松崎泰治
松崎 泰治(まつざき やすじ、1952年7月14日 - 2011年7月[1])は、山口県防府市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 山口県防府市 |
生年月日 | 1952年7月14日 |
没年月日 | 2011年7月??日 |
身長 体重 |
177 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1976年 ドラフト2位 |
初出場 | 1979年4月30日 |
最終出場 | 1981年7月5日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集防府商業高では、1969年秋季県大会準決勝に進むが柳井商工に敗退。翌1970年夏の大会でも西中国大会1回戦で安来高に敗れる。 高校卒業後は、社会人野球の協和発酵に入団。1975年にはチームとして25年目の都市対抗初出場を果たす[2]。その後も好守好打の内野手として活躍。
1976年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから2位指名を受け入団。
1980年には4試合、1981年には3試合に三塁手として先発出場するが、レギュラーには届かず1982年限りで現役引退。
1980年10月11日イースタンのロッテ戦にてサイクル安打を記録している。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1979 | ヤクルト | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
1980 | 7 | 25 | 24 | 5 | 9 | 0 | 0 | 0 | 9 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .375 | .400 | .375 | .775 | |
1981 | 26 | 18 | 17 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | .059 | .111 | .059 | .170 | |
通算:3年 | 37 | 43 | 41 | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 10 | 3 | 4 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | .244 | .279 | .244 | .523 |
記録
編集- 初出場:1979年4月30日、対読売ジャイアンツ4回戦(神宮球場)、9回裏に大杉勝男の代走で出場
- 初先発出場:1979年5月9日、対広島東洋カープ4回戦(平和台球場)、5番一塁で先発出場 ※偵察オーダー、1回表の守備から福富邦夫に交代
- 初安打:1980年10月21日、対横浜大洋ホエールズ25回戦(神宮球場)、杉浦享の代打
- 初打点:1980年10月22日、対広島東洋カープ26回戦(広島市民球場)
背番号
編集- 48 (1977年 - 1982年)
脚注
編集- ^ “残念です・・・・ - 新橋 『さつま料理 かご』” (2011年7月25日). 2023年4月18日閲覧。
- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年