2000ギニートライアルステークス
2000ギニートライアルステークス(2000 Guineas Trial Stakes)はイギリスで行われていた競馬の競走。
2000ギニーの前哨戦として、1986年まで行われていた。当時の格付けはG3。
2000ギニートライアルステークス 2000 Guineas Trial Stakes | |
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競馬場 | ソールズベリー競馬場 |
距離 |
芝7ハロン (約1408メートル) |
格付け | G3(1986年) |
賞金 |
1着賞金14,104ポンド(1986年) 賞金総額20,000ポンド(1986年) |
出走条件 | 3歳牡馬・騸馬 |
概要
編集2000ギニートライアルステークスは3歳牡馬の重賞でG3に格付けされていた。7ハロン(約1408メートル)で、毎年4月前半に行われていた。
かつて、この競走は2000ギニーの有力な前哨戦として知られていた。過去の勝馬・出走馬には、ペティション、グレイソヴリン、タルヤー、サーアイヴァー、ザミンストレルなどの名競走馬・名種牡馬が並んでいる。また、1970年代から、1980年代にかけて、この競走の優勝馬がしばしば日本へ種牡馬として輸入されている。
歴史
編集ヘンリー8世ステークス
編集1950年代にロンドン近郊のハーストパーク競馬場(Hurst Park Racecourse)で行われていたヘンリー8世ステークス(Henry VIII Stakes)[1]が、本競走のルーツとされる[2]。この競走はハーストパーク競馬場の目玉競走で、4月に3歳牡馬を集めて1000ソヴリンの賞金を出していた[3][注 1]。 ヘンリー8世ステークスの過去の上位馬には、ペティション、タルヤー、グレイソヴリン、サヤジラオ (Sayajirao)などの名が残る[2]。
アスコット2000ギニートライアル
編集1968年4月5日のアスコット競馬場で行われた「アスコット2000ギニートライアルステークス(The Ascot 2000 Guineas Trial Stakes)」にはエリザベス女王も臨席して行われ、サーアイヴァーが勝った[4]。
アスコット2000ギニートライアルは、1971年にヨーロッパでグループ制が導入されると、G3に格付され、1977年までアスコットkeiba上で行われた[5]。1978年はニューマーケット競馬場で「アスコット2000ギニートライアルステークス」の名称のまま代替開催された[6]。
ソールズベリー2000ギニートライアル
編集2000ギニートライアルステークスは、翌1979年にソールズベリー競馬場へ移転した[7]。
なお、ソールズベリー競馬場では1950年代にも「ソールズベリー2000ギニートライアルステークス」が行われた記録がある[2]。
ソールズベリー競馬場での2000ギニートライアルステークスは1986年まで行われたが、その年を最後に廃止された。
記録
編集最多勝騎手
編集- グレヴィル・スターキー(en:Greville Starkey) - 5勝。1981年、1982年、1983年、1984年、1986年
最多勝調教師
編集- ガイ・ハーウッド調教師(en:Guy Harwood) - 5勝。1981年、1982年、1983年、1984年、1986年
歴代勝馬
編集※*印は日本輸入馬。国際競走出走のための一時的なものも含む。
- 1968: Sir Ivor
- 1969: Ribofilio
- 1970: Pithiviers
- 1971: Good Bond
- 1972: Grey Mirage
- 1973: Midsummer Star
- 1974: *ハバット
- 1975: 中止
- 1976: Relkino
- 1977: The Minstrel
- 1978: Derrylin
- 1979: Lake City
- 1980: Poyle Crusher
- 1981: *レシテイション
- 1982: Hays
- 1983: Proclaim
- 1984: *ルション
- 1985: *リドヘイム
- 1986: Zahdam
備考・その他
編集さまざまな「2000ギニートライアル」
編集「2000ギニートライアル」という表現は「2000ギニーの前哨戦」という意味で、より広く使われる場合がある。
なお、イギリス以外の「2000ギニートライアル」には次のようなものがある。
- アイルランド - レパーズタウン2000ギニートライアル(Leopardstown 2,000 Guineas Trial Stakes)
- UAE - UAE2000ギニーの前哨戦、UAE2000ギニートライアル[8]
- 日本 - 弥生賞ディープインパクト記念[9]、スプリングステークス[10]:クラシック三冠戦の1戦目皐月賞のトライアル競走。JRAは海外向けには弥生賞ディープインパクト記念を「2000ギニートライアル」と紹介している。イギリスのブックメーカーはスプリングステークスを2000ギニートライアルとしている。
脚注
編集参考文献・出典
編集各回結果
編集- Galopp-Sieger Ascot 2000 Guineas Trial Stakes2014年5月1日閲覧。
注釈
編集- ^ 1000ソブリンは1000ポンドに相当し、1000ポンドは約952ギニーに相当する。
出典
編集- ^ ブリスベンクリエメイル紙 1951年4月26日付 “Pushes Winner Home”2014年5月1日閲覧。
- ^ a b c Galopp-Sieger Ascot 2000 Guineas Trial Stakes2014年5月1日閲覧。“Vorläufer-Rennen waren die 'Henry VIII Stakes' in Hurst Park.(この競走の前身はハーストパークの「ヘンリー8世ステークス」だった。)”
- ^ BIG HURST PARK CARD2014年5月1日閲覧。
- ^ E-BAY The Ascot 2000 Guineas Trial Stakes - SIR IVOR - 5th April 19682014年5月1日閲覧。
- ^ グラスゴー・ヘラルド紙 1977年4月2日付 "Trial double?"2014年5月1日閲覧。
- ^ グラスゴー・ヘラルド紙 1978年4月1日付 “Newmarket (from Ascot)”2014年5月1日閲覧。
- ^ グラスゴー・ヘラルド紙 1979年4月7日付 “Wonder boy will find it heavy going”2014年5月1日閲覧。
- ^ Godolphin Trio For UAE 2000 Guineas Trial2014年5月1日閲覧。
- ^ Horse Racing in Japan YAYOI SHO (Japanese 2,000 Guineas Trial)2014年5月1日閲覧。
- ^ HRN 2014Spring Stales(2000 Guineas Trial)2014年5月1日閲覧。
関連リンク
編集- ヘンリー8世
- クレイヴンステークス - 2000ギニーの前哨戦の一つ。
- グリーナムステークス - 2000ギニーの前哨戦の一つ。
- ヨーロピアンフリーハンデキャップ - 2000ギニーの前哨戦の一つ。