1994年の中日ドラゴンズ
1994年の中日ドラゴンズ(1994ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1994年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。
1994年の中日ドラゴンズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ2位 | |
69勝61敗0分 勝率.531[1] | |
本拠地 | |
都市 | 愛知県名古屋市 |
ナゴヤ球場 | |
球団組織 | |
オーナー | 加藤巳一郎 |
経営母体 | 中日新聞社 |
監督 | 高木守道 |
選手会長 | 川又米利 |
キャプテン | 仁村徹 |
« 1993 1995 » |
この年の中日ドラゴンズは、高木守道監督の3年目のシーズンである。
概要
編集前年オフに看板打者の落合博満がFAで巨人に移籍したものの、投手陣は今中慎二・山本昌広とこの年先発復帰の郭源治の三本柱が健在で、打撃陣では大豊泰昭が一塁に入り、4番には前年打率3割のアロンゾ・パウエルが入り、また新外国人のディオン・ジェームズが加入したが、落合の移籍を除けば戦力はヤクルトとマッチレースを演じた前年と変わらなかった。優勝候補にあげられたチームは5月まで2位につけるものの、5月31日の巨人戦で今中をリリーフした北野勝則が松井秀喜にサヨナラ本塁打を浴びるとそれ以降ゲーム差が広がり、一時は10.5ゲーム差をつけられるなど優勝を絶望視され、8月には高木監督の同年限りでの退任、加藤オーナーが熱望していた星野仙一の4年ぶりの監督復帰がほぼ決まっていた。
しかし、開幕から首位独走の巨人の失速もあって9月以降猛追し、終盤になって同率ながら首位に浮上。10.8決戦に勝てば1988年以来6年ぶりのリーグ優勝だったが、エース今中がかつてのチームメイト・落合に先制本塁打を浴びて撃沈。また、走塁面でのミスが多くヒットを放つものの得点には結びつかず、立浪和義が一塁に滑り込んだ際に右肩を脱臼。最後は3対6で敗れ、高木監督の胴上げはならなかった。優勝は逃したものの投手陣では山本昌が最多勝を、郭が最優秀防御率を獲得。今中や2年目の佐藤秀樹もそれなりの成績を収めるなど先発陣が奮闘し、防御率はリーグ2位の3.45を記録しリーグ1位の40完投を記録した。打撃陣では大豊が本塁打王と打点王を、落合に代わって4番に入ったパウエルも首位打者を獲得するなど投打の主力がタイトルを総なめにした。
その結果、高木の監督退任が白紙に戻り、1995年のシーズンも指揮を執ることとなった。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集開幕:4/9 | 5/1 | 6/1 | 7/1 | 8/2 | 9/3 | |||||||
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1 | 二 | 立浪和義 | 二 | 立浪和義 | 遊 | 種田仁 | 左 | 清水雅治 | 左 | ジェームズ | 遊 | 立浪和義 |
2 | 遊 | 種田仁 | 遊 | 種田仁 | 三 | 仁村徹 | 遊 | 神野純一 | 二 | 立浪和義 | 左 | ジェームズ |
3 | 左 | ジェームズ | 左 | ジェームズ | 二 | 立浪和義 | 二 | 立浪和義 | 一 | 大豊泰昭 | 一 | 大豊泰昭 |
4 | 中 | パウエル | 中 | パウエル | 中 | パウエル | 一 | 大豊泰昭 | 中 | パウエル | 中 | パウエル |
5 | 一 | 大豊泰昭 | 三 | 仁村徹 | 一 | 大豊泰昭 | 中 | パウエル | 右 | 彦野利勝 | 右 | 彦野利勝 |
6 | 三 | 仁村徹 | 一 | 大豊泰昭 | 左 | 彦野利勝 | 右 | 彦野利勝 | 三 | 仁村徹 | 三 | 仁村徹 |
7 | 右 | 彦野利勝 | 右 | 松井達徳 | 右 | 松井達徳 | 三 | 仁村徹 | 捕 | 中村武志 | 二 | 前原博之 |
8 | 捕 | 中村武志 | 捕 | 中村武志 | 捕 | 中村武志 | 捕 | 中村武志 | 遊 | 鳥越裕介 | 捕 | 中村武志 |
9 | 投 | 今中慎二 | 投 | 野中徹博 | 投 | 山本昌広 | 投 | 今中慎二 | 投 | 郭源治 | 投 | 郭源治 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 中日 | 1.5 | 中日 | 3.5 | 中日 | 9.5 | 中日 | 8.0 | 広島 | 4.0 | 中日 | 中日 | 1.0 | |
3位 | ヤクルト | 3.5 | 横浜 | 4.5 | ヤクルト | 阪神 | 9.0 | 中日 | 6.5 | 広島 | 2.5 | 広島 | 4.0 | |
4位 | 横浜 | 4.0 | ヤクルト | 5.5 | 横浜 | 11.5 | ヤクルト | 10.0 | 阪神 | 8.0 | 横浜 | 5.5 | 阪神 | 8.0 |
5位 | 広島 | 5.5 | 阪神 | 7.0 | 阪神 | 14.0 | 広島 | 11.0 | ヤクルト | 9.0 | 阪神 | 6.0 | ヤクルト | |
6位 | 阪神 | 6.5 | 広島 | 9.5 | 広島 | 15.5 | 横浜 | 13.0 | 横浜 | 11.5 | ヤクルト | 7.0 | 横浜 | 9.0 |
期間 成績 |
11勝7敗 勝率.611 |
11勝12敗 勝率.478 |
10勝12敗 勝率.455 |
11勝11敗 勝率.500 |
12勝13敗 勝率.480 |
11勝4敗 勝率.733 |
3勝2敗 勝率.600 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 70 | 60 | 0 | .538 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 69 | 61 | 0 | .531 | 1.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 66 | 64 | 0 | .508 | 4.0 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 62 | 68 | 0 | .477 | 8.0 |
4位 | 阪神タイガース | 62 | 68 | 0 | .477 | 8.0 |
6位 | 横浜ベイスターズ | 61 | 69 | 0 | .469 | 9.0 |
オールスターゲーム1994
編集- 選出選手及びスタッフ
ポジション | 名前 | 選出回数 |
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コーチ | 高木守道 | |
投手 | 今中慎二 | 3 |
山本昌広 | 4 | |
内野手 | 立浪和義 | 3 |
大豊泰昭 | 2 | |
外野手 | 彦野利勝 | 3 |
パウエル | 初 |
選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
パウエル | 首位打者 | .324 | 初受賞 |
大豊泰昭 | 本塁打王 | 38本 | 初受賞 |
打点王 | 107打点 | 初受賞 | |
郭源治 | 最優秀防御率 | 2.45 | 初受賞 |
山本昌広 | 最多勝利 | 19勝 | 2年連続2度目 |
沢村賞 | 初受賞 | ||
その他 | |||
選手名 | タイトル | ||
彦野利勝 | カムバック賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
山本昌広 | 投手 | 初受賞 |
大豊泰昭 | 一塁手 | 初受賞 |
パウエル | 外野手 | 2年連続2度目 |
ゴールデングラブ賞 | ||
選出なし |
ドラフト
編集網掛けの選手は逆指名による入団
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 金森隆浩 | 投手 | 立命館大学 | 入団 |
2位 | 山田洋 | 投手 | 日本通運名古屋 | 入団 |
3位 | 山田広二 | 内野手 | トヨタ自動車 | 入団 |
4位 | 原田政彦 | 内野手 | 東海理化 | 入団 |
5位 | 三輪敬司 | 捕手 | 愛知工業大学名電高 | 入団 |
6位 | 大西崇之 | 外野手 | ヤオハンジャパン | 入団 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “年度別成績 1994年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年11月20日閲覧。
- ^ a b 『1995 ベースボール・レコード・ブック』ベースボール・マガジン社、1994年。ISBN 4-583-03171-8。