J・ジレスピー・アームストロング
ジョセフ・ジレスピー・アームストロング(Joseph Gillespie Armstrong、1901年10月15日 - 1964年4月23日)は、アメリカ合衆国の米国聖公会ペンシルベニア州教区補佐主教で、1949年から補佐司祭に選出される1960年11月7日まで務めた。オリバー・ジェームス・ハート主教が退任した1963年7月19日にペンシルベニア州教区主教を継承したが、アームストロング主教としての任期は没する前までの僅か9ヶ月であった[1]。
尊師 ジョセフ・ジレスピー・アームストロング 名誉神学博士 | |
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米国聖公会ペンシルベニア州教区 | |
![]() | |
教会 | 米国聖公会 |
教区 | 米国聖公会ペンシルベニア州教区 |
着座 | 1963年 |
離任 | 1964年 |
前任 | オリバー・ジェームス・ハート |
後任 | ロバート・リオンヌ・ドゥウィット |
他の役職 |
ペンシルベニア州教区補佐主教(1949年-1960年) ペンシルベニア州教区補佐司祭(1960年-1963年) |
聖職 | |
司祭叙任 |
1931年11月 エドワード・トレイル・ヘルフェンシュタイン |
主教叙任 |
1949年10月28日 ヘンリー・ノックス・シェリル |
個人情報 | |
出生 |
1901年10月15日![]() ペンシルベニア州ウォーレン郡ウォーレン |
死去 |
1964年4月23日 (62歳没)![]() ペンシルベニア州モンゴメリー郡ブリンモウア |
墓所 | アーリントン国立墓地 |
国籍 | アメリカ人 |
教派・教会名 | 聖公会 |
両親 | ヨーゼフ・ジレスピー・アームストロング & ミニー・ヒューストン |
配偶者 |
クララ・ヴィッカーズ・エリオット (結婚 1931年、死別 1949年) ルイーズ・マケルビー |
出身校 | ジョンズ・ホプキンズ大学 |
経歴
編集ペンシルベニア州ウォーレンで生まれるが、バージニア州で育つ。1928年にメリーランド州ボルチモアのジョンズ・ホプキンズ大学で教養学士を取得した後、1931年に米国聖公会総合神学校を卒業した。
1932年に司祭に叙任され、メリーランド州アナポリス近くにあるセバーン教区(別名:セント・スティーヴンス・クラウンズビル)[2]とワシントン州ジョージタウンのクライストチャーチの教区牧師を務めてからは、第二次世界大戦でのアメリカ海軍の従軍牧師を務めた。除隊後、アームストロング師はペンシルベニア州アードモアのセント・メアリー米国聖公会教会の教区牧師を数年間務めた。
1949年5月11日、司教区評議会においてハート主教を補佐する補佐主教に選出された。同年10月28日にヘンリー・ノックス・シェリル総裁主教はアームストロング師の主教叙任式においてハート主教とレミントン主教を補佐し、同時にアームストロングをメリーランド州パウエルの主教とニュージャージー州バンヤードの補佐主教として叙任した[3]。同年11月15日、ペンシルベニア州教区の補佐主教に任命された。その後、アームストロング主教はハート師が退任するまでの間、ペンシルベニア州教区を管理するハート教区主教を補佐した。1964年4月1日、ミシガン州教区補佐主教のロバート・リオンヌ・ドゥウィット補佐主教がアームストロングの補佐司祭に選出され、のちにペンシルベニア州教区主教を継承した。
再婚した妻と娘を残して、ペンシルベニア州モンゴメリー郡ブリンモウアにある自宅で没し、アーリントン国立墓地に埋葬された[4]。
脚注
編集- ^ “Right Rev. J. G. Armstrong Dies; Pennsylvania Episcopal Bishop”. The New York Times. (24 April 1964)
- ^ A History of Severn Parish..Anne Arundel County,Maryland 1838-1988. (January 1989)
- ^ The Living Church, vol. 119 No. 7 p. 1, available at https://books.google.com/books?id=iWDkAAAAMAAJ&pg=PR119&lpg
- ^ “Episcopal News Service: Press Release # XXI-14”. 27 May 2016閲覧。