロンの南東にてイギリスの潜水艦に攻撃されるが、魚雷は命中しなかった。

第15哨戒及び沈没

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U-73は1943年12月16日にオラン沖で護送船団を発見し、アメリカの民間船を攻撃した[11]。損傷した船が港に戻る際、アメリカ駆逐艦ウールゼイ、トリップ、エディソンがメルス・エル・ケビール沖でソナーによってUボートを発見した[12]。乱流によりU-73のソナーは効力を失っており、U-73は3隻の駆逐艦に気づくことのないまま、18:39にウールゼイの爆雷が潜水艦の下で爆発した。爆雷により船首魚雷発射管の間およびディーゼルエンジン冷却装置の海水取り入れ弁から浸水[11]、浸水量が排水ポンプの能力を超えたため、すべてのバラストタンクを開放しU-73は海面に浮上した[11]。U-73は海上での銃撃戦の後に船尾から沈没し、34人の乗組員が22:10までに救助された[11]。ウールゼイの乗組員のうち3人が機関銃の射撃で負傷し[13]、Uボートの乗組員のうち16人が死亡した[11]

ウルフパック

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U-73は5つのウルフパックに参加した。

  • West(1941年5月31日~6月16日)
  • Kurfürst(1941年6月16~20日)
  • Grönland(1941年8月12~27日)
  • Reissewolf(1941年10月21~31日)
  • Wal(1942年11月10~15日)

戦果一覧

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日付 船名/艦名 国籍/所属 トン数 結果
1941年3月24日 Waynegate   イギリス 4,260 沈没
1941年4月3日 Alderpool   イギリス 4,313 沈没
1941年4月3日 British Viscount   イギリス 6,875 沈没
1941年4月3日 Indier'   ベルギー 5,409 沈没
1941年4月3日 Westpool   イギリス 5,724 沈没
1941年4月20日 Empire Endurance   イギリス 8,570 沈没
1941年4月20日 ML 1003*   イギリス海軍 46 沈没
1941年4月20日 ML 1037*   イギリス海軍 46 沈没
1942年8月11日 Eagle   イギリス海軍 22,600 沈没
1942年11月14日 Lalande   イギリス 7,453 損傷
1943年1月1日 Arthur Middleton   アメリカ 7,176 沈没
1943年1月1日 LCT-21**   アメリカ 255 沈没
1943年6月21日 Brinkburn   イギリス 1,598 沈没
1943年6月27日 Abbeydale   イギリス 8,299 損傷
1943年12月16日 John S. Copley   アメリカ 7,176 損傷
  • * エンパイアエンデュランスによって曳航されていた
  • ** アーサーミドルトンによって曳航されていた

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ Gröner 1991, pp. 43–44.
  2. ^ Lenton 1976 p. 151
  3. ^ Helgason, Guðmundur. “War Patrols by German U-boat U-73”. German U-boats of WWII - uboat.net. 8 December 2014閲覧。
  4. ^ Blair 1996 p. 554
  5. ^ a b Blair 1996 p. 650
  6. ^ a b Blair 1996 p. 651
  7. ^ Sanders, January 1969, p. 58
  8. ^ Blair 1998 p. 209
  9. ^ Blair 1998 pp. 377-378
  10. ^ The Times Atlas of the World - Third edition, revised 1995, ISBN 0 7230 0809 4, p. 16
  11. ^ a b c d e Blair 1998 p. 457
  12. ^ Sanders, January 1969, p. 59
  13. ^ Sanders, January 1969 p. 60

関連項目

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外部リンク

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  • Helgason, Guðmundur. “The Type VIIB boat U-73”. German U-boats of WWII - uboat.net. 8 December 2014閲覧。
  • Hofmann, Markus. “U 73” (ドイツ語). Deutsche U-Boote 1935-1945 - u-boot-archiv.de. 8 December 2014閲覧。