IκBキナーゼ
IκBキナーゼ (アイ・カッパ・ビー・キナーゼ)またはIKK(I kappa B kinase、アイ・ケー・ケー)は、炎症反応の伝搬に関与する酵素の複合体である[1]。IKK-α、IKK-β、IKK-γの3つのサブユニットからなる。
IκBキナーゼ複合体は、NF-κB(nuclear factor-kB)シグナル伝達経路の中で上流部分に位置する。IκBα(inhibitor of NF-κB α)タンパク質は、転写因子であるNF-κBタンパク質の核局在化シグナルをマスクし、不活性な状態で細胞質に留めておくことでNF-κBを不活性化する[2][3][4]。IκBキナーゼは、IκBαタンパク質をリン酸化し[5]、これによりIκBαがNF-κBから離れる。遊離したNF-κBは核へ移行し、150種類以上の遺伝子を発現させる。
酵素反応
編集IκBキナーゼは、IκBタンパク質とATPを基質として、リン酸化IκBタンパク質とADPを産生する。IκBキナーゼは、リン酸基をセリンまたはスレオニンの側鎖に結合させるセリン/スレオニンキナーゼの一種である。
- ATP + IκBタンパク質 ADP + IκBタンパク質
構造
編集IκBキナーゼ複合体は、異なる遺伝子にコードされた3つのサブユニットから構成される。
- IKK-α (IKK1とも呼ばれる) (CHUK)
- IKK-β (IKK2とも呼ばれる) (IKBKB)
- IKK-γ (NEMO(NF-κB essential modulator)とも呼ばれる) (IKBKG)
IKK-αサブユニット及びIKK-βサブユニットが触媒活性を持ち、一方IKK-γサブユニットは調節機能を有する。IKK-αとIKK-βは構造的に似ており、キナーゼドメイン、ロイシンジッパードメイン、ヘリックスループヘリックス二量体化ドメイン、NEMO結合ドメイン(NEMO-binding domain:NBD)からなる[6]。NBDは、ロイシン-アスパラギン酸-トリプトファン-セリン-トリプトファン-ロイシンというアミノ酸で構成され、IKK-αの737-742番目、IKK-βの738-743番目にある[7]。IKK-γは、2つのコイルドコイルドメイン、ロイシンジッパードメイン、ジンクフィンガー結合ドメインからなる[6]。IKK-γはN末端側でIKK-αやIKK-βのNBDと結合し、残りの部分で調節タンパク質と相互作用する[7]。
|
|
|
機能
編集IκBキナーゼは、リンパ球の免疫制御機構に重要な役割を果たす転写因子であるNF-κBファミリーの活性化に必須である[6][8]。 古典的なNF-κB経路は、腫瘍壊死因子(tumor necrosis factor:TNF)やインターロイキン-1(interleukin-1:IL-1)のような炎症性サイトカインの放出や、病原体の表面に発現するリポ多糖(lipopolysaccharide:LPS)を含む炎症刺激によって開始される。その下流のシグナル伝達カスケードにより、IKK-γがIKK-αとIKK-βに結合することでIκBキナーゼ複合体が活性化する。IκBキナーゼ複合体は、inhibitor of NF-κB α(IκBα)のセリン残基(32番目と36番目)をリン酸化し、これによりIκBαはユビキチン化を受けてプロテアソームで分解される[5]。IκBαが分解されると、それに結合していたNF-κB(一般的にはp50-p65二量体)が解放さる[8]。この二量体が核へ移行してDNAのκBサイトに結合し、転写活性を示す[8]。NF-κBの標的遺伝子には、細胞周期調節因子、抗アポトーシス・生存因子、炎症性サイトカインなどが含まれる。これらの免疫調節因子の活性化は、リンパ球の増殖、分化、成長、生存を促進する[9]。
また、IκBキナーゼはRNA分解酵素であるregnase-1をユビキチン-プロテアソーム系での分解へと導くことで、インターロイキン-6(IL-6)mRNAを安定化する[10]。
調節
編集IκBキナーゼ複合体はIKK-βのキナーゼドメインにあるセリン残基がリン酸化されると活性化する。IKK-γの調節ドメインによってIKKサブユニットがリクルートされると、IKK-βの活性化ループにある2個のセリン残基がリン酸化される。これにより活性化ループが触媒ポケットから離れることでATPやIκBαが触媒部位に入れるようになる。さらに、IκBキナーゼ複合体の中で活性化したIKK-βはIKK-αをリン酸化し、IκBキナーゼの活性を高めることができる。IκBキナーゼが基質であるIκBαをリン酸化し、IκBαが分解されて減少すると、活性状態であったIKK-αとIKK-βはC末端側に自己リン酸化を受けて活性が低下し、上流の炎症シグナルがなくなるとホスファターゼによって脱リン酸化されて不活性となる[5]。
調整不全と疾患
編集多くの疾患で、NF-κBシグナルの調節不全がみられる[5][6][7][8][9][11]。恒常的なIκBキナーゼの活性化によるNF-κBシグナルの活性化は、持続的・慢性的な炎症反応を引き起こし、アテローム性動脈硬化、喘息、関節リウマチ、炎症性腸疾患、多発性硬化症の発症につながる[8][11]。さらに、NF-κBはアポトーシスの抑制とリンパ球の成長・増殖促進を同時に行うことから、多くの癌にも深く関与している[8][9]。
臨床的意義
編集IκBキナーゼは、MAPキナーゼ、アポトーシス、Toll様受容体シグナル、T細胞受容体シグナル、B細胞受容体シグナル、インスリンシグナル、アディポサイトカインシグナル、2型糖尿病、ヘリコバクター・ピロリの上皮細胞シグナル、膵臓癌、前立腺癌、肺癌、慢性骨髄性白血病、急性骨髄性白血病など、代謝に関係する経路に関与している。IκBキナーゼや、IκBキナーゼ関連キナーゼであるIKBKE(IKKε)やTANK-binding kinase 1(TBK1)の抑制は、炎症性疾患や癌の治療への選択肢として研究が行われている[12]。IKK-βの低分子量阻害剤であるSAR113945は、変形性膝関節症患者に対する臨床試験が行われている[12][13]。
出典
編集- ^ Häcker H, Karin M (October 2006). “Regulation and function of IKK and IKK-related kinases”. Sci. STKE 2006 (357): re13. doi:10.1126/stke.3572006re13. PMID 17047224.
- ^ Jacobs MD, Harrison SC (1998). “Structure of an IκaBα/NF-κB complex”. Cell 95 (6): 749–58. doi:10.1016/S0092-8674(00)81698-0. PMID 9865693.
- ^ Régnier CH, Song HY, Gao X, Goeddel DV, Cao Z, Rothe M (1997). “Identification and characterization of an IκB kinase”. Cell 90 (2): 373–83. doi:10.1016/S0092-8674(00)80344-X. PMID 9244310.
- ^ Mercurio F, Zhu H, Murray BW, Shevchenko A, Bennett BL, Li J, Young DB, Barbosa M, Mann M, Manning A, Rao A (1997). “IKK-1 and IKK-2: cytokine-activated IκB kinases essential for NF-κB activation”. Science 278 (5339): 860–6. doi:10.1126/science.278.5339.860. PMID 9346484.
- ^ a b c d Karin M (1999). “How NF-κB is activated: the role of the IκB kinase (IKK) complex”. Oncogene 18 (49): 6867–74. doi:10.1038/sj.onc.1203219. PMID 10602462.
- ^ a b c d Ghosh S, Hayden M (November 2008). “New regulators of NF-κB in inflammation”. Nat. Rev. Immunol. 8 (11): 837–48 . doi:10.1038/nri2423. PMID 18927578.
- ^ a b c May MJ, D'acquisto F, Madge LA, Glöckner J, Pober JS, Ghosh S (September 2000). “Selective inhibition of NF-κB activation by a peptide that blocks the interaction of NEMO with the IκB kinase complex”. Science 289 (5484): 1550–54. doi:10.1126/science.289.5484.1550. PMID 10968790.
- ^ a b c d e f Strickland I, Ghosh S (November 2006). “Use of cell permeable NBD peptides for suppression of inflammation”. Ann Rheum Dis 65 (Suppl 3): iii75–iii82. doi:10.1136/ard.2006.058438. PMC 1798375. PMID 17038479 .
- ^ a b c Jost PJ, Ruland J (April 2007). “Aberrant NF-κB signaling in lymphoma: mechanisms, consequences, and therapeutic implications”. Blood 109 (7): 2700–7. doi:10.1182/blood-2006-07-025809. PMID 17119127.
- ^ Iwasaki H, Takeuchi O, Teraguchi S, Matsushita K, Uehata T, Kuniyoshi K, Satoh T, Saitoh T, Matsushita M, Standley DM, Akira S (October 30). “The IκB kinase complex regulates the stability of cytokine-encoding mRNA induced by TLR-IL-1R by controlling degradation of regnase-1”. Nat Immunol 12 (12): 1167-75. doi:10.1038/ni.2137. PMID 22037600.
- ^ a b Tak PP, Firestein GS (January 2001). “NF-κB: a key role in inflammatory diseases”. J. Clin. Invest. 107 (1): 7–11. doi:10.1172/JCI11830. PMC 198552. PMID 11134171 .
- ^ a b Llona-Minguez S, Baiget J, Mackay SP (2013). “Small-molecule inhibitors of IκB kinase (IKK) and IKK-related kinases”. Pharm. Pat. Anal. 2 (4): 481–498 . doi:10.4155/ppa.13.31. PMID 24237125.
- ^ “SAR113945 published clinical trials”. 2020年10月16日閲覧。
参考文献
編集- Zandi E, Rothwarf DM, Delhase M, Hayakawa M, Karin M (1997). “The IκB kinase complex (IKK) contains two kinase subunits, IKKα and IKKβ, necessary for IκB phosphorylation and NF-κB activation”. Cell 91 (2): 243–52 . doi:10.1016/S0092-8674(00)80406-7. PMID 9346241.
- Viatour P, Merville MP, Bours V, Chariot A (2005). “Phosphorylation of NF-κB and IκB proteins: implications in cancer and inflammation”. Trends Biochem. Sci. 30 (1): 43–52 . doi:10.1016/j.tibs.2004.11.009. PMID 15653325.
外部リンク
編集- I-kappa B Kinase - MeSH・アメリカ国立医学図書館・生命科学用語シソーラス