アーリントン国立墓地(アーリントンこくりつぼち、Arlington National Cemetery)は、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.からポトマック川を渡ってすぐのバージニア州アーリントンにある国立墓地のひとつで、戦没者慰霊施設である。

アーリントン国立墓地
アーリントン国立墓地の墓石は、毎年5月の最終月曜日にあたる戦没将兵追悼記念日に星条旗が手向けられる。
詳細
開園 1864年6月15日
所在地
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
座標 北緯38度52分45秒 西経77度04分08秒 / 北緯38.879074度 西経77.069006度 / 38.879074; -77.069006座標: 北緯38度52分45秒 西経77度04分08秒 / 北緯38.879074度 西経77.069006度 / 38.879074; -77.069006
種別 公営
運営者 アメリカ合衆国陸軍省
総面積 624エーカー (3 km2)
建墓数 300,001基
ウェブサイト 公式サイト
Find a Grave Findagrave
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概要

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墓標と遺族

1864年に、南北戦争の戦没者のための墓地として、南軍のロバート・E・リー将軍の住居周辺の土地に築かれた。その後、第一次世界大戦第二次世界大戦朝鮮戦争ベトナム戦争等の戦没者が祀られ、現在でも戦没者やテロ犠牲者などのアメリカ合衆国のために尽くした人物の墓地が存在する。墓地が築かれたのは1864年であるが、判明した範囲でアメリカ独立戦争の戦没者の墓地も設けられている。

アメリカ合衆国大統領アメリカ軍軍・海兵隊沿岸警備隊)の最高司令官であるためこの墓地に埋葬される権利があるが、現時点で当墓地内に墓所があるのは、第27代ウィリアム・タフト、第35代ジョン・F・ケネディの2名のみである。

ワシントンメトロブルーライン英語版)のアーリントン墓地駅英語版が最寄り駅であるが、墓地の面積が2km2とあまりにも広大なため、事前に調べておかないと目的の墓石を見つけるのは困難である。このため各墓石には識別番号が刻印されており、インフォメーションセンターの端末で氏名や認識番号を入力すると墓石の位置を確認できるサービスがある。近年ではオンラインで検索できるサービスやスマートフォンのアプリも用意されている[1]

年中無休で8時から19時まで開園している(10月-3月は17時まで)。

宗教性について

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墓石に刻印されたシンボルマーク

政教分離の観点から無宗教施設と説明されることがあるものの、正確にはあらゆる宗教宗派宗旨無宗教も可)による埋葬を許容しており、特定の宗教形式を押し付けず、「信仰の自由」を保障することで多様な宗教性を受け入れている。事実、専属契約する聖職者の大半はプロテスタント系であるものの、カトリック司祭ユダヤ教ラビなどとも提携関係があり、また埋葬者や遺族の希望に応じて、あらゆる宗教形式が選択できる。

ちなみに、アーリントン国立墓地に建てられた墓石には、故人の信仰を表す宗教的シンボルマーク(Authorized emblems)が刻まれている。公式ウェブサイトによれば、施設公認のシンボルマークは41個存在しており、キリスト教イスラム教ユダヤ教の他にも、仏教神道系、新宗教では、モルモン教天理教金光教創価学会SGI-USA)、生長の家セブンスデー・アドベンチスト教会統一教会無神論者を示すものがある。

埋葬の決定権

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埋葬の決定権は施設側ではなく、本人と遺族の意向次第である。ただし、埋葬後に「埋葬に足る要件を満たしていない」ことが発覚した場合、墓が撤去された上、遺体が遺族に返還されることがある。

主要施設

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無名戦士の墓

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無名戦士の墓

無名戦士の墓英語版Tomb of the Unknowns )は、身元が不明な戦没者を祀った墓地。各国の元首や首相は、外国を公式訪問する際にはその国の無名戦士の墓を訪問し献花するのが通例となっており、アメリカ合衆国を訪問した要人はこの墓地に献花することが多い。例えば、当時日本内閣総理大臣であった安倍晋三は2007年5月の訪米の折にこの墓地に献花している。

この無名戦士の墓は、よく日本の千鳥ケ淵戦没者墓苑と同等視されるが、千鳥ケ淵墓苑が政府派遣遺骨収集隊によって集骨された遺骨の内、引き取り手のないものや、氏名のわからない遺骨を納めた「納骨堂」であるのに対し、この無名戦士の墓は各戦役で名前のわからない戦没戦士の遺体を一体だけ選び、その遺体を全無名戦士の遺体の代表として祀っている。

海兵隊戦争記念碑

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海兵隊戦争記念碑

海兵隊戦争記念碑Marine Corps War Memorial , USMC War Memorial )は、アメリカ海兵隊の戦没者を追悼する記念碑である。硫黄島の戦いでのアメリカ海兵隊星条旗掲揚の写真を元に作成され、1954年11月10日に除幕された。像のみの高さは約10 m、旗竿を含む高さは約20 mである。正式には国立墓地の外にあり、内務省国立公園局が所有し管理している。

碑の元となった写真があまりにも有名であるため、硫黄島記念碑(Iwojima Memorial )とも呼ばれるが、この碑はあくまでも、創設から現在までの全ての戦闘における海兵隊の戦没者を記念するものであって、硫黄島の占領といった個別のできごとを記念するものではない。

主な埋葬者

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軍人

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献花する内閣総理大臣福田康夫(手前左)(2007年11月16日

2006年5月現在、アーリントン国立墓地には367人の名誉勲章受勲者が葬られており、そのうち9人はカナダ人である。

太平洋戦争期の日系アメリカ人

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太平洋戦争期に日系移民の子女(※戦時期には敵性市民として弾圧を受けた)でありながら、米国側の軍役に就いた60名を越える日系人が「歴史的に特筆すべきマイノリティー」としてアーリントン国立墓地に埋葬されている[2]

大統領経験者

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夫人ジャクリーン(右)と共に眠るジョン・F・ケネディ(左)

アメリカ合衆国大統領には、墓地完成以来、アーリントン国立墓地に葬られる資格が存在する。

軍人、大統領経験者以外の主要人物

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その他

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  • アーリントン国立墓地の元になったロバート・E・リー将軍が没収された土地の中には初代大統領ジョージ・ワシントンの旧所有地が含まれていた(ワシントンに実子がおらず、マーサ夫人と前夫の孫であるジョージ・ワシントン・パーク・カスティスがその遺産を継ぎ、その娘がリー将軍の夫人であったため)。
  • 1948年4月6日以降、墓地はアメリカ陸軍第3歩兵連隊 「ザ・オールド・ガード」英語版が警備に当たっている。
  • アーリントン墓地のは日本から贈られたもので1964年に日本から輸送された。

関連項目

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注釈

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  1. ^ Find a Grave
  2. ^ http://www.arlingtoncemetery.mil/History/Minorities/JapaneseAmerican.aspx

外部リンク

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