F4B / P-12

飛行するF4B-3 8891号機(製造番号 1595) (1931年撮影)

飛行するF4B-3 8891号機(製造番号 1595)
(1931年撮影)

F4BBoeing F4B )は、 アメリカ合衆国ボーイング社が開発し、アメリカ海軍で運用された複葉艦上戦闘機1929年より運用され、グラマン社製のF3Fが配備される1936年までアメリカ海軍の主力戦闘機であった。

P-12Boeing P-12 )は、F4Bの派生型で主にアメリカ陸軍で運用された陸上戦闘機。同社の単葉戦闘機であるP-26ピーシューターが配備されるまで戦闘機として運用された。

開発

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ボーイング製複葉戦闘機の集大成として、当時アメリカ海軍で運用されていたF2B戦闘機F3B戦闘爆撃機を置き換える目的で開発されたのがF4Bである。社内名称モデル83として1928年に設計・開発に着手した。改良したモデル89とともに海軍評価用の試作機XF4B-1として完成したのは1929年5月であった。同年にモデル99 / F4B-1として採用が決定し、直ちに航空母艦への配備が開始された。

1938年にF3Fが配備されると、F4Bは第一線を退いて陸上基地での雑用機として運用された。太平洋戦争開戦時においても、30機以上が海軍に在籍していた。その後は無線操縦による無人標的機に改造され姿を消した。

F4Bが海軍に採用された後、アメリカ陸軍航空隊でも評価試験が行われ、P-12として採用することが決まった。戦闘飛行隊など前線任務のP-12は1934年から35年にかけて、P-26ピーシューターに置き換えられたが、1941年まで士官学校や整備士学校で操縦・整備の練習機として運用された。

設計

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F4BとP-12は、双方とも当初は鋼管骨組みに羽布張りの胴体だったが、後期の型から金属製モノコック構造の胴体となり、尾橇が尾輪に改められた。

海軍のF4B-1からF4B-4までの型のうち、もっとも多く生産されたのは1932年から部隊配備されたF4B-4であった。この型は垂直尾翼が再設計された他、主翼下面に爆弾が搭載できるようになっていた。

陸軍のP-12は、P-12(Aは無い)からP-12Fまでのうち、前述の全金属化などの新設計になったP-12Eが最も多く生産された。

諸元

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  • 全長:6.19 m
  • 全幅:9.12 m
  • 全高:2.95 m
  • 全備重量:1,401 kg
  • エンジン:P&W R-1340D 空冷星型9気筒 (500馬力)1基
  • 最大速度:296 km/h
  • 航続距離:1,131 km
  • 乗員:1名
  • 武装:
    • 7.7mm機関銃×2
    • 52kg爆弾×2

各型

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モデル83
 
降着装置が同一車軸式で取り付けられ、425馬力のR-1340-8エンジンを動力とする試作機。1機製造。
モデル89
降着装置が分割車軸式で取り付けられ、胴体下部に500lbまで搭載可能な爆弾架を備えた試作機。1機製造。
XF4B-1
海軍による評価用に改められた、モデル83とモデル89の名称。[2]
モデル99 / F4B-1
降着装置が分割車軸式で取り付けられ、機体下部に爆弾架が装備された艦上戦闘機型。27機製造。[3]
F4B-1A
とある海軍次官補用の私用輸送機。F4B-1(BuNo. A-8133)1機を改造したもので、武装は全て取り外され、燃料タンクが上翼の中央部に移動された。[4]
モデル223 / F4B-2
 
降着装置が同一車軸式で取り付けられ、フリーズ型補助翼を装備。尾輪は尾橇と交換可能となっている。46機製造。[5]
モデル235 / F4B-3
 
F4B-2から胴体をセミモノコック金属製とし、装備を変更。21機製造。[6]
モデル235 / F4B-4
 
F4B-3から垂直尾翼の形状が再設計され、550馬力のR-1340-16エンジンへと換装。116lbまで搭載可能な翼下爆弾架が設置された。製造されたうちの最後45機には救命筏が搭載された。93機が製造されたが、うち1機は予備部品から製造された。[7]
F4B-4A
無線操縦機として使用するために、陸軍から海軍へ移管された23機のP-12。[8]
モデル102 / P-12
 
450馬力のR-1340-7エンジンを搭載したF4B-1の米国陸軍航空隊における戦闘機型。9機製造。
モデル101 / XP-12A
 
NACA製のカウルと短い降着装置を装備し、525 馬力のR-1340-9エンジンへ換装された、製造10機目のP-12。
モデル102B / P-12B
 
P-12の設計に、より大きな主輪とXP-12Aでテストされた装備が施された型。90機製造。
モデル222 / P-12C
 
リングカウルと分割車軸式の降着装置を備えたP-12B。96機製造。
モデル234 / P-12D
 
525馬力のR-1340-17エンジンへ換装されたP-12C。35機製造。
モデル234 / P-12E
 
P-12Dをセミモノコック金属製の胴体とし、再設計された垂直尾翼を取り付けられた機体。後に尾橇の代用に尾輪が取り付けられたものもあった。110機製造。
モデル251 / P-12F
 
600馬力のR-1340-19エンジンへ換装されたP-12E。25機製造。
XP-12G
P-12Bのうち、サイドタイプのスーパーチャージャーを備えたR-1340-15エンジンへ変更された試験機型。1機改造。
XP-12H
P-12Dのうち、GISR-1340E実験エンジンへ換装された試験機型。1機改造。
P-12J
575馬力のR-1340-23エンジンへ換装され、特殊な爆撃照準器を搭載したP-12E。1機改造。
YP-12K
P-12EおよびP-12Jのうち、燃料噴射SR-1340Eエンジンへ換装された機体。7機が一時的に改造された。
XP-12L
YP-12KのうちF-2スーパーチャージャーが取り付けられた機体。1機が一時的に改造された。
A-5
P-12の無線制御標的機型。案のみで実現されなかった。
モデル100
 
上翼に燃料タンクを備えた、F4B-1の民用型。4機製造。[9]
モデル100A
H・R・ヒューズの私用機。当初は複座であったが、後に単座に改造された。1機製造。[10]
モデル100D
P-12の試験機として一時的に使用されたモデル100のうち1機。[11]
モデル100E
シャム空軍向けのP-12Eの輸出型。2機製造のうち1機は、後に日本海軍に試験機としてAXBの名称で移管された。[12]
モデル100F
P&W社に販売された、エンジンテストベッド用のP-12F。1期製造。[13]
モデル218
 
アメリカ陸軍や海軍による評価後に、中国空軍へ販売されたP-12E / F4B-3の試作機。1機製造。[14]
モデル256
ブラジル海軍向けのF4B-4の輸出型。14機製造。[15]
モデル267
F4B-3の胴体にP-12Eの翼を取り付けたブラジル向けの輸出型。9機製造。[16]

現存する機体

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型名 番号 機体写真 所在地 所有者 公開状況 状態 備考
P-12E-BO 31-559
1466
  アメリカ オハイオ州 国立アメリカ空軍博物館[1] 公開 静態展示 [2]
P-12E-BO 32-017
1512
  アメリカ カリフォーニア州 プレインズ・オヴ・フェイム航空博物館[3] 公開 静態展示 F4B-4 / A9029号機の塗装がされている。[4]
P-12F-BO 32-092
1782
  アメリカ フロリダ州 国立海軍航空博物館 公開 静態展示 F4B-4 / A-9029号機の塗装がされている。
F4B-4 A9241   アメリカ コロンビア特別行政区 国立航空宇宙博物館本館[5] 公開 静態展示 [6]
モデル100 1143   アメリカ ワシントン州 ミュージアム・オヴ・フライト 公開 静態展示 P-12 / 29-354号機の塗装がされている。
モデル100E 1488   タイ バンコク都 タイ王国空軍博物館 公開 静態展示
P-12F レプリカ N3412E 写真 アメリカ テネシー州 テネシー・ミュージアム・オヴ・エイヴィエーション
(Tennessee Museum of Aviation)
公開 静態展示
F4B-3 レプリカ 写真 アメリカ カリフォーニア州 ウェスタン・ミュージアム・オヴ・フライト 公開 静態展示
F4B-4 レプリカ (A-8026) 写真 アメリカ ハワイ州 真珠湾航空博物館 公開 静態展示 ダニエル・K・イノウエ国際空港から移動された。

脚注

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注釈

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  1. ^ 内訳は、F4Bが187機、P-12が366機、33機が試験機・民間機・輸出機。

出典

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  1. ^ "F4B." VF31.com. Retrieved: 10 June 2011.
  2. ^ Bowers 1989, p. 166.
  3. ^ Bowers 1989, p. 168.
  4. ^ Bowers 1989, p. 170.
  5. ^ Bowers 1989, p. 181.
  6. ^ Bowers 1989, pp. 187–188.
  7. ^ Bowers 1989, pp. 188–189.
  8. ^ Bowers 1989, pp. 189–190.
  9. ^ Bowers 1989, pp. 171–172.
  10. ^ Bowers 1989, pp. 173–174.
  11. ^ Bowers 1989, p. 175.
  12. ^ Bowers 1989, pp. 175–176.
  13. ^ Bowers 1989, p. 176.
  14. ^ Bowers, 1989. pp. 179–180.
  15. ^ Bowers 1989, pp. 192–193.
  16. ^ Bowers 1989, p. 193.

関連項目

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外部リンク

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