U557 (潜水艦)
鉄血ⅦC型潜水艦
U-557はドイツ海軍がかつて運用したUボートVIIC型潜水艦。
艦歴
編集U-557は1941年2月に就役し、キールを拠点とする第1潜水隊群に配属された。 1941年12月16日、クレタ南西にてイタリア水雷艇「オリオーネ」との同士討ちで撃沈された。 総哨戒出撃数は4回で、イギリスの軽巡洋艦ガラティアを含む7隻36949トンを撃沈した [1] [2]。
バルト海での緊急事態
編集U-557は就役後の4か月をケーニヒスベルクを拠点にバルト海で過ごした。 この間、U-557は航行中の事故に見舞われ、その間に搭乗員1名が死亡した[3]。 ヘルベルト・ヴェルナーはこの事故を彼の本の中で図式的に説明している。 彼は、バルト海での定期航行において、船体が制御不能に陥る緊急事態が発生したと語っている。
最初に深度142mで潜航中に船尾にて異常が発生した。 船体は大量の浸水により、バッテリーから有毒な塩素ガスが漏れ、爆発の可能性も伴う非常に危険な状態となった。 船尾から船首に重量の一部を移すため、搭乗員はバケツリレーにて海水を船首へと運んだ。 何時間にも及んだ作業の後、船首が海底に接触した。 しかし、水の重さ(約40トン)により浮上出来ず、圧縮空気の供給を使い果たしたU-557は、海底に留まった。 乗組員は機関長の指示の下、船尾と船首を素早く行き来することにより、船体を揺り動かした。 潜水艦はやがて航行可能となり、20時間後に浮上し、キールに向けて出航した[4]。