1976年のヤクルトスワローズ
1976年のヤクルトスワローズ(1976ねんのヤクルトスワローズ)では、1976年のヤクルトスワローズの動向をまとめる。
1976年のヤクルトスワローズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ5位 52勝68敗10分 勝率.433[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都新宿区 |
明治神宮野球場 | |
球団組織 | |
オーナー | 松園尚巳 |
経営母体 | ヤクルト本社 |
監督 |
荒川博(5月12日まで) 広岡達朗(5月13日から) |
« 1975 1977 » |
この年のヤクルトスワローズは、荒川博監督の3年目のシーズンであり、荒川に代わって途中から監督に就任した広岡達朗監督の1年目のシーズンである[2]。
概要
編集スワローズとなって2年、今年こそ勝ち越してAクラス入りしたかったチームだが開幕ダッシュに失敗。5月に入ってからも低迷が止まらず、5月13日には荒川監督が「負けが込んだ責任を取る」として休養を発表。急遽広岡ヘッドコーチが監督代行として指揮を執り、6月17日から正式に監督に就任。広岡新監督のもと、チームは5月後半以降立ち直り中日と4位争いを演じたが、開幕ダッシュの失敗が響き5位に終わった。投手陣はアトムズ時代からのエース・松岡弘、安田猛がローテーションを守り、1978年の初優勝にも大きく貢献した鈴木康二朗や井原慎一朗が台頭するなど明るい話題もあったが、松岡・安田とともにヤクルト不遇の時代を支えた浅野啓司が腰痛の影響で成績を落とし、チーム防御率が前年の3.31から3.88へ低下。打撃陣では切り込み隊長で3割常連の若松勉や主砲のロジャー・レポーズ、日本ハムから移籍2年目の大杉勝男が例年通りの成績を残し、水谷新太郎や杉浦享などの若手も台頭したが、新外国人のチャーリー・マニエルは日本の野球に対応できず成績が伸び悩みチーム本塁打はリーグ最下位。シーズン終了後、エースの浅野は広岡監督の古巣である巨人へトレードされた。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 三 | 井上洋一 |
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2 | 左 | 若松勉 |
3 | 中 | ロジャー |
4 | 右 | マニエル |
5 | 一 | 杉浦亨 |
6 | 捕 | 大矢明彦 |
7 | 二 | 船田和英 |
8 | 遊 | 渡辺進 |
9 | 投 | 松岡弘 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 阪神 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 巨人 | 3.5 | 阪神 | 2.0 | 阪神 | 4.0 | 阪神 | 3.0 | 広島 | 8.5 | 阪神 | 3.5 | 阪神 | 2.0 |
3位 | 中日 | 6.0 | 広島 | 9.0 | 広島 | 9.0 | 広島 | 9.5 | 阪神 | 8.5 | 広島 | 15.5 | 広島 | 14.0 |
4位 | ヤクルト | 7.0 | 中日 | 11.5 | 中日 | 12.5 | 中日 | 14.5 | 中日 | 17.0 | 中日 | 19.0 | 中日 | 21.5 |
5位 | 広島 | 7.0 | ヤクルト | 14.0 | ヤクルト | 19.5 | ヤクルト | 19.0 | ヤクルト | 22.5 | ヤクルト | 23.0 | ヤクルト | 23.5 |
6位 | 大洋 | 9.5 | 大洋 | 19.5 | 大洋 | 23.0 | 大洋 | 28.0 | 大洋 | 32.5 | 大洋 | 34.0 | 大洋 | 37.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 76 | 45 | 9 | .628 | 優勝 |
2位 | 阪神タイガース | 72 | 45 | 13 | .615 | 2.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 61 | 58 | 11 | .513 | 14.0 |
4位 | 中日ドラゴンズ | 54 | 66 | 10 | .450 | 21.5 |
5位 | ヤクルトスワローズ | 52 | 68 | 10 | .433 | 23.5 |
6位 | 大洋ホエールズ | 45 | 78 | 7 | .366 | 32.0 |
オールスターゲーム1976
編集→詳細は「1976年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 選出なし | |
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監督推薦 | 松岡弘 | 若松勉 |
できごと
編集この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |
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受賞者なし | |
その他 | |
選手名 | タイトル |
船田和英 | カムバック賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
若松勉 | 外野手 | 2年ぶり4度目 |
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
大矢明彦 | 捕手 | 2年連続3度目 |
ドラフト
編集→詳細は「1976年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 酒井圭一 | 投手 | 長崎・海星高 | 入団 |
2位 | 梶間健一 | 投手 | 日本鋼管 | 入団 |
3位 | 松崎泰治 | 内野手 | 協和醗酵 | 入団 |
4位 | 黒坂幸夫 | 投手 | 鷺宮製作所 | 入団 |
5位 | 高橋寛 | 捕手 | 松下電器 | 入団 |
6位 | 吉川盛男 | 外野手 | 横浜高 | 入団 |
出典
編集- ^ “年度別成績 1976年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月11日閲覧。
- ^ “川上哲治さんにまつわる美談。プロというのはプライドの塊である/廣岡達朗コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2021年10月15日). 2021年10月19日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 147
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。